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東京高等裁判所 昭和54年(う)2549号 判決

所論は要するに,本件の捜査は,何ら逮捕の必要性のない軽微な食糧管理法(以下食管法と略称)違反事件を本件殺人・死体遺棄事件の捜査に利用した別件逮捕による捜査であり,別件逮捕中の昭和25年11月21日,日航クラブという民間会社の寮において深夜迄暴行及び偽計を使って自白を強要して自白を得て供述調書を作成したうえ,被告人を本件の容疑で逮捕・勾留したものであるから,食管法違反容疑による別件逮捕中の被告人の供述調書は当然証拠能力はなく,原判決が証拠として挙示するところの本件の容疑で逮捕・勾留された後の自白を内容とする前示の各供述調書(以下自白調書と略称)は前記の別件逮捕中の昭和25年11月21日付供述調書を前提とし,それを基礎に進展されたものであるから,証拠能力はなく,仮りにその任意性が認められ証拠能力があるとしても,証明力は劣弱であるというのである。

しかしながら,関係証拠を精査・検討すると(原判決が「争点に対する判断」の一被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書等の任意性についての個所において前記自白調書の任意性を認めたところをも含め)前記自白調書の証拠能力・任意性はこれを認めることができ,その証明力は劣弱なものということはできない。

所論に鑑み,以下補足・説示する。

(1) 原審第14回・第15回・第17回各公判調書中の被告人の供述記載部分,同第15回・第16回各公判調書中の証人佐久間正隆及び同第16回・第17回各公判調書中の証人木村明並びに同第18回公判調書中の証人味村治の各証言記載部分,高橋顯之助の司法警察員(2通)及び検察官(2通)に対する各供述調書,石井市郎の司法警察員に対する昭和25年11月17日付・同年11月23日付各供述調書,石井市郎作成の家出人捜索願・司法警察員佐久間正隆作成の検証調書,司法警察員菅佐原喜松作成の実況見分調書,検察事務官作成の昭和52年12月27日付(2通)・昭和54年6月22日付各電話聴取書,司法巡査吉野喜代司作成の拾得物報告書,司法巡査安藤敏雄作成の「拾得自転車照会に就て」と題する書面,電報(原審昭和53年押第68号当審同第54年押第891号の16)電報頼信紙(同号の15)青年団会計帳(同号の17)浅見錦吾作成の筆蹟鑑定書を総合すると本件捜査の経過と被告人が本件を自白した経緯は次のとおりである。

(イ) 昭和25年11月14日(以下同年),石井市郎から千葉市警察署千城駐在所に,父石井徳次(以下徳次という)が11月11日朝,高橋顯之助とともに闇物資の取引のことで被告人方に赴いたが,同行した右高橋は帰宅したのに徳次が帰宅しないままになっているという捜索願いが提出され,同日右駐在所から千葉市警察署捜査一課長佐久間正隆にその報告がなされた。

(ロ) 右報告を受けた佐久間は同署の刑事部長・署長に報告するとともに,協議のうえ,闇取引にかかる殺人事件のおそれがあるとして15日に捜査本部が設けられ,以後石井徳次方・被告人方付近を中心に当時の山武・千葉・印旛3郡の周辺にかけて闇物資買い付けに関する徳次や被告人の足どり捜査が行なわれた。

(ハ) 右捜査の過程で,徳次は被告人が幾度も約束に反して物資を渡さないことから掛け合いのため11日朝高橋顯之助と共に被告人方を訪れ,被告人が八街方面で買入れてあるからそれを引取って渡すということで,被告人の実家から馬車を仕立て,徳次・高橋は自転車でこれについて,被告人の実家を出,その途次しばらくして高橋に徳次から「今日は奴もこの様に馬車を仕立てて来たので,貰える事は間違いないだろうから,雨も降っているのですまないけれども先に帰ってくれ」といわれて帰宅し,被告人と徳次は八街合同に向ったことが判明し,一方被告人は徳次の新族や高橋等からの,11日に徳次と同行した状況や行動の経過についての問い合せに対し十分な応答をせず,ことさらに接触を避けるような態度が見え,これらの点から見て,被告人に食管法違反の容疑が浮ぶとともに徳次が行方不明になったことにつき,被告人が重要な参考人と考えられるに至った。

(ニ) 他方11月12日千葉市登戸1丁目123番地の御鳥神社前路上において,自転車が拾得されてその届出があり,その鑑札番号を照会したところ,11月15日それが徳次の自転車であることが判明し,また同月14日午前10時頃,石井市郎方に差出人を「イシイトクズ」として「オレニイガタシヤリカイオクリユスグカイルトクズ」という文面の電報が配達され,その電報が警察に提出され,それに基づき同月17日右電報の打たれた上野駅電報取扱所から電報頼信紙が押収された。

(ホ) 右のような捜査の状況に基づき捜査当局は食糧の取引に絡んだ事件と考え,その解明のため食管法違反の容疑の点から捜査をすすめるのが常道であるとして,それまでの捜査で探知した,被告人が食糧物資買付と闇流しをしたとの被疑事件(前記佐久間証言では少量でない大豆又は小麦,前記木村証言では米一俵,の取引)による逮捕状を得て被告人を逮捕し(前記佐久間証言では19日,前記木村証言では19日か20日),これによって,被告人につき右物資の取引状況につき取調がなされると共に徳次が行方不明となっている点についても取調が行われるに至った。

(ヘ) 右の被告人の取調は,先に提出された電報・自転車と被告人との関連について被告人の供述を求めることから進められたが,被告人は徳次との間に取引関係のあったこと,11日徳次や高橋と一緒に出かけ,高橋が帰ってから徳次と大豆を買いに八街合同の方に行った旨供述したものの,電報・自転車については関係を否定し,徳次は大豆を持って神田方面に行ったのではないかなどその行き先はわからないという趣旨の供述をしていた。

(ト) このように,被告人の逮捕容疑は食管法違反であったが,その捜査の過程で千葉市警察署の刑事らが捜査に出て殆んど署にいなくなったため,大きな事件があったのではないかということで捜査一課長・刑事部長らは報道関係者からあとを追われる状況となり,佐久間は先走った報道をされることを気遣い,取調を生浜警察署の調室で行うことを申し出たが,署長から管内の適当な場所を借り上げて調べるようにとの指示があり,佐久間がかねてからの知人を通じて市内宮崎町にある日航クラブを借り受け,ここにおいて取調をすることとして,11月21日右クラブにおいて被告人を取調べ,捜査一課長の佐久間がその供述調書を作成した。

(チ) その取調べにおいては,前記電報の文面中の徳次の名前が「トクズ」と表現されている点が山武郡出身者の独特のズーズー弁に由来すると思えること,電報頼信紙の字が捜査によって領置されている青年団会計帳簿の被告人の筆跡に合う旨の鑑定が得られたこと,また自転車についての被告人の供述するところが裏付捜査によっても裏付けられなかったこと等から,これら理に合わない点をただす一方,被告人の反省を求める説得を混えながら取調を行った結果,被告人は夜9時か10時頃から徳次殺害の自白を始めたが,その際被告人は泣きながら申し訳ないという言動を示した。

(リ) 右の自白がなされるに至って,佐久間が調書の作成に当ったが,被告人の供述で山に穴を掘って徳次の死体を埋めようとしたがそれが出来なかったというくだりがあり,そのため佐久間はその現場を見に行くこととして夜明けを待って翌22日午前5時か6時頃出発し,被告人の案内した印旛郡八街町への8番地(現在,同郡同町山田台192番地)作佐部儀平方付近の山林に被告人を同行したところ,死体が発見されなかったので,佐久間は「早く石井さんを成仏させないとお前が眠れないぞ,早く非を改め何処に埋めたかはっきり話せ」と申し向けたところ,被告人が「いいます」と述べたので,更に被告人が案内した千葉県白井村中野西唐沢1,690番地の3(現在,千葉市中野町1,690番地の3)の山林に赴いたところ,被告人は死体を埋めた場所は「あそこだ」と指示するものの動かず,遂には跪づいて手を合せ「石井さん勘忍してくれ」と言って声をあげて泣きじゃくるにいたった,そこで刑事が木の枝で地面を突きながら被告人の示す方向にすすみ,直径3米位の広さで薄が倒れ木の枝が積まれていて周囲と様子の異なり土が柔らかく死体を埋めた場所らしい個所を発見し,令状請求をするための写真を撮り土を少し取り除いたところ,悪臭が出たので一旦中止して令状を請求し,それを得て捜索の結果莚・叭・シート・麻縄(ロープ)のほか徳次所有の番傘と共に徳次の死体が発見されるに至った。

(ヌ) 次いで改めて被告人に対する殺人強盗・死体遺棄被疑事実の逮捕状を得て,右22日午後4時頃被告人を逮捕し,同月24日千葉地方検察庁の検察官に送致し,同検察官は千葉地方裁判所の裁判官に対し被告人の勾留を請求し,勾留状の発布を得て同月26日午後1時頃その執行をなし,同年12月14日原判示第二の死体遺棄の罪で,同月28日原判示第一の殺人の罪でそれぞれ起訴したが,その間同年11月24日付(2通)・同月28日付・同年12月4日付・同月11日付で,前記各自白調書が作成されたものであることが認められる。なお,右の捜査の過程では昭和25年12月13日迄は平野四郎なる者の氏名が被告人から語られたことは一切なかった。

(2) 右の捜査の状況に照らして考察すると右食管法違反事件の容疑事実は少量ではない大豆又は小麦あるいは米1俵の闇取引であって,当時の社会事情に照せば,その捜査に際し逮捕の理由・必要性がなかったものとはいえず(被告人が食管法違反容疑で逮捕された際被告人の兄弟等も特に奇異・異常と感じたと窺えない),その逮捕期間中その被疑事実である食管法違反の容疑事実についての取調もなされており,もっぱら本件についてのみ取調がなされたものではなく,右21日に被告人が本件について自白するや翌22日には原判示第二の死体遺棄の現場を確認し,ただちに本件について殺人強盗・死体遺棄を被疑事実とする逮捕状を請求し,これを得て同日午後4時頃には被告人を逮捕しているものであり,しかも右21日・22日当時には本件犯行の当日である11月11日の朝被告人及び徳次と途中まで同行した高橋の供述などや徳次が同日乗っていた自転車が千葉市新地の御鳥神社前で同月12日発見拾得されたこと並びに被告人が上野駅電報取扱所から石井方に打った電報頼信紙とその筆跡対照用の青年団の会計帳が領置され,被告人が11月13日徳次名義で同人の留守宅宛に打電して同人が恰も生存しているように装ったことが明らかになったこと,などから,被告人が徳次を殺害しその死体を遺棄したとの容疑が濃厚となっていたのであって,右殺人強盗・死体遺棄を被疑事実として本件について逮捕状の請求に際し,前記21日の被告人の自白を内容とする供述調書が唯一の重要な資料となったものとは断じ難く,仮りに被告人が否認した侭であったとしても,被告人を本件で逮捕する理由・必要性が認められる場合であったといえるので,いわゆる見込捜査とも異なり,後記の様に食管法違反容疑で被告人を逮捕・取調べた際暴行又は偽計による自白強要・誘導があったとは認められず,又殺人強盗・死体遺棄容疑で逮捕・勾留し取調べた際も自白の強要がなされたと窺える事情はないので,本件殺人強盗・死体遺棄を被疑事実とする逮捕・勾留にさきだって被告人が前記食管法違反を被疑事実として逮捕取調べられ本件について自白したものであっても,前叙の捜査の経過・自白の経緯・その時の被告人の態度に徴すれば,本件に関する前記殺人強盗・死体遺棄を被疑事実とする逮捕・勾留中の被告人の捜査官に対する供述調書の証拠能力が否定されるものでないというべきである。

(3) 所論は,右21日の取調においては,自白を得るために暴行・偽計がなされたものであるという。そして被告人は原審並びに当審おいて右21日の日航クラブにおける取調にあたり,警察官から柔道を教えてやるといわれ畳の上に投げ飛ばされ,最後には警察官に囲まれて殴られたり蹴られたりした旨の供述をし,原審第12回公判調書中の証人田中勉の証言部分によれば被告人の実兄である同人は被告人が勾留執行停止となり千葉大学附属病院に入院する時,被告人から取調べが相当きつかったひどい目にあったと聞いている旨述べているものの,被告人の暴行を受けた旨の右供述は,その時期・態様において必ずしも一貫したものではなく,右寮における取調べに関与した前記佐久間・木村の原審における証言によっては右の様な暴行の事実は窺えず,前記味村の原審における証言によっても被告人は12月13日の同検察官の取調べの際にそれまでの自己単独犯行の供述を翻し平野四郎の犯行と供述するにいたったが,その時にも従前の供述が警察官の右のような暴行によるものとは述べていないこと,被告人が昭和25年11月24日差入れられた食糧の容器の返還に際してその内に隠して当時の内妻平林美代子に渡そうとした通信文(原審昭和53年押第66号・当審昭和54年押第891号の18)には,その性質上及び文面から当時の被告人の真実の感情・意図が記載されたと認められるものであるのに,自己が徳次を殺したことを認めている記載はあるものの警察官から暴行を受けたと窺えるような記載はなく,原審第11回公判調書中の右平林美代子の証言記載部分によれば,被告人が勾留執行停止となってからも被告人から,「俺ではない」と聞いたものの取調の状況については聞いていないというものであること,また佐久間は,日航クラブでは借り上げた建物であるのでその使用等につき,これを傷つけることがないように気配りをしていた旨の証言をしていることなどに徴すれば,被告人の右供述及び田中勉の証言はにわかに措信し得ず,他に被告人が取調に際し警察官から暴行を受けて自白を強要されたと窺える具体的事実は認められない。又被告人は原審第17回公判期日に,右21日における取調の際「正当防衛と書いてやるからといわれたので,うそを言わなければ辻褄があわなくなるので,でたらめな自白をしたと思います」と供述しているものの,原審第14回公判期日においては,警察官は,お前がやったといってきかなかったとか,殴られたから殴ったといえば,正当防衛だからお前そんなことをいうな,お前がやったのだといったという趣旨の供述をしてて,それからみると,取調を担当した警察官の方で正当防衛となり刑が減軽される旨の誘導をしたとは見られず,更に前記通信文中に「正当防衛で見て2年か3年だから心配するな」との文言などが存するものの,その前の部分に「監視巡査」とか「ある巡査」との文言があることに徴すると,被告人独自の考えかあるいは(21日における当初の自白以後)取調担当警察官以外の者から聞知したものと窺えること,前記佐久間・木村はその証言において,いずれも,正当防衛となる旨申し向けたことはない旨述べていること,そのほか被告人が正当防衛となると申し向けられたとか又はそのほかの偽計によって本件について自供したと窺える具体的事実は認められないことなどに徴すると,原判決が利益誘導によって虚偽の自白がなされ,あるいは利益をもって被告人を誘導し虚偽の自白を維持させようとしたとは到底考えられない旨説示したところは,当審も正当として首肯できるところである。

(4) ただ,前記食管法違反被疑事件については,前記佐久間の証言によれば,昭和25年11月18日逮捕状を請求して翌19日逮捕して取調のうえ身柄事件として検察官に送致したので被告人は右21日当時右被疑事件で勾留中であったと思うというものであり,前記木村の証言によれば19日か20日頃逮捕したと思うが記憶がはっきりしないというものであるが,原審取調の25年検3325号及び同3366号の千葉地方検察庁の各整理原票の記載によれば,同票記載の事件はいずれも被告人を被疑者とする食管法違反事件で千葉地方検察庁が昭和25年11月24日千葉市警察署から受理し,右3325号の事件は昭和25年12月20日余罪との理由で不起訴処分に,3366号事件は昭和26年1月8日起訴猶予処分に付されたことが認められるものの(いずれも担当検察官は本件担当の味村治検事),逮捕・勾留に関する記載はない。とすれば,被告人が右昭和25年11月24日以前に食管法違反被疑事件で検察官に送致されたとするにはなお疑の存するところである。しかし,被告人自身も当初食管法違反の容疑で逮捕されたと述べているところであって,しかも千葉市警察署においては食管法違反の被疑事件で被告人を逮捕したが,被告人を徳次が行方不明となっている件についても容疑者と考えていたものであり,その頃前叙したように報道機関の取材活動が活発となり捜査が阻害される慮れがあったというのであるから,逮捕後早い時期に日航クラブでの取調べを実施したものとも考えられ,被告人は右21日は無論翌22日本件の殺人強盗・死体遺棄の被疑事件で逮捕される際迄は前記の食管法違反被疑事件で逮捕されていて,右殺人強盗・死体遺棄被疑事件で逮捕されるに及んで食管法違反被疑事件については釈放されて,24日に本件と共に検察官に送致されたという関係,即ち,被告人が食管法違反被疑事件で逮捕されたのは昭和25年11月20日であったと考えられる余地もなくはない(木村明は19日か20日を供述している)。とはいえ,一件記録に徴すれば,右食管法違反被疑事件の記録はその身柄に関する書類も含め既に廃棄されており,又前記整理原票には前記の如き記載しかなく,19日に被告人を逮捕状で逮捕したと思うという前記佐久間の証言を否定するに足る資料もないので,原審が,21日の取調につき,右食管法違反を被疑事実とする逮捕の後刑訴法。203条1項所定の48時間を経過しても身柄を違法に拘束したままなされた疑いを払拭できない等の理由を挙げて,被告人の右21日及び翌22日の自白は任意にされたものでないと疑うに足る相当の理由が存在するとし,それぞれの証拠能力を否定しその取調をしなかったのは首肯できないところでもない。しかし,それの故をもって,それ以後の原判決の挙示する被告人の前記自白調書の任意性・証拠能力を否定できないことは前叙したとおりである。

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