東京高等裁判所 昭和54年(う)2675号 判決 1980年3月27日
控訴人 弁護人
被告人 池田照明
弁護人 小林幹司
検察官 谷口好雄
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人小林幹司が提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
所論は要するに、原判決は、被告人が原判示の指定方向外進行禁止の道路標識(以下本件標識という)により車両の右折進行が禁止されている横浜市南区中島町一丁目一五番地付近の交差点(以下本件交差点という)において、右標識に気づかずに右折進行したとして有罪の言渡をしているが、「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」(総理府令・建設省令、以下「命令」と略称する)二条、別表第一の規制標識「指定方向外進行禁止(番号三一一-A~E)の設置場所欄及び同表備考二の各規定に照らすと、右の道路標識は原則として車両の進行を禁止する交差点の手前の左側の路端又は車両の進行を禁止する場所の前面に設置することとされており、例外として、道路の形状その他の理由により、これを右の位置に設置することができない場合又はこれらの位置に設置することにより道路標識が著しく見にくくなるおそれがある場合には、これらの位置以外の位置に設置することができる、とされているところ、本件標識は、右の設置場所についての原則的規定によることなく例外として他の場所に設置することの許される場合の条件を満していないのに、本件交差点出口の左側の燈火信号と並んで設置されているのであるから、適法に設置された道路標識とはいえず、従つてこれに服すべき義務はなく、被告人の本件右折の行為は無罪であるから、右の設置を適法として被告人の過失による指定方向外進行禁止の交通規制に対する違反の罪を肯認した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。
そこで原審記録に当審における事実取調の結果をも併せ検討すると、被告人が、原判示の日時頃普通乗用自動車を運転し井土ケ谷駅方向から通町一丁目交差点方向に至る道路(以下本件道路という)を南進し、横浜市南区中島町一丁目一五番地付近の本件交差点を右折し弘明寺方向に進行したこと、本件交差点には、本件道路を南進してくる車両に対し、交差点出口左側隅に神奈川県公安委員会が設置した信号機の燈機に併列して、路面から約五メートルの高さの位置に、普通・二輪車の直進及び左折方向以外の進行を禁止する趣旨の規制標識(本件標識)及び補助標識並びに大型・大型特殊車の直進方向以外の進行を禁止する趣旨の規制標識及び補助標識が共架設置されており、右以外には右折禁止を意味する道路標識は存在しないこと、なお右各道路標識は、道路交通法四条一項、同法施行令一条の二第一項並びに前記「命令」二条、別表第一の規制標識「指定方向外進行禁止」(番号三一一-A~E)の設置場所欄及び同表備考二の各規定に基づいて設置されたものであることが明らかである。
ところで所論は、本件道路標識が、右の設置場所欄記載の位置すなわち本件道路を南進してきた車両からみて本件交差点手前の左側の路端又は右折して進入する場所の前面に設置されることなく、本件交差点出口に当たる前記位置に設置されていることは違法である旨主張するのであるが、関係各証拠なかんずく原審第二回公判調書中の証人雨宮正次の供述部分、同人の検察官に対する供述調書抄本、同人作成の昭和五三年一〇月五日付及び同五四年五月八日付の道路標識の設置状況についての各報告書、司法警察員清水茂平及び検察事務官岩尾美勝作成の各実況見分調書の各記載及び被告人の当審公判廷における供述に照らすと、本件交差点で本件道路に東西に交わる道路は大岡川の南側川岸に当り、同交差点手前部分は同川に架けられた長さ約三〇メートルの鶴巻橋になつているため、その橋上に丈夫で安定性の高い標識用の柱を設置することは技術的に困難であること、もつとも本件交差点の北東側角のいわゆる隅切り部分付近の路端には橋上に当たらない部分が若干あつて、ここに右柱を設置することは技術的には可能であると考えられるが、その場合には既設の電柱と並立することゝなつて同所を左折しようとする車両の運転者にとつて左折方向の安全を確認するについて相当程度の妨げとなりまた比較的細い柱を用いようとすれば、その高さは自ら制限されざるを得ず、そうとすると右鶴巻橋が中央部分の盛上つたいわゆる太鼓形である関係上本件交差点の北側井土ケ谷駅方面から見た場合の視認性が相当に悪くなる状況にあることもうかがえるのであつて、本件標識が原則的設置場所である右交差点手前の左側の路端に設置されなかつた理由もそのような状況が考慮されたためであることが認められる。一方本件標識は前記のとおり本件交差点出口の対面信号機の燈機と併列して設置されているものであるところ、原判示のとおり約二〇〇メートル手前からこれを視認することができ、また約五〇メートル手前からその標識の下部に設置されている補助標識の文字も確認できることが認められるのであつて、本件交差点を右折してその入口に接近進行してくる車両(当然高速度ではない)の運転者にとつてこれらが極めて気づきやすく、しかも見やすい位置に設置されており、これら運転者は本件交差点に近づく相当以前から本件標識等を確認することができ、更に同交差点入口手前約三〇メートル(前記五〇メートルから、右入口と本件標識との間の距離の二〇メートルを減じた距離)の地点まで接近すれば、その補強標識の文字をも読み取ることができるのであり、なお本件の場合は、補助標識の文字は確認できなくても、前記のとおり右折禁止を意味する標識が二箇併列しているのであつて、ほとんどすべての車両の右折が禁止されていることは、これらの標識を見るだけでも概ね判断し得るものということができるのであるから、本件標識及びその補助標識の設置位置が実効性からみて不適切であるとはいえず、かえつて本件交差点における四囲の状況に徴すると、本件標識はむしろ有効、適切な位置に設置されているといつて差し支えないものと認められる。
そこで、以上の状況に基づき本件標識の設置が、前記「命令」別表第一の備考二にいう「道路の形状その他の理由により、道路標識をこの表の設置場所の欄に定める位置に設置することができない場合又はこれらの位置に設置することにより道路標識が著しく見にくくなるおそれがある場合」に該当するか否かについて検討すると、右は道路交通法四条、同法施行令一条の二に基づくものであり、なかんずく右施行令の条項の規定に照らすと、道路標識の設置については前方からこれを見やすい位置に設置することに重点が置かれていることが明らかであつて、このことを勘案すると、右備考二の「設置場所の欄に定める位置に設置することができない場合」とは、物理的、技術的あるいは経済的に設置が全く不可能である場合のみに限定されると解する必要はなく、当該場所に設置することが著しく不適切あるいは困難で、他により見やすく、有効適切な設置場所があるような場合をも含む趣旨と解するのが相当であり、前記認定の諸状況に基づいて考えると、本件標識を前記の設置場所の欄に定める位置に設置することは著しく不適切あるいは困難であると認めることは必ずしも不当とはいえず、また前叙のとおり、本件交差点の手前の左側の路端にこれを設置するときは、その視認性にも問題が生ずることにかんがみると、同規定の「道路標識が著しく見にくくなるおそれがある場合」に該当するものと解することもできるのであるから、神奈川県公安委員会が、その双方の場合あるいはそのうちのいずれかに該当するものとして本件標識を設置したものと認められる本件では、右標識の設置を直ちに違法と解するのは相当でなく、いわんやこれによる規制を無効とし、これに従わなくても違法ではないとする所論は到底採用できない。
原判決が「被告人及び弁護人の各主張に対する判断」として説示しているところは、結論においては十分これを肯認することができるから、その法令の適用には格別誤りはないものと認められる。論旨は理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 千葉和郎 裁判官 永井登志彦 裁判官 中野保昭)