大判例

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東京高等裁判所 昭和54年(う)796号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

検察官の論旨は要するに、原判決の量刑が著しく軽きに失し不当であるというのである。

そこで記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討すると、原判決が量刑の理由と題して詳細に説示する内容は、当裁判所も概ねこれを正当として是認することができ、その他所論にかんがみさらに検討しても原判決の量刑が軽きに過ぎて不当であるとは認められない。

以下所論にかんがみ量刑上重要と思われる諸情状について説明を補足する。

所論はまず、本件の被害者佐藤健一の乱暴な振舞いはその両親との葛藤に基因する神経症の一症状に過ぎず、回復の見込みは十分存しており、被告人もそれを知悉していたのに、右健一の暴力と侮辱に耐えることなく、自己の商売と家庭生活の破壊をおそれて、短慮・性急に右健一を殺害したものであり、その犯行の動機は自己中心的な身勝手なものであつて憫諒の余地がない旨主張する。

なるほど、右健一が昭和五二年八月ごろから目立つて粗暴となり、家族に対して乱暴したり、器物を手当り次第に壊すなど異常な状態を示したため、被告人及びその妻成子が同年八月中旬都内北区西ケ原所在西ケ原病院に右健一を連れていつたところ、同病院医師小峯和茂から精神病ではなく、両親との葛藤等に基因する神経症に過ぎないから入院の必要もないと診断され、同年九月上旬訪れた新宿区大京町所在の斉藤神経科医院においてもほぼ同様の診断を下されているのであるから、被告人としても当初の段階では、右健一の症状は精神病によるものではなく、右医師らの指示に従つて治療に専念していれば回復の可能性のあるものであることを信じていたと認められるのであり、したがつて右事実関係のみを基礎として考える限り被告人が右医師らの治療を信頼して忍耐強く右健一の回復を待つことなく、本件犯行に及んだことは短慮・性急に過ぎたというそしりを免れず、犯行の動機が身勝手に過ぎる旨の所論も一応尤もである。

しかし、その後の事態の推移をみると、右健一は西ケ原病院に週二、三回位の割合で通院し、薬物療法や心理療法を受けていたものの、その治療効果は全く現われないのみか、かえつて、その家庭内暴力は激化する一方で、その症状は以前よりはるかに重症になつたように思われたのに、医師からはなるべく右健一に逆らわず、同人の気が済むまで乱暴・狼藉を放任しておく方が良い旨指示されたため、被告人及びその家族は、右健一の暴力にはひたすら逆らわないようにし、時には他にアパートを借りてそこに代る代る避難するなどして同人を刺戟しないようにつとめるなど祈るような気持で同人の暴力が鎮静するのを待ち望んでいたのである。ところが、右健一の言動は被告人らの期待に反してますます兇暴化する一方であつたため、被告人らは次第に右小峯医師らの診断に疑いを持ち、被告人の父がかつて精神病で鉄道自殺を遂げたことや、右健一の症状が医学書中の精神分裂病の諸症状と酷似していることなどをも思い合わせ、次第に回復の可能性について不安感をつのらせていたものと窺われる。そして、同年一〇月二三日には原判示のとおり右健一が包丁を持ち出して被告人に突きかかり、皿で被告人の頭を殴打して負傷させるという事件が発生し、パトカー及び救急車を呼ばざるを得なくなるに及んで、永年手塩にかけて育てた我子が今はあたかも両親に牙をむく一個の猛獣のごとく化してしまつたうえ、右事件を契機として通学しなくなり、かねて右小峯医師から右健一が回復する一つのより所として示唆されていたものを失い、さらに右事態に引き続く医師との応接の中で回復への希望をつなぎとめられるような激励や助言も得られなかつたこともあつて遂に絶望するに至つたものと認められる。

このように被告人は次第に右健一の回復可能性に絶望的な心理状態に陥入つたものと認められるところ、これを冷静な第三者の眼でみるときは、その判断は軽率のそしりを免れないといわなければならないとはいえ、右のような葛藤の渦中にあつて日々の応対に疲れ切つた被告人ら家族が置かれていた本件の具体的状況のもとでは、被告人に対し、その判断が甚だ軽率であり、右健一の暴力と侮辱をなお耐え忍ぶべきであつたと強く非難する所論は酷に失するものというべきである。そして、右に述べた被告人の心理状態と原判示の本件犯行日及び犯行後における被告人及びその妻成子の言動を総合すれば、本件犯行の動機は、被告人が健一の将来を悲観すると共に、疲労困憊している妻や義母兵藤花枝らを現実の苦悩から救おうとしたことにあると認められるのであつて、所論のように、自己の商売や生活の安定ないし世間体などを考慮するあまり健一を殺害したものとはとうてい認めることができない。所論がその根拠として挙げる前沢雅男の被告人に対するカウンセリングが本件の前日に開始されたばかりであつたこと、被告人の妻や義母が右健一の暴力に耐えてなお病状の回復を願つていたこと、被告人が本件犯行を事前に妻に相談しなかつたこと等の事情は、本件犯行の経緯ないし動機に関する右認定を左右するに足りる事情ではないと考えられる。したがつて、本件犯行の動機が自己中心的ないし身勝手であつて憫諒すべき事情がないとの所論は採用できない。

次に所論は、被告人らが右健一をいわゆる過保護に育て、同人に過剰な期待をかけたことが同人の反抗的態度を誘発するに至つた原因であり、また同人は思春期特有の精神的不安ないし焦燥感から攻撃的態度をとるようになつたに過ぎないのに、被告人はその心情を理解せず、父親として同人の処遇について十分な努力を払わなかつた旨主張する。

しかし、本件犯行に至るまでの間における被告人の右健一に対する処遇のしかたをしさいに検討しても、被告人が父親としての責任をとくに怠つていたとは認められない。まず、右健一の生育歴ないし被告人らの右健一に対する養育の態度をみても、同人がひとりつ子であつたこと及び被告人が夜の仕事を持つていたため右健一が祖母と接する機会が多かつたことなどから健一が若干過保護に育てられた面は否定できないけれども、そのため、被告人らが他の同じような条件の下にある子供に比して右健一をとくに溺愛したとか、極端に過保護な処置をしたとは認められない。また、右健一は生来従順で素直な子であり、母成子を敬愛し、みずから進んで勉学に励んだため、いわゆる名門といわれる中学校に進学したものであり、その間被告人らは右健一の学業成績が優秀であつたことから、その将来に多少の期待をかけたことはあるにしても、とくにいわゆる教育パパとか教育ママといわれるほど右健一に過剰な期待をかけ、その意思に反してまで勉強を強制したことはなかつたと認められる。また、右健一の性格や態度が原判示のように変貌していく過程においても、教育学や心理学について特段の知識を持ち合せていない被告人らとしては、右健一の不安や焦燥を早期に発見し、これを除去するための具体的方策をとることができなかつたけれども、漫然とこれを放置していたわけではなく、妻と相談しつつ被告人なりに父親としての態度で右健一の立ち直りと自覚をうながしていたものと認められる。さらに、右健一が被告人らに対し攻撃的な態度をとるようになつてから本件犯行に至るまでの約三か月間においては、被告人は原判示のとおり、右健一に付添つて病院を訪ね、保健所や大学病院に入院措置を申し入れ、また犯行当時には家業も休み、同人に付ききりで看護にあたり、その回復を心から願つていたことが認められる。所論は、とくに最後の三か月間における被告人の右のような処置が不徹底であるとしてこれを非難するもののようであるが、被告人としては右健一の治療を前記西ケ原病院に委ねる一方で、なお、その治療に不安を残しながら前記のような処置を模索していたものであること、右のような処置には妻成子と相談の上で右健一の意思をも忖度しながら行なつたものもあること、右の期間中被告人は、自己の存在が右健一の神経を刺戟するのではないかと考えて、ことさら同人から遠ざかつた時期もあることなどの事情が認められる本件においては、検察官の右の非難は必ずしも当を得ないものであるといわなければならない。

したがつて、被告人が健一に対し、父親としての努力を払わなかつたとの所論も採用できない。

そして、以上の諸点のほか本件犯行の具体的態様、犯行後妻と心中しようとしたが、結局自首するに至つた経緯、被告人の前科及び日ごろの生活態度等について原判決が説示する内容は、所論の反論を考慮に入れてもすべて正当として是認することができるほか、原判決後の昭和五三年七月二日被告人の妻が命に代えて被告人に寛大な判決を賜りたいとの遺書を残して自殺したこと、そして、被告人は最愛の妻子に先立たれた今日、その冥福を祈り菩提を弔う日々を送つていることなど原判決後生じたあらたな事情をも併せ考えると、被告人はすでに充分な社会的制裁を受けており、現実的な刑罰の制裁を科する必要はないものと認められる。

以上によれば、本件の重大性及び同種事案との刑の権衡等所論の指摘するところを考慮に入れても原判決の量刑(懲役三年、執行猶予四年)は相当であり、軽きに過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

(環直彌 齋藤昭 小泉祐康)

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