東京高等裁判所 昭和54年(く)246号 決定
被告人 板子欣也
〔抄 録〕
所論は、要するに、原決定は、被告人が昭和五四年四月一八日の公判期日に召喚を受け、正当な理由がなく出頭しなかったとして保釈を取り消しているが、被告人が右公判期日に出頭しなかったのは、その直前に糖尿病が悪化し同期日に出頭して予定されていた被告人質問に耐えることができない状態に陥ったので、その前日弁護人を通じて担当書記官にその旨電話で連絡したうえ、公判期日取消申請書に医師の診断書を添えて裁判所にあてて郵送し、次々回公判期日が既に同年五月二三日に指定されていたこともあって、右一八日の公判期日は取り消されるものと考え、弁護人ともども出頭しなかったのであって、身勝手な都合によるものではないから、これを正当な理由がなく出頭しなかったとする原決定は不当であり、取り消されるべきである、というのである。
そこで関係記録を調査し、当審における事実取調の結果をも併せ検討すると、被告人は、原裁判所において、保証金を五〇〇万円として保釈を許され、昭和四九年六月二六日に釈放され、同年七月一〇日の本件第一回公判期日から昭和五四年二月二八日の第三四回公判期日まで、第一三回公判期日(国鉄ストのため、公判期日が変更されている。)を除いては、そのすべてに出頭したが、第三五回公判が同年四月一八日と指定され被告人質問が行われる予定となっており、その次の期日は五月二三日と指定されていたところ、被告人は、同月八日施行の栃木県議会議員選挙に立候補し、その投票日の前日まで選挙活動に努力を傾注したため、心身ともに疲労困ぱいし、同月一〇日夜自宅に来た竹田平弁護人から「その健康状態では次の公判期日は無理だからその期日は診断書を提出して変更して貰おう」との趣旨の話があり、同月一四日には医師の診察を受け糖尿病、糖尿病性多発性神経炎の疑いにより今後一週間の安静加療を要する、との診断書を貰い、更に同月一八日に精密検査を受けるよう指示されたこと、そこで被告人はその帰途右診断書を主任弁護人竹田平方に届け公判期日の取消を依頼し、弁護人吉浦勇が、その前日である一七日午後二時一五分頃担当書記官に対し、電話で、翌一八日の公判期日には、被告人が病気で予定されている被告人質問には堪えられないので、右期日を取り消して貰いたい旨申し入れ、かつ公判期日取消申請書及び被告人に対する医師の右の診断書を速達便で裁判所あて郵送したこと、かくして被告人は同日午前一〇時三〇分よりの同公判期日は取り消されるものと信じ、同様に考えた弁護人ともども同期日に出頭しなかったこと、同日午前一〇時五五分頃担当書記官から主任弁護人に対し被告人不出頭の理由について電話による照会がなされ、同弁護人から被告人の健康状態の説明や公判期日取消請求書と診断書を速達便で発送したことなどが告げられたこと、なおこれらの書面は同日午後二時四五分頃裁判所に配達されたことが認められる。
ところで、刑訴法九六条一項による保釈取消は同条項各号所定の事由がある場合に裁判所の裁量のもとで行う趣旨のものと解せられ、その裁量は保釈及び保釈取消制度の趣旨に照し、とくに同項一号については被告人が召喚を受けながら出頭するに至らなかった具体的事情、それまでの出頭状況など諸般の事情を参酌検討し、客観的に相当であるか否かの見地から決定されなければならないから、被告人が前示四月一八日の第三五回公判期日に召喚を受け正当な理由がなく出頭しなかったとして本件保釈を取り消した原審の裁量について、その相当性についてさらに検討すると、前記診断書のほか昭和五四年五月一〇日付医師下田新一作成の、同年六月二日付医師満尾京子作成の各診断書、同月一一日付医師妹尾栄一作成の診断書写及び被告人作成の同年六月一一日付陳述書を総合すると、被告人は昭和五四年四月一八日当時治療を必要とする中等度の糖尿病に罹患しており、また同月八日施行の県会議員選挙に落選して精神的打撃を受けていたことが明らかであり、前記公判期日に全く出頭できないという程ではないとしても、被告人が右公判期日で長時間被告人質問を受けるには堪えられない身体状況にあると判断したことが当時の被告人の健康状態に徴し客観的にも首肯でき、必ずしも身勝手なものではなかったと解せられ、また、前叙の経緯に照すと、被告人が弁護人によって裁判所に対し手続がとられ当然右公判期日は取り消されると信じ、同期日に出頭しなかったことは無理からぬところと認められ、なお弁護人から裁判所に対し公判期日の前日に不出頭による公判期日取消の申出やその理由を伝える一応の措置も講ぜられており、かつその理由をいちがいに否定し去ることのできない前記諸状況の下では弁護人が適式な診断書を裁判所に提出せず(刑訴法二七八条、同規則一八三条、一八四条参照)、裁判所の決定もないのにほしいまゝに公判期日が取り消されると被告人に告げ、自らも出頭しなかった等の点に責められるべき事情は認められるとしても、そのすべてを被告人の責に帰せしめることは失当といわなければならない。そして前記のような被告人不出頭の事情、第三四回公判期日まで国鉄ストの折を除き一回の不出頭もないこと、被告人自身にことさら審理を延ばそうとする意図があったとは認められず、今後の出頭についても懸念すべき点はないこと、本件公判審理は検察官側の立証を終り被告人質問の段階にあり勾留を継続すべき事由も薄くなっていることなどの諸事情をも併せ考慮すると、予め弁護人から被告人の病状と公判期日の取消が電話で裁判所書記官に申出られ、関係書面も郵送されつゝあったのに、第三五回公判期日に唯一回出頭しなかったことを理由に直ちに保釈を取り消したことはその裁量が相当性を欠くといわざるをえないから、原決定は刑訴法九六条一項一号の解釈適用を誤ったものとして取消を免れない。
(千葉 永井 中野)