東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1789号 判決
一 控訴人が本件各手形を所持していること及び控訴人が本件各手形をその各満期に支払場所に呈示したが、いずれもその支払を拒絶されたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、≪証拠≫によれば、控訴人の弟で、納豆製造業を営む高橋清は、宣伝写真・ポスター等の製作業を営んでいた六本木企画こと訴外北原二郎とゴルフ友達として付き合っていたが、昭和五一年五月一八日ころ、北原二郎から本件各手形を見せられ、本件各手形を割引いてくれる人を紹介してほしいと頼まれたこと、そこで高橋清は、建築業を営む兄の控訴人を北原二郎に紹介し、控訴人は、本件各手形を割引くことを承諾して、手形金相当額の一一二五万円を北原二郎に交付し、同人から本件各手形の交付を受けたこと、以上の事実を認めることができ、≪証拠≫によれば、北原二郎が前同日本件各手形を高橋清に見せて割引人の紹介を依頼した際、高橋清の妻訴外高橋博子は、本件各手形の支払場所として記載してあった被控訴人の常盤平支店に電話をして、同支店が本件各手形の振出人である「有限会社マリムラ、代表取締役万里村豊男」と当座取引をしているか否かを問い合わせたところ、同支店の担当係長近藤成一は、「同支店は、有限会社マリムラ代表取締役万里村豊男と当座取引をしている。」と回答したこと、高橋博子は、更に知人の銀行員に問い合わせてマリムラの一般取引状況等を調べてもらい、その結果本件各手形は各満期に間違いなく決済されるものと判断して、高橋清とともに控訴人に割引を依頼し、控訴人は、弟夫婦から被控訴人常盤平支店の回答内容等を聞き、これを信用して本件各手形を割引いたこと、本件各手形に裏書をして割引金の交付を受けた北原二郎は、無資力のうえ、行方不明であり、控訴人が北原二郎から前記一一二五万円を回収し得る見込みは全くないこと、以上の事実を認めることができる。
二 そこで、被控訴人がマリムラとの間に当座取引契約を締結し、その取引を実行した経緯について検討するに、≪証拠≫によれば、次の事実を認めることができる。
1 訴外有限会社マリムラ商会(以下「マリムラ商会」と略称する。)は、昭和四六年四月七日、本店を東京都大田区鵜ノ木二丁目一五番八号に置き、訴外万里村豊男が代表取締役に就任して設立されたものであり、資本の総額二二〇万円をもって日用雑貨品の販売等を営んでいたが、万里村豊男は、昭和五一年二月ころ、被控訴人常盤平支店(松戸市常盤平五丁目所在)を訪問し、同支店係長近藤成一に対し、マリムラ商会の登記簿謄本と同商会代表取締役の印鑑証明書(いずれも同月一二日付のもの)を呈示して、「松戸市に営業所を開設したいので、当座取引契約を締結してほしい。」旨を申し入れた。
2 近藤成一は、万里村豊男が営業所を設置すると説明した松戸市串崎新田所在のくぬぎ山マンションに店舗用の二戸分が建設されていることを確認したうえ、同年二月二〇日ころ、社団法人東京銀行協会から、マリムラ商会につき取引停止処分がない旨の回答を得た。
3 しかし、万里村豊男は、そのころ、近藤成一に対し、マリムラ商会の本店を松戸市に移転し商号を「有限会社マリムラ」に変更する予定である旨を説明し、同年二月二七日、同人に対し、住所を「松戸市串崎新田字八幡台一五六」と刻し、商号及び代表者を「有限会社マリムラ、代表取締役万里村豊男」と刻したゴム判二個を呈示して、「有限会社マリムラ」名義をもって当座取引契約を締結してほしい旨を申し込み、被控訴人常盤平支店は、これを承諾して、同日、マリムラとの間に当座取引契約を締結した。そして、マリムラは、同日、同支店に対し、代表者代表取締役万里村豊男が当座取引に使用する印鑑の届出をなしたうえ、マリムラ名義の当座勘定口座に一〇万円を預け入れ、同支店から、支払人を同支店と指定された小切手用紙一冊の交付を受けた。
右当座取引契約を締結するに際し、近藤成一は、マリムラ商会がいまだマリムラに商号の変更手続をしていないことを知っていたが、三箇月も経過すれば松戸市の本店における営業が軌道に乗り、商号変更手続も完了するであろうと予測し、被控訴人常盤平支店も同様に判断して、所定の手続を経由していなかったマリムラとの間に当座取引契約を締結した。
4 マリムラ商会は、本店所在地の移転及び商号変更手続をせず、マリムラもその設立手続を実行しなかったが、マリムラは、被控訴人常盤平支店との間に締結した当座取引契約に基づき、昭和五一年二月二七日から同年六月一八日までの間に一四回にわたって、入出金の当座取引を継続した。右取引中出金は八回に及び、その額は最高一〇万円、最低一万五〇〇〇円であって、いずれもマリムラ振出に係る小切手によって決済された。
マリムラの代表者万里村豊男は、同年五月一八日、被控訴人常盤平支店の近藤成一に対し、自動車の割賦販売通知書と題する書面を見せて、右自動車の割賦代金支払のために使用する約束手形用紙を交付してほしい旨請求し、同支店は、これを承諾して、右割賦払に必要な数だけの約束手形用紙を万里村豊男に交付したところ、同人は、右約束手形用紙を使用して本件各手形を振り出し、これを流通に置いたが、その際同人は、本件各手形の振出人欄に、マリムラが同支店に届け出ていた印鑑とは別異の印鑑(一見して相違が分かるもの)を押捺した。
そして、マリムラは、同年七月五日を満期とした約束手形の手形金を決済せず(第一回目の不渡り)、続いて同月三一日を満期とした約束手形の手形金を支払わなかった(第二回目の不渡り)ため、同年八月四日、取引停止処分を受けた。したがって、その後に満期の到来した本件各手形は、すべてその支払を拒絶された。
三 控訴人は、金融機関は、当座取引契約を締結するに際し、取引先の信用調査を行うべきであり、若し調査の結果信用力に欠ける者、殊に手形・小切手の制度を不正な手段として用いようとする者を発見したときは、当座取引を拒否すべきであって、このことは、その当座取引契約に基づき振り出される手形・小切手の取得者の利益を保護するために金融機関に課せられた法的義務であると主張するので考える。
およそ、当座取引において取引先の信用が重視されるべきであることは、手形・小切手制度に対する信用の維持という公益的観点から見て当然のことであり、当座取引の申込みを受けた金融機関において取引先の信用を調査し、確実であると認めた場合に限り取引を開始すべきであることは、金融機関に課せられた責務であるというべきであるものの、そのことのゆえに当座取引の利用者が極度に制限されるような事態に至ることは避けるべきものでもあるから、金融機関に課せられた取引先の信用調査義務は、経済上の道義的な義務であるにとどまるものと解するのが相当であり、一般的に、金融機関が、手形・小切手の取得者に対し、法的義務として右調査義務を負うものと解するのは、相当でないというべきである。
しかし、金融機関が、取引先の信用の調査に不十分な点があったというのではなく、取引先が不正の目的で当座取引を利用することが判明しているような場合に、漫然、その者と当座取引契約を締結し、よって第三者に損害を生ぜしめた場合に、その金融機関が、右第三者に対し、不法行為に基づく損害賠償の義務を負うかどうかは、一概に否定されるものではなく、具体的の事案に応じて検討されるべきである。
そこで、以上の見地に立って、控訴人の主張について検討する。
1 控訴人は、被控訴人が、本件の当座取引契約に際し、取引先について十分な調査をしなかった、すなわち、「有限会社マリムラ」なる会社は、実在しない、と主張する。
前記認定の事実によれば、被控訴人・マリムラ間の当座取引契約締結当時、マリムラは、有限会社として成立していなかったのであるから、その存在しなかったことは、控訴人主張のとおりであるといわなければならない。この点につき被控訴人は、「有限会社マリムラ」の名称を用いて、マリムラ商会との間に当座取引契約を締結したものであると主張し、証人近藤成一(第一、二回)は、右の主張事実に符合する証言をしているのであるが、≪証拠≫によれば、マリムラ商会とマリムラは、それぞれ住所(前者においては本店所在地)及び商号に明らかな差異が認められ、各当座取引契約においても、右両者の間に人格の同一性が維持されていることの表示は見当たらないから、客観的に見て、別異の人格のものであると解するのが相当である。≪証拠≫によれば、マリムラ商会の代表取締役の印鑑証明書における印影とマリムラの代表取締役の印鑑届における印影とは同一のものであることを認めることができるけれども、右の一事をもってマリムラ商会とマリムラが同一人格を有するものと見るのは相当でない。
右説示によれば、右当座取引契約の相手方は、個人としての万里村豊男(通例に従えば、有限会社マリムラこと万里村豊男というべきもの)であったと解されるところ、被控訴人が、相手方を実在しないマリムラとして右契約を締結したことは、調査に十分でないものがあったというべきである。しかし、被控訴人は、マリムラ商会について信用調査を行うことにより、実質的には、個人企業としてのマリムラの主宰者である万里村豊男について信用調査を行ったとみることができ、右マリムラが実在しないことが、控訴人に対し不法行為を構成するとか、被控訴人が、マリムラの実在しないことを知ることにより、マリムラ振出の約束手形が不渡りになることを予見し、あるいは容易に予見し得たものということはできない。
2 控訴人は、被控訴人常盤平支店が、マリムラこと万里村豊男において同支店から交付を受けた約束手形用紙を悪用して詐欺を行い、その振出に係る約束手形を決済する意思と能力を有していなかったことを予見し、あるいは容易に予見し得たのに、当座取引を許容し、本件各手形の約束手形用紙を同人に交付し、もって同人の不法行為に加担したものであると主張する。
しかし、前記認定の事実によれば、被控訴人の常盤平支店においては、万里村豊男に約束手形用紙を交付した昭和五一年五月一八日当時、マリムラなる有限会社が成立していないことを知っていたのであるが、既に同年二月二七日からマリムラとの間に当座取引を開始し、その取引を継続中であったので、同人から自動車の割賦代金支払のために使用する目的で約束手形用紙を交付してほしいと請求されるや、同人の呈示した割賦販売通知書を確認したうえ、それに必要な枚数に限って約束手形用紙を交付したものであるから、右の事実によっては、被控訴人常盤平支店が、万里村豊男において詐欺を行い、その振出に係る約束手形を決済する意思と能力を有していなかったことを予見し得たものであったと認めることはできないものというほかなく、他に控訴人の右の主張事実を認めるに足りる証拠はない。それ故、その余の点について判断するまでもなく、右主張は、採用することができない。
四 控訴人は、本件各手形を割引くに当たって被控訴人常盤平支店に照会をした際、同支店からマリムラと取引をしていること等の回答を得たので、その回答を信じて本件各手形の割引をしたものであると主張する。ところで、前記認定のとおり、北原二郎から本件各手形の割引人の紹介を依頼された際、高橋博子は、被控訴人常盤平支店に電話をして、同支店係長近藤成一から、同支店が「有限会社マリムラ」と当座取引をしている旨の回答を得たものであるが、同支店は、当時「有限会社マリムラ」なる者と当座取引を継続中であったのであるから、近藤成一の回答は、事実を曲げたものではなかった。
控訴人は、更に、近藤成一が高橋博子の知人の銀行員からの照会に対し、「マリムラは月商約二五〇万円の取引をしており、その程度の金が動いている。マリムラは今まで事故を起こしていない。毎月二二五万円の手形ぐらい大丈夫である。」旨回答したものであると主張し、証人高橋博子は、原審及び当審において、知人の株式会社富士銀行の行員訴外吉田某に依頼して被控訴人の常盤平支店にマリムラの信用照会をしてもらったところ、吉田某から近藤成一が右のように回答をしていたと報告を受けた旨証言している。しかし、≪証拠≫中、近藤成一が吉田某に回答したという内容の部分については≪証拠≫と対比して、信用することができず、他に控訴人の右の主張事実を認めるに足りる証拠はない。
そうすると、問題となるのは、近藤成一が、高橋博子からの照会に対し、被控訴人常盤平支店がマリムラと当座取引をしている旨を回答した事実であるが、右は、事実ありのままを回答しただけであり、この一事をもって、同支店が、マリムラこと万里村豊男のした本件各手形の振出行為につき、その支払いが確実であることの保証をしたとか、振出人に資産がある旨述べたとかいうようにみることはできない。
五 控訴人は、被控訴人(常盤平支店)が、マリムラに約束手形用紙を交付し、高橋博子に控訴人主張のような照会回答をし、控訴人に右約束手形用紙の交付目的を告知しなかったことにより、マリムラこと万里村豊男の不法行為を容易ならしめ、これに加担したものであるから、同人と共同して不法行為責任を負うべきであると主張する。
しかし、右の場合、被控訴人が、右照会者に対し、右約束手形用紙の交付の目的を告知すべき義務はなく、右告知しなかったとの一事により、控訴人に対する関係で、不法行為を構成すると解すべき理由は、何ら存在しない。仮にマリムラこと万里村豊男が控訴人に対し控訴人主張のような不法行為を行ったものであるとしても、被控訴人(常盤平支店)において、万里村豊男の不法行為に加担することにつき故意又は過失があったとの事実を認めるに足りる証拠はない。
六 してみれば、以上に認定・説示した被控訴人(常盤平支店)の一連の行為によっては、被控訴人において控訴人主張の民法第七〇九条の規定による不法行為責任を負うべき理由がないものというべきである。
(杉田 長久保 加藤)