東京高等裁判所 昭和54年(ネ)231号 判決 1987年8月31日
《目次》
主文
事実
一 当事者の求めた裁判
二 当事者の主張
1 原判決引用部分の訂正
2 当審における主張
3 民事訴訟法一九八条二項の申立ての理由
三 証拠関係
理由
第一本件災害と当事者との関係
第二多摩川及び宿河原堰の自然的、社会的情況
一多摩川流域の概況
二多摩川の改修事業
三宿河原堰及びその周辺の情況
1 宿河原堰周辺の河道及び施設の概況
2 宿河原堰設置の経緯
3 宿河原堰の構造
第三本件災害発生の経過と原因
一台風第一六号による降雨と洪水の規模
二本件災害発生の具体的経過
1 本川水位の上昇
2 災害の発端(堰取付部護岸の崩壊)
3 災害第一期(高水敷の浸食と小堤の破壊の進行)
4 災害第二期(迂回水路の形成と拡大)
5 災害第三期(堤内災害の発生)
三本件災害の原因
1 堰下流取付部護岸の崩壊の原因(その一)
(一) 実験の装置及び方法
(二) 実験の結果
(三) 水理模型実験の有用性とその限界
(四) 本件模型実験結果の証明力
2 堰下流取付部護岸の崩壌の原因(その二)
3 迂回水路の形式・拡大の原因
(一) 小堤の高さについて
(二) 高水敷の保護工について
(三) 堰と本堤防との接続形式について
(四) 鉄矢板工の不施工等について
(五) 固結シルト層の存在について
4 本件災害の原因についての総合的考察
第四河川管理の瑕疵
一河川管理の瑕疵の判断基準
1 河川の通常有すべき安全性について
2 河川管理の瑕疵の一般的判断基準について
3 瑕疵の推定の主張について
二宿河原堰及び周辺河川構築物の安全性の程度
1 河川管理施設等の構造の基準
2 堰本体について
(一) 構造令三六条の解釈
(二) 堰高、可動部の割合等について
(三) 堰の平面形状及び設置位置について
3 取付護岸について
4 小堤について
5 堰本体の接続形式について
6 高水敷保護工について
三被災箇所付近における河川管理の瑕疵の有無
1 宿河原堰の設置許可と多摩川の管理瑕疵の有無
2 改善措置の未着手と多摩川の管理瑕疵の有無
3 本件災害の予見可能性について
(一) 個々の河川構築物の被災の予見可能性
(二) 発生機序自体の予見可能性
(三) 既往災害からみた本件災害の予見可能性
(1) 上河原堰における昭和二二年の被災例
(2) 宿河原堰における昭和三三年、昭和四〇年の被災例
(3) 金丸堰における被災例
4 結論
第五本案の結論
第六民事訴訟法一九八条二項の申立てについて
控訴人・附帯被控訴人
国
右代表者法務大臣
遠藤要
右指定代理人
田中信義
石垣勉
山口晴夫
外一九名
被控訴人・附帯控訴人
武田孝
外三二名
右三三名訴訟代理人弁護士
竹沢哲夫
外二五名
右当事者間の損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。なお、以下において、控訴人・附帯被控訴人を単に「控訴人」といい、被控訴人・附帯控訴人を単に「被控訴人」という。
主文
一 原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。
二 前項の部分につき被控訴人らの請求を棄却する。
三 本件各附帯控訴(当審における拡張請求を含む。)を棄却する。
四 各被控訴人は控訴人に対し、それぞれ別表第二「返還金額一覧表」の合計額欄記載の金員及びこれに対する昭和五四年一月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
五 原審及び当審の訴訟費用並びに前項の裁判に関する申立費用は被控訴人らの負担とする。
六 この判決は第四項に限り仮に執行することができる。
事実
一 当事者の求めた裁判
1 控訴人指定代理人は、控訴事件につき「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を、附帯控訴事件につき附帯控訴棄却の判決を求めたほか、民事訴訟法一九八条二項の申立てとして「各被控訴人は控訴人に対し、それぞれ別表第二「返還金額一覧表」の合計額欄記載の金員及びこれに対する昭和五四年一月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。」との裁判並びに仮執行の宣言を求めた。
2 被控訴人ら訴訟代理人は、控訴事件につき控訴棄却の判決を、附帯控訴事件につき「原判決を次のとおり変更する。控訴人は各被控訴人に対し、それぞれ別表第一「請求金額一覧表」の欄記載の金員及びその内同表欄記載の金員に対する昭和四九年九月四日から、同表欄記載の金員に対する昭和五四年一月二六日から、同表欄記載の金員に対する昭和六〇年二月八日から、各完済まで年五分の割合による金員を支払え(右請求の内同表欄記載の金員及びこれに対する昭和六〇年二月八日から完済まで年五分の割合による金員の支払を求める部分は、当審において請求を拡張した部分である。)。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求め、民事訴訟法一九八条二項の申立てに対し請求棄却の裁判を求めた。
二 当事者の主張
当事者双方の事実上及び法律上の主張は、以下に訂正、付加するほか原判決事実摘示第二と同一であるから、これをここに引用する。
1 原判決引用部分の訂正
原判決六八枚目表九行目の「一四メートル」を「14.25メートル」に、同七七枚目裏一行目から二行目にかけての「二階建共同住宅一棟115.69平方メートル」を「二階建居宅兼共同住宅一棟122.29平方メートル」に、同枚目裏四行目の「、その後」から同七八枚目表二行目末尾までを「であつたが、その後昭和四〇年一〇月にこれをほとんど全部取りこわして木造亜鉛メッキ鋼板葺モルタルリシン吹付二階建居宅兼共同住宅115.69平方メートルに改築し、さらに昭和四九年七月に右と同構造の6.6平方メートルを増築した。)を流出し、この損害額をC方式により算出(一〇万円未満切捨て)すると金九三〇万円を下らない。
計算式 309,000円×0.994×115.69/3.3×
{1−(0.018×9)}+309,000円×0.994×6.6/3.3
≒9,600,000円>9,300,000円」
に、同七八枚目裏二行目の「1.5メートル」を「1.65メートル」にそれぞれ改める。
2 当審における主張
本判決別冊<省略>記載のとおりである。
3 民事訴訟法一九八条二項の申立ての理由
(一) 各被控訴人は、原審の仮執行宣言付判決正本に基づく強制執行を東京地方裁判所執行官に委任し、同執行官において、昭和五四年一月二六日、東京都千代田区丸の内二丁目所在東京中央郵便局において控訴人所右の現金三億六八九六万二九七三円を差し押さえ、即日その取立てを了した。その各被控訴人別、元利費用別の内訳は別表第二「返還金額一覧表」記載のとおりである。
(二) よつて、控訴人は各被控訴人に対し、右仮執行の宣言に基づいて給付した別表第二「返還金額一覧表」の合計額欄記載の各金員及びこれに対する給付の日の翌日である昭和五四年一月二七日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
三 証拠関係<省略>
理由
第一本件災害と当事者との関係
控訴人が一級河川である多摩川を河川法及び同法に基づく命令に従い管理するものであること、多摩川では、昭和四九年九月一日台風第一六号のもたらした降雨による出水によつて、左岸の東京都狛江市猪方地区の地先において、稲毛川崎二ケ領用水宿河原堰(以下「宿河原堰」という。)の取付部付近の高水敷が浸食されて堰体の側方を迂回する水流が生じ、右水流により左岸堤防地盤が浸食されて堤防が崩壊、流失し、ひきつづき浸食が堤内地に及んだ結果、同日深夜から同月三日午後二時までの間に堤内の住宅地約三〇〇〇平方メートルと住家一九棟が流失するという災害(以下これを「本件災害」という。)が発生したこと、被控訴人加藤ハルを除く被控訴人ら及び被控訴人加藤ハルの亡夫加藤信は、昭和四九年九月一日当時、前記狛江市猪方地区の多摩川左岸沿いの堤内地に居住し、又は同所に土地、家屋等を所有していた者であるが、本件災害によりその居住又は所有に係る土地、家屋等の流失又は損壊の被害を受けたこと、以上の事実については当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被控訴人らの一部は、本件災害に際し、昭和四九年九月一日から同月四日にかけて実施された宿河原堰の爆破作業その他の水防活動により家屋、家財の損壊、喪失等の被害を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
第二多摩川及び宿河原堰の自然的、社会的情況
一多摩川流域の概況
多摩川が、山梨県、東京都及び神奈川県の一都二県にまたがり、北西から南東に向つて流れ、東京湾に流入する河川であること、上流部は東京都の水源となつている山地で、小河内ダムが設置されていること及び河水は農業、工業及び水道の各用水に利用され、多摩川には九か所の取水堰が設置されていることは当事者間に争いがなく、右の事実に<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
多摩川水系は、その源を山梨県塩山市三ノ瀬地先の笠取山に発し、藤尾山と岩岳の中間を東南に流れ、同県北都留郡丹波山村に至つて方向を東に転じ、東京都西多摩郡奥多摩町地先において小菅川、日原川等を合わせて溪谷の間を流れ、東京都青梅市を過ぎると平野部に出て再び東南に向かい、秋川、浅川等の支川を合わせ、東京都調布市から下流は東京都と神奈川県との境界を流過し、野川等の支川を合わせて、東京都大田区羽田町地先において東京湾に注いでいる。その流路延長は幹川に属するもの一二六キロメートル、流域は山梨県、東京都及び神奈川県の一都二県にまたがり、総面積は一二四〇平方キロメートルに及ぶが、平野部の流域面積はその約三分の一程度である。
流域の上流部は東京都の水源林を構成する山地で、日原川合流点より上流に東京都の水道水源施設として昭和三二年に完成した小河内ダムがある。中流部は、おおむね、山間部を開析した多摩川が平野に流れ出し、多摩丘陵と武蔵野台地との間に広大な扇状地性の平野を形成している。この平野には丘陵と台地の縁辺に沿つて連続した河岸段丘が発達しており、右河岸段丘面は大きく上下二段に分けられ、下位面は河川改修以前の氾濫河道部であり、以前は、この部分に当たる広い河原を多摩川は網状をなし、又は蛇曲して流下していた。中流部では、近年、急速に宅地開発が進みつつある。神奈川県川崎市高津区溝口地区から河口までの下流部は、多摩川が形成した沖積平野及び氾濫平野となつており、同市と東京都区部を中心とする人口稠密の既存都市部となつている。中下流部を中心とする流域内の人口は近年増加が著しく、昭和四五年の国勢調査結果によると、流域に接する市区町村人口は約四七〇万人となつており、また流域内の資産の蓄積も著しく増大していた。
多摩川の河水は農業、工業及び水道の各用水に利用され、中流部を中心として合計九箇所の取水堰が設置されており、宿河原堰もその一つである。
二多摩川の改修事業
<証拠>によれば次の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
多摩川における本格的な河川の整備は、大正七年に内務大臣の直轄工事として着手された多摩川改修事業に始まる。右事業は、当初のうちは東京府及び神奈川県の事業であつて、国庫ヨリ補助スル公共団体ノ事業ニ関スル法律(明治三〇年法律第三七号)一条二項の規定に基づき内務大臣において直接これを施行していたのであるが、大正一二年以降は、国の事業として、旧河川法(明治二九年法律第七一号)八条一項の規定により内務大臣が自ら工事施行の任に当たることとなつた。
右改修事業の内容は、多摩川本川について支川浅川合流点から下流の計画高水流量を毎秒一五万立方尺(メートル法に換算すると四一七〇立方メートル)と定め、河口から二子橋(河口から一八キロメートル地点)までの区間の改修を行つたもので、築堤、掘削、浚せつ及び水衝部の護岸等を施工し、昭和八年に竣工した。
さらに、昭和七年から内務大臣の直轄事業として、多摩川本川の二子橋からその上流日野橋(河口から四〇キロメートル地点)までの区間及び支川浅川の多摩川合流点からその上流高幡地先(多摩川合流点から2.4キロメートル地点)までの区間について多摩川上流改修事業(治水事業で多摩川上流という場合には、平野部の上流部分をいい、地理的には多摩川中流部に相当する。)による改修工事が着手された。この工事は日野橋地点の計画高水流量を毎秒一二万立方尺(三三〇〇立方メートル)と定め、主として旧堤の拡築、無堤部の築堤、水衝部の護岸工、水制工などを実施した。
本件災害が発生した狛江市猪方地区地先付近の築堤は昭和九年から昭和一〇年ごろにかけて設置されたものである。右多摩川上流改修事業は日野橋までの区間の築堤を概成したが竣工に至らないまま終戦を迎えた。戦後間もなく、昭和二二年のカスリーン台風は関東地方の各河川に未曽有の大洪水をもたらし、多摩川においても堤防、護岸等が流失したが、その災害復旧工事と併せて改修事業が進められた。昭和二二年一二月三一日限り内務省が廃止され、土木行政については、昭和二三年一月一日発足した建設院、次いで同年七月一〇日発足した建設省が旧内務省の事務を引継ぎ、建設大臣が旧河川法にいう主務大臣として河川の直轄工事を施工することになり、多摩川においても従来の上流改修事業の区域を対象として改修工事が続行された。なお、下流部の改修完了区域については、旧河川法六条による主務大臣の直轄維持区域として維持工事が行われた。
昭和三九年の現行河川法の制定に伴い、多摩川は昭和四一年一級水系に指定され、従来の多摩川改修事業区間(河口から日野橋まで)に加えて、日野橋から東京都福生市の国鉄五日市線橋梁(河口から50.1キロメートル地点)までの区間が、翌四二年には更に上流の東京都青梅市の万年橋(河口から61.8キロメートル地点)までの区間が、それぞれ河川法九条一項に基づく建設大臣の直轄管理区間とされ、また、支川浅川については、従来本川合流点から高幡橋までとされていた直轄管理区間が昭和四四年に延長されて、さらに上流の南浅川合流点(本川合流点から12.6キロメートル地点)までの区間が直轄管理区間に編入され、支川大栗川についても、昭和四七年に本川合流点から東京都多摩市新大栗橋(本川合流点から1.1キロメートル地点)までの区間が直轄管理区間となつた。
昭和四一年七月二〇日に建設大臣によつて多摩川水系工事実施基本計画が策定されたが、同計画においては、従来どおり日野橋地点から下流浅川合流点までの区間の計画高水流量を毎秒三三〇〇立方メートル、浅川合流点から下流の計画高水流量を毎秒四一七〇立方メートルと定め、狛江市猪方地区付近は右計画による改修工事完成区間とされた。
狛江市猪方地区付近では前記改修事業により旧堤の拡築あるいは新堤の築造が行われ、宿河原堰左岸付近では上下流の旧堤法線になめらかに接続する新堤が連続堤として在来堤より川側に築造され、新堤より堤内地側の従来高水敷であつた区域は洪水氾濫を免れる土地となつたため、右区域については昭和二六年に当時の河川管理者であつた東京都知事により河川敷地の公用廃止処分がなされた。
三宿河原堰及びその周辺の情況
1 宿河原堰周辺の河道及び施設の概況
宿河原堰は、稲毛川崎二ケ領用水(以下「二ケ領用水」という。)の取水を目的として、多摩川左岸東京都狛江市猪方地区地先から右岸神奈川県川崎市宿河原地区地先にかけて河道を横断して設置されていることは当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、本件災害発生当時における宿河原堰周辺の河道及び施設の概況に関し次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
宿河原堰が設置されている狛江市猪方地区先は、多摩川の河口から22.4キロメートル地点付近に位置し、多摩川がその流域内の大部分の流出を集めて流下させ、流れを南東からやや東方に向きを変える地点にあたる。
猪方地区地先における多摩川の川幅は約三六〇メートルであるが、狛江付近では、明治以来河川の流心はおおむね右岸寄りにあり、右岸側の河床が深くなつていて、二ケ領用水の宿河原取水口は右岸に設置されており、一方、左岸側には砂礫が低水面より高く堆積した高水敷が宿河原堰の上流約三〇〇メートル付近から始まり、次第に幅が広がりながら堰下流部に続いており、堰の取付部における右高水敷の幅は約四五メートルであり、その地盤高はA・P約二一メートル(A・Pは、T・Pで表される東京湾中等潮位の零点高より1.134メートル低い面を零点高とした基準位である。)であつた。
右高水敷は上流から下流に約三〇〇分の一の勾配で緩く傾いており、狛江市によつて砂利の上に約三〇センチメートル弱の土が入れられ、この上に芝が張られ、児童遊園地として利用されていたもので、高水敷保護工は設けられていなかつた。
この高水敷に接して高さ三メートル、天端及び裏小段幅各約六メートル、表及び裏法勾配約二割、敷幅約三〇メートルの本堤防が築造されていたが、堤防にはコンクリート等による高水護岸は設けられていなかつた。
宿河原堰の構造は後に述べるとおりであるが、前記左岸高水敷の低水路側には、堰の上流部に植石コンクリート張りの低水護岸が、堰の下流部には後記取付護岸の更に下流に蛇籠による護岸が設けられていたほか、堰堤の上流側約二六〇メートル地点から堰堤の下流側約二〇メートル地点にかけて延長約二八〇メートルにわたり高水敷の側端に天端幅約四メートルの小堤が設置されていた。右小堤の天端高はA・P22.4メートルないし、22.6メートル(堰直上流部でA・P22.4メートル)で、河川の砂及び砂利を主材料とする盛土(中詰土)の上を厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで三面を被覆した構造となつており、その法足は低水護岸と一体となつていた。
2 宿河原堰設置の経緯
<証拠>を併せると次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
二ケ領用水の歴史は古く、武蔵野原野開拓のため一六世紀末に用水工事が着手され、上河原(「中の島」とも呼ばれていた。)、宿河原の順に取水口が設けられ、現在の堰設置以前は竹蛇籠等の簡単な導水施設によつて取水し、約三八〇年の永きにわたつて多摩川右岸下流部の用水幹線の役割を果してきた。その灌漑面積は明治末年には二八〇〇ヘクタール余に達していたが、その後は逐次減少し、第二次世界大戦の前には一五〇〇ヘクタール台となり、戦後は更に減少が著しく、昭和四九年当時、灌漑面積は樹園地を含め二〇〇ヘクタール内外となつている。
近代に至り、二ケ領用水は明治三一年に組織された稲毛川崎二ケ領用水普通水利組合により管理されてきたが、昭和一六年に同組合の権利義務が川崎市に移管された。
流水の占用については、昭和九年に神奈川県知事から前記水利組合に対し、上河原口から毎秒5.175立方メートル、宿河原口から毎秒4.174立方メートル、合計毎秒9.349立方メートルの取水が、用途を灌漑用水として一〇箇年の期限で許可された。その後昭和一九年からは川崎市が流水の占用許可を受けているが、昭和三三年には神奈川県知事から川崎市に対し、上河原口から毎秒6.68立方メートル、宿河原口から毎秒2.67立方メーートル、合計毎秒9.35立方メートルの取水が、灌漑用水に毎秒7.0立方メートル、工業用水に毎秒2.35立方メートルとして許可された。
現行河川法の施行後、昭和四三年に川崎市から河川管理者である建設大臣に対し昭和三三年と同じ内容で流水の占用許可更新申請がなされたが、二ケ領用水流域の都市化に伴い明らかに灌漑面積が減少しているため、灌漑用水量の精査を行うことが必要であるとして許可が保留されている。
宿河原堰の取水口は、旧来から多摩川右岸の現在の取水口とほぼ同一地点にあり、河床の変動に対応して常に取水を円滑にするため、上流部の河心から斜めに取水口に向かつて竹蛇籠等による導水施設が設置されていた。ところが、大正初年ごろから東京市の人口の増加と都市の発展に伴い、水道用水の使用量が著しく増加し、上流の羽村堰での取水量が増加したために下流部の流量が著しく減少し、また、大正七年から昭和八年にかけて実施された多摩川改修事業及び昭和七年に着手された多摩川上流改修事業によつて、所定の流下能力を確保するために掘削築堤工事等が行われた外、関東大震災以来砂利、砂の需要が急増し、多摩川河川敷において砂利、砂の大規模な採取が行われたため、河床が低下した。この結果、河川の水位が低下し用水の取入れに支障を来たすこととなり、二ケ領用水においても取水に必要な堰上げ高が高くなつたため、以前から設けられていた竹蛇籠等の仮設的な構造物で対処することが困難となり、また、洪水のたびごとに堰は決壊流失の災害を受け、特に稲作の用水最需要期に被災した年には流域内の稲作は著しい減収となつた。
こうした状況の中にあつて、東京市は昭和七年に多摩川上流に小河内ダムの建設計画をたて、その後工事計画策定に際し、下流の水利権について神奈川県と東京府との間に、下流の灌漑用水のために五月二〇日から九月二〇日に至る灌漑期には東京市は羽村堰において最少毎秒二立方メートルの流水を常時放流することと併せて、この流水を有効に利用するため、上河原及び宿河原の二堰堤をコンクリート造りの堰に改築することが昭和一一年に合意され、この工事は神奈川県により県営事業として実施されることとなつた。
右計画に基づいて、昭和一二年に神奈川県から河川管理者である神奈川県知事及び東京府知事に対して旧河川法一七条、一八条に基づく河川敷占用及び工作物設置についての許可申請がなされ、これに対し昭和一五年五月両知事からそれぞれ許可があつた。なお、計画されたコンクリート堰堤は、下流に東京市の水道取水口があるため、河床に深く基礎を入れず堰の下を伏流水が通過する構造の透過式堰堤とされた。右許可に基づいて、上河原堰の改築は昭和一六年に着工され昭和二〇年に完成した。一方、宿河原堰については着工に至らないまま終戦を迎えたが、戦後に至り、計画時の昭和一二年に比して河床が更に低下していたので、堰高を高くする設計変更を行つた上改築が実施されることとなつた。そこで、神奈川県から昭和二二年四月に東京都知事あてに河川敷占用並びに工作物改築設計変更及び工期延長についての許可申請が行われ、これに対して同年九月二三日東京都知事の許可があり、同年一二月から神奈川県営事業として宿河原堰の改築が実施され、昭和二四年八月に堰本体及び取付護岸等の工事が完成した。本件災害発生当時宿河原堰の左岸堰取付部付近の高水敷上にあつた小堤は、神奈川県が右の改築工事に関連して、古くから上流部から連続して存在していた在来堤を長さ八二メートルにわたり補強したものである。
宿河原堰は、以上のように改築された後、昭和二五年三月神奈川県から川崎市に移管され、以後同市において堰本体のほか護床工、取付護岸、左岸高水敷上に設けられている小堤の一部、右岸側取水口等の許可工作物たる施設について、その維持、点検、操作、災害復旧等の管理を行つてきた。なお、本件災害現場である堰左岸側の許可工作物たる施設の範囲は、別紙「堰左岸付近平面図」に図示されている赤色線<誌面では太線―編注>で囲んだ部分である。
3 宿河原堰の構造
本件災害発生当時の宿河原堰の全体の構造(以下、特に断わらない限り堰の構造はすべて本件災害発生当時のものをいう。)は、堰堤の全長が二九七メートルで、右岸側から順に、鉄筋コンクリート造りの固定部五〇メートル、五連のゲートからなる放水門三五メートル、舟通し魚道一二メートル及び鉄筋コンクリート造りの固定部二〇〇メートルで構成されており、左岸側堰固定部の延長部は低水護岸から堤防本体に向かつて一五メートルにわたり高水敷の地下に嵌入し、右嵌入部の上縁は高水敷の地表から約一メートルの深さに位置し、堰固定部の天端の標高はA・P20.0メートルであつたこと、堰周辺の地物の状況は原判決別紙第一図及び第二図に図示されているとおりであり、堰が取り付けられていた左岸高水敷上には三面を植石コンクリートで被覆されている小堤が堰の上流部から下流約二〇メートルの地点まで直線で設置されていた外、堰取付部の左岸高水敷側壁には厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで被覆されている低水護岸が堰上下流部にかけて設置され、前記小堤の表法はこの護岸と一体構造になつていたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によると、堰体の底面は伏流水の通過を阻害しないようにするためおおむねA・P一六メートルの河床面に据えられ、堰の固定部は上流側の天端(A・P20.00メートル)から下流に向かい二〇メートルの区間を五段の階段となつて順次堰高を減じ、堰体直下流のコンクリートブロック護床工(A・P16.90メートル)に連らなつており、堰の高さは3.1メートルであつたこと、堰本体の平面形は、左岸取付部から約三〇メートルにわたる堰の袖に当たる部分の堰軸が角度で一〇度下流側に屈曲していたこと、堰左岸下流取付部護岸の法勾配は1.5割ないし二割で(この点は当事者間に争いがない。)、堰の高さが下流方向に階段状に漸減するに従い法足が流心の方向に出ていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
第三本件災害発生の経過と原因
一台風第一六号による降雨と洪水の規模
1 前掲甲第二号証によると、台風第一六号は、昭和四九年(以下、昭和四九年に属する月日を表示する場合には年の記載を省略する。)八月二四日マリアナ諸島の東海上で発生した熱帯性低気圧が発達して同月二六日サイパン島付近で台風(中心気圧九九二ミリバール、中心付近の最大風速二〇メートル)に成長し、その後勢力を増しながら北北西に進み、同月二九日硫黄島の南で大型台風(中心気圧九四五ミリバール、中心付近の最大風速四〇メートル)に発達して西日本南岸に接近し、九月一日午後六時高知県須崎市付近に上陸し(上陸時の中心気圧九六〇ミリバール、中心付近の最大風速三五メートル)、次第に勢力が衰えながら北上して同日夜半日本海に抜け、九月三日沿海州のウラジオ付近において温帯低気圧となり、その後進路を東に転じて北海道付近で消滅したこと、<証拠>によると、右台風に伴う多摩川流域の降雨の状況は次のとおりであつたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
台風第一六号の本土への接近に伴つて、発達した雨雲が関東地方に停帯し、八月三一日から九月一日にかけて関東地方の北東部や西部山岳地方は記録的な豪雨に襲われた。多摩川流域では八月三〇日夜から雨が降り始め、八月三一日午後七時ごろからは降雨が一段と強くなり、九月一日夕方まで降り続いた。多摩川上流部の氷川では、毎時一〇ミリメートルから三十数ミリメートルという強い降雨が二〇時間連続し、八月三〇日午前九時から九月一日午前九時までの二日間の雨量は五〇八ミリメートル、降雨の開始から終了までの総雨量は五二七ミリメートルに達し、右総雨量は大正二年に観測を開始して以来最大のものであつた。なお、多摩川流域の他の地点での総雨量は、氷川より上流の落合で二八三ミリメートル、丹波で二九九ミリメートル、小河内で四九五ミリメートル、下流の青梅で三一二ミリメートル、八王子で二四八ミリメートル、日野で一四三ミリメートルであり、氷川を中心に同心円状に強い降雨域が分布していた。
石原地点(宿河原堰の5.2キロメートル上流に位置している。)より上流における多摩川流域の平均二日雨量は三一六ミリメートルで、大正一二年から昭和四九年までの過去五二年間において、これを上回るものは昭和二二年九月一四日のカスリーン台風による降雨(三七六ミリメートル)及び昭和三年七月三〇日の降雨(三五一ミリメートル)の二回のみであり、宿河原堰の改築が完成した後に流域平均二日雨量が三〇〇ミリメートルを超えたことはなく、台風第一六号による今回の降雨は堰の改築後最大の規模のものであつた。なお、今回の流域平均二日雨量三一六ミリメートルは、一五年に一度程度の超過確率となる。
2 以上の降雨によつて、多摩川流域では洪水が発生し(以下これを「本件洪水」という。)、多摩川の水位は八月三一日早朝から上昇を続け、宿河原堰付近の最大洪水流量は九月一日午後五時から午後五時三〇分ごろに毎秒四二〇〇立方メートルに達し、宿河原堰地点における水位は最高A・P23.1ないし23.2メートルまで上昇したが、これは堰左岸上流側の側線を本堤まで延長した地点の堤防天端の高さ(A・P約24.2メートル)より約一メートル下位の水位であつたこと、また、石原地点でも九月一日午後四時ごろに最高水位3.86メートルを記録したが、これは同地区の計画高水位より約五〇センチメートル下位であり、猪方地区より約八キロメートル下流の田園調布水位観測所においては、最高水位8.46メートルで、これは計画高水位より約1.9メートル下位であつたこと、本件洪水の規模は明治四三年、昭和二二年等過去に発生した大洪水とほぼ同程度のものであつたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
本件洪水の流出波形について見るに、前掲甲第一号証によれば、宿河原堰付近における毎秒二五〇〇立方メートル以上の洪水継続時間は九月一日午後一時過ぎごろから同日午後一〇時過ぎごろまでの約九時間であり、石原観測所における指定水位(水防法一〇条の三の通報水位)以上の水位は約一九時間にわたつて継続したが、同観測所における指定水位以上の水位の継続時間に関しては、昭和三三年以降に限つてみても、昭和三三年及び昭和三四年の各洪水時に、最大洪水流量は本件洪水時のそれに比べかなり少ないにもかかわらず本件洪水時における前記継続時間をやや下回る程度の継続時間を記録した前例があり、本件洪水は、その最大洪水流量に比較して洪水継続時間は異常に長いものではなく、むしろ、洪水流量がピークに達した九月一日午後五時過ぎごろを中心として、その前後における洪水の流下は比較的迅速に行われたことがうかがわれる。
二本件災害発生の具体的経過
1 本川水位の上昇
前掲甲第一、二号証によると、本件洪水により、宿河原堰では八月三一日夕刻から堰の固定部(A・P20.0メートル)からの越流が始まり、その後も多摩川の水位は上昇する一方で、九月一日午前八時には堰左岸取付部付近の高水敷にある狛江市児童遊園地に冠水のおそれが生じたので、狛江市当局は右遊園地に設置してある移動式遊具の撤去を開始したこと、午前一〇時には堰の越流水深は約二メートルに達したが、この時の本川流量は堰地点で毎秒一六〇〇立方メートル前後、堰の上流側と下流側との水位差は四メートルであつたことが認められる。
2 災害の発端(堰取付部護岸の崩壊)
同日昼ごろに、まず、堰左岸下流取付部護岸の一部が破壊され、次にこの破壊は護岸工と一体構造となつていた小堤に波及し、小堤の破壊及び高水敷の浸食が始まつたことは当事者間に争いがない。もつとも、<証拠>によると、同日午後一時三〇分ごろ、堰左岸下流取付部の護岸及び小堤の末端が一〇ないし一五メートルにわたつて崩壊し、高水敷の一部が浸食されていることが発見されたが、それ以前の初期の護岸及び小堤の表法の崩壊は、川表側で観察不可能な場所に、しかも水面下で生じた現象であるため、その正確な発生箇所及び状況は明確ではないことが認められる。
3 災害第一期(高水敷の浸食と小堤の破壊の進行)
その後も流量は増加を続け、同日午後一時三〇分から午後二時の間に流量は毎秒二七〇〇立方メートル前後となり、この段階で堰上流部の小堤から高水敷への越流が始まつたこと、小堤からの越流が始まつてからは、本川水位の上昇とともに小堤の越流延長及び越流量は増加し、この間小堤自体の上流方向への破壊が進行した外、この越流水が小堤と堤防との間の高水敷を流下して、その大部分が前記の高水敷浸食箇所に流入し、高水敷の浸食は上下流方向及び堤防方向に徐々に増大していつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、小堤の破壊は後述のように同日午後四時ごろ堰嵌入部の上流面に達したのであるが、その時点より前の段階では、小堤からの越流は午後四時ごろまで増大を続け(小堤の破壊が堰上流面まで達する直前に最大となり、最大越流水深は五〇ないし八〇センチメートル、最大越流量は毎秒一〇〇ないし一五〇立方メートル程度であつた。)、これに伴い高水敷の水深(下流で深く上流で浅くなつていたが、小堤の破壊が堰上流面まで達する直前に最大で約1.3メートル程度であつた。)及び流速(下流で大きく上流で小さくなつていたが、水深と同じく小堤の破壊が堰上流面まで達する直前に最大で毎秒2.5メートル程度であつた。)は各地点で増大したこと、高水敷の浸食の進行は、小堤を越流し高水敷を流下して浸食箇所に滝状に落ち込む流れと、本川の堰固定部を越流して堰下流部に生じた流れとの二つの水流の作用によつて促され、上流方向に比して二倍ないし三倍の速度で川に直角に堤防方向に進んだこと、他方、小堤の破壊が上流方向に進行した理由は、小堤は盛土(中詰土)の上を厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで三面を被覆した構造となつており、その破壊現象としては、災害の発端の段階では小堤と一体構造となつていた小堤の下の護岸及び裏込めの流失に伴つて破壊が進んだが、その後は被覆工が流失したために露出した小堤の中詰土が流失し、次に中空になつた被覆工が水圧等に耐えられずに倒壊するという過程が繰り返えされて破壊が上流方向に及んだものと考えられ、この現象は、本川水位の上昇により小堤からの越流が増大すると、小堤上に下流方向への流れが生じ、小堤の破壊部へ天端から落下する水流により加速されたことが認められる。
4 災害第二期(迂回水路の形成と拡大)
同日午後四時ごろ小堤の破壊が堰嵌入部の上流面にまで達したこと、小堤の破壊が堰の上流部に及んだため、小堤からの越流水以外に堰嵌入部の上流側で本川の流水が小堤の破壊口から堤防方向に向かつて流れ込み、堰を迂回して高水敷を流下することとなつた事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、堰上流部の小堤の破壊口から直接高水敷に流入することとなつた河水の流量は小堤越流量の数倍に達するものと考えられ、右の水流により高水敷の洗掘と小堤の破壊の進行が促進され、高水敷が深くえぐられたことが認められる。そして、右の水流による高水敷の洗掘範囲は急速に広がり、同日午後五時から午後五時三〇分ごろに本川流量がピーク(毎秒約四二〇〇立方メートル)に達したこともあつて、堰嵌入部先端から堤防の表法尻にまで達する幅約三〇メートルの円弧状の迂回水路が形成されたこと、同日午後五時三〇分以降、本川の流量が減少するにつれ小堤からの越流量は減少したものの、小堤の破壊口から高水敷に流れ込む水流は依然として強く、高水敷を上下流方向及び堤防方向に浸食し続けたこと、その後、高水敷の浸食は堤防に及んだが、その時点では本川の水位は堤防表法尻の高さ以下になつていたので、堤防はその地盤が浸食され、それに伴つて堤防自体も崩壊して流失していつたことは当事者間に争いがない。
5 災害第三期(堤内災害の発生)
同日午後一〇時二〇分には延長約一〇メートルにわたつて堤防が裏法尻まで流失し、堤内地盤の浸食が始まつたこと、この時点では河川の水位が既に堤内地盤高より下がつていたため、堤内地への洪水の氾濫は免れたが、迂回水路を流れる水流による地盤の浸食はこの後も依然として止まず、堤防の最終的な決壊延長は約二六〇メートルに及んだこと、結局、迂回水路を流れる水流による浸食は九月三日まで継続し、堤内地への氾濫という事態こそ免れたものの、高水敷、本堤地盤及び堤内地盤を洗掘、流失し、九月一日午後一〇時四五分ごろに最初の家屋(物置)が流失したのを始めとして、同月三日午後二時までの間に堤内の流失住宅地面積は約三〇〇〇平方メートル、流失家屋数は一九棟に達したことは当事者間に争いがない。なお、<証拠>によると、前記迂回水路は、最終的には堰上流側の小堤破壊部で幅約四五メートル、水深3.5メートル程度まで発達し、右水路を流れる水流は、洪水流量の減少に伴つて減じたものの、迂回水路が堰の可動部敷高より低くなつていたので洪水流量の減少ほどは減らず、九月六日早朝高水敷の仮締切工事が完成するまで続いたことが認められる。
三本件災害の原因
1 堰下流取付部護岸の崩壊の原因(その一)
被控訴人らは、本件災害の発端となつた宿河原堰の左岸下流取付部護岸の崩壊の原因について、「宿河原堰は、堰本体が大河川の平地部に位置する堰としては高くかつ可動部の少ない堰であつたため、堰の越流水の流速は本件災害をもたらした洪水の平均流速(毎秒約三メートル)の三倍程度とかなり大きいものになつていたし、堰左岸下流取付部護岸法線がもともと流心方向に出ている上に、護岸の法勾配は1.5割ないし二割で堰の高さが下流方向へ漸減するに従い表法足が一層流心方向に突出し、水流の乱れを生じ易いことも加わつて大きな外力を受け易い状態となつていたにもかかわらず、右取付部護岸は水衝部でない地区の堤防、護岸にも使用されている厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで覆われていたにすぎず、しかも本件災害前には右植石コンクリート被覆面に穴やクラック等が存在していたため一層その強度が低下していた。この取付部護岸の崩壊は、右護岸が堰越流水による水衝及び洗掘の外、裏側からの浸透水圧などの複合的な作用に耐えられずに生じたものであるが、本件の場合、浸透水圧よりも堰越流水の水勢が崩壊の主因となつた。」と主張するところ、<証拠>の多摩川災害調査技術委員会報告書(同委員会は、本件災害発生後の昭和四九年九月一〇日、建設省関東地方建設局長の委嘱により、本件災害の原因の解明とこれに対する技術的対策を明らかにすることを目的として、梶谷薫ほか八名の河川工学者、技術者を構成員として設置され、出水の水理に関する事項、宿河原堰に関する事項及び堤防の決壊に至るまでの経過等の事実関係について調査を行い、これを基にして本件災害の原因及び今後の対策について意見をとりまとめ、これを報告書の形で答申した。)には、堰左岸下流取付部護岸の破損の原因について「破損の最初の切つ掛けから破壊が拡がつてゆく過程で、水衝、洗掘、裏側からの浸透水圧及び洪水流などの外力がどのように作用したかについては、今のところ解明し得ないが、これらの外力によつて、このような現象が起つたものと思われる。」旨、断定を避けた表現の記述があるものの、一方では宿河原堰の構造及び維持管理に関する問題点として被控訴人らの前掲主張の前段と同旨の記載並びに「左岸の堰取付部付近では、取付護岸の法足が堰の天端から最下端までで約五メートルにわたつて河心方向に順次伸びているため複雑な構造となつており、その水理現象を計算によつて知ることはできないが、堰天端からの越流水が法面に激しく衝突しながら流れが集中したと考えられる。なお、堰落下流の最大流速は計算によれば毎秒一〇メートル程度であつたと推定される。」旨の記載があり、これらの記載によれば、護岸の崩壊の原因は、堰の越流水の激しい水衝作用によつて、護岸の植石コンクリート被覆が破損し、その破損範囲が拡大していつたかのような観を呈する。多摩川災害調査技術委員会の委員長であつた原審証人梶谷薫、同委員会の委員であつた原審証人高橋裕、当審証人吉川秀夫、同渡辺隆二の各証言中にも越流水の水衝作用が護岸の崩壊の原因となつたことを否定している供述は見当たらない。
しかるところ、控訴人は、原判決言渡後、宿河原堰左岸下流取付部護岸(以下「本件護岸」という。)にどのような作用が働いたかを究明するために右堰周辺部の縮尺二〇分の一の模型を作成し、堰取付部周辺に起こる水理現象を再現し、堰越流水の流況、護岸に対する作用圧力等を測定し、分析したところ、右模型実験の結果によれば、本件護岸付近の流れは護岸を叩くような流れではなく、護岸に沿つて滑らかに連続した流れであり、本件護岸に対する作用圧力は静水圧と同程度のものしか働いていないことが判明した旨主張するので、以下、控訴人の行つた模型実験の装置、方法及び結果並びに右実験結果に依拠して本件災害の際の水理現象を推定することの当否について順次検討する。
(一) 実験の装置及び方法
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
すなわち、控訴人の作成した模型の基本縮尺は二〇分の一、模型製作範囲は宿河原堰左岸部を中心とした河道の一部で、縦断方向で堰上流一五〇メートルから堰下流二五〇メートルまでの区間、横断方向で堰全長のうち左岸取付部を含む左岸側九一メートルの区間であり、その構造は、堰本体は木製でペンキ仕上げとし、上下流の河道部はセメントモルタル仕上げによる固定床で、また本件護岸は厚さ一五ミリメートルのプラスチック板によつて製作され、さらに植石構造を再現するため直径六ミリメートルのガラス球を用い、その半分がプラスチック面から突出するように植え込まれている。相似律については、幾何学的相似は形状的にひずみを設けず三次元とも二〇分の一縮尺とし、力学的相似は重力の影響を主とした流れの相似条件であるフルードの相似律によつて縮尺を定め、時間及び速度の縮尺は4.472分の1、流量の縮尺は一七八九分の一、圧力の縮尺は二〇分の一、河川粗度係数の縮尺は1.647分の1とされている。実験条件は、右模型にケースⅠからケースⅣまでそれぞれ実況に換算して毎秒四〇〇〇立方メートル、毎秒三〇〇〇立方メートル、毎秒二〇〇〇立方メートル及び毎秒一〇〇〇立方メートルに相当する水を流下させて、堰越流水の流況(目視観察、スケッチ、写真及び八ミリ映画で記録)、水面形(0.1ミリメートルポイントゲージ及びレベルを用い、縦断水面形及び横断水面形を測定)、流速分布(緩流速部分については翼径二五ミリメートルの小型回転流速計を、高流速部分についてはプラントル型ピトー管を各使用)及び作用圧力(水柱マノメーター法による平均的作用圧力の測定と電気圧力計による圧力の変動の測定)について調査が行われた。
(二) 実験の結果
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(1) 流況については、流量の変化による水位の変化はあつたが、全体的なパターンとしてはよく類似しているので、全ケースの流況をまとめて述べると次のとおりである。
すなわち、堰上流部の河道の流況は比較的ゆつたりとした流れであり、堰本体を越流する流況は堰頂から下流水叩きまで水面が滑らかに連続した流れであり、また、堰左岸取付部の越流水の流況は、護岸面に沿って滑らかにすべるような流れであつた。このとき、取付護岸に沿つた流れと堰を越流する流れによつて、堰下流水叩き部分において水面の隆起した河川側に向う水脈が形成されるが、この水脈の流れも安定した滑らかな流れであつた。以上のように、堰越流水及び護岸上の流れは、何ら護岸に打ちつけるようなものではなかつた。
(2) 水面形についても、四ケースとも全体的なパターンはよく類似しているので、流量毎秒三〇〇〇立方メートルのケースについて述べると、河川全体の水位の横断面形から見ると堰取付護岸部の水面は堰頂から水叩き部までは護岸沿いの部分では高いが、水叩き部より下流の護岸沿いの水面は、ここに流れの逆流現象が生じていることからも分かるように、河心部に比しかなり水面の低下が認められ、また、護岸沿いの隆起する水脈の変形過程を見ると、堰頂部では水面の隆起は全く認められないが、堰からの流下に伴つて護岸沿いに水面の上昇が認められた。
(3) 流速分布の測定結果によると、堰本体部越流水の最大流速は、下流水叩き部で発生し、また、取付護岸沿いの流れの最大流速も横断的にはほぼ同様の部分で発生するが、どのケースにおいても護岸沿いの最大流速は堰本体部の最大流速に比較して下回つており、特にケースⅡ(流量毎秒三〇〇〇立方メートル)においては二割弱の差が見られた。
(4) 取付護岸に与える平均作用圧力を測定して圧力線を描くと、取付護岸に作用する圧力線は水面形とほぼ一致し、例えば、堰下流取付護岸底部(乙第三六号証三九ページ断面⑤測点3)に働く作用圧力は、ケースⅡの場合水頭で2.6メートル(圧力表示で1平方センチメートル当たり0.26キログラム)であるのに対して、水位は2.4メートル(静水圧は1平方センチメートル当たり0.24キログラム)であり、両者の大きさはほとんど変わらないのであつて、このことは、本件護岸には平均的に見て水衝作用による衝撃圧はほとんど働いておらず、水面高によつて生ずる静水圧程度しか水の圧力としては発生していないことを意味している。なお、一般的に水が構造物を叩く場合においては、一定の圧力の外に大きく変動する圧力が生ずるところ、平均的作用圧力以外に時間的に変動する動圧の測定結果によれば二つの変動成分が観測されたが、これらの変動成分は水頭で最大プラス・マイナス五〇センチメートル程度で、特に、取付護岸部における変動成分は、プラス・マイナス三〇センチメートル程度であつた。この圧力変動が平均作用圧力と比較して極端に大きいと、正圧として衝撃的に働いたり、逆に護岸を引張るような負圧として働いたりすることが考えられるが、本件においては前述のように圧力の変動幅が小さく、通常の河川で水面の変動によつて生ずる程度のものであるため、本件護岸には衝撃的な力及び負圧は働いていないことが明らかとなつた。
(三) 水理模型実験の有用性とその限界
<証拠>を併せると、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。
河川計画において複雑な改修問題に対処する場合に、河川水理の模型実験が古くから重視され、特に、河川工学上の三次元的な問題を考察する上で極めて効果的な手段と認められ、数多く実施されてきた。もともと、流水の流量、流速、水位等に関しては、これを支配する力学的法則が判明しているため、洪水が流れるときの水の運動状態は数値的、解析的に解明することが理論上は可能であるが、河川の平面的な形状や河床の高さが河川の延長方向で著しく変化するような場合には、水面は場所により高低様々に変化し、流速の局所的変動も著しいこととなるので、流水の運動状態を数理的に取り扱つて解を求めるのはぼう大な労力と手間を要し、時間的、経済的に得策でない。このような問題を処理するに当たつては、河川の模型を造り、これに水を流して生じる水位や流速を計測して実際の河川における水位や流速に換算した方が、精度も高く、かつ、早期に結論を得られる場合が多いし、また、模型においてではあるが、現象を視認できるという利点がある。この種の模型実験は、実験技術の進歩とともに河川計画における問題解決の手法として近年急速に普及しつつあり、特に、複雑な三次元的現象の解明を要する護岸と水制、導流堤、橋脚、床固め、水門、堰、河口堰等の計画に際して、模型実験から有力な設計指針が得られている。
模型実験の目的は、水理現象に関する基礎方程式を近似的に解くことと同じであるから、模型実験によつて知り得る実物について生ずる水理現象の範囲は、関係する水理方程式が判明している局部的な水流の運動状況(流量、流速分布、水位、流線と水当たり等)及び実験結果により実用的公式が見いだされている河川の湾曲部や水制の先端部等における局部的な土砂の流送特性に基づく洗掘と堆積の現象である。土砂の粒子の粘着力、固結度などが大きく影響する水と土との相互作用による現象、例えば地すべり、斜面の崩壊、流水による浸食等については、条件が複雑なこともあり、法則性を見つけるのは一般的には困難であるため、模型実験によつて実物に生ずる現象を十分な精度をもつて推定することはできない。
次に、模型実験の実施に当たり、実物における現象と模型における現象との間の相似関係は、一般的に当該現象を支配する主たる作用力が何であるかによつて律せられる。右の相似関係は、重力が主作用力である場合にはフルードの法則に、内部摩擦が主作用力と考えられる場合にはレイノルズの法則に、表面張力が主作用力と考えられる場合にはウェーバーの法則に従うものとされている。実際の現象では、一般には重力、摩擦力等幾種類もの作用力が同時に作用しているが、どの作用力を主たるものと考えるかによつて実物と模型との間の相似法則が定まるのであるから、それぞれの作用力に主従をつけ難い場合には相似法則を確定することができず、意味のある模型実験を行うことができない。重力と摩擦力の双方を支配的作用力と考えて実験を行うとすれば、この二つの相似法則を満足させるためには、実物と同じ大きさの模型を使わなければならないことになるが、河川について実物大の模型実験を行うことはまず不可能と言ってよい。実際には、このような場合には、重力を支配的な作用力と考え、他の作用力を相対的に小さいものとみなして、近似的な相似関係の下にある模型を作製するという方法が採用されている。しかし、右の方法を採つた場合、土砂が関与しないときの流水の実験ではかなり正しい結果を得ることができるが、河岸の側方浸食現象のような水と土砂との相互作用に関しては、流水による水衝力、土砂粒子の粘着力、固結度、重さ等種々の作用がそれぞれ互いに無視できない重要性をもつて関与しているため、重力のみを支配的な作用力と考えて模型実験を行つても、それだけでは意味のある結果を得たことにはならない。したがつて、模型実験の結果から流水による河岸の洗掘、浸食作用の進行状況を実用的な精度をもつて推定することは極めて困難であるといえる。
ところで、堰の越流水の運動状態の解明は、模型実験としては処理が比較的容易な部類に属する。これは、主作用が比較的純粋であつて、主として重力によるものであり、フルードの法則をそのまま適用し得るものであるからである。とはいうものの、実験に当たつて実物と模型との間で堰や護岸の表面の摩擦程度を同一比率にすることは技術的にかなり困難であり、また越流水の内部摩擦によるエネルギーの損失も同一比率で変化するわけではないため、高い精度をもつて実際の越流水の運動状態を推定することは至難である。しかしながら、実用上支障のない程度という条件付きであるならば、模型実験によつて越流水の運動状態を右の程度の精度をもつて推定することはもとより可能であつて、その故にこそ、前述のとおり河川計画において模型実験が多用されているのである。
(四) 本件模型実験結果の証明力
右(三)において説示した一般論をふまえて、控訴人の行つた模型実験結果を検討するとき、右実験の方法を不当とすべき特別の事情がない限り、右模型実験の結果は、実物の宿河原堰左岸の堰固定部を越流する洪水の流量がそれぞれ毎秒四二〇〇立方メートル、三〇〇〇立方メートル、二〇〇〇立方メートル及び一〇〇〇立方メートルである場合の右越流水の流況、水面形、流速分布及び本件護岸に与える平均作用圧力を相当程度の精度をもつて解明したものであることは、これを否定することができない。もつとも、右模型実験は、本件護岸が破損しないで完全な状態にあることを前提として行われたものであるところ、本件災害の発端は、本件護岸の水面下において植石コンクリート被覆の一部が破損したことにあるのであって、護岸被覆の一部が破損し、脱落すれば、水勢により護岸の土砂の洗掘が始まり、同所を中心として複雑な乱流が生じ、護岸工の裏込めが洗い出されて被覆の損壊と護岸の崩壊が進行することとなるのであるから、その進行が開始した後の本件護岸付近の流水の状況は、控訴人の行つた模型実験の結果とは著しく異なる様相を呈していたものと考えざるを得ないし、<証拠>によると、本件災害当時、最初に本件護岸の被覆の一部が破損した時刻は明確でないのであるが、おおむね九月一日昼ごろであつて、そのころの洪水流量は毎秒二〇〇〇立方メートルを超え毎秒二五〇〇立方メートルには満たなかつたものと推認され(<証拠>参照)、洪水流量が毎秒三〇〇〇立方メートルに達したのは同日午後二時過ぎごろで(<証拠>参照)、そのころには本件護岸はかなり破壊されて本川の流水及び小堤の越流水による高水敷の浸食による欠込みが始まつており、まして洪水流量がピークの毎秒四二〇〇立方メートルに達した同日午後五時から午後五時三〇分ごろには堰の上下流を結ぶ円弧状の迂回水路が形成され、本件護岸は相当範囲にわたり流失していたことが明らかであるから、前記模型実験におけるケースⅠ及びケースⅡの実験結果は、もし本件護岸の破損、崩壊という事態が生じなかつたら護岸付近の流水の状態はこのようになつていたであろうという想定を示したにとどまり、本件災害当時現実に生じた流水の状態を示したものではない。右模型実験の結果中本件災害当時の堰越流水の状態を伝えるものとしては、本件護岸の破損が始まる前の洪水流量下におけるケースⅢ及びケースⅣの実験結果のみである。
被控訴人らは、控訴人の行つた模型実験は洪水の洗掘浸透作用に関しては何ら明らかにしようとするものではないから、右実験の結果のみをもつて本件護岸の安全性を論証することはできない旨主張する。右主張の内容自体は誤つていないが、ここで問題となつているのは、控訴人の採用した実験方法が右実験によつて解明しようとする実際の水理現象との関連において適当であつたか否かである。
次に被控訴人らは、右模型実験には、本件護岸への水圧測定について実験装置上の限界があるといい、(1)この実験装置では本件護岸に相当する部分の法面に直角に働く水流の水圧のみしか測定し得ず、直角以外の角度で法面に衝突する水流の圧力をその衝突の角度で直接捕らえることや、法面に沿つて流れる水流が法面に突起する植石コンクリートや法面の穴の窪みに衝突する際の圧力を測定することができない。(2)この実験装置では左岸の高水敷に相当する部分がなく、堰の上流部分から高水敷上を流下して小堤の先端部分を迂回して低水路に復帰しようとする流水の護岸法面に対する圧力作用や護岸裏側からの浸透圧を測定することができない。(3)この実験装置では護岸自体の素材が現実のものと異なつているため、護岸の素材が水の圧力に耐え得るか否かをこの装置から知ることはできない旨主張する。
しかし、控訴人の行つた模型実験は、前掲甲第一号証に現れている「本件護岸の法面に堰天端からの越流水が激しく衝突しながら流れが集中したと考えられる」旨の多摩川災害調査技術委員会の推定に果たして誤りがなかつたかどうかを確認するため、本件護岸付近の堰越流水による水理現象を解明することを目的として行われたもので、<証拠>によつて認められる控訴人の実験装置によれば、本件護岸の法面上における堰越流水の流下方向が法面と平行でなく、越流水が一定の角度をもつて法面に衝突する場合には、その水流圧力の法面に直角方向の分圧及び右分圧が変動する有様が法面に設けられた圧力計に感知される仕組みとなつていたのに、これがほとんど感知されなかつたというのであるから、法面上の水流は法面と平行に法面に沿つて流心方向に流下したものと認められるのである。もちろん、法面には植石コンクリートによる粗度があるから、堰の越流水が法面に沿つて流下する場合においても水流に対して法面が抵抗を示し、水流の方向と反対方向の作用力が生ずることは自明であるが、控訴人の模型実験は、法面に沿つて流れる水流に対する法面の抵抗(被控訴人らのいう水流の衝撃圧)の絶対値や護岸の素材の強度等を解明しなくても前示のような実験の目的を達し得るものというべきであるから、被控訴人らの右主張のうち(1)及び(3)は右実験の結果に基づく実際の水理現象の推定に対する有効な反論とはなり得ず、法面に落下水の衝撃圧はほとんど働いていないとする前示実験結果の結論を左右することはできない。
右主張(2)については、本件護岸の被覆工の一部が破損し、護岸の崩壊及び高水敷の欠け込みが始まった段階では、まだ小堤からの越流は始まつていなかつたのであるから、本件護岸の崩壊の原因を探究するについて右主張はさしたる意義を有するものとは考え難いのみならず、前示証拠によると、控訴人の模型実験装置には左岸高水敷に相当する部分も設けられており、流量毎秒四二〇〇立方メートルの場合については小堤から高水敷に越流した洪水が低水路に流下するケースを加えて実験し、その流況の観察を行つたところ、小堤からの越流量は堰の越流量に比べて相対的に小さいことから堰の越流量に大きな差が生じないため、小堤からの越流があつた場合と越流がないものとした場合とで低水路の流況にはほとんど差異が生じなかつたことが認められる。また、護岸裏側からの浸透圧を控訴人の実験装置で測定することができないことは被控訴人らのいうとおりであるが、それは本件護岸付近の堰越流水の運動状態に関する認定と何ら関係のない事柄である。したがって、被控訴人らの右主張も理由がない。
被控訴人らは、更に、模型実験上では、流量が毎秒三〇〇〇立方メートルに達するころから左岸護岸部に沿つて下流からの逆流現象が顕著に見られるようになり、この逆流は本件護岸付近で堰越流水と衝突し、激しい渦巻を形成することが確認されているのであるから、本件災害時における本件護岸付近の水流の状態が比較的安定した滑らかな流れであつたとは到底いえない旨主張する。そこで審案するのに、流量毎秒三〇〇〇立方メートルの場合の実験は、本件護岸の崩壊及び高水敷の欠込みが生じていなかつたことを前提として、いわば仮定の事態における水理現象を解明しようとしたものであるから、右実験結果は本件災害の際における本件護岸付近の越流水の実際の状態をそのまま示すものでないことに留意すべきであるが、ともあれ前掲証拠に現れている右実験結果によると、流量毎秒三〇〇〇立方メートルの場合には低水路護岸沿いに逆流現象による水面の上昇が認められ、護岸に接する水流は秒速0.68メートルないし1.49メートルの逆流であり、右逆流水と堰越流水との衝突は本件護岸上の小堤末端部表法よりやや下流の低水路護岸付近から始まつて法足より河心寄りの護床工上に及び、右衝突による流水の渦巻現象が同所付近で生じていることが認められるが、階段状となつている堰の側方延長二〇メートルの区間の本件護岸法面上を流下する水流は、最下段まで流下し終つた後においてこそ渦巻を生じているが、流下する過程においては終始連続した滑らかな流れであつて、堰越流水及び右の区間における本件護岸上の流れは、何ら護岸を叩くようなものではなかつたことが認められるから、被控訴人らの右主張は採用することができない。
以上検討の結果によれば、本件護岸の法線がもともと流心方向に出ている上に、護岸の法勾配は1.5割ないし2割で堰の高さが下流方向へ漸減するに従い表法足が一層流心方向に突き出しており、また、宿河原堰の天端から下流の護床工までの比高は3.1メートルで、洪水時には堰の上流側と下流側の水位差は約四メートルに達する(<証拠>によると、計算上の水位差は、流量毎秒一〇〇〇立方メートルの場合に4.21メートル、流量毎秒二〇〇〇立方メートルの場合に3.8メートル、流量毎秒三〇〇〇立方メートルの場合に(小堤からの越流はないものとする。)3.68メートルであることが認められる。)にもかかわらず、本件災害当時堰天端から落下する越流水は本件護岸法面に沿つて滑らかに河心方向に流下し、本件護岸法面に対する落下水の衝撃圧はほとんどなかつたものと認められるのであるから、本件災害の発端となつた本件護岸の植石コンクリート被覆工の一部の破損について、本件護岸の前記のような形状及び本件堰の比高が比較的高いことが破損の原因の一半をなすものとしてこれに寄与したものと認めることはできない。多摩川災害調査技術委員会は、堰の越流水理現象に関する模型実験としては二次元水理模型実験しか実施していないことが<証拠>によつて明らかであつて、右水理現象に関する同委員会の前示推定(護岸法面に対する越流水の激突)は、控訴人の行つた三次元水理模型実験の結果に照らせば採用し難く、他に控訴人の右模型実験の結果の証明力を動かすに足りる証拠はない。
2 堰下流取付部護岸の崩壊の原因(その二)
前項を承けて、ひきつづき本件護岸の崩壊の原因について検討を進める。
(一) 本件護岸の法面の被覆工の一部が破損した原因は、結論から先に示せば、本件護岸の法面の表側からの堰越流水による衝撃、洗掘等の作用によるものではなく、高水敷の地中を流れる伏流水の浸透圧によつて植石コンクリート被覆の一部が護岸法面から剥離、脱落するに至つたものと認めるのが相当であり、これによつて露出した法面の裏込め砂利及び土砂が堰の越流水により洗掘されて護岸被覆工及びこれと一体をなす小堤表法の崩壊並びに高水敷の欠込みが進行したものと認められる。
(二) すなわち、本件洪水の際に本件護岸の法面に堰越流水の落下による衝撃圧がほとんど働いていなかつたことは既に明らかにしたとおりであるから、本件護岸に表側から働く外力は、一般の急流の場合と同様に護岸表面に沿つて流れる水流との間に生ずる抵抗作用のみであつたと考えられるところ、<証拠>を併せると、宿河原堰の堰堤の右岸側は本堤防に直接取り付けられているが、本件洪水当時右岸側の取付部護岸には、堰下流部の延長九〇メートルにわたり堰の左岸側低水護岸と同じ植石コンクリート張の被覆工が施されており、右被覆工は、昭和三七年に補修工事が行われた下流末端部延長約二〇メートルの部分を除けば、その余の大部分は宿河原堰の改築工事が完成した昭和二四年当時から存在していたものであつたこと、宿河原堰付近では流心が常に右岸側にあつて、平素から右岸が水衝部となつており、本件洪水時においても水位は右岸側がわずかながら左岸側より高く、堰取付部護岸の受ける水勢は右岸側の方が左岸側よりも激しかつたものと推認されるにかかわらず、本件洪水の際に右岸側護岸の植石コンクリート被覆工には何らの被害も生じなかつたことが認められ、この事実は、本件護岸の被覆工の損壊が堰の越流水の水勢以外の原因によつて発生したことを推測させるものというべきである。
もつとも、<証拠>によれば、堰左岸下流部の護岸の法被覆工には、ところどころ穴や継目などから雑草が生えている箇所があり、総体的に見ると護岸の維持管理は必ずしも十分であるとは思えない情況にあつたことがうかがわれるけれども、本件においては本件護岸の被覆工が最初に損傷した箇所を具体的に特定することができず、最初に損傷した被覆工には穴や継目などから雑草が生えていたかどうかを知ることはもとより不可能である上、宿河原堰の維持管理はすべて川崎市が行つていたもので、<証拠>によつて認められるように、堰左岸部が東京都狛江市猪方地区地先であることが堰の維持管理に特段の影響を与えることはなかつた模様であるから、堰右岸部護岸の維持管理状態が左岸部のそれより特に良好な状態にあつたものとはにわかに認められず、護岸の維持管理状態は左右両岸につき大同小異であつたものと推認される。したがつて、本件洪水により左岸側護岸のみが損傷し、右岸側護岸に被害がなかつた事実を護岸被覆工の維持管理状態の良否に関する左岸側と右岸側の差異によつて説明することはできないものといわなければならない。
次に、<証拠>によれば、本件災害発生後に多摩川災害調査技術委員会が浸食部の地盤と流失部付近の堤防についてボーリング等による土質調査を実施したところ、堰左岸付近にはA・P約一六メートルの高さに川側へ緩く傾斜した固結シルト層が広がり、その上に砂利層が堆積しており、右固結シルト層は河道の延長方向においても高水敷の堰上流部から下流部にかけて堰付近一帯を広く覆つていて、その厚さは場所によつて異なるが0.4メートルから4.5メートルに及んでいる事実が判明したが、右土質調査の結果によると、堰左岸の高水敷の地中を流れる伏流水は、右固結シルト層のため深所への浸透を妨げられる結果、洪水時には伏流水の水位が上昇し、高水敷の低水護岸に対する裏側からの浸透圧は、相当強大となることが推測される。
以上認定の事実を総合すれば、先に説示したとおり、本件護岸法面被覆工の最初の破損は、法面表側からの堰越流水の水衝、洗掘等の作用によつて生じたものではなく、右被覆工が高水敷の地中を流れる伏流水の浸透圧を支え切れなくなつた結果、法面から剥離脱落したことによつて生じたものと認めるのが相当であり、もし、本件護岸の被覆工が裏面からの浸透圧に強い材質、取付構造のものを選んで施工されていたとすれば、本件災害の発生を見るに至らなかつたものと思料される(なお、浸透圧により剥離脱落した被覆工に穴や割れ目が存在したことを認めるに足りる証拠はないので、護岸の維持管理が悪かつたために右被覆工の強度が低下し、これによつて剥離脱落が生じたものと認めることはできない。)。
<証拠>中右認定に反し被覆工の破損は浸透水圧より水衝が大きな原因であつたとする部分及び<証拠>中浸透水圧のほか水衝作用もその原因であるとする部分は、本件護岸の崩壊の進行原因に関してはともかく、崩壊の端緒である被覆工の破損の原因に関する限り、これを採用することはできず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
(三) 次に、右のように破損した護岸被覆工の破口の拡大、護岸及び小堤表法の崩壊と高水敷の欠込の進行の原因について考えると、<証拠>によると、控訴人の行つた模型実験結果から推定される宿河原堰左岸付近の水理状態は、流量が毎秒一〇〇〇立方メートルから毎秒四二〇〇立方メートルの範囲内で堰は完全越流状態であり、越流する流れは射流となつて堰軸から下流約三〇メートルまで高速で流下し、続いて弱い跳水現象を起こし、やがて常流となつて下流部の水面につながること、一方、取付護岸を流下する水脈は河心方向に向かい、堤軸から下流約二〇メートルの水叩き部において護岸を離れた後、流下に従つて左岸から約三〇メートル河心寄りで流速の高い主流を形成し、この主流の影響により堰軸下流二〇メートル地点から約一八〇メートル地点まで左岸沿いに逆流領域が形成されること、堰越流水について、堰軸直上の最大流速、越流後の堰本体部における最大流速(堰軸下流約二〇メートルの水叩き付近で生ずることは既述のとおり。)及び取付護岸沿いの最大流速(横断的にはほぼ同様の部分で発生することは既述のとおり。)を流量別に見ると、次表<編注・左表>のとおりであつて、越流水の流速はかなり高速であり、取付護岸部においては越流水と植石コンクリート被覆工との間に生ずる抵抗により流速がある程度減殺されていることが認められる。
以上認定の事実に前掲甲第一号証の記述を総合すれば、堰下流部水叩き付近で取付護岸法面の被覆工が破損したため、裏込めの砂利及び法面の土砂が露出し、これが高速で流過する水脈の水勢により洗掘され、同時に右洗掘箇所付近で複雑な乱流や渦巻きが生じ、右水流の作用により破壊口の拡大、本件護岸及びこれと一体をなす小堤表法の崩壊、次いで高水敷の欠込み流失という事態に進展するに至つたものであり(<証拠>に現れている堰を越流する水流の状況も右認定に符合するものである。)、宿河原堰の堰高が今少し低く、堰の可動部分が今少し多かつたならば、取付護岸沿いを流過する水流の流速が前記のような高速でなく、もつと緩漫となり、したがつて護岸の崩壊の進行状況もまた現実に生じた事態より緩徐なものとなつていたかも知れないことが推認される。
流量(立方メートル/秒)
一〇〇〇
二〇〇〇
三〇〇〇
四二〇〇
最大流速(メートル/秒)
堰軸直上
3.00
3.81
4.46
5.14
堰本体下流
7.11
8.71
9.41
9.50
取付護岸
6.80
7.49
7.82
7.85
(四) 以上の検討の結果を要約すると、次のとおりである。
(1) 本件護岸の崩壊は、堤取付部の植石コンクリート被覆工の一部が裏面からの浸透圧に耐えられず法面から剥離脱落したことが端緒となつて発生した。
(2) 本件護岸の前述のような形状(法線及び法足が下流に向かうにつれて流心方向に突き出している。)は、本件護岸の崩壊に対して原因を与えていない。
(3) 堰の堰高及び可動部分と固定部分の比率は、同一流量の下における越流水の流速を支配するものであり、これらは、本件護岸被覆工の最初の破損との間には因果関係がないが、その後における護岸崩壊の進行に対しては無関係であるとはいえない。
(4) 本件護岸の維持管理は、総体的に見ると必ずしも十分であるとは思われない情況にあつたが、そのことと本件護岸の崩壊との間に因果関係があるものとは証拠上断定し得ない。
3 迂回水路の形成・拡大の原因
本件護岸の崩壊が始まつた後、小堤を越流して高水敷及び小堤天端上を流下する水流により、高水敷の浸食による欠込み及び小堤自体の破壊が上流に向かつて進行し、小堤の破壊が堰の上流部に及んだため堰嵌入部の上流側で大量に及ぶ本川の流水が小堤の破壊口から堤防方向に向かつて流れ込み、堰を迂回して高水敷から堰下流の低水路に流入し、そのため高水敷が深く洗掘されて上流部から堰嵌入部先端と堤防表法尻との間を通り下流部に達する迂回水路が形成され、この迂回水路を流れる洪水により堤防地盤及び堤内地盤が洗掘、浸食されて本件災害が発生するに至つた経過については、既に認定判示したところであるが、右迂回水路が形成・拡大されるに至つた要因について更に検討を加える。
(一) 小堤の高さについて
本件洪水の宿河原堰地点における最高水位はA・P23.1ないし23.2メートル、同じく計画高水位はA・P22.84メートルであつたのに対し、小堤の高さは堰直上流部でA・P22.4メートルであり、計画高水流量が流れるより前のかなり早い時期から堰上流部の小堤からの越流が始まつたこと、この越流水が高水敷を流れ下つてその大部分が堰下流部の高水敷の浸食箇所に流入し、高水敷の欠込みの進行を加速させたことは当事者間に争いがなく、もし、小堤の高さが計画高水位より十分高かつたとすれば、小堤の越流を生ぜず、高水敷の欠込みの急激な進行及び小堤自体の破壊という事態を回避することができたものと考えられる。
(二) 高水敷の保護工について
宿河原堰左岸取付部付近の高水敷は、狛江市によつて砂利の上に約三〇センチメートル弱の盛土がなされ、その上に芝が張られ、児童遊園地として利用されていたもので、高水敷保護工は設けられていなかつたことは前記三・1において認定判示したとおりであり、もし、右高水敷に堅牢な保護工が設けられていたとすれば、高水敷の浸食の軽減に役立つたものと考えられる。もつとも、本件災害による経験に徴すると、本件災害のように洪水による高水敷の欠込みが堰の下流部から始まつた場合には、欠込み部に接する高水敷保護工の末端から流下する流水により地盤が洗い流され、その上部の保護工が崩潰して流失するという過程が繰り返されることにより、欠込みが上流部に向かつて進行することが想定されるのであつて(本件災害における小堤の破壊の進行状況は正に右のとおりであつた。)、高水敷への越流水の流入を許す限り、高水敷保護工のみでは迂回水路の形成を防止し得たかどうかは疑問としなければならない。しかし、高水敷保護工が存在することにより高水敷の浸食の急激な進行が妨げられることは肯認し得るところであるから、迂回水路の形成時期は大幅に遅れ、その間に洪水の水位が低下するため迂回水路を流れる水流による堤防等の地盤の浸食状況も軽微な程度で済んだ可能性があることは否定し得ないものというべきである。
(三) 堰と本堤防との接続形式について
宿河原堰の左岸堰固定部は、本堤防に直接取り付けられておらず、本堤防との間の幅約四五メートルの高水敷の地表下約一メートルの深さに嵌入部の上縁が位置するようにして、延長一五メートルにわたつて高水敷に嵌入していたものの、その先端は本堤防まで達していなかつたことは前記三・1及び3において認定したとおりである。
もし、堰堤の末端の高水敷嵌入部が本堤防まで延長されて本堤防に取り付けられていたならば、高水敷に迂回水路が形成されてもその深さは一メートルを超えることがなく、迂回水路の水底が堰固定部天端より低くなることはなかつたはずであるから、本川の水位低下に伴い迂回水路を流れる水量も減少し、側方の本堤防地盤に対する浸食の程度もはるかに少なかつたものと考えられる。なお、堰の嵌入部の長さが一五メートルという中途半端なものであつたため、迂回水路が本堤防寄りに形成され、結果的ではあるが迂回水路を流れる流水による側方の侵食を一層増大させた嫌いがある。
(四) 鉄矢板工の不施工等について
<証拠>によると、宿河原堰をコンクリート造り堰に改築するに当たり昭和二二年四月に神奈川県から東京都知事に対し河川敷占用ならびに工作物改築設計変更及び工期延長についての許可申請が行われ、同年九月に許可がされているが、この時の許可書に添付されたと推定される設計図(以下「当初設計図」という。)に記載された設計(以下「当初設計」という。)によれば、堰の左岸取付部は嵌入部の先端から堤防法尻まで根入長四メートルの鉄矢板を一列施工することとされていたが、工事段階では実施設計の変更により右鉄矢板工の施工は省略されたこと、また、高水敷の小堤は当初設計にはなく、許可条件には、堰の上流一〇メートル以下五〇メートル間の左右両岸堤防には計画高水位までコンクリートの護岸を施すものとされていたが、左岸堤防の護岸は、高水敷に小堤が築造された関係からコンクリート護岸が施工されなかつたことが認められるところ、被控訴人らは、高水敷に当初設計のとおり鉄矢板工を施工し、本堤防にコンクリート護岸を施しておけば、迂回水路の形成及び堤防の浸食を防止し得た旨主張する。
しかし、<証拠>によれば、当初設計による鉄矢板工は、高水敷上の流水の上流側から下流側に向かつての掃流による洗掘作用に対しては抵抗力を示すが、本件災害のように高水敷の下流側から上流側に向かつて欠込みが進行する場合には、根入長四メートル程度の矢板工では高水敷の欠込みの進行を阻止する役に立たず、もつと頑丈な鋼矢板を高水敷下の岩盤に達するまで打ち込まないとシートパイルとしての効用を発揮し得ないことが認められる。また、本件災害においては本堤防の法面でなく表法尻下の地盤が浸食されて流失したのであり、本堤防にコンクリートの高水護岸が施工されていても迂回水路の形成及び浸食範囲の拡大を防止することはできなかつたことが明らかである。
したがつて、被控訴人らの右主張は採用することができない。
(五) 固結シルト層の存在について
控訴人は、本件災害は、堰左岸付近の高水敷の地下約五メートルに固結シルト層があつたため、迂画水路の下方への浸食が妨げられ、横方向への浸食が助長された結果生じたもので、仮に固結シルト層が存在せず、あるいはその存在位置がもつと深かつたならば、迂回水路の水流は垂直方向の浸食によつて水力を減殺され、その横浸食は高水敷内にとどまつたと推測される旨主張する。
しかし、右固結シルト層はA・P約一六メートルの地中に存在していたものであるところ、堰下流の護床工の標高はA・P16.9メートルで、その下流部の河床は高水敷より約五メートル低かつた(したがつて、河床の標高はA・P一六メートル内外であつた)ことは既に認定したとおりである。右の状況からすると、下方への浸食を妨げる固結シルト層が存在しなかつた場合でも、迂回水路の垂直方向の浸食は、水路の底がA・P一六メートルの深さに達して下流の河床と同じ標高となつた時にその進行がやんだ可能性を否定することができないので、右固結シルト層の存在は迂回水路の水流による横方向への浸食の拡大に原因を与えているものとは認められない。
4 本件災害の原因についての総合的考察
以上の検討の結果を総合すると、本件災害は、本件護岸の植石コンクリート被覆工が伏流水の浸透圧に耐える取付強度を有しなかつたこと、宿河原堰の堰高が比較的高く、かつ堰の可動部分の割合が少ないため、本件洪水の際に堰の越流水の最大流速は流量ピーク時において堰本体下流部で毎秒9.5メートル、取付護岸部で毎秒7.85メートルに達していたこと、高水敷上の小堤の高さが計画高水位よりも低いため、洪水が小堤を越えて高水敷を流下し、小堤自体も天端上を縦に流れる越流水の洗掘作用を受けたこと、高水敷には保護工その他洪水による洗掘、浸食を防止するための設備が施されていなかつたこと、堰本体が左岸の本堤防に直接取り付けられていなかつたこと等、前示2(二)及び(三)並びに3(一)ないし(三)に指摘した宿河原堰本体及びその周辺に存する護岸、小堤、高水敷等の河川施設の構造、形式等に認められる諸状況が競合し、又は寄与したことにより発生したものというべきである。
第四河川管理の瑕疵
一 河川管理の瑕疵の判断基準
1 河川の通常有すべき安全性について
国家賠償法二条一項にいう営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危険を及ぼす危険性のある状態をいい、このような瑕疵の存否については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきものである。
被控訴人らは、河川が通常有すべき安全性とは、通常予測される洪水に対しては、これを安全に流下させるような河川管理施設を備え、右洪水による災害を堤内地住民に及ぼすことのないような安全な構造を備えることにあり、ことに、計画高水流量及び計画高水位が定められ、かつ右程度までの河道改修計画が実施されている河川においては、右程度の洪水に対しては、これにより堤内地住民に災害を及ぼすことのない安全性を備えることが絶対的に要求される旨主張する。
しかし、河川の管理については、大東水害訴訟についての最高裁判所昭和五九年一月二六日第一小法廷判決(民集三八巻二号五三頁)の判示するとおり、当初から通常予測される災害に対応する安全性を備えたものとして設置され公用開始される道路その他の営造物の管理とは異なる性質及びそれに基づく諸制約が存するのであつて、河川の通常有すべき安全性の有無並びに河川管理の瑕疵の存否の判断にあたつては、右のような河川管理の特質及びそれに基づく諸制約についての考慮をゆるがせにすることはできないものというべきである。
すなわち、右最高裁判所判決(以下「大東水害最高裁判決」という。)の表現を借りれば、①河川は、本来自然発生的な公共用物であつて、管理者による公用開始のための特別の行為を要することなく自然の状態において公共の用に供される物であるから、通常は当初から人工的に安全性を備えた物として設置され管理者の公用開始行為によつて公共の用に供される道路その他の営造物とは性質を異にし、もともと洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険性を内包しているものである。②したがつて、河川の管理は、道路の管理等とは異なり、本来的にかかる災害発生の危険性をはらむ河川を対象として開始されるのが通常であつて、河川の通常備えるべき安全性の確保は、管理開始後において、予想される洪水等による災害に対処すべく、堤防の安全性を高め、河道を拡幅・掘削し、流路を整え、又は放水路、ダム、遊水池を設置するなどの治水事業を行うことによつて達成されていくことが当初から予定されているものということができるのである。③この治水事業は、もとより一朝一夕にして成るものではなく、しかも全国的に多数存在する未改修河川及び改修の不十分な河川についてこれを実施するには莫大な費用を必要とするものであるから、結局、原則として、議会が国民生活上の他の諸要求との調整を図りつつその配分を決定する予算のもとで、各河川につき過去に発生した水害の規模、頻度、発生原因、被害の性質等のほか、降雨状況、流域の自然的条件及び開発その他土地利用の状況、各河川の安全度の均衡等の諸事情を総合勘案し、それぞれの河川についての改修等の必要性・緊急性を比較しつつ、その程度の高いものから逐次これを実施していくほかはない。④また、その実施にあたつては、当該河川の河道及び流域全体について改修等のための調査・検討を経て計画を立て、緊急に改修を要する箇所から段階的に、また、原則として下流から上流に向けて行うことを要するなどの技術的な制約もあり、更に、流域の開発等による雨水の流出機構の変化、地盤沈下、低湿地域の宅地化及び地価の高騰等による治水用地の取得難その他の社会的制約を伴うことも看過することはできない。⑤しかも、河川の管理においては、道路の管理における危険な区間の一時閉鎖等のような簡易、臨機的な危険回避の手段を採ることもできないのである。⑥河川の管理には以上のような特質及び諸制約が内在するため、すべての河川について、通常予測し、かつ回避しうるあらゆる水害を未然に防止するに足りる治水設備を完備するには相当の長期間を必要とし、未改修河川又は改修の不十分な河川の安全性としては、右諸制約のもとで一般に施行されてきた治水事業による河川の改修、整備の過程に対応するいわば過渡的な安全性をもつて足りるものとせざるをえないのであつて、当初から通常予測される災害に対応する安全性を備えたものとして設置され公用開始される道路その他の営造物の管理の場合とは、その管理の瑕疵の有無についての判断の基準もおのずから異なつたものとならざるを得ないのである。
被控訴人らは、大東水害最高裁判決が過渡的な安全性をもつて足りるとしたのは、未改修又は改修不十分な河川の安全性についてであり、河川工事実施基本計画のもとで改修工事が完了している河川部分は、通常予測される災害に対応する安全性を備えるに至つているべきものであるから、改修の完了した河川を含む河川管理の瑕疵一般について同判決のいう判断基準を適用することはできない旨主張する。
そこで、工事実施基本計画の性格並びに同計画に基づいて実施される河川工事の実情について見るに、河川法一条は、河川管理の主要な目的の一つとして洪水、高潮等による災害の発生の防止を掲げている。右の目的を実現する方法として重要なものは河川工事であり、同法一六条において、河川管理者に対し、計画高水流量その他当該河川の河川工事の実施についての基本となるべき事項を定めた工事実施基本計画の策定を義務づけている。工事実施基本計画は、水害発生の状況並びに水資源の利用の現況及び開発を考慮し、かつ、国土総合開発との調整を図つて、政令で定める準則に従い、水系ごとに、その水系に係る河川の総合的管理が確保できるように定めなければならないものとされ、河川管理者がこれを策定するに当たつては、降雨量、地形、地質その他の事情によりしばしば洪水による災害が発生している区域につき、災害の発生を防止し、又は災害を軽減するために必要な措置を講ずるように特に配慮しなければならない旨規定している。右規定を受けて、河川法施行令一〇条は、工事実施基本計画の作成の準則を定めているが、これによると、洪水、高潮等による災害の発生の防止又は軽減に関する事項については、過去の主要な洪水、高潮等及びこれらによる災害の発生の状況並びに災害の発生を防止すべき地域の気象、地形、地質、開発の状況等を総合的に考慮することとされ、河川工事実施の基本となるべき計画に関する事項として、「基本高水(洪水防御に関する計画の基本となる洪水をいう。)並びにその河道及び洪水調節ダムへの配分に関する事項」、「主要な地点における計画高水流量に関する事項」を、河川工事の実施に関する事項として「主要な地点における計画高水位、計画横断形その他河道計画に関する重要な事項」を定めるべきこととされている。そして、<証拠>によれば、工事実施基本計画における計画規模は、計画降雨の年超過確率を一級河川の主要区間において一〇〇分の一から二〇〇分の一又は二〇〇分の一以下、一級河川のその他の区間及び二級河川のうち都市河川において五〇分の一から一〇〇分の一、都市以外の中小河川において一〇分の一から五〇分の一又は一〇分の一以上となるように定めるものとされているが、工事実施基本計画の計画内容と河川改修事業の現況とでは相当大きな差があるのが通常であつて、例えば本件災害発生直前の昭和四九年四月現在、一級河川の直轄管理区間においてすら、堤防築造の必要な区間総延長1万3469.2キロメートルのうち完成堤防区間が5403.7キロメートル(40.1パーセント)、暫定堤防(計画上の所定の定規断面に満たない断面で施工した堤防)区間が3695キロメートル(27.4パーセント)、在来堤防区間が2233.5キロメートル(16.6パーセント)、未施行区間が2137.5キロメートル(15.9パーセント)であり、堤防築造の必要な区間における堤防の整備率は四〇パーセントにすぎず、全国の河川について工事実施基本計画どおりの改修事業を完成するには今後一〇〇兆円を上回る費用と一〇〇年以上の長い年月を要すると見込まれていること、そのため、実際には「当面の整備目標」という中間的な目標を設けて段階的に改修事業を実施していく方針が採られ、昭和五二年六月に閣議決定された第五次治水事業五箇年計画によると、当面の整備目標は、大河川にあつては戦後最大洪水を対象に再度災害の発生を防止すること、中小河川にあつては一時間雨量五〇ミリメートル相当の降雨による被害を防止することとされたが、右の当面の整備目標に対する昭和五六年度末における整備率は、大河川の洪水防御施設について五八パーセント、中小河川の浸水対策施設については一八パーセントにとどまつており、昭和五七年から始まつた第六次治水事業五箇年計画においては、前示「当面の整備目標」は、内容的には同じであるが、名称は「長期の整備目標」と改称され、右五箇年計画において定められた治水投資規模を達成したとしても、その整備率は、昭和六一年度末において、大河川にあつてはおおむね六三パーセント、中小河川にあつてはおおむね二三パーセント程度にしか進捗せず、今なお改修を要する河川のすべてを整備するには膨大な財源と長年月を要すること、洪水による災害の発生は、洪水の最大流量のみに規定されるものではなく、洪水の継続時間も重要な要素となるのであるが、我が国の河川は国土の特性から急勾配で流路が短く、洪水の総流出量に比して最大流出量が大きく、ひとたび豪雨があると短時間に大きな流量で高い水位の洪水が発生するが、その高水位継続時間は数時間から一、二日程度にすぎず、いわゆる一過型の洪水が多いという特徴があるため、工事実施基本計画における基本高水の決定の前提となる計画降雨の継続時間については、流域の大きさ、降雨の特性、洪水流出の形態、計画対象施設の種類等を考慮して決定されるべきものであるが、最近工事実施基本計画が改訂された主要河川における計画降雨の継続時間は、当該河川の洪水特性等の調査結果を基として、そのほとんどが二日と定められており、なかには二四時間と定められている例があるのに対し、四日以上の継続時間を定めた例は見当たらないことが認められる。
以上によれば、我が国の河川管理の現在の水準においては、あらゆる洪水を防ぐことを予定して治水施設の整備が図られているのではなく、それぞれの河川ごとに総合的に検討して定められた計画高水流量又は暫定計画降水流量を対象とし、その最大流量と継続時間をも考慮に入れて河川の安全性を考え、施設の整備が図られているものということができる。
ところで、洪水による堤内災害の発生態様としては、溢水型の破堤、浸透型の破堤、河道破損による洗掘型の破堤に大別することができるが、溢水型の破堤は、洪水の水位が堤防の高さを超えることにより生ずるもので、その原因も危険性も明白で、この危険を除去することは時間と費用の制約を度外視すればもとより可能であり、我が国では過去の治水事業においてこの危険を除去することが最重要課題とされ、最も多くの費用を投じ最も多くの箇所で河道の整正、掘削、築堤等の工事が行われてきたところであるから、工事実施基本計画による改修工事が完成したとされる区間の河川部分は、同区間における計画高水流量又は暫定計画高水流量以下の洪水に対しては、溢水型の破堤に対する安全性を備えているべきものといわなければならない。
次に、浸透型の破堤については、堤防表法面に接する洪水の水位が高ければ高いほど、またその継続時間が長ければ長いほど堤体内への浸透量が多くなるため、堤防を構成する土砂の力学的性質が弱化して堤体の破壊を生じやすくなるのであるが、長年にわたる経験の集積により、基本的には各河川において通常の時間的経過を有する洪水に対応するに足りる厚さと形状を選んで築堤することによつて、浸透破堤の危険におおむね対処することができる。ただ、河川の堤防は、古くから存在する在来堤やこれらの上に土砂を積み上げたものが最も一般的であり、すべての堤防が近代の河川工学上の知見に基づいて築造されたものというわけではなく、従来の洪水の経験に基づき旧来の堤防等を逐次拡築、補強することにより安全性を高めてゆくのが通常であるため、堤体の内部構造は複雑で、しかも長大な構築物であるところから土質もすべてにわたつて均一でなく、土質を精選して施行することは不可能であり、堤体下の地盤についても多種多様であるという特殊性があるため、浸透型の破堤の危険に対しては、工事実施基本計画による整備完了区間であつても、同区間内のすべての堤防について絶対的な安全性が保障されているものとはにわかに考え難いものといわねばならない。
次に、河道破損による洗掘型の破堤は、河道内における洪水の流れに起因する流水の集中、河床の変動、流下物の衝突、渦の発生などによつて河道自体が破損し、これが継続して流下する洪水の作用によつて拡大し、ついには河道と堤内地を画する堤防や河岸の損壊へと進展し、最終的にこれらが機能を失つて洪水が堤内地へ流れ込むなどして発生するものであり、水衝部における河岸や堤防の洗掘、河道内の工作物周辺における災害がこれらに含まれる。この型の災害の特徴は、河道の一部分が破損しても直ちに堤内災害は発生せず、洪水の継続した作用によつてそれが進展して河川区域内の限度を超えたときに初めて堤内災害を引き起こすものであるため、災害が発生するかどうかはその進展の程度にかかっているが、この危険度の進展は、河道の縦断的、横断的な構成物の総合的な強度と、洪水の大きさ及び継続時間の組合せから成る総合的な作用力との相対的な関係によつて支配されるものである。このため、当該河川において想定されている洪水の大きさと継続時間の範囲内で堤内災害に至る可能性が高い災害であつて、その主たる原因も明らかで対策の有効性も一応経験的に確かめられているもの、例えば水衝部における洗掘については、これに対処するため護岸の設置などの対策が講じられているが、想定されている洪水の大きさと継続時間の範囲内では堤内災害発生の可能性が小さく、その発生の原因や機序が明らかでなく、対策の有効性も確認されていない危険については、今なお十分な対策を講じ得ない現状にあるのであつて、<証拠>によつて明らかなとおり、昭和四三年から昭和四九年までの七年間に全国の河川において発生した破堤災害は年平均八〇八箇所であるのに対し、堤防、護岸、根固め工、水制工、床止め工等の施設について生じた堤外災害は年平均三万一八二二箇所に及んでいる事実は、河道には十分な政策を講じ得ない危険が数多く存在すること、幸いにこれらの危険がもたらすのは堤外災害にとどまるのが普通で、大部分は堤内災害にまでは至らないことを示すものといえるのである。これに加えて、さきに浸透型の破堤に関する説示中で論及した堤防自体の安全度に関する問題点を併せ考えれば、工事実施基本計画による整備完了区間であつても、河道破損による洗掘型の破堤の危険から完全に開放されたものと期待することはできないものというべきである。
以上説明のとおりであるから、工事実施基本計画に基づく工事が完成している河川部分であつたとしても、通常予測し、かつ、回避し得るあらゆる水害を未然に防止するに足りる治水施設を完備した河川に当たるとはいえないし、また、当該工事実施基本計画で定められている計画高水流量及び計画高水位以下の洪水の作用に対する絶対的な安全性が保障されているともいえないのであつて、その限りにおいて、右河川部分は理想的な河川管理の状態が実現されるまでには更に多くの改修工事を必要とするものであり、現段階においては改修の不十分な河川に該当するものといわざるを得ない。したがつて、その備えるべき安全性としては、河川管理の特質に由来する諸制約のもとで一般に施行されてきた治水事業による河川の改修、整備の過程に対応する過渡的な安全性をもつて足りることに変わりはないから、被控訴人らの主張は採用することができない。
2 河川管理の瑕疵の一般的判断基準について
河川管理には、先に述べたような特質とこれに由来する財政的、技術的及び社会的諸制約があるため、これらの諸制約によつていまだ通常予測される災害に対応する安全性を備えるに至つていない現段階においては、当該河川の管理についての瑕疵の有無は、大東水害最高裁判決及び加治川水害訴訟についての最高裁判所昭和六〇年三月二八日第一小法廷判決(民集三九巻二号三三三頁)の判示するとおり、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、前記諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきであると解するのが相当である。
ところで、本件災害の原因となつた宿河原堰及びその周辺の取付護岸、小堤等の施設の一部は、神奈川県が旧河川法一七条の規定による河川管理者の許可を受けて河川区域内の土地に設置したいわゆる許可工作物であつて、昭和二五年三月以降本件災害当時に至るまで川崎市がこれを管理していた(その間、昭和四〇年に現行河川法が施行され、昭和四一年に多摩川が一級河川に指定された際に、同法八七条の規定により川崎市は同法二六条の許可を受けたものとみなされた。)ものであり、河川管理の瑕疵の有無を判断するに当たつては、右許可工作物の河川管理上の取り扱いないし位置づけについて検討を加えておく必要がある。
河川は、本来自然発生的なものであるが、古くから農業用水や飲料水等の供給源として、また舟筏の一般通行の場として利用され、今日においても一般公衆のための灌漑用水、飲料水、工業用水等の供給源であると同時に雨水、生活廃水等の排水路となつており、さらには洪水時には氾濫して大きな災害をもたらすなど国民の社会経済生活に極めて密接かつ重要な関係を有している。したがつて、河川の管理に当つては治水、利水の両面から総合的に管理することが必要であり、河川法一条は「この法律は、河川について、洪水、高潮等による災害の発生が防止され、河川が適正に利用され、及び流水の正常な機能が維持されるようにこれを総合的に管理することにより、国土の保全と開発に寄与し、もつて公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進することを目的とする。」と、同法二条一項は「河川は、公共用物であつて、その保全、利用その他の管理は、前条の目的が達成されるように適正に行なわなければならない。」と規定し、河川管理が洪水や高潮等による災害の発生を防止し、及び流水の正常な機能の維持を図るという治水の観点からのみ行われるのでなく、河川の適正利用を図ることも河川管理の重要な目的であることを明らかにしている。
河川の利用のためには河川区域内に工作物を設置することが必要な場合があるが、河川区域内に工作物を設置することは、河川における一般の自由使用を妨げるおそれがある以外に、洪水に際して河川の機能を減殺し、また堤防や護岸のように河川の安全性の向上のために設けられた施設に対して好ましくない影響を及ぼす場合もあるため、治水上の観点から見れば一般的には必ずしも望ましいことではない。しかしながら、一方において、これらの工作物を設置して河川の利用を図ることも国民生活上必要不可欠であり、そのため河川の適正利用と治水目的との調整は河川管理上の重要な課題となつている。そこで、旧河川法及び現行河川法は、いずれも、河川区域内における工作物の設置又は現状変更を一般的に禁止し、河川区域内における工作物の新築、改築及び除却を河川管理者の許可に係らしめ(旧河川法一七条、現行河川法二六条)、一定の出願に基づき、河川管理者において当該工作物の設置又は現状変更の必要性と河川管理上の支障の有無等について判断し、支障がないと認めるときは(場合によつては支障の生じないように必要な対応措置を施すことを条件として)右の禁止を解除して工作物の設置又は現状変更を許容することにより、河川の使用関係の調節と洪水の防止という治水目的との調和を図つているのである。
工作物の設置の許可に当たつては、治水上の観点からの検討に重点が置かれることはいうまでもなく、特に河川の横断工作物である取水堰の設置は多かれ少なかれ洪水の流下を妨げ、かつ、周辺の堤防や護岸等の河川管理施設に対しても様々な影響を及ぼすものであるため、堰が設置されることとなる周辺の河道の状況、堤防、護岸、高水敷等の治水施設の整備状況をふまえ、堰の設置により洪水による災害発生の危険性を増大させることのないように、その時の河川工学上の知見及び技術水準に照らし流水の通常の作用に対して安全と認められる十分な対応措置が施されることを前提としてはじめて許可すべきものであるが、いずれにしても、いつたん河川管理者の許可を受けて河川区域内に工作物が設置されると、当該許可工作物は、当該河川の流域の地形、地質その他の自然的条件と同様に、河川の安全性に係わる物理的な条件となり、河川管理者は、そのような所与の条件の下において河川の安全性を確保すべき責務を負うのである。
もっとも、河川管理者は原則として許可工作物それ自体の維持管理を直接行うことはない。すなわち、許可工作物のうち橋梁等のように利水、治水以外の目的で設置されるものについて河川管理者が直接その維持管理に当たらないのは当然であるが、河川区域内に設けられたダム、堰、水門、堤防、護岸、床止めその他河川の流水によつて生ずる公利を増進し、又は公害を除却し、若しくは軽減する効用を有する施設(河川管理者が設置したものは河川管理施設として河川の構成部分となり、河川管理者においてその維持、管理に当たることとなる。)であつても、河川管理者以外の者が許可工作物として設置したものである場合には、当該施設を河川管理施設とすることについて河川管理者が権原に基づき当該施設を管理する者の同意を得たときでない限り河川管理施設とはならず、河川とは独立したものとしてその維持管理は設置許可を受けた者が自らの責任と費用負担において行うものである。しかし、河川管理者は許可工作物の管理者に対し河川法七五条二項の規定による監督処分を行う権限を与えられており、右監督処分を行うについて種々の法律上の制約があることを考慮に容れても、許可工作物が河川管理者の支配領域内にあることは否定し得ないところである。したがつて、許可工作物に内在する欠陥により河川災害が生じた場合、河川管理者が許可工作物の維持管理に直接関与していないことを理由として何らの責任も負わないものとすることができないのは当然である。
そして、許可工作物に内在する欠陥により河川の安全性が損われている場合における河川管理の瑕疵の有無についての判断基準は、大東水害訴訟及び加治川水害訴訟における最高裁判所判決の示した河川管理の瑕疵の一般的判断基準と基本的には異なるものではないと解するのが相当である。けだし、許可工作物に内在する欠陥により河川の安全性が損われている場合において河川管理者が危険防止のため執り得る手段としては、河川法上の監督権限の発動による許可工作物の改善命令等に限られるものではなく、自己の管理する河川管理施設を改修強化して河川の安全性を回復すること及び以上の両手段を併用することも可能であつて、そのいずれを選ぶかは河川管理者の合理的な裁量に任されているところであり、また、河川管理者は、許可工作物に係る河川管理については財政的な制約を被るわけではないが、河川管理施設については治水上の安全性の向上のため随時改修工事を行うことができるのに対し、許可工作物については河川法七五条二項所定の要件の存する場合でなければ監督処分としての改善命令を発することはできないという制約を受けるのであつて、河川管理の対象が許可工作物であるか河川管理施設であるかによつて河川管理の特質及びこれに伴う諸制約の程度について著しい差異があるものとはいえないし、その他許可工作物と河川管理施設との間で河川管理の瑕疵の有無につき別異の判断基準を設ける実質的な根拠は見当たらないからである。
被控訴人らは、本件災害は河道に人工的に付加された取水堰及びその周辺構築物の安全性の欠如によつて発生したものであるから、道路等人工的な営造物の管理責任の場合と同一の瑕疵の判断基準が適用されるべきであつて、いわゆる過渡的安全性論とは無縁であり、大東水害最高裁判決の判断基準が本件災害に妥当しないことは明白である旨主張するが、上来説示したところに照らせば右主張は採用することができない。
3 瑕疵の推定の主張について
被控訴人らは、本件災害は、河川法に基づく工事実施基本計画による河川改修工事の完成部分において、計画高水流量程度の規模の洪水の作用によつて破堤したことによつて発生したものであるから、右事実から控訴人の河川管理の瑕疵が事実上推定される旨主張する。
しかし、工事実施基本計画に基づく工事が完成している河川部分であつても、当該工事実施基本計画で定められている計画高水流量及び計画高水位以下の洪水の作用に対する絶対的な安全性が保障されているものと解すべきでないことは既に述べたとおりである。すなわち、河川改修事業は、計画高水流量以下の流水の通常の作用に対して河川の安全性を保障することを究極の目的とし、計画高水位以下の流水の通常の作用を設計外力として施工されるものではあるが、洪水現象が堤防の安全性に影響を与える要因は、洪水の最大流量、水位に限られず、洪水の継続時間、洪水位の変動、堤体上への降雨等様々なものがあり、堤防その他の河川管理施設の抵抗力という観点からみても、堤防は従来の洪水の経験に基づき旧来の堤防等を逐次拡築、補強することにより安全性を高めてゆくものであるため、その内部構造は複雑で、しかも非常に長大な構造物であるため、その土質もすべてにわたつて均一ではなく、堤体下の地盤についても多種多様であるという特殊性を有し、また、河川の流水の作用、特に洪水時に現れる土砂等を含んだ乱流の護岸、堤防等に及ぼす力、作用、そのメカニズム等については、未だ科学的に十分解明されているとはいえない状況にあるのである。計画高水流量及び計画高水位は、溢水型の破堤の危険に対して堤防の安全性を保つべき基準ではあるが、最大流量あるいは最高水位に限定されない、すべての洪水現象による様々な作用に対する堤防の安全性を担保するものであるということはできない。
したがつて、計画高水流量、計画高水位程度の規模の洪水によつて本件災害が発生したからといつて、これによつて控訴人の河川管理の瑕疵が推定されることにはならないといわざるを得ない。
二宿河原堰及び周辺河川構築物の安全性の程度
1 河川管理施設等の構造の基準
河川法一三条は、「河川管理施設又は第二十六条の許可を受けて設置される工作物は、水位、流量、地形、地質その他の河川の状況及び自重、水圧その他の予想される荷重を考慮した安全な構造のものでなければならない。河川管理施設又は第二十六条の許可を受けて設置される工作物のうち、ダム・堤防その他の主要なものの構造について河川管理上必要とされる技術的基準は政令で定める。」と規定している。河川に設置される河川管理施設及び許可工作物(以下「河川管理施設等」という。)は、その構造が適切なものでなければ、洪水・高潮等により破壊され、又は流水の疏通を害して氾濫の危険を招き、又は他の河川管理施設等に支障を及ぼす等種々の弊害を生ずる。また、全体として統一的な構造基準によらないで、上下流、左右岸の河川管理施設等がそれぞれ強度を異にしている場合には、ぜい弱な箇所を生じ、災害を誘発する原因となる。
そこで、同条は、河川の安全性を確保するため、河川管理施設等の構造について基本的な原則を掲げ、その主要なものの構造については政令で技術的基準を定めることとしたものである。そして、同条二項の規定を受けて、現在では、河川管理施設等構造令(昭和五一年政令第一九九号、以下「構造令」という。)が制定施行され、また、同令の規定に基づき、及び同令を実施するため、河川管理施設等構造令施行規則(昭和五一年建設省令第一三号)が制定施行されているが、構造令が技術的基準を定めている河川管理施設等の中には堰も含まれている。もつとも、構造令は本件災害が発生してから約二年後に制定されたものであるのみならず、同令附則二項において、「この政令の施行の際現に存する河川管理施設等又は現に工事中の河川管理施設等(既に法第二十六条の許可を受け、工事に着手するに至らない許可工作物を含む)がこの政令の規定に適合しない場合においては、当該管理施設等については、当該規定は、適用しない。」と定めているから、構造令は、主として同令施行後における新築又は改築の基準及び構造令に定める基準に適合して造られた工作物についての維持管理に関する基準であるということができる。
ところで、旧河川法においては、堰、堤防その他の河川構築物の構造に関し河川の安全性を確保する見地からの基準を定めた規定は存在しなかつたが、<証拠>を併せると、堰、堤防、護岸等の河川構築物は、旧河川法の下においても、明治、大正、昭和の各年代を通じ、河川ごとに過去の出水や災害による経験と教訓とを生かして、より安全な構造のものを目指して施工されてきたのであり、その構造については、個々の河川の特性による差異はあるものの、多年にわたる経験の集積の所産としてその時代の技術的水準に照応した一定の安全基準が存在し、河川構築物の新築又は改築の際に右の安全基準を充足することが治水事業の根幹をなすものであることが認識され、建設省においては、河川管理の指針とするため右の安全基準を成文化し、直轄事業等にかかるものについては昭和三三年に建設省河川砂防技術基準を、許可工作物については昭和三七年に建設省河川占用工作物設置基準をそれぞれ作成試行して、これらを河川構築物の構造基準として運用してきたことが認められる。
<証拠>によれば、昭和三九年に現行河川法が制定されたことに伴い、建設省河川局において同法一三条二項の委任に基づく政令の素案の作成作業を開始し、昭和四三年四月に構造令案の第一次案が完成し、現場において河川管理の実務に携わる各県の担当者並びに地方建設局及び工事事務所の担当者等の意見を聴くなどして、その後第二次案、第三次案と検討と改訂を重ねた上、河川局長通達により現場において試行することとされ、本件災害当時には昭和四六年作成(昭和四八年一二月一部改正)にかかる構造令案の第八次案が試行されていたこと、構造令案は本件災害後作成された第九次案を経て、昭和五一年七月構造令の制定を見るに至つたこと、構造令案は構造令と同様、河川管理施設及び許可工作物のうち堤防その他の主要なものを新築し、又は改築する場合におけるそれらのものの構造について河川管理上必要とされる一般的技術基準を定めることを目的とするもので、既に存在する河川管理施設等に対しては遡及して適用されないものであることが認められる。以上によれば、本件災害当時試行されていた構造令案の第八次案は、当時における河川工学の一般的な技術水準を示すものと考えて誤りはない。
控訴人は、右認定に反し構造令案は試行錯誤を前提とした極めて先進的、実験的な技術基準として作成されたものである旨主張する。しかし、<証拠>によれば構造令案は河川法一三条二項に基づき河川管理施設又は許可工作物の主なものの構造について河川管理上必要とされる技術的基準を定める政令(後に構造令として制定された。)の素案として第一次案から第九次案まで作成されたものであることが明らかであり、右政令の定める技術的基準は、河川管理施設や許可工作物を新築、改築する場合において、これに適合しなければ新築等が認められないという意味において許可工作物等にとつて最低限遵守しなければならない基準となるのであるから、右政令の制定準備のための試案として作成された構造令案の内容は、先進的な技術基準ではなく、新しい知見を取り入れてはいるが、一般的に確立された、あるいは大多数の承認を得られる内容の技術的知見を基礎としているものと考えるのが相当である。ただ、個々の河川の特性を無視した画一的な基準を設けることについては賛否両論のありうるところであつて、構造令案が第一次案から第九次案まで年を追つて改訂されたことは、その間において新たな技術的知見の獲得や工法の進歩があつたこともさることながら、具体的な構造基準の設定について、それが実情に即した河川管理の運用を阻害しないかどうかを検討するための試行錯誤的な面があつたことを物語るものといえようが、そのような事情があるからといつて、構造令案に採用された技術的基準が、当時における河川工学の一般的な技術水準から遥かにぬきんでたものであつたと認めることはできず、控訴人の右主張は採用することができない。
被控訴人らは、宿河原堰及び周辺河川構築物の構造は本件災害当時の技術的水準に基づく安全基準を大きく下回るものであり、本件災害は右安全基準を守つていなかつたために発生したものである旨主張するので、以下被控訴人らの指摘する宿河原堰及び周辺河川構築物の安全性の程度について検討を加える。
2 堰本体について
(一) 構造令三六条の解釈
被控訴人らは、「構造令三六条には「堰は計画高水位以下の水位の流水の作用に対して安全な構造とするものとする」とあり、特別な留保なしに、堰は計画高水位以下の洪水に対して安全であることが要求されている(構造令は堰にとどまらず、床止め、橋、ダムなどの人工的に設置され、危険を付加するものに対しては堰と同様の安全性を要求している。)。この規定は、堰については道路などと同様、設計外力以下の外力に対してはほぼ絶対的な安全性を要求しているものというべきであり、このことは、同令一八条が堤防について「……計画高水位以下の水位の流水の通常の作用に対して安全な構造」を要求しているのと対比すれば一層明白である。構造令そのものは昭和五一年に制定されたものであり、本件災害時に適用される余地のないものであるが、その記述は理の当然のことを規定したまでである。堰の安全性への配慮は昭和一〇年以来の水害防止協議会の決定事項にもよく示され、また昭和三三年の建設省河川砂防技術基準にも「せきに作用する外力としては自重の外、静水圧、動水圧、揚圧力、地震力、滞積土砂の土圧および水圧等があり、、これらを総合して最も危険な場合についてせきの安全を検討しなければならない」とされており、その安全確保のための配慮は最大限なされるべき旨が定められている。このような経過をふまえれば堰に対する安全性は構造令の規定の存否にかかわらず右の趣旨に理解すべきものである。このように、堰等は河川法並びに構造令の法意に照らしても高い安全性が要求されているのであり、堰の設置によつて災害が発生した場合には原則として管理の瑕疵が認められるべきである。」と主張する。
そこで検討するのに、構造令三六条は、一項において「堰は、計画高水位(高潮区間にあつては、計画高潮位)以下の水位の流水の作用に対して安全な構造とするものとする。」と規定し、二項において「堰は、計画高水位以下の水位の洪水の流下を妨げず、付近の河岸及び河川管理施設の構造に著しい支障を及ぼさず、並びに堰に接続する河床及び高水敷の洗掘の防止について適切に配慮された構造とするものとする。」と規定しているところ、その規定の体裁、床止めに関する構造令三三条一、二項の規定及び<証拠>によつて認められる床止めに関する構造令案(第八次案をいう。以下同じ。)二四条一項の規定との対比等を総合して考察すれば、構造令三六条一項は、計画高水位以下の水位の流水の作用に対する堰自体の安全性、すなわち、堰が右の程度の流水の作用により転倒、滑動、破損等を来たすことのないような堅固な構造のものでなければならないことを規定したものと解すべきであり、<証拠>によつて認められる昭和三三年の建設省河川砂防技術基準中の「せきに作用する外力としては自重の外、静水圧、動水圧、揚圧力、地震力、滞積土砂の土圧および水圧等があり、これらを総合して最も危険な場合についてせきの安全を検討しなければならない」との記述も、堰自体の堅牢性を要求する趣旨であることは明白である。したがつて、構造令三六条一項の規定は、堰の構造につき従来から確立していた安全基準をそのまま法文化したものということはできるが、そこで要求されている安全性は、堰自体の強度に関する安全性であつて堰の設置による治水上の影響に関する安全性ではないから、同条項が堰の設置について堤内に災害をもたらさないという意味での絶対的な治水上の安全性を要求しているものと解することはできない。堰の設置による治水上の影響に関する安全性は、同条二項に規定する程度をもつて足りるのである。以上の次第であるから、構造令の堰と堤防に関する規定の仕方の違いを根拠として、堰の設置について堤内災害をもたらさない絶対的な安全性が要求されているとする被控訴人らの主張は、失当といわなければならない。
(二) 堰高、可動部の割合等について
<証拠>を総合すると、一般に堰を設置した場合、その付近の上下流の流水の変化として、堰上流側においては水位の上昇(いわゆる堰上げ)が、堰下流側においては落下流による洗掘作用の増大等が生ずるため、これらの作用に対しては堰の上下流部に護岸及び下流部に護床工や水叩き等を設けて治水上の安全性の低下に対する措置を講ずる必要があるが、堰の設置に伴う治水上の安全性の低下は、堰高が高ければ高いほど、また堰の可動部が少なければ少ないほど顕著となる傾向があること、右のような知見はかなり古くから河川関係者の間では知られており、昭和一〇年に設置された水害防止協議会の決定事項中には、堰堤に関して「下流平地部ニ築造スル取水堰堤ハ治水上ノ影響ヲ充分考慮シ、且比較的高キモノハ成ルベク可動堰ト為スコト」、「堰堤ノ高ハ下流平地部ニ於テハ洪水ノ影響ヲ考慮シ、之ヲ必要ノ最小限度ニ止ムルコト」との事項があること、更に、宿河原堰のコンクリート堰への改築工事が終了した後の昭和三三年に作成試行された建設省河川砂防技術基準(ただし、右技術基準は許可工作物には適用がなかつたことは<証拠>により明白であるが、この点はしばらく措く。)でも「本体の高さは目的に適合する範囲で、できるだけ低くとること」、「本体の高さは取水堰にあつては所要の水量を得られる高さとし、その範囲で治水上支障が生じないようできるだけ低いものとしなければならない」ものとされていること、本件災害当時試行されていた構造令案二八条は「堰は、水位、流量、流水の状態、地形等を考慮して、高水時の流水に著しい支障を与えない構造とするものとする。」と規定していたことが認められる。
ところで、取水堰について必要な堰高は、取水口の敷高と堰下流側の河床の敷高との比高並びに所要の取水量によつて決定されるものであるところ、宿河原堰がコンクリート堰に改築されるに至つた経緯は前示第二・三・2において認定したとおりであり、右改築の際所要の取水量を得られる高さを不必要に超えて堰高が定められたことを認めるに足りる証拠はない。宿河原の堰高が3.1メートルであることは従来認定したとおりであり、堰の高さについては、低ければ低いほど望ましいというだけで、今日においても具体的な高さの制限を定めた基準は設けられていないのであるが、<証拠>によつて認められる本件災害後の昭和五四年一〇月に一級河川の建設大臣直轄管理区間について行われた堰の調査結果(以下「全国堰調査結果」という。)によれば、堰の高さ二メートル以上の堰は全国で一一七例あり、その堰高別、平地・山地別の設置状況は別表第四の表―2に掲げるとおりであつて、平地部に存する堰は九二例、そのうち堰高三メートル以上のものは三九例もあること、右の平地部に存する堰の堰高別、計画高水流量別の設置状況は別表第四の表―3に掲げるとおりであつて、計画高水流量が毎秒二〇〇〇立方メートル以上の大河川の平地部にあつて堰高が三メートル以上のものは二一例もあり、多摩川においては、堰高4.3メートルの上河原堰があることが明らかであるから、これらの事情に照らせば、宿河原堰は大河川の平地部にある堰としては比較的堰高の高い堰ということはできるが、その堰高が河川工学の常識に反するような異常なものであつたとすることはできない。
次に、堰の可動部について見ると、<証拠>によれば、宿河原堰の築造当時はもちろん昭和三〇年代の半ごろまでは、堰の可動部の幅(径間長)を長くする技術は開発されておらず、またその当時はゲートの開閉技術も十分に信頼できるものではなかつたため、大河川に本格的な可動堰の設置が試みられることは少なかつたこと、前示第二・三・3において認定したように、宿河原堰における堰可動部の長さは三五メートルで、堰堤の全長が二九七メートルであるから、可動部の全長に対する割合は11.8パーセントであるが、昭和五四年一〇月現在の全国堰調査結果によつても、堰の本体長及び可動部分の長さの割合は別表第四の
表―2
高さ2.0m以上の堰の設置状況
平地・山地の別
平地
山地
計
堰高
2.0~2.5m未満
34
7
41
2.5~3.0m未満
19
0
19
3.0~3.5m未満
⑯
3
19
3.5~4.0m未満
13
3
16
4.0m 以上
10
12
22
計
92
25
117
(注) 宿河原堰3.1m
表―3
平地部における計画高水流量別堰設置状況
堰高
計画高水流量 (毎秒)
計
2,000~5,000
立方メートル未満
5,000~10,000
立方メートル未満
10,000
立方メートル以上
検討中
2.0~2.5メートル未満
13
6
3
1
23
2.5~3.0メートル未満
5
2
1
1
9
3.0~3.5メートル未満
7
1
1
1
10
3.5~4.0メートル未満
2
1
0
0
3
4.0メートル以上
4
3
2
0
9
計
31
13
7
3
54
(注) 太枠内は,堰高が3メートル以上で,かつ,計画高水流量が毎秒2,000立方メートル以上の21堰である。
表―1掲記のとおりであり、平地部における堰本体長が二〇〇メートル以上の長大堰について見れば二九例中一七例が堰本体長に占める可動部長の割合が一〇パーセント未満の状態であること、宿河原堰の存する地点における多摩川の計画高水流量(本件災害当時は毎秒四一七〇立方メートル)と規模が同程度以上の河川における類似の堰のうち宿河原堰の堰高と同程度以上の堰高を有するもの<証拠>に現れている紀の川岩出井堰は堰高六メートルで全堰長にわたつて可動部が存するが、これを除く。)の設置状況は別表第四の表―4掲記のとおりであつて、多摩川と同様な河川における比較的堰高の高い堰(前記岩出井堰を除く。)は一一例存在し、このうち宿河原堰より堰本体長に占める可動部長の割合の少ないものが五例存すること、したがつて、宿河原堰の可動部が堰本体長に占める割合は、多いとはいえないが異常に少ないともいえないこと、宿河原堰が築造された当時の技術手法としては、そのころの全国の実施例などから見てこのような可動部分の多くない型式の堰は一般に採用されており、仮に宿河原堰を可動堰として築造した場合には、先に述べたようなその築造当時の技術水準から三〇ないし四〇門のゲートを設置する必要があるため多数の堰柱を設けざるを得ず、洪水時には流木等により堰が閉塞するおそれがあるばかりでなく、そのような多くのゲートを同時に引き上げる十分な技術が開発されていなかつたためゲートが開かない可能性などもあつて、治水の上ではむしろ望ましくなかつたことが認められる。
表―4
多摩川と同様な河川における比較的堰高の高い堰の設置状況
番号
河川名
堰名
計画高水流量
堰高
堰本体長に対する
可動部長の比
m3/s
m
%
2
石狩川
花園頭首工
4,100
7.32
12.04
11
十勝川
千代田 〃
6,700
6.48
0
30
木曽川
犬山 〃
12,500
3.00
70.15
32
紀の川
藤崎 〃
9,900
5.50
22.64
41
野州川
石部 〃
4,500
3.70
27.96
51
吉井川
鴨越堰
8,000
3.70
52.0
67
吉野川
柿原堰
15,000
4.35
0
79
山国川
大井手堰
4,300
3.30
9.43
93
筑後川
山田堰
4,600
3.00
0
94
筑後川
大石堰
6,200
3.00
0
114
多摩川
二ヶ領上河原堰
6,500
4.30
34.97
(参考)
115
多摩川
二ヶ領宿河原堰
4,170
(現在は6,500)
3.10
11.78
表―5
多摩川における工種別護岸調書
製造年(昭和)
~24年
25~40年
41~49年
延長
全体比率
延長
年度比率
延長
年度比率
延長
年度比率
工種名
m
%
m
%
m
%
m
%
植石コンクリート張
6,020.1
27.6
26,695.3
33.8
2,012.5
9.3
34,727.9
28.3
コンクリートブロック張
2,619.6
12.0
9,660.4
12.2
4,781.2
22.0
17,061.2
13.9
玉石コンクリート張
3,247.5
15.0
7,549.8
9.6
5,999.8
27.6
16,797.1
13.7
鉄線蛇籠
1,733.9
8.0
10,042.6
12.7
3,138.9
14.4
14,915.4
12.2
コンクリート張
1,220.6
5.6
10,639.6
13.5
1,344.5
6.2
13,204.7
10.8
練石張
5,157.0
23.7
4,862.2
6.1
160.6
0.7
10,179.8
8.3
その他
1,783.0
8.1
9,544.6
12.1
4,313.8
19.8
15,641.4
12.8
合計
21,781.7
100
78,994.5
100
21,751.3
100
122,527.5
100
更に、<証拠>によれば、宿河原堰の固定部は計画高水流量の流下断面内に設置されていることが認められるが、宿河
表―6
堰取付部の護岸状況
タイプ
種別
山地・平地の別
山地
平地
計
直立式
コンクリート
18
68
86
コンクリート
ブロック
0
0
0
石積
2
0
2
小計
20
68
88
法面式
コンクリート
0
10
10
コンクリート
ブロック
2
23
25
石張等
14
93
小計
16
112
128
岩着山付等
14
4
18
合計
50
184
234
原堰の築造当時、計画高水流量の流下断面内に堰の固定部を設けてはならない旨の技術思想が安全基準として定着していた事実を認めるに足りる証拠はない。
以上の認定事実を総合すると、宿河原堰は、昭和二四年に築造された当時においては、堰高、堰可動部の割合、堰固定部の位置等について当時の技術的水準に基づく安全基準を満たしていなかつたものと認めることはできない。
しかしながら、宿河原堰は二ケ領用水の取水を目的として築造されたものであるところ、その後の社会情勢の変化により、二ケ領用水の灌漑面積が激減し、宿河原堰取水口からの取水状況も著しく変化し、河川管理者がその取水のための流水の占用許可更新申請について昭和四三年以降その許可を保留し、取水必要量の精査を行わせたことは前示第二・三・2において認定したとおりである上、<証拠>によれば、本件災害後、宿河原堰は川崎市によつて復旧工事が行われた結果、堰左岸側の固定部は高さが九〇センチメートル切り下げられ、その上に二五センチメートルの蛇籠が設置されたので、蛇籠の分を含めても堰高は本件災害当時より六五センチメートル低いものに改修されたことが認められるのであつて、これらの事実によると、本件災害当時においては、宿河原堰の堰高は所要の取水量を得られる高さを不必要に超えるものとなつていたことを否定し得ない。
また、<証拠>によると、昭和三〇年代半以降、径間長を長くする技術が開発されるなどの技術革新により、本件災害当時は可動部の多い堰の設置や大河川における可動堰の設置が可能となつていたことが認められるから、本件災害当時における宿河原堰の堰可動部の堰本体長に占める比率は、少くともその当時の最新の技術水準から見れば時代遅れのものとなつており、その比率を高めて治水上の安全性の向上を図ることは技術的に不可能でなかつたものということができる。
更に、<証拠>によつて認められる本件災害当時構造令案と並んで試行されていた河川管理施設等構造細目案(以下「構造細目案」という。)第七五は、堰の一般的基準を定めた前述の構造令案二八条を補足して、「固定堰又は可動堰の固定部は、計画高水流量を流下させるために必要な河道の計画横断面又は有効河積のいずれか大きい方の外に設けるものとする。ただし、地形の状況その他の特別の理由によりやむを得ないと認められる場合においては、河川の計画横断面以外の有効河積内に設けることができる。」と規定しているところ、宿河原堰において右のようなやむを得ない事情の存在することをうかがうことはできないから、堰の固定部が計画高水流量の流下断面内に設置されている本件堰は、その固定部の設置位置において構造細目案、ひいては構造令案に適合しないものとなつていたといわざるを得ない。
(三) 堰の平面形状及び設置位置について
<証拠>によると、昭和一〇年の水害防止協議会決定事項中には「堰堤ノ下流両岸岩盤ニ非サル限リ溢流堰堤ノ方向ハ成ルヘク之ヲ河身ニ直角ト為スコト」との定めがあることが認められるほか、前掲甲第二五号証の建設省河川砂防技術基準(案)(昭和三三年)には、堰の本体について「本体の方向は主流の方向を変えないようにとることが望ましく、通常は河身に直角にとる。」と定められ、その解説として「せきの方向によつては河岸への横流れが生ずるので特別の場合以外は河身の直角方向を取ることが望ましい。また、平面形も局部的な洗掘、滞積を避けるため直線形とするのが通常である。」との記載があり、<証拠>によれば、本件災害当時試行されていた構造令案においては、堰の形状については同令案三六条により床止めに関する同令案二〇条の「床止めの平面形状は、直線とするものとする。ただし、地形の状況等を考慮してこれによることが適当でないと認められる場合においては、この限りでない。」との規定を準用するものとされていたことが認められるところ、被控訴人らは、宿河原堰の平面形状が堰の両端で一〇度下流側に折れていたことを捕らえて、当時の技術的水準に照らして安全性を欠くものであつたと主張する。しかし、<証拠>によると、構造令案二〇条但し書にいう「これによることが適当でないと認められる場合」とは、堤防法線又は低水路法線が平行でないため、袖部を法線に直角に嵌入させようとすれば、折線状とせざるをえない場合などを意味するものと解されていることが認められるのであつて、<証拠>によれば、宿河原堰の堰軸の方向は洪水の流心の方向に直角であつたし、また、その左岸取付部は、低水路法線が堤防法線と平行ではなかつた関係上、低水路法線に直角に嵌入するために堰の袖部を折線状にして嵌入したものであり、右岸取付部は、用水取入口との地形上の位置関係から直堰のままでは堤防に取り付けることができないため、袖部を折線状にせざるを得なかつたものであることが明らかである。右のとおり、宿河原堰については前述の構造令案二〇条但し書に該当する事由が存していたものというべきであるのみならず、<証拠>によれば、元来、堰の袖部を下流側に出るように折ることにより堰の越流水を河心部方向に追いやるようにした方が護岸が痛まずに好都合であるという技術思想が古くから存在しており、本件災害当時は右方法は推奨されなくなつていたが、その理由は、工費が高くなり、下流部に深掘れ等が生じやすく、床止め又は下流の河床の維持が困難になる等の難点があつたからであり、前記方法が下流の流心を河川の中央に集めることができる利点を有することは格別否定されていなかつたことが認められる上、宿河原堰の左岸取付部付近を流下する越流水は護岸法面に沿つて滑らかに流下して河心方向に集中し、取付護岸に対する落下水による衝撃作用はほとんど認められなかつたことは前記第三・三・1・(四)において明らかにしたとおりであるから、宿河原堰の袖部が折線状になつていることをもつて治水上の安全性を欠くものであつたとすることはできず、被控訴人らの前記主張は採用することができない。
次に、本件災害が生じた後の昭和五一年に制定された構造令の解説書に、「河川の湾曲部には堰を設けるべきではなく、やむを得ず河川の湾曲部に設けるときは、堤防の法面に天端高までの護岸を設ける等、治水上の機能の確保のため適切と認められる措置を講ずるべきである。」旨記述されていることは当事者間に争いがないところ、被控訴人らは、宿河原堰が多摩川の湾曲部に設置されたことも問題であり、宿河原堰は本件災害当時の技術上の基準に適合していなかつた旨主張する。しかし、<証拠>によると、昭和一〇年の水害防止協議会決定事項及び昭和三三年の建設省河川砂防技術基準(案)には、堰の設置位置の選定に関しては、「治水上ノ影響ヲモ充分考慮スルコト」、「治水上、利水上の問題を十分検討しなければならない。」と定められているのみであるから、宿河原堰が現在の位置に築造された当時は、河川の湾曲部に堰を設けることは避けるべきであるという具体的な技術的基準が確立されていたものとはにわかに認め難い上、その後河川技術者の間で右に掲げたような技術的基準が確立されたとしても、本件災害発生の具体的経過及び本件災害の原因について前記第三において認定したところによると、本件災害は、河道湾曲部の内側である非水衝部において発生したものであり、また、堤内地に被害が生じたのは、左岸本堤防の法面でなく地盤そのものが浸食洗掘されたためであつて、宿河原堰の築造された位置が多摩川の湾曲部に当たつていたこと及び左岸本堤防の法面に天端高までの護岸が設けられていなかつたことは、いずれも本件災害の発生との間に相当因果関係のないことが明らかであるから、被控訴人らの前記主張は理由がないものというほかはない。
3 取付護岸について
<証拠>を併せると、一般に、堰を設置した場合その下流部には激しい水勢が生じ、堰下流部の地形、構築物の形状如何によつては水が局部的に渦を巻くなど複雑な水流を生ぜしめることになつて洗掘等を助長するようなことがしばしば起きること、そのため堰下流部の河床や堰の上下流部の側壁の護岸は特に念を入れて強固にすべきことは古くから河川技術者の常識となつており、昭和一〇年の水害防止協議会決定事項中にも、コンクリート又は石積堰提について「溢流堰堤ニ於テ其ノ下流両岸ニ岩盤ナク又ハ岩盤アルモ脆弱ニシテ洗掘ノ虞アル場合ニハ堅牢ナル構造ノ元付護岸ヲ施シ必要ニ応ジ之ヲ水叩部末端迄延長スルコト」との定めがあるほか、昭和三三年の建設省河川砂防技術基準(案)の解説においても、「側壁護岸などはせきによる複雑な高速水流を受けるのであるから、通常河道のものより相当堅固なものとする必要があるばかりでなく、せきを越えた水流を円滑に下流に導くために有効な形状を有することが望ましい。」と記述されていること、構造令案三四条は、「堰には、その上下流に、流水の乱れに対して安全な取付護岸を設けるものとする。堰の上下流には、必要に応じ高水敷保護工を設けるものとする。堰により流水が貯留される区間の河岸には、必要に応じ護岸を設けるものとする。」と規定し、構造細目案二〇の二において、取付護岸の高さは計画高水位以上とするものとし、ただし、低水路のみに設ける堰等でその必要がないと認められる場合においては、貯水の影響を受ける高さ以上とすることができる旨定めていること、もつとも、護岸の形状(特に、法面式とするか垂直擁壁式とするか。)及び構造(特に、材質及び工法をどのようなものにするか。)については、本件災害当時具体的な定めは設けられていなかつたことが認められる。
被控訴人らは、宿河原堰下流左岸取付部の護岸は、法面式であり、しかも堰の高さが漸減するに従い護岸の法足が堰の段ごとに順次河心方向に出ることとなつていたためそこに複雑な水流を生ぜしめることになり、「堰を越えた水流を円滑に下流に導くため有効な形状」にしておくべきものとする前記砂防技術基準に適合していなかつた上、この法足の部分は河心方向に出ていたのであるから、堰越流水によつて河床同様にたたかれる状況になるにもかかわらず、右法足部分は僅か一五センチメートルの植石コンクリートで覆われていたにすぎなかつたため、宿河原堰の左岸下流取付部護岸は全体として脆弱で耐久性を欠如していた旨主張する。しかし、本件災害当時堰天端から落下する越流水は本件護岸法面に沿つて滑らかに河心方向に流下し、本件護岸法面に対する落下水の衝撃圧はほとんどなかつたものと認むべきことは前記第三・三・1・(四)において説示したとおりであり、何らかの理由で護岸の一部が破損した場合には、法面の勾配の緩急にかかわりなく流水の方向と直角の方向への浸食が進行するものと考えられるから、本件護岸が法面式であること及びその法足が下流部に行くに従い河心方向に突き出る形状となつていた事実は、本件災害の原因を成すものということはできず、したがつて、右の事実から本件護岸が安全性を欠いていたものとすることはできない。
進んで、本件護岸に法面式の植石コンクリート被覆工を採用したことについて、その設計の当否を検討する。
<証拠>によつて認められる昭和五四年一〇月の全国堰調査結果によれば、堰高二メートル以上の堰の取付部護岸の状況は別表第四の表―6掲記のとおりであるが、更にこれを<証拠>をも参酌して堰(築造年代不明の堰及び取付部の一方又は双方が岩着・山付となつている堰を除く。)の築造年代別に分類すると、次の表<編注・左表>に掲げるとおりである。
右の表によつて明らかなように、昭和三〇年代より前に築造された堰の取付護岸は、擁壁タイプの直立式のもの三六パーセント(大河川の堰では四〇パーセント)、法面式のもの六四パーセント(大河川の堰では六〇パーセント)で、法面式護岸の方が多かつたが、昭和三〇年代に築造された堰では、直立式護岸四四パーセント(大河川の堰では五〇パーセント)、法面式護岸五六パーセント(大河川の堰では五〇パーセント)となつていて、両者はほぼ拮抗しており、更に昭和四〇年以降に築造された堰では、直立式護岸六二パーセント(大河川の堰では七〇パーセント)、法面式護岸三八パーセント(大河川の堰では三〇パーセント)となつていて、直立式護岸がむしろ多くなつているのであるが、その理由は、<証拠>を併せると次のとおりであることが認められる。すなわち、擁壁タイプの直立式護岸は、その構造を非常に強固なものにしないとかえつて擁壁そのものが弱点となることや、水叩きに荷重がかかることなどから、以前は河川技術者に余り好まれず、主として河岸の傾斜が急な場所に採用されるにとどまり、平地では法面式護岸が多く採用されていたが、土木技術の進歩により堅牢な鉄筋コンクリート擁壁の築造が容易になり、かつ、直立式護岸の方が法面式護岸より河積を大ならしめる利点があることなどから、次第に直立式護岸の採用されるケースが多くなり、建設省当局も昭和四〇年ごろから積極的に直立式護岸の採用を指導するようになつたものである。
堰の築造年代
昭和二九年以前
昭和三〇年代
昭和四〇年以降
該当する堰の総数
三九 (二〇)
三三 (二三)
二一 (一〇)
左右護岸の合計
七八 (四〇)
六六 (四六)
四二 (二〇)
うち直立式護岸
二八(※一六)
二九 (二三)
二六 (一四)
法面式護岸
五〇 (二四)
三七 (二三)
一六 (六)
法面式護岸の工種
石積・練石積
三一 (一二)
一八 (一〇)
七 (三)
コンクリート
四 (三)
四 (四)
一 (〇)
コンクリートブロック
八 (三)
八 (六)
七 (※三)
植石コンクリート
二 (二)
〇
〇
その他
五 (四)
七 (三)
一 (〇)
注一 括弧内は計画高水流量毎秒二〇〇〇立方メートル以上の大河川に存する堰に
係るものであって、内数である。
注二 直立式護岸は鉄筋コンクリート造であるが、※印を付したものの中には石積一を
含む。
注三 コンクリートブロック護岸で※印を付したものの中には隅切ブロック一を含む。
そして、<証拠>によると、昭和二〇年に完成した上河原堰の取付部護岸は、宿河原堰とほぼ同様の法面式植石コンクリート被覆の構造であつたが、昭和四一年六月の洪水により堰本体が大破するに至つたので改修工事が行われ、昭和四六年に工事が完成したこと、改修後の上河原堰の左岸下流取付部付近の護岸は、垂直の擁壁となつており、護岸法線は堰軸に直角で法足は流心方向に出ていないこと、右擁壁は厚さが上部で四〇センチメートル、基部で五〇ないし六〇センチメートルの強固な鉄筋コンクリート造になつており、この直立擁壁の基礎には4.5ないし8.0メートルの鋼矢板が打設されていること、宿河原堰は、本件災害後に全面的な改修工事が行われ、現在では堰左岸下流取付部付近の護岸は、垂直の擁壁となつており、護岸法線は堰軸に直角で法足は流心方向に出ていないこと、右擁壁は厚さが上部で八〇センチメートル、基部で二五〇センチメートルの強固な鉄筋コンクリート造りとなつており、この基礎には長さ三メートルの鋼矢板が打設されていること、さらに、擁壁の上下流の低水護岸は法枠コンクリート張り及びコンクリートブロック張りとされていて、護岸基礎には長さ三メートルの鋼矢板が打設され、その前面にはテトラポット三トンによる根固工が施工されていることが認められ、これらの事実によると、昭和四〇年代以降においては、植石コンクリート被覆の法面式護岸よりも擁壁タイプの鉄筋コンクリート造直立式護岸の方が、より堅牢で安全性の高い構造とされていることが明らかである。
次に、法面式護岸における被覆工について見ると、<証拠>に前認定にかかる堰の築造年代別の護岸分類表の記載を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。
(一) 急流部の護岸には、浸食防止のため石材又はコンクリートによる被覆を施すのが通常であるが、コンクリート工は、急流部その他相当の強度を必要とする場所で、しかも付近で適当な石材を得にくい場合に用いられるもので、コンクリート張工とコンクリートブロック工とに大別される。
(二) コンクリート張工は、法面に玉石又は砂利を一〇ないし一五センチメートルの厚さに敷きならして、その表面にコンクリートを一〇ないし一五センチメートルの厚さに打つて法覆いとし、適当な間隔(通常は1.5ないし2.0メートル)に縦横に目地を入れて伸縮に対する亀裂の発生を防止する。この工法は、石張工やコンクリートブロック張工の弱点とされる目地が少ないため、強度は他の工法に比べて大であるが、屈撓性に乏しく、地盤が軟弱な場合には沈下に対する追従性がないので不適である。また、コンクリート張工は、そのままでは表面が滑らか過ぎるために、法面に沿う河水の流速が大きくなつて法先が洗掘されやすい欠点があるので、表面の粗度を大きくして流速を低下させるために表面を格子形の桟や突起を持つ形状に仕上げる。
(三) コンクリート張工の表面の粗度を一層大きくするためには、玉石又は割石を表面に植え込んで凹凸を与えるが、玉石を植え込んだものを豆板工、割石を植え込んだものを植石工という。これによつて明らかなとおり、本件護岸で用いられている植石コンクリート工は、コンクリー卜張工の一種なのであり、しかも通常のコンクリート張工より強度において秀れたものとされていた。多摩川では、植石コンクリー卜工は護岸被覆として広く使用されており、多摩川における各工種別・完成年度別の護岸延長は別表第四の表―5掲記のとおりである。
(四) コンクリートブロックは、石材の代用品として開発されたもので、法面の勾配が急な場合にはこれを積み上げ(コンクリートブロック積工)、勾配が緩い場合にはこれを張り付けて(コンクリートブロック張工)、法覆いとするものであり、石積、石張工と施工方法は全然変わらない。法覆工の破損はほとんど目地で発生するので、目地の施工は入念に行う必要があり、従来はこれがコンクリートブロック工の弱点とされていた。しかし、特殊な形のブロックを鉄筋で連結し、縦横の両方向に十分な屈撓性を持たせる技術が開発されて以来、コンクリートブロック工はコンクリート張工(植石コンクリート張工を含む。)よりもむしろ安全有利な工種たる地位を占めるに至つた。すなわち、コンクリート張工は前述のように屈撓性に乏しいため、裏側からの浸透水圧に弱いという欠点があり、屈撓性を増すために伸縮目地を多くすれば、その本来の長所が失われ、目地の表側からの河水の浸透により法面の裏の土砂が流失して破壊の原因となるおそれが多くなる。そのようなおそれがあるときは、むしろ浸透防止性において劣るコンクリートブロック張りとして、目地からの河水の浸透により裏面の土砂の流失が起こつてもブロックが沈下して空洞の大きくなることを防ぎ、修理にも容易な形式とする方が得策である。ただ、この場合普通の形のコンクリートブロックを使用すると急流河川では破壊されやすいが、屈撓性に富んだ連結ブロックを使用すれば右の目的を達することができる。このような理由から、近年に至りコンクリート張工は次第にコンクリートブロック工に取つて代わられ、堰の取付部のように通常の急流部より格段の強度を必要とする箇所には用いられることが少なくなつたものであり、法面式護岸で採用されている工種の比率は、前示の堰の築造年代別の護岸分類表によつて認められるように、昭和三〇年代より前に築造された堰に係るものにあつては石積・練石積のもの六二パーセント(大河川の堰では五〇パーセント)、コンクリート張工及び植石コンクリート工合計一二パーセント(大河川の堰では20.5パーセント)、コンクリートブロック工一六パーセント(大河川の堰では12.5パーセント)であつたが、昭和三〇年代に築造された堰に係るものにあつては、石積・練石積のもの四九パーセント(大河川の堰では四三パーセント)、コンクリート張工一一パーセント(大河川の堰では一七パーセント)、コンクリートブロック工二二パーセント(大河川の堰では二六パーセント)、であり、昭和四〇年以降に築造された堰に係るものにあつては、石積・練石積のもの四四パーセント(大河川の堰では五〇パーセント)、コンクリート張工はわずか一例で六パーセント(大河川の堰では用いられていない。)、コンクリートブロック工四四パーセント(大河川の堰では五〇パーセント)となつているのである。
以上に認定したところを総合して判断すると、本件護岸が勾配1.5割ないし2割の法面式で厚さ一五センチメートルの植石コンクリートによる被覆がされていたことは、昭和二〇年代における河川管理の技術的水準に照らせば、護岸材料となる適当な石材の得られない河川における堰取付部護岸の設計としては極めて普通であつて、その当時要求されていた安全基準に反するところはなかつたものということができるが、その後における技術の進歩により、昭和四〇年代、遅くとも本件災害の発生当時においては、中小河川は別として、少なくとも計画高水流量毎秒二〇〇〇立方メートル以上の大河川における堰高二メートル以上の比較的高い堰の取付護岸については、その形状・構造を鉄筋コンクリート造りの擁壁タイプの直立式護岸とするか、又は法面式護岸とするとしても被覆工は石積・練石積もしくはコンクリートブロック工を採用すべきであり、コンクリート張り(植石コンクリート張りを含む。)とすることは避けるべきであるとする技術思想が河川技術者の常識となつており、これが一般的な技術的基準として確立していたものと判断するのが相当である。
そうすると、本件護岸の前叙のような形状・構造は、本件災害当時の技術的基準に適合せず、その安全度は右基準の要求する程度を下回るものであつたといわなければならない。
4 小堤について
被控訴人らは、「一般に河道中に構造物が存在することは、川の断面積を少なくし、かつ流水の円滑な流下を妨げて堤防に悪影響を与えるおそれがあるので、安全上好ましくない。河川法における許可工作物は、設置の必然性があり、かつ治水上著しい支障がないと認められる場合に限つて許可できるとされているのも、このことを示している。小堤は設置する必然性がないものであるから、これを設置したこと自体が危険であり問題とされるべきものであつた。」と主張する。
宿河原堰左岸側の高水敷並びに右高水敷の低水路護岸の上に設けられていた小堤の状況は先に前記第二・三・1ないし3において認定したとおりであり、また、宿河原堰をコンクリート堰に改築するに当たり、当初設計によれば堰の左岸取付部は嵌入部の先端から堤防法尻まで根入長四メートルの鉄矢板を一列施工することとされ、かつ、堰の上流一〇メートル以下五〇メートル間の左右両岸堤防には許可条件どおり計画高水位までコンクリートの護岸を施すこととされていたが、実施設計の変更により右鉄矢板工の施工及び左岸本堤防のコンクリート高水護岸の施工は行われず、当初設計にはなかつた小堤が築造されたことは前記第三・三・3・(四)において認定したとおりである。しかして、設計者の主観的意図を離れて客観的に観察した場合に、右小堤がどのような機能を備え、どのような効果を奏しているかについて検討すると、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。
高水敷は、河道の一部であるが、常時流水のある低水路と異なり洪水時においてのみ水の流れる部分であり、我が国の河川のように洪水時の流量が常時の流量に比べて著しく大きい河川にとつては、高水敷は河道の維持と堤防の安全に寄与するところが大である。高水敷の高さは低過ぎると高水敷の維持が困難となるので、年一、二回もしくは二、三回又は一、二年に一回程度の小中規模の洪水は低水路のみを流下させ、高水敷に乗せないようにすることが望ましいとされている。
宿河原堰左岸の高水敷の地盤高は、堰取付部付近で約A・P二一メートルで、堰天端高より一メートル高いだけであり、わずかの出水によつて高水敷上に流水が乗るおそれがある(流量毎秒一六〇〇立方メートルの洪水による堰の越流水深は二メートルである。)右高水敷上に設けられた小堤は、高水敷上からの高さ約1.4メートルで、その天端高は堰取付部でA・P22.4メートルであり、この小堤を設けることにより、流量毎秒二七〇〇立方メートル以下の洪水は高水敷内に流入させず、これを超える規模の洪水に対しては、小堤を越流し高水敷上を流下する洪水の継続時間を短縮して流水の掃流作用による高水敷の洗掘を防止するとともに、高水敷上の洪水の流速を小ならしめ(本件災害の際において、計画高水流量程度の洪水が小堤を越えて高水敷を流下したが、その流速は毎秒2.5メートルにすぎなかつた。)、そのため本堤防にコンクリート高水護岸を施工しないでも済むようになつている(護岸工は、流速毎秒三メートル以上の場合に施工するものとされている。)。なお、洪水が小堤を越流する場合に備えて、小堤の被覆工は本堤防側において1.2メートルも根入れが施してあり、一般に護岸の基礎の洗掘を防止するための根入れの深さは0.5ないし1メートル程度とされていることに照らし、1.2メートルの根入れは十分な深さといえる。そして、この小堤の設置によつて洪水の際に付近の水流を乱すというような事態は生ぜず、本件災害の際にも、この小堤があつたために特に被害が大きくなつたものとは考え難く、当初設計と比べても、右小堤の設置は安全性において遜色はなく、むしろ高水敷及び本堤防の保護の上で技術的に勝るものがある。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。もつとも、<証拠>によれば、堰の取付部に本堤とほぼ平行に小堤が設置されている方式は全国的に見ても類例のない特異なものであることが認められるけれども、特異な方式であることから直ちに危険性が高いと論断することが許されないのはいうまでもない。
右認定事実によれば、小堤は、高水敷及び本堤防を流水の浸食から保護する上で有効な施設であり、これを設置した場合には僅かながら河積が減少し、小堤天端高を越える水位の大洪水が発生した場合には小提断面積の分だけ洪水の流下を妨げることとなるにしても、河道の断面積から見れば河積減少の割合は文字どおり九牛の一毛と称すべきもので、河積減少によつて被る不利益は小堤の有用性と対比すれば無視し得る程度のものであるから、小堤の設置が許容されるべきでなかつたものとすることはできない。
被控訴人らは、小堤の高さが、宿河原堰地点における本件洪水の最高水位A・P23.1ないし23.2メートルよりもかなり低いものであつたばかりでなく、同地点における計画高水位A・P22.84メートルにも及ばないものであつたことを小堤の構造上の欠陥として指摘しているところ、小堤の高さが計画高水位より十分高かつたとすれば、本件洪水時に小堤に越流を生ぜず、高水敷の欠込みの急激な進行及び小堤自体の破壊という事態を回避することができたものと考えられることは第三・三・3・(一)において述べたとおりである。しかし、もともと高水敷は、河道の一部をなし、洪水時に河水を流下させることが予定されている場所であるから、小堤の高さを増して計画高水流量に近い流量の大洪水の際にも高水敷に洪水の流入を許さないようにすることは、高水敷の存在理由を失わせ、洪水の流下し得る河道断面積を著しく減少させ、計画高水位を上回る水位の上昇及び流速の増大を招き、上下流部及び対岸の護岸、堤防等に多大の悪影響を与えるおそれがある。特に、宿河原堰左岸の高水敷は、堰取付地点において幅四五メートルという広大なものであつたのであるから、小堤の高さを増して大洪水時にも高水敷に洪水の流入を許さないような構造とした場合には、これにより付近一帯に及ぼす治水上の悪影響は、はかり知れないものがあるのである。それゆえ、大規模な河川改修工事の一環として、付近一帯に対する影響をも考慮して樹立された綿密な計画の下に行われるような場合を除けば、高水敷の河側に計画高水位を上回るような高い堤を設けることが許容されるべきでないことは明らかであり、右に述べたところに照らせば、本件において小堤の天端高が計画高水位を下回つていたことは、やむを得ないところであつて、これを構造上の欠陥と評価することはできないものといわなければならない。
また、被控訴人らは、取付護岸としての小堤は、堰設置の許可条件及び構造令案等に反し計画高水位まで護岸がなされず、盛土の上を厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで三面張りしたもので、取付護岸として脆弱なものであつた旨主張するが、宿河原堰は低水路のみに設けられた堰であり、その左岸の堰体端部は、高水敷の地中に嵌入して高水敷に取り付けられており、高水敷の低水路護岸が堰の取付護岸となつているのである。小堤は高水敷の地上に設けられている施設であつて、堰の取付護岸ではなく、たまたま小堤の表法面の法尻が高水敷の低水路護岸の法面上端と連続しているにすぎないのである。小堤は堰体より一メートルも高い高水路に設けられているのであるから、小堤の護岸被覆としては、厚さ一五センチメートルの植石コンクリート張りで不十分であるとは認められないし、小堤の高さが計画高水位に達していないことが構造上の欠陥に当たらないことは前述のとおりであるから、小堤に計画高水位までの護岸がされていないことをもつて適切を欠くものとすることはできない。
5 堰本体の接続形式について
<証拠>によると、本件災害当時試行されていた構造令案は、その三一条三項において、堰の本体については床止めに関する同令案二四条の規定を準用するものとし、その二四条二項において、「床止めの本体の両端は、堤防、高水敷、河岸等に十分に嵌入するものとする。ただし、屈撓性を有するものについては、この限りでない。」と定めていることが認められ、宿河原堰の築造当時はもとより、本件災害当時の技術的水準の下においても、本堤防の外側に高水敷がある場合には、必ずしも堰を本堤防に直接取り付けることは要求されていなかつたことがうかがわれるのであるが、<証拠>には、構造令案二四条二項の解説として、「高水敷の幅が非常に大きい場合を除き、複断面河道の場合でも……両端は……堤防の中心までかん入させる必要がある。」旨の記述がある。
宿河原堰の場合には、左岸の非水衝部に安定した幅四五メートルの高水敷があり、堰の端部を右の高水敷に長さ一五メートル嵌入させた取付方式となつているので、この取付方式が果たして構造令案の要求する「高水敷に十分に嵌入する」との基準に適合しているか否かについて検討する。
<証拠>によつて認められる全国堰調査結果によると、調査対象となつた全国一一七の堰の左右両端の取付箇所二三四箇所中高水敷のあるのは六七箇所で、右六七箇所における高水敷幅に対する嵌入長の比は別表第四の表―8掲記のとおりであること、この表によれば、堰本体の端が高水敷をまたいで本堤に直接取り付けられているものが一一箇所、本堤に直接取り付けられていないものが五六箇所であり、後者の五六箇所のうち高水敷への嵌入率五〇パーセント未満のものは四七箇所にも達しており、特に、高水敷の幅が四〇メートル以上ある取付箇所三三箇所について見れば、堰本体の端が本堤に直接取り付けられているものはわずか三箇所にすぎず、その余の三〇箇所中堰本体の端が高水敷に全く嵌入していない嵌入率〇パーセントのものが七箇所、嵌入率〇パーセントを超え五〇パーセント未満のものが一九箇所、嵌入率五〇パーセント以上のものが五箇所となつていることが明らかで、以上の取付状況、嵌入程度には堰の設置年代による有意差は認められない。
以上の事実に<証拠>を併せ考えると、高水敷の巾が四五メートルもある場含には、堰を直接本堤に取り付ける必要はなく、宿河原堰における堰本体の取付状況、嵌入程度は、全国的に見て何ら特異なものではなく、むしろ標準的なものであつたものと認められるのである。
したがつて、宿河原堰における堰本体の本堤防との接続形式が本件災害当時の技術的水準の下における安全基準に適合していなかつたものということはできない。
6 高水敷保護工について
被控訴人らは、「洪水が高水敷を流下し、低水路に復帰することが予定されている場合には、下流側取付護岸の法肩付近に広範囲に高水敷保護工を必要とするのであつて、高水敷の洗掘、欠け込みは、高水敷を流下する洪水によつても、また下流側からの損壊を端緒としても発生するのであるから、これらの洗掘、欠け込みの拡大防止に大きく貢献する高水敷保護工は絶対に必要とされるものである。堰、とりわけ大河川の堰高の高い堰の取付部高水敷に保護工を配することは、本件災害のはるか以前から確立された技術水準となつていた。」と主張する。
そこで検討するのに、<証拠>によれば、本件災害当時試行されていた構造令案三四条二項は「堰の上下流には、必要に応じ高水敷保護工を設けるものとする。」と規定していることが認められるところ、<証拠>によると、高水敷の下流側が損壊したことが端緒となつて高水敷を流下する水流の作用により高水敷の欠込みが上流側に向かつて拡大・進行した被災例は本件災害が最初であり、本件災害が発生するまでは右のような水理現象が存在すること自体河川技術者に知られていなかつたのであつて、堰取付部の高水敷には下流側からの欠け込みの拡大防止のために高水敷保護工を施すことが必要であるとの技術思想は、本件災害当時まだ存在していなかつたことを認めるのに十分である。したがつて、前記構造令案三四条二項の規定は、もつぱら、高水敷を流下する洪水の掃流(流水の及ぼす引摺り力によつて砂礫が流れの底面を転がり又は滑りながら運搬される現象)により、高水敷の表面が上流から下流に向かつて洗掘されるおそれがある場合に、高水敷保護工を設けることにより洗掘を防止しようとする趣旨に出たものと認めるのを相当とし、本件災害当時における技術的水準の下においては、高水敷保護工は必要と認められる場合に設ければ足り、その必要性の有無は、掃流による洗掘のおそれの有無を基準として判断すべきものとされていたことが看取されるのである。
しかるところ、掃流による高水敷の洗掘のおそれの有無は、高水敷上の流水の流速及び水深のほか、洪水の継続時間によつて大きく左右されるのであるが、これを宿河原堰左岸の高水敷について見ると、本件洪水の際、九月一日午後四時ごろ(<証拠>によれば右時刻ごろの流量は毎秒四〇〇〇立方メートルを超えていたと推定される。)の高水敷上の流水の流速は毎秒2.5メートル程度にすぎず、洪水の水位が計画高水位A・P22.84メートルに達した場合でも高水敷(A・P約二一メートル)上の水深は約1.84メートルを超えることがなく、また、洪水の流量が毎秒二七〇〇立方メートル以上でないと小堤から高水敷上に越流せず、本件洪水に際しても宿河原堰地点において流量毎秒二七〇〇立方メートルを超える洪水が継続した時間は約八時間にすぎない(<証拠>参照)のであり、<証拠>によれば、下流からの欠込みがない限り、本件洪水の規模程度の洪水では、高水敷保護工がなくても高水敷が掃流により洗掘されるおそれはないことが認められるから、宿河原堰の取付部の上下流に高水敷保護工を設けることが本件災害当時の技術的水準の下において要求されていたものと解することはできない(なお、控訴人は、堰取付部付近の高水敷上に張芝がしてあることを理由として、高水敷は芝付工によつて保護されており、洗掘に対する十分な対策が講ぜられていた旨主張するけれども、右張芝は、狛江市が昭和四二年に児童遊園地を設置する目的で高水敷の占用許可を受け、整地等の整備を行い、盛土をしてこれに芝を張つたものであり、河川管理者又は堰の管理者が高水敷保護の目的で施工したものでないことは<証拠>により明白であるから、これを芝付工と称するのは相当でない。)。
被控訴人らは、構造令四四条の準用する同令三四条の規定の解説を引用して高水敷保護工の必要性を力説するのであるが、<証拠>によると、堰及び床止めに関しては構造令案と構造令との間で規定の仕方がかなり異なつていることが認められ、これは、構造令が本件災害によつて得られた新たな知見や教訓を織り込んで立案されたことを示すものにほかならないから、構造令の規定を根拠として本件災害当時の技術的水準を論ずることは失当である。ちなみに、構造令の規定も全面的に高水敷保護工の実施を要求しているものでないことは文理上明らかであるのみならず、<証拠>に徴すると、建設省関東地方建設局が全国の比較的大きい一級及び二級河川に設けられた固定堰で、堤防に接続した高水敷を有し、全国の人口集中地区に存するものを対象として昭和六一年一月現在で調査した結果によれば、右の条件に適合する堰の数は全国で四八あり、堤防に接続した高水敷は八一箇所であるが、これに対する高水敷保護工の実施率は四四パーセントであり、そのうち高水敷幅四〇メートル以上の高水敷三〇箇所に対する高水敷保護工の実施率は三七パーセントであること、水裏部の高水敷は三一箇所で、これに対する高水敷保護工の実施率は更に低下して二九パーセントとなつていること、堤防法先部に鋼矢板等で洗掘防止を実施している箇所は皆無であることが認められる。このことは、大河川の堰の取付部であるからといつて機械的に高水敷保護工の実施が要求されているわけではなく、周囲の状況に照らして必要と認められる場合においてのみ実施すれば足りるものであること並びに高水敷の幅が広いもの及び水裏部にあるものについては、一般的な傾向として高水敷保護工の実施の必要性が小さいことを示すものといえるのである。
以上に説示したとおりであるから、宿河原堰の左岸取付部付近の高水敷に保護工が施されていなかつたとしても、これをもつて本件災害当時の技術的水準を下回るものであつたということはできず、ひいては安全性に欠けるものがあつたとすることもできないものというべきである。
三被災箇所付近における河川管理の瑕疵の有無
1 宿河原堰の設置許可と多摩川の管理瑕疵の有無
前項において検討したところによれば、宿河原堰のコンクリート堰化工事に伴い設置された堰本体及びこれに付随する取付護岸その他の許可工作物は、それが設置された昭和二四年当時の技術水準の下においては、構造上の安全基準に適合していなかつたものということはできず、設置場所付近における堤防等の河川管理施設及び高水敷の存在と相まつて、多摩川の治水上の安全性を確保するに足りるものであつたと判断される。したがつて、河川管理者が右許可工作物の設置を許容したことについて河川管理の瑕疵はない。
2 改善措置の未着手と多摩川の管理瑕疵の有無
本件災害当時においては、宿河原堰の堰本体及び取付護岸の構造が、その設置後に生じた社会情勢の変化、技術水準の向上等の原因により、最新の安全基準に適合しない時代遅れのものとなつていたことは、前項二・2・(二)及び二・3において指摘したとおりである。すなわち、本件災害当時においては、宿河原堰の堰高は所要の取水量を得られる高さを不必要に超えるものであつたし、堰の可動部が堰本体長に占める比率は改善の余地が残されている上、堰固定部が計画高水流量の流下断面内に設置されており、これらの点において、堰本体の構造は、洪水の流下に必要な限度を超えて支障を与える状態となつており、また、堰取付部護岸は法面式植石コンクリート被覆工とされている点において、最新の技術水準から見れば、流水の乱れに対して十分安全な構造とは評価し得ない状態となつていたのであるが、河川管理者が本件災害が発生するまでの間右のような状態を放置して、許可工作物の管理者に対し改善を命ずることなく、また自己の管理する付近の本堤防、高水敷等の強化改善を図る措置を講じなかつたことが、宿河原堰付近一帯の多摩川の管理の瑕疵に該当するかどうかについて審案することとする。
許可工作物は、その新設の際には、その場所の治水施設の整備状況や技術的状況をふまえて治水上支障とならないような計画や設計の下に行われるものでなければ許可してならないことは当然であるが、設置当時には必要な技術的基準を満たしていた既存の許可工作物が、その後の年月の経過につれて技術の進歩や河川工学の発展等により最新の技術的基準に適合しなくなる場合が生ずることも当然予想されるところである。ところで、許可工作物が設置後における向上した技術水準の下における安全基準に適合しなくなつたとしても、そのことは、安全性の測定の尺度が変つた結果その物のもつ安全性が新基準に照らすと相対的に不十分となつたことを意味するにすぎず、その物のもつ安全性が周囲と無関係にそれ自体低下したことを意味するものではないのであるから、そのことが直ちに治水上の安全性の欠如に結び付くものではない。また、許可工作物の機能を保ちながら技術水準の向上に伴いその構造をその都度変更することについては、それ自体技術的に容易ではないなどの技術的制約がある上、その管理者に著しい費用負担の増加をもたらすなど社会的な難点がある。
以上に指摘した点を考慮に入れると、技術的後進性を放置すれば堤内地に災害の発生することが具体的かつ明白に予測される場合は格別、当該許可工作物を含む河川区間が全体として河川管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていると認められる場合には、最新の技術的基準に適合しないからといつて、直ちにこれに適合するよう改善措置を講ずべき必要はなく、後日改築を行うのに適切な機会をとらえて右許可工作物を当時の技術水準に適合させるように改築すれば足りるものというべきであり、第四・二・1において述べたように構造令附則二項及び構造令案が既存の河川管理施設等で同令の規定に適合しないものにつき当該規定の適用を除外することとしているのは、右の趣旨に出たものと解されるのである。
許可工作物の改善に関して河川管理者に与えられた権限としては、まず、河川法七五条の規定による監督処分がある。適法に許可を受けて設置された許可工作物について監督処分としての改善命令を発するためには同条二項一号ないし五号に掲げる要件を充足しなければならない。許可工作物の構造が設置後において新しい技術的基準に適合しなくなつた場合に考えられる改善命令の根拠法条は、同条二項五号であるが、前段において説示したところに照らせば、単に新しい技術的基準に適合しなくなつたというだけでは同号の定める「公益上やむを得ない必要があるとき」という要件には該当しないのであつて、許可工作物に存する技術的後進性を放置すれば堤内災害の発生することが具体的かつ明白に予測される場合か、少なくとも、右許可工作物を含む付近の河川全体が河川管理の一般的水準及び社会通念に照らして安全性を欠くものと判断し得る場合でなければ、同号の定める要件には該当しないものと解するのが相当である。また、河川管理者が許可工作物の改善を図るため採り得る他の方法としては、災害復旧工事の施行の際になされる工作物設置の河川法二六条の許可申請に対して、治水上必要であると判断される措置を同法九〇条一項に基づき許可条件として付するという方法があるが、同条二項において「前項の条件は、適正な河川の管理を確保するため必要な最小限度のものに限り、かつ、許可又は承認を受けた者に対し、不当な義務を課することとなるものであつてはならない。」と規定されていることから考えると、小規模な災害復旧工事において、被災箇所を原形復旧することにより当該許可工作物の有していた従前の安全性が確保されると判断される場合には、設置時より技術水準が向上していることのみを理由として原形復旧以上の施設の改善を行うような条件を付することは、殊更過重な許可条件を付することとなつて法律上許されず、小規模な災害復旧工事において右のような許可条件を付することが許されるのは、当時の河川管理の一般的水準及び社会通念に照らして当該許可工作物を含む河川区間が全体として安全性を欠いていたと判断される場合であることを必要とするものと解するのが相当である。
以上に説示したところからすると、改善措置の未着手について河川管理の瑕疵があるかどうかを判断するにあたつては、改善措置の対象が許可工作物であることは特段の意義を有せず、その対象が河川本体又は河川管理施設である場合と同様に、付近一帯の河川部分全体を対象として、いわゆる過渡的安全性の有無を考えれば足りるものというべきであるから、以下においては、宿河原堰付近の多摩川を許可工作物をも含めて一体的に観察し、これに対する河川管理者の管理瑕疵の有無について考察を進めることとする。
<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(一) 多摩川流域では、昭和年代において過去十数回にわたり洪水による被害が生じているが、そのほとんどは無堤部からの浸水による田畑の冠水、家屋の浸水のような一般災害並びに堤防、護岸等の河川管理施設及び橋梁、堰等の許可工作物にかかる施設災害にとどまつており、大規模な堤内災害としては、昭和二四年のキテイ台風の際に浸水戸数六九二三戸、田畑流失埋没五八町歩、建物半壊一〇戸の被害が発生したのが唯一の例であること、これは、多摩川が前記第二・一で認定したように丘陵、台地の間の狭い氾濫原を流下する比較的急流な河川であるため、水害の氾濫域は局部的であり、また、洪水の滞水時間も短いものであることによるものと考えられること、また、災害の原因も、無堤部からの氾濫や堤防護岸の洗掘など河川工学上よく知られた原因によるものであつて、堤内地へ及ぶ災害は治水施設の整備の進展に伴つて減少する傾向にあつたこと
(二) 多摩川流域における過去の降雨状況は前記第三・一・1において認定したとおりであつて、宿河原堰の改築が完成した昭和二四年八月以降においては、石原地点上流域における流域平均二日雨量が三〇〇ミリメートルを超える降雨があつたことはなく、本件洪水が発生するまでの二五年間に流域平均二日雨量が二〇〇ミリメートルを超え二五〇ミリメートルまでの降雨があつたのが六回、同じく二五〇ミリメートルを超え三〇〇ミリメートルまでの降雨があつたのが四回あるにとどまること、宿河原堰は、昭和三三年、同三四年、同三六年、同三七年、同四〇年及び同四一年の各出水によりたびたび河道内の施設に災害を被つているが、被災箇所の多くは水衝部である右岸側の堰取付部下流の水叩きや植石コンクリート護岸に生じており、非水衝部である左岸側では、昭和三三年の出水時に堰取付部の護岸の一部が、昭和四〇年の出水時に護岸及び小堤の先端部がそれぞれ破損したことがあるのみであり、右各被災は、いずれも小規模のものであつて堰の機能自体が損われるほどのものではなかつたため、その災害復旧は、災害復旧事業における原形復旧の原則(農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助の暫定措置に関する法律二条六項。なお、公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法二条二、三項参照。)に従い、原形復旧にとどめられたこと(左岸側における二回の被災及び右被災箇所の原形復旧の事実は当事者間に争いがない。)、宿河原堰は、以上のように出水によりたびたび堤外の施設が被災しているにかかわらず、その完成以来本件災害が生ずるまでの過去二五年の間、宿河原堰付近の多摩川においては、洪水による堤内災害が生じたことは一度もなかつたこと
(三) 宿河原堰の三キロメートル以上上流に位置する上河原堰は、昭和四一年の洪水により大破したため前記第四・二・3において認定したとおり改修されたのであるが、これより先昭和二二年九月のカスリーン台風に伴う降雨による出水の際、堰左岸取付部の堤防(宿河原堰とほぼ同様の法面式植石コンクリート被覆による護岸が施されていた。)が約一〇五メートルにわたつて決壊し、畑として利用されていた堤内地の地盤が堰の上流から下流にかけて堤防から最大で三〇メートルの範囲にわたりほぼ円弧状に洗掘されて流失したことがあつた(この災害については原形復旧による災害復旧工事がなされた。)が、上河原堰付近の多摩川の河道はほぼ直線状をなし、その断面は単断面であつて、堰の左岸取付部には高水敷がなく、堰の端部は直接本堤防に取り付けられており、堰取付部の護岸の破損は直ちに本堤防の決壊につながるおそれがあつたのに対し、宿河原堰付近においては、多摩川が緩く湾曲し、流心はおおむね右岸寄りにあつて川筋は安定しており、左岸は河道湾曲部の内側の非水衝部であつて、低水路と本堤防との間には幅四五メートルの広い高水敷があり、宿河原堰左岸取付部の低水路護岸が破損してもその影響が直ちに本堤防に及ぶものとは考えにくい地形であること、そのため、宿河原堰付近の多摩川左岸については、これまで河川管理担当機関はもちろん、東京都や狛江市当局、地域住民その他有識者等から堤内災害の発生の危険性が指摘された形跡は全然なく、水防計画上の要注意箇所、重要水防箇所の指定も行われていなかつたこと
以上の事実が認められるところ、他方において、<証拠>によると、多摩川流域は昭和三〇年代以降宅地開発、多摩ニュータウンの造成等により人口のめざましい増加(昭和三五年を一〇〇とすると昭和五〇年には一五六に達している。)があり、これに伴つて沿川の市街化も進み、建設省関東地方建設局管内の各水系における洪水防御対象区域(想定最大氾濫区域)の面積、同区域内の人口、同区域内の資産額及びそれらの密度をみると、氾濫区域の面積は、利根川が五一〇〇平方キロメートル、荒川が五〇八平方キロメートルであるのに対し多摩川は一六五平方キロメートルと極端に小さく、昭和五七年現在における氾濫区域内人口は、利根川の五三〇万四〇〇〇人、荒川の四二六万二〇〇〇人に対して多摩川は一三八万六〇〇〇人であり、氾濫区域内の資産額は、利根川の三二兆円弱、荒川の二一兆四〇〇〇億円余に対して多摩川は約一〇兆円であり、これらの点で多摩川は利根川、荒川に比べいずれも小さい規模となつているが、多摩川の氾濫区域内人口密度は一平方キロメートル当たり八四〇〇人で、ほぼ荒川と同程度で利根川の八倍以上であり、氾濫区域内資産密度は六〇六億円で、荒川の1.5倍弱、利根川の一〇倍弱であり、いずれも関東地方建設局管内の水系中の第一位であることが認められ、右の事実によれば、多摩川流域は、人口稠密で資産の集中の進んだ地域であつて、一たん堤内災害が発生した場合には、災害の規模に比し、人命、資産に対して影響するところが大であり、河川改修の必要性は他の河川に優先するものであつたということができる。
しかし、<証拠>によると、戦後最大流量に対応する河川の流下能力から見た治水施設の昭和五一年度末における整備率は、多摩川の都市区間で九二パーセントであつて、これは関東地方建設局管内の各河川の中では鬼怒川に次いで高率であり、また、昭和四九年四月現在における建設大臣直轄管理区間の河川の堤防完成率は全国平均が29.2パーセント、関東地方建設局管内平均が38.8パーセントであるのに対し、多摩川は51.7パーセントと格段に高く、多摩川の河川管理施設の整備状況は我が国の河川管理の一般水準を上回るものであつたことが認められ、また、右のように治水施設の整備の水準の高い多摩川ではあるが、<証拠>によれば、本件災害当時においても、本川六郷橋下流の高潮対策区間における一部の区間を除く高潮堤防・護岸の未施行、本川立川地区、八王子市小宮地区等の無堤部の存在、支川浅川の日野市豊田地区等の無堤部の存在、支川大栗川における多摩ニュータウン開発に即応した治水施設の未施行部分の存在等、多摩川水系全体から見ると基本的な治水施設の整備もいまだ十分ではなく、緊急に改修すべき箇所が多く残されており、これらの箇所について改修計画が立てられ、改修工事が施行されていたことが認められる。
したがつて、宿河原堰付近の多摩川が都市河川であり、堤内地に人家が密集しているとしても、同じ多摩川水系の都市河川部分に未改修部分が少なからず存在し、改修計画が立てられ、工事が行われていた以上、右改修計画を変更して宿河原堰付近の多摩川の改修を優先的に実施すべきであつたとするためには、河川改修工事の実施について他の箇所に勝る緊急の必要性があることを裏付ける特別の事情がなければならない。
以上に指摘した諸点に加えて、宿河原堰は灌漑用水の取水を目的として設置された許可工作物で、堰及びその付属施設の構造の変更は受益者である水利権者に対して改築費用や維持費用の負担増をもたらすとともに、堰高を切り下げるについては水利権の内容的変更を伴うことから、これらについて水利権者の同意を得ることは特段の事情がない限り困難であり、国の農業施策との調整も必要であることなどの社会的制約があることを総合考量すると、本件においては、河川管理者である建設大臣において、宿河原堰の管理者である川崎市に対し堰本体及び護岸等の改善命令を発し、又は自ら河川改修工事を行うなどの方法により、許可工作物を含む宿河原堰付近の多摩川について安全性を向上させる措置を当然に執るべきものであつたとすることはできず、そのまま放置した場合には堤内災害の発生することが具体的かつ明白に予測し得る情況が存在したなど特段の事情がある場合を除き、右改善措置の未着手に関し河川管理の瑕疵はなかつたものと解するのが相当である。
そこで、以下、本件災害前の宿河原堰付近の多摩川について、堰や取付護岸の改善その他の改修工事を実施しないで放置した場合には本件災害のような具体的な堤内災害が発生するであろうことが明白に予測し得るような情況が存在したかどうかについて、項を改めて検討する。
3 本件災害の予見可能性について
本件災害発生の具体的経過については既に第三・二において詳細に認定したとおりであり、本件災害は、宿河原堰左岸下流取付部護岸の損壊をきつかけとして、高水敷上に堰を迂回して堰の上流部から低水路に通ずる水路が形成され、右の迂回水路を流れる水流によつて堤防の地盤が浸食され、堤防自体が流失し、次いで堤内の地盤が浸食されたことによつて生じたものであるが、<証拠>によれば、このような経過によつて発生した災害はかつて我が国で経験されたことのない異常な災害であつたことが認められる。
被控訴人らは、本件災害発生当時の河川工学上の知見及び技術水準から本件災害の発生の予見は可能であつたと主張し、その論拠として①宿河原堰周辺の個々の許可工作物及び河川管理施設の被災が予見可能であつたこと、②本件災害の発生機序自体が予見可能であつたこと、③既往の被災事例から本件災害が予見可能であつたことの三点を挙げているので、以下右各論拠が首肯し得るものであるかどうかについて検討する。
(一) 個々の河川構築物の被災の予見可能性
被控訴人らの主張するところは、要するに、宿河原堰の本体、取付護岸、高水敷、小堤等には当時の技術水準に照らして欠陥ないし危険性があつたから、計画高水流量程度の洪水によつて被災する可能性があつたことは予見することができたというものである。右のような個々の施設の被災は、河道内の堤外災害であり、その発生の可能性を予見し得るとしても、それが堤内災害に進展する可能性があることについては別個に論証する必要があるのであつて、まして本件災害のような異常な経過によつて生じた災害についてその発生の予見可能性が当然に導き出されるいわれはない。
(二) 発生機序自体の予見可能性
被控訴人らは、「本件災害における堰左岸下流部の取付護岸の崩壊から迂回流による堤内地盤の洗掘という一連の河川管理施設等の破壊は、堰の構造及び取付方法等の欠陥によつて、洪水時の流水の極めて自然な作用により起こるべくして起こつたもので何ら特異な作用によるものではないから、本件災害の発生機序も本件災害当時の河川工学上の技術水準において十分予見可能な現象であつた。すなわち、堰下流取付護岸の崩壊が上下流方向、さらには本堤方向へ拡大していつたのは極めて当然な成行であり、特に、宿河原堰の左岸取付部の構造からすれば、堰越流水による直接的な破壊は下流側よりむしろ上流側へ及ぶことは全く当然な現象なのである。このことは昭和四〇年の左岸取付部の護岸及び小堤の被災例をみても明らかであつて、宿河原堰においては、洪水時に堰下流取付護岸が崩壊した場合に、それが上流側に拡大することはむしろ法則性を持つているとさえいえる。堰下流部の崩壊が上流側や本堤側に拡大していく段階で、小堤を越流した河水と高水敷上流端から流入してくる河水とが高水敷上を流下し、これが堰嵌入部周辺の小堤及び高水敷の破壊を促進したが、宿河原堰では、計画高水流量の洪水が流下する際、高水敷の水深は一メートル以上となるので、かかる場合に下流側からの欠込みという条件が重なれば、かなりの速度で堰上下流の取付部が浸食されたり洗掘されたりすることも極めて自然な成行である。そして、堰下流側の取付護岸が崩壊し、これが堰嵌入部周辺に及んでさらに上流側取付部の護岸が崩壊すれば、堰によつて流下を妨げられている本川流水が側方へ流れ、迂回流を形成することも理の当然である。本件の迂回流発生に至るまでの経過は、いずれも流水の破壊力によつてもたらされた自然の出来事の連鎖なのであつて、そこには通常人の理解を超えるような現象は存在していない。多摩川のような大河川でコンクリート堰の周辺に一度迂回流が発生すれば、その破壊力の大なることは想像に難くない。計画流量程度の洪水では洪水継続時間も長くなり、迂回流の浸食力は時間的にも相当程度維持されるから、本件災害について事前にその発生を予測することは不可能でなかつた。」と主張する。
被控訴人らの右主張は、昭和四〇年の被災経験に基づく予見可能性を挙げるほかは、多摩川災害調査技術委員会の調査によつて明らかにされた本件災害発生の具体的経過を因果関係的に論述し、本件災害発生の機序は、水理作用、物理現象として自然法則に従つた当然の事象が連鎖的に生起しているにすぎないから、災害の発生について予見可能性があつたと結論づけているものである。本件災害が発生した後にその経過を辿れば、それが超自然現象でなく、自然法則に従つて生起した事象である以上、その発生の機序が水理作用、物理現象として河川工学上矛盾なく説明し得ることはむしろ当然であるが、河川工学は経験の学問といわれるとおり、経験によつて確認されたものでない因果律は、単なる仮説にとどまり、河川工学上の知見とはなり得ないのである。したがつて、事象の発生後にその発生の機序を自然法則に従つて矛盾なく説明し得るとしても、その自然法則が以前から河川工学上の知見として確立していたことが証明されない限り、右の事象の生起が事前に予測可能であつたとすることはできない。また、一定の条件が与えられた場合に多数の因果関係の連鎖によつて生起する事象については、個々の自然法則による中間事象の生起の確率を順次掛け合わせたものが最終事象の確率となるため、因果関係の連鎮が長ければ長いほど最終事象の生起する確率は小さくなり、最終事象が所与の条件から通常生ずる結果というに値せず、法律的にはその生起についての予見可能性が否定されることも少なくないのである。
以上の次第であるから、被控訴人らの右主張は、昭和四〇年の被災経験をいう点を除き、予見可能性を基礎づける具体的事実の指摘を欠くものであつて、右主張によつては本件災害の発生について予見可能性があつたものと認めることはできない。
(三) 既往災害からみた本件災害の予見可能性
(1) 上河原堰における昭和二二年の被災例
上河原堰が昭和二二年九月のカスリーン台風に伴う降雨による出水の際、堰左岸取付部の堤防が約一〇五メートルにわたつて決壊し、堤内地の地盤が堰の上流から下流にかけて堤防から最大で三〇メートルの範囲にわたりほぼ円弧状に洗掘されて流失した被災歴を有することは既に述べたとおりである。しかし、右の災害の際に堰左岸取付部堤防の決潰がまず堰の下流側から始まつて順次上流側に及んだものであることを認めるに足りる証拠はなく、かえつて<証拠>によれば、右の災害の際には堰の上流側の護岸又は堤防が洗掘破壊され、次第に下流側に向かつて破堤が進行した結果、堤内地に堰を迂回する水流が生じたものと推測され、本件災害の場合とは災害の発生機序を異にしていることが認められるし、前記第四・三・2・(三)で認定したとおり、上河原堰と宿河原堰とは河道の条件を異にし、宿河原堰は、その左岸取付部の低水路護岸が破壊してもその影響が直ちに本堤防に及ぶものとは考えにくい地形であつたのであるから、上河原堰における昭和二二年九月の被災経験によつて、本件災害の発生を予見し得たものとは到底いうことができない。
(2) 宿河原堰における昭和三三年、昭和四〇年の被災例
前記第四・三・2・(二)において述べたとおり、宿河原堰左岸下流取付部付近では、昭和三三年の出水時に護岸の一部が破損した外、昭和四〇年の出水時にも護岸及び小堤の一部が破損したこと、これらの被災に対して河川管理者は堰の管理者をして原形復旧工事を行わしめたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、昭和三三年九月の出水(洪水の最大流量毎秒三〇〇〇立方メートル)時における宿河原堰の被災は、左岸堰下流取付護岸の植石コンクリートが陥没、破損し、被覆土が流失したものであり、これに対して原形復旧工事が施行されたこと(復旧延長六メートル)、昭和四〇年の出水(洪水の最大流量毎秒一四〇〇立方メートル)時における被災は左岸堰下流部の取付護岸及び小堤が破損したもので、小堤の破壊口先端部分の中詰土が流出し空洞が生じていること、昭和四〇年の被災状況は前記第三・二・2で判示した本件災害の初期の状況とほぼ同様のものであつたこと、被災後堰左岸取付部では堰の上流側から数えて第二段目から下流三五メートルにわたつて護岸及び小堤先端部分(天端部の長さでいうと約一三メートル)がほとんど元と同様の形状・構造に原形復旧工事が行われたことが認められる。
右各被災は、いずれも計画高水流量をはるかに下回る洪水によつて宿河原堰左岸下流取付護岸又は小堤の一部が破壊されたものであり、昭和四〇年の被災は本件災害の初期の状況とほぼ同じ状況を示しているのであるから、本件災害の予見可能性を考える上で重要な事実といわなければならない。
しかしながら、<証拠>に徴すると、本件災害当時の河川工学上の知見によれば、高水敷の低水路護岸の破損が生じた場合には付近の流水が渦を巻いて法面を浸食し、高水敷の欠込みが生ずることは知られていたが、右欠込みは流水の水当たりにより下流側に向かつて拡大進行するものと考えられており、護岸の破壊箇所付近を渦巻く流水によつて側方及び上流方向にある程度高水敷の欠込みが拡大することは想定し得ても、高水敷上の流水が浸食箇所に流入した場合に欠込みが上流方向に急速に進行するとの知見は存在しなかつたこと、また、本件災害の際に小堤の破壊が堰嵌入部の上流側まで及んだのは、露出した小堤の中詰土が流失し、次に中空になつた被覆工が水圧等に耐えられずに倒壊するという過程が繰り返され、小堤の天端上を縦に越流して下流側に向かう水流が小堤の破壊口上を流下する際に中詰土を洗い流し、小堤の崩壊の進行を加速させたためであるが、以上のような水理現象は本件災害の際に始めて観察されたものであり、従来の知見では、堤防の中詰土が水衝によつて洗掘されることはあつても、水衝を受けない部分が洗い流されることは知られていなかつたこと、昭和四〇年の被災例では護岸の損壊が最初に生じた箇所が不明であるため、護岸法面の崩壊が上流側に進行した程度を知ることは不可能であるが、法面の崩壊は堰嵌入部に近付けば自然に止むため、小堤の破壊は堰嵌入部を越えて上流部に及ぶことはないと考えるのがむしろ自然であつたこと、したがつて、昭和三三年の被災経験や昭和四〇年の被災経験から、計画高水流量とほぼ同程度の流量の洪水があつた場合に高水敷の欠込みや小堤及び護岸の崩壊が下流側から上流側に向かつて拡大進行し、小堤の破壊は堰嵌入部を越えてその上流部まで及び、遂には高水敷に迂回水路が形成されるに至ることを予測することは、河川技術者にとつては不可能又は極めて困難であつたことが認められる。
もつとも、<証拠>中には、高水敷に迂回流が生ずる程度のことは、河川工学的見地から言えば予測し得てもよかつたのではないかと思う旨の供述部分があるが、右供述部分は、その前後の供述部分と照合して仔細に検討すれば、小堤の天端高が計画高水位より低いことは注意すればわかるはずであるから、計画高水流量程度の流量の洪水があつたときは、上流側の小堤を越えて高水敷を水が流れることは予測し得るところであるとの趣旨であり、同証言にいう迂回流とは、高水敷を深く浸食して形成された迂回水路又は右水路を流れる水流を指しているものでないことが明らかであり、同証言の他の供述部分によると、本件災害のような堤内災害を引き起こすような大規模な迂回流の発生を予見することは不可能であつたというのであるから、同証言によつても、昭和三三年及び昭和四〇年の被災経験から、計画高水流量程度の流量の洪水が発生した場合には本件災害のような堤内災害が発生するであろうことが予見し得たものと認めることはできず、他に右災害の発生を明らかに予見し得たものと認めるに足りる証拠はない。
(3) 金丸堰における被災例
<証拠>を総合すると次の各事実が認められる。
金丸堰は宮崎県児湯郡新富町地内の二級河川一ツ瀬川に設置された取水堰であり、昭和四六年、四七年の被災前の金丸堰(以下特に断らない限り「金丸堰」は右当時のものを指す。)は昭和二二年三月に改築されたコンクリート重力固定堰である。堰付近の一ツ瀬川の川幅は約三〇〇メートル、河道はやや右岸方向に凸な状態で、右岸側には河床から約五メートルの高さで幅約八〇メートルの高水敷があり、堰は右岸の護岸中に約六メートル嵌入して取り付けられていた。高水敷の低水路側には金丸堰との関係で野面石積ないしコンクリート張りの護岸が施工されていた。高水敷は堤外民有地で、後記台風一九号による災害当時は夏場で、畑として耕作されていた。
昭和四六年八月五日、台風一九号の影響による出水により、金丸堰右岸取付部付近の高水敷が浸食され、幅約五〇メートル、長さ約一五〇メートル、深さ一ないし三メートルの土砂が流失した。右台風による金丸堰付近の最大洪水流量は計画高水流量毎秒二七〇〇立方メートルを上回る毎秒三一〇〇立方メートル、最高水位は堰堤上で水深約三メートル、右岸高水敷上で約1.3メートルであつた。この出水の際、堰右岸取付部付近(上流側か下流側かは不明である。)の高水敷の浸食を端緒として、高水敷の表層が洪水の掃流力によつて洗掘された結果、右岸取付護岸及び護床工の一部が破壊され、さらには洪水が右損壊部分から高水敷を直接浸食する状況となつて、堰を迂回する幅約五〇メートル、長さ約一五〇メートル、深さ約一ないし三メートルの迂回水路が形成されたが堤内災害の発生を見るには至らなかつた(以下右災害を「一九号災害」という。)。
次いで同年八月二九日、台風二三号の影響により午前中から増水が始まり、先の一九号災害によつて洗掘された高水敷下流端部がさらに洗掘を受けたが、同日午後に入つて一ツ瀬川は急速に増水し、最大洪水流量は毎秒四〇六〇立方メートルに達した。このため高水敷上を流下する洪水も急激に増加したが、既に一九号災害により高水敷が一部洗掘を受けていたため、堰上流部取付護岸を越流した河水が右洗掘を受けていた部分に落下し、これにより上流から下流に向かつてさらに洗掘が進み、堰の右岸取付護岸裏側の土砂は大量に流失し、護岸は安定を失つて転倒し、さらに続いて堰右端部が底を洗われて流失し、堰端部の流失により高水敷に大幅な欠込みが生じ、幅約八〇メートル、長さ約三〇〇メートル、深さ約五ないし一〇メートルに達する深い迂回水路が形成された(以下右災害を「二三号災害」という。)。右迂回水路の形成には上流からの流水の掃流力のほか、高水敷を低水路側から横に浸食する力が作用した。また、迂回流は一部高水敷の右側に存する堤防に達し、その基部が一部浸食された。二三号災害における最高水位は堰堤上で約四メートル、右岸高水敷上の水深は約二メートルであつた。
昭和四七年七月の豪雨により、金丸堰は再び災害を被つた。この災害は、一九号災害及び二三号災害によつて被災した一ツ瀬川の金丸堰付近の災害復旧中に再度洪水に襲われ、仮締切りが外力に耐え切れず破壊され、二三号災害同様に高水敷が浸食されたものである。
被控訴人らは、「一九号災害は、堰取付部周辺の高水敷上を右の程度の洪水が流下した場合、①洪水が本川に復帰する際に同所の高水敷の表面を洗掘し(高水敷に被覆工が施されていない場合、その危険が大きい。)、②これに接続する高水敷の護岸を崩壊させ(植石コンクリートよりも強度の高い護岸でもかかる被災を受ける。)、③さらにこれが発展して、遂には堰取付部を迂回する水路を形成するに至る、との河川工学上の知見をこの当時において提供したものである。そして、この知見が、小堤の存在を除くその他の点で金丸堰周辺の状況と酷似する本件堰左岸部において、計画高水流量規模程度の洪水が流下した場合(その場合、本件高水敷上の洪水の水深は右金丸堰の被災例と同じく1.3メートルに達し、小堤からの越流も計画高水流量毎秒四一七〇立方メートルの六五パーセント弱の毎秒二七〇〇立方メートルに達した段階で開始され、高水敷上の洪水の流速も本川の流速とほとんど変わらない。)、高水敷の洗掘と低水路護岸の崩壊によつて、堰を迂回する流路が高水敷上に形成され得るとの予見を可能ならしめる資料となるものであることは疑問の余地がない。次に、二三号災害においては、高水敷に洪水が乗らなくてもその欠込みは進行したものである。右のような高水敷の欠込み状況、即ち、残存高水敷上を河水は流下しなかつたのに残存高水敷の法面の洗掘、浸食によつて高水敷の堤内方向への欠込みが順次拡大していつた状況は、本件宿河原堰での迂回流による高水敷、本堤及び堤内地の欠込みと同様の流水の作用によるものである。二三号災害は、高水敷を流失させる力は、高水敷上を流下する流れよりも高水敷に横から衝突するような流れが主になつていること、護岸のない砂礫堆(高水敷や堤防の地盤は砂礫堆であることが多い。)が法面の洗掘を受ければその欠込みが極めて短時間のうちに進行することを如実に示している。そして、河道の湾曲部などで護岸が損壊すれば直進しようとする流水の作用によつて、堰の設置地点で護岸が損壊すれば直進を妨げられる流水の作用によつて、地盤が洗掘・浸食され、その地盤上を洪水が流下しなくても地盤の欠込みが進行することは自然の理というべきであるから、二三号災害は堰の護岸が損壊すると迂回流が発生し、高水敷あるいは堤防ないし堤内地への洗掘、浸食が発生しうるとの知見が存したことを示したもので、これによれば、本件災害の予見は可能であつた。」旨主張する。
しかし、金丸堰の右岸高水敷は、軟らかい砂土の堤外民有地で夏場は畑として利用されているため、高水敷を流下する流水の洗掘作用に比較的弱いのに対し、宿河原堰左岸の高水敷は砂礫混りの土の上を張り芝したもので、<証拠>に示されているとおり、本件洪水程度の出水では下流側からの欠込みがない限り高水敷を流下する流水によつて高水敷が洗掘されることはなかつたのであるから、宿河原堰と金丸堰とでは右の点で大きな違いがある。また、一九号災害は高水敷を流下する流水の掃流力によつて高水敷が浅く流失した災害であり、堰取付護岸の破壊が小堤に及び、小堤の破壊が堰取付部の上流へ及んだ本件災害と迂回水路の形成の機序が全く異なるのである。
<証拠>によれば、宿河原堰地点における昭和四六年当時の計画高水流量が高水敷上を流下する継続時間は約一〇時間で、総流下量は約二四〇万立方メートルにすぎないのに対し、一九号災害での高水敷上を流下した洪水の継続時間は五二時間で、総流下量は約一四六〇万立方メートル、二三号災害での高水敷上を流下した洪水の継続時間は約二二時間で、総流下量は約二〇九〇万立方メートルとなつており、金丸堰は一九号災害、二三号災害を合わせて七四時間にわたつて高水敷が合計約三五五〇万立方メートルの洪水の掃流洗掘を受けた結果、二三号災害におけるような広大な迂回流路が形成されたものであることが認められる。
ところで、<証拠>によれば、一ツ瀬川流域の年降水量は上流山間部が二八〇〇ミリメートルから三四〇〇ミリメートル、下流平野部は二二〇〇ミリメートルから二六〇〇ミリメートルであり、この流域は多雨地域に属していること、一九号災害においては流域平均雨量は八八〇ミリメートルであつたこと、これに対し多摩川流域の年降水量は一四〇〇ミリメートルから一五〇〇ミリメートル程度であり、多摩川流域における過去の洪水の際の降雨状況は、一連の降雨の九〇パーセント以上の降雨が二日間以内に集中しており、大正一二年以降昭和四六年までの宿河原堰から上流域の年最大流域平均二日雨量の最大は昭和二二年の三七六ミリメートル、三〇〇ミリメートルを超えたのは三回しかなかつたことが認められる。右認定の事実によれば、多摩川流域において金丸堰一九号災害の時のような多量の降雨と出水があるとは容易には考えられないのである。また、被控訴人は、二三号災害は堰の護岸が損壊すると迂回流が発生し、高水敷ないし堤内地への洗掘、浸食が発生しうるとの知見が存したことを示していると主張する。しかし、迂回流が発生するかどうかは降雨量や洪水の継続時間によつて左右されるのであるから、金丸堰の被災例から直ちに宿河原堰においても堰の護岸が損壊すると迂回流が発生する可能性があるということにはならないのである。
以上に検討したところによれば、金丸堰における災害の経験から、宿河原堰について本件災害の発生を予見することが可能であつたということはできない。
4 結論
上来認定説示したところによれば、本件災害の発生を事前に明らかに予見することが可能であつたと認めることはできないし、なお被控訴人らは、本件災害以外の堤内災害の発生も予見可能であつた旨主張するが、どのような態様の堤内災害の発生をどのような根拠から予見することが可能であつたのか何ら主張立証するところがない。
そうすると、宿河原堰付近の多摩川について、堰や取付護岸の改善その他の改修工事を実施しない場合に本件災害のような具体的な堤内災害が発生するであろうことが明白に予測し得るような特別の事情があつたものとは認められないので、被災箇所付近の多摩川の管理は、同種・同規模の河川の管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていたものと判断すべきであり、前示のような改善措置の未着手に関し河川管理の瑕疵があつたものとすることはできない。
第五本案の結論
以上の次第であるから、本件災害の被災箇所付近の多摩川に河川管理の瑕疵があつたことを前提として国家賠償法二条一項の規定に基づき、控訴人に対し本件災害によつて被つた損害の賠償を求める被控訴人らの本訴請求は、当審における請求拡張部分を含めて、すべて失当として排斥を免れないものである。
してみると、原判決中被控訴人らの請求を認容した部分は不当であつて、本件控訴は理由があるから、原判決中控訴人敗訴の部分を取り消した上右取消部分につき被控訴人らの請求を棄却し、被控訴人らの附帯控訴(当審における拡張請求を含む。)は理由がないから、これを棄却することとする。
第六民事訴訟法一九八条二項の申立てについて
各被控訴人が、控訴人に対する原審の仮執行宣言付判決正本に基づく強制執行を東京地方裁判所執行官に委任し、同執行官において、昭和五四年一月二六日、東京都千代田区丸の内二丁目所在東京中央郵便局において控訴人所有の現金合計三億六八九六万二九七三円(その各被控訴人別、元利費用別の内訳は別表第二「返還金額一覧表」記載のとおりである。)を差し押さえ、即日その取立てを了したことは、被控訴人らにおいてこれを明らかに争わないところである。被控訴人らに対する金員の支払いを控訴人に命じた原判決は本判決によつて取り消された結果、右仮執行宣言はその効力を失うに至つたので、各被控訴人は控訴人に対し、別表第二「返還金額一覧表」の各被控訴人名下の合計金額欄記載の各金員及びこれに対する仮執行の日の翌日である昭和五四年一月二七日から支払済みまで年五分の遅延損害金を支払うべき義務がある。控訴人の民事訴訟法一九八条二項の申立ては理由があるから、これを認容すべきである。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官近藤浩武 裁判官林醇 裁判官渡邉等は職務代行を解かれたので署名押印することができない。裁判長裁判官近藤浩武)
別表第一
請求金額一覧表
(単位円)
番号
附帯控訴人
氏名
請求合計金額
弁護士費用を除く請求金額
原審における
弁護士費用の額
控訴審における
弁護士費用の額
1
武田孝
九二七万〇〇〇〇
八〇〇万〇〇〇〇
四三万〇〇〇〇
八四万〇〇〇〇
2
石原博夫
二〇一八万四九六三
一七三六万四九六三
九九万〇〇〇〇
一八三万〇〇〇〇
3
伊藤芳男
二〇〇七万〇八〇六
一七二一万〇八〇六
一〇四万〇〇〇〇
一八二万〇〇〇〇
4
井上義彦
三五七一万二九三四
三〇四〇万二九三四
二〇七万〇〇〇〇
三二四万〇〇〇〇
5
岩井健三
四四八万三〇五〇
三八〇万三〇五〇
二八万〇〇〇〇
四〇万〇〇〇〇
6
尾崎信夫
二三一九万五八七二
一九八五万五八七二
一二四万〇〇〇〇
二一〇万〇〇〇〇
7
柏木克己
三五七三万〇〇〇〇
三〇四五万〇〇〇〇
二〇四万〇〇〇〇
三二四万〇〇〇〇
8
木村昭久
二三八三万三三〇二
二〇三一万三三〇二
一三六万〇〇〇〇
二一六万〇〇〇〇
9
鈴木正男
二七二三万五五八五
二三二〇万五五八五
一五六万〇〇〇〇
二四七万〇〇〇〇
10
宅間三千夫
二三九一万六八一五
二〇三八万六八一五
一三六万〇〇〇〇
二一七万〇〇〇〇
11
武田光子
九二四万二〇〇〇
七七八万二〇〇〇
六二万〇〇〇〇
八四万〇〇〇〇
12
辰巳栄憲
二一〇六万三〇一二
一七八八万三〇一二
一二七万〇〇〇〇
一九一万〇〇〇〇
13
那須義高
一四三七万三六四九
一二二四万三六四九
八三万〇〇〇〇
一三〇万〇〇〇〇
14
横山十四男
二六三三万五一五六
二二四八万五一五六
一四七万〇〇〇〇
二三八万〇〇〇〇
15
吉沢四郎
一一八三万〇〇〇〇
一〇二四万〇〇〇〇
五二万〇〇〇〇
一〇七万〇〇〇〇
16
吉沢照代
七七三万五三六五
六五一万五三六五
五二万〇〇〇〇
七〇万〇〇〇〇
17
渡辺規男
八一四万三二六二
六九九万三二六二
四一万〇〇〇〇
七四万〇〇〇〇
18
菅谷政一
五九六万九五三八
五〇九万九五三八
三三万〇〇〇〇
五四万〇〇〇〇
19
田村明
六七八万七二三六
五八二万七二三六
三五万〇〇〇〇
六一万〇〇〇〇
20
内藤正信
九三八万〇三〇五
七九六万〇三〇五
五七万〇〇〇〇
八五万〇〇〇〇
21
内藤美代子
一二八万三六〇〇
一〇八万三六〇〇
九万〇〇〇〇
一一万〇〇〇〇
22
星野正樹
五二四万二〇〇〇
四四九万二〇〇〇
二八万〇〇〇〇
四七万〇〇〇〇
23
小川元嗣
二五〇万〇〇〇〇
二二〇万〇〇〇〇
八万〇〇〇〇
二二万〇〇〇〇
24
加藤力
一六一万三二〇〇
一三九万三二〇〇
八万〇〇〇〇
一四万〇〇〇〇
25
黒田豊
二二二万〇〇〇〇
一九一万〇〇〇〇
一一万〇〇〇〇
二〇万〇〇〇〇
26
小西信一
六二一万〇〇〇〇
五四〇万〇〇〇〇
二五万〇〇〇〇
五六万〇〇〇〇
27
佐渡島平四郎
八五四万〇〇〇〇
七四〇万〇〇〇〇
三七万〇〇〇〇
七七万〇〇〇〇
28
竹内久夫
二六八万七九二〇
二三一万七九二〇
一三万〇〇〇〇
二四万〇〇〇〇
29
中納博臣
二三三万〇〇〇〇
二〇〇万〇〇〇〇
一二万〇〇〇〇
二一万〇〇〇〇
30
水野善之
二八一万八四六〇
二四三万八四六〇
一三万〇〇〇〇
二五万〇〇〇〇
31
柿沼和子
五六九万〇〇三〇
四八二万〇〇三〇
三六万〇〇〇〇
五一万〇〇〇〇
32
加藤ハル
一一〇八万四〇〇〇
九三六万四〇〇〇
七二万〇〇〇〇
一〇〇万〇〇〇〇
33
百々洋子
一一〇八万四〇〇〇
九三六万四〇〇〇
七二万〇〇〇〇
一〇〇万〇〇〇〇
別表第二
返還金額一覧表
(単位円)
番号
被控訴人
氏名
元金
利息
執行費用
合計額
1
武田孝
五七八万〇〇〇〇
一一七万四八〇一
七〇〇三
六九六万一八〇四
2
石原博夫
一三三五万四九六三
二七一万五二一〇
七〇〇三
一六〇七万七一七六
3
伊藤芳男
一四〇〇万〇八〇六
二八四万六〇五〇
七〇〇三
一六八五万三八五九
4
井上義彦
二七九七万二九三四
五六八万八〇〇〇
七〇〇三
三三六六万七九三七
5
岩井健三
三八三万三〇五〇
七八万〇二一〇
七〇〇三
四六二万〇二六三
6
尾崎信夫
一六七五万二八七二
三四〇万六四五六
七〇〇三
二〇一六万六三三一
7
柏木克己
二七五四万〇〇〇〇
五五九万九五二〇
七〇〇三
三三一四万六五二三
8
木村昭久
一八三〇万九三〇二
三七二万一八八〇
七〇〇三
二二〇三万八一八五
9
鈴木正男
二一一一万五五八五
四二九万四一九二
七〇〇三
二五四一万六七八〇
10
宅間三千夫
一八三七万一八一五
三七三万五六〇八
七〇〇三
二二一一万四四二六
11
武田光子
八四〇万二〇〇〇
一七〇万八八四一
七〇〇三
一〇一一万七八四四
12
辰巳栄憲
一七一三万八〇一二
三四八万四四四一
七〇〇三
二〇六二万九四五六
13
那須義高
一一二一万三六四九
二二八万〇一三五
七〇〇三
一三五〇万〇七八七
14
横山十四男
一九八九万七六五六
四〇四万六五一一
七〇〇三
二三九五万一一七〇
15
吉沢四郎
七〇八万八〇〇〇
一四四万二二六〇
七〇〇三
八五三万七二六三
16
吉沢照代
七〇三万五三六五
一四三万〇七〇二
七〇〇三
八四七万三〇七〇
17
渡辺規男
五四八万三二六二
一一一万四〇三二
七〇〇三
六六〇万四二九七
18
菅谷政一
四四六万六一三八
九〇万八二五〇
七〇〇三
五三八万一三九一
19
田村明
四七〇万三〇〇一
九五万五八七一
七〇〇三
五六六万五八七五
20
内藤正信
七六八万〇三〇五
一五六万一三四五
七〇〇三
九二四万八六五三
21
内藤美代子
一一七万三六〇〇
二三万七九四六
七〇〇三
一四一万八五四九
22
星野正樹
三七四万四四〇〇
七六万〇七四四
七〇〇三
四五一万二一四七
23
小川元嗣
一一二万〇〇〇〇
二二万八三七二
七〇〇三
一三五万五三七五
24
加藤力
一〇三万三八八〇
二〇万九四六一
七〇〇三
一二五万〇三四四
25
黒田豊
一四四万二五〇〇
二九万二六〇二
七〇〇二
一七四万二一〇四
26
小西信一
三三五万〇〇〇〇
六八万〇七二六
七〇〇二
四〇三万七七二八
27
佐渡島平四郎
四九七万〇〇〇〇
一〇一万〇一〇九
七〇〇二
五九八万七一一一
28
竹内久夫
一七〇万〇二三二
三四万四八〇五
七〇〇二
二〇五万二〇三九
29
中納博臣
一五七万〇〇〇〇
三一万八四〇四
七〇〇二
一八九万五四〇六
30
水野善之
一七八万六九二二
三六万三八四一
七〇〇二
二一五万七七六五
31
柿沼和子
四八三万〇〇三〇
九八万一五六九
七〇〇二
五八一万八六〇一
32
加藤ハル
九七八万四〇〇〇
一九九万〇三五五
七〇〇二
一一七八万一三五七
33
百々洋子
九七八万四〇〇〇
一九九万〇三五五
七〇〇二
一一七八万一三五七
計
三億〇六四二万八二七九
六二三〇万三六〇四
二三万一〇九〇
三億六八九六万二九七三
別表第三
堰の現地調査報告一覧表
調査者 被控訴人
調査日 昭和56年
名称
設置年月日
堤内地の
状況
堤防
取付護岸
高水敷
堰越流水についての緩衝対策他
1
花園
頭首工
(石狩川)
S.41
左:水田,一部自動車教習所
右:市街地はずれ(公共施設や住宅もあるが,樹林もあり,建物はそれ程密ではない)
両岸,土堤,法面コンクリートブロック
堰上・下流ともコンクリートブロック造の直立擁壁
右
左}:両岸とも堰取付部の高水敷(左岸はその一部)は,コンクリートブロックまたはコンクリート張りによる保護工が施されている。
①低水路護岸法線は,直立擁壁法線より堤内側,堰落下水が護岸法面を叩かないようになっている。
②水叩下流端に水はねを設けて越流水の水勢を緩和している。
③堰固定部の堰高が同一でない。
左岸:高,右岸:低→左岸取付部の負担を軽くしている。
2
千代田
頭首工
(十勝川)
S.10
S.53
改良
左:丘陵性の山地,左岸沿いに道路あり,観光用ホテルあり,人家なし
右:畑地,高水敷上も
左:山裾がそのまま堤防
右:低水路護岸は法面式コンクリートブロック張り
両岸とも鉄筋コンクリート造垂直擁壁
右岸:広大な高水敷あり
堰は二段構造,全体では6.48mだが,二段になっているため,各部分の堰高は約2分の1
3
大石堰
(筑後川)
S.31
左
右}:水田,堰周辺の河岸沿いには,建物は点在する程度
左:有
右:無
河道内に張出した樹林帯
左:堤防に直接玉石をコンクリートで固めた法面式護岸。
護岸の法先から下部はコンクリート垂直擁壁
左
右}:なし
①左:護岸法先から下部はコンクリートの垂直擁壁。
②堰左岸側に袖があって,越流水の流勢を減殺する構造となっている。堰下流部の河床が上っている状態にあるため,同所の堰越流水には殆んど落差を生じない。
このため,護岸のり面は洪水時でも越流水に叩かれない。
③右岸は自然の樹林帯地形により,取付部は洪水時の激流から守られている。
4
山田堰
(筑後川)
約220年前
右岸一帯は山地,堰下流部には村落
左:水田
右:無
左:比高数メートルの自然堤防状の雑種地
右:取水口付近では河床に敷かれている石畳が自然の護岸
左:堰上流部から下流部付近まで藪,雑木が繁茂,同所より200m位まではコンクリート護岸あり
右
左}:無
石畳状の平滑な自然石を河床に敷列でつくった斜め横断堰。
堰高は3mあるが,堰の上下流方向の堰長が60mあるので,堰の傾斜は極めてゆるい。したがって常時越流状態にあるため,越流水の流勢は強くない。
5
柿原堰
(吉野川)
大正
2年
改築
S.22
右:畑地,人家なし
左:田畑,村落
左:有
右:有
左:コンクリートブロック積
右:工事中,ほぼ左と同じ
右:有
左:無
堰高は4.35mあるが,下流部はなだらかに傾斜しているため越流水の水衝力は弱い。
6
大井手堰
(山国川)
S.30
右:市街地(建物の存在はさほど密ではない)
左:田畑
左
右}:有
右:上下流部とも鉄筋コンクリート直立擁壁
左:練石張の法面式
右:有,コンクリート保護工あり
左:無,二段式堤防
①堰下流部には自然の石床などによってなだらかな段差が幾重にもつけられていて越流水の水勢を緩和している。
②河川が堰直上流部から大きく左にカーブしているため,水勢は右岸で強い。右岸取付護岸コンクリート直立擁壁に続く低水路護岸法線は,直立擁壁の法線よりも堤内側にあって,堰落下水が護岸法面を叩かないようになっている。