東京高等裁判所 昭和54年(ネ)409号 判決 1981年7月07日
控訴人
(一部脱退)
原審昭和三三年(ワ)第一三六号事件本訴被告
原審昭和三三年(ワ)第二二六号事件反訴原告
原審昭和三三年(ワ)第一八八号事件本訴被告
原審昭和三四年(ワ)第九〇号事件反訴原告
右訴訟代理人
石塚力
尾崎陞
風早八十二
新井章
外四七名
被控訴人
原審昭和三三年(ワ)第一三六号事件本訴原告
原審昭和三三年(ワ)第二二六号事件反訴被告
藤岡博
被控訴人
原審昭和三三年(ワ)第一八八号事件本訴原告
原審昭和三四年(ワ)第九〇号事件反訴被告
国
右代表者法務大臣
奥野誠亮
右両名訴訟代理人
西迪雄
被控訴人国指定代理人
小川英明
外一三名
控訴参加人
山西きよ
右訴代理人
渡辺良夫
主文
本件控訴を棄却する。
控訴参加人は被控訴人藤岡博に対し別紙第三目録記載二ないし四の土地につき水戸地方法務局小川出張所昭和三三年五月一九日受付第六六五号をもつてなされた停止条件付所有権移転仮登記の各抹消登記手続をせよ。
別紙第三目録記載一ないし四の土地が控訴参加人との関係において被控訴人国の所有であることを確認する。
控訴参加人の請求を棄却する。
当審における訴訟費用はこれを三分し、その二を控訴人の、その余を控訴参加人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
(控訴人の求めた裁判)
「原判決を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。別紙第三目録記載一の土地が控訴人の所有であることを確認する。被控訴人藤岡は、控訴人に対し右土地を明け渡せ。控訴参加人の控訴人に対する請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人ら及び控訴参加人の負担とする。」との判決並びに右明渡しについての仮執行の宣言。
(被控訴人らの求めた裁判)
主文と同旨の判決。
(控訴参加人の求めた裁判)
「原判決を取り消す。被控訴人ら及び控訴人の請求を棄却する。別紙第三目録記載一ないし四の土地が控訴参加人の所有であることを確認する。被控訴人藤岡は控訴参加人に対し右一の土地を明け渡し、かつ、右二ないし四の土地につき水戸地方法務局小川出張所昭和三三年五月一九日受付第六六五号をもつてなされた停止条件付所有権移転仮登記に基づく所有権移転の本登記手続をせよ。被控訴人国は控訴参加人に対し右二ないし四の土地を明け渡し、かつ、これらの土地について被控訴人藤岡が右の本登記手続をすることを承諾せよ。訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人ら及び控訴人の負担とする。」との判決並びに右明渡しについての仮執行の宣言。
第二 <以下、事実省略>
理由
第一被控訴人藤岡と控訴人との間の本件土地売買契約の成立とその解除
一当事者間に争いのない事実
本件土地は、もと被控訴人藤岡の所有であつたところ、同被控訴人は、昭和三三年五月(但し、日時の点は除く。)控訴人に対し代金三〇六万円(但し、代金支払時期の点は除く。)で売り渡し、同月一九日、本件一の土地(宅地)につき水戸地方法務局小川出張所昭和三三年五月一九日受付第六六四号をもつて同日付売買を原因とする所有権移転登記を、また、本件二、三(いずれも畑)及び四の土地(原野)につき右出張所同日受付第六六五号をもつて同日付停止条件付売買を原因とする停止条件付所有権移転の仮登記を経由したが、控訴人は、同日までに手付一〇万円を含む内金一一〇万円を支払つたのみで、残代金一九六万円の支払いをしなかつた。そこで、右被控訴人は、控訴人に対し、同年六月一三日到達の内容証明郵便をもつて、残代金一九六万円を同書面到達の日から一〇日以内に支払うべく、もしそれに応じないときは、該期間の経過とともに、前記売買契約を解除する旨の催告並びに停止条件付契約解除の意思表示をした。しかるに、控訴人が右期間内に残代金の支払いをしなかつた。以上の事実は、いずれも、当事者間に争いがない。
二その経緯と背景
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、
1 百里基地建設計画と用地の買収
被控訴人国は、第一次防衛力整備計画の一環として、関東地区に航空自衛隊の基地を建設する必要に迫られ、首都圏に近く、旧帝国海軍航空隊の訓練所の所在地で、戦後開拓者の入植していた茨城県東茨城郡小川町百里原をその適地と選定し、昭和三一年五月、地元関係者に対し、航空自衛隊百里航空隊飛行場建設計画を公表して、右飛行場用地二三八万〇、一六五平方メートル(約七二万坪、昭和三六年第二次防衛力整備計画に基づき、約四二三万一、四〇五平方メートル―約一二八万坪―に拡張された。)のうち国有地約三三万〇、五八〇平方メートル(約一〇万坪)を除くその余の土地を買収する旨を明らかにし、小川町の当時の町長幡谷仙三郎らの協力を得て、その準備を始めた。
これに対し、地元では、開拓農民を中心とする百里基地反対期成同盟が、また、町民の加盟する愛町同志会が結成され、これらの団体によつて、基地誘致派の幡谷町長に対するリコール運動が展開され、ついに、昭和三二年四月、基地反対派の指導者であつた控訴参加人が町長に当選するに至つた。
一方、被控訴人国側においても、防衛庁東京建設部の係官を現地に派遣し、地主らと折衝を重ねた結果、時日の経過とともに、反対派の地主の中にも徐々に国への売渡方を承諾する者が出始め、次第にその数が増加して、昭和三三年三月ころには、大部分の用地買収が終り、一部の未買収地を除いた地域において、基地建設工事が本格的に開始された。
ところで、被控訴人藤岡の所有する本件一ないし三の土地(宅地及び畑)は、飛行場のエプロン及び誘導路の予定地となつていて、基地建設には不可欠の土地であつたが、同被控訴人は、当初、基地建設に反対の立場をとり、反対期成同盟が結成されるやこれに加盟し、また、その父藤岡二郎も、反対期成同盟に自宅の一部を事務所として開放する等して、反対運動を側面より支援してきた。しかし、同被控訴人は、反対派の人々が次々に脱落してゆくのをみて、反対運動のやり方やその効果に疑問を感じ、自分も早く土地を処分して他に移転したいと考えるようになり、特に、同年四月二二日夜、反対期成同盟の者たちが、工事請負会社のダンプカーによつて多量の資材が基地内に搬入されたことに抗議して、防衛庁工事監督事務所を襲撃し、数名の逮捕者を出す事件が発生するに及び、いよいよ反対運動に見切りをつけ、国側係官の買収交渉に応ずるようになつた。そして、その交渉は、同年五月中旬ころまで続けられ、その間、同被控訴人は、係官の案内で、国側の用意した移転先候補地の見分に出かけたり、防衛庁東京建設部に赴いて建設部長の池口凌と面談し、同部長から本件土地の代金額として二六〇万円ないし二七〇万円程度の提示を受けたが、三〇〇万円位いで売却したいと考えていたので、不満の意を表明し、代金の額については後日協議することとして、本件土地を国に売り渡す旨の書面を同部長に差し入れた。
2 売買契約の締結とその内容
反対派の者たちは、かねてから、反対運動の一環として、基地の枢要な要地の一部を各地主から買い取るべく、被控訴人藤岡とも、本件上地のうち一の土地(宅地)を含む約二、〇〇〇平方メートル(約二反歩)買取方の交渉を続けてきたが、その交渉の進展をみないうちに、同被控訴人が本件土地を国側に売却する気配のあることを聞知し、急遽、担当者を同被控訴人の許に赴かせて、その真意を聞き糺すとともに、右約二、〇〇〇平方メートルの土地を、反対運動の拠点として反対派に売り渡すよう強力に説得した。しかし、同被控訴人は、「全部ならともかくも、一部だけの土地の売渡しはしない。」といつて、その申出を拒絶した。そこで、反対派の者たちは、なんとしてでも本件土地を買い取るべく、同年五月一八日午前一〇時ころ、控訴参加人が、前記藤岡二郎を伴い、反対派の者たちとともに、右被控訴人をその自宅に訪ね、約三時間にわたつて前記約二、〇〇〇平方メートルの土地を、もしやむを得なければ本件土地全部を、売り渡してほしい旨要請し、藤岡二郎を含む反対派の者たちも、こもごも説得に当つた。しかし、同被控訴人としては、前叙のごとく、代金額の点で話合いがついていないとはいえ、本件土地を国側に売り渡す旨の書面まで差し入れていることもあつて、反対派の右要求には容易に応じなかつた。そのため、控訴参加人らは、一旦反対期成同盟の事務所に引き揚げ、あらためて説得の方法を検討し、反対期成同盟の一員で同被控訴人の家と昵懇の間柄にあつた訴外船見音松をして説得に当らせることとなり、同訴外人においてその日のうちに懸命に勧めた結果、同被控訴人は、その熱意に抗し切れず、ついに、本件土地全部を反対派に売り渡すことを承諾するに至つた。
そこで、控訴参加人は、再び、同夜遅く、右訴外音松を含む反対派の者たちとともに、被控訴人藤岡方に赴き、同被控訴人の兄弟らも同席のうえで、右被控訴人と売買契約の具体的条件についての話合いに入つた。その話合いにおいて、(イ)同被控訴人は、本件土地全部を、百里開拓農業協同組合から配分を受けた採草地2,148.76平方メートル(二反一畝二〇歩)及び国有地である防風林4,958.68平方メートル(五反歩)の管理権と併せて、控訴参加人の息子山西庸義に売り渡す、(ロ)代金の額は、初めに、控訴参加人より二八〇万円と切り出したが、同被控訴人がこれに応ぜず、折衝の結果、前記訴外船見音松の息子の船見儀助が国に売り渡した土地の売買価額にならい、移転費用をも含めて一括三一〇万円とする、但し、内金一〇万円は、手付として即日支払う、(ハ)手付を除いた残代金は、翌日登記手続が完了した時に支払う、と決定し、その場で、前叙のごとく手付一〇万円が控訴参加人から右被控訴人に支払われた。
翌一九日、右被控訴人は、控訴参加人より買受名義人の山西庸義は学生で東京に在住しているため、本件二ないし四の土地(畑及び原野)の所有権移転について農地法所定の許可を得ることができないので、買受名義人を控訴参加人の家の使用人で農業も営んでいる控訴人に変更してもらいたいといわれて、これを了承し、控訴人とともに、水戸地方法務局小川出張所に赴き、本件土地について前記各登記手続を終え、再び控訴参加人方に帰り、同所において、「不動産は知事の許可があつたとき所有権が移転するものとし買主に引渡しする但し農地法第三条の許可有るまで買主に停止条件附所有権移転の仮登記をすること売渡代金は仮登記完了と同時に買主より売主に支払うこと。許可があつた時停止条件成就による所有権移転の本登記すること。」と記載された「農地法第三条による知事の許可を停止条件附とする土地売買契約書」と題する書面にそれぞれ署名、押印した。その際、売買の対象とされていた採草地及び防風林の管理権は、すでに前記組合から国に売却済みであることが判明したため、売買代金の額は、前記三一〇万円から右の価格四万円を控除した三〇六万円とすることに改められた(売買代金が三〇六万円であることは、前叙のごとく、当事者間に争いがない。)。なお、右契約書は、控訴参加人側であらかじめ準備してきたが、それには、作成日付として、契約の話合いが行われた日である前日の「昭和三三年五月一八日」と記載されていた。また、さきに、関係者の間ではそれまで本登記ができるものと考えていた本件四の土地(原野)が、昭和二七年九月一日国から売渡しを受けた未懇地であるため、右売渡しの時から起算して八年後の昭和三五年九月一日までは農地法七三条所定の許可がなければ所有権移転の本登記のできないことが判明し、急遽登記申請書を訂正して仮登記を経由した事実があつたところより、その場で、右被控訴人から、本件四の土地(原野)に見合う残代金の支払時期を本登記完了の時とすれば、その部分の代金の支払いが昭和三五年九月一日以降と、前記契約の趣旨に反する結果になるので、この点善処されたい旨の申出があつたところから、控訴参加人は、前日の一八日付で、本件四の土地(原野)の「代金の支払に関しては他一般の不動産移転の登記完了の際に御支払申上可」と記載した控訴人名義の誓約書を作成し、それを同被控訴人に交付した。
かくして、控訴参加人は、右被控訴人に対して「今日はこれだけにしておいてもらいたい。残りは、いつでも支払うから、いつでも来るように。」といつて、現金一〇〇万円を差し出し、同被控訴人も、格別の異議を唱えることもなく、いわれるままに、前叙のごとく一〇〇万円を受領し、その場に呼ばれた信用金庫の職員に、それを三か月の定期預金にしてもらうべく依託した。帰途、同被控訴人は、前記藤岡二郎の許に立ち寄り、同人から、買受名義人を見ず知らずの控訴人としてしまい、しかも、代替地(移転先)の購入資金に当てるべき売買代金を定期預金に預け入れたことについて強く叱責された。そこで、右被控訴人は、翌二〇日早朝、控訴参加人方を訪れ、同人に対し、「控訴人はこれまで知らなかつた人であり、残金についても心配だから、一筆裏付けをしてもらいたい。」と要求し、その結果、控訴参加人は、「藤岡さん親子は、そんなに私を信用してくれないのか。」等といいながら、前記土地売買契約書の末尾に、「前記売買に基く件に付いては、全部に対し絶体に私一身を持つて全般の責任を取り藤岡博殿に対しては何等の御迷惑も相掛け致しません事を記るし後日の為一筆追記します。昭和三三年五月一八日」と付記して、これを同被控訴人に手渡し、なお、「金が心配なら、東京の親戚へ行つて二、三日中にお金を借りてきて払います。」と付言した。
3 残代金の不払いと契約解除
しかるに、その後二、三日が経つても、控訴参加人からも、また、控訴人からも、何の連絡もないので、不安を感じた同被控訴人は、自ら控訴参加人の自宅や町役場に控訴参加人を訪ねたが、その都度、不在ということで会えず、また、反対期成同盟の副委員長訴外刈屋秀雄にも依頼したが、同訴外人からも、控訴参加人の弁として、「今のところ忙しくて会つていられないから、二、三日したら同被控訴人の方へ行く。」というような返事が返つてくるのみで、一向に埓があかず、その後たまたま町役場の近くで自動車に乗つた控訴参加人とすれ違つた際、控訴参加人は、自動車の窓から顔を出し、「この間刈屋さんから話は聞いたが、今日は水戸の方へ出張で行かなければならないので、ゆつくり話もしておられない。後日あんたの家へ行くから。」といつたが、それも果たされず、前記訴外船見音松を通じて控訴参加人の夫義雄に対し残代金の支払いを求めてみたが、これも効果がなく、直接控訴人にも請求したが、控訴人は、「私に金を払えといわれても、金はない。控訴参加人と相談して、二、三日中に返事をする。」といつたきり、何の連絡もなく、困り果てた同被控訴人は、従前交渉のあつた防衛庁事務官宇野庸一郎にその実情を打ち明けて善後措置を相談し、同事務官の示唆で、同年六月一二日、控訴人にあてて、右事務官の文案に係る「契約履行の催告及び履行されない場合の契約解除通告書」と題する内容証明郵便を発送し、前叙のごとく催告並びに停止条件付契約解除の意思表示をした。
その後も、控訴人からはもとより、控訴参加人からも、何の連絡もなかつたが、催告期間最終日の六月二三日午後三時ころ、突然、控訴参加人が、弁護士外山佳昌を伴つて、反対派の者たちとともに、右被控訴人方を訪れ、同被控訴人に対し「金を持つて来たから受け取つてもらいたい。」といつてその受領方を促がした。同被控訴人としては、催告期間の最終日は前日の二二日であると考えていたので、「今日は二三日で、一一日目になるから、受け取るわけにはいかない。」といつて一旦は断つたが、外山弁護士の説明を聞いて、それを受領することとした。ところが、控訴参加人は、金の支払いをすることを理由に、同被控訴人に対して土地、建物の即時明渡方を迫り、前記藤岡二郎の抗議に会い、協議の末、一か月後の七月二三日限りで明け渡す旨の話合いがまとまり、その旨の念書が作成された。ところが、同被控訴人の前に差し出されたのは、現金ではなく、山西義雄振出の金額一九六万円、振出日六月二三日なる持参人払いの小切手であつたので、同被控訴人の妻みつが、「そのようなものは、受け取るわけにはいかない。」といい出し、同被控訴人も、小切手ではなく現金でもらいたいと主張したが、控訴参加人が「これは、現金と同じものだ。今日は遅いから、銀行へ行つても駄目だが、明日これを持つて銀行へ行けば、現金と引き換えてもらえるから、無くしたり、破いたり、焼いたりしないでもらいたい。」と話し、外山弁護士も、「この裏にサインをして銀行の窓口に出せば、直ぐ現金にしてもらえる。」等と小切手が現金と同じものであることを縷々説明したので、同被控訴人は、ついにこれを受け取り、「残代金として金一九六万円を受領いたしました。」と記載された領収証に署名、押印した。ところが、右小切手は、翌二四日預金不足の理由で不渡りになつた。なお、右被控訴人が本件土地を被控訴人国に売却した後である同月三〇日の夕方、控訴参加人が、反対派の者たちとともに、被控訴人藤岡を訪ねて、「現金で残代金を持参したから受け取つてもらいたい。」といつてその受領方を要請したが、同被控訴人においてこれを拒絶した
以上の事実を認めることができ、<る。>なお、控訴人らは、控訴参加人が前叙のごとく被控訴人藤岡に小切手を交付したのは、残代金支払いの方法としてではなく、被控訴人藤岡が他に転居するとき残代金が確実に支払われることを保障する意味であり、現にその交付に当つてもそれを銀行に呈示しない旨の確約を取り付けていた旨主張し、前掲証人外山及び同山西は、これに副う旨の供述をしているが、前叙認定のごとく、かかる主張を認めることはできず、かえつて、右小切手は、支払いの方法として交付されたものであると認めざるを得ない。
三争点事実の確定
前叙認定の諸事実からみて、本件の各争点については、次のごとく判断するのが相当である。すなわち、
1 契約成立の日時
控訴人と被控訴人藤岡との間における本件土地売買契約は、控訴参加人がその指導的地位にあつた百里基地反対派の者たちによつて、本件土地を反対運動の拠点とするために締結されたものであつて、その実質的な買主は、基地反対派ないしは控訴参加人自身であり、山西庸義又は控訴人は、単なる名目上の買主にすぎないものであるから、買受名義人が山西庸義から控訴人に変更されても、そのことによつて、売買契約そのものは、別異のものとなることなく、その同一性を維持しているものと解すべきである。したがつて、右契約成立の日は、買受名義人を山西庸義としてではあつたが、売買条件が具体的に決定された昭和三三年五月一八日であつて、その名義人が山西庸義から控訴人に変更された翌一九日ではない、といわなければならない。
2 残代金の支払時期
また、残代金一九六万円の支払時期も、(イ)売買契約書に、明らかに、「売渡代金は仮登記完了と同時に買主より売主に支払う。」と記載されていて、前叙のごとく、そこに記載された「仮登記」が控訴人ら主張のように「本登記」の誤記であることを認めるに足る的確な証拠がないこと、(ロ)そればかりでなく、右売買契約は、被控訴人藤岡が本件土地を被控訴人国に売り渡す旨の書面を国側に差し入れ、両者間において代金の額についての折衝が重ねられていた段階で締結されたものであり、しかも、被控訴人藤岡は、その売買代金をもつて代替地を購入する意図であつたのであるから、代金の支払時期をも含めて売買条件が国へ売り渡す場合よりも不利であるとすれば、同被控訴人としては、右売買契約には応じなかつたものと推認される。ところで、国が農地を買い受ける場合には、私人間の売買の場合と異り、農地法所定の許可は必要でない(農地法三条一項三号、五条一項一号参照)ので、売買代金は、契約成立後間もなく支払われるのが通例であり、同被控訴人も、かような事情は近隣地主らの実例等から知悉していたものと認められる。これに反し、控訴人との売買にあつては、農地法所定の許可が得られるかどうかは不確定であり、たとえ許可が得られるとしても、相当の期間を要することは明らかである。したがつて、仮に、控訴人ら主張のごとく、残代金の支払時期を本件二ないし四の土地(畑及び原野)についての本登記完了の時とした場合、同被控訴人において相当の期間内に代替地を購入することは著しく困難となるが、右契約は買主側が売主側の希望をすべて受け容れることによつて成立したという契約成立の経緯からみても、同被控訴人がかかる不利益を甘受したものとは到底考えられないこと、(ハ)さらに、控訴参加人は、右契約書の作成された同月一九日、「今日は、これだけにしておいてもらいたい。残りは、いつでも支払うから、いつでも来るように。」といつて、一〇〇万円の内入弁済をなし、その後も、右被控訴人からなされた度々の催告に対して、残代金支払いの時期が本登記完了の時であるとか、履行期が到来していない等と主張したことは一度もなく、ただ、「二、三日したら払う。」とか、「二、三日中に返事をする。」等と繰り返すにとどまり、かえつて、催告並びに停止条件付契約解除の意思表示を受けるや、催告期間の最終日に、弁護士まで伴つて、残代金相当額の小切手を持参し、同弁護士ともども、当日が弁済可能な催告期間に属すること等を縷々説明し、現金と同様のものであると称して右小切手を同被控訴人に手渡し、該小切手が翌日銀行で支払拒絶に会うや、あらためて現金で残代金を現実に提供して債務の履行を試みていること等に徴すれば、残代金の支払時期は、前記契約書記載のとおり、本件二ないし四の土地(畑及び原野)について農地法所定の許可を停止条件とする所有権移転の仮登記が完了した時である、と認めるべきである。もつとも、控訴参加人が控訴人名義で右被控訴人に差し入れた誓約書には、前叙のごとく、本件四の土地(原野)については、昭和三五年九月一日にならなければ所有権移転登記はできないが、その「代金の支払に関しては他一般の不動産移転の登記完了の際に御支払申上可」と記載されているけれども、右の記載は、必ずしも、前叙認定の妨げとなるものではなく、かえつて、前叙認定のごとき該誓約書作成の経緯からみれば、右の記載は、残代金支払時期に関する前記売買契約の約定を変更したものではなく、したがつて、ここにいう「他一般の不動産移転の登記」とは、本件一の土地(宅地)については所有権移転の本登記を、二及び三の土地(いずれも畑)については停止条件付所有権移転の仮登記を指称するものと解するのが相当であり、控訴人ら主張のごとく、右誓約書の作成が単に時間的に売買契約書の作成時よりも後であるという一事をもつて、右認定の妨げとすることは、許されないものというべきである。
3 契約解除の意思表示の内容
被控訴人藤岡が当初昭和三三年六月一三日内容証明郵便で控訴人に対してした契約解除の意思表示は、前叙のごとく残代金一九六万円を同書面到達の日から一〇日以内に支払うべく、もし右期間満了の日までに残代金の支払いがない場合には、即日、前記売買契約を確定的に解除するということを内容とするものであつた。
ところが、右被控訴人は、催告期間の最終日である同月二三日、控訴人らの説得に応じ、残代金一九六万円支払いの方法として、同金額を額面金額とする小切手を受領したこと、もつとも、該小切手は、山西義雄振出の持参人払い式のものであつて、もとより銀行の自己あて振出小切手等現金と同視し得べきものではなかつたこと等からみて、右契約解除の意思表示の内容は、同日、控訴人と被控訴人藤岡との合意により、前叙のごとく契約解除の効力が確定的に発生するという部分が、該小切手の換金されることを解除条件として発生することに変更されたものというべきである。
四期限未到来の抗弁について
1 変更契約
控訴人らは、右残代金支払時期に関する約定は、昭和三三年六月二三日、被控訴人藤岡が同年七月二三日限り建物を収去して土地を明け渡すのと引換えに残代金を支払う旨の契約が成立し、その旨の念書が作成されたことにより、同年七月二三日に変更されたと主張する。
しかし、控訴人ら援用に係る念書には、土地明渡しの時期が記載されているだけであつて、残代金の支払時期については何ら触れるところがないばかりでなく、同念書は、前叙認定のごとく、控訴参加人が残代金の支払いをすることを理由に右被控訴人に対して土地、建物の即時明渡方を迫つたことから、明渡しの時期が問題となり、一か月後の同年七月二三日限りで明け渡す旨の話合いがまとまり、これを書面で明確にしたにすぎないのであつて、当時残代金の支払時期を改めて問題にする余地等は、なかつたのである。
それ故、控訴人らの右抗弁は、到底、採用に由ないものというべきである。
2 免責的債務引受
控訴人らは、昭和三三年五月二〇日、被控訴人藤岡と控訴人及び控訴参加人の三者間において、控訴参加人が残代金支払債務を免責的に引き受ける旨の合意が成立したと主張し、そのことを前提として、控訴人に対してなされた前記催告並びに停止条件付契約解除の意思表示の無効をいう。
しかし、前叙認定のごとく、売買契約書末尾に記載された控訴参加人の奥書には、単に控訴参加人が前記売買契約につき全責任を負う旨の記載があるにすぎないのであつて、控訴人の債務を全面的に免除する等特段の記載は存しないのであるから、これをもつて免責的債務引受がなされたことの証左とすることはできず、他に右主張事実を肯認するに足る証拠はない。
それ故、控訴人らの右抗弁も、前提そのものにおいて、失当たるを免れないものというべきである。
3 連帯保証契約
控訴人らは、仮に右の合意が免責的債務引受ではなく、連帯保証契約であつたとしても、前記催告並びに停止条件付契約解除の意思表示は、債務者、保証人の全員に対してなされることなく、そのうちの債務者である控訴人のみに対してなされたにすぎないのであるから、所詮、無効たるを免れないと主張する。
しかし、解除権不可分の原則を規定した民法五四四条一項は、当事者の一方が数人ある場合にのみ適用されるにすぎないこと、その文言に徴して明らかである。
それ故、買主が単数である前記契約の解除について右規定の違反をいう控訴人らの主張もまた、排斥するほかはない。
五契約解除の一部無効の抗弁について
控訴人らは、売買代金の内金として支払われた一一〇万円のうち一五万円は、民法の法定充当の規定により、本件一の土地(宅地)の代金に充当されるべきものであつて、右土地に関する限り、債務不履行はないのであるから、前記契約解除の意思表示は、その限度において、無効たるを免れないと主張する。
しかし、民法の規定によつて法定充当が行われるのは、債務者が同種の目的を有する数個の債務を負担する場合(四八九条参照)か、一個の債務の弁済として数個の給付をなすべき場合(四九〇条参照)でなければならないところ、前記売買契約は、被控訴人藤岡において一部のみの土地の売渡しには応じなかつたところから、本件土地全部につき、しかも、代金は一括三一〇万円(後に三〇六万円に減額された。)として成立したものであるから、この契約から控訴人ら主張のごとく、各筆ごとに別個の代金債務が発生するとか、一個の代金債務の弁済として数個の給付をなすべき義務が生ずる等と解する余地はなく、また、本件一の土地(宅地)の代金が一五万円であることを肯認するに足る証拠もない。
それ故、控訴人らの右抗弁もまた、採用に由ないものというべきである。
六信義則違反、権利濫用の抗弁について
控訴人らは、被控訴人藤岡がした前記契約解除の意思表示は、自己固有の利益を守るためではなく、本件土地を被控訴人国に取得させることによつて、基地反対運動に打撃を与えることのみを目的としてなされたものであるから、信義則に違反し、権利の濫用であつて、その全部又は一部が無効であると主張する。
しかし、本件訴訟に現れた全証拠をもつてしても、右契約解除の意思表示が控訴人ら主張のごとき目的をもつてなされたことを肯認するに足りない。かえつて、前叙認定のごとく、被控訴人藤岡が内容証明郵便で催告並びに停止条件付契約解除の意思表示をしたのは、被控訴人国との間に本件土地の売買契約が締結される一二日も前の六月一三日であり、しかも、右被控訴人は、同月二三日には、後に不渡りになつたとはいえ、残代金の支払いを受けるべく、小切手を現金同様のものと信じて受領したのであるから、右意思表示の目的は、同書面記載のごとく、あくまでも控訴人に対する残代金の支払催告と停止条件付契約解除にあつたものというべきである。そればかりでなく、右被控訴人は、自ら又は人を介して、数次にわたり、残代金の支払方を催告したが、控訴人らがその支払いに応ぜず、右小切手も不渡りとなり、しかも、後記認定のごとく、同被控訴人は、本件土地を被控訴人国に売却すれば、代金額は控訴人に売却する場合よりも若干減少するとはいえ、代金の支払いが確実であり、そのうえ、責任をもつて代替地の斡旋をしてもらえること等全体として有利であると考えたことから、被控訴人国への売却方を決意するに至つたものであるから、たとえそのことによつて基地反対運動が打撃を蒙る等控訴人ら主張のごとき事情があつたとしても、前記契約解除の意思表示をもつて信義則違反ないしは権利濫用等と論難することは、当らないものというべきである。
第二被控訴人藤岡と被控訴人国との間の本件土地売買契約の成立と脱法行為
一契約の成立
被控訴人藤岡は、前記小切手が不渡りとなつた六月二四日、防衛庁の職員とともに上京し、同日夜遅く、防衛庁東京建設部に建設部長池口凌を訪ねて、被控訴人国との売買契約の話しを再開し、翌二五日、国側から提示された買入価格は、離作補償費等をも含めて概算二七〇万円であつたが、同被控訴人としては、従前の交渉の経過等からみて右価格の増額は望み難いが、代金の支払いが確実であり、そのうえ、責任をもつて代替地の斡旋をしてもらえること等から、国側の申出を即座に承諾し、その場で、売渡承諾書等関係書類に署名し、ここに、被控訴人国と被控訴人藤岡との間に本件土地の売買契約が成立するに至つたこと(この点は、当事者間に争いがない。)は、<証拠>によつてこれを認めるのに十分であり、また、本件二及び三の土地については同年七月一日付で、本件四の土地については同年一二月二六日付で、それぞれ、被控訴人国のために所有権移転登記が経由されたことは、当事者間に争いがない。
二脱法行為の抗弁について
控訴人らは、被控訴人国の本件土地取得行為が、その実体において強制収用と選ぶところがないと主張し、そのことを前提として、右の行為は土地収用法の脱法行為として無効であるという。
なるほど、百里基地の設置をめぐつては地元の意見が対立し、反対派の者たちが熾烈な闘争を繰り返してきたが、その実力行使を排除するため警察官が出動する事態が生じたころより、反対派の地主の中にも運動から脱落する者が多く出るようになつたことは、前叙認定のとおりであるが、かかる一事をもつて、被控訴人国の本件土地取得行為が国側の強制に基づくものであると即断することは許されず、かえつて、前叙認定のごとき前記契約解除並びに同被控訴人と被控訴人藤岡との間における本件土地売買契約締結の経緯等に徴すれば、被控訴人国の本件土地取得行為がその実体においても強制収用と選ぶところがないものといえないことは、明らかである。
それ故、控訴人らの右抗弁も、前提そのものにおいて失当であるといわざるを得ない。
第三憲法違反の主張について
控訴人らは、被控訴人藤岡の前記契約解除の意思表示及び被控訴人国の本件土地取得行為は、憲法前文の平和主義ないし「平和的生存権」、憲法九条その他憲法上の諸原則に違反すると主張し、そのことを前提としたうえで、これらの行為が次項掲記のような理由によつて法律上無効になるという。
ところで、本件訴訟の究極の目的は、いうまでもなく、右の各行為の効力によつて決定されるべき本件土地所有権の帰属そのものであるから、当裁判所としては、控訴人らの違憲の主張については、これらの行為が真実憲法九条その他の憲法上の諸原則に違反するかどうかの点はしばらくおき、一応、これらの行為が控訴人ら主張のように憲法九条その他の憲法上の諸原則に違反すると仮定したうえで、果たして、控訴人ら主張のごとき理由によつてそれが法律上無効になるかどうかという点から、判断を進めてゆくこととする。
なお、控訴人らの違憲の主張は、前叙のごとく、被控訴人国の本件土地取得行為のみならず、これに先行する被控訴人藤岡の前記契約解除の意思表示についても論及している場合があるので、以下、特に「被控訴人国の」と断わることなく、単に「本件土地取得行為」という語を使用するときは、該用語は、右の両行為を指称するものとする。
一憲法九八条による無効
1 本条の意義
まず、控訴人らは、被控訴人国の本件土地取得行為は、防衛庁東京建設部長池口凌が国の支出担当者として、旧防衛庁設置法及び旧防衛庁付属機関組織規程に基づいて行つた行為であつて、明らかに戦争の惨禍に結びつくものであるから、憲法九八条にいう「国務に関するその他の行為」に該当し、同条の規定によつてその効力を生ずるに由ないものであると主張する。
おもうに、憲法九八条は、違憲の法令、行為が無効であるという憲法の最高法規性と国法秩序の体系を示したものであり、また、その違憲性の認定権を裁判所に付与したのが、憲法八一条である。したがつて、憲法九八条にいう「国務に関するその他の行為」とは、必ずしも、「法律、命令、詔勅」のごとき厳格な意味において国法としての効力を有するものに限定されることなく、訓令、通牒のような行政機関の内部的行為や機関相互間の行為をも含むものであり、また、憲法八一条にいう法令審査権の対象たる「処分」とは、行政権の定立する個別的、具体的な法規範たる行政処分のみならず、裁判所の行う裁判のごとき司法処分をも含むものとしても、控訴人ら主張のごとく、国の行う一切の行為を包摂するものではなく、憲法の最高法規性の秩序のもとに置かれて、その効力が問疑されるに足るだけの意味をもつ行為でなければならない。それ故、国家公権力の行使と係わり合いがなく、国が私人と対等の立場に立つて行つた本件土地取得行為のごときものがこれに含まれないことは、明らかである。もとより、国の最高法規たる憲法の条規に違反する私法行為が、憲法九八条にいう「国務に関するその他の行為」に該当しないからといつて、そのことが直ちに憲法秩序のもとにおいて当該行為の効力を容認することを意味するものでないことは、多言を要しないところである。
2 本件土地取得行為の法的性質とその適用法規
また、控訴人らは、「本件土地取得行為」は、売買等の法形式を採つているとはいえ、防衛庁の航空自衛隊百里基地設置行為の一環をなすものであつて、被控訴人国が被控訴人藤岡を含む地元民に対し、右基地の設置は国家不退転の方針である旨を表明し、官憲の弾圧、懐柔等の手段に訴え、買収に応ずることを余儀なくさせることによつて成立したものであるから、公権力の行使と同視すべきである、とも主張する。
しかし、航空自衛隊の基地を設置することが防衛庁の権限に属する行政事務であることは、旧防衛庁設置法五条三号の規定に照らして明らかであるが、ある行政事務を遂行することが法律上行政庁の権限とされているというだけの理由で、当該行政事務の遂行としてなされる行為のすべてが当然に公権力の行使に当ると断定することは、許されない。
しかも、基地の設置は、基地設置行為というような単一の行為があるわけではなく、計画の立案・決定、用地の確保、土木・建築工事の請負、施行等一連の行為によつて完成されるものであつて、その法律関係は、公法的規律と私法的規律とが互いに関連し交錯し合う包括的な法律関係である。したがつて、その適否が争われる場合、裁判所は、これを全体的に一個の法律関係とみて、その一般的色彩の濃淡により、公法関係と考えたり私法関係として取り扱つたりすることは許されず、必ず、個々具体的な法律関係に還元し、その各々につき、それがいかなる法律によつていかなる規制を受けるべきかを決定しなければならない。けだし、新憲法のもとにおいては、公法と私法との区別が相対化したとはいえ、ひとしく国と私人との間における行為であつても、国が私人と対等の立場に立つて行うものについては、その利害の調整や紛争の解決を当事者の自主、自律に委ねて事足りるのであるが、国が公権力の行使として行うものについては、それが行政目的を達成することを目的とし、かつ、私人の権利、自由を一方的に規制することを建前とするものであるところから、その公正・確実な実現を期するため、公権力の発動を法律によつて覊束する反面、行政権の意思の優越性が保障されて、行政権の発動たる行為には特別の効力が認められ、訴訟に関しても特殊の制度が設けられている等、両者の間には超え難い違いがあり、両者を区別して取り扱う必要があるからである。
いま、「本件土地取得行為」についてこれをみるのに、被控訴人藤岡の前記契約解除の意思表示はいうに及ばず、被控訴人国の本件土地取得行為も、行政権の主体たる国が一方の当事者となつて行つたものであるとはいえ、国が優越的な地位に基づき、一方的に相手方の土地を収用したり没収したというわけのものではなく、私人(被控訴人藤岡)と対等の立場に立ち、相手方(同被控訴人)との協議によつて契約の内容を決定し、所有権得喪の効力も相手方(同被控訴人)との合意にかからしめているのである。したがつて、同様の性質を有する法律関係は同様の法規によつて規律すべきであるという法則に則り、本件土地取得行為は、私人相互間に締結される売買契約と同様、私法法規の適用を受けるもの、と解すべきである。もつとも、被控訴人国の本件土地取得行為も、国の行為であるから財政法、会計法、国有財産法等による特別の制約を受けることはあるが、かかる制約は、あくまでも行為の公正を確保するために加えられるのであつて、行為の性質そのものを変更するものではない。
なお、「本件土地取得行為」につき、仮に控訴人ら主張のような不当な手段の弄された事実があつたとしても、また、そのことにより、場合によつては売買契約ないし契約解除の法的効力が否定されることはあるとしても、ただそれだけの理由で、本件土地取得行為を公権力の行使と同視し、これを公法上の諸規制に服せしむべきものとすれば、前叙のごとく、私法関係については、私人が国に対して独立の地位を保有し、自己の意思に基づいて法律関係を設定、変更、消滅せしめる自由を基本的人権の一環として憲法上保障されているにもかかわらず、かかる自由を否定して、私法関係に国家権力の不当な介入を認め、私法の自律性が破壊されることになるので、このようなことは、到底許されないものといわなければならない。
もつとも、本件土地取得行為は、その背後に国家権力が存在し、国家権力を背景としてなされたものであることは、否定し得ないところであろう。そして、このように当事者相互の社会的力関係に差がある場合、私法の法理をそのまま適用して当該法律行為の効力を容認することは、私的自治の名のもとに事実上の支配関係を是認する結果を招来する恐れなしとしないであろう。しかし、事実上の支配関係なるものが、極めて顕著であつて社会的に容認し難い結果を生ずるような場合にはともかく、本件のごとくその程度に至らない場合にも、一律にこれを公権力による支配と同視することが許されないことは、いうまでもない。
なお、行政庁が、専ら裁判を免れるため、公権力を発動することなく、私法行為の形式に逃避して、公権力を行使したのと同じ結果を実現したような場合には、これを公法行為とみなして、それに憲法上の制約や法の留保等による公法上の諸規制を加えることも、可能であろう。しかし、被控訴人国の本件土地取得行為がかかる場合に該当するものであることについては、控訴人において主張・立証しないところである。
それ故、憲法九条その他憲法上の諸原則に違反するとする被控訴人国の本件土地取得行為が憲法九八条の規定によつて効力を生ずるに由ないものであるという控訴人らの前記主張は、採用の限りでないこと明らかである。
二憲法九九条による無効
控訴人らは、被控訴人国が本件土地を取得するに際し、その衝に当つた前記防衛庁東京建設部長池口凌は、国家公務員として、また、控訴人藤岡は、主権者たる国民の一人として、いずれも憲法を尊重、擁護すべき義務を負うものであるのに、あえて憲法九条の規定に違反する百里基地の設置を目的として前記各行為に及んだのであるから、これらの行為は、憲法九九条の規定に違反してその効力を生ずるに由ないものである、と主張する。
1 本条の意義
おもうに、憲法九九条は、公務員の憲法遵守義務を規定しているが、それは、本条が第一〇章最高法規の項の中に規定されていることからみても明らかなように、憲法が国家の最高法規であることから、特に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官」等、日本国民の総意により又はその厳粛な信託に基づき、国家の象徴としてあるいは国政を担当する重責にある公務員として、憲法の運用に極めて密接な関係にある者に対し、憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎないものであつて、被控訴人藤岡のごとく国政を担当する公務員以外の一般国民に対し、かかる義務を課したものではない。
2 本条違反行為の効力
また、国家の公権力を行使する者が憲法を遵守して国政を行うべきことは、当然の要請であるから、本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のものであつて、この義務に違反したからといつて、直ちに本条により法的制裁が加えられたり、当該公務員のした個々の行為が無効になるわけのものではなく、まして、国家公務員たる前記池口凌が私人と対等の立場に立つて行つた本件土地取得行為のごとき私法上の行為の効力には、何らの影響をも与えるものではない、というべきである。
三準拠法規を欠くことによる無効
1 旧防衛庁設置法と本件土地取得行為
控訴人らは、被控訴人国の本件土地取得行為は、前叙のごとく、国の支出担当官たる前記池口凌が旧防衛庁設置法五条一、三号及び三五条の規定に基づいてしたものであるが、その根拠法規そのものが憲法九条に違反して無効であるから、準拠法規を欠き、「法律による行政」の原理に違反するものとして、効力を生ずるに由ないものである、と主張する。
しかし、旧防衛庁設置法は、総理府の外局として設けられた防衛庁の組織と所掌事務の範囲、権限を定めた組織規範であつて(同法一条参照)、防衛庁の行う公法行為を根拠付けたり、規制したりする法律ではない。いいかえれば、防衛庁――現実には、防衛庁の付属機関である建設本部又は建設部の長(旧防衛庁設置法三五条、昭和二九年総理府令第三九号防衛庁附属機関組織規程四三条参照)――が、旧防衛庁設置法五条三号の規定により、国の行政機関として、航空自衛隊の運営に直接必要な基地の設置に関する行政事務につき、有効に国の意思を決定し表示する権限を与えられていることは、疑いを容れないところであるが、法律上権限の与えられているということと、その権限の具体的行使が適法であるかどうかということとは、自ら別個の問題である。そして、防衛庁が前示旧防衛庁設置法の規定によつてその権限に属せしめられている右の行政事務を適法に遂行するためには、さらに、同法以外の行政作用等に関する法律の適用を受けなければならない場合のあることは、多言を要しないところであるが、航空自衛隊の基地の設置なる行政事務は、前叙のごとく、一連の行為によつて完成されるものであり、そのうちの本件土地取得行為のごときは、前叙のごとく、私人相互間に締結される売買契約と同様、私法の適用を受けるものであつて、防衛庁がその契約を締結するにつき格別の根拠法規の存在を必要とするものではないと解すべきである。また、これに適用されるべき財政法、会計法、国有財産法等の規定も、事務の遂行を公正ならしめるためのものであつて、公法行為におけるがごとき公権力の発動そのものを根拠付ける規定ではない。
2 「事実上の官庁」の法理
なお、控訴人らの右主張は、旧防衛庁設置法の諸規定が憲法九条に違反するということから、前記池口凌が国の支出担当官としての職務権限そのものを欠くことになるという無効事由をもいうものである、と解することもできる。しかし、憲法違反の法律は、論理的には当初よりその効力を生ずるに由ないはずであるとはいえ、かかる法律に基づく公務員の行為も、そのすべてが無効となるわけではなく、本件土地取得行為のごとく、それが一般民衆ないしは特定第三者の権利・義務に係わる場合には、法的安全の根底から覆えされるような事態を避けるため、表見の法理又は「事実上の官庁」の法理によつて、当該行為の効力を否定することは許されないもの、と解するのが相当である。
それ故、控訴人の右主張もまた、すでにその前提において失当であつて、採用に由ないものといわなければならない。
四単純な私法上の行為とみた場合でも無効
控訴人らは、仮に「本件土地取得行為」が私法上の行為であるとしても、それは、前叙のごとく航空自衛隊の百里基地設置を目的としてなされたものであるから、憲法前文の平和主義ないし「平和的生存権」又は憲法九条の規定に違反するものとして、直接に、然らずとしても、民法九〇条の「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スル事項ヲ目的トスル法律行為」という私法の一般規定を通じて、無効になる、と主張する。
1 いわゆる「直接適用説」
(一) 平和主義ないし「平和的生存権」違反
おもうに、憲法は、その前文の第一段において、日本国民は、「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と規定して、平和主義の確立が憲法制定の重大な眼目であり、また、そこに国民主権主義を採用した所以の存する旨を表明し、その第二段において、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を確保しようと決意し……全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と述べ、さらに、その第三段において、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のであつて、この普遍的な政治道徳の「法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」と宣言して、平和主義の理念が憲法の基本原則であることを繰り返し強調している。そして、そこで確認された「平和的生存権」も、戦争と戦争の脅威が存する限り、人間の自由はあり得ないということに思いを致せば、それを独立の権利と呼ぶかどうかは別としても、あらゆる基本的人権の根底に存在する最も基礎的な条件であつて、憲法の基本原理である基本的人権尊重主義の徹底化を期するためには、「平和的生存権」が現実の社会生活のうえに実現されなければならないことは明らかであろう。
しかし、もともと、前文は、憲法の建前や理念を荘重に表明したものであつて、そこに表明された基本的理念は、憲法の条規を解釈する場合の指針となり、また、その解釈を通じて本文各条項の具体的な権利の内容となり得ることがあるとしても、それ自体、裁判規範として、国政を拘束したり、国民がそれに基づき国に対して一定の裁判上の請求をなし得るものではない。殊に、平和主義や「平和的生存権」についていえば、平和ということが理念ないし目的としての抽象的概念であつて、それ自体具体的な意味・内容を有するものではなく、それを実現する手段、方法も多岐、多様にわたるのであるから、その具体的な意味・内容を直接前文そのものから引き出すことは不可能である。このことは、「平和的生存権」をもつて憲法一三条のいわゆる「幸福追求権」の一環をなすものであると理解した場合においても同様であつて、その具体的な意味・内容を直接「幸福追求権」そのものから引き出すことは、およそ、望み得ないところである。それ故、控訴人らの指摘するごとく、核戦争時代といわれる現代社会において、戦争は、政治目的を達成するための合理的な手段たるを失い、無目的な大量虐殺行為と化したことを考慮するとしても、そのことから――控訴人ら主張のごとく、憲法九条が自衛のための戦争をも含む一切の戦争の放棄という政策決定をしたものと解する余地はあるとしても――「平和的生存権」をもつて、個々の国民が国に対して戦争や戦争準備行為の中止等の具体的措置を請求し得るそれ自体独立の権利であるとか、具体的訴訟における違法性の判断基準になり得るものと解することは許されず、それは、ただ、政治の面において平和理念の尊重が要請されることを意味するにとどまるものであり、「本件土地取得行為」の平和主義ないし「平和的生存権」違反をいう控訴人らの主張は、その理由がないものといわなければならない。
(二) 憲法九条違反
「本件土地取得行為」が憲法九条の規定に違反することによつて直接無効になるかどうかを検討するに当つては、まず、憲法のこの規定が違憲性の判断基準としての裁判規範といえるかどうかという本条の法的性格の問題と、裁判規範であるとしても、本条のごとき憲法の規定そのものが直接私人間の法律行為にも適用になるかどうかという憲法条規のいわゆる「第三者効」の問題を吟味しなければならない。
(1) 憲法九条の法的牲格
当審におけるいわゆる「立法事実」に関する証人の証言を援用するまでもなく、憲法九条は、前文のように政治的理念の表明にとどまるものではなく、今次大戦の惨禍とこれに対する国民的反省に基づき、前文で表明された平和主義を制度的に保障するため、戦争放棄という政策決定を行い、それを中外に宣明した・憲法の憲法ともいうべき根本規範である。したがつて、その意味・内容は、まさに、法規範の解釈として、客観的に確定されるべきものであつて、時の政治体制や国際情勢の推移等に伴つてほしいままに変化されるべき性質のものではない、といわなければならない。
もつとも、憲法九条の規定する戦争の放棄にしても、戦力の不保持にしても、国土の安全保障という高度の政治性を有する問題である。そして、このことから、本条をいわゆる政治的規範であつて政治の面においてのみ拘束力を有するにすぎないものであり、その意味・内容も終局的には主権者たる国民の政治的意思によつて決定されるべきであるとする見解もある。しかし、ここで問題となつているのは、国土の安全保障としていかなる政策を選ぶのが妥当であるかということではなく、本条がいかなる政策を選んだかということであり、また、その点は一応度外視するとしても、他に特段の事情もないのに、ただ単に本条が高度の政治性を有する事項に係わるものであるという一事のみによつて、本条を政治的規範であると解し、本条に関する争いを司法の統制外に置くことは、それだけ本条の実効性を殺ぐこととなり、憲法がその最高法規性を明言し、裁判所に法令審査権を与えて憲法理念(精神)の貫徹を期した法意にもそぐわない恐れなしとしない。それ故、右の見解にはにわかに左袒することができず、憲法九条は、裁判規範として法令、処分等の合憲性の判断基準になり得るもの、と解するのが相当であろう。
(2) 憲法条規の「第三者効」
憲法の人権規定に関しては、近時、国家類似の組織と機能を有する巨大な企業や労働組合のごときいわゆる「社会的権力」による人権侵害の事件が頻発し、しかも、かかる私的な人権侵害事件の中には、質的にも極めて重大な社会的意義を有する事例が次第に増加する傾向にある。このことが、人権の尊重をしてあらゆる法秩序の基準たらしめんとする新しい人権思想の抬頭と相俟つて、憲法の人権規定を個人の人権に対する国家権力の侵害からの保護と観念する伝統的な憲法理論に終始することなく、その効力を直接私人間の法律行為にも及ぼそうとする考え方を産み出し、その考え方が一部で強力に主張されるに至つた。
そして、憲法九条は、戦争の放棄と戦力の不保持という国家統治体制の指標を定めた法規範であつて、もとより、国民の人権を保障した規定ではないが、前叙のごとく、人間の自由のないところに平和はなく、戦争と戦争の脅威が存する限り、人間の自由はあり得ないということに思いを致せば、憲法九条の基調とする平和主義は、憲法の他の基本原理たる基本的人権尊重主義の不可欠の前提条件であり、その意味において、憲法九条の規定についても、右の考え方の当否を問題になし得る余地がないわけではない。
ところで、前叙のごとく、人権規定をもつて専ら個人の人権を国家権力の侵害から保護することを目的とするものであるとみる伝統的な理論は、歴史的理由に由来するものであり、むしろ、人権規定は客観的な価値秩序を具体化したものとしてすべての領域の法に妥当する基本原理であるとする考え方が正当であるとしても、このことによつて、憲法の人権規定が第一次的には人権の国家権力からの保護を目的とするものであるという事実とその意義が否定されてはならないのであつて、右のごとき理由から、控訴人ら主張のごとく憲法の人権規定やその不可欠の前提条件たる規定が私法関係にも直接適用されると解することは、国家権力からの自由としての自由権の伝統的意味を変質せしめる恐れがある。そればかりでなく、憲法の保障する個人の自由や平等は、国家権力に対する関係においてこそ侵されることのない権利として保障されるべき性質のものであるけれども、私人間においては、権利相互の衝突は避けられず、それを調整するためには、ある程度私人がこれを処分することを認めざるを得ず、そうした法律関係を設定する自由もまた、原則として、憲法で保障された基本権の一つであるから、かかる法律関係が単に人権規定やその不可欠の前提条件たる規定と形式的に矛盾するということだけの理由で、国家が直接これに介入するとすれば、つとに識者の指摘するごとく、私的自治の原則ないしは私法の独自性と自律性が脅かされて私法の社会化・国家化を来たし、本来自由を保護するために設けられたはずの基本的人権の保障規定が、自由を制約するための義務規定に転化し、しかも、具体的立法をまたずに、予測し難いような義務が、法解釈の名のもとに、基本的人権の保障規定やその不可欠の前提条件たる規定から直接引き出されるという不都合な結果を招来することとなる。そこで、かかる結果を来たさない限度において、公法と私法の二元性を維持し、私的自治の原則を尊重しながら、人権規定の効力拡張という現代的要請に応える方法として、憲法の人権規定も、参政権や社会権に関するものはともかくとしても、伝統的な自由権や平等権に関するものは、特段の事情がない限り、私人間の法律関係には直接適用されることなく、ただ、私的自治の制限規定たる民法一条や九〇条等の一般条項を通じ、それが憲法の人権規定に従つて解釈されることによつて、間接的に、その適用をみるにすぎないものであり、ここで解釈され、適用されるのは、あくまでも、私法の規定そのものであつて、憲法の条規自体ではない、と解するのが相当である(最高裁判所昭和四八年一二月一二日大法廷判決、民集二七巻一一号一五三頁参照)。
2 いわゆる「間接適用説」
(一) 公序良俗の意味・内容
ところで、民法九〇条にいう「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗」とは、もともと、それが、私的自治の認められていて各人が自ら欲するところに従つて法律行為をなし得ることを建前とする私法秩序のもとで、当事者の意思に反して法律行為の効力を否定するための基準であるから、全法体系の根底に流れているものであつて、社会の成立と発展を確保し、法の規範としての権威と機能を維持させるもの、いいかえれば、当該社会における社会生活ないし国家生活の重要な秩序であつて、しかも、正当性の信念又は道徳的価値観を伴うものを指称すると解するのが相当である。
そして、前叙のごとく、憲法の人権規定やその不可欠の前提条件たる規定には客観的価値秩序が体現されており、この客観的価値秩序は、憲法の根本的決定として、すべての分野の法に妥当するものであるとしても、私法においては、その独自性と自律性を維持する必要から、控訴人らの主張するように、右の客観的価値秩序がそのまま公序良俗の具体的内容としての当該社会における社会生活ないし国家生活の重要な秩序となるのではなく、私的自治の原則により、当該私法関係の特質に応じて、公序良俗の具体的内容が相対化されてゆくのである。それ故、基本的人権を侵害したりその前提条件を蹂躙する私人間の法律行為が、現実に、民法九〇条にいう公序良俗に違反するといい得るためには、その人権侵害が、侵害の主体や侵害される人権の種類、性質、侵害の程度等当該事案の特質からみて、社会の存立、発展を脅かす反社会的な行為であり、しかも、そのことが、単に一党・一派の信念や倫理観に反するというだけでは足らず、その時代の社会一般の認識として確立されていて、当事者の意思に反してかかる法律行為の効力を否定することが当然であると一般に容認されるようなものでなければならない、と解するのが相当である。
(二) 憲法九条違反と公序良俗
そこで、憲法九条違反と民法九〇条にいう公序良俗との関係について検討することとする。
(1) 憲法九条の解釈をめぐる論争と社会一般の認識
憲法九条は、その一項において、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と前文に示された恒久平和の念願を凝縮した形で繰り返したうえで、「国際紛争を解決する手段としては」、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使を永久に放棄すると、また、その二項において、「前項の目的を達成するため」、戦力は保持せず、国の交戦権はこれを認めない、と規定している。
右の文言に徴して、憲法九条がおよそ他国を侵略するためのものであれば、国際法上の戦争に限らず、戦争に至らない実質上の戦闘行為や武力の行使をほのめかして相手方を威嚇する行為のすべてを放棄していることは、明らかである。ところが、憲法の公布された当初はともかくも、いわゆる「二つの世界」の対立が激化し、理想と現実との乖離が顕在化するにつれて、憲法で交戦権をなくし一切の軍事力を解消させた我が国が、他国からの攻撃や侵略を受けた場合に対処すべき態度を真剣に検討する必要に迫られ、昭和二五年朝鮮動乱の勃発を契機として、時の政府が自主防衛の手段であると称して警察予備隊(後に「保安隊」さらに「自衛隊」と改称された。)を創設したことから、爾来、その合憲性をめぐり、憲法九条は、自衛権、すなわち、他国による急迫・不正の侵害に対して、それに対抗するための真にやむを得ない防衛手段を取る権利まで放棄したものであるかどうか、また、自衛権は放棄していないとしても、自衛のための戦力の保持を容認しているかどうかという問題が、世論に問う形で論議され、学界において、見解の対立がみられるばかりでなく、国会においても、各政党の政治的イデオロギー等を反映して激しい論争が繰り返されてきたことは、当裁判所に顕著な事実である。いま、その見解の主なものを大別すると、およそ、次の三つの考え方に分類することができる。すなわち、その第一は、憲法九条一項はあらゆる戦争、武力の行使を放棄したものであつて、自衛のための戦争も許されず、自衛隊は憲法九条違反の存在であるとするものである。なお、この立場を採る者の多くは、二項後段の交戦権の否認は、全面的戦争放棄の趣旨を再言したものである、と解するのである。また、その第二は、九条一項によつて放棄されたのは、「国際紛争を解決する手段として」の戦争、つまり、侵略のための戦争や侵略のための武力の行使にとどまるのであるが、二項後段によつて「交戦権」、すなわち、国家の戦争をする権利が否認されている結果、自衛のための戦争も、自衛のための武力の行使も許されず、結局、自衛隊は憲法九条違反の存在であるとするものである。さらに、その第三は、九条一項については右の第二の考え方と同様に解しながら、自衛権が認められている以上、自衛のための必要最少限度の実力の行使にとどまる限り、自衛のための戦争も、自衛のための武力の行使も禁止されておらず、二項にいう「交戦権」とは、国家の戦争をする権利ではなく、国家が国際法上交戦国として認められる諸権利(俘虜、船舶の臨検・拿捕の権利、占領地行政の権利等)を指すものと解すべきであつて、憲法はこれらの権利を自ら主張しないことを定めたにすぎないのであるから、自衛のための戦力の保持を認めることは、交戦権の否認と矛盾せず、自衛隊は、憲法九条に違反するものではないとするものである。
前叙のごとく、憲法九条は、その基本原則である平和主義の理念を具体化した規定であるとはいえ、右のように、その解釈について見解が多岐に分かれ、しかも、その間に深刻な対立・抗争が生じているのは、憲法が国の大本を定める基本法である特質上、条項の簡潔さと恒久性が要請されるため、その用語の概念が一般的・抽象的で、かつ、弾力的・相対的たるを免れないということと、何よりも、本条の基調とする平和主義の理念そのものが、高度の価値概念であつて、極めて多様な制度原理を含み得るものであり、その目的を達成するための手段、方法につき、国際社会の現実とか武装手段の有効性ないし危険性等をめぐり、論者の世界観や政治的イデオロギーの違いがそのまま反映するということに由来するものである。
このように、憲法規範の多義性と憲法九条の基調とする平和主義の理念そのものについて、相容れない世界観や政治的イデオロギーの対立抗争がみられる以上、憲法九条の規定に関して国民の間に客観的・一義的な意見の醸成されることを望むのは、およそ不可能に近く、前記の各見解は、文言解釈の面だけからいえば、たとえその結論の相反するものであつても、同じ理論的精緻さをもつて、いずれも、ひとしくその正当性を主張し得るものである。したがつて、仮に控訴人ら主張のごとく、そのうち第一の見解のみが憲法九条に関する唯一の正当な解釈であるとしても、また、憲法九条が我が国の進むべき道を中外に宣明した憲法の憲法ともいうべき根本規範であることを考慮するとしても、右の見解のいうごとく自衛隊がその存在を否定されるのでなければ社会の存立、発展を脅かすに至るほど反社会的、反道徳的であることについて、現段階においてはもとより、「本件土地取得行為」の行われた昭和三三年当時においても、それが一党・一派の認識にすぎないとまではいえないとしても、少くとも社会一般の認識として確立されていたものといえないことは、被控訴人ら主張のごとき諸事情を援用するまでもなく、明らかである。この点について、控訴人らの援用する朝日新聞社並びに共同通信社の世論調査は、いずれも、戦争放棄という憲法の政策決定の是非に関する国民の意識状況の調査であつて、憲法九条の解釈ないしは自衛隊の合憲性そのものに関する国民の意識状況の調査ではないこと、控訴人らの主張自体に徴して疑いを容れないところである。したがつて、これらの調査がたとえ控訴人ら主張のごとき結果を示しているとしても、それをもつて右認定を妨げる証拠となし得ないことは、いうまでもない。また、ここにいう社会一般の認識なるものは、前叙のごとく、自衛隊がその存在を否定されるのでなければ、社会の存立、発展を脅かすに至るほど反社会的、反道徳的であることに関するものであつて、憲法九条の規範的意味そのものに関するものではないのであるから、本条の規範的意味に関するいわゆる事情変更論や「憲法変遷論」とは、およそ無縁のものであるというべきである。
(2) 裁判所と憲法判断
もとより、憲法九条についても、規定の文言解釈のみに終始することなく、憲法の基本精神に立ち帰り、かつ、九条の基調とする平和主義の理念とその他の基本理念との弾力的調和のもとに、目的論的解釈によつて、前記諸見解のうちのいずれが妥当な解釈であるかを決定することは可能であり、また、裁判所は、必要に応じてそれを決定しなければならないのである。しかし、ここでは、前叙のごとく、憲法九条の解釈そのもの、つまり、前記諸見解のうちのいずれが妥当な解釈であるかということが問題となつているのではなく、ただ、憲法九条を控訴人ら主張のように解釈すべきであるとしても、そのいうごとく自衛隊――直接的にはその基地設置を目的として行われた「本件土地取得行為」――がその存在ないしはその法的効力を否定されるのでなければ社会の存立、発展を脅かすに至るほど反社会的、反道徳的であることについて、社会一般の認識が確立されているかどうかということが問題となつているにすぎないのであるから、裁判所は、前記いずれの見解が妥当な解釈であるかということについては、あえて、それを決定する必要がないもの、というべきである。
もつとも、控訴人らの「本件土地取得行為」の憲法九条違反の主張は、同条が自衛のための戦力を保持することをも禁止した規定であり、自衛隊がその禁止された「戦力」に該当するということを前提とするものであること、その主張自体に徴して明らかである。したがつて、以上のような論理の展開を試みることなく、憲法九条の解釈を行い、右の前提そのものの成否について判断を加えることにより、控訴人らの主張に対する結論を導き出すことも可能であり、仮定的にではあるが、本件訴訟においてこの点の論争が展開され、現に控訴人らにおいてそのことを強く希望していることも事実である。そして、また、憲法は国の最高法規であつて、その条規に違反する法律は無効であるため、ある法律を具体的事件に適用する場合、その法律が合憲であるかどうかという憲法判断が、理論的には絶えず先行しているということから、裁判所は、憲法判断をしないで結論の出せる場合であつても、しかも、その結論が原告にとつて有利なものであるときであつても、まず、必ず、憲法判断をしなければならないとする考え方のあることも、確かである。しかし、法令審査権は、もともと、憲法で保障された国民の基本的人権を政府の専断から守ることを狙いとするものではあるが、我が国憲法のもとでそれが司法裁判所に与えられているのは、具体的訴訟事件の解決という司法の使命を達成するためであつて、憲法の有権解釈それ自体のためではない。したがつて、裁判所は、具体的訴訟事件の解決を離れて法令等の合憲性を審査する一般抽象的な権限を有するものではない(最高裁判所昭和二七年一〇月八日大法廷判決、民集六巻九号七八三頁参照)。しかも、この権限は、極めて重大で、かつ、微妙な判断作用を伴うものであるから、他に特段の事情がない以上、その行使は、具体的訴訟事件の解決に必要・不可避な場合に限り、しかも、その限度においてのみ、正当化されるのであつて、たとえ憲法問題が記録上適法に提起され、この点の審理が行われた場合であつても、単なる当事者の希望や憲法判断の理論的先行性の故をもつて右の権限を行使することは、許されないものというべきである。そして、このことは、近時価値観の多様化等に伴い、裁判所に対して強く要望される・憲法問題特に市民的自由に関する憲法問題についての積極的介入(いわゆる「司法積極主義」)の問題とは、理論的には、直接の関係はないものというべきである。
ところで、本件訴訟においては、前叙のごとく、控訴人らによつて提起された憲法問題について判断を加えるまでもなく、すでに、本件訴訟の結論を導き出すことが可能であり、しかも、この訴訟で右の憲法問題について判断を加えるのでなければ、控訴人らがその基本的人権を侵害されて回復し難い損害を被る等特段の事情についての主張・立証はないのであるから、自衛隊が憲法九条にいう「戦力」に該当するかどうかという問題については、あえて、当裁判所の見解を示さないこととする。
叙上の説示によつて明らかなごとく、仮に憲法九条の規定の解釈としては、控訴人ら主張のごとく、同条が自衛のための戦力をも含む一切の戦力の保持を禁止したものであつて、自衛隊は憲法九条に違反する存在であるとする見解が妥当であるとしても、そのことから、直ちに、航空自衛隊の百里基地設置を目的としてなされた「本件土地取得行為」が民法九〇条にいう「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗」に違反して無効になることはあり得ない。
それ故、控訴人らの右の主張も、理由なきものとして排斥を免れないというべきである。
(三) 平和主義ないし「平和的生存権」違反と公序良俗
前叙のごとく、憲法前文にいう平和主義にしても、「平和的生存権」にしても、それは、憲法九条の基調とする憲法の基本的理念として示されたものであつて、具体的な権利といえないものであるから、前項において憲法九条違反と公序良俗との関係について審究した以上、あらためて、控訴人らの主張する平和主義ないし「平和的生存権」違反と公序良俗との関係については、判断を加えないこととする。
(四) その他の憲法上の諸原則違反と公序良俗
控訴人らのその他の憲法上の諸原則違反の主張は、いずれも、自衛隊が憲法九条の保持を禁止した「戦力」に該当することを前提とするものであるから、すでに憲法九条違反と公序良俗との関係について審究した以上、その他の憲法上の諸原則違反と公序良俗との関係についても、あらためて、判断を加えないこととする。
第四結び
以上認定のごとく、昭和三三年五月一八日控訴人と被控訴人藤岡との間に締結された本件土地売買契約は、同年六月二四日、小切手の不渡りにより解除の効力が確定して、本件土地の所有権は、同被控訴人に復帰し、したがつてまた、その後の同年六月二五日、被控訴人国は、被控訴人藤岡から本件土地を買い受けたことによつて、その所有権を適法に取得するに至つたものというべきである。
ところで、一方、当審における控訴参加人本人尋問の結果並びに本件弁論の全趣旨によれば、控訴人は、本件訴訟が当審に係属するようになつてから、妻が死亡し、自らも病弱で、養子を迎えたこともあつて、控訴参加人に対し本件土地の所有名義を返還したい旨申し出、昭和五四年一月六日、控訴人と控訴参加人との間において本件土地売買契約が成立したことを認めることができ(この点は、控訴人と控訴参加人との間においては争いがない。)、また、同年二月五日、本件一の土地(宅地)について所有権移転登記が、また、本件二ないし四の土地(畑及び原野)の前記仮登記について附記登記が経由されたことは、当事者間に争いがない。
そして、控訴参加人が控訴人より譲り受けたのは、本件一の土地の所有権及び本件二ないし四の土地についての停止条件付所有権移転請求権であつて、本件土地についてなされた前記各登記の抹消登記義務そのものではない。しかし、民訴法七三条及び七四条の各訴訟承継の原因は、訴訟物たる権利・義務自体の承継ではなく、何らかの実体法上の権利又は義務の承継を媒介とする当事者適格の承継であつて、七三条は積極的訴訟承継の方法を、七四条は消極的訴訟承継の方法を規定したにすぎないものと解すべきである(最高裁判所昭和三二年九月一七日第三小法廷判決、民集一一巻九号一、五四〇頁参照)。したがつて、控訴参加人が積極的に七三条の訴訟参加の申立てをなし、当事者適格者として各本訴及び各反訴を含む本件全訴訟に参加している以上、被控訴人らからの七四条の訴訟引受けの申立てをまつまでもなく、被控訴人らは、控訴人に対する登記抹消等に関する請求を控訴参加人に向けかえることができるものというべきである。
しかも、停止条件付所有権移転請求権保全の仮登記について、権利移転の附記登記が経由されている場合、附記登記の名義人が同時に主登記の名義人になるものと解すべきであるから、当該不動産の所有権者が前示各登記の抹消登記手続を求めるに当つては、現在の登記名義人たる附記登記名義人のみを被告として訴求すれば足りるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四四年四月二二日第三小法廷判決、民集二三巻四号八一五頁参照)。
ところで、被控訴人国は、前叙のごとく、本件二及び三の土地については昭和三三年七月一日、本件四の土地については同年一二月二六日、それぞれ、所有権移転登記を経由したが、本件一の土地についてはその所有権移転登記を経由していない。そこで、控訴参加人は、本件二ないし四の土地についてはその停止条件付所有権移転請求権をもつて被控訴人国に対抗し得ないこと明らかであるが、本件一の土地に関する限り、契約の解除によつて控訴人からその所有権を回復した被控訴人藤岡ないしは同被控訴人からそれを買い受けた被控訴人国とは、いわゆる二重売買類似の関係に立つものというべきである。しかし、被控訴人藤岡が、控訴参加人において控訴人から本件一の土地を買い受ける前である昭和三三年六月二六日、控訴人を相手取り、売買契約の解除を理由として、水戸地方裁判所に同土地についての処分禁止の仮処分を申請し、同日その旨の決定を得て登記を経由したという当事者間に争いのない事実に徴すれば、控訴人と控訴参加人との間の前記売買契約は、右仮処分決定に違反するものであるから、控訴人は、その所有権移転の事実をもつて仮処分債権者たる被控訴人藤岡に対抗し得ないものというべきである。そしてまた、控訴参加人は、前叙認定の事実によつて明らかなごとく、被控訴人藤岡と控訴人との間の本件土地売買契約解除の経緯、その効力が現に本件訴訟で争われている事実等を知悉していたというにとどまらず、もともと右契約における実質的買主であつて、後に控訴人からあらためて本件土地を買い受けたといつても、それは単に形式的な所有名義を回収したにすぎないのであるから、被控訴人藤岡及びその承継人たる被控訴人国に対しその登記の欠缺を主張することは、著しく信義に悖るものというべきであり、同人は右登記の欠缺を主張する正当な利益を有する第三者に該当せず、その所有権の取得をもつて被控訴人国に対抗することが許されないものというべきである。
よつて、被控訴人らの控訴人に対する各本訴請求は、いずれも、理由があるのでこれを認容すべく、控訴人の被控訴人らに対する同上各反訴請求は、いずれも、理由がないのでこれを棄却すべく、これと同趣旨に出た原判決は相当であつて、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、次に、当審における被控訴人らの控訴参加人に対する各請求は、いずれも、理由があるのでこれを認容することとし、また、控訴参加人の被控訴人ら並びに控訴人に対する各請求は、いずれも、失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(渡部吉隆 蕪山厳 浅香恒久)
別紙 第一目録<省略――控訴人訴訟代理人目録>
第二目録<省略――被控訴人国指定代理人目録>
別紙 第三目録
一 茨城県東茨城郡小川町百里字百里二〇七番
宅地 495.86平方メートル(一五〇坪)
二 同所二〇五番
畑 五、一八六平方メートル(五反二畝九歩)
三 同所二〇六番
畑 一一、九一七平万メートル(一町二反五歩)
四 同所九二番二
原野 四、一七五平方メートル(四反二畝三歩)