東京高等裁判所 昭和54年(ネ)816号 判決 1981年3月19日
控訴人
甲野明
右訴訟代理人
中村光彦
福村武雄
被控訴人
甲野文子
右訴訟代理人
新寿夫
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。控訴人と被控訴人を離婚する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。<以下、省略>
理由
<証拠>を綜合すると、
1 控訴人は、昭和二六年東京大学経済学部を卒業後、△△鉱業株式会社に入社し東京支店に勤務していたものであり、被控訴人は、同二四年名古屋市の旧制杉山第一高等女学校を卒業後、前記会社名古屋営業所に入社、勤務していたものであるが、同二八年頃、被控訴人が同会社東京支店受渡課課長補佐山田太郎を訪ねた際、同人が部下であつた控訴人に被控訴人の東京見物の案内をさせたことから控訴人と被控訴人は知り合い、交際をするうち控訴人は被控訴人との婚姻を望むようになつた。
2 然し、前記山田は、当時控訴人が社内の女性タイピストと情交関係をもち、同女が控訴人との婚姻を望んでいた関係もあつたので、控訴人家族とも相談のうえ被控訴人との婚姻を諦めさせようとしたが、控訴人の意思は固く被控訴人との婚姻を強く求めるので家族らもやむを得ず同人らの婚姻を承諾し、控訴人と被控訴人は同三一年四月二九日、名古屋市において結婚式を挙げ、同月三〇日、婚姻届をした。
3 控訴人と被控訴人は、婚姻後東京で生活をはじめ、まずは円満に過ごしていたが、△△鉱業では、控訴人が前叙の女性だけではなく芸者とも昵懇の仲になつているとの風評もあつたので、控訴人夫婦のことも考え、間もなく控訴人を小樽支店に転勤させた。
4 控訴人は、前述のとおり、自らの強い希望で被控訴人と婚姻したが、やがて被控訴人を、食事の用意その他家事全般にわたり行きとどかず、気のきかない女性であると思うようになつた。そして同三二年三月二五日長男光太郎が生れたが、同三三年頃、光太郎がシュプレンゲル奇形であることが判明すると、控訴人は被控訴人に対し生理的嫌悪感を抱くようになり、寝所を別にして夫婦関係を拒否するようになつた。このようなことが背景となつて、夫婦関の会話もとだえがちとなつた。
5 控訴人は、同三六年頃、小樽より東京へ転勤となつて川崎市の社宅に転居し、間もなく、光太郎の前記奇形も手術によつて一応治癒したが、控訴人はすでに小樽時代から次第に被控訴人との婚姻の解消を望むようになり、被控訴人に対し口に出して離婚を求めることはしなかつたが夫婦関係は相変らず拒否するなど夫婦生活改善のための努力は一切なさず、心中において被控訴人との婚姻生活が自然に解消されることを期待していた。
6 控訴人は、同三七年頃、××販売株式会社に出向となり、住居も千葉県柏市の△△鉱業株式会社の社宅に移つたが、その頃から被控訴人に対して「石炭合理化問題があるので会社に泊り込んで働く」と称し外泊することが多くなり、同四〇年頃、バーのホステスと東京都世田谷区内のアパートで同棲をはじめた。そして爾後昭和四四年頃まで約四年間、控訴人は同女と同棲生活を続けた。その間被控訴人は、偶々帰宅する控訴人の様子から控訴人に女性関係ができたのではないかと推測しなくもなかつたが、一か月一〇万円の生活費を渡してくれていたので、深くとがめもせず、光太郎の養育にあたつていた。
7 しかして、△△鉱業は同四四年倒産したのであるが、控訴人はこれを機会に同社を退職し、同四五年一月頃、大和ハウスの住宅販売のため株式会社○○○○を設立して自ら代表取締役となり、調布市仙川に住宅展示場を開設した。控訴人は、その頃前記ホステスとの関係を解消してはいたものの「通勤に大へんだから展示場に宿泊する」と言つて殆んど帰宅せず、また収入もないからと、被控訴人に対しては生活費すら渡さなくなつた。そのため、被控訴人は、昼間は他人の子守りをし、夜間には電話交換手をして生活費を稼ぎ、光太郎との生活を支えていた。
8 控訴人経営の前記○○○○は、同四六年二月倒産した。債権者らの追及をおそれた控訴人は、事務員として雇つていた鈴木夏子(昭和二三年二月生)と出奔し、被控訴人に対しては居所すら通知せず、そのまま夏子との同棲生活を継続した。そして、控訴人は、被控訴人に無断で同人との協議離婚届書を作成し、同年三月二六日、これを本籍地の沼津市長宛に提出して戸籍上被控訴人との離婚を成立させたうえ、同年四月一四日、夏子との婚姻届を提出した。被控訴人は、控訴人の出奔後生活難に喘ぎながら光太郎を養育していたが、控訴人からの音信が余りにも長期間絶えているので警察署に捜索願を出すべく、同四七年初め頃戸籍謄本を取り寄せたところ、はじめて前記の如き離婚並びに婚姻の届出のなされていることを知つた。
9 そこで、被控訴人は、控訴人を相手方として東京家庭裁判所に対し前記協議離婚の無効確認を求める審判の申し立てと共に控訴人との同居、婚姻費用分担の調停を申し立てたが、調停申立てに対しては控訴人の側に別居の意思が固かつたため、同四七年八月二二日、控訴人と被控訴人は当分の間別居する、控訴人が被控訴人との婚姻費用の分担として毎月三万円を支払う旨の調停が成立した。そして、同年一〇月一二日前記協議離婚が無効である旨の審判がなされ、戸籍の協議離婚届出事項が消除された。
10 控訴人と夏子の婚姻は戸籍上協議離婚というかたちで後始末がつけられているが、控訴人は現在も夏子との同棲生活を継続し、同女との間に小学三年生を頭とする三人の子をもうけ、株式会社□□□の代表取締役となつて年収約八〇〇万円を得ており、他方、被控訴人は、会社に雇われて月額約一一万円の給料を受け、大学四年生の光太郎と生活しているが、控訴人との離婚は望んでいない。
以上の事実を認めることができる。右認定に反する証拠はない。
右認定の事実によれば、控訴人と被控訴人の婚姻関係は、主観的には被控訴人になお婚姻継続の意思のあることが認められるものの、客観的には既に破綻しているものと認めざるを得ないが、それは、控訴人の一方的ともいうべき不貞行為と悪意の遺棄によつて惹起されたものであり、被控訴人には特に取り立てていうべき非は何ら認められないから、控訴人は有責者として自ら離婚を求めることは許されないものというべきである。
控訴人は、不貞行為をした昭和四〇年以前に、既に被控訴人との婚姻関係は破綻していた旨主張するが、前認定の事実によつて明らかな如く、控訴人は婚姻後間もなくの頃から一方的に被控訴人を嫌い、殊に光太郎出生の一年後たる昭和三三年頃からは被控訴人との夫婦関係を拒否し、心中密かに同人との婚姻関係の自然解消を期待するようになつたものの、控訴人がバーのホステスとの同棲生活を開始した昭和四〇年頃以前においては、未だ客観的にも婚姻関係が破綻の状況にあつたものとはいい難いから、控訴人の右主張は採用できない。
よつて、控訴人の離婚請求は理由がないから、これを棄却した原判決は相当というべく、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(蕪山厳 浅香恒久 安國種彦)