東京高等裁判所 昭和55年(う)456号 判決
被告人 塩見孝也
〔抄 録〕
共謀共同正犯の共謀は、実行行為に関与しなかった共犯者をも共同正犯としての責任を負わせる関係上、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に、一体となって、互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をいうのであって(最高裁判所大法廷昭和三三年五月二八日判決、集一二巻八号一七一八頁参照)、右共謀が成立したというには、単なる意思の連絡または共同犯行の認識があるだけでは足りず、特定の犯罪を志向する共同者の意思が指示、命令、提案等によって他の共同者に具体的に明らかにされ、他の共同者が右指示、命令、提案を了承、賛同するなど、各自の意思が特定の犯罪を行なうことを目的とした一個の共同意思と認められるまでに一体化するに至っていることを要するというべきであり(東京高裁昭和五二年六月三〇日刑八部判決、判例時報八八六号一〇四頁参照)、換言すれば、共犯者間に正犯者意思で一体となって特定の犯罪を実行する認識のあることを要するのであり、この点で教唆、幇助にいう被教唆者、被幇助者との意思の連絡と、共謀共同正犯者間の意思の連絡はその性質を異にするものである。<中略>
ところで、本件「よど号」ハイジャック事件の訴因は、東京地裁昭和四五年(合わ)第一九二号事件起訴状記載の公訴事実第一の強盗致傷、第二の国外移送略取、同移送、監禁の各所為につき「被告人が前田、田宮、小西ら十数名と共謀した。」というものであり、同事件原審(東京地裁刑事第五部)第五回公判において、検察官は、右被告人の共謀の内容につき、「乗取り機種の選定をした時、参加要員の選定、搭乗する空港、そういうことについていろいろ協議したのは、昭和四五年三月一三日及び一四日の両日、被告人が豊島区駒込三―三―一九喫茶店『ルノアール』及び同駒込二―七―六喫茶店『カトレア』において参加要員の大部分を選定し、そしてこの両日にわたって、被告人、田宮、小西、前田が同駒込二―三―四喫茶店『白鳥』などで乗取り機種の選定、乗取りの時期、方法等について決定した。乗取り機種、時期についてはその後変更されたが、その変更は右両日にわたる共謀に影響を及ぼすものではない。」旨釈明し、同第一一回公判においてなした冒頭陳述では、「昭和四四年一一月のいわゆる大菩薩峠事件後、被告人を議長とする赤軍派が掲げた国際根拠地建設計画とその実現に向けて昭和四五年一月以降被告人が逮捕されるまでの間になされた協議や資金獲得、武器入手等についての具体的準備活動と被告人の関係を指摘し、三月一二日夜ホテル『愛川』に被告人、田宮、小西、前田、上原らが集合し、国際根拠地設定のための調査結果および要員の確保状況などにつき検討をなし、三月一三日、一四日の両日、面接を実施して参加要員を選定したのと相前後して、『白鳥』などで、被告人、田宮、小西、前田がハイジャックにつき、飛行場の選定、旅客機の選定、乗員等の制圧方法、北鮮到着後の措置につき協議、決定し、決行日を三月二一日としてそれまでのスケジュールを組んだ。」として、被告人、田宮、小西、前田、岡本、若林、紫田、赤木、田中、吉田らによって、三月一二日より同月一四日までの間に「白鳥」などにおいて本件ハイジャックに関する具体的謀議が成立した旨主張し、さらに右共謀と被告人が逮捕された後本件ハイジャックに至るまでの間の田宮、小西らの活動との関連性、本件ハイジャックの具体的内容等を指摘し、検察官は右冒頭陳述にそって立証活動をなした。一方、被告人及び弁護人側は、右検察官の主張を全面的に争い、三月一三日、一四日における被告人及び前田のアリバイを主張して、右両日の被告人、田宮、小西、前田の四名による本件についての鳩首謀議を否定することを中心としつつ、被告人が逮捕されるまでの間の検察官主張にかかる協議や武器あるいは資金獲得の為の活動の趣旨及び本件ハイジャックとの関連性、被告人の逮捕後の田宮、小西らを中心とする活動と被告人との関係等について反証活動を行ったのである。
そして、当裁判所は、原裁判所の審理状況をふまえた上で、三月一三日当日夜の前田、小西のアリバイ関係、被告人が逮捕された当時所持し、押収された前記符六一号のノート、メモ類(同裁判所昭和五五年押第一七二号符号六三(四枚)ないし六九号=以下これらメモ類については単に「符六三号メモ」のごとく略称する。)等のノート、メモ類に記載されている事項等を中心に、被告人が逮捕される時点までの被告人、田宮、小西、前田、上原、山田等の行動や被告人が逮捕された以後の田宮、小西、上原、山田、高原、物江らの活動及びこれと被告人との関係等につき事実の取り調べを行ったものであるところ、検察官は、当審における審理の最終段階(第一二回公判)において、本件における被告人の共謀については、一次的に三月一三日、一四日の鳩首謀議を主張し、予備的に三月上旬以降被告人と田宮その他の者との間で謀議が成立し、逮捕される三月一五日までの間に行われた被告人の種々の行為からいって被告人が共謀共同正犯者だと認められるとの主張をする旨釈明し、併せて、右共謀に関する予備的な主張について裁判所が判断を加えるについては、訴因の変更が必要であるとの弁護人側の主張に対しては、本件についての訴因は前記起訴状記載の程度で特定しており、原、当審における審理の経過、内容からして被告人側の防禦に欠けるところはないから、本件共謀について訴因変更手続をする必要はない旨陳述し、弁護人は、右検察官の釈明に対しては、「特に意見はない。」旨弁論した。
当裁判所は、本件についての被告人の共謀に関しては、訴因制度の趣旨及び本件審理の経過、内容に照らすと、訴因変更手続をする必要はないと思料する。<中略>
所論は、要約すると、本件ハイジャックは、被告人が三月一五日前田とともに捜査当局によって逮捕されたことを知った田宮、小西らが、右被告人逮捕による赤軍派の組織崩壊を防止し、田宮が当時主張していた、いわゆる赤色軍事クーデターにより七〇年秋武装蜂起を実現させるとの主張を貫くため、被告人の意図していたところと関係なしに、しかも、被告人が逮捕された後、弁護士を通じ、七〇年秋武装蜂起、国際根拠地建設の方針を白紙撤回する旨申し入れていたにも拘らず本件ハイジャックを計画し、武器収集、要員選定、訓練等の諸準備活動を経て決行したもので、被告人は本件ハイジャックに何ら関与はしていないにも拘らず、原判決が判示第四、一の「犯行に至る経緯及び状況」の項11ないし15で、三月一五日夜の、判示喫茶店「アマンド」における田宮、高原、小西らによる集会及びその後になされた、ハイジャック決行要員らに対する諸注意、武器入手、京橋区民会館における訓練等の諸行動を、被告人が逮捕される以前に被告人、田宮、小西、前田の間でなされた共謀に基づく準備活動と評価し、罪となるべき事実として、本件ハイジャックについて被告人が共謀した旨認定し、「証拠説明及び弁護人らの主張に対する判断」の項六の5で、被告人の前記弁護士を通じての申し入れのみをもって共謀から離脱したものということができないと判示したのは事実を誤認したものであり、右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
なお、弁護人西垣内堅佑作成名義の控訴趣意書には、第一の三として被告人が共謀関係から離脱し、共同正犯の責を負わないにも拘らず原判決が共同正犯の責任を認めたのは、<1>東京高判昭和二五年九月一四日高裁刑集三巻三号四〇七頁、<2>東京地判昭和三一年六月二〇日法律新聞一九・一三、<3>大阪高判昭和四一年六月二四日高裁刑集一九巻四号三七五頁、<4>神戸地判昭和四一年一二月二一日下刑集八巻一二号一五七五頁の各判例に違反するとの主張がある。
そこで、原審記録及び原判決が判示第四の事実につき挙示する関係証拠を調査し、当審における事実取調べの結果を併せ検討すると、所論指摘の原判示各部分にそう諸事実は十分これを肯認することができ、原判決には所論のような事実の誤認はなく、所論の縷述するところは、右関係証拠に照らして信用することのできない被告人及び関係証人らの原審公判廷における供述等をすべて真実であるとし、あるいは所論にそう関係証拠の一部のみを援用し、総合的見地をはなれて証拠を正当に評価せず、結局独自の見解を披歴するものであって、当裁判所の採用するところではない。以下所論に鑑み主要な点について若干説明を加えることとする。<中略>
被告人は、原審並びに当審公判廷において、逮捕後、接見に来た弁護士を通じ、従来からの赤軍の方針を白紙に戻すようにとの趣旨の見解を田宮らに対し表明した旨供述をし、高原も原審第七一回公判において、「塩見が逮捕されて二、三日後、救対をやっていた山田から田宮へ、塩見の伝言として、同人が逮捕されていた際ノートを所持しており、何もかも筒抜けだから再検討した方が良いと言ってきたと聞いた。」旨被告人の前記弁明にそう供述をし、また、同公判において、高原自身四月中旬ころ、被告人と接見したという古瀬弁護士と会った際、同弁護士から、被告人が七〇年秋武装蜂起を中止し、国際根拠地建設を急ぐ必要はない等、高原が三月八日被告人との間で赤軍派の路線問題につき確認したと同旨の指示をした旨聞いたと供述している。しかしながら、高原が弁護士を介して被告人の右意向を聞いたのが四月中旬であるとすれば、それは本件ハイジャックがすでに敢行されてしまった後のことであって、共謀からの離脱は全く問題とならないところであり、また、被告人が逮捕後二、三日して、七〇年秋武装蜂起、国際根拠地建設路線を再検討するようにとの意見表明をした事実が認められるとしても、前記二、4で詳述したように、被告人は本件ハイジャックの実行行為に出るべき意思をもって共謀に加わり、その実行に向けてなされた諸調査、準備活動に関与していた最中はからずも捜査当局に逮捕されたものであり、右単なる路線の再検討せよとの意思表明をもって、これが前記二、4で詳述したハイジャック計画を自ら中止し、あるいは、右共謀を解消する具体的な行為に出たものと評価することはできず、さらに田宮、小西がこれを諒解し、あるいは諒解したと同視し得るような特段の事情は関係証拠を検討しても存せず、かえって、前記三、1で説示したように、被告人逮捕後における田宮、小西らの本件ハイジャックに向けての諸活動が、逮捕前における被告人と田宮、小西らとの間において協議したところと断絶したものではなく、むしろ、右協議内容をふまえ、これを三月一五日のアマンド会議、一九日の京橋区民会館における訓練等の調査、準備活動を通じて維持、発展させ、その結果、原判示第四罪となるべき事実として認定するハイジャックが田宮、小西らの手で現に実行された本件にあっては、被告人の逮捕後における前記意見表明の一事をもって、被告人が前記共謀から離脱したと認めることはできない。
また、所論引用にかかる前記<1>ないし<4>の裁判例は、いずれも本件とは事案を異にするものであり、これをそのまま本件にあてはめることは適切ではない。
従って、この点の所論も失当であり、採用の限りでない。<中略>
検察官は、被告人に対する原審未決勾留日数中三〇〇〇日を原判決の本刑に算入した原判決には、未決勾留日数の算入に関する裁量の範囲を著しく逸脱し、実質的に刑期を不当に短縮した違法がある旨主張する。
そこで検討してみると、もともと未決勾留は被告事件の審理の必要上認められる訴訟手続上の拘禁であって、その目的、拘束場所、処遇等の各点で刑の執行とは異なるものであり、また未決勾留日数の本刑算入も刑の執行でないことは当然ではあるが、ただ未決勾留が自由拘束という点で自由刑の執行と類似するところがあるため、刑法二一条は裁判所にその勾留日数の全部又は一部の本刑算入を許容しているのであり、その算入、不算入は裁判所の自由裁量に属するものであるが、その算入、不算入が自由裁量の範囲を著しく逸脱し不当と認められる場合、それが刑事訴訟法三八一条にいわゆる量刑不当の問題となるものである。
これを本件についてみると、関係記録によれば、被告人は、昭和四五年三月一五日、前記一〇・二一国際反戦デー事件の爆発物取締罰則違反の容疑で通常逮捕され、同月一八日同被疑事実で勾留され、同年四月一日勾留のまま右事実及び同事件の兇器準備結集の事実につき東京地方裁判所に起訴され、さらに同月二二日いわゆる「よど号事件」(強盗、国外移送略取、監禁、爆発物取締罰則違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反、出入国管理令違反)で再逮捕されて同月二五日勾留され、同年五月一日同事件(強盗致傷、国外移送略取、同移送、監禁)につき同裁判所に起訴され、更に同年一〇月六日大菩薩峠事件(破壊活動防止法違反、爆発物取締罰則違反、兇器準備結集)につき同裁判所に起訴され、その後一〇・二一国際反戦デー事件、大菩薩峠事件については昭和四六年一一月四日同裁判所刑事第四部において両事件を併合の上第一回公判が開かれ、以後、勾留のまま同部で審理が続けられ、一方「よど号事件」については、昭和四六年七月一日同裁判所刑事五部において共犯者高原浩之ら三名に対する事件と併合の上第一回公判が開かれ、以後同部で審理が続けられたが、昭和五〇年八月二一日の同裁判所刑事五部第四七回公判の翌日である同月二二日、被告人に対する強盗致傷等被告事件が分離され、同事件については、昭和五一年六月一〇日(前記一〇・二一国際反戦デー事件、大菩薩峠事件の第四六回公判=昭和五一年五月二六日=の後)同裁判所刑事四部において一〇・二一国際反戦デー事件、大菩薩峠事件に併合され、同事件第四七回公判(同年九月二〇日)以降全事件につき同裁判所刑事四部において審理され、昭和五五年一月三〇日第九一回公判において判決が言い渡されたものであり、右一〇・二一国際反戦デー事件の公訴提起がなされて以来、右事件を含む本件全事件の判決がなされるまでの期間は約九年九か月に、被告人の本件における未決勾留日数(昭和四五年三月一八日勾留以後原判決宣告の日の前日である昭和五五年一月二九日まで)は三六〇五日に及び、その間に開かれた公判回数は合計一三八回を数えるのである。
そして、一〇・二一国際反戦デー事件、大菩薩峠事件に関しては、第一回公判において、弁護人による「公判廷における録音装置使用許可」等の申請が冒頭手続に先立ちなされるなどしたが、ともかく、被告人の人定質問、一〇・二一事件についての起訴状朗読の手続が、第二回公判では、裁判長の訴訟指揮に関し弁護人らの意見陳述がなされたものの、大菩薩峠事件についての起訴状朗読の手続がなされ、以後第一四回公判に至るまで被告人らの所信表明等とともに右両事件の起訴状記載の公訴事実に対する弁護人らによる求釈明と検察官による釈明、裁判所の検察官に対する釈明命令等があり、第一五回ないし第一九回公判までは被告人、弁護人らの被告事件に対する陳述等が、第一九回公判において検察官の冒頭陳述がなされ、第二〇回公判から検察官の証拠申請及びこれに対する弁護人らの意見陳述を経て書証、証人等証拠調手続が開始、進行し、一方、よど号事件については、第一、第二回公判では冒頭手続を除くと、傍聴人に対する所持品検査、被告人らの座席位置等をめぐる裁判所の措置に対する被告人、弁護人らの発言等のため、第三回以降第七回公判までの間は、起訴状記載の公訴事実に対する弁護人らの釈明要求等がなされたため証拠調べ手続には入れず、第七回公判においては共同被告人上原の、第八回公判では同川島の、第一〇回公判では同高原及び被告人の各意見陳述がなされ第一一回公判に至って検察官の冒頭陳述、証拠申請手続がなされ、以後証拠調べ手続が開始、進行し、全事件併合後、第八八回公判まで証拠調べ手続がなされ、右第八八回公判において検察官の論告が、第八九回公判において弁護人の弁論、第九〇回公判において被告人の最終陳述がそれぞれなされ、第九一回公判において原判決が宣告されたのである。
そして、その証拠調べ手続を概観すると、検察官申請の書証の多くは不同意とされ、それにかわる証人や弁護人申請の証人等多数の証人の尋問が行われ、共犯者とされる者の証言に関しては、その後それらの多くの者の検察官に対する供述調書が刑訴法三二一条一項二号書面として多数取調べられるなど、その証拠調べに多くの年月が費されている。
ところで、本件は、いずれも共犯者が多数関与している事件であり、一〇・二一国際反戦デー事件、大菩薩峠事件にあっては、いずれも被告人がこれら多数の共犯者との間で長期間にわたる協議を重ねて犯罪を共謀したという点で共同正犯者としての刑責の有無が問われた事件であり、特によど号ハイジャック事件にあっては、被告人が決行の約二週間前に右国際反戦デー事件の容疑で逮捕されるという状況を前提とし、その後田宮、小西ら九名によって惹起されたハイジャック事件に関し、右逮捕されるまでの間に田宮、小西、前田との間でその決行につき共同謀議をなしたという点で同じく共同正犯者としての刑責を問われた事件であり、いずれも、その共謀の事実の存在を証明するためには、被告人が事前に右多数の共犯者とされる者らとの間で、具体的にいかなる行為をしたかが明らかにされねばならないところ、本件各起訴状に記載された公訴事実は、「被告人は、共産主義者同盟赤軍派に所属するものであるが、前田祐一、田宮高麿、小西隆裕ら十数名と共謀のうえ」(よど号ハイジャック事件)、「被告人は西田政雄ほか数名と共謀のうえ」、「被告人はほか数名と共謀のうえ」(一〇・二一国際反戦デー事件)、「被告人は、第一共産主義者同盟赤軍派の最高指導者で同派政治局議長の地位にあったものであるが、上野勝輝、八木健彦らと共謀のうえ……、第二上野勝輝、八木健彦、松平直彦、大久保文人らと共謀のうえ……」(大菩薩峠事件)というものであって、被告人、弁護人らの防禦の観点からすると、弁護人らのなした釈明要求事項のうちには、右各共謀の具体的内容を明らかにするよう求める点をはじめ、相当と思料される事項も含まれており、前記弁護人らの釈明が被告人、弁護人らの責に帰すべき事由に基づくものとして、そのために費やされた期間を機械的に計算し、算入すべき未決勾留日数から控除するのは相当とは認められない。
また、検察官が証拠によって証明しようとした事実は、検察官吉村英二外一名作成名義の昭和四九年四月一五日付冒頭陳述書(一〇・二一国際反戦デー事件、大菩薩峠事件)、検察官井村章作成名義の昭和四七年九月七日付冒頭陳述書(よど号事件)に記載されたごとく、いずれも、赤軍派結成の経過、本件各犯行の経緯、共謀の経過及び成立の状況、犯行の具体的内容等に至るまで複雑、多岐にわたっているのであって、しかも、よど号事件にあっては、右犯行を直接敢行した田宮以下九名は現在に至るまで朝鮮民主主義人民共和国におり、特に田宮、小西については被告人との共謀の事実はもとより、被告人が逮捕された以後本件ハイジャック決行に至るまでの具体的調査、準備活動、ハイジャックの決行の状況に関する事実を解明するにあたり極めて重要な立場にあるのであって、これら決行犯人が不在の中で同人らとの共謀の事実を明らかにするのは非常に困難を伴なうものであったのであり、いずれも複雑、難解の事件であったという本件各事案の特殊性を指摘しなければならない。たしかに、本件各審理の開始当初数回の公判が被告人、弁護人らの不要な意見陳述等により空転した点が認められることは検察官主張のとおりではあるが、被告人、弁護人が本件各犯行を全面的に争い、その後の証拠調べ手続において、検察官申請にかかる証拠中、書証の多くを不同意とすること自体は法が被告人側の防禦権の行使として是認しているところであり、前記本件各事案の性質、内容に鑑み、記録を検討しても右被告人らが本件各公訴事実を争い、検察官申請の書証の多くを同意しなかったことが、本件審理を故意に長期化させるためになされたとは断定することはできず、従って、右被告人らの検察官申請証拠に対する不同意意見により多数の証人が長期間に亘って取り調べられる結果となった点をすべて被告人、弁護人側の責に帰すべき事由に基づくものと決めつけることも相当ではない。
検察官は、本件審理に要した前記期間のうち、通常審理に要する期間としてよど号事件に関する裁判官交替に伴う更新手続がなされた第三一回公判、証人不出頭のため実質審理が全く行われなかった公判期日七回分の合計八回の公判期日分を控除し、残る一三〇回分の公判に関し、第八七回公判に至るまでの合計一二六回の公判については月二回の頻度をもって開廷するのが相当であるとし、これを二で割り、六三か月間は審理に要する期間であったとし、これに一か月に該当する三〇日を掛けて一八九〇日を算出し、さらに第八七回公判以後判決に至るまでの実日数二〇九日を加えた合計二〇九九日前後の日数は本件の審理に通常要する日数と認めるのが相当であり、これを前記勾留実日数三六〇五日から差し引いた一五〇六日位が本刑に算入されるべき妥当な日数である旨主張する。
なるほど、審理の長期化を防ぐべく、公判開廷間隔の短縮、一か月当りの開廷頻度を高めるなどの方策が種々検討、実施されていることは検察官の主張のとおりではあるが、前述したような本件事案の内容性質、原審の審理の具体的状況を考慮すると、右検察官主張のような計算をもとに本件において算入さるべき未決勾留日数が一五〇六日位と決めつけるのは被告人の責に帰すべき事由の認められない部分を全く無視して算入さるべき未決勾留日数を算出することになり相当ではない。
以上検討したところを総合勘案すると、原判決が本件について原審における未決勾留日数中三〇〇〇日を本刑に算入した措置は、いまだ自由裁量の範囲を著しく逸脱した不当のものであるとは認められない。この点の論旨も理由がない。
(時國 下村 中野)