東京高等裁判所 昭和55年(う)904号 判決 1981年7月27日
〔参考・第一審認定の罪となるべき事実〕
被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五四年六月三日午前三時三五分ころ、大型貨物自動車を運転し、栃木県下都賀郡野木町大字友沼四、七七八番地先道路を宇都宮市方面から古河市方面に向かい時速約五五キロメートルで進行中、前方左右を注視し、進路の安全を確認しつつ進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、一時前方の信号機の信号に気を奪われて前方注視を欠いて進行した過失により、道路左側に停止していた普通乗用自動車を前方約一五メートルの地点にはじめて発見し、同車に自車左前部を衝突させて、同車を前方に押し出し、同車をしてその前方に立っていた関根好勝(当二一年)、関根洋隆(当二一年)の両名に衝突させ、よって関根好勝に対し加療約一ケ月間を要する頚椎ねんざ、顔面挫創、右膝打撲擦過創の傷害を負わせるとともに、関根洋隆をして同年六月八日午前零時五〇分茨城県古河市横山町一丁目二番六号古河整形外科病院において、腎破裂に基づく尿毒症により死亡するに至らせたものである。
主文
原判決を破棄する。
被告人を禁錮一〇月に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
所論は、要するに、原判決は、被告人の過失と被害者関根洋隆の死亡との間に因果関係を肯定しているけれども、関根洋隆は、被告人の過失に基づく本件交通事故によつては内臓に損傷を受けておらず、右交通事故によるその他の負傷で入院治療を受けた際、担当医師杉村貞夫が誤つてABO式不適合輸血をしたことにより尿毒症を併発し、これが原因となつて死亡したものであつて、その死亡は被告人の過失と因果関係がないから、原判決には影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるというのである。
そこで、調査すると、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人の過失に基づき、昭和五四年六月三日午前三時三五分ころ発生した本件交通事故により、関根洋隆が負傷し、即日古河整形外科病院に入院して医師杉村貞夫の治療を受けたが、同月八日午前〇時五〇分尿毒症により死亡したことが明らかであるところ、当審証人杉村貞夫の供述、当裁判所受命裁判官の証人池田義隆に対する尋問調書、鑑定人高津光洋の当審公判廷における供述(口頭鑑定)、同鑑定人作成の鑑定書、医師杉村貞夫作成の国民健康保険診療録謄本、古河整形外科病院看護婦作成の看護日誌謄本を総合すると、関根洋隆が元来O型血液の保持者であるのに、右の入院中、入院当日から五日間内に合計二四〇〇ミリリットルのA型血液の輸血を受けたことを認めることができる。当審証人杉村貞夫の供述、前記国民健康保険診療録謄本及び前記看護日誌謄本のうち、関根洋隆の血液型がA型であるとする各部分は、鑑定人高津光洋作成の鑑定書に対比し措信することができない。そして、鑑定人高津光洋の当審公判廷における供述によると、O型血液保持者にA型血液を大量に輸血した場合には急性腎機能不全を経て尿毒症により死亡する事態が或る程度の確率で起り得ることが認められる。しかし、同鑑定人作成の鑑定書によれば、関根洋隆が死亡前左側の腎臓に腎実質のみならず被膜腎杯にまで及ぶ傷害、すなわち、高度の腎破裂を受けていたこと、このような重症の左腎破裂及びその他の筋組織の挫滅等の外傷が、これらに伴い生じるショック状態によつて左右の腎臓をショック腎の状態に陥らせ、急性腎機能不全を生ぜしめる原因となつたこと、他方で、同人に対する診療録や治療中の諸検査結果からは、不適合輸血によつて急性腎機能不全を招来する場合に大きな役割をはたす高度の血管内溶血反応の発生した徴候が窺えないこと、結局同人に生じた急性腎機能不全が右の不適合輸血に基づく血管内溶血反応のみにより発生した可能性が少ないこと、しかし、右不適合輸血が腎破裂を含む外傷とこれに伴うショックに競合して急性腎機能不全の発生又は進行に関係した可能性も否定できないこと、また鑑定人高津光洋及び証人杉村貞夫の当公判廷における各供述により関根洋隆の死因である尿毒症の原因が急性腎機能不全であることをそれぞれ認めることができる。判旨以上の事実によれば、関根洋隆が急性腎機能不全を経て尿毒症により死亡した原因は、少なくとも前記不適合輸血のみであるとは認め難いから、被告人の過失に基づく本件交通事故による前記外傷のみであるか、又は、この外傷と不適合輸血双方の競合であるかのいずれかであるといわなければならない。しかし、このいずれの場合にもこの外傷が同人の死亡の少なくとも一原因をなしていることは確実であるといわなければならない。ところで、刑法上過失の行為と他人の死亡との間に因果関係があるというためには、過失と結果との間に経験則上通常予想し得る範囲内でのいわゆる条件関係(原因結果の関係)があることをもつて足り、当該過失が、結果発生の唯一または直接の原因であることを要するものではなく、他の要因と相まつて結果を生じさせた場合をも包含すると解するのが相当である。そうであれば、本件において、関根洋隆が、本件の交通事故により左腎破裂及びその他筋組織の挫滅等の外傷を受け、これを少なくとも一原因として死亡するにいたつたことが認められる以上、その治療の過程においてなされた杉村医師の不適合輸血が死亡原因として競合しているか否かにかかわらず、被告人の過失と関根洋隆の死亡との間に刑法上の因果関係を認めることができる。よつて、これと結論において同旨に出でた原判決の判断は正当であり、原判決に所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。
(堀江一夫 杉山英巳 浜井一夫)