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東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)176号 判決 1983年11月16日

原告 レイチエム・コーポレーション

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を九〇日と定める。

事実

第一当事者の求める裁判

原告は、「特許庁が昭和五〇年審判第八四三七号事件について昭和五五年一月二三日にした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は、主文第一、二項同旨の判決を求めた。

第二(原告)請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和四六年七月二日、名称を「熱回復性を有する合金」とする発明につき、アメリカ合衆国において一九七〇年七月二日にした特許出願に基づく優先権を主張して、特許出願をし(昭和四六年特許願第四八一六九号、以下その発明を「本願発明」という。)、その後昭和四七年一〇月五日及び昭和五〇年一月二四日付で出願明細書の補正をしたが、昭和五〇年五月二六日拒絶査定を受けた。そこで、原告は、同年九月二九日審判を請求し、右審判請求は、昭和五〇年審判第八四三七号事件として審理されたが、昭和五五年一月二三日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は、同年二月二七日、原告に送達された。

二  本願発明の特許請求の範囲(昭和五〇年一月二四日補正に係る明細書の記載による。)

チタン、ニツケル及び鉄の三元状態図において、第一番目の角がチタン四九・一パーセント、ニツケル四七・三パーセント及び鉄三・六パーセント、第二番目の角がチタン四九・一パーセント、ニツケル四八・八パーセント及び鉄二・一パーセント、三番目の角がチタン五〇・二パーセント、ニツケル四六・八パーセント及び鉄三・〇パーセント、第四番目の角がチタン五〇・二パーセント、ニツケル四五・一パーセント及び鉄四・七パーセントである四辺形によつて囲まれた領域内にある組成のチタン・ニツケル・鉄合金。

三  審決理由の要点

1  本願発明の要旨は前項の特許請求の範囲記載のとおりのものである。

2  これに対し、刊行物特公昭四四・一〇七三号公報(以下「引用例」という。)には、ニツケルとチタンのほか、鉄、コパルト、モリプデン・クロームの一種又は二種以上(以下「M」という。)からなり、ニツケル―チタン・M系状態図におけるチタン、M、ニツケルの各組成比率(原子パーセントで表示する。)が、点A(四五、〇・五五、五四・四五)、点B(五三、〇・四七、四六・五三)、点C(五三、二三・五、二三・五)、点D(四五、二七・五、二七・五)を結ぶ線分で囲まれた範囲よりなる耐食性強力ニツケル合金の発明が記載されており、金属間化合物ニツケル―チタン及びその組成付近のニツケル―チタン合金にMの一種又は二種以上を加えることにより、合金の変態温度Ms及び加工により変態の起こりうる最高温度Mdを差支えない程度まで低温側に移行し、合金の耐食性、室温及び高温における強度を著しく改善したことが述べられ、また、金属間化合物ニツケル・チタン又はその組成付近のニツケル合金は、いわゆる熱回復性の傾向を有することが説明されている。

3  本願発明に係る合金は、航空機の運転中予期される温度以下の転移点を有すること、合理的製造方法の限界内で加工ができ、脆弱でなく、脆性破壊を受け易くなく、かつ高い強度対重量比を有するという特性を備えているものと説明されている。

4  そこで、本願発明と引用例の記載事項を対比すると、本願発明の合金組成(その組成割合は、引用例同様原子パーセントによるものと解せられる。)は、引用例におけるMが鉄である場合の合金の組成範囲に包含されるものである。そして、合金の製造工程、熱処理条件等に特段の限定がある場合はともかく、組成範囲が同一の合金は、その物理的、化学的性質においても差異がないことは経験則上からも技術常識上からも明らかなところである。そうであれば、前記3の本願発明に係る合金の有する特性は、同一組成範囲の引用例の合金にも当然に具備されているところと認められ、本願発明は、これらの点を単に確認したものに過ぎないものと認められる。

5  従つて、本願発明は、引用例に記載された発明と同一と認められるから、特許法二九条一項三号に該当し、特許を受けることはできない。

四  審決を取消すべき事由

1  本願発明の要旨は、明細書(補正に係るものを含む。以下同じ。)全体の記載から判断して、前記二の特許請求の範囲記載のような各元素の組成割合を有する合金で、かつ低い温度の転移点(摂氏マイナス五四度からマイナス一九六度)を有する熱回復性合金であると認定すべきである。しかるに、審決は、前記のような特許請求の範囲に記載された事項のみをもつて、本願発明の要旨と認め、右合金の熱回復性合金としての有用性を要旨として認めなかつた誤りをおかしている。

(一) 合金を構成する元素及びそれらの元素の性質は既知であり、未知の元素を合金成分として使用することはほとんどあり得ないものと考えられ、合金組成としての元素の組合せは限られた元素群からの選択組合せによつてできるものであるから、合金組成だけで発明が完成するものと認めることはできない。合金に関する発明は、その成分範囲の合金がどのような性質又は用途をもつかという有用性を抜きにしては考えられず、その組成範囲と有用性が結びついて発明として完成する。本願発明の要旨認定もかかる見地からなされなければならない。

(二) 本願発明の明細書には、発明の名称として、「熱回復性を有する合金」と記載され、発明の詳細な説明の項には、本願発明の目的が「合金、特に合金に与えられた熱の回復性をもち得る合金に関するものである。」旨が記載されている。合金の熱回復性とは、ある種の合金が一定の温度(転移点)から下降すると、熱安定状態であるオーステイナイト状態から熱不安定状態であるマルテインサイト状態に移行し、温度が上昇すると再びオーステイナイト状態に戻る性質を有することをいうが、かような熱安定から熱不安定の状態に変化した性質のもとで該合金に加工を施し、それを熱安定状態に戻してやると、熱安定状態ではなし得なかつた加工がきわめて容易、かつ完全になしうるのである。明細書は、熱回復性合金の利用の先行技術として、二個の機械部品を接続して一体として用いる部品である「金属つぎ手」を例示する。一般に金属の接続を完全、確実に行うことは困難であるが、熱回復性合金に熱安定状態で所望の形状を付与し、熱不安定状態に移行させて所望の変形に加工して、その状態においてつぎ手として接続し、しかる後熱安定状態に戻すと、完全な接続を得ることができる。

しかして、本願発明の明細書は、かような熱回復性の生ずる由来、熱回復性合金の利用すべき機械的性質及び温度、過去にチタンとニツケルの多くの合金が右性質を有する合金として開示されている旨を示したうえ、「本発明はチタン四九・一ないし五〇・二原子濃度、鉄二・一ないし四・七原子濃度、および残りニツケルよりなる不純物を含まない合金を提供する。」として、本願発明に係る合金は、従来技術による熱回復性合金として知られたものとは異なる組成からなる熱回復性合金であることを明らかにしている。かように、明細書は、終始一貫、本願発明を熱回復性合金に関する発明として記述したうえ、その転移点が摂氏マイナス五四度からマイナス一九六度であることを明記している。

以上のような明細書の記載によれば、本願発明は、その特許請求の範囲に記載された合金組成のみをもつて要旨とするものではなく、そのような組成からなる「低い温度の転移点(摂氏マイナス五四度からマイナス一九六度)を有する熱回復性合金」をもつて発明の要旨とするものである。

(三) 本願発明に係る合金は熱回復性合金として特にすぐれた有用性を有する。従来技術では、転移点が比較的室温に近い場合において、熱安定状態にあつた合金がいつ転移点以下になるかわからず、転移点以下になると、直ちに熱不安定状態となり、金属つぎ手を例にとると、熱安定状態における完全な接続状態が失われるという現象がみられ、また、転移点を低くすると、ある種の合金では比較的低い降服強さをもつているため、実質的な金属容積の使用を必要とする結果、部品が重くなる欠点を有する。本願発明は、これらの問題点を解決し、合金の転移点の最上限を摂氏マイナス五四度(この温度は航空機の運転中予期される温度以下である。)とすると共に、前記三3記載のように、合理的製造方法の限界内で加工を可能とし、脆弱でなく、脆性破壊を受け易くなく、かつ高い強度対重量比を有する合金を開発したもので、この合金は、航空機への使用に向き、特に航空機の使用のための水圧つぎ手を設定するのに有用である。明細書はかように従来技術の問題点が解決されたことを記載すると共に、その合金組成に関する臨界値についても具体的に明示している。

このように、本願発明がきわめてすぐれた熱回復性合金の発明に係るものであることが明細書の記載自体から明確に読み取れるのであり、この点からも、本願発明が単なる合金組成のみの発明でないことを容易に理解することができるのである。

2  審決は、本願発明につき合金としての有用性の要件を除外し、単に組成比率のみを要旨として認定したため、引用例の発明(その要旨、チタン―ニツケル合金の用途、性質は前記三、2のとおりである。)との比較に当つても、引用例の発明に係る合金の有用性を除外し、組成比率のみを対比して判断している。しかし、本願発明の要旨は、前記のとおり、合金としての組成比率だけではなく、有用性を含めて認定すべきであるから、引用例の発明との対比に当つても、組成比率だけではなく、有用性を含めて判断すべきであり、その趣旨は、特許庁の合金審査基準「三―二同一性の判断」にも示されている。

かかる観点から両発明を比較すると、なるほど、合金としての組成範囲だけについてみれば、両者は重複しており、別紙図面記載のとおり、本願発明の合金組成は引用例発明の合金組成のごく一部でしかない。しかし、本願発明は、この限られたごく一部分の組成範囲の合金の特殊な有用性をもつてその実質的要旨としているのに対し、引用例の発明ははるかに広い組成範囲のものについて別の有用性を要旨としている。即ち、本願発明は、熱回復性の転移点を摂氏マイナス五四度からマイナス一九六度の間に設定し、この転移点を境として存在する合金の熱安定状態と熱不安定状態を共に有効に利用するものであるのに対し、引用例の発明に係る合金の本来の有用性は耐食性にあり、同発明の組成範囲にある合金に内在する熱回復性については、右耐食性になるべく影響を与えないようにするため「合金の変態点(転移点)を実用上差支えない程度に下げ」、「合金の変態温度Ms及び加工により変態の起こりうる最高温度Mdを実用上差支えない程度まで低温に移行し」た旨が同発明の明細書に記載されており、同発明では熱不安定状態を全く利用しないのみならず、そのような状態が出現することを極力さけるように工夫しているのである(ニツケル―チタンとその組成付近のニツケル合金は高温における強度が不十分であるうえ、室温付近に変態点(転移点)を有し、この変態点を境に寸法が急激に変化すると共に、変態点以下では塑性が減じて冷間加工が著しく困難となるため、引用例の発明では右のように合金の変態点を下げたのである。)。

してみると、引用例の発明の明細中に熱回復性合金につき有用性に関する一部記載があるとしても、その有用性は回避の対象としての有用性であり、それは、本願発明における不可欠の利用の対象とした有用性とは全く性質を異にするものといわざるを得ないのである。従つて、本願発明と引用例の発明とは有用性の点において同一性を認めることはできない。

3  仮に、審決の本願発明の要旨認定に誤りがないとしても、審決は次の点において違法である。即ち、本願発明の要旨が合金組成比率に限られるとしても、引用例の発明との同一性を判断するに当つては、両発明が共に合金に関するものである以上、前記合金審査基準が「同一組成範囲の合金であつても、その発明者の認識した性質が異なり、それに伴う用途が異なるときは同一発明とはしない。」としているように、単にその組成範囲の同一性だけではなく、その有用性即ち右にいう性質、用途の異同をも比較する必要があるのである。

この点に関し、審決は、引用例の発明に係る合金と本願発明に係る合金につき、前記三、2及び3のとおりそれぞれの性質、用途が異なることを認定しながら、本願発明に係る合金の性質、用途は、「同一組成範囲の引用例合金にも当然具備されているところと認められ、本願発明はこれらの点を単に確認したにすぎないものと認める。」として、一般論に帰り、同一組成範囲の合金間には同じ性質があるとの理由で、両発明の同一性を認定した。しかし、右認定は両発明の性質、用途に関する前記認定と明らかに矛盾し、審査基準にも反する誤つたものである。

以上の理由により、審決は判断を誤つたもので違法であり、取消されなければならない。

第三(被告)請求の原因の認否及び主張

一  請求の原因一ないし三の事実は認めるが、同四は争う。

二1  本願発明の要旨は、特許請求の範囲記載のとおりの特定の組成からなる合金であり、その組成範囲は、引用例記載の発明における合金のM成分が鉄の場合の組成範囲に含まれるから、両発明は同一である。

2  原告主張の本願発明に係る合金の有用性が本願発明の要旨とされていないことは、その特許請求の範囲の記載から明らかである。出願人が何について特許を請求するかは、出願人自身が明細書の特許請求の範囲において決めることであつて、それを無視して、特許庁が特許請求の範囲に記載されていない事項を特定して発明の要旨を認定することは不可能である。従つて、原告主張のように、本願発明の要旨に合金の有用性までをも含めて解すべき根拠はない。

3  審決が両発明に係る合金の性質、用途を認定したのは、これによつて両者の同一性を比較しようとしたものではなく、両発明に係る合金の組成範囲が同一であるから、両発明は同一であると認定したうえで、引用例には、引用例の発明に係る合金も熱回復性を有することが開示されていることから、作用効果(性質、用途)においても同一であると認定したにとどまり、全くの付加的判断にすぎないのである。

4  仮に、原告主張のように、本願発明の要旨を特許請求の範囲記載の各元素の組成比率をもつ熱回復性合金と解するとしても、引用例の発明の詳細な説明の項には、本願発明に係る合金と組成を同じくする合金が熱回復性を有することについて記載されているから、引用例には本願発明と同一の技術事項の記載があるということができる。原告は、引用例の発明に係る耐食性合金にあつては、熱回復性は回避されなければならないものであるから、引用例には熱回復性を利用する合金の発明に関する記載はない旨主張するが、審決が本願発明と対比したのは、その特許請求の範囲に記載された発明ではなく、引用例の発明の詳細な説明の項に前記のように、本願発明の合金と組成が同一で共通の性質を有する合金が開示されている点を採り上げて、この記載事項を引用例記載の発明と認定し、これと本願発明とを対比し、両者を同一であると判断したものであつて、そのことは誤りではない。

5  よつて、審決には原告主張のような違法はない。

第四証拠関係<省略>

理由

一  本願発明の特許出願後審決に至るまでの特許庁における手続の経緯が請求原因一記載のとおりであること、昭和五〇年一月二四日補正に係る本願発明の特許請求の範囲の記載内容が同二記載のとおりであること、本願発明の特許出願を拒絶すべきであるとする審決の理由の要点が同三記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

二  先ず、原告の本願発明の要旨誤認の主張について判断する。原告の主張は、要するに、合金の発明はその組成と有用性即ち性質、用途とが結び付いて始めて完成するものであるから、本願発明においても、明細書の特許請求の範囲に記載されている合金の組成に加えて、発明の詳細な説明の項に記載された有用性をも併せて本願発明の要旨を認定すべきであつたのに、審決は特許請求の範囲に記載された合金の組成のみを要旨であると認定した点において、要旨の認定を誤つた違法があるというにある。

1  本願発明が合金に関するものであることは、発明の名称及び特許請求の範囲の記載自体から明らかである。ところで、合金は、ある金属元素に別の元素を一つ以上加えたもので、やはり金属としての性質を有するものであるが、自然科学の現段階において、元素として未知なものが存在しないとされている以上、合金成分としての元素の組合わせは限られることになるので、単にある種の合金を組成する数種の元素の比率を示すだけでは、未だこれをもつて合金に関する完成された発明ということはできず、少なくともそれがどのような性質又は用途を有するかということを明らかにすることによつて、はじめて合金としての発明が完成するものというべきである。

(成立に争いのない甲第六号証、合金の審査基準参照)

しかして、前記のとおり、本願発明の特許請求の範囲の記載は、単に合金を組成する元素の比率を示すだけにとどまり、その性質又は用途を欠いているから、これを文言どおりのものとして、その発明の要旨を認定すれば、本願は発明として未完成のものといわざるを得ない。しかし、発明の要旨の認定は、本来特許請求の範囲の記載に基づいて行うべきものであるが、その際、特許請求の範囲の記載のみでは発明の構成要件が明確さを欠いていたり、その趣旨が十分に表現されていないような場合には、必要に応じ明細書の他の記載、図面等を参酌して釈明補完することを禁ずるものでないことはいうまでもないところである。しかし、他方、そのような釈明補完は無限定に許されるべきではなく、発明の要旨を把握するに必要な限度を超えてはならないのであり、本願のように、特許請求の範囲に合金組成比率を示したにすぎないような場合にあつては、合金発明としての成立を認めるに必要な限度内においてのみ明細書の記載中その性質又は用途を参酌のうえ、その要旨の認定を行うべきものである。

2  成立に争いのない甲第二ないし第四号証(本願発明の明細書及びその補正書)によれば、本願発明の名称は「熱回復性を有する合金」と記載され、その発明の詳細な説明の項には、その目的として「本発明は合金、特に合金に与えられた熱の回復性をもち得る合金に関するものである。」と記載され、更に「本発明はまた熱回復できる物品、特に合金でつくつた………水圧式つぎ手を提供する。」との記載があるほか、合金の熱回復性の生ずる由来、熱回復性合金の利用すべき性質、熱回復性を有するチタンとニツケルの合金に関する従来技術、それらの有する技術的課題等が記載されていることが認められる。これらの記載を中心に本願発明の明細書の内容を総合的に参酌すれば、本願発明に係る合金は、少なくとも熱回復性を有する合金としての性質を有するものであると認めることができる(なお、前掲甲第二号証及び弁論の全趣旨によれば、右にいう熱回復性とは、原告が主張するように、ある種の合金が一定の温度(転移点)から下降すると、熱安定状態(オーステイナイト状態)から熱不安定状態(マルテインサイト状態)に移行し、温度が上昇し転移点を超えると再び熱安定状態に戻る性質をいうもので、熱安定状態で合金をある種の形状に形成し、これを熱不安定状態に移行させて塑性変形させても、熱安定状態に戻すと合金はもとの形状に戻るものであることが認められる。)。

従つて、本願発明の要旨は、前記特許請求の範囲の各元素による組成比率をもつ熱回復性を有する合金と認定するのが相当である。

3  原告は、本願発明の要旨を、特許請求の範囲記載の各元素の組成比率をもち、低い転移温度(摂氏マイナス五四度からマイナス一九六度)を有する熱回復性合金と認定すべき旨を主張する。しかし、本願発明の特許請求の範囲は、単に元素の組成比率を示すだけで、合金の性質又は用途の記載を全く欠くため、これを解釈により補うことによつて完成した発明と認め得るか否かの検討を要するという甚だしく不備なものである。そこで、既に述べたような検討を経た結果、本願発明が熱回復性を有する合金を対象とするものと認められたので、本願を発明として完成したものとするための最少限度の要件として、合金の性質である熱回復性ということを補えば足るとの判断のもとに、前記のようなものとして本願発明の要旨の認定をしたのである。この場合、原告主張のように、更に熱回復の転移点を限定する要件を加えて要旨認定を行うことは、許容された特許請求の範囲の解釈による補充の限度を超えるものといわざるを得ない。前掲甲第二ないし第四号証によつて認められる、本願発明の明細書中の発明の詳細な説明の項の記載に徴しても、本願発明において熱回復性の転移点を原告主張の低温度に限定することを要件とすべき程度に簡明直載な記載があるわけでもない。原告の主張は失当といわざるを得ない。

4  ところで、審決は、本願と引用例の記載を対比し、両者の合金は組成範囲が同一であるから「物理的、化学的性質においても相違のない」旨判断しているが、かかる対比をしている以上、審決も、本願が合金に関する発明として完成されたものであると認めたうえ、このことを前提として右判断に及んだものと解せざるを得ない(もし、審決が、これを未完成発明と認定していたのであれば、それを理由に本願を拒絶したはずである。)。そして、引用例の記載中、特に熱回復性に関する説明部分を摘記しているところからみて、審決も、その措辞適切を欠くところはあつても、実質上は本願発明の要旨について、当裁判所と同じ認定をしたものと解するのが相当である。そうであれば、審決に本願発明の要旨を誤認した違法はない。

三  かように、本願発明の要旨は、特許請求の範囲記載の各元素の組成比率をもつ熱回復性を有する合金と認定すべきであるが、先ず、その組成比率は、争いのない請求原因三、2記載の引用例の発明に係る合金の組成中Mを鉄とした場合の組成範囲に含まれることになるから、両者の合金の組成は同一であると認めることができる。次に、引用例に金属間化合物ニツケル―チタン又はその組成付近のニツケル合金が熱回復性の傾向を有することが説明されていることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第五号証(引用例)によれば、右にいうニッケル―チタン又はその組成付近のニツケル合金の中には引用例の発明に係る合金も包含されていると認められるから、結局引用例には、引用例の発明に係る合金が熱回復性を有する旨の記載があるものということができ、そうであれば、本願発明に係る合金と引用例の発明に係る合金とは、その性質においても同一である。

原告は、本願発明に係る合金が熱回復性を利用するものであるのに対し、引用例の発明に係る合金は耐食性のもので、熱回復を回避するよう工夫してあるとの理由で、熱回復性の点で両者を対比して同一性の判断をすべきでない旨主張する。しかし、本願発明の要旨を、特許請求の範囲に記載された各元素の組成比率をもつ熱回復性を有する合金と認定すべきことは前記のとおりであり、右の限度を超えて熱回復性の内容、更にはその利用方法までを要旨に含ましめることはできないのであるから、引用例中に、本願発明と同一組成の合金が熱回復性を有することが示されている以上、両者は同一発明とみざるを得ないのであり、これをいかに利用し、或は回避するかは、同一性の判断を左右するものではないというべきである。

四  以上述べたところによれば、本願発明と引用例記載の発明とは同一と認めるべきであるから、特許法二九条一項三号に基づき、本願発明は特許を受けることができないものであるとした審決の判断は正当である。

五  よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、一五八条二項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石澤健 楠賢二 松野嘉貞)

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