東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)201号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、本件当事者間に争いのないところである。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 原告は、本件審決は、本願特定発明と第一引用例ないし第三引用例記載の事項との構成及び作用効果上の差異を看過した結果、本願特定発明をもつて右の各引用例記載の事項及び周知事実から容易に発明をすることができたものとの誤つた結論を導いたものである旨主張するところ、以下に説示するとおり、原告の右主張は、理由があるものというべきである。
前記本願発明の要旨に成立に争いのない甲第二号証の一ないし三(昭和四八年五月一四日付及び昭和五二年一一月二二日付各手続補正書並びに図面)を総合すると、(1)本願特定発明は、粉末金属物品に関し、詳細には、高速度鋼又はダイス鋼の組成をもつ粒子を高温成形して作つた粉末金属製品に関するものであつて、特に、切削工具用に適する粉末金属製品に係るものであること、(2)従来、例えば、シリンダーホブのような工具の場合、硬化処理後に対称又は円形の崩れが生じ、処理後に研削操作を必要とするという欠点があつたこと、(3)本願発明の発明者は、金属成分の炭化物が均一に分散されている粒子を酸素不存在下で高温に加熱することによつて、右粒子の炭化物構造を実質的に保持しつつ成形してなる粉末金属製品の構成を採用すれば、金属成分の炭化物が均一に分散し、方向性をもたない均質な細かい炭化物組織のものが得られ、前記欠点を解消することができることを見いだしたこと、(4)本願特定発明は、右知見に基づき、前記従来技術の欠点の解消を目的として、本願発明の要旨(1)(特許請求の範囲(1)の記載に同じ。)のとおりの構成を採用し、これにより、所期の目的を達成するとともに、所望の高度の硬化水準に達成するのに必要なオーステナイト化時間を実質上短縮することができ、また、硬度及び寿命が改善された切削工具用に適する粉末金属製品が得られるという顕著な作用効果を奏するものであり、例えば、ホブの切削能力が最も悪影響を受けるのは刃先の砕けであり、この刃先の砕けの程度は、ホブ中(特に刃先)に存する炭化物の大きさ及び方向性によつて大きく支配され、もし、長い炭化物が切削歯刃に沿う縦方向にあれば、切削歯部分は、切削中にたやすく崩壊するが、本願特定発明の粉末金属製品によるホブは、細かい均一に分散した均質炭化物構造をもつものであるから、切削歯部分の崩壊することがなく、寿命が改善されたものが得られるということが認められる。他方、第一引用例ないし第三引用例の記載内容が本件審決の認定のとおりであることは原告の認めるところ、これに成立に争いのない甲第三号証ないし第五号証(第一引用例ないし第三引用例)を総合すると、第一引用例ないし第三引用例は、いずれも本願発明の優先日前に頒布された論文(第一引用例)、英国特許明細書(第二引用例)及び米国特許明細書(第三引用例)であつて(この点は、原告の明らかに争わないところである。)、第一引用例には、高速度鋼をアトマイズ法により微粉化して、該粉末中に炭化物が微細に析出したものを作り、これを容器内に充填し、堅い工具材料に圧密化するため熱間鍛造又は圧延を行うことが記載されており、また、第二引用例には、金属粉末組成物の五〇%より大きい部分を構成する高速度鋼粉末基材、すなわち、重量%で炭素〇・七六%ないし二%、クロム四%ないし五%、バナジウム一・四%ないし四%及びタングステン六%ないし二二%、残部が鉄あるいは更にコバルト五%ないし一八%を含有する高速度鋼粉末基材と、それに粉末状で添加したバナジウム、モリブデン、クロム、チタンの一つ又はそれ以上の炭化物からなる、粉末冶金法により切削工具を製造するための金属粉末組成物が記載されており、更に、第三引用例には、粉末冶金法により工具鋼を製造する技術が開示されており、その概要として、溶融合金鋼をアトマイズド粉とし、水素中で焼なましした後炭素成分であるすすを加えて成型し、該成形物を高温で焼結することが記載されていることが認められる。
そこで、以上認定の事実に基づき、本願特定発明と第一引用例ないし第三引用例記載の技術とを対比考察するに、本願特定発明は、(1)特定の合金組成範囲の粒子から構成された金属成形体からなるものであつて、(2)右粒子の各々には金属成分の炭化物が均一に分散されており、(3)右粒子を酸素不存在下で高温に加熱することによつて右粒子中に均一に分散されている炭化物構造を実質的に保持しつつ、少なくとも約九九%の最終密度まで成形し、(4)次いで、オーステナイト化、焼入れ及び焼戻しなど硬化処理をしたものであり、(5)右硬化処理後の硬度が少なくとも五八Rcである切削工具用に適する粉末金属製品であるところ、まず、本願特定発明と第一引用例記載の技術とを比較すると、両者は、原料として微細な炭化物を含有する粒子ないしは粉末を使用し、これを圧密化する点において共通しているが、第一引用例には、本願特定発明の右(1)の構成要素についての開示がなく、また、本願特定発明と第二引用例記載の技術とを比較すると、第二引用例には、本願特定発明の右(1)の特定の合金組成範囲と重複する合金組成からなる金属組成物の開示はあるけれども、第二引用例記載の技術は、右の金属組成物に金属成分の炭化物を粉末状で添加した混合粉末を原料とするものであるから、本願特定発明の右(2)の構成要素の粒子を原料とするものとは、原料粒子を全く異にするものであり、更に、本願特定発明と第三引用例記載の技術とを比較すると、第三引用例記載の技術は、アトマイズド粉を炭素成分であるすすを加えて成型するものであるから、本願特定発明の右(2)の構成要素の粒子を原料とするものとは、その構成を全く異にするものであり、更にまた、第一引用例ないし第三引用例には、本願特定発明の右(1)ないし(5)の構成要素を結合して切削工具用に適する粉末金属製品とする技術的思想を示唆するに足りる技術事項の開示もない。なお、周知慣用手段が本件審決のとおりであることは原告の認めるところ、右の周知慣用手段によると、粉末冶金において成型体に著しい変形を与えることなく高密度化することは、アイソスタチツクブレスとして周知であるということができるが、右の周知事項から本願特定発明の前記(3)の構成要素が周知であるということもできず、また、粉末焼結鋼の特性を改善するため熱処理(焼入れ、熱戻し)を行うことが慣用されているとしても、そのことは、単に本願特定発明の前記(4)の構成要素が慣用技術であることを意味するにすぎない。なおまた、前認定の第一引用例ないし第三引用例記載の技術内容によると、右の各引用例には、本願特定発明の前示構成による前認定の顕著な作用効果を予測し得るような技術事項の開示があるとも認められない。してみれば、本願特定発明は、右の各引用例記載の技術及び周知慣用技術から容易に発明をすることができるものと認めることはできない。被告は、本願発明の優先日前に、細かい炭化物が均一に分散した高速度鋼粉末をアトマイズ法によつて製造し、これを缶詰状態(酸素不存在下)において熱間加工(鍛造又は圧延)によつて高速度鋼の工具素材とすることが第一引用例により知られていれば、高速度鋼の特定を左右する炭化物の存在形態について配慮することは、当業者であれば極めて当然のことと認められ、その際、均圧加圧法としてその特徴が普通に知られているアイソスタチツク法を用いることは容易である旨主張するが、本願特定発明は、単に被告が主張するような技術を組み合わせたものではなく、第一引用例ないし第三引用例記載の技術成び周知慣用技術から容易に想到し得ないものであることは、前説示のとおりであるから、被告の右主張は、採用することができない。また、被告は、第一引用例ないし第三引用例には被告が主張するような技術事項の記載があり、これに被告主張の周知の技術事項を適用すれば、本願特定発明に容易に想到し得る旨主張するが、第一引用例ないし第三引用例記載の技術及び本件審決認定の周知慣用技術から本願特定発明に容易に想到し得ないことは、前認定判断のとおりであるから、被告の右主張も、採用の限りでない。更に、被告は本願特定発明の作用効果は十分予測し得るものにすぎない旨主張するが、第一引用例ないし第三引用例に本願特定発明の作用効果を予測し得るような技術事項の開示がないことは前説示のとおりであり、また、たとい、コムストツクの英国特許明細書(甲第六号証)やシエークスピア及びオリバーの論文(甲第七号証)などに被告主張の技術事項の記載があるとしても、これらは本件審決の引用するところではなく、したがつて、右技術事項に基づいて本願特定発明の作用効果の予測性を論ずることは許されないから、被告の右主張も、採用するに由ないものである。更にまた、被告は、本願特定発明の製品の特性は、周知慣用手段の適用の結果当然に奏する効果にすぎない旨主張するが、本願特定発明は、単に被告の主張する作用効果を奏するにとどまるものではなく、本願発明に特有の顕著な作用効果を奏するものであることは、前認定の事実に照らし明らかであるから、被告の右主張もまた、採用することができない。
(結語)
三 以上のとおりであつて、本件審決を違法としてその取消しを求める原告の本訴請求は、理由があるから、これを認容することとする。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
(1) 炭素と反応して炭化物を生成する金属成分であるチタン、バナジウム、モリブデン、ジルコニウム、ニオブ、タングステン又はタンタルを含む高速度工具鋼又はダイス鋼組成の予備合金化、噴霧化次いで成形された粒子から構成された金属成形体から成り、成形された該粒子は〇・八ないし三・〇〇%の炭素、二%までのマンガン、一%までのシリコン、〇・五%までの硫黄、一八%までのタングステン、一〇%までのクロム、一二%までのモリブデン、五%までのバナジウム、一二%までのコバルト、残部鉄(但し、タングステン+モリブデン+クロム+バナジウムの合計は少なくとも一〇%である)から成り、該粒子の各々には前記金属成分の炭化物が均一に分散されており、酸素不存在下で高温に加熱することによつて、該粒子の炭化物構造を実質上保持しつつ、少なくとも約九九%の最終密度にまで該粒子を成形し、次いでオーステナイト化、焼入れおよび焼戻し処理を行なうことによつて所望硬度を与えた、オーステナイト化、焼入れおよび焼戻し後の硬度が少なくとも五八Rcであつて、切削工具用に適する粉末金属製品。
(2) 炭素と反応できる金属成分を含む鋼粒子の装入物を加熱して該反応性金属成分の炭化物が実質上均一にその各々の内部に分散した粒子とし、該装入物を酸素不存在下で昇温し、昇温下にある間に該装入物に圧力を加えて成形して少なくとも九九%の密度を有する金属成形体とし、次いで該金属成形体をオーステナイト化処理し、焼入れそして焼戻して最低五八Rcの硬度をもつ金属成形体とすることから成る粉末冶金製品の製造法。