東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)237号 判決
審決取消事由の有無について検討する。
まず、いずれもその成立に争いのない甲第二号証(本願発明の特許公報)及び甲第三号証(同手続補正書)によれば、本願発明の明細書においては、その特許請求の範囲の記載中には「本文に定義するゲル含量」とあり、また、発明の詳細な説明中には「本発明でいう共重合体ラテツクスのゲル含量は、該共重合体ラテツクスをメタノールの如き適当な凝固剤で凝固し、水洗、乾燥した後所定量の(約〇・三g)試料を所定量(一〇〇ml)のベンゼンに二〇時間浸漬した後ベンゼン不溶分を測定し、試料に対する重量%をもつて定義する。」(甲第二号証第二欄第三二行ないし末行)と記載されていることが認められる。右事実によれば、本願発明における「ゲル含量」とは、右に定義されたとおりのものとみるのが相当である。もつとも、右発明の詳細な説明中には、「共重合体がその三次元構造の含有の度合を示す有機溶剤不溶分(以下ゲル含量という。)……」との記載(同号証第二欄第五ないし第七行)もあるが、右に定義されたゲル含量が三次元構造(すなわち架橋)の度合とも関連するものであることは否定できない事実であるけれども、共重合体の三次元構造の度合と、その共重合体の有機溶剤不溶分含量とが特定の相関関係にあるものでないことは当業者の技術常識とするところであることから考えれば、右記載があることをもつて、本願発明における「ゲル含量」について、被告主張のような文字どおりの「ゲル」の含有量と解すべきものとする等、右明確な定義を左右するに足るものとみることはできず、他にもこれを動かすに足る証拠はない。
つぎに、いずれもその成立に争いのない甲第五ないし第七号証によれば、引用例一には、審決の認定するとおり、脂肪族共役ジエン、エチレン系不飽和酸単量体、アルケニル芳香族単量体およびエチレン系不飽和カルボン酸アルキルエステルよりなる共重合体ラテツクスおよび顔料を含む水分散物よりなる紙被覆用組成物が記載され、引用例二には、変性剤あるいは連鎖移動剤の使用に関して、「網目構造を持つた超巨大分子に変えるには、僅かな架橋しか必要とされない。そのような粒子は、溶剤中に懸濁し膨潤した時に、ミクロゲルと呼ばれる。理想的な場合、網目の形成には、ポリマー分子当り一個の架橋が必要であるから、ブタジエン共重合体の分子量が小さければ小さい程、ゲル生成又は硬化の為には、より多くの二次重合が必要となることは明らかである。より低い平均分子量をもつたブタジエン―スチレン共重合体はより加工しやすいということは実際上極めて重要である。分子量の調節、架橋の調節及び他の利点は乳化重合に変性剤を使用することにより得られる」という記載があり、引用例三には、スチレン―ブタジエン共重合体の乳化重合について、連鎖調節剤であるt―ドデシルメルカブタンの添加量と被覆紙におけるピツク抵抗との関係が記載されていることが、それぞれ認められるが、引用例一、引用例二及び引用例三を通じて、前認定の本願発明における「ゲル含量」のみならず、被告主張のような「ゲル」の含有量の意味においても、共重合体の「ゲル含量」については、直接何らの記載もないことが認められる。
ところで、審決は、本願発明でいう「ゲル含量」は、その明細書の記載からみて、共重合体中の三次元構造(架橋)の度合を示すことと解されるから、引用例二でいう「架橋の調節」とは、とりもなおさず「ゲル含量」を調節することにほかならない、として引用例二に記載の事実と引用例一および三に記載の事実とを互いに関連づけ、これを前提として判断している。
しかしながら、一般論として、重合体のゲル含量が架橋の調節によつて変動する場合があることは事実であるとしても、これら引用例一ないし三には前認定のようにゲル含量について全く記載がならいのみならず、前認定の事実によれば引用例一に記載の共重合体はエチレン系不飽和カルボン酸を単量体単位として含むのに対し、引用例二および三にはスチレン―ブタジエン共重合体が記載されているにすぎないのであるから、引用例一に記載の共重合体が引用例二および三に記載されているわけでもないのである。
そうすると、本願発明において、後記認定の効果を得る目的のために、エチレン系不飽和カルボン酸を単量体単位として含む共重合体のゲル含量に着目すること自体困難なこととみざるをえないから、ゲル含量の調節という観点のもとに引用例一ないし三に記載の事実を関連づけることは、その間に飛躍があり、にわかに首肯しえないところである。すなわち、引用例一ないし三は、本願発明の明細書に記載されているゲル含量との関係の開示をまつてはじめて関連づけることができるにすぎないとみられるのである。
そして、前記甲第二号証によれば、本願発明の明細書の発明の詳細な説明には、共重合体ラテツクスのゲル含量と被覆紙の物性とがデータをもつて明示されていることが認められ(実施例一ないし五の第一ないし第一〇表)、そのデータによれば、共重合体ラテツクスのゲル含量が四〇~八五重量%の範囲にあるものについては、紙被覆用組成物における耐水性と接着性の両者の要求を同時に満足させることができるという優れた効果を奏することが認められる。
なお、被告は乙第一号証及び乙第二号証を引用して、ゲル含量はゴムラテツクス工業の分野で以前から使用されてきたものであるとして、本願発明が容易に推考できた旨主張する。
しかしながら、前認定のとおり、引用例一ないし三には「ゲル含量」についてはなんら記載がないばかりでなく、「ゲル含量」と「架橋の調節」とは相互に関連性はあるものの、これら両者は全く異なる現象に基づく概念であつて、両者の間に例えば比例関係の如きある一定の定まつた関係があるとは、技術常識からも考えられないのである。
したがつて、乙第一号証及び乙第二号証に記載の事実が存在しても、これらを審判において新たな公知例として考慮するというのであれば格別、そうでないかぎり、引用例一ないし三に記載の事実に基づいて本願発明における共重合体ラテツクスのゲル含量に着目することは容易になしうるということはできない。
以上によれば、本願発明は、引用例一ないし三に記載の事実から容易に考えられたものであるということはできず、これと異なる審決の認定、判断は誤りであり、右誤りが審決の結論に影響を及ぼすべきことは明らかであるから、審決にはそれを取り消すべき違法があるといわなければならない。
よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとする。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
(A)鉱物性顔料および(B)顔料結合剤として該顔料一〇〇重量部に対し固形分として五~四〇重量部の重合体ラテツクスを含み、かつ該重合体ラテツクスが(1)二五~六〇重量%のブタジエン、(2)三〇~七四・五重量%スチレンまたはスチレンおよび他の共重合可能なビニル単量体の混合物、並びに(3)〇・五~一〇重量%のイタコン酸、アクリル酸およびメタクリル酸から選ばれた一種または二種以上のエチレン系不飽和カルボン酸から構成され、しかもその本文に定義するゲル含量が四〇~八五重量%である共重合体ラテツクスであることを特徴とする接着性および耐水性のすぐれた紙被覆用組成物。