東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)244号 判決
1 請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
2 そこで、原告主張の審決取消事由の存否について判断する。
(一)(1) 原告は、第一引用例には、「僅かに架橋結合した親水性重合体」をブロツクの形で成形し、該ブロツクの切断又は他の機械的成形方法により、コンタクトレンズその他の所望の物品とすることが開示されている旨主張する。
成立に争いのない甲第六号証によれば、第一引用例には、コンタクトレンズ、外科用の板状部材又は充填部材、ペツサリー、隔膜のような親水性膨潤成形物品とその製法が記載されており、前記成形品は多数の親水性の非イオン性基を含む長鎖状重合体よりなり、その長鎖状重合体は所望の物品の形状を有する型又はブロツクの形を有する型の中において重合、架橋され、その架橋の程度は長鎖状重合体の単量体単位五〇~六〇〇個毎に一個の架橋が存在する程度であり、該長鎖状重合体成形品は、水及び/又は、エチレングリコールのような水溶性不活性液体を反応混合物の全重量に対し二〇~九七%存在させて前記型中で重合、架橋を行うことにより製造し、得られた成形品は水洗し、水又は水溶液中に貯蔵するものであることが認められ、更に、実施例一として、ポリビニルアルコール水溶液を主体とする組成物を用いて型の中でヒドロゲルをつくり、型から取り出して水洗し、ホウ酸水溶液に浸漬すること、実施例二として、ポリビニルアルコールを主体とする組成物を用いて型の中でヒドロゲルをつくり、得られた成形品を隔膜又は類似物として利用すること、実施例三として、トリエチレングリコールモノメタクリレート、トリエチレングリコールジメタクリレート、水、エチレングリコールよりなる組成物をコンタクトレンズの形状をした金型の中で触媒により重合し、得られたコンタクトレンズを型から取り出し、水洗後ホウ酸水溶液中に保存すること、実施例四として、アクリルアミド、エチレングリコールモノメタクリレート、エチレングリコールジメタクリレート及び水よりなる組成物を金型の中で触媒により重合し、得られたゲル状物を水洗し、溶液中にて保存することが記載されている。
しかしながら、重合体成形物を切削又は他の機械的加工により製造する技術は、その実施例中には開示されておらず、ただ機械的加工に関し、「前記ポリ反応、すなわち重合又は縮重合は、要求される物品に対応する型の中で行つてもよく、或いは該物品より大きなブロツクをつくるための型の中で行つてもよく、この場合は該物品は得られたブロツクより切断又はその他の機械的成形方法によりつくることができる。」(第一頁第一九行ないし第二五行)、「親水性成形品は、本発明によれば、多数の親水性の非イオン性基を含有する長鎖状重合体を所望の物品の形を有する型の中で架橋するか、或いはブロツクの形を有する型の中で架橋し、物品を該ブロツクから切断によつて成形して作製される。」(同頁第六八行ないし第七四行)旨記載されているにすぎず、右切断又は機械的成形方法をヒドロゲル(膨潤剤を含有する状態のもの)の状態で行うのか、キセロゲル(膨潤剤を含有しない状態のもの)の状態で行うのかについてすら明確な記載はない。そして、この特許明細書に示された技術は、膨潤剤二〇~九七%を含む重合体物品を金型中で製造する技術であり、得られた重合体物品はヒドロゲルであつて、かつヒドロゲルの状態のままで使用することを目的としているものであることが明らかであるから、右の機械的加工は、金型の中で得られた重合体、すなわち二〇~九七%の膨潤剤を含むヒドロゲルの状態の重合体に対して実施するものと解すべきであり、成立に争いのない甲第二号証ないし第四号証によつて認められる本件発明における実質的に膨潤剤を含まない重合体に実施するものと解する余地はない。
(2) 原告は、第一引用例のヒドロゲルに相当する二〇~三〇%の膨潤剤を含む膨潤ヒドロゲルは、切削、研摩等の機械的加工を受けるにたりる硬さを有するものであり、また本件発明の方法における機械的加工を行う場合の条件は、親水性重合体が実質的に非膨潤の状態すなわち切削及び/又は研摩からなる機械的加工ができる状態を指す旨主張し、その証拠として、東洋コンタクトレンズ株式会社三尾武志、高橋耕造作成にかかる実験報告書(甲第一三号証、第一四号証)を提出している。
しかしながら、成立に争いのない甲第一三号証、第一四号証によれば、右実験報告書における重合体の種類、膨潤剤の種類及びその組合せは、第一引用例の技術的範囲に含まれるとはいえ、特殊な一例にすぎず、しかも第一引用例がその発明として開示している技術は、前述のとおり膨潤剤二〇~九七%を含む重合体物品を金型中で製造する技術であり、二〇~三〇%の膨潤剤を含む膨潤ヒドロゲルを型から取り出し、切削研摩することがたまたま実験的に可能であつたからといつて、その結果から直ちに、実施例をはじめとする第一引用例の二〇~九七%の膨潤剤を含むヒドロゲルがコンタクトレンズのようなきわめて精緻な機械的加工を受けるにたりる硬さをもつヒドロゲルを包含する技術的思想を開示しているものということはできないといわなければならない。
(3) したがつて、第一引用例には、本件発明と同一の技術的思想が開示されているとすることはできないから、この点に関する審決の判断には誤りがない。
(二) 原告は、仮に第一引用例に親水性重合体を非膨潤状態で機械的加工することが明示されていないとしても、第二、第三、第五各引用例に、非膨潤状態にある親水性重合体が機械的加工しうる程度の硬度を有することが示されているので、第一引用例の「所望の物品は親水性重合体のブロツクの切断又は他の機械的成形方法によつてつくられる」との記載に基づいて容易に発明できる旨主張する。
そこで、第二、第三、第五、各引用例のそれぞれの記載内容について検討する。
(1) 成立に争いのない甲第七号証によれば、第二引用例は、「生物学的用途の親水性ゲル」と題する論文であつて、生物組織に対して使用しうる親水性架橋プラスチツクの中で、「グリコールモノメタクリレートと一〇分の数パーセントのグリコールジメタクリレートとの共重合体が最も好適である」こと(第一一八頁左欄第一四行ないし第一六行)、「このような共重合体はほとんど加水分解することがなく、また生物学的物質に対し中性である。その上、機械的特性や含水量を要求に応じて調整できるという利点がある。また損傷なく熱殺菌にも耐える。」こと(同欄第一五行ないし第二二行)、「グリコールメタクリレートから得られたゲルはその透明度において注目すべきである(含水量が三〇%以下で、高濃度のグリコールを含むポリグリコールモノメタクリレートの場合)。」こと(同欄第二八行ないし第三二行)、「適当な型内での水溶液の重合によつて、所望の形状物が得られる。」こと(同欄第三九行ないし第四一行)、「グリコールモノメタクリレートの迅速な重合による多孔性構造の形成は非常に重要である。」こと(同欄第四五行ないし第四七行)、「多孔質試料を乾燥させると、水に浸漬すると元の形状、構造にもどる透明な固体物質が得られる。」こと(同欄第五二行ないし第五四行)、「このような物質は眼球摘出後の充填等の応用に適していることがわかつた。また他のケースにおける実験、例えばコンタクトレンズ、動脈等の製造においても有望な結果が得られている。」こと(同欄第六〇行ないし第六五行)等が記載されている。
しかしながら、この論文は、親水性架橋重合体の成形加工法について、金型の中で単量体を重合して所望の形状物を得る方法を開示するのみで、切削又は研摩等機械的加工については何らの記載も存しない。
したがつて、第二引用例には、実質的に非膨潤の状態の親水性架橋重合体がハードコンタクトレンズの材料であるポリメチルメタクリレートと同じような機械的加工をしうる程度の硬度を有することが示唆されていると解することはできない。
(2) 成立に争いのない甲第八号証によれば、第三引用例は、顕微鏡用の生物学的標本をつくるための超薄型切片を製造する技術に関する論文であつて、生物学的標本を支持するために使用する重合体はメタクリル酸グリコールエステル、正確にはモノメタクリル酸エチレングリコールエステルに少量のジメタクリル酸トリグリコールエステルを加えて重合することにより得られた三次元構造の重合体であり、その硬度と外観は含水量にかなり依存しており、その硬度は含水量を減ずることによつてかゆ状の硬さの物質から超薄型切片の製造に適する物質まで変化することが記載されている。したがつて、そこで使用される重合体は、親水性三次元構造重合体、すなわち親水性架橋重合体である点において、前示のような本件発明や第一引用例記載の重合体と同一である。
しかしながら、本件発明や第一引用例の発明は前示のように、コンタクトレンズのような生体組織と長期間接触して使用される物品に関する技術分野のものであるのに対し、第三引用例の技術は、顕微鏡用の生物学的標本をつくるための超薄型切片を製造する技術に関するものであるから、両者は技術分野を異にするばかりでなく、第三引用例の技術は、あくまでも生物学的標本の製造が目的であつて、親水性架橋重合体薄片それ自体を得ることを目的とするものでないことはその記載内容から明らかであり、超薄型切片生物標本の製造に付随して生物標本の周辺保持部材としての役割をはたしている部分が親水性架橋重合体であつたというにとどまるものである。しかも、その技術では、ブロツクから削りとつた方が目的物品になるのに対し、本件発明や第一引用例の発明は、ブロツク本体の方が目的物品になるものと解されるから、第三引用例の技術は、これらの技術と全く異なつた技術とみるのが相当である。
(3) 成立に争いのない甲第一二号証によれば、第五引用例は、生成した重合体に局部的な極端な温度或いは収縮に起因するきずを発生させないよう特別な重合方法により旋盤加工用樹脂素材を製造する方法に関する発明であつて、重合に用いられる単量体としては、メチルメタクリレートをはじめとする一六種のメタクリレート、メタクリロニトリル、スチレン、α―メチルスチレン、酢酸ビニル、酢酸ビニル―塩化ビニル、酪酸ビニル、ビニルクロルベンゼン、ビニルナフタレン、ビニルエチニルカルビノール、メチルビニルケトン、イタコン酸ジメチルが例示され、これらの化合物を単独で、或いは相互に混合して使用することができること、グリコールジメタクリレート、ジビニルベンゼン及びメタクリル酸は、それら自体としては適しないが、メチルメタクリレート又は前述の化合物と混合すれば、非常に有用な共重合体となること、軟質の樹脂は旋盤加工用には適しないが、この特許明細書記載の方法は軟質の樹脂にも適用することが可能であり、そのような単量体としては、メチルアクリレート、エチルアクリレート、ブチルアクリレート、フマル酸ジエチル、マレイン酸ジエチル、ジビニルエーテルを例示していること、そして、重合方法の実施例として、メチルメタクリレートの重合方法が開示されていることが認められる。
しかしながら、ここに例示された単量体群の重合によりつくられた旋盤加工用樹脂は、いわゆる合成樹脂であり、疎水性物質として観念されるものであつて、親水性物質と観念されることはない。もつとも、その特許明細書中には、旋盤加工用樹脂として、メチルメタクリレートのような単量体にグリコールジメタクリレート、ジビニルベンゼン及びメタクリル酸の単量体を混合した組成物を重合して得られた共重合体が使用できる旨記載されているが、これはあくまでもメチルメタクリレート重合体やスチレン重合体のような合成樹脂の均等物として例示された共重合体にすぎないから、この共重合体の記載から、旋盤加工用樹脂として親水性の重合体や共重合体を示唆していると解することはできない。してみると、第五引用例の記載は前掲甲第二号証ないし第四号証によつて認められる親水性重合体の機械的加工に関する本件発明や第一引用例の発明とはきわめて関連性がとぼしいといわなければならない。
以上のとおりであつて、第二及び第五各引用例は、非膨潤状態にある親水性重合体が機械的加工しうる程度の硬度を有することを示すものでなく、また第三引用例は、本件発明や第一引用例の技術とは全く異なつた分野の技術に関するものであるから、第一引用例に「所望の物品は親水性重合体のブロツクの切断又は他の機械的成形方法によつてつくられる」との記載があつても、この記載と第二、第三、第五各引用例とに基づいて、該ブロツクを実質的に非膨潤状態において機械的加工をすることが当業者にとつて容易に実施しうる事柄であるということはできない。
なお、原告は、容易推考性の主張に関連して本件発明は、第四引用例が示すようなハードコンタクトレンズにおける機械的加工の常用技術をそのまま適用したにすぎない旨述べているので、この点について補足して判断すると、成立に争いのない甲第九号証によれば、第四引用例は、ハードコンタクトレンズの製造方法に関する発明であつて、応力による物質のねじれが全く生じないプラスチツクガラス又はルーサイト等の素材を機械的に加工してコンタクトレンズを製造する技術について記載されており、この技術は、コンタクトレンズの製造法に関する技術である点において本件発明や第一引用例の発明ときわめて深い関連性を有するものである。
しかしながら、前掲甲第二号証ないし第四号証、第六号証、第九号証、成立に争いのない乙第一号証によれば、ハードコンタクトレンズは、水や体液によつて膨潤することのできない材料でつくられており、非膨潤の硬い状態のまま使用されるものであるのに対し、本件発明や第一引用例の発明に係るソフトコンタクトレンズは、水を含んだ膨潤状態で使用され、生体との適合性にきわめてすぐれた画期的なものであつて、ハードコンタクトレンズとは用途がコンタクトレンズである点においては同一であるが、材料としては全く異質なものとして認識されていたものと認められる。そして、成形方法は、それぞれの材料の性質に適した成形方法として、その材料に対応して採用されてきているという一般的な技術常識に鑑みれば、同じコンタクトレンズであるとはいえ、材料の性質が全く異なつているハードコンタクトレンズの成形方法をそのままソフトコンタクトレンズの成形方法に転用してみようとすることは、右技術常識に反することであつて、到底容易なこととすることはできない。
また、原告は、本件発明が右常用技術の単なる転用にすぎないことの根拠として第一引用例記載のソフトコンタクトレンズの材料であるヒドロゲル重合体は、分子骨格の隙間に水を含んだものであり、水を含まない通常の状態において硬い固体物質であるから、本質的には硬質のプラスチツクであり、このことは本件出願前からの技術常識である旨述べている。
しかしながら、前掲甲第六号証によれば、第一引用例記載の技術は、ヒドロゲル重合体の特性に注目してなされた発明であり、ヒドロゲル重合体がヒドロゲルの状態において使用されるのは勿論のこと、重合体の製法の段階においても膨潤剤を存在させており、かつ成形加工の段階においても膨潤剤が存在している技術であつて、いいかえれば、材料の製造過程からその材料の成形加工過程、更には成形された物品の使用態様の段階まで一貫して膨潤剤の存在下で行う技術であり、これが第一引用例の技術的効果であると認められる。したがつて、第四引用例記載の技術を熟知している者でも、第一引用例の技術における、膨潤剤の存在下で重合して得られたヒドロゲル重合体から、ことさら膨潤剤を除去し、硬い状態に変化させてから機械的加工(成形加工)を行い、ついで再びヒドロゲルの状態(膨潤した状態)にもどすような加工方法を、ハードコンタクトレンズの成形加工技術の第一引用例記載の技術への転用として想到することはできないものといわねばならない。
以上の理由により、本件発明は、第一ないし第五引用例の記載に基づいて容易に発明できたものであるとは認めることができないとした審決の判断は正当であつて、審決にはこれを取消すべき違法は存しない。
3 よつて、審決の取消を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとする。
〔編註〕 本件における発明の要旨は左のとおりである。
僅かに架橋結合した親水性重合体であつて、該重合体を膨潤する能力を有する膨潤剤を実質的に含まないものを製造し、それを切削及び/又は研摩からなる機械的加工により、膨潤して容積の増大したレンズの形状を予知しながら所望の形状に仕上げ、膨潤し、洗浄し、かくして製造したコンタクトレンズを実質的に人間生活組織に等張な水性溶液中に浸漬することを特徴とする膨潤状態で透明で、軟かく、かつ、弾性を有するヒドロゲルよりコンタクトレンズを製造する方法。