大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)319号 判決

一 請求の原因1ないし3の各事実は当事者間に争いがない。

二 そこで、審決に原告主張の違法の点が存するか否かについて検討する。

1 技術課題の予測可能性について

(一) 第一引用例に審決認定のとおりの記載があり、電子楽器の演奏に合わせて右引用例記載のリズム装置を手動でスタートさせることが本願出願前より公知となつていたことは原告の認めて争わないところである。

原告は、手動による右リズム装置の同時スタートは実際には非常に困難ではあるが、そのことが本願出願前に自明であつたことを認めうる資料はない旨主張する。

しかしながら、右のとおり、リズム装置をスタートさせるためには楽器の鍵盤操作とは別途の操作を必要とするところ、電子楽器の演奏においては、演奏者の両手足が殆んど常時楽器操作のために同時に使われることは当裁判所に顕著な事実であり、したがつて、右リズム装置の同時スタートを手動によつて行うことは、演奏開始時に楽器の鍵盤操作のために両手足を必要とする場合には不可能であり、仮に片手を右リズム装置のスタート操作のために使用できる場合であつても極めて困難であることは容易に理解できるところである。

したがつて、第一引用例の記載から手動によるリズム装置の同時スタートが困難であることは自明であるとした審決の判断に誤りはなく、原告の前記主張は理由がない。

(二) 原告はさらに、右の同時スタートの困難なことが自明であつたとしても、そのことから当然にリズム装置のスタートを自動化するという技術課題が予測できるものではない旨主張する。

しかしながら、一般に機器操作を手動により行うことになんらかの障害がある場合には、その操作を自動化することによつて障害を克服しようと努めることは現在の技術常識であることはいまさらいうまでもないところ、当事者間に争いのない本願発明の要旨及び成立に争いのない甲第七号証(第一引用例)によると、第一引用例記載のリズム装置を使用する際には、演奏者は演奏開始に先立つて、演奏曲の伴奏音として相応しい拍子、テンポ及び音色のリズムパターンを発生させるように調節、選定して準備するものの、同装置は、スタートボタンが押されて動作が開始されると同時に右所定のリズムパターンに従つて伴奏音を発し、その後も演奏操作とは関係なく自動的に右伴奏音を発し続けるものであることが認められ、これによると、右リズム装置のスタート操作は、演奏技術として熟練を要するものとはいえないけれども、右リズム装置の同時スタートの操作が適切を欠いた場合には、楽器演奏音と右伴奏音が符合しないという甚だ不都合な事態が生ずる場合もあることを認めないわけにはいかない。こうした事態を避けるためにも、リズム装置のスタートを自動化しようと考えることは、当業者が容易に着想すべき技術課題としての価値を失なわず、その予測可能性は十分にあると認めるのが相当であり、これと同旨の審決の判断に誤りはないというべきである。

この点に関し、原告は、楽器は演奏することに意義があり、その操作はある程度困難であつても当然に自動化には結びつかない旨主張する。

しかしながら、リズム装置の同時スタートは不可能な場合さえあること及びリズム装置のスタート操作自体は演奏技術として熟練を要すべきものとはいえないものであることは前記のとおりであり、また、電子楽器は、高度の技術習得を目指す演奏家ばかりでなく、手軽に演奏を楽しみたいと望む者からも需要の多いものであることは当裁判所に顕著な事実であるから、手動では一般に困難と認められるリズム装置の同時スタートを自動化により容易にしようとすることは、当業者であればたやすく想到すべき解決方法というべきである。

原告は、また、電子楽器の演奏はリズム装置の同時スタートができなければ成り立たないものではない旨の主張もするが、リズム装置に基づいて発せられるリズム伴奏音が演奏者による演奏音と当初から符合することが望ましいことは性質上当然のことであり、当業者がそのため必要な技術的解決方法を見出すべく努力することは当然予想されるところである。

したがつて、原告の右主張は、前記判断を左右しえないものというべきである。

2 技術転用の容易性について

原告は、第二引用例記載の付属装置は鍵盤から与えられた信号からリズム音信号を生成するものであつて、これをスタートさせるということは不可能であり、また、トリガー信号により審決認定のように動作状態となるものではなく、この点において本願発明のリズム装置と相違し、したがつて、右装置をリズム装置に転用することは容易にできるものではない旨主張する。

成立に争いのない甲第八号証(第二引用例)によると、第二引用例には以下の装置、すなわち、電子楽器の鍵盤部11、12における鍵盤操作によつて発せられた音源信号は、調音回路17とは別途トリガー回路36にも送られ、同回路は、入力する音源信号の各バーストの開始時毎にトリガー信号を発し、同信号は、審決にいう付属装置であるドラム音源28やシンバル音源29に送られ、同信号が入力する度に増幅器16を経てスピーカー14に印加されるとドラム音やシンバル音の模擬音となる信号を発生させる装置が記載されていることが認められる。

一方、本願発明におけるリズム装置が所定のリズムパターンに従つてリズム音を自動演奏するものであることは前記のとおりであり、さらに当事者間に争いのない本願発明の要旨及び成立に争いのない甲第二号証によると、右リズム装置23については、電子楽器の鍵盤部12の鍵盤操作により導出された音源信号の発生状態を検出回路17によつて検出し、この回路からの信号を波形成形回路18によつて右リズム装置のスタート指令信号とし、この指令信号の発生と同時に制御装置19が作動して右リズム装置がスタートするものであることが認められる。

右事実によると、第二引用例記載の付属装置と本願発明におけるリズム装置は、いずれも電子楽器の演奏の際に、楽器の鍵盤操作により自動的に動作を開始して、予め調節設定された内容にしたがつて伴奏音を発生するものである点で共通するところがあることが認められ、この共通点に照らすと、前記のリズム装置のスタートを自動化するという技術課題を解決すべく、第二引用例記載の付属装置におけるドラム音やシンバル音の自動スタートを可能とする前記技術を転用して、本願発明のリズム装置に想到することは当業者にとつて容易なことと認めるのが相当である。

この点に関して、原告は、第二引用例記載の付属装置は手動による操作が不可能であるのに対し、本願発明のリズム装置はそれが可能である旨主張する。しかしながら、前記のとおり、リズム装置のスタートの自動化という技術課題が予測可能なものである以上、右の相違点は前記第二引用例の技術転用の着想の妨げとなりうるものではないというべきである。

原告は、また、第二引用例記載の付属装置と本願発明のリズム装置は、トリガー信号による制御装置が異なり、それ故、動作開始後、第二引用例記載の付属装置は一定時間経過後に動作を停止するのに対し、右リズム装置はその後動作状態が継続するものであるから、技術的に異なるものであつて転用の着想は及ばない旨主張する。しかしながら、本願発明が右制御装置の具体的構成も右リズム装置の自動停止装置も発明の対象としていないことは前記認定の事実から明らかであるばかりでなく、前記のとおり、第二引用例記載の付属装置も本願発明のリズム装置も、共にトリガー信号の入力によつて動作状態となる点において異なるところはないものであるから、その後の動作時間に長短の差異があつたところで、動作の開始すなわちスタートの点における技術転用の着想が可能であるとした前記判断に影響を及ぼすべきものではない。

3 本願出願前後の業界の状況等について

原告は、本願発明が第一、第二引用例に基づいて容易に推考できるものではないことを裏付ける事実として、本願出願前後の業界の状況及び原告自身の本願発明を着想した経過を主張する(請求の原因4の(三))。

しかしながら、前掲甲第八号証によると、第二引用例は、本願出願の約三年前の昭和四二年三月一四日に米国において特許された特許明細書であつて、その記載技術が本願出願前に国内で周知のものとなつていたことを認めうる証拠はなく、また、本願出願前に同業他社において原告主張の如くリズム装置のスタートの自動化が全く試みられていなかつたことを認めうる的確な証拠もない。

したがつて、原告主張の業界の状況は、仮にそれが事実として認められるとしても、前記の各判断を左右するに足るほどのものではないというべきである。

また、原告主張の本願発明着想に到る経過的事情も、当業者が技術開発にあたり尽くすべき一般的研究努力に関する主観的事情に属する程度のものであるから、それ自体前記判断を左右する事由とはなりえないものというべきである。

三 以上によると、原告の主張はいずれも理由がなく、本願発明を第一引用例記載の公知技術と第二引用例記載のものから容易に発明することができたものとした審決の判断は正当であり、これを取消すべき違法はないというべきである。

よつて、審決の取消を求める原告の本訴請求を理由なしとして棄却することとする。

〔編註〕 本願発明に関する事項は左のとおりである。

1 特許庁における手続の経緯

原告は、昭和四五年三月一〇日、名称を「電子楽器装置」とする発明について特許出願をしたところ(昭和四五年特許願第一九九一一号、以下この発明を「本願発明」という。)、昭和五二年四月一九日拒絶査定を受けた。そこで原告は、審判を請求し、これが特許庁昭和五二年審判第九六七九号事件として審理され、その後昭和五五年五月二八日付の手続補正書により明細書の補正をしたが、同年九月一三日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決(以下「審決」という。)があり、その謄本は同年九月二七日原告に送達された。

2 本願発明の要旨

鍵操作に応じて音源信号を導出させる鍵盤部と、所定のリズムパターンにしたがつてリズム音を自動演奏する自動リズム演奏装置(以下「リズム装置」という。)とこのリズム装置の動作を停止させたり停止解除したりする停止制御手段とを備えた電子楽器装置において、上記音源信号の発生状態を検出する検出回路と、この検出回路からの検出信号を上記リズム装置のスタート指令信号とする波形成形回路と、上記停止制御手段が停止解除状態にあつても上記スタート指令信号が発生するまでは上記リズム装置の動作状態を維持し上記スタート指令信号の発生と共にこのリズム装置の動作をスタートさせる動作制御手段とを具備したことを特徴とする電子楽器装置。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!