東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)65号 判決
一 請求の原因1ないし3の事実については、当事者間に争いがない。
二 そこで、審決を取消すべき事由の存否について判断する。
1 原告は、まず本件発明と第一引用例のものとは目的及び作用効果の点で異なるのに、審決はこれらの相違を看過したことにより本件発明が第一引用例から容易に発明できたと誤つて判断した旨主張する。
成立に争いのない甲第一号証(本件特許公報)及び乙第一号証(昭和三六年八月二日公告、昭三六―一二三一七号特許公報)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、複合半導体素子の製造方法である本件発明が従来方法とするところは、PN接合を有する大面積半導体薄片をまず単一素子の大きさに切断し、この小片を鑞材を介して複数個積み重ねて加熱接着する方法であり、それ自体公知のものであつたが、右の従来方法にあつては、小片に対する作業であるために往々にして鑞材の片寄つた溶融に基因するPN接合の短絡や不十分な鑞付けによる不完全接続などの欠点が生じたので、本件発明においては、PN接合を有する大面積半導体薄片を切断することなく、そのままの大きさで鑞材を介して複数個積み重ねて加熱接着し、その後に単一素子の大きさに切断する方法(以下単に「積層体形成後切断」ということもある。)を採用することにより、従来方法における前記の欠点を防止するとともに、製造工程全体を著しく簡略化するものであり、本件発明の目的ないし作用効果も、結局、所要の鑞着作業を従来方法よりも一層容易かつ正確に行う点にあるということができる。PN接合の短絡の問題も、ひつきよう、鑞着作業が所期の正確さで行われ難いことの当然の結果の一つであるにすぎないからである。
一方、成立に争いのない甲第三号証によれば、第一引用例には、概要、次のような技術的事項が記載されていることが認められる。すなわち、レギユレータ・ダイオードの特性が温度によつて変動するのを補償して高精度のレフアレンス・ダイオードを得るために、レギユレータ・ダイオードに対してそれと逆の温度特性を有する順バイアスダイオードを直列に接続することが行われているが、個別に製造された二個のダイオードを組合せる通常の方法では、温度係数をつり合せるために、高温、室温及び低温の三温度点における精密な電圧測定を各ダイオードごとに行わねばならず、更に、二個のダイオードを組合せてパツケージに封入した後にも総合特性をチエツクする必要があること、また、従来の低電圧レギユレータ・ダイオードでは、N型シリコンに合金法によつて接合を形成することが多いところ、N型シリコン結晶の抵抗値は結晶の長さ方向に沿つての変化が一〇〇%にも達するため、右抵抗値によつて左右されるダイオードの電圧値が所定の許容範囲に収まるレギユレータ・ダイオードを大量に作ることは非常に困難であつたこと、新しい方法は、硼素を添加したP型シリコン結晶を用いることによつて右の困難を解消したものであるが、この結晶はその長さに沿つて抵抗値が高々一〇%変化するにすぎず、また合金拡散プロセスの採用により、抵抗値の制御を容易にするとともに、シリコンの利用効率を高め、かつ、レギユレータ・ダイオードと温度補償用順バイアスダイオードとを同時に形成することができること、新しい方法は、具体的には、二枚のP型シリコンスライスの間にN型不純物を含むキヤリアメタルを挟んで合金化を行い、次いで拡散による緩やかな接合が形成されるように加熱し、こうして得られた「サンドイツチ」の両面に電極を着け、ダイシングとエツチングを行つてから、でき上つた複合ダイオードをパツケージに封入するものであるが、この方法によれば、電圧測定は三温度点で各一回だけ行えばよいから、前記従来法の場合の三分の一ですむことになること。
右記載事項に徴すると、第一引用例の方法が、直接に目的ないし作用効果とするところは、温度係数算出のための高精度電圧測定回数を軽減し、バラツキのないダイオード電圧値を達成し、シリコン利用率を向上させることでありこれらの効果は、P型シリコン結晶の使用と合金拡散プロセスの採用及び右プロセスを利用してレギユレータ・ダイオードと温度補償用ダイオードを同時に一体形成する工程によつて達成されるものであるから、原理的には、予め単一素子の大きさに切断したP型シリコン薄片とキヤリアメタルを用いて右工程を適用することによつて達成できるものであり、必ずしも、ことさら大面積のシリコンスライスとキヤリアメタルを用いて作つた大面積の「サンドイツチ」、すなわち積層体を「ダイシング」する方法によらなければならないものではない。なお、成立につき争いのない甲第七号証(第二引用例)によれば、半導体製造技術において、通常、スライシングとは、半導体単結晶を結晶軸に直角に切断して一五~二五mm×一五~三〇mm程度の面積の半導体薄片を作ることをいい、そしてダイシングとは、右半導体薄片を一~三mm角又は丸の小片に切断することをいうものと認められるから、これらに徴すると、第一引用例にいうスライス(slice)とは、右スライシングによつて得られた半導体薄片のことであり、同じくダイシング(dicing)とは、右半導体薄片と同面積の「サンドイツチ」を単一素子の大きさに切断することであることが理解できる。
ところで、成立につき争いのない乙第二号証ないし乙第四号証によれば、半導体装置の製造技術としては、一般に、接着、加工等の作業は、素材を単一素子の大きさに切断してから行うよりも大面積のままで行つた後に切断する方が、はるかに容易かつ正確にできることが周知であつたと認められるから、第一引用例の前記大面積のサンドイツチを作つてからダイシングする点(積層体形成後切断)は、原告が主張する第一引用例の方法の目的ないし作用効果を達成するための直接の手段というよりも、右目的ないし作用効果の達成に本質的に必要な、合金拡散プロセスを利用してレギユレータ・ダイオードと温度補償用順ダイオードを同時に一体形成する工程を、より一層容易かつ正確に行うための製造技術として、単一素子の大きさに切断してから「サンドイツチ」を作る方法の代りに、採用されたものであることが、当業者には容易に理解することができたものと認められる。
こうしてみると、単一素子の大きさに切断してから接着等の作業をする代りに、大面積のままで作業を行つた後に単一素子の大きさに切断するという技術的思想に関しては、本件発明と第一引用例のものとの間に、目的ないし作用効果について本質的な相違はないというべきである。
この点、原告は、第一引用例におけるわずか一語の「dicing」の文言から「積層体形成後切断」の技術的思想が当業者に抽出されるはずはない旨主張するが、前記認定の周知事項に徴して原告の右の主張は採用できない。
また、第一引用例は、複合半導体素子の製法に関して、積層体形成後切断の技法を教示するものであるから、原告のこの点に関するその余の主張も失当である。
2 更に、原告は、本件発明と第一引用例のものとの構成上の相違の主張として、積層工程、加熱接着工程及び切断工程のうち最初の二工程に関し、本件発明では有機能のものの組合せであるのに対し、第一引用例のものでは無機能のものから有機能のものへの変換であるから全く異なるのに、審決はこれを看過した点に誤りがある旨主張する。
しかしながら、審決は、本件発明と第一引用例のものとを対比した結果「PN接合を前者は鑞着前に形成しているのに対し、後者は鑞着後に形成している点で相違する」と認定しているところ、原告のいう有機能のものの組合せとは、鑞着前にPN接合を形成したものを積層して鑞着することであり、また、無機能のものを有機能のものに変換するとは、合金化、すなわち鑞着期間とそれに続く拡散期間中にPN接合が形成されることをいうことが、主張自体に徴して明らかであるから、審決の右認定は、結局、原告主張の相違点を実質上そのとおり認めたものにほかならない。審決が右認定において、第一引用例のものにおけるPN接合形成の時期を「鑞着後」としたのは、第一引用例における「この結合体は、次にシリコンに合金化される。シリコンは次いで加熱され、拡散によりN型不純物は緩い傾斜の接合を形成する」(第一引用例第一一四頁右欄一七行ないし二〇行)に即して、所期の緩い傾斜の接合が最終的に形成される時期を述べたものと解されるから、この点にも誤りはない。
本件発明と第一引用例のもののいずれにおいても、所望の大きさに切断(ダイシング)する工程の対象が、PN接合を有する複数個の大面積半導体薄片(スライス)と鑞材(キヤリアメタル)の積層体であることは、それぞれの方法自体に徴して明らかであるから、審決がした一致点の認定には何ら誤りはない。
なお、この点に関し、原告は、第一引用例における「スライス」が本件発明の「大面積半導体薄片」に相当するとした審決の認定が誤りであると主張するが、審決自体が、本件発明と第一引用例の相違点として、本件発明ではPN接合の形成が鑞着前に行われているのに対し、第一引用例のものでは鑞着後に行われることを指摘していることからも、審決は本件発明における「大面積半導体薄片」それ自体と第一引用例の「スライス」とが実質上同じ形状物を表わす用語であると認定したにとどまるものと解される。したがつて、原告のこの点の主張も理由がない。
3 更に、原告は、審決が両者の相違点に関し、「第一引用例の方法において鑞着前にPN接合を形成し、本件発明の構成を得ることは適宜なしうること」とした点の誤りを主張する。
しかしながら、前記認定のとおり複合半導体素子の製法に関して、第一引用例にあつては、大面積半導体薄片を単一素子の大きさに切断してから合金拡散プロセスを行つても原理上は差支えないところを、有利な製造技術として大面積のままで右プロセスを行つた後に切断するという技術的思想が開示されているのであるから、従来公知の方法(PN接合を有する大面積半導体薄片を単一素子の大きさに切断して後複数個鑞着する方法)の代りに、大面積半導体薄片をそのままの大きさで、鑞材を介して複数個積み重ねて加熱接着後に切断するという方法を採用することは、当業者が容易に想到することができたというべきである。
この点、原告は、第一引用例の方法において合金拡散工程の前にPN接合を形成することは不可能であり、かつPN接合の形成を合金拡散法以外の方法によつて鑞着前に行うことは、第一引用例の目的ないし作用効果を放擲してしまうことになる旨指摘するが、審決が、容易推考の根拠として本件明細書に記載された従来方法を引用していることに徴すれば、審決がPN接合を鑞着前に形成すると述べたのは、合金拡散法に限らず公知の適当な方法によつてPN接合を鑞着前に形成することを述べたに過ぎないことが明らかであるから、審決のこの点の説示に明快を欠くところがあるとしても、右のとおり理解できる以上、原告のこの点の主張は失当というべきである。
4 以上のとおりであるから、審決の判断は正当であり、審決には原告主張のような違法は存しない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとする。
〔編註その一〕 本件における発明の要旨は左のとおりである。
PN接合を有する大面積半導体薄片を鑞材を介して複数個積み重ね加熱接着せしめた後、これを所要の大きさに切断することを特徴とする複合半導体素子の製造方法。(別紙図面参照)
〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙図面
<省略>