東京高等裁判所 昭和56年(う)1602号 判決
一 所論は、被告人が、ポリグラフ検査を受ける以前に、その検査項目とされた事項について、既に取調べを受けていたうえ、その検査には取調べ担当官が立会い、質問に介入し、その質問方法も適切でなかつたのであるから、本件ポリグラフ検査は適正な反応が得られる状況下になされたものとは言えず、その検査結果は証拠価値が乏しい、と言うのである。
そこで記録により本件ポリグラフ鑑定書の信用性について検討する(その証拠能力については後述する。)と、本件ポリグラフ検査が実施されるまでの経緯については、原判決が証拠の標目欄に続いて詳しく認定しているとおりであつて、その結果、「ポリグラフ検査実施前、被告人に対して太田豊の新供述に沿つた詳細な捜査がなされたことはなく、又、電話台(現物又は写真)及び鈴木直美方の見取図が示されたことはないものと認めるのが相当であ」る、と説示するところは、当裁判所としても十分これを肯認することができる。この点について、被告人は、原審第四回公判において、一旦はポリグラフ検査前日に捜査官から正公マンシヨンの部屋の間取図と部屋にあつた電話台を見せられたことは間違いない、と断言しながら、検察官から捜査官に右証拠品を見せられて調べを受けたのは、検査後の昭和五六年四月一〇日ではないかと同日付の調書を示して質問されるや、ポリグラフ検査の前日であつたと思います、とややニユアンスの異なる答えをし、さらに、第五回公判になると、以前電話台そのものを見せられたと言つたのは記憶の誤りで、自分の子供が電話台につかまつているところを撮影した写真であるかもしれない、と変り、また、電話台そのものを見せられた日は判らない、あるいは、電話台そのものも見たが、それは捜査官ではなく、若い警察官から見せられたものであつて、日時は、ポリグラフ検査当日ではなく、その前後のころであつた、というように甚だ明確さを欠く供述をしているのであつて、これからすれば、被告人の供述は措信するに足りず、前記のとおりポリグラフ検査前日には、被告人に対し、太田豊の、原判示にいわゆる新供述に沿つた取調べは行われなかつたと認定するについて、被告人の右供述は何ら支障になるものではない、と言うべきである。また、その検査方法についても、原審証人仁瓶康、同伊藤延弘の各証言によれば、捜査官である伊藤は、事前に検査担当官の仁瓶と打合せをしているが、検査時には衝立ての陰に隠れて検査に影響を及ぼさないよう配慮し、検査担当官の仁瓶もその発問の語勢、語調及び声量に十分気を配つて検査したことが認められ、右認定に反する被告人の供述は措信できない。
以上のとおりであつて、本件ポリグラフ鑑定書の信用性については格別の問題も見当らないうえ、原判決は、ポリグラフ検査結果のうち、とりわけ現代の検査水準において証拠価値の高いと認められる緊張最高点質問法を取り上げ、裁決質問を否定する被告人の返答にはいずれも特異反応が認められることから、これが虚偽と推定されるとの結論を援用し、これがひいては証人太田の証言の信用性を裏付ける一つの資料となるとしているに過ぎないのであるから、原審のポリグラフ鑑定書の取扱いには何らの問題も認められない。
二 所論は、まず、本件ポリグラフ鑑定書は、その検査器具や検査の環境的条件が明らかではなく、その質問表の作成自体が基準に合致せず、しかも反応を忠実に表現記載していないことなどから証拠能力を欠くものであり、これを採用した原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼす違法がある、というものである。
しかしながら、ポリグラフ鑑定書及び原審証人仁瓶康の証言によれば、本件ポラグラフ検査は、約二〇年の経験を有する、茨城県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員の仁瓶が主に担当し、同人は検査の場所を、気温、湿度、静謐さ等を考慮して、土浦警察署の小会議室とし、予備テストにより被告人から適正な反応が得られることを確認したうえ、前段説示のとおりその質問方法にも十分配慮したうえで慎重に検査を実施していることが認められる。次に、所論は、本件ポリグラフ鑑定書の第六質問表について、これが証人仁瓶の証言する、基準となるべき対照質問、関係質問及び無関係質問の数に合致していない、と主張する。たしかに、右鑑定書と証言とを対比すると、本検査中対照質問法によるそれは、基準より質問事項数が多いのではないかとの疑問が存する。しかし、これをいかに評価するかはさておき、右質問法は、緊張最高点質問法と相互に関連してはいるが、それぞれ特有の目的と機能を持ち、別個独立のものとして取り扱うことができ、両者を併用した場合であつても、後者自体の結果に差異があるとは考えられないこと、また、原審は、両者を区別して後者に重点を置き、前示のとおり、これを太田証言の信用性に関する一資料として用いたものであることが認められる。そうしてみると、右のような疑問があるからと言つて、右鑑定書中緊張最高点質問法による検査部分の証拠能力には何らの問題も生ずる余地はなく、従つて、また、同鑑定書の証拠能力を全体として否定し、判決に影響を及ぼすべき違法があると考えるべきいわれもない。結局、所論は理由がない。また、被検査者の反応について、単に「いいえ。」「はい。」などと記載してあるのみであると主張する点は、ポリグラフ検査が被検査者の返答内容そのものを問題とするのではなく、その際の呼吸波、皮膚電気反射、脈搏などの生理的反応の有無、程度を問題とするものであることを看過するものであつて、主張自体失当と言わなければならない。さらに、本件ポリグラフ鑑定書中の「特異反応」等の用語についての記載が不明確ないし不正確であるとする点も、右鑑定書を精読すれば、各用語の意味内容は自ずから明らかであり、何ら問題とするに足りない(右鑑定書で「特異反応」とは、検査記録の波形において、隆起、抑制、下降など特異な変形を示した反応をいうものとされている。―同鑑定書七項の2)。なお、鑑定書に検査の原記録(グラフ)を添付することは、ポリグラフ検査の性質上これが証拠能力を認めるための必須の要件と言えないことは明らかであり、その他所論にかんがみ記録を精査しても、同検査の経過または結果に関し、同鑑定書の証拠能力を否定すべき根拠は存在しない。