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東京高等裁判所 昭和56年(ネ)1617号 判決 1983年6月15日

控訴人

吉田隆男

控訴人

吉田美緒

右法定代理人親権者父

吉田隆男

右両名訴訟代理人

村上愛三

山崎克之

被控訴人

前村實満

右訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は、控訴人吉田隆男に対し金九三万三三三三円、控訴人吉田美緒に対し金一八六万六六六六円、及びこれらに対する昭和五三年六月一四日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人らの負担とする。

三  この判決の控訴人ら勝訴の部分は仮に執行することができる。

事実

控訴人ら代理人は「原判決を取消す。被控訴人は、控訴人隆男に対し金一〇一三万三九三二円、控訴人美緒に対し金一八〇六万七八六五円、及びこれらに対する昭和五三年六月一四日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張は、次に付加するほか、原判決の事実摘示と同じであるから、これを引用する。

一  当審における控訴人らの主張

仮に美幸又はヨリから腫瘤の発生についての訴えがなく、昭和四九年一一月五日の定期検診時に被控訴人において初めて右腫瘤を発見し、美幸に対し組織検査を勧めたにもかかわらず、同人がこれに応じなかつたものであつたとしても、被控訴人にはなお次のような医師としての注意義務の懈怠があり、その懈怠と美幸の死亡との間には相当因果関係があるから、被控訴人は右死亡についての債務不履行責任又は不法行為責任を免れることができない。

1  (指導・説明義務違反)

妊娠中期(五カ月)の美幸の右側乳房に悪性が疑われる腫瘤を発見した被控訴人には、美幸及び家族の者に対し、疾患の現状や将来の危険性、早期確定診断の必要性等を十分に説明し、とりあえずX線撮影、マンモグラフィー、細胞診等の補助的診断方法から開始し、その結果を説得材料として活用したり、家族の者に説得させたりするなど、美幸をして組織検査に応じせしめるため、あらゆる方策を用いて指導すべき注意義務があつたというべきである。しかるに、被控訴人は、妊娠中で精神的に不安定であつた美幸に対し、妊娠中絶の可能性を示唆するなど、同人の不安感、恐怖感をいたずらに助長させるような稚拙な方法で、単純かつ強引に組織検査を勧めただけで、家族の者に対する連絡をも怠つたのであるから、被控訴人につき前記の指導・説明義務の違背があつたことは明らかである。

2  (転医措置義務違反)

乳がんの確定診断、根治的手術等は本来外科の専門分野とされているうえ、妊娠が合併した場合には一層複雑、困難な事態が予想されるので、産科・婦人科を主たる標榜科目とする一開業医にすぎない被控訴人としては、乳がんの疑いをもつた段階で美幸を速やかに総合病院の外科に転医させるべき注意義務があつたというべきである。しかるに被控訴人は、美幸を転医させるための具体的措置を一切とらなかつたのであるから、被控訴人につき右注意義務の違背があつたことは明らかである。

二  控訴人らの右主張に対する被控訴人の認否

いずれも争う。なお、被控訴人は、来診の都度、美幸に対し、腫瘤の性質、危険性等について繰返し説明すると共に、組織検査に応ずるよう説得・指導を続けていたものであり、これによつて、医師としての指導・説明義務は十分に果したものというべきである。

証拠関係<省略>

理由

一引用にかかる原判決摘示の請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、美幸は昭和五〇年五月八日大森赤十字病院に入院し、右側乳房管状腺がんとの診断のもとに、同月一三日根治的乳房切断手術を受けたが、その後入退院を繰り返すうち、結局、乳がんの全身転移のため昭和五二年二月二一日に死亡した事実が認められ<る。>

二そこで、以下、右死亡に至るまでの美幸の症状と被控訴人医院における診療の経過等について検討する。

1 右の点について控訴人らは、美幸は昭和四九年九月初旬ごろ右側乳房に腫瘤を感知し、同月二六日の妊娠の定期検診に際し、実母の石原ヨリともども被控訴人に対し乳房の異常を訴えた旨を主張し、原審証人石原ヨリの証言中には右主張に沿う部分がある。けれども、<証拠>によれば、美幸が腫瘤を感知した時期は同年一〇月以降であつたと認められるうえ、被控訴人医院の診療録である<証拠>の同年九月、一〇月の診療経過らんには右腫瘤に関する記載がないところ、腫瘤についての訴えを受けながら、被控訴人が診療録にその記載をしなかつたものとはとうてい考えがたく、したがつて、控訴人らの前記主張に沿う証言部分は措信できず、他に右主張事実を認めるべき的確な証拠はない。なお、前示石原の証言の一部により認められる次の事実、すなわち、同年一〇月下旬ごろ、右腫瘤について問い質すため、妊娠の定期検診に同行しようとした実母ヨリに対し、美幸が「被控訴人医院で乳房のしこりを切開して検査したが、何でもなかつたので安心して欲しい。」と嘘を言つて右同行を拒んだ事実からすると、美幸はその当時、腫瘤の診断、治療を受けることにつき消極的であつたことを推認できるものというべきである。

2  次に、被控訴人が昭和四九年一一月五日の妊娠の定期検診に際し、美幸の右側乳房に腫瘤を発見したことは前示乙第一号証の記載に徴して明らかであり、被控訴人が昭和五〇年三月一八日の定期検診時に美幸に対しその腫瘤の組織検査を勧めたが、同人がそれを拒絶したことは当事者間に争いがないところ、その間の経過として、被控訴人は、原・当審における各本人尋問中で引用にかかる原判決摘示の「被告の主張」1の(一)及び(二)記載のとおりの供述をする。

しかし、前示乙第一号証及び弁論の全趣旨によると、右期間中、美幸は一か月に一回又は二回、被控訴人医院で診療を受けており、前記腫瘤はその間にも次第に肥大化するなどの変化を示していたにもかかわらず、それについては診療録上、昭和四九年一一月五日の所見として「右乳房硬結〓」の記載があり、昭和五〇年三月一八日の所見として「右乳房硬結、圧痛〓」の記載があるにすぎないことが明らかである。なお、<証拠>によれば、昭和五〇年一月一一日の午前中、被控訴人に代つて宮下医師が美幸を診察したこと、同日午後、前記ヨリが被控訴人医院に来院し、めまい、耳鳴り等を訴えて被控訴人の診療を受けたことが認められるけれども、ヨリが来院した動機及び被控訴人が同日午後、美幸の腫瘤を診察しなかつた理由に関する前示被控訴人の主張(原判決摘示の「被告の主張」1の(二))に合致する資料は被控訴人本人の前記供述(原審)のほかには全く存在せず、診療録の記載に関する前認定の事実に右宮下の証言内容をしんしやくすると、むしろ、宮下医師が同日美幸の乳房を診察した事実はなく、したがつて、腫瘤について何らかの指示を与えた事実もなかつたものと推測される。

そこで、以上のような諸事情に照らし考えると、<証拠>中、昭和四九年一一月五日から昭和五〇年三月一八日までの事実経過に関する被控訴人の主張に沿う部分は全体としてたやすく措信できず、右諸事情に弁論の全趣旨を総合すると、かえつて、被控訴人は昭和四九年一一月五日に美幸の右側乳房に腫瘤があることを発見しながら、その後の診察においてはこれに対する関心を示さず、対応措置を講ずることのないまま、昭和五〇年三月一八日に至つたものと推認することができるというべきである。

3  そして、その後の経過についてみるに、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ<る。>

(一)  前記のとおり昭和五〇年三月一八日に被控訴人から腫瘤の組織検査を勧められた美幸は、家族の者とも相談のうえ、知人の紹介により同月二二日に日本医科大学附属第二病院で診察を受けたところ、右腫瘤が悪性のものであることを示唆されたが、同時に、間近に迫つた出産を取り敢えずすませるよう勧められた。そこで、美幸は、出産のため必要な処置を受けるため、同月二八日以降再び被控訴人医院で受診し、同年四月一六日、同医院において帝王切開の方法により控訴人美緒を出産した。

(二)  被控訴人は、同年三月二八日の検診に際し、穿刺による細胞診を受けるよう勧めたところ、同人もこれを承諾したので、直ちに右穿刺を行つたうえ、病理検査を他に依頼したが、その結果は悪性のものではないとのことであつた。しかし、被控訴人はさらに組織検査が必要と考え、あらかじめ美幸の承諾を得て、前記帝王切開に際し腫瘤組織を試験切除し、その病理検査を東京慈恵会医科大学病理学教室に依頼したところ、腺がんであることが判明したので、美幸を大森赤十字病院に紹介した。そして、その後の経過については前認定のとおりである。

三次いで、以上の診療経過に基づいて、被控訴人の債務不履行責任の成否について検討する。

1  まず、美幸が自ら、又は同人に代つてヨリが被控訴人に対し美幸の乳房の異常を訴えた事実が認められないことは前項1のとおりである。したがつて、右訴えがあつたことを前提とする被控訴人の債務不履行責任は、これを肯認することはできないというべきである。

2 しかしながら、以下の点において被控訴人は右不履行責任を免れないといわざるを得ない。すなわち、<証拠>によると、乳房に発生した腫瘤(しこり)は、乳がんの可能性があるので、その原因を可及的速やかに究明し、適切な医療措置を講ずることが必要不可欠であるところ、それが乳がんであるかどうかを診断する方法としては、視診、触診のほか、X線撮影や超音波を用いる方法、或いは細胞診などがあるが、腫瘤の組織検査をするのが最も確実な診断法であつて、これらのことがらは当時の医療水準上、医師としての常識の範囲に属するものであつたことが明らかである。してみると、昭和四九年一一月五日、美幸の右側乳房に腫瘤を発見した被控訴人には、その後の対応はさておき、まず第一にその腫瘤が乳がんによるものでないかどうかを、自ら直ちに右のような検査方法で究明し、或いは美幸に対し、そのような検査のため他の専門の医療機関で受診するよう説明・指導するなどの診療契約上の注意義務があつたというべきである。しかるに、腫瘤発見以来、右検査を受けるよう勧めていたにもかかわらず、美幸がこれに応じなかつた旨の被控訴人の主張は認めがたく、かえつて、昭和五〇年三月一八日に至るまで被控訴人が右腫瘤に関心を示さなかつたと推認せざるを得ないことは前項2のとおりであるから、被控訴人には右説示の注意義務の違反、したがつて、前示診療契約上の債務の不履行(不完全履行)があつたものというべきところ、美幸が前記検査を拒否したかどうかの点を除くほか、右不履行についての被控訴人の免責事由に関する主張立証はない。そうすると、被控訴人は、以上説示の点において、診療契約上の債務不履行責任を免れないというべきである。

四進んで、右説示の債務不履行と美幸の死亡との因果関係、控訴人らの損害等について判断する。

1  被控訴人が美幸の腫瘤を発見した当時、同人に対して前認定のような検査をする必要があることにつき適切な説明をしたならば、同人もその検査に応じたであろうこと、そして、そのころ、右腫瘤が乳がんによるものであることが容易に判明したであろうことは、いずれも前項2掲記の証拠関係及び弁論の全趣旨に照らしてこれを推認することができるものというべきである。なお、美幸が昭和四九年一〇月当時、腫瘤の診断、治療に消極的であつた旨、或いは昭和五〇年三月一八日、被控訴人からの組織検査の申出を拒絶した旨の前記各事実も右前段事実の推認の妨げとなるものとは解しがたい。

しかしながら、右証拠関係によると、妊娠期に生じた乳がんは進行が速やかで再発率が高く、リンパ節転移の度も高く、予後が悪いといわれていることが認められるので、このことを考慮すると、昭和四九年一一月五日ごろ、美幸の腫瘤が乳がんであると確定的に診断され、当時の医療水準に照らし適正と認められる処置がとられた場合であつても、実際の死期よりもさらに相当期間生命を保ち得たものとは推認できるものの、その乳がんが他に転移することなく完治し、美幸が通常人と同様の労働能力を保有しつつ平均的余命を全うし得たものとは認めがたく、他にそのように認めるべき証拠はない。

2  そうすると、被控訴人の前記債務不履行と美幸の死亡、及びこれにより生じた損害との間の相当因果関係は認めがたいが、同人が相当期間の延命をはかり得なかつたこととの右因果関係はこれを肯認せざるを得ないところ、当時の医療水準に即応した適切な処置を受けつつ、できるかぎり生命を維持することも法的保護に値いする利益であると解されるから、被控訴人は美幸の右延命利益の侵害につき、これにより生じた損害の賠償責任を免れないというべきである。

3  そして、右損害についての当裁判所の判断は次のとおりである。

(一)  美幸が昭和五〇年三月一八日まで乳がんにつき適切な診断、治療等の処置を受けることがなく、死期を早められたことにより精神的苦痛を被つたことは明らかであるところ、<証拠>によると、美幸は死亡当時二九歳で、控訴人美緒は同隆男との間の第一子であること、美幸は乳房の腫瘤が徐々に肥大化していたにもかかわらず、被控訴人に対し自らその旨を申出たり、(日本医大附属病院で受診するまで)他の医療機関で診断を求めたりしていないこと、妊娠期に乳がんが発生した場合は、その治療のため人工流産、人工早産を行う必要があるものと考えられており、したがつて、美幸の乳がんがより早期に発見されていたとすれば、控訴人美緒の出産には至らなかつた可能性が強いことが認められ<る。>そこで、これらの事情に前記債務不履行の態様、その他諸般の事情を考慮すると、美幸の右精神的苦痛に対する慰藉料としては金二五〇万円が相当であるが、<証拠>に照らすと、美幸には控訴人らのほか相続人のないことが認められるから、同人の死亡により控訴人隆男が三分の一、同美緒が三分の二の各割合で右慰藉料請求権を相続したこととなる。なお、以上判示の美幸の疾病、診療の経過等に徴すると、同人について、延命し得たはずの期間中に逸失利益に相当する損害(或いは休業損害)が発生したことを肯認できないことは明らかである。

(二)  次に控訴人ら個有の慰藉料についてはこれを認め得ないものというべきである。けだし、被害者の近親者は、被害者が死亡し、又は死亡したときにも比肩すべき精神的苦痛を受けた場合にかぎり、自己の権利として慰藉料を請求することができるものと解されるところ、相当期間の延命利益が侵害されたというだけでは右慰藉料請求権発生の要件を充足したものとはいいがたいからである。

(三)  最後に弁護士費用の点についてみるに、控訴人らが本件訴訟の提起、追行を弁護士に委任したことは記録上明らかであるところ、事案の内容、審理の経過、認容額等をしんしやくすると、被控訴人の債務不履行と相当因果関係のある損害の賠償として支払を求める弁護士費用は、第一、二審を通じ、控訴人隆男につき金一〇万円、同美緒につき金二〇万円と認めるのが相当である。

五以上の次第で、控訴人らの本訴訟請求は、診療契約上の債務不履行に基づく損害の賠償として、被控訴人に対し、控訴人隆男において金九三万三三三三円、控訴人美緒において金一八六万六六六六円、及びこれらに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和五三年六月一四日から各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、認容すべきであるが、その余は失当として排斥を免れない。そこで、これと結論を異にする原判決を右のように変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(枇杷田泰助 奥平守男 尾方滋)

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