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東京高等裁判所 昭和56年(ネ)1786号 判決

主文

原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人ら訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

証拠関係<省略>

理由

昭和四九年二月一五日午前八時五〇分頃控訴人東京電力株式会社(以下「東電」という。) の事業場である山梨県塩山市上曽於一八四五番地所在山梨支店塩山営業所において、同営業所長である控訴人齋藤が、その部下従業員である被控訴人を応接室に呼び、二人だけで約一時間に亘つて話合いをしたこと(以下「本件話合い」という。) は当事者間に争いがない。

被控訴人は、控訴人齋藤が本件話合いに際し被控訴人に対して思想信条の表明を強要したと主張し、被控訴人の原審における本人供述によると、控訴人齋藤は、本件話合いの比較的冒頭の段階で、「ところであなたは共産党員か」と言つて被控訴人が共産党員(日本共産党員をいう。以下同じ。)であるかどうかを被控訴人に尋ね(以下「本件質問」という。)、やがて被控訴人から「そうではありません」と言つて被控訴人が共産党員ではない旨の返答を得ると、さらに「それならそのことをちよつと書いて出せないかね」と言つて被控訴人が共産党員ではない旨を書面に認めてくれるよう(以下「本件書面交付」という。)求めたが、被控訴人は右要求に応じなかつたことを認めることができ、控訴人齋藤の原審における本人供述中右認定に反する部分は措信しがたいが、しかし、本件話合いに際し、被控訴人主張の強要の事実、すなわち控訴人齋藤が被控訴人に対して恐怖心を生ぜしめるに足りる害悪を加える旨を通告し又は不法に有形力を用いて本件質問及び本件書面交付の要求をした事実は、これを肯認するに足りる的確な証拠がない。

被控訴人は、本件質問及び本件書面交付の要求の動機ないし目的が被控訴人に対する思想転向の強要にあつたと主張するが、被控訴人の原審における本人供述中右主張に副う部分は措信しがたく、かえつて原審における控訴人齋藤の本人供述によると、控訴人東電塩山営業所の内部事情で公開されるべきでないとされているものが私かに外部に洩れて共産党機関紙「赤旗」の昭和四八年= 一月二入日付紙上に報道され、同営業所内に物議を醸したことから、控訴人齋藤は、同営業所の責任者として右報道記事の取材源につき調査するに当つて、同営業所従業員約七〇名中かねてから共産党員ないし同調者として目され「二階の渡辺、一階の名取」と噂の高かつた被控訴人及び訴外名取純一の両名を措いて他に右取材源となる者はいないと看て取り、その嫌疑に基づいて、まず名取を昭和四九年一月二五日に調べ、次いで同年二月一五日に被控訴人につき事情聴取をすることとして本件話合いに及び、本件質問ないし本件書面交付の要求をするにいたつたことが認められる。控訴人齋藤における本件質問ないし本件書面交付の要求の意図が右のとおりのものであるから、被控訴人の右主張はにわかに首肯しがたい。

被控訴人は、また、控訴人齋藤が控訴人東電塩山営業所の最高責任者たる優越的地位を背景に、通常一般従業員が自由に使用することのできないような応接室を特に選んで、勤務時間を利用して本件話合いを行つたことを捉えて被控訴人のいう強要の徴愚事実を主張するようであるが、本件質問ないし本件書面交付の要求についての控訴人齋藤の意図が前判示のとおりである以上、当面の塩山営業所の所長の地位にある同控訴人が本件話合いの一方の当事者となること、前判示の嫌疑事実の事柄に照らして、勤務時間中応接室で余人を避けて事情聴取のための本件話合いが行われたことは、いずれもこれを異とするに足りないといわなけれぽならない。思うに、日本共産党は天下の公党である。かつての非合法時代のいわゆる地下組織ならともかく、当世共産党員ないし同調者たるほどの老は衿持をもつて公然と活動する風尚であるにもかかわらず、なお共産党員ないし同調者であることの公開を揮る向があること(公知の事実である。)に徴し、本件質問ないし本件書面交付の要求のような事項につき事情聴取をしようとするかぎり、前判示のようないわば配役と道具立てをもつて臨むことは、むしろ事宜を得た措置といわなけれぽならない。被控訴人の右主張は理由がない。

本件質問は、共産党員であるか否かという政治的思想信条の表明を迫り、回答を強いるものであつたと被控訴人は主張する。しかし、本件質問に関し、控訴人齋藤及び被控訴人の双方が取り交わした遣取についてみるのに、被控訴人の原審における本人供述によると、被控訴人は、控訴人齋藤から「あなたは共産党員か」と尋ねられたのに対し、その然否を素直に表明することを潔しとせず、「そんなことは会社(控訴人東電) が、所長(控訴人齋藤) が疾うに知つていることでしよう」と言つて切り返して本件質問の矛先をかわし、そこで控訴人齋藤が「どうもあなたがそうらしいと人からいわれるので、一度聞いてみようと思つた」と言つて質問をする次第を弁疏しても、重ねて「そんなことは会社(控訴人東電)が疾うに知つている筈です」と言つて切り返し、その返答を肯んじない素振りを示したが、さらに控訴人齋藤が「いや知らないんだ」と言つて弁解を繰り返し、被控訴人の返答待ちを持していたので、つい不用意にも「そうではありません」と言つて被控訴人が共産党員ではない旨、まるで不本意な返答をしてしまい、一瞬榴然、痛恨遣る方ない心裡に陥つたことを認めることができ、右認定に反する控訴人齋藤の原審における本人供述は措信しがたく、ほかに反対の証拠もないから、被控訴人が共産党員ではない旨の右返答は、被控訴人の任意に出た言わずもがなの発言であつたというべきである。本件質問が被控訴人の政治的思想信条の表明を迫り、その返答を強いるものとはいえない。被控訴人の右主張は理由がない。

本件書面交付の要求について、被控訴人は、右要求は文書による思想表明を迫るものであり、かつ、被控訴人が共産党員ではない旨を口頭で返答したことにつきその真実性の担保を求めるものであつて、まさに踏絵と解すべき違法行為であると主張するが、本件書面交付の要求の顛末が後記認定のとおり推移して、その間に強要の契機を挿む余地のないことが明らかであるから、被控訴人の右主張は採用しがたい。

さらに、被控訴人は、本件書面交付による思想信条の表明の要求が約一時間に亘つて繰り返し執拗を極め、脅迫ないし強要の域に達したと主張する。いかにも本件書面交付の要求を軸として本件話合いが約一時間に亘つて行われたことは前判示にみるとおりである。しかし、被控訴人が任意に本件話合いを打ち切つて随時応接室から退出することを妨げるに足りる状況など特段の事情の認めるべきものがないかぎり、自己の自由な意思決定に従つて、被控訴人は本件話合いに終始付き合い、約一時間これを続けたものとみるのほかはない。また被控訴人の原審における本人供述(ただし、後記措信しない部分を除く。)によると、控訴人齋藤は、被控訴人が本件書面交付の当初の要求に対して「そんなこと書く必要はありません」と言つて右要求を断る態度に出たので、本件書面交付について、その必要性ないし効用などをいろいろ説いて被控訴人を応じさせようと再三話題を変えて説得に努め、被控訴人の手厳しい応酬にもめげず、話題の前置きか結びかなどで「書いた方がいいんだ」とか、「まあいいから書きなさいよ」とか、「だから書きなさいよ」とか挿みながら、そのつど患葱な物腰で説得を試み、本件書面交付の要求を措辞穏やかに再三繰り返したが、これに対し、被控訴人は、共産党員でない旨不覚にも返答してしまつたことで痛恨を嘗めた一瞬を契機に反撃に転じ、控訴人齋藤が右のようにして説得に努めるほどにますます闘志を燃やして反擾を強め、とぎにはぐらかし、ときに茶化し、ときに皮肉を浴びせるなど自負と余裕をもつて同控訴人の説得を終始あしらい、それでも同控訴人が懲りずに「そう思われてもいいの」と言いながらさらに説得しにかかるや、持前の気短さをそのままに、突如一変、大声で「いい加減にして下さい」云々と一気に捲くし立てて右説得の出端を挫ぎ、同控訴人をしてついに被控訴人の仮借なき応酬に返す言葉とてもはやないほどに辟易して本件書面交付の要求を引つ込めるほかなきにいたらしめ、かほどに自己の反撃が功を奏する場面を目の当りに見、溜飲が下がる思いで応接室から出て行つたことが認められる。被控訴人の原審における本人供述中、本件書面交付の要求に対し、被控訴人は辛うじて「書かなかつたというだけ」のことであつたとか、本件話し合いでは「私は言われつ放しで、ただ追い詰められていた」だけだとかなど右認定に抵触する供述部分、原審における被控訴人の本人供述により真正に成立したと認める甲第一号証から第三号証までの各記載事項中右認定に反する部分、控訴人齋藤の原審における本人供述中右認定にそぐわない部分はいずれも措信しがたい。もつとも、被控訴人の原審における本人供述によると被控訴人は、本件書面交付の要求に応じて一筆書けぽ給料を上げてやるとか、転勤させてやるとかいつたような交換条件があつて然るべきではないかと自ら思い付いたことから、「私は共産党員であると思われていることによつて、会社(控訴人東電) では、大分損をしてきたわけですね」と言つて控訴人齋藤を引つ掛けてみようと試みたことが認められるが、このような誘引的反問に対し、同控訴人が「そうだ」と言つて被控訴人の右反問に係る事実を肯定しながら、本件書面交付を拒否することによつて不利益取扱いを受ける虞のあることを示唆した旨、そこですかさず被控訴人が本件書面交付の要求に応じて「書けぽその損が取り戻せますか」と言つて同控訴人に揺さぶりを掛けたら、同控訴人が「いやそういうことはないけれども、これからのためにいい」と言つて利益誘導をしてきた旨の被控訴人の原審における本人供述は、これに対する控訴人齋藤の原審における本人供述に照らしてたやすく措信しがたい。さらに原審における被控訴人の本人供述によると、控訴人齋藤は、被控訴人に対して、被控訴人が「私は書く必要がない」などと言つて本件書面交付をしようとしなければ、被控訴人はいよいよ噂のとおり共産党員であるという風に皆に「そう思われてもいいの」と言つてやんわりと再考を促す場面も一再ならずあつたことが認められ、右認定に反する控訴人齋藤の原審における本入供述は措信しがたいが、右のようにして本件書面交付につぎ穏やかに再考を促したことをもつて、被控訴人に恐怖心を生じさせるに足りる害悪を告知したとはいえない。被控訴人の原審における本人供述中控訴人齋藤から「そう思われてもいいの」と言われると「なんだか気味悪かつたり、恐ろしかつたり」したとの供述部分、執拗に何度も「書きなさい」と言つて被控訴人を脅して本件書面交付の要求を繰り返した旨の供述部分は控訴人齋藤の原審における本人供述に照らしていずれも採用しがたい。被控訴人の右主張も理由がない。

以上の認定事実によれば、本件話合いにおいて、控訴人齋藤と被控訴人との遣取ないし応酬は、本件質問及び本件書面交付の要求を軸として互角に経過していたが、終盤に及んで被控訴人が控訴人齋藤を凌駕し、本件書面交付を頻りに求めてやまない同控訴人の目論見を挫折させて本件話合いを思い通りに終偲させたこと、同控訴人の本件質問に対して被控訴人は共産党員でない旨の返答をしているが、右返答は被控訴人が不用意に洩らした発言で任意に出たものであること、同控訴人の本件書面交付の要求行為(遣取ないし応酬の経過における言動を含む。以下同じ。)に対して被控訴人は終始拒否をもつて対応しているが、右対応は被控訴人が同控訴人の本件書面交付の要求行為をことごとくあしらい去つた応酬の顯末にほかならないことが明らかであるから、控訴人齋藤は本件質問及び本件書面交付の要求行為によつて被控訴人に恐怖心を生ぜしめるにいたらなかつたというべきであり、また被控訴人は本件話合いを通して自己の意思決定の自由を完うしたといわなければならない。他に被控訴人の意思ないし行動の自由を侵害するに足りる所為をもつて控訴人齋藤が被控訴人に対し本件質問ないし本件書面交付の要求をしたことについて被控訴人の主張及び立証はない。

以上のとおりであるから、被控訴人の控訴人齋藤に対する請求は、その余の点につき判断するまでもなく、すでに理由のないことが明らかであり、これを失当として棄却すべきである。そうすると、被控訴人の控訴人東電に対する請求もまたさらに進んで判断するまでもなく、棄却を免れない。

よつて、右と趣旨を異にする原判決中控訴人ら敗訴の部分を不当として取り消し、被控訴人の請求を全部棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。 (中川幹郎 上野精 菅英昇)

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