東京高等裁判所 昭和56年(ネ)505号 判決 1981年11月25日
控訴人
松山萬里子
同
松山伸一
同
松山由紀子
右三名訴訟代理人
土屋公献
同
斎藤則之
同
中垣裕
同
小林克典
被控訴人
白倉範幸
右訴訟代理人
飯田隆
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実《省略》
理由
一当裁判所も控訴人らの請求を理由がないものと判断するものであるが、次に付加、訂正するほかは原判決理由の説示と同一であるから、これを引用する。
原判決一三枚目裏七行目冒頭から同一四枚目裏九行目末尾までを次のとおり改める。
「被控訴人が久に対し昭和五一年三月三一日の初診時及び同年四月六日の二回にわたり中野病院へ転院するよう指示又は勧告していたことは原判決理由三1記載のとおりであるが、これを敷衍するに、<証拠>によると、
(1) 被控訴人は右初診日に久を診察し、血沈検査の一時間値が出るまでの間レントゲン写真を示しながら、同人の病歴、初診所見などから病気進行の危険性を説明したうえ、同人が今なすべきことは明日にでもかつて入院治療したことのある中野病院に行き、現在のレントゲン写真と過去のレントゲン写真、診療簿等とを比較対照して的確な診断を受け、そのうえで根本的な治療をすることである旨指示したところ、久は中野病院には当時の主治医が居ないこと、現在のような強い息切れは今までにもしばしばあつたから、中野病院に行つても仕方がない旨を述べてこれを拒否したが、被控訴人はなおも同人及び同席していた菊池に対し強く中野病院に行くことを勧告して帰したこと。
(2) 被控訴人は、久を気管支拡張症に罹患している可能性が強いと判断し肺炎に移行する危険性があると危惧するなど一応の診断を下したが、久及び菊池に対し再来するよう勧告する趣旨の発言をしなかつたこと。
(3) 被控訴人は右四月六日久が再診を求めにきた際も同人に対し中野病院に行かないことを責め、診察後更に中野病院に行く必要性を力説したこと。
(4) 右両日久に同行した菊池は、診察のあといずれも銀座にある勘八というすし屋で久と一緒に食事をしたが、その際久に対し、被控訴人の言う通り中野病院に行くことを勧めたところ、久は同病院にはかつての主治医が居ないし、自分の体を一番よく知つているのは自分であるとかたくなに拒否して菊池の勧告にも従わず、かえつて菊池に対し家族の者に心配をかけたくないから「二、三か月休養して安静にしていれば直るから心配ない。」と伝えてくれるよう頼んだこと。が認められ、これに反する証拠はない。以上の事実によれば、被控訴人は久及び同行した菊池に対し前述のようにすみやかに中野病院で受診することを強力に指示、勧告したことが認められる。控訴人らはこれに対し(1)被控訴人が初診時に五日分、二回目に六日分の投薬をしたことは右勧告と矛盾する。(2)久は医者の指示に従う患者であるから同人が中野病院に赴かなかつたのは被控訴人の指示、勧告がなかつたからであると反論するが、(1)<証拠>によると、被控訴人がした投薬は、久が被控訴人の転院の勧告を素直に受けとめてくれそうになかったこと、仮りに久が直ちに中野病院に赴いたとしても被控訴人の経験から中野病院において直ちに検査結果が判明し、入院もしくは適切な措置がなされるとは限らないことを案じ、久の病状が肺結核であり肺炎移行の危険性のあることをも加味して五日分投薬の処方(抗生物質「シンクル」については通常使用量の倍量)をしたこと、前記再診時には久がまだ中野病院に行かないことを詰問し六日分の投薬処方をして帰りぎわに右病院に行くよう指示したこと、(2)<証拠>によれば、被控訴人は、久を第一回に診察した際同人に対し安静と禁酒を指示したことが認められるが、<証拠>によると、久は被控訴人の受診後もビールを飲んでいたことが認められるのであつて、右事実からすると久が医師の指示に対し必ずしも従順な患者ではなかつたといわざるをえず、控訴人ら主張の右(1)(2)の事由をもつて前記認定事実を覆すに足りないし、右甲第四号証の二に昭和五一年四月分の診療実日数四回と記載がある点、当審における証人中垣裕の証言及び同証言により真正に成立したものと認める同第一号証をもつてしても右認定を覆すに足りない。」
二それ故、控訴人らの請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却することと<する>。
(石川義夫 幸澤光子 原島克己)