東京高等裁判所 昭和56年(ラ)508号 決定 1981年9月02日
抗告人
甲野一郎
抗告人
甲野春子
右抗告人両名代理人
野本俊輔
事件本人
甲野太郎
事件本人
甲野夏子
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣旨は、「原審判を取り消す。事件本人両名の親権者を本籍東京都○○区○○○△丁目××番地△亡甲野花子から抗告人ら両名に変更する。」というのであり、その理由は、別紙抗告理由書記載のとおりである。
よつて検討するに、本件記録によれば、事件本人甲野太郎は抗告人ら夫妻の長男であり、事件本人甲野夏子は同夫妻の長女であるところ、事件本人両名は、昭和五五年一一月一二日抗告人甲野一郎の母である甲野花子の養子となる養子縁組をしたこと及び右甲野花子は、昭和五六年二月一一日死亡したことが認められる。
ところで、未成年の養子は養親の親権に服するものとされているから(民法第八一八条第二項)、養子の実親は、養子縁組の存続中は養子の親権者となる資格を有しないものといわなければならない。そして、養親が一人である場合にその養親が死亡しても、養子縁組は当然には解消しないから(同法第八一一条第六項参照)、実親の親権が当然に復活するものではなく、後見が開始すると解すべきである。
これを本件についてみるに、事件本人両名の養親は甲野花子一人であつたところ、同人が昭和五六年二月一一日死亡したことにより、事件本人両名につき後見が開始したものというべきである。
抗告人らは、本件につき後見が開始したとしても親権者の変更が可能である旨主張するが、上述のように養子縁組が解消されないかぎり実親は養子の親権者となることができないと解されるから、仮に事件本人らが抗告人らと同居している等抗告人ら主張の事実がすべて認められるとしても、親権者の変更により事件本人らを抗告人らの親権に服せしめる余地はないものというほかない。
なお離婚に際して親権者と定められた父母の一方が死亡した場合において他方への親権者の変更が可能であるかどうかについては見解の分れるところであり、これを積極に解した審判例があることは抗告人ら主張のとおりであるが、この場合は親権者でなかつた親も親権者となる資格に欠けるところはないのであるから、右審判例のようにこれを肯定する余地がないわけではないが、本件はこれと異なり、右述のとおり抗告人らは親権者となる資格を有しないのであるから、離婚の場合の前記審判例にならい親権者の変更が許されるものと解することは困難である。
そうすると、本件親権者変更の申立ては理由がないから、これを却下した原審判は相当である。よつて本件抗告を棄却することとして主文のとおり決定する。
(川上泉 奥村長生 橘勝治)
〔抗告理由書〕
一、原告は、「養親の死亡によつて縁組は解消しないから、養親の死亡により実親の親権が復活することはなく、後見が開始するものと解するのが相当である」として抗告人の親権者変更審判申立を却下した。
二、しかし、後見が開始されたからといつて親権者変更が許されないと断定するのは疑問である。そもそも親権者変更の審判は、旧親権者の地位を解消せしめ、新たな親権者に権能を付与するという創設的形成処分であり、単独親権者死亡の場合、前者(旧親権者の地位解消)の必要はないが、後者、すなわち新しい形成処分の必要は残つているし、その限度で、家庭裁判所にその権限を認めることは差支えないというべきである。
三、右の理は、離婚に際して親権者に指定された者が死亡した場合において生存する実親への親権者変更を認めた松山家裁昭和四七年五月二七日審判(判例時報六八一号七七頁)が述べているところであるが、これは、養親が死亡した場合において生存する実親への親権者変更が可能か否かの問題にもそのまま援用できよう。
四、事件本人らは抗告人ら及び養親甲野花子(抗告人甲野一郎の実母)と共に同居生活を営んでいたものであり、養親死亡後も、事件本人らと抗告人らは通常の実親子として同居生活(ただし、事件本人甲野太郎はメキシコの大学に留学中につき帰国時のみ)を続けているのであつて、このような場合において、実親である抗告人らが後見人としてではなく親権者として実子たる事件本人らの監護養育に当りたいと願うのは誠に自然な願望であり、それを認めるのが国民感情に合致するというべきである。
五、家裁の実務において、離婚に際して親権者に指定された者が死亡した場合の生存配偶者への親権者変更につき、従前は消極説が多かつたが、近年ではむしろ積極説が有力である。そのような場合において、親権者変更の便法を許す以上、本件の如き場合にも当然、同様の便法が許されなければならない。
速やかに、原審判を取消し、事件本人らの親権者を申立人らに変更する旨の決定をされたい。