東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)2号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実及び本願発明の要旨が審決認定のとおりであること、本願発明が審決認定の(イ)ないし(ニ)の特徴を有することは当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決取消事由(1)について検討する。
1 本願発明が陽極板で発生する酸素ガスを陰極活物質に充分に接触させることにより右酸素ガスと陰極活物質との反応速度を高め、電池内の圧力を過度に高くならないようにするいわゆる酸素サイクルを利用した密閉化方法を採用した鉛酸蓄電池に係るものであることは、当事者間に争いがない。
一方、前示当事者間に争いのない本願発明の特許請求の範囲の記載及び成立に争いのない甲第三号証により認められる本願明細書の発明の詳細な説明の記載によれば、本願発明は、従前の保守を必要としない鉛酸電池に比し「広範囲の放電条件下で単位容積及び単位重量当り改良された高エネルギーを有し、かつ低インピーダンスで単位容積及び単位重量当り高出力を有する」(甲第三号証三欄四四行ないし四欄四行)ものを提供することを目的とし、その特許請求の範囲に記載された構成、特に、審決のいう特徴(ハ)の隔離板の構成及び特徴(ニ)の電解液の分布状態についての構成を採用し、これによつて、右目的に沿う大きい放電容量を有し多数の充放電サイクルに耐える効果を有するものであることが認められる。
このように、本願発明の電池は従前の保守を必要としない鉛酸電池に比し高エネルギー、高出力を有するものであるから、電池内の電解液の量が電気化学反応を維持するため充分な量であることを当然に予定しているものと認められる。したがつて、本願発明は、このように充分な量の電解液を、その特徴(ニ)の電解液の分布状態についての構成によつて、過充電の際に酸素ガスは該薄層を通じて拡散し陰極板と直接結合し、もつて酸素サイクルを速やかに行わしめ電池内の圧力が過度に高くならないようにしているものであつて、単に電池内の電解液の量を少量に制限することによつて右の目的を達成しようとするものではないと認めることができる。
審決は、本願発明における基本的な技術思想として、「多孔性の隔離板に含有される電解液の量を少量に制限して」との点を挙げるが(審決理由の要点2)、右認定の事実によれば、本願発明において、電極板に少量の電解液を存在させることを要件とすることは認められるが、隔離板に含有される電解液の量を少量に制限することは特許請求の範囲に記載された要件ではなく、また、これが基本的な技術思想であることは、前示甲号証により認められる本願明細書の発明の詳細な説明の記載その他本件全証拠によつてもこれを認めることができない。
もつとも、前記甲第三号証によれば、本願明細書中には、「本発明で明らかにしたような形態では、電解液の添加は違つて取扱わねばならない。ふつうの型の電解液が使われるが、電解液含量は多少とも少い量(Starved amount)である。いいかえると、電池に入れる電解液量を制御することが重要である。電気化学反応を維持するには、水と共に十分な水素と硫酸イオンが存在しなければならないが、過剰の遊離電解液が存在してはならない。本質的には、添加した全電解液が隔離板内に又は電極板の孔内に完全に吸収される。板11の孔の内部又は隔離板14の隙間に保持されない遊離の電解液は僅か保持されるか、全く保持されない。後で説明するように、酸素と陰極板スポンジとの再結合を最大にし、又は増すために、少い量の電解液条件を保つことが重要である。」(甲第三号証一〇欄二七ないし四一行)との記載があることが認められる。しかし、前示認定の事実に照らせば、この記載は、その「電気化学反応を維持するには、水と共に十分な水素と硫酸イオンが存在しなければならないが、過剰の遊離電解液が存在してはならない。」との記載が示すように、前示充分な量の電解液が実質的に全部隔離板内に吸収され実質的に遊離の電解液が存在しない状態を、例えば成立に争いのない乙第七号証により認められる遊離の電解液が電槽内に存在する周知の蓄電池に比し、「電解液含量は多少とも少い量(Starved amouunt)である。」「電池に入れる電解液量を制御することが重要である。」「少い量の電解液条件を保つことが重要である。」と表現したものであつて、隔離板に含有される電解液の量を少量に制限するという意味ではないことが認められる。
以上述べたところによれば、右認定に反する被告の主張が採用できないことは明らかであり、本願発明の基本的技術思想に関する前記審決の判断は誤りであるといわなければならない。
2 成立に争いのない甲第四号証によれば、引用例は、「鉛蓄電池の密閉方法」と題する論文であり、「鉛蓄電池を密閉して、電池内の圧力を過度に高くせず、また、電解液の減少速度が小さくてすむ方法としては次の五つが可能性のあるものといわれている。」(同号証九三頁右欄四ないし七行)として五つの方法を掲げ、そのうちの一つである「酸素ガスを陰極活物質に反応させる方法」につき、「陽極板から発生した酸素ガスを陰極活物質に反応させ、陰極板からの水素ガスの発生をなくするという方法で、酸素サイクルでの密閉方法である。酸素ガスと陰極活物質との反応速度を高めるために、電解液量を制限して、ガスと陰極活物質とを充分接触させる必要がある。電解液量を制限するのに、液面を下げて陰極板を露出させるもの、極板間の多孔体に少量の電解液を含浸させるもの、およびゲル状電解液を用いるものなどがある。」(同九五頁右欄二一ないし二九行)と説明していることが認められる。
右の記載自体は、酸素サイクルを利用した鉛酸電池において、酸素ガスと陰極活物質とを充分接触させるため電解液量を制限すべきこと、電解液量を制限する方法の一つに極板間の多孔体に少量の電解液を含浸させる方法があることを示すに止まり、これをもつて、本願発明におけるように高出力の電気化学反応を維持するに充分な量の電解液を特徴(ニ)に示される分布状態に置くことを明示し又は示唆するものと直ちに認めることはできない。
被告は、引用例の密閉型の鉛酸電池が酸素サイクルを利用する密閉化方法を用いるものである以上当然に電池内に実質的に遊離の電解液は存在しない旨、また、その多孔体が保持する電解液の量は電気化学反応を維持するのに充分な量であり、かつ酸素ガスを容易に通過させることができる量である旨主張する。
しかし、成立に争いのない乙第二号証によれば、特公昭四五―一九四五六号公報には、酸素サイクルを利用した密閉式アルカリ蓄電池又は密閉式鉛蓄電池において「電槽の底部に電解液の液溜を設けこの液溜に陰陽両極板間に挿入したセパレータの下端を浸漬して電池の放電時または充電時に毛細管現象によりこの液溜から電解液を吸い上げたり或は余分の電解液をこの液溜に排出したりして上記各電極板間の電解液量を電池の放量容量およびガス吸収量が共に最適の条件となるように規正せんとする」(同号証二欄三ないし一〇行)発明が開示され、「従来のこの種電池は本発明のように電解液量の調整が下可能であつたためまず電池のガス吸収能すなわちガス圧に対する安全性を第一に考えて電解液量を極力すくなくしているのが普通であるがこのために電池の放電容量は電解液量が充分なときに比し六〇%~七〇%程度しかなく、また電解液の偏在、枯渇などによりその放電特性の劣化も甚だしかつた。」(同四欄一一ないし一八行)と説明されていることが認められ、この記載によれば、酸素サイクルを利用する密閉式蓄電池において、放電容量を犠牲にしても電池内に注入する電解液量を少量とするものが普通であつたこと、放電容量を維持するに足る充分な量の電解液を隔離板と液溜に分配し、したがつて遊離の電解液を電池内に存在させる構成のものも存在していたことが明らかである。この事実からすれば、引用例の「電解液量を制限するのに……極板間の多孔体に少量の電解液を含浸させるもの……がある。」との前示記載が直ちに被告が主張するように本願発明の前記(ニ)の特徴と同様の構成を意味するものということは到底できない。
また、成立に争いのない乙第一、第三号証、第一〇号証の一・二によればこれら乙号各証の文献に被告が引用する各記載があることは認められるが、乙第一号証(特公昭四〇―二八〇一三号公報)の記載は完全密閉型アルカリ蓄電池において酸素サイクルによる密閉化方法がすでに提案されていることを示したにすぎず、乙第三号証(特公昭四〇―二二九七〇号公報)の記載は、密閉型の鉛酸電池において遊離の電解液をほとんど存在させず電解液を電極の孔中及びセパレーターに固定させることを開示しているものの、この電極の孔中における電解液の分布状態が本願発明の特徴(ニ)に示す「電極板の鉛粒子の周囲の電解液膜の厚さを最小にするよう少量の電解液が電極板に薄層として存在する」ものであるかどうかは明らかでない。また、乙第一〇号証の一・二(Electrochemical Technology一九六六年八月号三八三頁以下)の記載は、硫酸電解液の大部分を気孔中に保持する電解液吸収能の大なる隔離板を用いることを開示していると認められるが、その「固定された、制限された電解液が用いられる場合には、蓄電池の容量は、特に低温度及び中程度の放電速度でいくらか減ずる。」(同号証の二の三八四頁右欄二七ないし三〇行抄訳文一頁下から六ないし三行)、「制限された電解液を含有する密閉した蓄電池内では、多孔質の電極板及び吸水性の隔離板は、薄い電解質のフイルムで被われる」(同欄四四ないし五〇行抄訳文二頁九ないし一一行)との記載によれば、隔離板の気孔中に保持される電解液の量が本願発明の電池において隔離板に含有される電解液の量すなわち前叙のとおり高出力の電気化学反応を維持するに充分な電解液の量と同じであることを示していると必ずしもいうことはできず、したがつて、本願発明の特徴(ニ)に示す電解液の分布状態を意味するものと認めることはできない。
その他本件各証拠を精査しても被告の主張するように酸素サイクルを利用する密閉型の鉛酸電池において電池内に注入する電解液の量は当然に遊離の電解液が生じない程度のものであり、この量とすれば当然に本願発明の電解液の分布状態になることが本願出願前周知であつた事実、あるいは本願発明の電解液の分布状態を有する密閉型の鉛酸電池が本願出願前周知であつた事実を認めるに足る証拠はない。
そうすると、前示引用例の記載によつて、引用例に本願発明の特徴(ニ)に示す電解液の分布状態を有する密閉型の鉛酸蓄電池が開示されているとの被告主張は採用できず、その旨の審決の判断(審決理由の要点4(四))は誤りというほかはない。
三 右の点についての審決の判断の誤りが審決の決論に影響を及ぼすことは明らかであるから、原告のその余の主張について検討するまでもなく、審決は違法として取り消しを免れない。
四 よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容する。
〔編註その一〕 本願発明の特許請求の範囲は左のとおりである。
水素過電圧を減ずるような不純物を実質的に含有しない非自己支持性の高純度鉛格子を双方とも使用するペーストをつけた多孔性の少くとも一つの陰極板とペーストをつけた多孔性の少くとも一つの陽極板、液体の酸電解液及び電解液を吸収保有する隔離板より成り、電極板と隔離板とは堅く積み重ね圧力下で容器内に収納され、かつ密封状態において大気圧より高い内圧で操作できる、保守を必要としない密封せる鉛酸電池において、
(a) 隔離板材料は電極板より電解液を吸い上げてその電解液を少量となしかつ実質的に総ての電解液を隔離板内に保有するに充分な程度の高い気孔率と高い湿潤熱と高い表面積とを電極板材料に比較して有し而も該隔離板は電極板と緊密に接触しており、
(b) 電池内に実質的に遊離の電解液が存在せず、電解液は実質的に全部の電解液が隔離板内に含有されるように分布され、電極板の鉛粒子の周囲の電解液膜の厚さを最小にするよう少量の電解液が電極板に薄層として存在し、それ故過充電の際に酸素は該薄層を通じて拡散し陰極板と直接結合することを特徴とする上記鉛酸電池。
〔編註その二〕 本件審決理由中本願発明の特徴(ニ)として記載された事項は左のとおりである。
(ニ) 電池内における電解液の分布状態は、(ⅰ)電池内に実質的に遊離の電解液が存在しない、(ⅱ)電解液は実質的に全部隔離板内に含有される、(ⅲ)電極板の鉛粒子の周囲の電解液膜の厚さを最小にするよう少量の電解液が電極板に薄層として存在しているものであること