東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)21号 判決 1982年5月25日
原告 株式会社ナカ技術研究所
被告 特許庁長官
主文
特許庁が昭和五二年審判第二〇〇七号事件について昭和五五年一一月一八日にした補正の却下の決定を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
主文同旨の判決
二 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」
との判決
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和四六年四月一〇日、名称を「床面用貯蔵庫」とする考案(以下、「本願考案」という。)について実用新案登録出願(昭和四六年実用新案登録願第二六六一六号)をしたところ、拒絶理由の通知があり、昭和五〇年一一月二五日付及び昭和五一年七月一二日付の手続補正書を提出したが、昭和五一年一二月六日、拒絶査定がされた。
そこで、原告は、昭和五二年二月二三日、審判を請求し、昭和五二年審判第二〇〇七号事件として審理され、その後、昭和五二年三月二五日、審判請求理由補充書とともに明細書及び図面の全体を補正した手続補正書を提出したが、昭和五三年一〇月五日拒絶理由通知があつたので、原告は、昭和五三年一一月二九日に再度、明細書及び図面の全体を補正した手続補正書を提出した(以下、「本件補正」という。)。その結果、昭和五四年五月三〇日実公昭五四―一二一九九号として出願公告された。
ところが、この出願公告に対して実用新案登録異議の申立がされ、昭和五五年一一月一八日、出願公告の決定の謄本送達前に行なつた昭和五〇年一一月二五日付手続補正、昭和五一年七月一二日付手続補正及び昭和五二年三月二五日付手続補正を却下する旨の各別の決定とともに、右同日、本件補正についても「昭和五三年一一月二九日付の手続補正を却下する。」との補正の却下の決定(以下、「本件補正の却下の決定」という。)がされ、その謄本は昭和五五年一二月一七日原告に送達された。
2 本件補正に基づく実用新案登録請求の範囲
垂直壁の上端に外向き突縁を、下端に内向き突縁をそれぞれ有する縁枠を、周縁に段部を形成した床面の開口部に、上端に有した外向き突縁を床面に、また、下端に有した内向き突縁を段部にそれぞれ位置して固定し、縁枠には上方が開口する収納函体を取付けて床下に吊下するとともに縁枠の内側には上面が外向き突縁とほぼ同一平面となる蓋体を着脱可能に嵌合してなることを特徴とする床面用貯蔵装置(別紙図面(一)参照)。
3 本件補正の却下の決定の理由の要旨
(一) 昭和五三年一一月二九日付本件補正は、昭和四六年四月一〇日に出願された本願考案の明細書及び図面全体を補正したものであつて、その実用新案登録請求の範囲は、前項記載のとおりである。
したがつて、願書に最初に添附した明細書又は図面(以下、これを単に「当初明細書」という。)に記載した本願考案に係る「二枚の面板(1)(2)間に一体又は一体となるよう発泡体(3)を充填して底壁(4)及び側壁(5)を形成する函体(A)」は「上方が開口する収納函体」と補正されたのである。
(二) しかしながら、この補正は、遮温性であることを必須要件とした函体から該要件を剥脱する趣旨のものであるところ、当初明細書には、遮温性であることを必須要件としない函体については何ら記載されておらず、かつ、この遮温性であることを必須要件としない函体が、「冷蔵庫と併用して使用される……」(明細書一頁中段)、「保存品を冷蔵庫と併用して貯蔵できる……」(同三頁上段)、「……発泡スチロール等の遮温性を有する発泡体(3)を充填してなる函体」(同三頁下段)、「貯蔵庫内外の温度を遮断でき……」(同五頁下段)等の記載をもつて、首尾一貫して説明される本願考案の属する技術の分野、目的及び構成からみて自明のものであるとは認められない。
したがつて、この補正は、願書に添附した明細書の要旨を変更するものであり、この補正に対しては、実用新案法第四一条で準用する特許法第一五九条で更に準用する同法第五三条第一項の規定が適用される。
4 本件決定の取消事由
本件補正の却下の決定が「この補正は、遮温性であることを必須要件とした函体から該要件を剥脱する趣旨のものである」とした点は争わないが、本件補正の却下の決定は、補正後の考案が「当初明細書」に記載されているところの考案であるのに、これに記載されていないとして、本件補正は明細書の要旨を変更するものと誤つて判断したものであり違法であるから取消されるべきである。
本件補正後の考案は、次に述べるとおり、「当初明細書」に記載された考案であるから、本件補正は、明細書の要旨を変更するものではない。
(一) まず、補正後の本願考案の要旨は、補正後の明細書、特にその実用新案登録請求の範囲の記載から明らかなように、
<1> 垂直壁の上端に外向き突縁を、下端に内向き突縁をそれぞれ有する縁枠を、
<2> 周縁に段部を形成した床面の開口部に、上端に有した外向き突縁を床面に、また、下端に有した内向き突縁を段部にそれぞれ位置して固定し、
<3> 縁枠には上方が開口する収納函体を取付けて床下に吊下するとともに
<4> 縁枠の内側には上面が外向き突縁とほゞ同一平面となる蓋体を着脱可能に嵌合してなる
<5> ことを特徴とする床面用貯蔵装置
である。
(二) そこで、補正後の本願考案における右各構成要件が「当初明細書」に記載されているか否かを検討するに、
<1>の縁枠に関する構成については、「(C)は、この函体(A)の開口部(6)の上面周囲に外向き突縁(7)を載置し、かつ、函体(A)内面にその外壁を接合状とし、下端内方に内向き突縁(8)を有し内壁を円弧状の傾斜凸面(9)とする縁枠で」(「当初明細書」三頁一五行ないし一九行)と記載され、かつ、この縁枠の構成は、「当初明細書」の第1図、第2図及び第5図(別紙図面(二)参照)に明らかに示されている。
<1>の縁枠を<2>の床面に固定した構成については、「当初明細書」の第5図に明瞭に記載されている。
<3>の収納函体の取付状態に関する構成については、「当初明細書」に「この函体(A)の開口部(6)の上面周囲に外向き突縁(7)を載置し、かつ、函体(A)内面にその外壁を接合状とし」、(三頁一五行ないし一七行)と記載さており、かつ、第5図には、縁枠に上方が開口する収納函体を取付けて床下に吊下した構造が明瞭に記載されており、更に、「当初明細書」には「貯蔵庫を形成する函体(A)、蓋体(B)及び縁枠(C)は工場にて予め組立てるものであるから、現場での施工時間は極力短縮される。」(六頁一四行ないし一七行)と記載されている。
<4>の縁枠に蓋体を取付けた構成については、「当初明細書」に「(C)は、……縁枠で、この円弧状の傾斜凸面(9)の上面には……蓋体(B)を合致するよう嵌合載置している。」(三頁一五行ないし四頁三行)と記載され、かつ、「蓋体(B)及び縁枠(C)の上面は床面とほぼ同一平面上に仕上がる」(六頁一七行ないし一八行)との記載がある。
右とおり、補正後の本願考案の構成要件は、そのすべてが「当初明細書」において記載されていたものである。
(三) ところで、補正後の本願考案は、前記<3>の構成における「収納函体」が遮温性を有するか否かによつて、その作用効果に何らの相違もない。したがつて、補正後の考案において、前記「収納函体」が遮温性を有するか否かを問題にする余地がなく、この点を補正後の考案の構成要件とすべき必然性が全くない。いい換えれば、補正後の考案は、前記「収納函体」が遮温性であるか否かを問題にするまでもなく、「当初明細書」の記載の範囲内で考案として成立しているのである。
また、右の構成を有する補正後の考案において、「収納函体」それ自体は、公知の収納函体を指していることが明白であり、この「収納函体」自体に対して権利を要求しているものでないことも明らかである。補正後の考案の構成<3>における「上方が開口する収納函体を取付けて床下に吊下するとともに」という文言は、「縁枠」の有する機能を、補正後の考案が対象としている「床面用貯蔵装置」との関係で記載しているものである。
この点、被告は、「当初明細書は、そこに記載された函体は遮温性の有無は問われないものである旨の記載を少しも含んでいない。」と主張している。
しかしながら、当初明細書は、その実用新案登録請求の範囲の項の記載から明らかなように、考案の要旨を「二枚の面板(1)(2)間に一体又は一体となるよう発泡体(3)を充填して底壁(4)及び側壁(5)を形成する函体(A)の開口部(6)には蓋体(B)を設けてなる床面用貯蔵庫。」と把握したから、必然的に「遮温性のある函体」が強調して記載されたにすぎないのであつて、「遮温性のある函体」に関する考案のみが「当初明細書」に記載さていたということはできない。
また、被告は、「当初明細書に記載された函体は遮温性を必須要件とする函体であり、この必須要件を欠く函体を何ら意図していなかつたことは明らかである。」と断じている。
しかしながら、当初明細書において、函体が遮温性であることを必須要件として記載しているのは、まさに遮温性であることを必須要件としない函体を前提とした結果であり、また、これを認識していたからにほかならない。
(四) それ故、補正後の考案が、「当初明細書」に記載されているところの考案であることを見落し、「当初明細書」には遮温性であることを必須要件としない函体についての記載がないとの理由で、本件補正は明細書の要旨を変更するものであるとした本件補正の却下の決定は、違法であつて取消されるべきである。
二 被告の答弁及び主張
1 請求の原因1ないし3の事実は、認める。
2 同4の本件決定の取消事由についての主張は、争う。
昭和五三年一一月二九日付手続補正書に記載された考案は、次に述べるとおり、「当初明細書」に記載された考案ではないから、本件補正は、願書に添附した明細書の要旨を変更するものである。
したがつて、本件補正の却下の決定には誤りはなく、何らこれを取消すべき事由はない。
(一) 「当初明細書」は、そこに記載された函体に関し、これが遮温性であることを必須要件とするものとして記載している。すなわち、「当初明細書」四頁中段の記載よると、函体としては、
(1) フエノール樹脂等を内面板(1)と外面板(2)の間に充填して発泡成形したもの(第1図)、
(2) 発泡体(3)を成形して内面板(1)と外面板(2)の間に充填するもの、
(3) 発泡体(3)を外面板(2)に一体に固着してなる板体を函体に組立てその内面に函状の内面板(1)を嵌合して固着するもの(第3図)又は
(4) 発泡体(3)を内面板(1)と外面板(2)の間に固着してなる板体を底壁(4)及び側壁(5)に用いて函体を組立て、その接合個所をシール材により完全に塞いだもの(第4図)
とされている。第2図及び第5図の函体もまた、前記(1)、(2)、(3)又は(4)の函体と同様のものとして説明されている。これらの函体は、どのような具体例のものであれ、すべてその主たる特性が遮温性である発泡体を使用したものである。
(二) 「当初明細書」は、そこに記載された函体は、遮温性の有無は問われないものである旨の記載を少しも含んでいない。「当初明細書」は、本件補正の却下の決定の理由で述べたように、「(……遮温性を有し、かつ、軽量な発泡体(3)を充填した函体(A)を用いるため、(貯蔵庫内外の温度を遮断でき……」(五頁下段)等、函体は遮温性であることを必須要件とするものとして、本件考案を記述している。
第三証拠関係<省略>
理由
一 請求の原因1ないし3の事実については、当事者間に争いがない。
二 そこで、本件補正の却下の決定にこれを取消すべき事由があるか否かを判断する。
成立に争いのない甲第二号証(本願考案の願書に添附された明細書及び図面、以下、この「明細書及び図面」を、単に「当初明細書」という。)によれば、「当初明細書」の考案の詳細な説明においては、実施例についての説明として、函体(A)の構成に関して、「第1図図示の如くフエノール樹脂等を内面板(1)と外面板(2)の間に充填して発泡成形したり、発泡体(3)を成形して内面板(1)と外面板(2)の間に充填するもの以外に、発泡体(3)を外面板(2)に一体に固着してなる板体を函体に組立て、その内面に函状の内面板(1)を嵌合して固着するもの(第3図参照)又は発泡体(3)を内面板(1)と外面板(2)の間に固着してなる板体を底壁(4)及び側壁(5)に用いて函体を組立て、その接合個所をシール材により完全に塞ぐもの(第4図参照)でもよい。」(四頁九行ないし一八行)との記載があることが認められる。したがつて、「当初明細書」における函体(A)においては、発泡体が函体に組立てられる板面に固着されていることになり、函体(A)には遮温性があることは明らかであり、考案の詳細な説明全体を通してみても、函体(A)について、遮温性の有無を問わないものとする旨の積極的な記載を見い出すことはできない。
しかしながら、前掲甲第二号証によれば、「当初明細書」に示された技術的関連事項としては、基本的には、縁枠に、上方が開口する収納函体を取付けて吊下する構成ないし技術的思想が存し、これに基づき更に、その縁枠と函体について、後者に対する発泡体の充填その他の具体的構成が説明されているものであることが明らかである。したがつて、「当初明細書」には、「上方が開口する収納函体を取付けて吊下する」ことについての技術的事項が既に示されていたものと解するに十分である。
これを子細にみるに、函体(A)の構成に関し、右に指摘した「発泡体(3)を外面板(2)に一体に固着してなる板体を函体に組立て、その内面に函状の内面板(1)を嵌合して固着するもの」について考えると、「板体(外面板)で組立てられた函体」、「板体(外面板)に一体に固着された発泡体」及び「嵌合すべき函体の内面板」は、物として分離して認識することもできるから、そのうち、「板体(外面板)で組立てられた函体」に着目するときは、「発泡体を……一体に固着してなる」との文言は、結局、「板体(外面板)」と「発泡体」との関連を説明するものと理解される。換言すれば、一般に「板体で組立てられた函体」は、もちろん函体本来の機能だけを有するものであるところ、この板体に「発泡体を……一体に固着して」はじめて遮温性のある函体となるものである。このように、「当初明細書」における函体(A)は、「板体で組立てられた函体」の構成における板体に「発泡体を……一体固着した」構成を付することによつて、はじめて機能的にも、函体本来の機能に、遮温性という新しい機能が付加されたものとなることができる。
一般に、ある物にある構成を付加した場合には、その物の本来の機能に、付加された構成に基づく機能が単に重畳的に加わる場合と、新たな構成が付加されたことによつてその物本来の機能とは別異の機能が発揮される場合とがあろうが、前者の場合には、各機能が単に重畳されたにすぎないから、付加された構成は、単純な付加限定にすぎないものということができる。そして、このような関係の構成を有する物が明細書に記載されている場合には、そこに存する技術的事項としては、特定の構成が付加され、これにより限定された物と、そのような付加限定のない本来の物とが、併存して記載されているものと解するのが相当である(もつとも、このことは、請求された特許発明又は登録実用新案の技術的範囲いかんの解釈ないし認識については、別個に考察されるべきである。)。
これを本件についてみると、「発泡体を……一体固着した」ということは、函体に遮温性という機能を単純に重畳的に付加したものであることが明らかであるから、「当初明細書」には、遮温性をもつた函体と単なる函体との二態様が記載されているものと解するのが相当である。
結局、本件補正の却下の決定が「当初明細書には、遮温性であることを必須要件としない函体については何ら記載されておらず」とした認定は、当をえないものというべきである。
本件補正の却下の決定における右の点の誤りは、補正後の考案において構成要件とされている事項に徴すると、その結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、本件補正の却下の決定は違法であり、取消を免れない。
三 よつて、本件補正の却下の決定の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条及び民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 荒木秀一 舟本信光 舟橋定之)
別紙図面(一)
別紙図面(二)
第1図
第2図
第3図
第4図
第5図