東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)291号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実は、当事者間に争いがない。
二 原告は、本願発明は従来の豆腐製造工程中に豆乳の濃縮工程及びその低温保蔵工程を挿入した点に進歩性があるのに、審決が単に保蔵技術のみを抽出して、これを常套手段と判断し、同工程を挿入したことによる技術的評価を欠き、本願発明は引用例から容易に推考し得るとした点において違法である旨主張するので、この点について判断する。
1 本願発明の出願当時、豆腐製造工程において丸大豆から得た豆乳を復元し得る形で保蔵する技術として、豆乳を濃縮後噴霧乾燥機を用いて乾燥し、乾燥豆乳として保蔵することが周知であつたことは、当事者間に争いがない(因に、成立に争いのない乙第一号証の一ないし四によれば、本願発明の出願前である昭和四六年三月五日に頒布された刊行物である「大豆食品」の九二頁三〇行目ないし三二行目には、「現在市販されている豆腐用噴霧乾燥豆乳は、丸大豆から得た豆乳(完全に煮沸させず、加熱を控え目にしてあり、製品のウレアーゼ活性は陽性である)を濃縮後噴霧乾燥機を用いて乾燥したものである」との右周知技術の記載がある。)。
2 右の事実によれば、本願発明の出願当時、豆腐製造技術において、豆乳を濃縮後乾燥した乾燥豆乳としてではあるが、保蔵され得る中間製品の形態にすること、即ち、豆腐の製造工程中に豆乳の保蔵工程を設けることは、当事者間で周知の事実に属していたというのであるから、審決が、濃縮豆乳の保蔵工程を従来の豆腐製造工程に挿入すること自体についての本願発明における技術構成上の新規性、進歩性について直接言及していないにしても、これを当然の前提としたうえで、引用例記載の発明との対比において判断をしたものと解すべきであり、また、本願発明の保蔵が濃縮豆乳の形態でなされるものであるところ、一般に飲食品の保蔵はその品質劣化を抑えるため低温でなされることは、当該技術分野における常識というべきものであるから、本願発明において豆腐の製造工程中に豆乳の濃縮及び低温保蔵工程を挿入したというだけで本願発明に進歩性ありとする原告の主張は、理由がないものといわなければならない。
3 次に、原告は、本願発明においては保蔵工程の挿入によつて、請求の原因四、1、(三)の顕著な効果がもたらされるから、同工程を従来の豆腐製造工程に挿入した点に進歩性を認めるべきである旨主張する。しかし、原告主張の右効果は、豆乳に限らず、液状飲食品について、それを濃縮し、水分を減らした状態で保蔵する場合にもたらされる一般的な効果にすぎないものというべきである。現に、成立に争いのない甲第二号証によれば、引用例には、液状飲食品である果汁について、「この不必要な水の大部分を取り去つて果汁の有効成分だけは失わずに製品として運搬できれば容器代も倉庫のスペースも運賃もはるかに少なくて済むので消費地でもとの濃度に薄めて使えばそれだけ内容果汁の単価が安く提供出来る。故に米国ではオレンジ果汁の大部分が濃縮品にされしかも品質を保つため冷凍状態で流通過程にのせられ莫大な生産量を誇つている」(四九八頁一三行目から一九行目まで)との記載があることが認められるのであり、このことからも、原告主張の本願発明の効果は既知のものであつて、格別顕著なものとはいい難い。
原告は、また、本願発明の効果に関連し、無臭に近い豆腐を得ること及びきめ細く、舌ざわり良く、味のまろやかな豆腐を製造することも本願発明の目的である旨主張するが、このような臭い、舌ざわり、味覚等は、いずれも消費者の主観によつて異なるものであつて、客観的尺度を欠くものであり、本願発明の明細書にも、これらに関する一般的な記載(成立に争いのない甲第三号証の一〇頁八行目から一九行目)があるに過ぎない。
従つて、原告の主張する本願発明の効果なるものは、本発明に進歩性を認め得るほど格別顕著なものとするに足りないといわざるをえない。
三 原告は、豆乳と構成成分を異にする果汁の真空濃縮処理を豆乳に転用することは容易とはいえない旨主張するので、この点について判断する。
1 引用例に、果汁に関し、多量に含まれる水分を除去し、運搬及び取扱いの便を計るために濃縮処理すること及び加熱による品質劣化を抑えるために濃縮の際、真空濃縮をする旨の記載があることは、当事者間に争いがなく、これに前記二、3認定の引用例の記載をあわせれば、果汁は、保蔵流通のために濃縮された状態におかれるものであることが理解される。
他方、本願発明における豆乳の濃縮工程は、豆腐の製造工程において、保蔵工程挿入を実現するための処理工程であると認められるところ、前掲甲第三号証によると、本願発明においては、豆乳それ自体を損うことなく運搬及び取扱いの便を計るために、また、品質を損うことなく保蔵するために、豆乳を真空中で当初の二ないし五倍の密度に濃縮し、得られた濃縮豆乳を低温保蔵する過程を経るものであることが、明細書の記載から明らかである。
2 成立に争いのない甲第六、第七号証によれば、果汁の構成成分は、可溶性固形物、酸、アミノ酸窒素、灰分、ビタミンC、水とからなり、水分はほぼその九〇パーセント前後を占め(甲第六号証三八三頁表一六・一九の可溶性固形物の「度」はパーセントを示すものと認められる。)、また、豆乳の構成成分は、蛋白質、脂肪、炭水化物、灰分、無機質、ビタミン、水とからなり、水分はその九〇・八パーセントを占めており、両者は、共に、構成比においてほぼ等しい多量の水を含んだ飲食品であると認められること、両者は、高度の加熱に対して品質を損うものであることが知られていること、前記二、1において述べたように、豆腐の製造技術において、豆乳を保存され得る中間製品の形態にすることは周知の事実であつたこと、成立に争いのない乙第二号証によれば、豆乳を濃縮して利用すること自体は従来既知の技術であつたと認められること、以上の諸事実をあわせ考えると、両者の構成成分に差異があるとしても、運搬等の取扱いの便を計り、かつ品質を保持するという要請に応え、豆腐の流通機構のシステム化を実現すべく、果汁に関する前記真空濃縮を経た保蔵に関する技術を、その性質に応じた方法で豆乳にも応用できるであろうと考えることは、当業者にとつてなんら不自然なことではないというべきである。
原告が主張する豆乳にみられるゲル形成の性状は、その主張のとおり果汁との構成成分の差異によるものであるが、そのことは、もとより、豆乳の濃縮の可能性を否定するものではなく、当業者が豆乳の保蔵に適する方法として、濃縮に着目することの困難性を意味することには、直ちにつながらないというべきである。
3 従つて、本願発明における豆乳製造工程に豆乳の保蔵工程を挿入するに当つて、前記引用例の記載に基づいて、豆乳の保蔵を濃縮した状態で行うようにすることは、当業者ならば容易に着想し得るところと認めることができる。また、その保蔵を低温で行うことも、飲食品保蔵の際の品質劣化防止の常套手段というべきことは前に認定したとおりである。そうであれば、濃縮し低温保蔵された豆乳を豆腐に成形すべく復元する工程も、当然濃縮、保蔵工程に付随するものとして、容易になし得るものというべきである。
四 以上のとおりであつて、原告主張の取消事由はいずれもその理由がなく、審決には、これを取消すべき違法はないものといわなければならない。
よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとする。
〔編註〕 本願発明に関する事項は左のとおりである。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和四八年一二月二八日、名称を「豆腐の製造方法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をしたが、昭和五二年一二月一三日に拒絶査定の謄本の送達を受けたので、昭和五三年一月一二日これに対する審判請求をしたところ、特許庁は、これを同年審判第五一〇号事件とした審理したうえ、昭和五六年九月三〇日、「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決をし、その謄本は同年一一月一一日原告に送達された。
二 本願発明の要旨
原料である大豆を水に浸漬した後粉砕して得た被粉砕物を、加水及び加熱した後ろ過して豆乳を得る豆乳製造工程と、この豆乳を濃縮する濃縮工程と、この濃縮豆乳を低温で保蔵する保蔵工程と、この保蔵された濃縮豆乳を加水及び加熱して元の豆乳に復元する工程と、復元された豆乳に凝固剤を添加し型入れをして豆腐を成形する成形工程とよりなることを特徴とする豆腐の製造方法。