大判例

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東京高等裁判所 昭和57年(う)1538号 判決

一 所論は要するに、被告人が被害者黒澤梅吉(五二歳・無職)の胸部付近を両手で一回押したのは、二、三メートルの至近距離路上で酒に酔い寝転んでいたはずの同人から両手を前に突き出し向つてくるという予期しない理不尽な攻撃を受け、これから自己の身を守るためにとつた反射的行為であつて、攻撃的意思を伴うものではないから暴行の故意は存在しない、というのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の項において詳細に説示するような客観的事実及び被告人の認識・心理状態などを肯認することができるので、被告人の本件行為が暴行の故意に基づくものであることは否定できない。すなわち、本件は、白昼のマンモス団地内中央商店街の路上に泥酔状態で寝転んでいた被害者を認めた被告人が、親切に他の通行人の協力を求めるなどして被害者の腕を掴み引き起こそうとしたが果たせなかつたこと、そこへ酒に酔つた被害者の友人日野谷悦二が通り合わせ、被告人が被害者に乱暴しているものと誤解し、「おれの友達に何するんだ」などと被告人に文句をいい執拗に殴りかかる態度を示したため、被告人も憤然として日野谷に怒鳴りかえし両手で同人の攻撃をかわし、一歩も後退することなくこれを制圧したこと、そのころ被害者がむつくりと起きあがり、「おれに何したんだよ」などとわめきながら二、三メートル先から両手を前に出し被告人に向つて突つこんできたことに起因するものであつて、被害者及びその友人が親切を仇で返すような理不尽な態度を重ねたことに対し、被告人もかなり立腹していたことは明らかであり、被告人の原審における供述によつても、「私は立つていた位置でもつて待つてました。向うがかかつてくるんだつたら待つときやいいと思つて。それで来たからぽんとやつた」として、足を前後に開き腰を下げて両手を前に押す動作をとつたことを認めており、被告人と被害者との距離及び両者が衝突するまでの所要時間が短いものであつた点を考慮しても、被告人の右行為が所論のような反射的行為にすぎなかつたものと認めるのは困難である。論旨は理由がない。

二 所論は要するに、被告人の行為は被害者の攻撃状況と対比し防衛行為の相当性を逸脱するものではなかつたし、かりに正当防衛が成立しないとしても、被告人は相当な防衛行為を行うつもりで誤つて不相当な行為に及んだものであるから、誤想防衛として故意責任は阻却されるべきであるのに、被告人の行為を過剰防衛とした原判決には法令の解釈・適用の誤りがある、というのである。

しかし、前記関係証拠によれば、被害者が同日午前一〇時二〇分ころから酒に酔いつつ原判示中里商店前のグリーンベルトに腰かけて飲酒を続け、その後、同所付近のコンクリート舗装道路に仰向けに寝転び泥酔状態になつていたこと、被害者が起きあがるときの状態はふらふらして直立能力が十分回復しておらず、言語も不明瞭で、両手を前に出しふらつきながら被告人に向つて行つたことが認められ、被害者の被告人に対する攻撃態様は強いものでなかつたとみるべきである。この点につき、被告人は原審において「被害者がさあつと襲いかかるような格好で、両手を突き出して来た」旨供述しているけれども、被害者の手首は下つていたこと及び被告人が被害者の胸部付近を両手で押したとき被害者には全然力が入つておらず手応えがなかつたことは認めており、右は被害者が酒に酔つて被告人にからむ行動をとつたにすぎなかつたことを窺わせるものである。なお、医師吉村三郎ほか一名作成の鑑定書及び同人の原審証言によれば、被害者の脳硬膜下出血々液(軟凝血)〇・五六グラム中から〇・一一パーセントのエチルアルコールが検出され、被害者が本件受傷時に「ほろ酔い」程度のアルコールを保有していたものと推定されていることは所論指摘のとおりであるけれども、右は被害者の受傷後約二五時間・死亡後約一二時間経過後における解剖資料からの判定であつて、本件当時における被害者の酔いの程度に関する前記認定を左右するものではない。

被告人に胸部付近を両手で押された被害者は、二・三歩よろけるように後退した挙句棒状のまま仰向けに転倒して左側頭部をコンクリート舗装道路に強打させ(全長約一八センチメートルの亀裂骨折等を生じている)昏睡状態に陥つており、本件の日時・現場の状況・両者の身体的条件及び酩酊度などを総合勘案するならば、被害者の前述のような侵害行為に対し被告人が前記第一のような行為に及んだことは、やはり、防衛行為としての相当性を逸脱するものであつたといわざるをえない。そして、被告人が夜間勤務の守衛の仕事を終えて帰宅後に焼酎約二合を飲み、睡眠不足の状態で前記中里商店へたばこを買いに赴き本件に遭遇したものであることを加味斟酌しても、被告人において被害者の侵害行為ないし自己の防衛行為の態様・程度につき錯誤があつた疑いは認められないので、誤想防衛の主張はその前提を欠くものである。右各論旨も理由がない。

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