東京高等裁判所 昭和57年(う)371号 判決 1982年11月01日
被告人 中村幸男
昭一二・八・二四生 工員
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月に処する。
原審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人小池義夫作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官渡邉正之作成名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
一、事実誤認の論旨(控訴趣意第三点)について
所論は、要するに、原判決が判示第一の事実に関し、判示第一処理場を使用管理する被告人が、堤体の材質、工法、構造等を熟知し、昭和五二年一二月には南側堰堤の堤体下部に、昭和五四年一月下旬には東側堰堤の堤体中腹に貯留水の浸透がみられ、堤体が極度に脆弱となつており、水分の多い汚でいの投棄継続により堤体の天端近くまで汚でいを貯留すると堤体が決壊し、汚でいの流出により人身に危害を及ぼす危険性を被告人自身予知していた旨認定したのは事実を誤認したものである、というのである。
そこで、記録を調査、検討してみるのに、原判決が挙示する関係証拠(判示第二、第三の事実のみについて挙示するものを除く)を総合すると、原判決が判示第一の汚でい第一処理場の決壊並びに右決壊により土屋利夫当時七か月)が死亡するに至つた事故につき、被告人自身これを予知していた旨認定し、被告人らの主張に対する判断第二項1、2で説示するところは、当裁判所もこれを肯認し得るところであつて、原判決には所論のごとき事実の誤認があるとは認められない。以下若干補足して説明を加えることとする。
すなわち、前記関係証拠によれば、(1)被告人は、昭和五二年二月ころから、判示石井正夫ら所有の湿地帯等の土地約五三六〇平方メートルを借り受け、その周囲にコンクリート塊、アスフアルト塊等が混在するいわゆるガラや残土等を盛り上げて堰堤を築造し、東西約三八・五メートル、南北約一一〇・四メートルのほぼ長方形の汚でい処理場(第一処理場=以下「第一処理場」という。)を設置し、建築業者らに建築残土で水分を多く含有するベントナイト汚でい等の投棄をさせていたものであり、以後原判示第一の堰堤決壊事故に至るまで汚でい投入需要量、投棄数量の増加に応じ逐次乾いた同処理場の汚でい、ガラ、残土を盛り上げ、堰堤のかさ上げを行い、本件事故発生直前には堰堤の天端は高さ約五メートル位にまで達していたところ、被告人自身、右堰堤の築造、かさ上げ作業に自ら従事するなどしてその具体的工法、材質、構造を知つており、特に本件堰堤の決壊箇所を含む東側堰堤南側半分くらいの部分については重機類で輾圧していなかつたことを予知していたこと、(2)被告人は、原判決が被告人らの主張に対する判断二項1、2の(二)ないし(四)認定のとおり、昭和五二年一二月以降に生じた本件堰堤決壊に関連のあると考えられる第一処理場南側堰堤部分での漏水事故や右事故等を契機に新たに築造した原判示第二処理場が昭和五三年一〇月ころ、その北側堰堤が一部決壊し汚でい流出事故が発生したこと、昭和五四年一月下旬ころ発生した本件決壊箇所を含む第一処理場東側堰堤南側堤体中腹部の貯留水浸透事故及びこれに対し従業員らが杭打、盛土の応急処置をなしたことを被告人自身現場を見て、あるいは従業員高沢忠夫らから説明を受けるなどして認識していたこと、(3)加えて被告人は、自ら汚でい投棄の為の搬入券を販売しており、右五四年一月下旬以降も汚でいの投棄数量を作業日報等で把握し、また少なくとも週一回位は本件現場に臨場し、汚でいが第一処理場の天端付近にまで投棄されていた状況を把握し、現場の従業員らから第一処理場が汚でいで満杯となるので右処理場への汚でい投棄は無理である旨申述されていたことが認められ、これらの事実を総合すると被告人は遅くとも昭和五四年二月ころの時点で第一処理場の堰堤決壊の正確な日時まで予測し得なかつたとしても、これ以上右処理場に汚でい投棄を継続すると近い将来第一処理場の堰堤が決壊し、流出汚でい等により人身事故が発生する危険があることを認識していたことは明らかであるというべきである。
所論は、被告人が堰堤築造及びその安全性について専門的知識を有していなかつた点をもつて本件事故発生の危険性を予知しておらず、又予知し得なかつたことの証左である旨主張する。
なるほど、関係証拠によれば、被告人が第一処理場の決壊を防止するために必要な堰堤の適正資材、適正工法等土木工学上の専門的知識を有していなかつたことは所論のとおりである。しかしながら、このことは、被告人が第一処理場の堰堤の堤体素材がガラ等を局所的に多量に含む不均一な物質が使用され、輾圧が行われずに築造されている部分があり、汚でいの投入量増加に伴い堤体部分のかさ上げをくり返し行つたことや、堰堤に生じた本件決壊に関連のあると考えられる前兆現象というべき前記漏水事故並びに汚でい投入量を認識していた点から被告人が本件第一処理場の決壊事故発生の危険性を予知していたことを認定するにつき何ら妨げとなるものではない。論旨は理由がない。
二、法令適用の誤りを主張する論旨(控訴趣意第二点及び第一点について。)
1、所論は、原判示第一の事実につき、被告人が仮に原判示のごとく第一処理場の堰堤が安全性を欠き、その決壊により汚でい流出の危険性を予知していたとしても、土木工学上の専門知識に乏しい被告人に対し、原判示のごとき汚でい流出事故発生防止の具体的注意義務を課し、かかる注意義務をつくさせることを期待することは不可能であるのに、これ有りとして被告人に業務上過失致死の責任を負わせた原判決は法令の適用を誤つたものである、というのである。
しかしながら、前記のごとく、被告人は第一処理場の堰堤決壊の危険性を予知したものであり、関係証拠によれば、被告人は中村工業の最高責任者として、本件現場における従業員の指揮を含む汚でい処理業務全般の統括責任者であつたことが認められ、かかる被告人としては、堰堤決壊の危険性を予知した以上、直ちに現場作業員に対し、汚でいの投棄中止方を指示し、他方で土木工学の専門家に堰堤の安全性に対する技術調査を依頼するなどし(原判決も被告人自らが専門的知識をもつて調査にあたることを義務づけているものとは解されない。)その指導を受けつつ、自ら、あるいは従業員らをして堰堤の輾圧及び堰堤外側方面へ腹付盛土を行うなどして堰堤の決壊による汚でい流出事故を防止すべき注意義務があることは多言を要しないところであり、被告人自身の専門的知識不足の一事をもつて右注意義務がなくなるものとはとうてい認めることができない。論旨は理由がない。
2、次に所論は、廃棄物の処理及び清掃に関する法律(以下単に「法」と略称する。)八条二項、五項、一五条四項、一九条、一九条の二、同法施行規則、一般廃棄物の最終処分場及び産業廃棄物の最終処分場に係る技術上の基準を定める命令(昭和五二年三月一四日総・厚令一)、右命令の「運用に伴う留意事項について」と題する昭和五三年二月四日付各都道府県主管部長あて厚生省環境衛生局通知を挙げ、廃棄物処理場の安全性の確保及び危険発生防止義務は監督機関である都道府県知事が負担し、廃棄物処理場の管理者は右知事の指導、監督に服すれば足り、自ら廃棄物処理場の安全確保、事故発生防止の義務を負うものではないにも拘らず、これ有りとした原判決は法令の解釈、適用を誤つたものである旨主張する。
しかしながら、汚でい処理施設を設置し、しかも、第一処理場の堰堤決壊及び決壊による人身事故発生の危険性を予知していた被告人が右事故発生の防止義務を負うことは前述したとおりであり、所論指摘の前記各法令に都道府県知事の監督責任が規定されていることから直ちに被告人の右危険発生防止義務が消滅するものでないことは多言を要しないところであり、所論は独自の見解を披瀝するものであつて、当裁判所の採用の限りではない。論旨は理由がない。
三、量刑不当の論旨(控訴趣意第四点)について
所論に徴し記録を検討してみるのに、本件は原判示のとおり、建築基礎汚でい等の処理を業としていた被告人が堰堤の安全性に対する配慮不十分なまま大規模な汚でい処理場を設け、貯留汚でいの投棄量増大に伴い無計画に堰堤のかさ上げをくり返し、堰堤決壊による人身事故の発生を予知しつつ十分な防護策を講ぜぬまま汚でいの投棄を継続させ、その結果遂に堰堤を決壊、大量の汚でいを流出させて生後七か月の幼児を窒息死するに至らしめたほか、汚でいの収集・運搬の事業範囲で千葉県知事の許可を受けていた被告人が事業範囲変更に必要な同知事の許可を受けずに、継続して多数回にわたり前記第一処理場外一か所において多数の業者から処分の委託を受けた産業廃棄物である汚でい約二万五千立方メートル余を脱水あるいは埋立処分をして事業範囲を変更し、さらに前記汚でい流出事故を発生させ、千葉県知事から流出汚でいの撤去等の措置を命ぜられながら、その履行期限までに何らの措置を講ぜず、同知事の命令に違反したという事案であつて、その各犯行の経緯、態様、罪質、結果等特に原判示第一の事故にあつては安全性確保に対する配慮の欠如は著しく、幼児の死亡という重大な結果を発生させたばかりか付近の会社等の受けた財産的損害も総額一億数千万円という甚大なものであつたこと、原判示第二の事業範囲の無許可変更の内容である汚でい投棄等の継続が判示第一の事故の一因ともなつていること、判示第三の犯行にあつては、同第一の重大事故を発生させながらこれを放置し、資金不足を盾に適切な事後処理を尽さなかつたものであつて、ここにも被告人の責任感の欠如が窺われることなどを総合すると犯情は悪質であつて、その刑責は重く、原判決の量刑はもつともであるというべきである。
しかしながら、当審における事実取調べの結果によれば、被告人は本件の重大性を認識し、原判決の後である昭和五七年一〇月三〇日死亡した幼児の遺族との間で覚書を取り交わし、本件損害賠償の内金として金五〇〇万円を支払うこととし、同日一三〇万円を支払い、同年一二月末日限り一七〇万円を、昭和五八年六月末日限り二〇〇万円を支払う旨誓約して慰藉につとめ、右遺族も被告人を宥恕する旨上申していること、物的損害についても今後わずかずつでも被害弁償に努める旨誓約していることが認められ、これらを考慮すると現時点においては、原判決の量刑は刑期において重きに過ぎ、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものといわざるを得ない。論旨は結局理由がある。
四、よつて、刑訴法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に則り被告事件につき更に判決する。
原判決が認定した各事実に原判決と同一の法令を適用、処断した刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、刑訴法一八一条一項本文により原審における訴訟費用は全部これを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 新関雅夫 下村幸雄 中野久利)