東京高等裁判所 昭和57年(う)483号 判決
所論は、要するに、原判決は罪となるべき事実の第三として、被告人が寺山秀朋と共謀して原判示日時ころ東京都豊島区上池袋一丁目三九番九号先路上において、覚せい剤結晶約四・五二二グラムを所持した旨認定判示しているが、被告人が原判示の路上において右覚せい剤を手に持つていたのは事実としても、それは、右寺山がタクシーに乗るまでの間一時的に同人のために預つたに過ぎず、被告人において、右寺山との間で互いに各自の行為を利用し合つて自己の犯罪を実現しようとする所謂正犯意思を有しておらず、従つて、その間の所持は依然右寺山にあつたというべきであるから、かかる場合には、被告人は単に故意ある幇助的道具に過ぎないのであつて、たかだか所持の幇助犯が成立するに止まると解すべきであるのに、原判決が、被告人を所持の共同正犯に問擬したのは、事実を誤認しひいては法令の適用を誤つた違法がある、というのである。
そこで、記録を精査検討するのに、まず、被告人が本件覚せい剤を握持するに至つた経緯、状況についてみると、右覚せい剤は、もともと前記寺山が原判示佐久間マンシヨンに当夜持参したもので、同人の所有に属するものであるが、その一部を右佐久間マンシヨンの平賀某の居室で原判示第一、第二のとおり寺山及び被告人がそれぞれ腕に注射して使用したあと、右寺山がその残りの約四・五二二グラム等を包んだ紙包みを携えて右マンシヨンから出ようとした際、マンシヨンの出口の辺に張込中であつた警察官に気付いて、直ちに前記平賀の居室に引返し、被告人に対し、「表にお巡りがいる。お前タクシーを止めてくれないか。」と申し向けたところ、被告人が前記注射を寺山から無償でさせて貰つたことを恩義に感じていたので、即座にこれを承諾したばかりでなく、同人が右覚せい剤を所持しているのを警察官に発見されて逮捕されるのを防ごうと考え、自ら積極的に同人にかわつて右覚せい剤等の包みを持ちましようと申し出、右寺山も被告人の意中を察知しながらこれを了承して右紙包みを手渡し、被告人がこれを受取つて手に持ち、連れだつてマンシヨンを出て約二〇メートル程歩いたとき、張込中の右警察官に職務質問されて本件犯行が発覚し、両名とも検挙されたものであることが明らかである。してみると、被告人が右覚せい剤等の包みを持つに及んだのは、被告人がこれを持つことにより右寺山の逮捕という事態の発生を回避し、無事に警察官の張込網を通過することを目論み、万一発覚することがあつても被告人が自己の所有物であるとしてその責任を負う意図の下に行つたものであり、右寺山もそのような意図を察知しながらこれを了解して右紙包みを被告人に手渡したものであることが明らかであつて、このことは、被告人が、検挙された時点で警察官に対し、右紙包みが自己のものであると申立てており、他方寺山も、それは被告人のものであつて寺山はその所持と無関係である旨弁解していた事実によつても裏付けられているということができる。
そして、以上のような事実関係に照すと、本件において、被告人が現実に覚せい剤を手にしていたのが前記佐久間マンシヨンを出てから道路上を約二〇メートル程進行した比較的短時間に過ぎないとはいえ、その間における被告人の所持は、外形的には、これを握持することによつて目的物に対する事実上の支配を設定しているうえ、主観的にも、被告人において、寺山の了解の下に、所有者である同人に代つて事実上の実力支配を本件覚せい剤に及ぼすことの認識を有したものといえるから、原判決が、これをもつて被告人と寺山との共謀による所持と認定したのは、正当というべきであつて、被告人の右所為が、前記寺山の本件覚せい剤に対する所持を容易ならしめるための単なる幇助行為に止まるとの弁護人の主張は、事柄の実態に即さず失当というべきである。