東京高等裁判所 昭和57年(う)525号 判決 1982年11月29日
被告人 生方丈太
昭一三・二・二五生 古物商
主文
原判決を破棄する。
被告人に対し刑を免除する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人今出川幸寛作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官田代則春作成名義の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。
所論は、要するに、被告人の本件犯行は、被告人の生命身体に対する現在の危難を避けるためにやむを得ずなされたもので、緊急避難に該当するのに、これを認めなかつた原判決は事実を誤認し、法令の適用を誤つたものである、というのである。
そこで、検討すると、原審及び当審で取り調べた証拠によれば、次の各事実が認められる。
(一) 昭和五六年八月二四日午後五時過ぎころ、被告人の弟生方二郎(当時三一年)が、約一メートルの長さの鉄パイプを積み込んだ白色の普通乗用自動車を運転して被告人方に赴き、前庭に駐車したうえ、鎌を手に持つて被告人宅に暴れ込んで来たこと
(二) 二郎は、体格・体力ともに被告人にまさり、酒乱で粗暴癖があり、被告人に対してもしばしば暴力をふるうなどのことがあつた(詳述すれば、二郎には暴行・傷害の前科前歴がいくつかあり、同人の素行に基因する兄弟間の不和から兄弟喧嘩が絶えず、被告人に対して時々殴る、けるの暴行を加え、被告人は、そのため、歯を折られたり、逃げる時失禁したり、崖から転がり落ちたり、約一八〇メートル離れた生方敏夫方まで逃げようとして半分も逃げ切れないでつかまつたりしたことがある)ため、当時被告人方への出入りを禁止されていたところ、同日午後二時ころ、飲酒酩酊のうえ、約四〇〇メートル離れた自宅から前記普通乗用自動車を運転して被告人方に赴き、初めて兇器(包丁)を持つて被告人方へ押し入り、被告人の足を蹴り、包丁を構えて、「表へ出ろ。殺してやる。」と言つたので、被告人は外へ逃げ出し、被告人の内妻が警察へ電話しようとしたところ、二郎が包丁で電話線を切つてしまつたので、被告人の内妻も外に逃げ出し、被告人を乗せ内妻が普通貨物自動車を運転して沼田警察署に行き、被告人が助けを求め、内妻は右自動車で先に帰宅したが、その結果、警察官が被告人方へ赴いて二郎を取り鎮め、同人は午後四時半か五時前ころ自宅に帰り、被告人も自宅へ帰つていたこと
(三) 右のようなことがあつたので、再度暴れ込んで来た二郎を見て被告人の内妻と子供が、「おとう、逃げろ。」と叫び、内妻らのただならぬ声に二郎がまた暴れ込んで来たと直感して生命、身体の危険を感じた被告人は、とつさに、二郎の姿を見る前に、上半身裸で素足のまま自分のいた奥の部屋の窓から逃げ出し、前庭に駐車してあつた前記普通貨物自動車の中に逃げ込み、しやがんで隠れたこと
(四) 被告人居宅は、沼田市の利根川右岸段丘上にある一軒家で、附近の集落とは一五〇メートル位離れ、東側は崖、西方には市道をへだてて群馬植物市場があり、附近は畑で、その先約一五〇メートルの所から小高い山になつている状況であり、適当な逃げ場がなく、被告人は、過去の経験から、下手に逃げ出して追い詰められたり、附近の民家に迷惑をかけたりしたくないとの考慮や、家族に対する心配から、そのまま一〇分ないし二〇分間程普通貨物自動車の中に隠れていたこと
(五) 二郎は、被告人を発見することができなかつたため、鎌で、表てに面したガラス窓の曇りガラスを一枚割つて表ての方が見えるようにし、こたつの脚を一本切りつけて折り、畳を何回も突き刺し、被告人の内妻にビールを要求して飲み始めたこと
(六) 被告人は、家屋内の状況がわからず、進退に窮し、どこかへ逃げて行つて電話で警察に連絡するために着衣と履物と金が欲しいと思い、あるいは、前回同様内妻の運転で警察へ助けを求めてもよいと考え、また、家屋内の状況も知りたく、敏感な内妻が鈍感な二郎より先に気附いて出て来てくれることを期待しながらクラクシヨンを鳴らしたところ、二郎がこれに気附き、鎌を持たないものの、血相を変えていち早く家から飛び出して来、被告人が貨物自動車に乗つているのを見て、二郎は駐車してあつた前記普通乗用自動車に乗つてエンジンをかけたこと
(七) 被告人は、当日亡父の新盆のため飲酒していたものであるが、二郎の車により進路をはばまれ逃げ場を失い二郎に手ひどい暴行、場合によれば命にかかわる傷害を加えられると考え、右状況を見て、このうえは普通貨物自動車を運転して逃げ出すほかないと判断し、自宅前から酒気帯び運転で乗り出したが、南へ約一キロメートル走行した地点で一四〇メートル位後方に白い車を認めたので、二郎が追つて来ているものと思い、警察に再度行つて助けを求めるほかないと判断し、そのまま段丘上の市道を下り、戸鹿野橋を渡つて(被告人方から同橋までは約一・三キロメートル)、市街地に入り、二郎車に追い越されないよう狭い道を選びながら、この間二郎車追跡の有無を確かめることなく、約二〇分間運転を継続し、午後六時五分ころ沼田警察署に到着し(戸鹿野橋から同署まで約四・八五キロメートル・途中に交番はない。)、警察官に助けを求めたこと
(八) 被告人が見た車が二郎の車であつたかどうかを示す証拠はないが、被告人が逃げ出した後、二郎は、前記自動車で被告人車を追い、被告人を求めて被告人方と自宅附近を探し回り、自宅へ帰つて母に被告人を隠しているだろうといつて家探しをしたり、被告人方にも立ち戻つて被告人を探しに来るなどのことがあり、結局、午後六時三〇分、被告人方南方約一〇〇メートル地点附近を被告人宅方面から戸鹿野橋方向に向け蛇行運転中のところを、現場に急行した警察官によつて酒酔い運転の現行犯人として逮捕されたこと
(九) なお、被告人の内妻は、二郎車が被告人車を追つて発車した後、直ぐ子供と一緒に駈け足で近所の生方敏夫方へ行き、そこで電話を借りて警察へ直ぐ来て欲しい旨通報し、畑の中の裏道を通つて群馬植物市場に裏から入り、事態の推移を見守るため自宅の玄関辺りがよく見える場所に子供と一緒に身を隠し、建物の中に息を殺して潜んでいたものであること
以上認められる(一)ないし(九)の事実によれば、被告人が沼田署に到着するまでの間は、被告人の生命、身体に対する危険の現に切迫した客観的状況が継続していたものと認められ、被告人が自ら右危難を招いたものということもできず、右危難を避けるためには身を隠していた自動車を運転して逃げ出すほかに途はなく、被告人が自宅の前から酒気帯び運転の行為に出たことは、まことにやむを得ない方法であつて、かかる行為に出たことは条理上肯定しうるところ、その行為から生じた害は、避けようとした害の程度を超えないものであつたと認められる。しかしながら、戸鹿野橋を渡つて市街地に入つた後は、二郎車の追跡の有無を確かめることは困難ではあるが不可能ではなく、適当な場所で運転をやめ、電話連絡等の方法で警察の助けを求めることが不可能ではなかつたと考えられる。この点で被告人の一連の避難行為が一部過剰なものを含むことは否定できないところであるが、前記一連の行為状況に鑑みれば、本件行為をかく然たる一線をもつて前後に分断し、各行為の刑責の有無を決するのは相当とは考えられないのであつて、全体としての刑責の有無を決すべきものである。このような見地から被告人の行為を全体として見ると、自己の生命、身体に対する現在の危難を避けるためやむを得ず行なつたものではあるが、その程度を超えたものと認めるのが相当である。従つて、「被告人の身上に対する危険は直接、切迫した状態にあつたと認めることが出来るも、……本件運転行為のみが被告人にとつて危難を避けるための唯一の手段、方法であつたとはいい難い」として緊急避難を認めず、過剰避難の成立をも否定した原判決は、事実を誤認し、法令の適用を誤つたものというべきであり、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は結局この限度で理由がある。
そこで、刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、被告事件につき更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五六年八月二四日午後六時五分ころ、群馬県沼田市一八〇一―一沼田警察署附近道路において、酒気を帯び、呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有する状態で普通貨物自動車を運転したものであるが、右は、兼ねて不仲であり、酒乱で粗暴癖のある被告人の弟生方二郎(当三一年)が同市屋形原町乙一四七〇番地所在の被告人方へ飲酒酩酊のうえ鎌を持つて暴れ込み、これを避けて自宅前に駐車してあつた前記貨物自動車に逃げ込んでいた被告人を、更に普通乗用自動車に乗つて追いかけようとしたため、やむなく被告人が右貨物自動車を運転して逃げ出し、約六・一五キロメートル運転を継続し、前記沼田警察署まで来て助けを求めたものであつて、本件行為は、被告人の生命、身体に対する現在の危難を避けるためやむを得ずなされたものであるが、その程度を超えた行為に当たるものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、被告人の本件行為は、緊急避難に当たると主張するが、これを採用しえないことは、先に述べたとおりである。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、道路交通法六五条一項、一一九条一項七号の二、同法施行令四四条の三に該当するが、被告人が生方二郎の追跡を逃れ助けを求めるため沼田警察署まで酒気帯び運転を続けたことには、無理からぬ点があるから、刑法三七条一項但書を適用して、情状によりその刑を免除することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 時國康夫 下村幸雄 中野久利)