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東京高等裁判所 昭和57年(う)754号 判決 1983年2月21日

本籍・住居

千葉県海上郡飯岡町平松七六一番地

漁網船具販売及び水産物加工販売業

野間傳次郎

昭和六年四月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五七年三月二四日千葉地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官宮本喜光出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇月及び罰金二四〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金四万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人斎藤尚志名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官宮本喜光名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、原判決が被告人の野間石松に対する仮払金と認定した合計八八六万三〇四五円(昭和五二年分一七九万一三二五円、昭和五三年分七〇七万一七二〇円)は、同人と株式会社中彦及び株式会社山平土佐海産との間の取引きから生じた所得であって、被告人の所得には属しないにもかかわらず、これを被告人の所得と認定した原判決は、事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで、検討するに、関係各証拠によると、次の事実を認めることができ、これに反する原審における証人野間石松の供述は、他の関係各証拠に照らし、にわかに措信することができない。すなわち、

一  被告人は、肩書住居地において、野間商店の名称を用い、漁網・船具の販売並びに水産物の加工及び販売業を営んでいるが、被告人自身は漁網・船具関係のみを担当し、水産加工物の関係は同商店の従業員で実弟の野間石松(以下「石松」という)に担当させ、水産物の仕入れ、加工及びその販売は勿論、仕入代金の受領等をもすべて同人に任せていた。

二  石松は、野間商店の取引先である株式会社中彦の塩干課長横尾晃から金員の借用方を申し入れられたり、儲けさせてやるなどといわれたので、被告人には無断で、昭和五二年及び昭和五三年中に、野間商店の売上金の一部を流用して、右横尾に貸し付けた。

三  そして、石松は、右横尾から昭和五二年中には三回に亘り合計一七九万一三二五円を、昭和五三年中には八回に亘り合計六二九万七七二〇円をそれぞれ返済されたにもかかわらず、これを野間商店の売上金に計上しないのみならず、昭和五三年中に株式会社山平土佐海産から野間商店の売上金七七万四〇〇〇円を受領したが、これも売上金に計上せず、これらをほしいままに自己の借入金の返済に充てたり、飯岡町農業協同組合に開設してある石松名義の預金口座に預け入れたりした。

四  右事実が発覚した後、被告人は、石松の流用した金員が野間商店の売上金から支出されているので、その債権は被告人に帰属すべきものと判断し、昭和五二年及び昭和五三年の所得計算をするに当り、石松の費消した右金員を被告人の石松に対する仮払金として処理し、その返済については後日両者で話し合うこととした。

以上認定した事実によれば、被告人の石松に対する仮払金は、野間商店の資産として、被告人に帰属すべきものであることが明らかであるから、その旨認定した原判決には事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第二(事実誤認等の主張)について

所論は、要するに、被告人は、漁業を営んでいた三河武雄に対し、合計六三九九万二四五四円の売掛金債権を有していたところ、同人が倒産したため、昭和五三年九月中旬ころ、同人からその営業譲渡を受けたので、被告人の同人に対する売掛金債権は混同により消滅した。したがって、被告人の昭和五三年における所得は、その限度で減縮されるべきであるのに、これを認めなかった原判決は事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで、検討するに、関係各証拠によると、次の事実が認められ、これに反する原審における証人三河具子の供述、被告人の収税官吏に対する質問てん末書(昭和五四年一〇月一六日付、昭和五五年二月一五日付、同月一九日付、同年三月一二日付)及び検察官に対する供述調書(昭和五六年三月一二日付)、原審における被告人の供述は、他の関係各証拠に対比し、にわかに措信することができない。すなわち、

一  被告人の取引先で漁業を営んでいた三河武雄(以下「武雄」という)が昭和五三年七月手形を不渡にした。その当時、被告人は、武雄に対し、船具等の売掛代金一六七三万九六〇六円、手形貸付残代金四三一五万二七四八円合計五九八九万二三五四円の債権を有していた。

二  被告人は、武雄が手形を不渡りにした直後から同人に何度も営業資金の援助を求められたが、その都度これを拒絶していたところ、同人の親兄弟からも再三同様の援助要請を受けた。そこで、昭和五三年一〇月ころに至り、武雄に営業を継続させて、その水揚代金から前記の債権を回収しようと考え、同人の右要請に応ずる旨の承諾をした。そして、武雄の取引先である波崎漁業協同組合には被告人自身が出向いて、また、造船所や機械屋に対しては電話で、被告人において武雄を援助する旨それぞれ伝えるとともに、同人に対し、その営業資金を融資した。そのため、武雄は、手形の不渡りを出した後も従前と同様に漁業を継続することができたので、同年一二月には被告人から漁網を買い受けている。なお、被告人が武雄に対し、資金援助をするまでの交渉過程において、武雄が被告人に対し、その営業を譲渡する旨の契約を結んでいないことはもとより、その話題すら出なかった。

三  被告人と武雄とは話し合いのうえ、昭和五三年一二月一六日、武雄が水揚代金を受入処理すべく、波崎漁協に実父三河要太郎名義で開設していた普通預金口座名義を三河丸野間伝次郎名義に変更したが、これは被告人以外の武雄の債権者らからの取立てを防止するためであって、将来武雄の営業成績が向上し、被告人に対する債務を完済した場合には、右の預金口座名義を武雄に戻す予定であったばかりでなく、同漁協に備え付けてある出資金台帳、水揚台帳、貸付金台帳の名義は変更せず、すべて従前通り三河要太郎名義のままにしておいた。しかも前記普通預金口座名義を変更した後も、武雄は、妻の具子を介し、必要な都度被告人に申し出て小切手を振り出してもらい、その決済には三河丸野間伝次郎名義の普通預金口座を利用していた。

四  武雄は、昭和五四年六月一六日、被告人から漁船及び漁網を代金五〇〇万円で買い受けたほか、同年七月一一日には、三河要太郎の代理人として、被告人との間で、漁業の共同経営契約を結び、その旨の公正証書を作成したが、これも被告人以外の債権者からの取立てを防止する目的で作成されたものである。右公正証書には、同日被告人が三河要太郎の経営するまき網漁業の共同名義人として参加し、その利益から被告人が七割、三河要太郎が三割それぞれ取得すること、同日以前三河要太郎が負担するに至った債務については被告人が一切責任を負わないことが記載されている。

五  以上のように、武雄は、不渡手形を出した後も被告人の援助を受けて漁業を続けていたが、昭和五五年四月ころ、被告人が漁業権を取得したうえ、新たに漁船を購入して営業を始めたので、そのころから被告人の被使用者という身分になった。なお、それまで被告人は、武雄の他の債権者から支払いの請求を受けたこともあったが、それには応ぜず、その支払義務が被告人に存することを承認したこともなかった。

以上認定した事実からすると、被告人は、昭和五三年九月ころ、武雄から営業の譲渡を受けたものとは到底認められない。

なお、所論は、原判決中「昭和五三年九月以降は被告人が前記三河武雄の水揚げを管理し、同人には実質的には給料に相当する金員を支給していた事実が認められる」と判示している部分は、武雄が経営者であるとしたことと矛盾しており、この点で原判決には理由不備の違法がある旨主張する。なるほど、原判決には所論が指摘するように判示している部分が存するけれども、右判示は昭和五三年中に武雄が被告人の経営する漁業に従事し、その労務を提供したことに対する対価を支給されていたという趣旨を判示しているものとは解されないから、被告人が同年九月ころ武雄から営業の譲渡を受けてはいない旨判示した部分と矛盾しているとはいえない。

してみると、原判決には事実の誤認のみならず、理由不備の違法も存しないから、論旨はいずれも理由がない。

次に、職権で判断すると、原判決は、原判示第一、第二の各事実を認定し、これがいずれも所得税法二三八条一項に該当するとしたうえ、右各罪が刑法四五条前段の併合罪に当るものとして処断している。しかしながら、所得税法二三八条一項の規定は、脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律(昭和五六年法律第五四号)二条により、その所定刑中懲役刑につき、「三年以下」とあるのを「五年以下」と改正され、これが昭和五六年五月二七日から施行されたのであるから、原判決の時点では、本件各所為は、犯罪後の法令により刑の変更があったときに当るので、刑法六条、一〇条により軽い行為時法によって処断すべきである。しかるに、原判決は、単に所得税法二三八条一項と摘示することにより、重い裁判時における同条を適用して処断したものといわざるを得ない。してみれば、原判決には法令の適用を誤った違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかである。原判決は、この点で破棄を免れない。

よって、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従いさらに次のとおり判決する。

原判決の認定した原判示第一、第二の事実に法令を適用すると、被告人の各所為は、いずれも行為時においては昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては右改正後の同条項に各該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当るから、刑法六条、一〇条により軽い改正前の所得税法二三八条一項により懲役刑及び罰金刑(多額については同法二三八条二項も併せて適用する。)を併科することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い原判示第一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により原判示第一、第二の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一〇月及び罰金二四〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金四万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 和田保 裁判官 新田誠志)

○ 控訴趣意書

被告人 野間傳次郎

右の者に対する所得税法違反被告事件に対する控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和五七年五月二六日

右弁護人

弁護士 斎藤尚志

東京高等裁判所 第一刑事部 御中

第一、原判決は、株式会社中彦の横尾晃および株式会社山平土佐海産と被告人の取引により、被告人の弟野間石松に対する仮払金科目に計上された金額(冒頭陳述書添付書類一七頁)を被告人の所得であると認定しているが、これは事実誤認であるから右金額の限度で破棄されるべきである。

(一) 右仮払金として計上された金額は、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の二に挙示する各証拠(ただし原審公判廷における野間石松証人ならびに被告人尋問の結果を除く)によって、大蔵事務官および検察官が、形式上野間商店名義の取引であり、且中彦振出の小切手によって決算されているにも拘らず、該小切手が石松の普通預金口座に振込まれ又は石松の借金返済に充当されている事実から、実質的にも被告人の取引であって、被告人から石松に対する仮払金として起訴したものを、何らの検討をも加えることなしに、外形的事実だけから、起訴事実をそのまま認定したものであって、事実認定を誤ったものである。

(二) 捜査段階において石松は、右中彦の取引について追究され取引先の会社課長である横尾をかばう為苦しい供述をして来たが、右の外築地魚市場株式会社営業部塩干二課の係長の岡沢喜久男に対しても名義を貸したことを告白せざるを得なくなった(昭和五五年三月一〇日大蔵事務官佐々木一に対する質問てん末書問一八)結果右岡沢および中彦の横尾晃に迷惑が及ぶことを心痛する余り、言辞をかまえて取調室を退去し、国税局においても石松が万一の事故でも起すことを心配する状況であった(同日付佐々木一の査察官報告書)。

石松はその時、友人に迎えに来てもらって、伊東温泉に逃避し三日位滞在した(原審の同人調書五五丁)。

(三) 国税局においては昭和五五年三月一三日右岡沢を取調べ、昭和五一・二年頃株式会社川正商店の柳沢時雄の依頼により石松の名義を借りて、の印(野間商店即ち被告人)で取引してやったことがあるとの供述を得た。

そこで国税局は築地魚市場(通称東市)に対する昭和五三年の売上が約四、八〇四千円過少であることを認めながらも右については、名義貸であるという石松の主張を容れて不問に付したのであった。

(四) ところが中彦については横尾晃を取調べたのか否か証拠上不明(取調べなかったとは考えられないので、取調べた結果横尾は自己保身の上から、石松の主張を否認したものと推察される)である外形を整え、被告人の所属であるとして起訴したものである。

原判決は「前記中彦及び山平土佐海産においてはいずれも被告人との正規の取引として買掛金台帳等に記載されているうえ、その一部については被告人が野間商店からの送り状が発行されている」と認定している(原判決書一五丁裏一〇行から)のであるが、右は当初から被告人の名義を貸したと主張しているのであるから、買掛金台帳等に野間商店との取引として計上されており野間商店の送り状が存在することは理の当然であって、何らの説得力もないのであって、真実を認定しているものとは言い難いのである。

(五) 原判決は又「後述する野間石松の当公判廷における供述を除く本件各証拠によっても右取引が弁護人主張の如き内容のものであると窺えるような事実の認められないことに照らし」と判示する(原判決書一六丁表五行から)のであるが、石松は昭和五六年二月二六日千葉地方検察庁桐生哲雄検事に対し、原審公判廷における供述と全く同一の供述をしているのである(同調書一三頁)。

従って、横尾晃に対する取調べがないまま、中彦に対する売上を仮払金として認定し、そのまま被告人の所得としたことは事実誤認であると言わざるを得ないのである。

第二、昭和五三年九月中頃、三河武雄が倒産して営業できなくなった漁業(船舶・漁網・乗組員および漁業権等)の営業譲渡を受け、被告人が同人に対して有していた債権合計六三、九九二、四五四円は、被告人の資産と混同によって消滅したものであるから昭和五三年の所得から右の限度で減額されるべきものである。

(一) 原判決が認定する昭和五三年九月頃における被告人と三河武雄間の三河丸操業に至った経過・動機は一八丁裏に判示されているとおりであるが「同人が(弁護人注三河武雄)今後も漁業を続けていけるようにするという漠然とした内容の話があったにすぎず」との判示の内「同人が続けてい」くのか或は被告人の裁量と計算において営業――三河丸の操業――を続けていくこととなったのか、それが正に問題なのであって、話合いの内容は確かに漠然としたものであったことは否めないが、右問題は客観的事実を中心として、三河丸の経営責任者は誰となったものであるかを認定しなければならないのである。

(二) 原判決の挙示する昭和五六年三月一二日付被告人の検察官に対する供述調書には「船を動かせばいずれは漁が当るなどしてよくなって回収できるようになると考えたのです」(四項)とあるが、誰が主体であるのか判然とはしない。しかしその次項には「三河丸と引続き取引してやってくれ、これからの支払いは私が責任を持つから」と機械屋、造船所などに対して被告人が表明している。

又判決の挙示する昭和五五年二月一九日付被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書には、より明確に三河武雄さんの共同経営ですかとの問に「私がやり出した五三年九月には……共同経営とかの考えはしませんでした」(周七)。

次に三河武雄・三河具子の供述調書・質問てん末書はいずれも、被告人から援助を受けて三河丸を自ら操業したことを前提として「借りた」「金を出してもらった」との趣旨に記載されているけれども、乗組員の最底保障を被告人がみてくれた。被告人に悪いと思いつつ宮内某に水揚の一部を支払ったこと。被告人が三河丸の取引先に電話連絡して操業が続けられたこと。水揚げは被告人が漁協から回収したこと等が述べられており、経営主体が不明と言うよりは、被告人の責任と計算の下に運営されていることが認められるのである。若し仮りに右供述調書の解釈が、経営主体が三河武雄であるのか被告人であるのか不明だとしても、疑わしさは被告人に有利に解すべきである。

(三) 三河武雄が金額、返済期限等空白の金銭借用証書を被告人に差入れているのは、営業譲渡代金の存在を明らかにし、それとの代物弁済又は右借用証書に表示されるべき債務と右営業譲渡代金を相殺に供することを明確にする為に交付されたものと解すべきものであって、右借用証書の存在をもって借入金とみるのは甚だ皮相な見方と言う外ない。

次に漁業共同経営契約公正証書を作成したのは、三河武雄が表面上経営者の形を保持していた為、それを否定する為――同時に第三者に対しても三河の自由な処分に委せられていないことの効果も伴う――であって、共同経営の実体は他の証拠例えば三河武雄、三河具子のいずれの調書でも明確に否定されており、その真実は被告人が経営の主体であることを明らかにする為の目的で、稚拙ではあるが、共同経営であるという形で第三者にも提示できる形として作成されたものと認むべきものである。

(四) 次に原判決はハマチ網六一〇万円の売掛が被告人の漁網部門に計上されていることをもって営業譲渡の事実を認め得ない理由とするけれども「私に支払能力はなかったのですが、そのハモチ網(ハマチ網の誤記)は私が買ったということです」(54・10・16三河武雄調書一六)と言うようなことが有り得るであろうか。

これを三河武雄の側からみてみると、三河具子が心覚えに書いたという三河具子の検察官に対する供述調書(甲第二五九号添付の計算メモ――但しこのメモが如何なる意味を有するものであるかについては後述する)中には、右漁網の買入が記載されていないのである。

漁網というのは漁業にとって必要不可欠のものであるから若し三河武雄乃至三河具子が経営主体としての意識を持っていたとしたならば、古くなった漁網の代りに被告人方から六一〇万円もの漁網が三河丸に備付けられた事実につき、その代金分は当然右メモに記載されなければならないものである。このことは買入れて代金は借入の増加となったと考えておらず、経営者の被告人が自己の漁網を使用したものであるという認識しかないのである。

それならば被告人の漁網売上帳に六一〇万の売掛金として記載されているのであろうか、それは被告人方の営業が、漁網部門・加工部門と分かれて経理処理されて来ており、更に三河丸部門が新設されて、漁網部門から三河丸部門に売上げられたことを示しているにすぎないものである。

(五) 原判決はいみじくも「被告人が右三河の漁業を経営していると聞いて被告人に対し支払いを請求してきた三河の債権者に対して弁済を拒絶していること等が認められる」と認定した(原判決一九丁表最後の行から)。

三河丸の営業は被告人が経営していることは昭和五三年一〇月頃以降乗人の知るところとなっていたのであって、それ故にこそ三河武雄に対する債権者が被告人に対して支払を請求して来たのである。

このことは被告人が三河武雄の営業譲渡を受けて経営したことの何よりも雄弁且明確な証拠であると言うべきである。

原判決は「弁済を拒絶している」ことに重点を置いて判決したのであろうけれども、商人が言辞をもうけて支払の延期をはかることは極めて日常的なことであって異とするに足らないことである。

従って若し右債権者が、三河武雄に対する債権の支払を被告人に求めて訴訟を起し、波岐漁業協同組合の預金通帳名義が「三河丸野間伝次郎」となっており、三河丸関係の支払は三河武雄時代の債務も含めて、被告人の指示なければ支払われないことを立証すれば、被告人は民事訴訟において敗訴するのやむなきに立ち至らざるを得なかったであろう。

(六) 原判決は、三河具子の原審公判廷における供述が、検察官に対する供述の内容と異なり、公判廷の供述はそれ自体曖昧で矛盾に満ちたもので、供述態度・被告人との関係等に照らしても措信しがたいと判示する。

三河具子の右検面調書を再読三読してみても、その大筋は弁護人の主張と何ら変ったところはなく、むしろ借用証の差入れ・メモの作成経過・三河丸野間伝次郎に預金口座を変更した理由・経費支出の実体・公正証書の作成経過いずれも被告人ならびに弁護人の主張するところと外形上は一致しているのであって、唯「借りた」「返した」と言うような法律的評価の伴う言葉遣が公判廷の供述と異なるだけである。

「借りた」のか、被告人が営業の為「注ぎ込んだ」のかが正に争点なのであって、くどいようではあるが、それは他の証拠によって判断すべきものであり、借りたと供述しているから経営主体は変らず被告人は債権回収の為金品を支出したのであるという認定は被告人をして納得せしめるものではない。

(七) 原判決は「また前掲各証拠によれば昭和五三年九月以降は被告人が前記三河武雄の水揚げを管理し、同人には実質的には給料に相当する金員を支給していた事実が認められるのであるが」と判示し(一九丁表九行目から)ており前掲証拠とは「被告人の当公判廷における供述、被告人の検察官に対する昭和五六年三月一二日付供述調書(乙20)、被告人の大蔵事務官に対する昭和五五年二月一九日付、同年三月一二日付各質問てん末書(乙7、15)、証人三河具子の当公判廷における供述、三河武雄及び三河具子の検察官に対する各供述調書(甲257、259)、奥主勝己作成の申述書(甲260)、押収にかかる船具等売上帳(あぐり部)二綴(昭和五六年押第一七三号の九、甲385)」でなければならないのに、更に続けて三河具子の公判廷における供述が措信しがたい故をもって結局弁護人の主張を排斥している。

援助すると同時に債権の回収をはかるという被告人の立場であるか否かが争点なのであるから、前記認定の「給料に相当する金員を支給していた」ことは如何に判断したであろうか、被告人の立場が債権を回収するところにあったとの判断の前に、給料受給者が経営者であり得るのか否か、給料受給者の上に支給者即ち経営者野間伝次郎の存在を認めなければ原判決は理由不備とならざるを得ないのである。

以上。

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