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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)48号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1 昭和三七年九月当時、控訴人は、現住所地で雑貨店を営み、被控訴人は、早稲田大学に在学し、控訴人の家の近くに下宿して控訴人の店で買物などをしているうちに控訴人と知合いとなつたが、控訴人は、当時被控訴人が経済的に困窮していたことに同情し、被控訴人のために大学の月謝を負担してやるようになつたほか、同年一〇月ころからは控訴人の家に無料で下宿させるようになつた。

そして、控訴人は、自己の家から通学する被控訴人の人柄に好感を持ち、子供もなかつたことから、被控訴人に対し、自己の資産内容を説明して養子縁組をするよう申込み、被控訴人において将来右資産が相続できるとの期待もあつて、これを承諾し、控訴人及び被控訴人は、昭和三八年四月二七日養子縁組の届出をした。

2 被控訴人は、控訴人と同居を続けながら、昭和四〇年三月大学を卒業し、更に早稲田大学大学院に進み、控訴人から学資の援助を受けて昭和四二年三月同大学院の修士課程を修了し、その際千葉市内の会社に就職が内定していたが、控訴人の希望もあつて自宅から通勤できる近くの武陽信用金庫に就職先を変更し、同金庫に昭和四二年四月から昭和四三年一月ころまで勤務し、その後産業能率短期大学の助手、講師、城西大学の専任講師、昭和四九年四月からは日本大学経済学部に勤めるようになり、現在は同大学の教授となつている。

3 被控訴人は、昭和四四年四月三〇日見合のうえ丙田よし子と婚姻したが、控訴人は、右結婚について内心賛成してはいなかつたものの、被控訴人が気に入つたものである以上仕方がないと考え、被控訴人に対し今後互に仲良く同居して行くことを要望した。

4 被控訴人とよし子との結婚後、被控訴人夫婦と控訴人との同居生活が始まつたが、間もなくよし子と控訴人との折合が旨く行かず、よし子において控訴人につつけんどんな態度をとつてつらく当るようになり、また、控訴人の悪口を被控訴人に告げ口し、そのためこれを鵜呑みにした被控訴人が控訴人に「お前何でそんなことを云つた。」と言つてののしり、怒鳴りちらす有様が繰返されるようになり、控訴人は、このような被控訴人ら夫婦の仕打ちに悲しい思いを強いられて情けなくなり、将来を悲観した余り、三、四回夜中に腰紐で自分の首を締めて自殺を図つたりしたが、そのうち一、二回は控訴人の苦しむ声に驚いて被控訴人が助けに来たりしたこともあつた。

5 このような状況の中で控訴人と別居した方がよいと考えた被控訴人ら夫婦は、控訴人の反対を押し切つて、昭和四四年八月末ころ、現在被控訴人夫婦らが居住している控訴人所有の不士荘アパートの一階の一室に引越し、控訴人と別居することとなつた。別居後、被控訴人は、しばらくの間世間体を気にしてか控訴人宅を頻繁に訪れていたが、やがてそれもとだえがちとなり、時折不士荘アパートの居住者(被控訴人を除く。)の家賃を届けたりして控訴人宅を訪れることもあつたが、その際控訴人に対し、執拗に「自分らの家を建ててくれ。」と言つたり、財産分けを要求するようになった。

そこで、不士荘アパートの家賃は、それ以前より控訴人と内縁関係にあつた丙本(現在丙田)英男が集金に行くようになつたが、控訴人は、猶被控訴人が訪ねて来て何かと要求するのではないかという不安と当時胃を悪くしたこととが重つて昭和四六年九月ころノイローゼ気味となり、そのため翌四七年一、二月ころ、昭和四六年一一月一八日に婚姻した右丙田英男と共に、被控訴人には行方を全く知らせずに調布市内の貸家を借りて住んだ。

6 控訴人ら夫婦が調布市内に移つた後、昭和四八年一〇月ころ、右引越し前控訴人ら夫婦が住んでいた建物は改築のため取毀され、昭和四九年六月ころ控訴人の新居(現在控訴人ら夫婦が居住している建物)が完成し、その後直ぐに控訴人ら夫婦は右新居に帰つて来てそこに住むようになつたが、昭和五〇年八月ころ右新居を訪れた被控訴人は、控訴人に対し、「今度はお前達が向うのアパートに住め、俺がこつちに住むから。」と言つたり、財産分けを要求し、これを拒否した控訴人との間で口論となり、その際控訴人において被控訴人が連れて来ていた同人の知恵遅れの五才の長男に「帰れ。」と言つたことから、立腹した被控訴人が控訴人を突き飛ばすなどのこともあつた。

7 被控訴人ら夫婦は、不士荘アパートに入居後、同アパートの一階の部屋が空部屋となるにつれて、控訴人に無断でこれを占有し、昭和五二年ころからは一階四室全部を勝手に改造して使用するようになり、しかも今日に至るまで控訴人に対し賃料等は一切支払つていない。

8 被控訴人は、この十年以上控訴人宅を殆ど訪れたこともなく、訪れたとしても財産の分配を要求したり、自分の用事を解決するためにそうしたにすぎず、また、よし子は別居後控訴人宅に殆ど寄りついていない。

9 控訴人は、被控訴人に老後の面倒を見て貰う気持などさらさらなく、被控訴人との養親子関係の一日も早い解消を切望しており、一方、被控訴人は、専ら控訴人の遺産を相続したい気持から離縁に応ぜず、養親子関係に執着している。

二以上認定の事実によれば、控訴人と被控訴人間の養親子の関係は十年以上に亘り客観的に破綻しており、親愛にみちた養親子関係の回復は到底期待し難いというべきところ、このような事態に至つたのは、被控訴人が主張するように、控訴人がよし子に対する嫉妬から狂言自殺したため被控訴人ら夫婦が控訴人との別居を余儀なくされたことに端を発したといえなくもないが、更にその源を溯れば被控訴人において、よし子の告げ口から一方的に控訴人をののしるようになつたため前途を悲観する余り自殺まで図るに至つたと見られるのであり、この控訴人の心情を充分に理解せずにたやすく別居し、その後も控訴人に対し子らしい情愛を示すことなく同人の期待を裏切つた被控訴人の言動もまた右破綻の原因の半ば以上を占めるものがあつたと言わざるをえない。

そうすると、被控訴人に対し、民法八一四条一項三号により離縁を求める控訴人の請求は正当として認容すべきである。

(石川義夫 寺澤光子 寒竹剛)

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