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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)922号 判決 1983年12月12日

控訴人

南浄

右法定代理人親権者

南睦子

右訴訟代理人

中平健吉

河野敬

被控訴人

湯河原町

右代表者町長

杉山實

右訴訟代理人

青木逸郎

小沢淑郎

主文

本件控訴及び控訴人の当審で拡張した請求をいずれも棄却する。

控訴費用及び右請求拡張部分に関する訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人が昭和五二年三月まで湯河原町立湯河原小学校に、同年四月から同五五年三月まで同町立湯河原中学校にそれぞれ在籍し、右両校を卒業したこと、被控訴人が右両校の設置者であり、その職員がいずれも被控訴人の公務員であることはいずれも当事者間に争いがない。

二控訴人が右湯河原小学校六年四組に在籍していた昭和五二年二月三日、第二校時(午前九時五〇分から同一〇時三〇分まで)の体育の時間に、同校校庭で担任の板倉教諭の指導のもとに、サッカーの試合が行われているうち、これに参加していた控訴人が顔面右眼部にサッカーボールの強打を受けるという事故(本件事故)が発生したことは当事者間に争いがない。

右事実並びに<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1サッカーボール(公式のサッカーボールよりも小さいゴム製のもの)はプレイヤーが一団となつてボールの取合いをしているとき至近距離からプレイヤーの一人によつて蹴られたものが控訴人の右眼部を直撃したものであり、その瞬間、控訴人は体内から力が抜け出るような脱力感に襲われ、膝をついてゆつくりと倒れた(このうち、控訴人が膝をついてゆつくりと倒れた点は当事者間に争いがない。)。そして、数秒ないし数一〇秒の後、控訴人は、ゲームを続けようとして立ち上がつたが、丁度このとき得点が入つてゲームが中断したため、これを知つて緊張感が緩み、再び目頭を押えてしやがみ込んだ(以上の点もおおむね当事者間に争いがない。)。

2試合中、板倉教諭はレフェリーの役をしていたが、ゲームが中断した際、控訴人の様子に気付き、その傍に近寄つて「大丈夫か。保健室に行つたらどうか。」と声をかけた(このうち板倉教諭が試合中レフェリーの役をしていた点を除き当事者間に争いがない。)。このとき控訴人は既に立ち上がつており、見ると、顔面に砂が付いていたので、同教諭は、洗顔をさせたうえ、ボールが当つた付近をみたが、出血、眼の充血、鼻血などの異常はみられなかつた。しかし、同教諭は念のため前記のとおり保健室へ行つて診て貰うように勧めたが、控訴人は「目は大丈夫だからゲームができる。」と言つて、その後も最後まで元気に試合を続けた。試合終了後、同教諭は控訴人に対し、再度、「大丈夫か。」と聞き、次の第三校時の授業開始時にも同様に確かめたが、控訴人は「大丈夫です。」と答え、事故の日はもとよりその後も控訴人の行動、態度等に格別の異常はみられず、控訴人からも特段の訴えはなかつた。さらに控訴人は本件事故後から昭和五二年三月に湯河原小学校を卒業するまで一日も休まず登校した。

3しかし、実際には、控訴人は、試合が終つたころから時折り右眼に「チカッ、チカッ。」と稲妻が走るのに似た感覚をおぼえるようになり、そのような状態が一週間足らず続いた。これが治まると、次いで顔面の下部、鼻の付近から遮蔽物様のものが次第に上昇してきて、視野を遮るような感覚に捉われ、事故後一か月ほど経過したときには、右眼は焦点がぼけ、対象を明確に捉えることができない状態に陥つた。しかし、後記のとおり、控訴人は、右眼の異常を保護者や学校の教師はもとより何人にも訴えなかつたので、このことは控訴人が中学校に進学し、二年に在学中の昭和五三年四月一〇日に実施された全校生徒の健康診断の際、医師の診察によつて発見された。専門医の診断の結果、控訴人の右眼に生じた異常は外傷性網膜剥離であることが判明し、控訴人は早速手術を受けたが、発症後長期間を経過していたため、手術は奏功せず、控訴人の右眼の視力は回復をみるに至らなかつた。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そこで、右認定の事実に基づいて板倉教諭の過失の有無について検討する。

学校教育、とりわけ、小学校における初等教育は未成熟な成長発達の途上にある児童を学校という集団生活の場を通して知的、身体的の両面にわたつて鍛練し、その人格形成の基礎となる心身の健全な発展を促進することを目的とするものであるが、このような教育には未成熟な成長発達の途上にある児童に未知の体験をさせることによつてその能力を開発していくという側面が本来的に伴うわけであるから、時として児童の身体、健康等が教育活動の過程で危険にさらされる事態が生ずることもあり得ないことではない。したがつて、このような教育に携わる教師は一般にその職務に必然的に伴うものとして、学校教育の場において教育活動から生ずる危険に対して生徒の安全を保持する義務を負うのであり、この義務は未然に事故の発生を防止することはもとより、万一、事故が発生した場合には、これによる被害の発生若しくはその拡大を阻止するという事後措置義務をも含むものと解すべきである。他面において、学校生活は児童の生活部面の一部を形成するに過ぎず、その全部ではないことからすれば、この事後措置義務は学校ないし教師のみによつて全うし得るものではなく、そのためには学校生活を離れた一般生活関係の側面における保護者の児童に対する監護養育義務との緊密なかかわり合いをないがしろにすることはできない。そうだとすれば、万一、学校における教育活動の過程で事故が発生し、現に児童の身体、健康等に被害が生じ、あるいは被害の発生が予見できる場合は言うに及ばず、現在被害の発生は予見できなくても、事故の状況からして後刻何らかの被害が生ずることを否定し得ない場合には、学校ないし教師はその事後措置義務の一つとして、児童の保護者に対し事態に則して速やかに事故の状況等を通知し、保護者の側からの対応措置を要請すべきであると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、前認定の事実によれば、本件事故のために控訴人の右眼には事故後間もなく異常が生じたわけであるが、板倉教諭が安否を確認しても、控訴人から特段の訴えがなく、その行動、態度等にも格別の変化もみられないという前記状況下においては、同教諭の側からは控訴人の右眼に生じた異常を認識することは不可能であつたといわなければならない。したがつて、この段階では板倉教諭としては前認定の方法による経過観察をすれば足り、控訴人主張の方法による経過観察の義務まで負うものではないというべきである。しかしながら、板倉教諭にとつては、本件事故の直後、控訴人のところに近寄つて行つた段階で、控訴人はじめ他の目撃者に聞き質すことにより事故の状況を的確に把握することは極めて容易なことであつたはずであり、本件事故が至近距離から他のプレイヤーによつて蹴られたサッカーボールが控訴人の顔面右眼部を直撃するという態様のものであつたことからすれば、同教諭としては、現に控訴人から特段の訴えがなくても、後刻、本件事故のために控訴人の身体、健康等に何らかの被害が生ずることを否定し得ないとの認識を持つべきであつたということができる。そうだとすれば、同教諭は、学校生活の場において事故後の控訴人の身体、健康等の状況を観察するのみではなく、一般生活関係の側面において保護者による観察を可能にするため、事故後、速やかに保護者に対し事故の状況を通知すべきであつたということができるところ、同教諭がこれをしなかつたことは弁論の全趣旨に照らして明らかである。

したがつて、本件事故については、板倉教諭には右通知義務を怠つた点に過失があるというべきところ、ほかに特段の事情がなければ、控訴人の右眼に生じた外傷性網膜剥離は、同教諭と控訴人の保護者とによる学校生活と一般生活関係、とくに家庭生活との両側面からの経過観察により事故後さほど遅くない時期に発見されたものと推認することができる。

三しかしながら、<証拠>によれば、(1)控訴人は昭和三九年一一月一七日父武好・母睦子の長男として出生し、本件事故当時は両親と生活を共にしていたが、昭和五三年四月一日両親が離婚したため、その後は親権者と定められた母睦子と暮らしていること、(2)控訴人は幼小の頃からサッカーを愛好し、将来はその選手になることを夢み、サッカーの強い上級学校に進学する希望を持つていたこと、(3)しかし、サッカーで負傷したことが保護者に知れれば、その希望を阻止されてしまうことにもなりかねないので、前記のような右眼についてのかなりの異常を自覚しながら、かつてサッカーの試合で外傷を負つたときと同様、自然に治癒することを期待して、保護者に対してはもとより板倉教諭に対しても異常を訴えようとはしなかつたこと、(4)そのため母睦子は控訴人と生活を共にしていながら、前記のとおり本件事故後一年二か月余を経過した昭和五三年四月一〇日実施の健康診断の際医師の診察によつて発見されるまで、控訴人の右眼の異常には全く気付かず、これに対する対応措置をとらないままに推移したこと、が認められる。右事実に、<証拠>を合せると、外傷性網膜剥離は、患者本人からの訴えがなければ、医師以外の通常人が患者の眼の異常に気付くことは困難な疾患であることが認められ、これに右認定のような事情を併せ考えると、仮に板倉教諭からの事故通知があつたとしても、控訴人の保護者が控訴人の右眼の異常を発見し得たかは疑問であるといわなければならない。また、本件のような態様の事故においては、たとえ、被害者の保護者がこれを知つたとしても、被害者本人から何の訴えもない以上、保護者において直ちに専門医の診断を受けさせるということは一般の経験則上期待することはできないところである。

してみると、控訴人の外傷性網膜剥離の発見が遅れたのは、控訴人がその症状を自覚しながらこれを保護者や教師にことさらに訴えようとしなかつたためであるというほかはなく、本件の証拠関係からは、板倉教諭が前記通知義務を尽していたとすれば、控訴人の外傷性網膜剥離を早期に発見し得たと認定するに足りる心証を得ることができず、ほかに同教諭の通知義務懈怠と控訴人が本件事故によつて蒙つた損害との間の因果関係を肯認するに足りる資料はない。

四次に<証拠>によれば、(1)前記湯河原中学校では、控訴人が入学して間もない昭和五二年四月八日、毎年一回、全校生徒を対象に行われる定期身体検査が実施されたこと、(2)右身体検査は教師による身体測定と医師による健康診断とから成り、身体測定の検査項目には身長、体重等のほか、視力測定も含まれていたこと、(3)このうち、視力測定は四名の教師が四教室を使つて分担し、二時間ほどの時間内に、全校生徒一、一〇〇名ないし一、二〇〇名について、一人ずつ左右の眼ごとに検査担当者が指し示す検査表の符号を読み上げさせる方法で実施されたこと、(4)控訴人は、検査の際、担当の教師に「右目はぼけているからいいです。」と言い、左眼についてのみ検査を受けたこと、が認められる(以上のうち控訴人が昭和五二年四月八日湯河原中学校で定期健康診断を受けたことは当事者間に争いがない。)。しかしながら、控訴人の検査担当教師に対する右の言辞は、たまたま、検査の時点で右眼がぼけていて検査を受けられる状態にないともとれるし、もともと右眼はぼけているので検査を受ける意味がないともとれ、いずれにしてもこれが右眼の異常を訴えたものとは直ちには解されない。また、右の検査は視力の測定を主眼としたものであつて、生徒の健康状態については、ほかに医師による健康診断が準備されたこと、しかも、検査は単時間のうちに機械的に行われたものであり、当時は控訴人が右中学校に進学して旬日を出でない時期であつたことなど、前認定の状況の下においては、控訴人が右眼の視力検査を受けなかつたからといつて、このことから直ちに検査担当の教師が控訴人の右眼の異常に気付き、適切な措置をとることを期待することは困難であり、この点について右教師に控訴人主張の過失があるということはできない。

また、<証拠>によれば、(1)右身体測定においては、生徒は予め測定値を記入するメモ様の身体検査用紙を渡され、身長、体重等の測定を受ける都度、自らその数値を記入し、検査終了後、クラスごとに担任教師の指導のもとに、生徒自身がこれを「健康手帳」に転記し、各自がこれを所持していること、(2)そのあと、右身体検査用紙は担任教師によつて回収され、担任教師はこれから学校備付けの「児童・生徒健康診断票」に右数値を転記し、学校の記録としたこと、(3)ところが、右身体測定時の控訴人の右眼視力は「健康手帳」には「〇・」と記入されているのに、「児童・生徒健康診断票」には「0.8」と記録されているが、その他の検査項目についての数値の記載は両者がすべて合致していること、が認められる。

右のような記載の食違いが生じた原因ないし経緯は証拠上必ずしも明らかでないが、前記のような身体検査用紙に対する数値の記入方式、これに基づく「児童・生徒健康診断票」に対する数値の転記方式及び「健康手帳」への転記が担任教師の指導によるとはいえ生徒自身が転記し、しかも各自がこれを所持していること並びに控訴人の右眼視力以外の検査項目についての数値の記載が「健康手帳」のそれと「児童・生徒健康診断票」のそれとがすべて合致しているところからすると、身体検査用紙中における控訴人の右眼視力は「0.8」と記載されていたものと推認されるので、右のように控訴人の「健康手帳」に右眼視力が「〇・」と記載されていたとしても、控訴人の右眼の異常を認識しなかつたことにつき湯河原中学校の担任教職員に過失があつたとすることはできない。

五以上の次第であつて、控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないので、これを失当として棄却するほかはない。

よつて、右と結論を同じくする原判決は相当であつて、本件控訴及び控訴人の当審で拡張した請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用及び右請求拡張部分に関する訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(岡垣學 大塚一郎 川崎和夫)

<参考・第一審判決理由》 ―――

〔理由〕

一 請求原因1の事実<編注・当事者の地位>は当事者間に争いがない。

二 同2の事実のうち、原告が湯河原小学校六年に在籍中、原告主張の日時体育の時間に同校校庭において、板倉教諭の指導監督のもとにサッカーの試合をしていて、顔面右眼部にサッカーボールの強打を受けたことは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、右のサッカーボールの強打を受けた際に体中の力が抜けるような感じでひざを着いてゆつくり倒れた事実が認められる。さらに<証拠>にこれば、原告は、右サッカーの試合の終了後目にチカチカと稲妻みたいなものが出てきてこれが一週間位続き、その後鼻側の方から黒いものがだんだん中央に向かつて出てき、黒いものが中央のあたりに行つたときからそれは消えたが、事故後一カ月位たつた時には物の形がわからず、明暗が判明できるだけとなつた事実が認められ、この経過を<証拠>に照らすと、原告は右サッカーボールの強打を受けたために右眼に外傷性網膜剥離がおこり、全く物の形を判別することができなくなつてしまつた事実が認められる。

三1 板倉教諭の過失の有無につきその前提となる注意義務の内容につき検討する。

一方で、学校は、その生命、健康の維持につき監護を要する児童、生徒を一時的にではあれその保護者から引離して集団的に教育する場であり、他方、教育というものがこれを受ける者にとつて未経験の領域を体験することにより成長、発達を遂げることを目的としており、そこに一定の危険性を内包しているものであることから、学校の管理者ならびに教師は児童、生徒の安全を保持する責務を有しているといわねばならず、このうち教師の安全保持義務は、学校教育法二八条六項に定めるところの教諭が児童の教育をつかさどることに伴う義務であると解される。

この義務の内容として、学校における教育活動において事故の発生を予防することはもちろん、教育活動に関連して事故が発生しそのために何らかの病状が出現した際にはこれに対して適切な事後措置をとるべきことがあげられる。さらに、何ら症状が発生していない場合においても、児童自身が自主的に保護者に対し事故の正確な報告をすることが期待できないことに鑑み、保護者において十分に経過を観察し、適切な処置をなしうるよう事故に関する報告をすべきこともこれに含まれるものと解される。

そして、右の事故に関して保護者に報告をなすべき義務がいかなる範囲で認められるかは、前記の報告の目的に照らし、事後における保護者の観察、処置が必要と考えられる場合、すなわち、事故後、将来にわたり何らかの病状が発現することを当該教師が予見しもしくは一般通常人において予見し得べき場合かこれにあたると思料される。もつとも、いかに小さな事故であつても全く予想外の結果を生ずることは否定できないから、保護者の立場からみれば、どのような事故についても保護者への連絡がなされることが望ましいことは言うまでもない。しかしながら、損害賠償法理の側面における安全保持義務の内容としては、前記の範囲に限定されると考えるのが相当である。

2 次に、板倉教諭のとつた措置につき検討する。

<証拠>によれば、本件事故の際に使用されていたボールは公式のサッカーボールよりも小さいゴム製のボールであり、板倉教諭は試合の審判をしていたこと、ボールが原告にあたつた後試合が中断され、板倉教諭が原告に声をかけたが原告は大丈夫と答えて再開された試合に参加し元気に動きまわつたこと、原告は、ボールの強打を受けた際は強い痛みを感じたが、試合に参加した時には痛みはなく、異常を感じていなかつたこと、試合終了後に板倉教諭が再度大丈夫かと尋ねたが、これに対しては平素と変りない態度であつたこと、また試合終了後原告自身は眼に異常を感じたが、サッカーに強い興味を抱いていたために、母親にサッカーでけがをしたことを知られるとサッカーをやめさせられると考え、母親にも板倉教諭にもこの異常を話さなかつたこと、さらに原告は事故後から昭和五二年三月に湯河原小学校を卒業するまで一日も休まず登校していることの各事実が認められる。なお、原告がサッカーボールの強打を受けた後、試合が中断した際に板倉教諭が原告に対し、「大丈夫か、保健室に行つたらどうか。」と声をかけたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば同教諭は事故後の原告の様子から将来何らかの病状が発生するとは考えなかつたことが認められる。

また<証拠>によれば、外傷性網膜剥離自体は、何らの痛みを感ずるものでなく、発病の時期は人によつて異り、一年後位に発病するケースもあること、片眼が失明しただけでは日常生活に直ちに支障が出ることはないこと、さらに、網膜剥離に関するかぎり固いボールよりも軟らかいボールの方がかえつて危険性が高いものであるが、このことは一般には知られていないことの各事実が認められる。

以上によれば、板倉教諭は将来の発病を予見しておらず、一般通常人においても原告がボールの強打を受けてしやがみ込んだことを認識していても、その後の原告の行動並びに外傷性網膜剥離の性質に照らし、その発病の危険を予見することは極めて困難であり、また、その他の病気の発生の危険を予見することも同様に困難であつたと認められるので、板倉教諭が前記認定程度の処置のみしかとらず、保護者に対し報告しなかつたとしても、やむを得ないところと思料され、板倉教諭に前記の安全保持義務違反があつたものと認めるのは相当でない。

四1 湯河原中学校職員の過失の前提となる注意義務につき検討する。

原告主張の各学校保健法規は、その規定のしかた及び規定の内容において、これを怠つた場合に学校管理当局者が行政上の責任を問われることはあるとしても、学校職員に直接義務を課しているものとは解されない。しかし、その規定の趣旨及び前判示の教師の安全保持義務を併せ考えると、健康診断において教師が児童、生徒の心身の異常を知り、あるいは児童、生徒よりその申出があつた場合は、これに対し適切な処置をとるべき義務があると言うことができる。

2 そこで、湯河原中学校職員が健康診断に関連して原告の目の異常を認識したか否かにつき検討する。

原告が、昭和五二年四月八日に当時在学中の湯河原中学校において実施された健康診断を受けた事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば次の事実が認められる。同中学校の定期健康診断は身体測定と専門医検診とがあり、右の四月八日はそのうちの身体測定が実施された。検査項目は、身長、体重、胸囲、座高、視力、色覚であつて、一年生担当の教師が各測定にあたり、測定の結果は生徒自身がこれを個票(乙四号証)に記載することになつていた。視力検査は四人の教師が四教室を使つてこれを担当した。一年生は当時約四〇〇名いたが、九クラスがそれぞれ男女別になり、計一八のグループに分れて順次検査を受けることになつていたところ、検査項目によつて早く終るものと遅くなるものとがあり(特に視力検査のところはいつも大勢の生徒が待つていた。)、早く終つたところへ生徒をまわしたりすることから途中からは生徒がバラバラになつて検査を受けていた。なお、これらの検査は午前中ですべて終了することになつていた。

さらに、原告本人尋問の結果中、原告は、視力検査を受ける際に検査を担当している教師に対して「右眼はぼけているからいいです。」と言つて左目だけを測つてもらつた旨の供述があるが、これは原告本人尋問の結果により認められるところの、原告の右申出に対し担当者が何と答えたかについては不明確であること、その担当者が誰であつたかも記憶にないこと、及び原告は、中学校入学後はサッカー部へ入つてサッカーをやりたいという強い希望があつたが、サッカーにより眼を負傷したことが母親に知られた場合はそれを止めさせられるという心配があり、また教師に知られれば母親に連絡されると考えていたことの各事実に照らしにわかに措信し難い。

以上によれば、原告が検査担当者に対し眼の異常を認識しえるように言つたとは認定し難く、また、検査担当者は医療の専門家でないこと及び前記の健康診断の状況を考慮すると、右担当者が原告の眼の異常を発見しえなかつたことはやむを得ないことと思料される。

また、<証拠>によれば、生徒は右各測定終了後に前記の個票から健康手帳(甲第四号証の二)に測定結果を転記し、担任は右個票を集めてこれを児童・生徒健康診断票(乙第一号証の二)に転記することになつていること、右の健康手帳の中学一年時の測定結果と児童・生徒診断票のそれを対照すると、右眼視力以外の数値が一致していること、児童・生徒の健康診断票には右眼視力は0.8と記入のあることの各事実が認められ、これに前判示のとおり原告が先生に眼の異常を知られたくないと思つている事実を併せ考えると、個票の右眼視力欄には0.8と記載されていたと推認することができ、個票に何らの記載のないことをもつて、これにより担任の教師が原告の異常を認識しえたと認めることはできない。

五 以上によれば、被告の公務員である板倉教諭及び湯河原中学校職員のいずれについても過失は認定できないから、その余の点につき判断するまでもなく原告の請求は理由がないものとしてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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