東京高等裁判所 昭和57年(行ケ)230号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 本願発明は、その要旨からすると、第一段階で脱リンと排滓を行い、この脱リン処理した溶融銑鉄に、第二段階でクロムの酸化を抑制することなしにクロム含有材料を溶解し、引き続いて酸化精錬を行い、次いで、この第二段階で酸化されてスラグ中に移行したクロム酸化物を還元してクロムをスラグから溶湯中に回収するため特定量の珪素含有材料を溶湯に添加することによりクロム含有鋼を製造する方法であるということができる。
2 一方、成立に争いのない甲第二号証(引用例)によると、引用例記載の発明の特許請求の範囲は、「鉄金属と炭素を含むフエロクロムとの融成物を生成し、次に前記融成物を酸素を含む送風の噴射によつて精錬し、次に前記融成物にフエロシリコンを加えることを特徴とする、ステンレス鋼の製法」であることが認められる。
すなわち、引用例記載の発明は、<1>鉄金属とクロム含有材料であるフエロクロムとを溶融させて融成物を生成させ(溶融段階)、<2>この融成物に酸素を吹き込んで酸化精錬を行い(酸化精錬段階)、<3>その後、この酸化精錬した融成物に珪素含有材料であるフエロシリコンを添加して(還元段階)クロム含有鋼であるステンレス鋼を製造する方法である。
そして、右甲第二号証によると、<2>の酸化精錬段階は浴の調整及び予備精錬の第一段階、大部分の脱炭素が遂行される第二段階、最終的精錬及び調節の第三段階から成るものであること、及び<3>のフエロシリコンの添付について、引用例記載の発明の実施態様として掲記されたものの中に、「終末温度は一七五〇℃程度で精錬の完了に際して、あるいは更に詳しくは送風停止の1/2分前にクロムの回収をよくするために、すなわち、鉱滓中のクロムを少しでも溶融金属中にもどすためにフエロシリコンを鉱滓に加えた。」(第三頁左上欄第二ないし第六行)との記載があることが認められ、引用例記載の発明の特許請求の範囲にあるフエロシリコンの添加は、鉱滓(スラグ)中のクロムを少しでも溶融金属中に戻して回収するために行うものであることが認められる。
3 ところで、原告は、引用例記載の発明においては、<1>の溶融段階でフエロクロムを溶解し、<2>の酸化精錬段階で脱リンを行つているのであり、フエロクロム溶解後に脱リンを行つているから、脱リンを行う工程がダブルスラグ法の第一段階に設けられる本願発明と異なつていると主張する。
(1) 前記2認定の引用例記載の発明の特許請求の範囲には、脱リン工程については限定がなく、前掲甲第二号証によると、引用例には、脱リンをどの工程で、また、どのような手段で行うのかについての記載がないことが認められる。
もつとも、右甲第二号証によると、引用例の第二頁右下欄第一八ないし第一九行に、発明の詳細な説明として、「第一段階で不純物を“鉱滓”にするために石灰を添加した。」と記載されていることが認められ、<1>の溶融段階におけるフエロクロム(クロム含有材料)の溶解後、<2>の酸化精錬の第一段階で脱リンを行うことがうかがわれる。しかし、引用例記載の発明は、2で判示したような一連の工程を採用する点に特徴があるものであり、しかも、右甲第二号証によると、引用例の第三頁右上欄第一二ないし第一五行に、発明の詳細な説明として、「本発明の(「を」とあるのは「の」の誤記と認める。)操作の特定の方法について記載したが本発明の範囲を離れることなしに多くの改良または変形をすることは理解されるべきである。」と記載されていることが認められるのであり、この記載をも合わせ考えると、引用例記載の発明においては、脱リンが特に<2>の酸化精錬の第一段階で行われることに限定され、また、ダブルスラグ法でない方法に限定されているものと認めることはできない。
(2) さらに、成立に争いのない乙第一号証の一ないし四(「鉄鋼製造法第1分冊」昭和四七年四月一〇日丸善株式会社発行)によると、同書第五二九頁第一二ないし第一四行に、「Pを転炉で除去することは、通常のシングルスラグ法では限界があり、脱燐率は八五~九〇%である。したがつて、溶銑中のPは〇・二九%以下を目標とする。溶銑中のPの高い場合には、LD―AC法、ダブルスラグ法などの特殊な吹錬が必要である。」と、第五六六頁下から第五ないし第二行に「ダブルスラグ法」の説明として、「ダブルスラグ法は吹錬を中断してスラグを除去し、あらたに造滓剤、媒溶剤を添加することによつて造滓するもので、とくにP、Sを下げる場合、高炭素鋼の溶製、あるいは溶解吹のようにスラグ中の燐が還元される場合などに適用されるが、元来は高燐銑の吹錬のために考えられたものである。」と、第五六八頁第五ないし第一二行に「溶解吹法」の説明として、「合金鋼の溶製にさいし、炉中に合金鉄を添加して溶解する、いわゆる溶解吹が行なわれている。溶製方法はつぎのとおりである。1)十分脱燐したのち排滓する。2)合金鉄とともに熱源を添加し吹錬する。Crなど酸化されやすい合金を添加する場合には含Si合金鉄を用い、Siを鋼中に残存させると合金鉄量歩留りが向上する。」とそれぞれ記載されていることが認められる。
右記載によると、転炉で製鋼するに当たり、溶銑中のリンの含有率が高い場合、あるいは溶解吹のようにスラグ中のリンが還元される場合などにはダブルスラグ法が用いられること、また、合金鋼の製造に際し、炉中に合金鉄を添加して溶解するいわゆる溶解吹においては、まず十分に脱リンした後排滓し、次いで合金鉄を添加して吹錬することが普通に知られていたものということができる。
そうすると、引用例記載の発明はステンレス鋼の製造法であつて、合金鋼の製造に関するものであるから、そこにおいても、鉄金属と炭素を含むフエロクロムとの融成物の生成に際し、原料銑鉄にリンの含有量が多い場合には、ダブルスラグ法を採用し、脱リン後にクロム含有材料を溶解することを意図していないということはできない。
この点に照らしても、前述のように引用例記載の発明では、ダブルスラグ法でない方法や、脱リンが特に<2>の酸化精錬の第一段階で行われることに限定されていないものというべきであり、したがつて、引用例記載の発明は、ダブルスラグ法ではなく、脱リン前にクロム含有材料を溶解するものであることを前提として、これらの点において、本願発明と引用例記載の発明とは相違するとする原告の主張はその前提において理由がない。
4 次に、原告は、本願発明は、ダブルスラグ法の第二段階で「クロムの酸化を抑制することなしにクロム含有材料を溶解」する構成を採用したのに対し、引用例記載の発明では、フエロクロムの溶解は、本願発明の第二段階に対応する<1>の溶融段階でクロムの酸化を抑制して行つているという点において、両者は相違すると主張する。
(1) 前記2で判示したところによると、引用例記載の発明は、鉄金属と炭素とを含むフエロクロムとの融成物を生成し、この融成物を酸化精錬し、その後、この酸化精錬した融成物に珪素含有材料であるフエロシリコンを添加し、スラグ中に移行したクロム酸化物を還元してクロムとなし溶湯中に戻すというものである。
(2) そして、前掲甲第二号証によると、引用例記載の発明の実施態様として、冷銑鉄、フエロクロム等をLD転炉に仕込み、「この仕込みを転炉の上部から下げた燃料油―酸素ラーンスの燃焼で完全に燃焼して一四〇〇℃の桁の温度とした。最初の仕込みの際に加えたフエロシリコンはこの溶融段階で冷銑鉄からのケイ素の損失を相殺する。ケイ素は加熱中に生成する酸化クロムの量の減少を都合よく助けるので望ましい初期添加物である。」(第二頁右下欄第二ないし第八行)と記載されていることが認められる。この記載によると、引用例記載の発明においても、<1>の溶融段階におけるクロム含有材料の溶解の際にクロムの酸化は生じるものということができる。
(3) ところで、引用例記載の発明は、本願発明と同じく、酸化精錬後にフエロシリコン(珪素含有材料)を溶湯に添加し、スラグ中に移行したクロム酸化物を還元してクロムとなし溶湯中に戻すことを構成要件とするものである。すなわち、<1>の溶融段階でクロム含有材料を溶解し、引き続いて<2>の酸化精錬する過程においてクロムが酸化されることを前提とし、このクロム酸化物からクロムの回収を図るというものである。そうすると、引用例記載の発明においても、本願発明と同様<1>の溶融段階におけるクロム含有材料の溶解時に、あえてクロムの酸化を抑制していないものと解されるところである。
(4) もつとも、引用例の右(2)で認定した個所の記載中には、仕込みの際にフエロシリコンを加えること、珪素は加熱中に生成する「酸化クロム」の量の「減少を都合よく助ける」ので望ましい初期添加物であるとの点が挙げられているのであつて、このフエロシリコンの添加によつて、クロムの酸化が抑制されているともみることができる。
しかしながら、成立に争いのない甲第三号証によると、本願明細書の発明の詳細な説明に、「したがつて、フエロシリコン及びクロム含有添加材が金属中に存在している時に装入材は前のように再び吹錬される。この第2期吹錬の重要な目的はフエロクロム及びクロム含有スクラツプを溶解することにある。」(第一九頁第一四ないし第一八行)との記載、並びに、「この第2期吹錬の間に、ケイ素の発熱酸化によつて、フエロクロムの溶解を開始し」(第二〇頁第三ないし第五行)との記載があることが認められる。この記載によると、本願発明においても、クロム含有材料の溶解に当たつては、フエロシリコンが添加されているのであり、このフエロシリコン中の珪素は酸素と結び付いて酸化されているのである。そして、珪素はクロムより酸化されやすいものであることは技術常識であるから、この点からすると、本願発明の要旨の記載内容にもかかわらず、珪素が酸化されることによつて、クロムの酸化が抑制されているとみることができる。それにもかかわらず、本願発明はその要旨においてクロムの酸化を抑制していないとしなければならないのであれば、引用例記載の発明においても、同様、クロムの酸化を抑制していないものというべきであり、この点において、本願発明と引用例記載の発明との間で相違するところはないといわざるを得ない(審決が認定したように、「引用例においても(中略)少量のフエロシリコンの添加(約二・三重量%)で、少量のクロムの回収(一七五〇℃で完了する酸化精錬)を行う酸化クロムと還元剤の対応関係が示されている」ことは、原告が認めるところであるが、ここで少量のフエロシリコンを添加するとされているからといつて、前記のように引用例記載の発明においてクロムの酸化は抑制されていないものとみることが当然に妨げられるものではない。)。
(5) 原告は、クロム含有材料の溶解時の温度を高くするとクロムの酸化は抑制されるが、本願発明はこのような方法を採用しなかつたと主張する(請求の原因四3(3))ので、この点について検討するに、前記(2)で認定したところによると、引用例記載の発明では、一四〇〇℃の桁の温度でクロム含有材料が溶解されているのに対し、前掲甲第三号証によると、本願明細書第二〇頁第一三ないし第二〇行に、発明の詳細な説明として、「金属の温度を余り高くせずにしたがつて炉の耐火物に損傷を与えずにフエロクロム及びスクラツプを溶解するに充分な熱を供給するためには上述のクロム溶解法は望ましい方法である。したがつて使用されるフエロシリコンの量は、吹錬後に二八〇〇°Fないし三〇〇〇°F、理想的には二九五〇°Fの金属温度を与えるのに必要な最小量に維持されるのが良い。」と記載されていることが認められる。この記載によると、本願発明では、二八〇〇°F(一五三八℃)ないし三〇〇〇°F(一六四九℃)、理想的には約二九五〇°F(一六二一℃)の温度でクロム含有材料の溶解が行われているのであつて、引用例記載の発明の方が、低温でクロム含有材料の溶解がなされていることになり、溶解温度の点でみると、本願発明よりクロム酸化が抑制されていないということになる。
(6) また、原告は、「クロムの酸化を抑制することなしにクロム含有材料を溶解する」とは、フエロシリコンの多量使用も、浴の高温加熱も行わずに、溶解工程でクロムを酸素で酸化するということであると主張する(請求の原因前同)。この点については、本願発明の要旨に記載のないところであり、直ちにこのように解することができるとは断じ難いが、引用例記載の発明の方が、本願発明におけるよりも低温でクロム含有材料の溶解がなされていること、右(5)でみたとおりであるし、また、フエロシリコンの使用量が多いほど浴温が上昇することは技術常識であるから、本願発明の要旨中の右記載を原告の右主張のように解し得るとしても、溶解工程でフエロシリコンの使用量を抑えて浴温を低くすることは、当業者において適宜なし得る技術手段にすぎない。
(7) 原告は、引用例では、遊離酸素を<1>の溶融段階で用いると記載していないことからすると、引用例記載の発明における右段階ではクロムの酸化が抑制されていることが明らかであると主張する(請求の原因四3(4))。しかし、前記(1)で判示したとおり、引用例記載の発明は、本願発明と同じく、クロム含有材料の溶解工程、酸化精錬工程の過程で生じるクロム酸化物をスラグ中からクロムにして回収する目的で酸化精錬後に珪素含有材料を添加するものであるから、本願発明と同様に、<1>の溶融段階でクロムの酸化をあえて抑制しないことを前提としているものと解されること、前記(3)で判示したとおりである。原告の右主張は理由がない。
(8) 以上判示したところによると、本願発明と引用例記載の発明との間には、本項4の冒頭に摘記した原告主張に係る相違点は存しないものというべきである。
そして、本願発明における「クロムの酸化を抑制することなしに」という技術手段は、ダブルスラグ法の第二段階における溶解工程についてのものであり、引用例記載の発明においても、<1>の溶融段階についてのものであるのに、審決が、本願発明において、珪素含有材料による還元工程でクロムの酸化量に対応して比較的大量の該材料を用いることは、当業者であれば引用例記載の発明に基づき容易に想到することができたと認定、判断するに当たつて、あたかも、引用例記載の発明においては、「最終精錬工程のフエロシリコンによる還元工程(中略)の前段の酸化精錬工程を、クロムの酸化を抑制することなしに行う」手段が採用されているもののごとく認定したのは正確を欠くが、引用例記載の発明は<1>の溶融段階においてクロム含有材料を酸化を抑制することなく溶解するものであり、しかも、高クロム鋼の製造方法としてクロム酸化物の還元をフエロシリコンで行う場合、該還元剤の添加量を酸化クロムの量(スラグへ移行したクロムの量)に対応して定めることは冶金技術上の常識であることは当事者間に争いがないから、審決の前記認定の誤りは、同じくクロム含有材料の溶解に当たつてクロムの酸化を抑制しない本願発明において、珪素含有材料による還元工程でクロムの酸化量に対応して比較的大量の該材料を用いることは、当業者であれば引用例記載の発明に基づき容易に想到することができた旨の審決の認定、判断(この点について原告は何ら具体的な違法事由を述べていない。)の結論に影響を及ぼすものではない。
5 原告主張の作用効果について付言する。
原告は、本願発明の方法では、脱リンをあらかじめ行つているから、フエロクロムを通常の転炉法で溶解できるという格段の作用効果が奏されると主張する。しかし、この点は、前記乙第一号証の一ないし四(「鉄鋼製造法第1分冊」)の第五六八頁第五ないし第一二行によつて認めた周知の溶解吹法の採用によつて生じる作用効果にすぎないものと認めるのが相当であるから、原告の右主張は理由がない。
次に原告は、本願発明においては、使用する鉄原料の純度に別段の制約はないという作用効果を奏すると主張する。しかし、前記3(2)で判示したように、リンの含有率が高い銑鉄を原料に用いる場合に適用するのがダブルスラグ法であるから、原告主張の右の点は、ダブルスラグ法が用いられる場合の当然の効果であるから、格別のものということはできない。
さらに原告は、本願発明のように、クロム酸化非抑制とすると、フエロシリコン等の装入材の酸化発熱によるフエロクロムの溶解が可能になると主張するが、引用例記載の発明においても、クロム酸化をあえて抑制していないこと、前判示のとおりである。原告の右主張の点においても、本願発明が格別な作用効果を奏するものとなすことはできない。
6 以上判示したところによると、本願発明の進歩性を否定した審決の認定、判断は正当であつて、審決を取り消すことはできない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとする。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
第一段階で脱リンし、第二段階で脱炭させるダブルスラグ法によつてクロム含有鋼を製造する方法において、前記第二段階でクロムの酸化を抑制することなしにクロム含有材料を溶解し、第二段階で酸化されたクロムをスラグから回収するために珪素を二・五ないし七・五%含有する珪素含有材料を溶湯に添加することを特徴とするクロム含有鋼を製造する方法。