東京高等裁判所 昭和57年(行ケ)4号 判決
1 請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
2 そこで、原告主張の審決取消事由の存否について判断する。
(一) 成立に争いのない甲第二号証及び甲第三号証ならびに弁論の全趣旨によれば、本願発明も引用例記載の電極も、導電性基体の表面に、二酸化チタン、二酸化ルテニウム及び二酸化スズを主成分とする固溶体型被覆層を設けた電極に係るものであり、引用例記載の電極が、右被覆成分比を二酸化チタンを五〇重量%以下とし、二酸化ルテニウムを一重量%以上、二酸化スズを一重量%ないし八〇重量%とし二酸化ルテニウム対二酸化チタンの重量比を二対一以下とする組成範囲のものであるのに対し、本願発明は、出願当初の特許請求の範囲では、二酸化チタン対二酸化ルテニウムと二酸化スズとの和のモル比を一・五ないし二・五対一の範囲内とし、二酸化ルテニウムと二酸化スズの合計量中の二酸化スズの量を三五ないし五〇モル%とする組成範囲のものであつて、引用例記載の組成範囲と重複する範囲を含むものであつたが、昭和五一年一二月二八日付手続補正書により特許請求の範囲を補正した結果、二酸化チタン対二酸化ルテニウムと二酸化スズとの和のモル比を二ないし二・五対一の範囲内とし、二酸化ルテニウムと二酸化スズの合計量中の二酸化スズの量を三五ないし五〇モル%とする組成範囲のものに減縮され、その重複部分が排除されたことが認められる。
(二) 原告は、本願発明の特許請求の範囲を減縮したことにより、本願発明は引用例記載の電極に比較して格別顕著な作用効果を奏するものである旨主張するので、減縮後の本願発明を引用例記載の電極と対比して、格別顕著な作用効果を奏するものであるか否かについて検討する。
成立に争いのない甲第四号証の一及び五、甲第六号証、甲第七号証によれば、ミフアエル・カツツ及びジヤン・ヒンデンの実験は、本願発明とH・ベーア名義の米国特許第三、六三二、四九八号明細書記載の電極と引用例記載の電極とについて、請求の原因4(二)(1)ないし(4)記載の条件で行つたものであり、別紙第二表はその結果をまとめたものであるが、同表記載の各電極(陽極)を分類すると次のとおりである。
(1) CX1―T32、CX1―T83、CX1―T78、CX1―T82、CX5―T37、CX9―T43、CX10―T41は、本願発明の組成範囲内にある電極である。
(2) CX6―T63は、本願発明の補正前の組成範囲内にあり、本願発明及び引用例記載の組成範囲外にある電極である。
(3) CX8―T59は、本願発明、その補正前及び引用例記載のいずれもの組成範囲外にある電極である。
(4) CX11―T40、CX12―T53は、本願発明の組成範囲外にあり、本願発明の補正前及び引用例記載の組成範囲内にある電極である。
(5) BⅠⅠ1―T34、BⅠⅠ1―4401ないし3は、米国特許第三、六三二、四九八号明細書記載の電極であつて、参考例にすぎない。
(6) ICI4―T64C、ICI4―V511、ICI4―V521、ICI4―V512、ICI4―V532、ICI4―V535、ICI4―V493は、本願発明及びその補正前の組成範囲外にあり、引用例記載の組成範囲内にある電極である。
本願発明と引用例記載の電極とは、いずれも、前記(一)認定のとおり被覆成分比を限定しているものであつて、その限定した組成範囲内において成立しうる任意のすべての被覆成分比の被覆層を設けた電極を含むものであるから、本願発明は、その成立しうる任意のすべての被覆成分比の被覆層を設けた電極において、引用例記載の電極に比し、顕著な作用効果を生ずることが少なくとも推認されない限り、本願発明が顕著な作用効果を奏するものということはできない。
したがつて、本願発明が引用例記載の電極より顕著な作用効果を奏するか否かの検討は、本願発明の減縮後の組成範囲の電極である前記(1)のCX1―T32、CX1―T83、CX1―T78、CX1―T82、CX5―T37、CX9―T43、CX10―T41と、引用例記載の組成範囲の電極である(4)のCX11―T40、CX12―T53、(6)のICI4―T64C、ICI4―V511、ICI4―V521、ICI4―V512、ICI4―V532、ICI4―V535、ICI4―V493とを、対比して行わなければならない。
被告は、別紙第一表は総被覆量が何らの合理的根拠なく変更されており、この実験結果は信用できないと主張する。
前掲各書証によれば、ジヤン・ヒンデンの一九八三年三月三日付宣誓供述書(甲第四号証の一)及びミフアエル・カツツの一九八二年九月一三日付宣誓供述書(甲第四号証の五)に添付の実験結果をまとめた表には、被覆層の構成に関しては、チタンモル分率F1、ルテニウム置換率F2、二酸化チタンと二酸化ルテニウムと二酸化スズの各モル%及び被覆層中のルテニウム添加量が記載されていたが、ジヤン・ヒンデンの一九八四年一月六日付宣誓供述書(甲第六号証)により、右表中の空欄個所のデータを補充するとともに、新たに総被覆量の項を設けて各陽極試料の総被覆量の値を記入した表とし、更にジヤン・ヒンデンの同年三月三〇日付宣誓供述書(甲第七号証)により右表中の空欄個所にデータを補充するとともに、右各陽極試料の総被覆量の値を訂正して別紙第二表としたことが認められるところ、この実験でいう総被覆量は、陽極試料の作成方法からみて、被覆層を構成する二酸化チタン、二酸化ルテニウム及び二酸化スズの合計量であると解され、この総被覆量はチタンモル分率F1とルテニウム置換率F2、あるいは右三種の酸化物の各モル%及び被覆層中のルテニウム添加量が決まると自ずから定まる値である。そして、訂正された表は、右陽極各試料のF1、F2各酸化物のモル%及びルテニウム添加量については何ら変更していない(なお、別紙第二表の総被覆量の値は、各陽極試料について、被覆層の二酸化チタン、二酸化ルテニウム及び二酸化スズの各モル%と被覆層一m2当りのルテニウム添加量に基いて算出した被覆層一m2当りの各酸化物の重量の合計量を少数点以下四捨五入した数値であることが計数上明らかである。)。したがつて、被告の右主張は理由がない。
また、被告は、硫酸水溶液を用いた腐食寿命試験は合理的な根拠がないと主張するが、成立に争いのない甲第四号証の二ないし四によれば、二酸化チタンと二酸化ルテニウムを被覆した電解用電極の耐用年数は数年であり、この電極の寿命試験は一回行うだけで約一年又はそれ以上の期間を要すること、このため該電極の寿命試験には高速化した寿命試験すなわち加速試験が採用され、この加速試験は〇・五M硫酸水溶液又は〇・五N硫酸水溶液を用いて行われることが認められるから、硫酸水溶液を用いてはげしい腐食条件における加速酸化により陽極試料の腐食寿命を試験したミフアエル・カツツ及びジヤン・ヒンデンの実験をもつて不合理であるとすることはできない。
更に、被告は、電極の寿命は被覆量の多少によつて多大な影響を受けるものであるにもかかわらず、被覆量を厳密に一致させて実験していないと主張するが、電極の寿命(腐食寿命時間)はその被覆量の多少に影響されるものであつても、ミフアエル・カツツ及びジヤン・ヒンデンの実験は、腐食寿命時間そのものでなく、腐食比寿命(電極の被覆層一m2当りに存在するルテニウム一g当りの腐食寿命時間を表わした腐食抵抗率)を問題にしているのであるから、被覆量が極端に相違しない限り(右実験に被覆量の顕著な相違があるとはいえない。)、これを厳密に一致させなくとも、陽極試料間の腐食比寿命の比較に影響があるとはいえない。
(三) そこで、前記の本願発明の組成範囲内の電極と引用例記載の組成範囲内の電極とを別紙第二表に基いて比較する(なお、CX1―T83は、触媒添加Rug/m2が他の電極と比較してきわめて少ないものであり、比較対象として適当でないので、これを除外する。)と、次のとおりである。
(1) まず、この実験において、腐食比寿命は、電極の被覆層一m2当りに存在するルテニウム一g当りの腐食寿命時間を表わした腐食抵抗率であるから、この腐食比寿命が大きいということは、ルテニウム一g当りの電極寿命が長いことを意味し、したがつて、高価なルテニウムの使用量を減少しうることすなわちルテニウムを節約でき、経済的に有利であることを意味するところ、本願発明の組成範囲内にあるCX1―T32は五・〇h/gRu、CX1―T78は四・九h/gRu、CX1―T82は七・〇h/gRu、CX5―T37は五・六h/gRu、CX9―T43は三・九h/gRu、CX10―T41は三・八h/gRuであるのに対し、引用例記載の組成範囲内にあるICI4はすべて二・四h/gRuないし三・九h/gRuに含まれ(三・九h/gRuのものはICI4―V493)、CX11―T40は三・九h/gRu、CX12―T53は五・八h/gRuである。したがつて、本願発明の組成範囲内の電極のうちCX1―T82は、引用例記載の組成範囲内のすべての電極より腐食比寿命が大きく、また、CX1―T32、CX1―T78、CX5―T37は、引用例記載の組成範囲内の電極のうちCX12―T53以外の電極すなわちICI4のすべて及びCX11―T40より腐食比寿命が大きいが、CX9―T43、CX10―T41は、引用例記載の組成範囲内の電極のうちCX11―T40、CX12―T53、ICI4―V493と腐食比寿命が同じか、それらよりも小さい。
(2) 次に、電解電極においては、塩素過電圧が小さく酸素過電圧が大きいことが電極の具備すべき好ましい要件の一つとされるが、⊿Vが大きいことは、両者の電圧差が大きいことを意味し、副次作用による酸素発生を抑え塩素を効率よく生産でき、塩素生産効率性を高めることを意味すると解されるところ、陽極電圧二五〇〇A/m2において塩素過電圧と酸素過電圧の差⊿Vは、本願発明の組成範囲内にあるCX1―T32は四四〇mV、CX1―T78は四二〇mV、CX1―T82は四四〇mV、CX5―T37は四五〇mV、CX9―T43は三六〇mV、CX10―T41は三八〇mVあるのに対し、引用例記載の組成範囲内のICI4―T64Cは三八〇mV、ICI4―V512は三六〇mV、ICI4―V532、ICI4―V535、ICI4―V493はいずれも四〇〇mV、CX11―T40は三九〇mV、CX12―T53は三八〇mVである。したがつて、本願発明の組成範囲内の電極のうちCX1―T32、CX1―T78、CX1―T82、CX5―T37は引用例記載の組成範囲内のすべての電極より⊿Vが大きいが、CX10―T41はICI4―V532、ICI4―V535、ICI4―V493、CX11―T40より⊿Vが小さく、CX9―T43はICI4―V512を除く引用例記載の組成範囲内のすべての電極より⊿Vが小さい。
(3) この実験結果を総合的に考察すると、本願発明の組成範囲内のうち、CX1―32、CX1―T78、CX1―T82、CX5―T37は、引用例記載の組成範囲内の電極よりも総合的に優れた特性をもち、ルテニウムの有効利用性、塩素生産効率性の点で優れた作用効果を奏するということができる。
しかしながら、本願発明の組成範囲内の電極であるCX9―T43、CX10―T41は、引用例記載の組成範囲内の電極、ことにCX11―T40、CX12―T53と比較した場合、腐食比寿命においてCX9―T43がCX11―T40と同等、⊿VにおいてCX10―T41がCX12―T53と同等である以外は、腐食比寿命、⊿Vとも劣つており、これを総合的に考察すると、CX9―T43、CX10―T41はCX11―T40、CX12―T53よりその作用効果において劣るものであるといわざるをえない。CX9―T43、CX10―T41はチタンモル分率F1をともに二・五とする点において、本願発明の組成範囲の上限に位置するものではあるが、これがその組成範囲に含まれることが明らかである以上、原告の主張する別紙第一表のように、これを除外して引用例記載の電極との作用効果を比較し判断することは許されない。
(四) 原告の主張する実験結果を、本願発明の組成範囲内の電極と引用例記載の組成範囲内の電極とについて比較検討した結果は、前述のとおりであつて、これによれば、本願発明は、引用例記載の組成範囲内の電極よりも作用効果が劣る部分をその組成範囲に包含しているのであつて、すべての組成範囲において顕著な作用効果を奏するものと推認することはできない。したがつて、本願発明は、そのすべてが顕著な作用効果を奏するものということはできないから、審決が、本願発明の被覆成分比の減縮により、その特性が格別向上する領域に限定されるようになつたという事実は見当らないと判断したことに誤りはない。そして、本願発明と引用例記載の電極とはいずれも二酸化チタン、二酸化ルテニウム及び二酸化スズを主成分とする固溶体型被覆層を設けた電極であり、その被覆成分比が近似していることは前記(一)に述べたところから明らかである。
そうであれば、本願発明の電極における被覆成分比を本願発明の領域に限定することには、格別の困難はなく当業者が適宜採択しえたことといえるから、本願発明は引用例記載の電極に基いて当業者が容易に発明をすることができたものとした審決の判断は、正当であり、審決には、原告の主張するような違法はない。
3 よつて、審決の取消を求める原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとする。
〔編註その一〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
導電性基体と、前記基体の表面の少なくとも一部を被覆している
(a) 二酸化チタン
(b) 二酸化ルテニウム
(c) 二酸化スズ
を主成分とする固溶体型被覆層とよりなり、前記TiO2:RuO2+SnO2のモル比が二ないし二・五対一の範囲内であり、前記RuO2+SuO2中のSnO2の量を三五ないし五〇モル%としたことを特徴とする電極。