大判例

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東京高等裁判所 昭和58年(う)1482号 判決

所論は,かりに被告人と本件犯行との結びつきが肯定されるとしても,被告人の所為は傷害致死罪には該当しないとし,犯行当時において被告人が被害者に対し悪感情を持っていたとは考えられず,被告人が刃物を持って被害者に近寄って行ったのも偶然の事由によるものであり,被告人には暴行の故意がなかったこと,本件における被告人の所為は,全くの冗談としてなされたものであり,本来被害者の身体を害する危険性のないものであって,暴行には該当しないこと,以上の諸点を述べ,この点につき,被告人の所為を暴行と認定し,傷害致死罪の成立を認めた原判決は事実を誤認し,法令の適用を誤ったものである,というのである。

そこで,判断を加えると,原判決の掲げる各証拠を総合すればおおむね原判示どおりの事実を認定することができるのであり,原判決が,争点に対する判断の二において,被告人が被害者の胸部を故意に突き刺したものとは認められないが,刃物を至近距離から人体に向けて突き出す行為はそれ自体暴行にあたるものであり,被告人の本件犯行は傷害致死罪に該当することが明らかである旨説示しているのは,結論として相当というべきであるから,原判決に所論のような事実誤認ないし法令適用の誤りがあるということはできない。

右の点につき補足説明すると,先ず,関係各証拠によれば,被告人と本件の被害者小杉とは本件当日原判示の飲食店「寿洛」で客としてたまたま一緒になっただけであり,知合いではなかったこと,右小杉は本件の前夜である12月18日の午後10時ころから右「寿洛」のカウンター席で飲酒していたものであり,被告人は翌19日午前5時30分ころ同店に入り,右小杉の近くの席に腰をかけ酒を飲みはじめたこと,被告人は,同店に入った直後ころ,右小杉の言動が騒々しいと感じたので,同人に対し「うるさいから帰れ」と言ったが,その後は右小杉も静かになり,両者の間に別段の争いは生じなかったこと,同日午前7時40分ころになって,被告人は「寿洛」の店員下條博之との間で包丁の使い方などの話をはじめ,同人がカウンター内で使用していた柳刃包丁を「見せてくれ」と言って手に受けとり,これを見ながら話を続けていたが,間もなく立ち上がって小杉の許に近づき,右包丁の刃先を小杉の胸部付近に近づけて二度ほど突き刺すような真似をしたこと,右小杉はそのようにされてもただ苦笑いしているだけであったが,被告人はさらにもう一度右包丁の刃先を小杉の胸部付近に突き出したところ,その刃先が小杉の胸部に突き刺さって出血するに至ったこと,これに驚いた被告人や下條らが応急手当をしたうえ,小杉をタクシーで病院に運び込むなどしたが,小杉はその途中において原判示のとおり死亡したこと,小杉の死因は心臓刺創による失血死であり,同人の前胸部から心臓に達する創道の深さは約四糎ないし五糎であったこと,以上のような諸事実が明らかに認められる。

右の事実関係によって考えれば,被告人が右のように柳刃包丁の刃先を小杉の胸部付近に二度,三度と突き出した時点において,被告人と小杉との間には特に際立った対立関係があったわけではなく,被告人が真に小杉を突き刺そうとする意思を有していたとは認め難いというべきであるが,被告人は,前記のように,小杉の言動を騒々しいと感じたことがあり,そのため同人に対しある程度の悪感情を抱いていて,冗談半分ではあるが半ば脅しの気持もあり,前記のように包丁の刃先を二,三度突き出したところ,三度目に手加減が狂いその刃先が小杉の胸部に突き刺さり,同人を死亡するに至らしめたものと認められるのである。

ところで,他人に対し暴行の意思で暴行を加え,その結果他人に傷害を負わせ死亡するに至らしめた場合,傷害致死罪の罪責を負うべきことは当然であるが,右の暴行とは人の身体に対する有形力の行使をいうものであるところ,その有形力の行使には,物理的な力を人の身体に直接加える場合だけでなく,人の身体を侵害し苦痛を与える危険性の高い有形力を人の身体の直近において行使する場合も含まれると解されるのであり,本件における被告人の所為のように,鋭利な柳刃包丁の刃先を人の胸部付近に近づけ二度,三度と突き出す行為も有形力の行使であって前記の暴行に該当するものといわなければならない(この点については,東京高裁昭和25年6月10日判決・高刑集3巻2号222頁,最高裁同39年1月28日決定・刑集18巻1号31頁,東京高裁同43年12月19日判決・判例タイムズ235号277頁等の各判例参照。)。そして,被告人は,前記のように,冗談半分ではあるが半ば脅しの気持もあって,全くの他人である小杉に対し柳刃包丁の刃先を二,三度突き出したものであるから,右に述べた有形力の行使をすることの認識があったものとみるべきことは当然であり,被告人に暴行の意思があったことも明らかである。

このようにして,被告人は小杉に対し暴行の意思で暴行を加え,その結果同人に心臓刺創の傷害を負わせ,それに基づく失血死により死亡するに至らしめたものであるから,傷害致死罪の罪責を負うべきことは明らかといわなければならない。被告人の所為は全くの冗談としてなされたものであり危険性がなく暴行には当らないとの所論は採用することができない。

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