東京高等裁判所 昭和58年(ネ)1686号 判決
主文
一 原判決主文第一項を取り消す。
二 被控訴人らの本件各仮処分申請を却下する。
三 控訴人のその余の本件控訴を棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。
五 この判決は、第一項につき、仮に執行することができる。
事実
(当事者の求めた裁判)
第一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 控訴人が被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員の地位にあることを仮に定める。
3 被控訴人早瀬義寛(以下「被控訴人早瀬」という。)は、控訴人が被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員としてなす業務の執行を妨害してはならない。
4 被控訴人らの本件各仮処分申請を却下する。
5 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
との判決を求める。
第二 被控訴人ら
「本件控訴を棄却する。」との判決を求める。
(当事者の主張)
第一当事者間に争いがない前提事実
一当事者の関係等
1 申請外日蓮正宗は、宗教法人法によつて設立された包括宗教法人であつて、同法一二条一項の規定にいう規則としては日蓮正宗宗制(以下「宗制」という。)があり、また、宗教団体(宗派)としての日蓮正宗(宗教法人としての日蓮正宗を以下「宗教法人日蓮正宗」といい、宗派としての日蓮正宗を以下「日蓮正宗」という。)の自治規範としては日蓮正宗宗規(以下「宗規」という。)がある。宗制によれば、「この法人(宗教法人日蓮正宗)は、宗祖日蓮立教開宗の本義たる弘安二年の戒壇の本尊を信仰の主体とし、法華経及び宗祖遺文を所依の経典として、宗祖より付法所伝の教義をひろめ、儀式行事を行ない、広宣流布のため信者を教化育成し、寺院及び教会を包括し、その他この宗派の目的を達成するための業務及び事業を行なうことを目的とする。」(三条)ものとしている。また、宗規によれば、日蓮正宗は、「宗祖所顕の本門戒壇の大漫荼羅を帰命依止の本尊」(三条)とし、「大漫荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の人日興上人を僧宝とする」(四条二項)ものとして、その総本山を静岡県富士宮市上条二〇五七番地所在の大石寺とするものとしている。
そして、宗制宗規の規定によれば、宗教法人日蓮正宗の代表者としては代表役員が置かれているところ、代表役員は宗規の規定による日蓮正宗の管長の職にある者をもつて充てるものとされ(宗制六条一項)、管長は法王の職にある者をもつて充てるものとされ(宗規一三条二項)、法主は宗祖以来の唯授一人の血脈を相承するものとされている(宗規一四条一項)。すなわち、法主は、宗祖以来の血脈を相承する者とされ、当然に日蓮正宗の管長の地位に就いて、一宗を総理する(宗規一三条)とともに、宗教法人日蓮正宗の代表役員となつて、宗教法人日蓮正宗を代表し及びその事務を総理し(宗制八条)、また、責任役員会の一員を構成する(宗制五条、九条)。そして、管長は、責任役員会の議決に基づき、宗制宗規所定の手続に従つて、日蓮正宗の法規の制定、改廃及び公布、訓諭、令達の公布、教義に関する正否の採決、住職の任免、僧侶、檀徒、信徒に対する懲戒等を行う権限を有するものとされている(宗規一五条)。
さらに、宗規一七条は、「本宗の宗務は、この法人(宗教法人日蓮正宗)の責任役員が、その会議である役員会で議決する。」と定め、また、同一八条は、「本宗の宗務は、前条の議決に基づき、総監の指揮監督により、宗務院で行なう。」と定めている。
そして、細井日蓮は昭和五四年七月二二日まで第六六代法主(管長、宗教法人日蓮正宗代表役員)の職にあつたが、同人は右同日に死亡し、これに伴つて、阿部日顕は、第六七代法主(管長、宗教法人日蓮正宗代表役員)に就任したものとして、それ以来法主(管長、宗教法人日蓮正宗代表役員)としての権限を行使している(以下において「管長阿部日顕」という場合も、右のような意味においてである。)。
2 被控訴人妙真寺は、宗教法人法による宗教法人であつて、宗教法人日蓮正宗の被包括宗教法人のひとつであり、また、宗教団体としての妙真寺(宗教団体としての妙真寺を以下単に「妙真寺」という。)は、日蓮正宗の宗派に属する大石寺の末寺のひとつである。そして、被控訴人妙真寺には、その役員として責任委員会を構成する六人の責任役員が置かれ、そのうち一人を代表役員とするものとしている(宗教法人妙真寺規則六条)ところ、宗制宗規によれば、宗教法人日蓮正宗の被包括宗教法人たる寺院の代表役員は宗規で定めるところによつて当該寺院の住職をもつて充てるものとし(宗制四三条一項)、末寺たる寺院の住職は日蓮正宗の教師(僧階一三級権訓導以上に叙任された者)の資格を有する僧侶のうちから管長が任命するものとし(宗規一七二条)、これに対応して、宗教法人妙真寺規則も、宗教法人としての被控訴人妙真寺の代表役員は宗制宗規によつて妙真寺の住職の職にある者をもつて充てる旨を重ねて定めている(八条一項)。
3 控訴人は、昭和三二年に日蓮正宗の僧侶となり、昭和四三年教師に任命されるとともに総本山大石寺塔頭典礼院の住職に任命され、昭和五四年一月に管長細井日達によつて妙真寺の住職に任命され、これによつて被控訴人妙真寺の責任役員及び代表役員に就任した者であり、現に被控訴人妙真寺が所有し妙真寺の境内建物であつて住職が宗教活動をするための施設である原判決添付の物件目録記載の各建物(以下「本件建物」という。)を占有している。
そして、後にみるとおり、管長阿部日顕は、昭和五五年九月二四日、控訴人に対して妙真寺の住職を罷免する旨の処分をしたのであるが、被控訴人早瀬は、管長阿部日顕によつて控訴人の後任として同月二五日妙真寺の住職に任命された者であつて、被控訴人妙真寺の代表役員として宗教法人登記簿に登記されている。
4 創価学会は、昭和五年に初代会長牧口常三郎が創立した日蓮正宗の在家信者を構成員とする創価教育学会をもつて創始とし、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮聖人を末法の御本尊と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置されている弘安二年一〇月一二日の本門戒壇の大本尊を根本として、日蓮正宗を外護し、弘教及び儀式を行い、会員の深化、確立を図ることによつて、日蓮聖人の仏法を広宣流布し、もつてそれを基調とする世界平和の実現及び人類文化の向上に貢献することを目的とするものとして、昭和二七年九月に宗教法人として設立されたものであつて、二代会長戸田城聖を経て、昭和三五年五月三日に池田大作が第三代会長に就任した。
二いわゆる創価学会問題と正信覚醒運動
1 ところで、昭和五二年頃に至つて、創価学会、特にその会長池田大作の言動には日蓮正宗の教義からの逸脱、謗法がみられ、本来日蓮正宗を外護すべき立場にあるのにこれを軽視する風潮がみられるとの指摘が管長細井日達や一部の僧侶からなされ、各種出版物においても創価学会が信徒団体としての域を超えているとしてこれを非難する僧侶らの論稿等が登載されるなどして、いわゆる「創価学会問題」が発生し、日蓮正宗と創価学会との組織的対立が表面化した。そして、それが当時の管長や宗務院の支持に基づくものであつたか否か又はそれが日蓮正宗としての確立した方針であつたか否かはともかくとして、日蓮正宗の末寺の僧侶の一部(それがどの程度一般的であつたか否かはともかく)は、創価学会会員に働きかけて同会を脱会させ、脱会者を末寺の檀徒として組織するなどの行動をしたり、講の席上等において創価学会を謗法の団体であるとして批判し又は機関紙として「継命」を発刊して同旨の論稿を登場するなどして創価学会への継続的な批判を行うようになり、これらの活動を「正信覚醒運動」と名付けて、これを広く展開していこうとした。
2 控訴人は、正信覚醒運動を積極的に推進してきた僧侶の中で中心的役割を果たしてきた一人であつたが、右運動を推進するため、志を同じくする僧侶らとともに、昭和五三年八月二六、二七両日、昭和五四年一月二七、二八両日、同年八月二五、二六両日及び昭和五五年一月二六、二七両日の第一回から第四回にわたつて、全国の日蓮正宗の僧侶や創価学会を脱会した檀信徒に呼び掛けて、多数の僧侶、檀信徒の参加の下に総本山大石寺において「全国檀徒大会」を開催し、そこで創価学会批判を行うなどした。
3 この間、日蓮正宗側は、昭和五三年六月一八日創価学会に対して教義の逸脱等に関する公開質問状を送付し、創価学会は、これに対する回答を「教学の基本問題について」として同月三〇日付の創価学会の機関紙である聖教新聞に登載し、同年一一月七日には創価学会の代表幹部多数が大石寺に参集して、そこで被控訴人らの主張するように過去の非を認めてその是正を誓約したようなことがあつたか否かはともかく、管長細井日達らと面会し、さらに、池田大作は、昭和五四年四月二四日、創価学会会長の職を北条浩に譲つて自らは名誉会長に就任し、同時に日蓮正宗の檀信徒の代表たる法華講総講頭の職も辞することになつた。
三第五回檀徒大会の開催と控訴人に対する罷免処分等
1 管長阿部日顕は、少なくとも以上のような経過の後は、創価学会は過去の教義上の逸脱等を反省しその是正を誓約しているものとの前提に立つて、いわゆる僧俗和合協調路線を採るようになつたが、他方、控訴人その他の正信覚醒運動を推進してきた僧侶らは、池田大作ら創価学会幹部の反省は十分なものではなく、今後も創価学会批判を行つてその組織改革等を行わせる必要があると考えて、管長阿部日顕らとは異なる立場に立ち、今後もなお正信覚醒運動を継続していく必要があるものとしていた。
2 そして、控訴人を含む十数名の僧侶は、昭和五五年夏にも第五回全国檀徒大会を開催しようとしたが、総本山大石寺で右大会を開催することについては許可が得られそうになかつたところから、東京都千代田区所在の日本武道館において同年八月二四日に第五回全国檀徒大会を開催することを計画した。
ところが、宗務院は、控訴人ら右十数名の各僧侶に対して、同年七月三一日付宗務院院達をもつて、右大会においては創価学会に対する誹謗中傷的言辞は一切とらないこと、これを守ることができないか又はできないことが予想される場合には右大会の開催を中止すべきことを命じ、また、同年八月一一日付宗務院院達をもつて、右大会の開催は管長の指南に違背するものと認められるとしてその全面的中止を命じ、併せて右命令に違背した場合には相当の処置を採る旨を予告し、さらに、同月一九日付宗務院院達をもつて、重ねて右大会の中止を命じるとともに、大会後に予定されているデモ行進についても日蓮正宗宗徒にあるまじき行為であるとしてその中止を命じた(これらの中止命令を一括して以下「本件中止命令」という。)。
3 しかし、控訴人を含む十数名の僧侶は、予定どおり同月二四日右武道館において第五回全国檀徒大会を主催者として開催し、僧侶約一八〇名、檀徒約一三、〇〇〇名が参集して、控訴人において正信覚醒運動の今後の活動方針と創価学会に対する改革案の提示をしたほか、正信覚醒運動についての現況報告、講演等が行われ、池田大作が創価学会の実質的支配を止めることを求めるなどを内容とした大会決議の提案等がなされた。
4 ところで、宗規二四八条二号は、「正当の理由なくして宗務院の命令に従わない者」は住職を罷免すると定めているところ、管長阿部日顕は、同年九月二四日付宣告書をもつて、控訴人に対し、控訴人が正当な理由なくして本件中止命令に従わず、第五回全国檀ママ大会を主催し、かつ、積極的に右大会を運営したことを理由として、妙真寺住職を罷免する旨の処分(以下「本件罷免処分」という。)をし、また、同月二五日、被控訴人早瀬を控訴人の後任として妙真寺の住職に任命した。
さらに、宗規二四九条は、「住職または主管の交替の際、赴任を妨害し、または寺院若しくは教会の財産の引き継ぎをしない者」は擯斥に処すると定めているところ、管長阿部日顕は、控訴人に右事由があるものとして、同月三〇日付宣告書をもつて、控訴人を擯斥する旨の処分(以下「本件擯斥処分」という。)をした。
第二控訴人の主張(第一事件申請の理由・第二事件申請の理由に対する認否)
一本件中止命令の無効
本件中止命令は次のとおり無効であり、それへの違背を理由としてされた本件罷免処分も無効である。
1 本件中止命令は、第五回全国檀徒大会とその後のデモ行進を主催しようとした控訴人の憲法二一条一項で保障された集会、結社その他の表現の自由を抑圧、侵害することを目的とするものであつて、同条に違反し又は公序良俗に反するものであつて、無効である。
宗規二一三条は、「教師は、経典の注釈書または教義に関する著述をすることができる。但し、この場合は宗務院の許可を受けなければならない。また、定期の出版物は、宗務院に届出るものとする。」と定めて、教義、経典に関しては表現の自由に一定の制限を課しており、宗教団体内部においてその限度で表現の自由が制約されるのはやむをえないけれども、それ以外の事項についての表現の自由はなんら制限されていないし制限さるべき理由もない。そして、控訴人を含む僧侶らが計画した第五回全国檀徒大会の開催及びその後のデモ行進は、仮にそれが宗教団体としての日蓮正宗の活動の一部に当たるものであるとしても、専ら宗教団体の運営に関することであつて、教義、経典に係るものではなく、また、宗教団体がその構成員に対してなんらかの統制権を行使しうるとしても、それは必要最小限度にとどめられるべきものであるから、いずれにしても控訴人が右檀徒大会を開催するのを制限さるべき理由はない。
したがつて、本件中止命令は、憲法二一条に違反し又は不当に控訴人の自由権を侵害するものとして公序良俗に反することが明らかである。
2 そして、右のような大会を開催することは、基本的人権として憲法により保障されているところであつて、宗制宗規によつてはじめて認められた権利ではないばかりか、宗制宗規の規定によれば、教師資格を有する日蓮正宗の僧侶は、布教権並びに宗会及び監正会の選挙人資格及び被選挙人資格を有し、檀信徒に対する処分権を有するものとされているのであるから、その前提として若しくはこれに随伴して又はこれらの権利の行使として、当然に日蓮正宗の運営等に関して自己の見解を表明する権利を有し、そのような見解を表明するための集会等を開催する権利を保障されているものというべきであつて、これを制限するためには前掲宗規二一三条の規定のような宗制宗規上の明文の規定を必要とするものと解すべきところ、宗制宗規の規定上、宗務院、責任役員会、管長等が僧侶の右の権利を制限できることを定めた根拠規定はない。
したがつて、宗務院がした本件中止命令は、その根拠規定を欠くものとして無効である。
なお、被控訴人らは、本件中止命令は法主が教導権の発動として宗務院院達の形式を持つてしたものであると主張するけれども、法主は、宗制宗規上、「本尊を書写し、日号、上人号、院号、阿闍梨号を授与する」(宗規一四条一号)権限と次期法主を選定する権限(宗規一四条二号)を有するとされているにとどまり、被控訴人らの主張するような教導権その他の権限を有するものとはされていない。
3 さらに、仮に宗務院が本件中止命令を発する権限を有するとしても、宗務院は、前記のとおり、責任役員会の議決に基づき、日蓮正宗の宗務を行うものとされているのであるから、本件中止命令を発するについても、当然責任役員会の議決を必要とするものであつたところ、本件中止命令は、責任役員会の議決を経ることなく発せられたものであつて、無効である。
4 控訴人は、前記のとおり、正信覚醒運動を推進する趣旨で開催された第一回ないし第四回全国檀徒大会の開催に主催者の一員として関与してきたが、これらの大会は、管長及び宗務院の支持、支援の下に行われたものであつて、第一、二回大会には細井日達が、第三、四回大会には阿部日顕が、それぞれ法主として出席し指南を行つている。
そして、控訴人は、このように恒例化していた第一回ないし第四回大会と同様の趣旨で第五回全国檀徒大会を開催しようとしていたのであるから、管長阿部日顕又は宗務院においてこれに対して異を唱えるのであれば、宗内の僧侶や檀信徒にその説明を行い、控訴人その他の主催者の意見を十分聴取した上で、その中止を命じるか否かを決すべきところである。
しかるに、管長阿部日顕又は宗務院は、第五回全国檀徒大会の開催計画があることを知るや、事前に控訴人その他の主催者の意見を聞いたり説明することもなく、従前の態度を一変して本件中止命令を発したものである。
これらの事情に鑑みると、本件中止命令は、命令権を濫用して発されたものというべきであつて、無効である。
二本件罷免処分の手続的瑕疵等
本件罷免処分は、その手続に瑕疵があつて無効であり、また、監正会によつて無効の裁決がされたからこれによつて失効した。
1 日蓮正宗においては、懲戒処分を行おうとするときには、被処分者に弁疎の機会を与えるべきことが確立した慣行となつていたのであつて、現に宗規二三〇条二項は、檀信徒に対して懲戒処分を行おうとするときは書面をもつて弁疎の機会を与えなければならないものと定めており、僧侶について懲戒処分を行おうとする場合においても、もとより同様に解すべきところである。
しかるに、本件罷免処分は、控訴人に対してなんらの弁疎の機会を与えることなくなされたものであつて、無効である。
2 宗制三〇条の規定によれば、管長が日蓮正宗の僧侶について懲戒処分をしようとするときには、参議六人で構成される諮問機関たる参議会の決議を経なければならないものとしており、管長は、参議会の決議に反する処分をすることは差し控えなければならないところである。
そして、参議会は、本件罷免処分についても諮問を受け、昭和五五年九月二四日に六名の参議が出席して審議、表決を行つたのであるが、そこでは議長ほか二名の参議が本件罷免処分に賛成し、他の三名の参議がこれに反対したところ、議長は、可否同数であるとして議長において賛成に決することとし、本件罷免処分に賛成する旨の答申を行つた。
しかしながら、宗規九一条は、「参議会の議事は、参議定数(五人以上)の過半数によつて決し、可否同数のときは議長が決する。」としているのであるから、議長は表決には加わわつてはならず、可否同数のときにのみ決済ママ権を有するものと解すべきであつて、そうとすれば、参議会は本件罷免処分については反対の決議をしたものということになり、本件罷免処分は、参議会の決議に反してなされたものであつて、無効である。
3 宗制三二条は、「宗務の執行に関する紛議または懲戒処分につき、異議の申立を調査し、裁決する機関として監正会を置く。」ものと定め、宗規第二章第三節は、その組織、運営、手続等について定めているところ、控訴人は、宗務院が本件中止命令を発し控訴人がこれに違反したとして懲戒処分をしようとし、本件中止命令の当否をめぐつて宗務の執行に関する紛議があつたので、昭和五五年九月一七日、監正会に対して本件中止命令が不当なものであることを主張し、「第五回全国檀徒大会出席を理由として懲戒処分をしてはならない。」旨の裁決の申立をした。
そして、監正会は、同月二五日、控訴人の右申立について審査し、「第五回全国檀徒大会の出席者に対する処分は不当であるから、一切これをしてはならない。」との裁決(以下「本件処分禁止裁決」という。)をした。
本件罷免処分は、本件処分禁止裁決に違反してされたものであるから、無効である。
なお、本件処分禁止裁決をした監正会には予備監正員小谷光道が構成員として関与したことは認めるが、これは、常任監正員光久諦顕が監正会期日に所用のため出席できない旨を通告したところから、宗規二九条二項の規定に従つて採られた措置であつて、なんら違法ではない。また、常任監正員藤川法融については、被控訴人らの主張する事由であつても、それだけでは除斥事由には当たらない。
そのほか、本件処分禁止裁決の裁決手続には、右裁決を無効とすべきような瑕疵はない。
4 控訴人は、同月二八日、申請外渡辺広済及び同下道貫法を代理人として、監正会に対して、控訴人及び控訴人と同一の理由によつて罷免処分を受けた右渡辺広済、申請外佐々木秀明、同荻原昭謙及び同丸山文乗に対する罷免処分が無効であるとの裁決を求める申立をしたところ、監正会は、同月二九日、右申立について審査をし、右各罷免処分が無効である旨の裁決(以下「本件処分無効裁決」という。)をした。
したがつて、本件罷免処分は、本件処分無効裁決によつて失効したものである。
なお、本件処分無効裁決に関与した常任監正員中、岩瀬正山、鈴木譲信及び藤川法融に対して被控訴人ら主張のような懲戒処分がされたことは認めるが、右各懲戒処分は、本件罷免処分と同時になされた一括大量処分の一部であつて、事実無根の懲戒事由に基づくものであるばかりか、監正会の機能を停止させる意図によつてなされたものであつて、明らかに違法、無効のものである。そして、右常任監正員らが懲戒処分の宣告書の交付を受けたのは、本件処分禁止裁決後のことであるから、右監正員らは、右裁決当時にはいずれも監正員の資格を失つていなかつた。
また、本件処分無効裁決をした監正会には常任監正員藤川法融及び予備監正員小谷光道が構成員として関与したことは認めるが、これをもつて右裁決手続に瑕疵があるものとなしえないことは、本件処分禁止裁決の裁決手続についてと同様であり、そのほか、本件処分無効裁決の裁決手続には、右裁決を無効とすべきような瑕疵はない。
5 なお、原判決は、創価学会に対する批判の場として第五回全国檀徒大会の開催を許可するかどうかは、日蓮正宗自身において自治的に決すべき問題であるから、その決定権限を有する機関の決定があつた以上、日蓮正宗に属する僧侶としてこれに従わなければならないのは当然のことであり、国家機関がこれに介入することは許されないところであつて、その当否については裁判所の審判権の及ぶところではない旨を判示するけれども、そうであるとすれば、宗制宗規によつて裁決権限を与えられている監正会が本件処分禁止裁決をしたものである以上、管長は本件処分禁止裁決に反する処分をしてはならず、また、本件処分無効裁決によつて本件罷免処分の無効であることが確定したものというべきであつて、同様の理により、これら裁決の当否については裁判所の審判権は及ばないものとしなければならない。
三管長阿部日顕の処分権限の欠如
宗規によれば、日蓮正宗の僧侶に対する懲戒処分権者は管長とされ(宗規一五条七号)、管長は法主の職にある者をもつて充てるものとされていて(宗規一三条二項)、本件罷免処分は阿部日顕が管長としてしたものであるが、阿部日顕は法主たる地位にはなく、したがつて管長でもなかつたのであるから、本件罷免処分は、処分権者でない者がした処分として、無効である。
すなわち、宗規一四条の規定は、法主の選定手続について、「法主は、必要を認めたときは、能化(権僧正以上の僧侶)のうちから次期の法主を選定することができる。但し、緊急やむを得ない場合は、大僧都のうちから選定することもできる。」(二項)、「法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役及び能化が協議して、第二項に準じて次期法主を選定する。」(三項)と定めているところ、法主であつた細井日達は昭和五四年七月二二日に死亡したが、阿部日顕が右の規定に従つて次期法主として選定された事実は存在しないのであつて、阿部日顕は法主を潜称しているにすぎない。
被控訴人らは、阿部日顕が昭和五三年四月一五日に前法主細井日達から「血脈相承」を受けて次期法主に就任したと主張するけれども、宗規一四条一項の規定が「血脈相承」をいうのは、宗派に属する者は、法主が宗祖以来の唯授一人の血脈を相承している(すなわち、日蓮聖人が悟つた仏法が一器の水を一器に移すごとく変わることなく代々の法主に授けられ、承け継がれている)ものとして、宗派の最高権威者である法主を信仰すべきであることを宣言し、宗派の正統性と教義が宗祖以来不変であることを権威づけるために一つの擬制(ただし、信徒にとつては信仰上の真実である。)をしているにすぎないのであつて、それは信仰者の内面、主観においてのみ判断される信仰上の問題であり、ここで問題となる法規範としての法主の選任準則はなんら関係がない。
そして、阿部日顕が本件罷免処分についての正当な処分権者であることは、被控訴人らにおいて主張、立証責任を負う事項であるところ、被控訴人らは、阿部日顕が前法主細井日達から「血脈相承」を受けて法主に就任したと主張しながら、なんらその事実の立証をせず又は裁判所はその存否について立ち入つて審理、判断すべきではないというのであるから、本件においては、結局、阿部日顕が法主に就任したことの立証がなく、したがつて、本件罷免処分は正当な処分権者によつてなされたものではないものとして処理されるべきである。
四懲戒事由の不存在又は懲戒権の濫用
本件罷免処分は、控訴人には宗規二四七条五号所定の懲戒事由が存在しないのになされたものであるか、又は、懲戒権を濫用してなされたものであつて、無効である。なお、以下の事実に反する被控訴人らの主張は、いずれも否認する。
1 創価学会は、日蓮正宗の一檀信徒団体であつて、その本来の存立の目的は日蓮正宗を外護することにあるにもかかわらず、会長池田大作の下に組織の飛躍的拡大が図られるにつれて、池田大作において許可なく本尊を写書して僧侶でもないのに入仏式を挙行し、在家の身でありながら供養を受けることができるとして信者から供養名下に巨額の金銭を拠出させるなど様々な教義違背、謗法を繰り返し、池田大作を宗祖日蓮聖人と同格の本仏として取り扱わせる(いわゆる「池田本仏論」)などの個人崇拝の風潮を強め、遂には創価学会の日蓮正宗からの独立を構想する幹部さえ現われるに至つて、これを批判した日蓮正宗の僧侶に脅迫等を加えて詫び状を書かせるなどの暴挙さえするようになつた。
このような中で創価学会が昭和五二年一一月一四日に日蓮正宗に対して「僧俗一致の五原則」なるものを提示して、創価学会と日蓮正宗との対等化を図り、創価学会独自の儀式、法要を行うことを日蓮正宗に認めさせ、日蓮正宗から創価学会への批判を封じようとするに及んで、当時の管長細井日達は、日蓮正宗の教義を護持するべく、創価学会に対する批判活動を積極的に行うこととし、ここに管長細井日達及び宗務院当局の指示ないし指導の下に日蓮正宗の正しい信仰のあり方を説く布教活動として正信覚醒運動が展開されるようになつた。
そして、右正信覚醒運動は、日蓮正宗の僧侶の圧倒的な支持を受けて、宗内の大きな潮流として発展、拡大するに至つた。第一回ないし第四回全国檀徒大会は、右運動の一環として開催されたものであつて、第一、二回大会においては管長細井日達がこれに出席して指南をし、第三、四回大会においては阿部日顕が管長としてこれに出席して指南をしており、日蓮正宗内において右運動の正当性が疑われたことはなかつたし、その正当性を否定しようがない性質のものであつたのである。
また、控訴人及び控訴人と同様の立場に立つ僧侶らは、昭和五五年六月に施行された宗会議員の選挙においては、創価学会問題の追及、日蓮正宗と創価学会との恒久的正常化の実現、宗風の刷新等を唱えて一六名の僧侶を立候補させ、宗内有権者僧侶の三分の二の支持を得て、定数一六名中一〇名を当選させるに至り、今後宗制宗規の規定に従つて臨時宗会を開催して日蓮正宗と創価学会との恒久的正常化の実現等に関する議案を提案し、宗務院にその執行を求めようと計画していたのであつた。
2 控訴人は、以上のように既に恒例化していた第一回ないし第四回大会と同一の趣旨、目的の下に、日蓮正宗の僧侶約六四〇名中の四三〇名を超える僧侶の支持に基づいて第五回全国檀徒大会を開催しようとしたのであつて、それは日蓮正宗の僧侶、住職としての本来の職責に対する自覚と良心に発したものであり、その目的においても純粋に日蓮正宗のためを思う赤誠の現われにほかならないのであつて、そこには一片の私心も存しない。
そして、実際にも、第五回全国檀徒大会においては、日蓮正宗の信者としての信仰の持ち方に関する発言、日蓮正宗の信徒団体である創価学会の組織上の改革に関する意見表明等が行われたにすぎず、右大会への参集者も専ら日蓮正宗の僧侶及び檀信徒に限られていて、極めて平和的に集会が持たれたのであり、右大会の開催は、その目的、態様、方法等において社会的相当性を持つたものであつたばかりか、日蓮正宗の僧侶の行動としては真に正当なものであつたのである。
3 このように、控訴人が主催者の一人として計画し開催した第五回全国檀徒大会は、日蓮正宗の教義に適うものでこそあれ、なんら日蓮正宗に損害を及ぼすものではなかつたにもかかわらず、管長阿部日顕は、創価学会の画策と懐柔とを受けるや、正当な布教活動である正信覚醒運動を禁圧し、創価学会の改革等に関する僧侶の正当な意見表明を抑圧する目的をもつて、右大会を開催したことを口実として正信覚醒運動を宗外に放逐しようとし、宗内の僧侶の三分の一にも当たる二〇一名に対する大量処分の一環として、控訴人に対して本件罷免処分をするに至つたものである。そのほか、管長阿部日顕は、正信覚醒運動に参加していた前記一〇名の宗会議員全員に対して停権処分をして、宗会議員の資格を喪失させ、更に正信覚醒運動の追放を徹底させるため、昭和五七年には右運動に携わつた僧侶一八〇名を同人らが阿部日顕に対して代表役員・管長地位不存在確認訴訟を提起したのを口実として擯斥処分にしているのである。
4 このように、控訴人が本件中止命令に従わなかつたことには正当な理由があり、宗規二四八条二号所定の懲戒事由に該当するものではないから、本件罷免処分は、懲戒事由が存在しないのに行われたものとして無効であり、仮にそうではないとしても、控訴人の住職たる地位ばかりでなく、社会的名誉及び生活権をも侵害する過酷なものであつて、右のような軽微で形式的な命令違反行為に対する懲戒としては著しく均衡を失し、懲戒権の濫用に当たるものとして、無効である。
五保全の必要性
1 以上のとおり本件罷免処分及びこれを前提としてなされた本件擯斥処分はいずれも無効であつて、控訴人は、現在なお妙真寺の住職たる地位並びに被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員たる地位にあり、妙真寺の境内建物である本件建物を占有して、被控訴人早瀬の妨害を受けることなく、その業務の執行に携わる権利を有するものであり、控訴人がこれらの地位にあるにもかかわらず、重ねてなされた被控訴人早瀬の妙真寺住職への任命こそが無効である。
そして、控訴人は、妙真寺所属の八〇〇世帯の檀信徒から信望を得て、妙真寺の住職、被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員としての業務を行うことをこれら檀信徒から強く切望され、現に多数の檀信徒の参集の下に各種の法要・儀式を盛大に営んでいるところである。また、控訴人は、本件建物に妻及び三人の子とともに居住し、右業務に従事することによつて生計を維持しているものである。
2 控訴人は、被控訴人らに対して妙真寺の代表役員の地位確認等を求める訴訟を提起し現在係争中であるが、仮処分によつて被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員としての控訴人の地位とその業務の執行を保全しておかなければ、妙真寺の檀信徒らに大混乱を来たすことになり、また、控訴人及びその家族の生計が維持できなくなるなど、回復し難い損害を被ることになる。
3 なお、第二事件についての保全の必要性に関する被控訴人らの主張については、これを争う。
六結論
1 よつて、控訴人は、控訴人が被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員の地位にあることを仮に定め、被控訴人早瀬が控訴人が被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員としてする業務の執行を妨害してはならない旨の仮処分を求める。
2 また、被控訴人早瀬は、被控訴人妙真寺の代表役員たる地位にはなく、控訴人は、妙真寺の住職並びに被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員として本件建物を占有する権利を有するのであるから、被控訴人らの本件各仮処分申請は、その被保全権利を欠くものであつて、いずれも理由がないから、却下さるべきである。
第三被控訴人らの主張(第二事件申請の理由・第一事件申件申請の理由に対する認否)
一本件罷免処分は、以下に述べるとおりいずれも適法かつ有効であり、控訴人は、これによつて妙真寺の住職たる地位並びに被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員たる地位を喪失し、被控訴人早瀬こそが現に右各職にあるものである。
二本件中止命令について
1 控訴人の第二の一の1及び2の主張は、いずれも失当である。
団体の構成員は、構成員としての立場上、当該団体の目的、理念、基本方針に反する言論、集会等の自由を制限されるのは当然のことであつて、このことは、成文の規定の存否にかかわらないことである。
そればかりか、正信覚醒運動あるいはその一環としての第五回全国檀徒大会の開催は、創価学会の教義逸脱の程度、これに対する是正方法の如何等の教義の解釈を離れては決しえないことであり、教義の解釈適用を含む日蓮正宗の運営の根本にかかわる重大な事項に関するのであつて、宗教団体がこのような事項について構成員に統制権を行使することができることは明らかである。また、宗制宗規の規定中には僧侶に日蓮正宗の運営に関する見解を表明する権利を付与したような規定はないし、慣行上も僧侶にそのような権利が保障されてはいない。
2 数ある宗教団体の中でも特に教義、信仰の統一を厳正に保持してきた日蓮正宗にあつては、教義の解釈、檀信徒の教化・育成、信仰の在り方についての決定権(以下「教導権」という。)は、法主の専権に属するものとされてきたのであつて、それが同宗の七百年来の伝統であり不文の準則である。そして、法主は、この教導権を発動するに際し、内容についてはもとより、それを宗内に周知する方法についても、訓諭・宗務院命令(院達)・指南・指導などその裁量によつて適宜の方法を採ることができるものとされてきた。
法主阿部日顕は、本件中止命令については、僧俗和合の基本方針を徹底し宗内の秩序維持を図る必要があるところから宗務院院達の形式によることとし、総監に対して命令の内容及び形式を指示し、総監の指揮監督の下に宗務院において院達の形式をもつて文書作成の上、宗務院の名をもつて発令したものである。
3 このように本件中止命令は法主の教導権の発動としてされたものであり、宗規一七条及び一八条の規定は法人事務に関する規定であつて、宗教事務、なかんつく教義・信仰に関する事項については適用がないのであるから、責任役員会の議決がないことをもつて本件中止命令の瑕疵とすることはできない。
仮に右のように解することができないとしても、当時の責任役員会の構成員の全員は、それぞれ本件中止命令がなされることを熟知し賛同していたのであるから、本件中止命令の効力にはなんらの消長を来たさないものというべきである。
4 控訴人の主張する第二の一の4の事実中、第一、二回全国檀徒大会においては管長細井日達が、第三、四回全国檀徒大会においては管長阿部日顕がそれぞれ出席して指南をしたことは認めるが、その余の事実については争う。
管長細井日達及び阿部日顕や宗務院が全国檀徒大会を支持、支援したようなことはなく、昭和五五年四月頃にはいわゆる僧俗和合協調路線が日蓮正宗の確立した方針となつていたのであつて、本件中止命令は管長阿部日顕が従前の方針を突然変更して発令したというようなものではない。
5 そして、本件中止命令の当否又はそれが命令権を濫用してなされたものであるか否かは、結局、日蓮正宗が創価学会に対していかなる態度を採るのが正当であるかという問題にかかわり、それは、日蓮正宗の教義の解釈適用を離れては論定しえず、日蓮正宗が自治的に決定すべき事柄であつて、裁判所がその内容に立ち入つて実体的に審判すべきことではない。
三本件罷免処分の手続的瑕疵等について
1 本件罷免処分について、控訴人に弁疎の機会が与えられなかつたことは、認める。
しかしながら、僧侶に対する懲戒処分については、檀信徒に対する懲戒処分とは違つて、宗制宗規の規定上、弁疎の機会を与えるべき旨を定めた規定はないし、そのような慣行もない。したがつて、本件罷免処分について控訴人に弁疎の機会が与えられなかつたことにはなんらの違法もなく、また、それで手続的適正を欠くことになるものでもない。
2 参議会が本件罷免処分について諮問を受け、控訴人主張のような議事手続により本件罷免処分に賛成する旨の答申を行つたことは認める。
しかしながら、参議会は単なる諮問機関にすぎないのであつて、その答申にはなんらの拘束力もない。したがつて、参議会の答申に反する懲戒処分も、その効力に欠けるところはないばかりか、本件罷免処分についての参議会の議事手続は、宗規九一条の規定の正当な解釈に従つて行われており、なんらの違法もない。
3 控訴人が監正会に対してその主張のような申立をし、監正会が本件処分禁止裁決をしたことは認める。
しかしながら、監正会は、具体的に特定人若しくは特定事項についてなされた宗務執行処分の効果に関する紛議又は懲戒処分について、申立に基づいて事後的に審査し裁決する機関にすぎないのであるから、懲戒処分の事前差し止めを命じた本件処分禁止裁決は、監正会の権限を超えてなされたものである。
また、本件処分禁止裁決がなされた監正会には、五名の常任監正員中の光久諦顕には宗規二九条二項所定の事由がないにもかかわらず、同人の関与を意図的に排除したうえ予備監正員小谷光道が構成員に加わつているほか、正信覚醒運動及び第五回全国檀徒大会の開催を推進してきた中心人物の一人であつて、宗規三二条の規定により利害関係人として除斥さるべき常任監正員藤川法融が関与していて、その構成には重大な瑕疵がある。
さらに、本件処分禁止裁決の裁決手続には、申立の相手方たる管長及び宗務院への申立があつた旨の通知及び申立書副本の送付の欠如、審理不尽、先例違反等の違法がある。
したがつて、本件処分禁止裁決は無効であつて、これに本件罷免処分の効力が左右されることはない。
4 また、控訴人が本件処分無効裁決がなされたと主張する監正会には、本件処分禁止決定をした監正会におけると同様に、予備監正員小谷光道及び常任監正員藤川法融が構成員として関与しているほか、その構成員となつた常任監正員中、岩瀬正山及び鈴木譲信は、それぞれ昭和五五年九月二四日に停権一年の懲戒処分を受けて同月二六日にその宣告書の交付を受け、また、藤川法融は、同月二四日に降級二級の懲戒処分を受け同月二六日にその宣告書の交付を受けて、宗規一四二条、一三九条の規定によつていずれも監正員の資格を失つていたものである。したがつて、本件処分無効裁決をした監正会は到底適法に成立したものとはいえなママず、いわば私的談合にすぎないのであつて、控訴人の第二の二の4の主張はその前提を欠くものとして失当である。
また、仮に右監正会が適法に成立していたとしても、裁決の申立書及び裁決書には渡辺広済及び下道貫法が控訴人の代理人として裁決の申立をしたものであることの記載はなく、控訴人の委任状が提出された事実もないのであるから、控訴人が裁決の申立をしたものとは認められない(そもそも宗制宗規上裁決の申立について代理を許す規定は存在しない。)。そして、いずれにしても、本件処分無効裁決の裁決手続には、以上のほか、申立の相手方たる管長及び宗務院への申立があつた旨の通知及び申立書副本の送付の欠如、審理不尽等の違法があるのであるから、本件処分無効裁決は無効である。
四管長阿部日顕の処分権限について
1 法主細井日達は、昭和五三年四月一五日、総本山大石寺大奥において、阿部信雄(日顕)に対して血脈を相承し、次期法主として選定した。
そして、法主細井日達は、昭和五四年七月二二日に死亡し、阿部信雄(日顕)が第六七代法主に就任した。
2 このように、日蓮正宗においては、法主の地位の承継は、「血脈相承」、すなわち、法主から法主へと宗祖の血脈を承継する宗教的行為によつて行われるのであつて、それ自体最重要の教義にかかわる事項であり、日蓮正宗の存立の根幹をなすものである。
そして、「血脈相承」をいかなる時期にいかなる方法・形式によつてなすかはひとえに法主の決するところであつて、余人の容喙すべきことではなく、また、その内容は代々の法主しか知りえず、余人には一切秘密とされることが教義上の要請とされているのであつて、このような高度の宗教上の行為は、裁判所の審理、判断になじまず、裁判所の介入が厳しく戒められるところである。
3 以上の点についての控訴人の主張は、日蓮正宗の教義とは相容れない異端の教義である。
五本件罷免処分の正当性について
控訴人は、本件罷免処分が、控訴人には宗規二四七条五号所定の懲戒事由が存在しないのになされたものであるか、懲戒権を濫用してされたものであつて、無効であると主張するけれども、右主張は次のとおりいずれも失当であつて、本件罷免処分は、適法かつ有効である。なお、控訴人の第二の四の主張中、以下の事実に反する部分は、いずれも否認する。
1 創価学会においては、「戦後の奇跡」と呼ばれるほど飛躍的に組織を拡大する中で、確かに教義の解釈等について逸脱や行き過ぎがあり、日蓮正宗を軽視する風潮を生むようなこともあつて、それが昭和五二年頃に至つていわゆる「創価学会問題」として表面化した。そして、日蓮正宗としては、この創価学会問題については、管長及び宗務院主導の下に組織的にこれに対処することを原則とし、かねてから個々の僧侶が独自に創価学会批判をすることを固く禁止してきたところであつた。ところが、控訴人を含む一部の僧侶は、右の原則を無視し、宗務院とのなんらの連携もないままに、正信覚醒運動と称して独自に創価学会攻撃を展開してきたのであつて、右運動は、決して管長や宗務院の指示、指導の下に進められたものではない。
2 そして、確かに紆余曲折はあつたものの、結局、創価学会が昭和五三年六月三〇日に日蓮正宗からの公開質問に対する回答を「教学の基本問題について」として発表し、同年一一月七日には創価学会の代表幹部多数が大石寺に参集して管長細井日達らに対して過去の教義上の逸脱等を認めてその是正を誓い、遂に昭和五四年四月二四日には池田大作が創価学会会長の職及び法華講総講頭の職を辞するに至つて、管長細井日達をはじめとする日蓮正宗当局はこれを了とし、これによつて創価学会問題は収束をみたのであつて、ここにあわゆる僧俗和合強調路線が確立されたのである。その結果、管長細井日達は、同年五月三日、「これまでの経過は水に流して大同団結して宗門の発展ひいては広宣流布に協力すべきである。」と宣言し、以後は僧侶が創価学会を攻撃することを禁止する旨の宗務院院達を再三にわたつて発するなどし、さらには創価学会においても再度檀信徒団体としての域を超えないようにするための組織改正等の方策が講じられるに及んで、正信覚醒運動は完全にその根拠を失つたものである。そして、右の路線は、同年七月二二日に法主に就任した阿部日顕によつてもそのまま踏襲されたのである。
3 しかるに、控訴人を含む一部の僧侶は、日蓮正宗としての確立した右の路線に従わずに正信覚醒運動を更に推進する必要があるとし、創価学会を謗法の団体であると決めつけてその中心的指導者である池田大作を批判し、創価学会会員を同会より脱会させて各寺院所属の檀徒となるように勧めるなど、宗務院院達に違反して創価学会批判を繰り返し、ひいては宗務院及び法主阿部日顕に対してさえ批判の矢を向けるに至つたのである。
なお、法主細井日達が第一、二回全国檀徒大会に出席し、法主阿部日顕が第三、四回檀徒大会に出席して、それぞれ指南をしたことは事実であるが、それは、檀信徒が総本山大石寺に参集した場合の恒例に従つて、檀信徒に対して法話をしたものにすぎず、また、控訴人その他の僧侶は、法主の退席後に創価学会批判等を行つたのであつて、右両法主は、これにはなんら関与してはいない。
4 本件中止命令が発せられたのは、以上のような背景においてであつて、これを無視して開催された第五回全国檀徒大会においては、法主阿部日顕の指南や宗務院の命令を無視して、正信覚醒運動を更に推進し創価学会批判を継続していくべきことが表明されるなどした。したがつて、それは、単なる命令違反というにとどまらず、日蓮正宗の根本的教義に関する法主の指南に対する反逆行為であつて、宗内の秩序維持という観点からのみならず、信仰上からも到底黙過できる性質のものではなかつたのである。
5 以上のとおりであるから、控訴人の所為が宗規二四八条二号所定の懲戒事由に該当することはもとより当然であり、また、本件罷免処分が懲戒権を濫用してされたものではないことは明らかである。
そのうえ、本件罷免処分の当否を判断するためには、以上に述べたような諸点について判断しなければならず、それは教義の解釈ないし信仰上の価値判断を離れてなしうるものではないから、そもそも裁判所における審理・判断の対象とはなりえないものというべきである。
六保全の必要性について
1 以上のとおり、控訴人は既に妙真寺の住職たる地位並びに被控訴人妙真寺の責任役員及び代表役員の地位を喪失したものであり、被控訴人早瀬がこれらの地位に就いているのであるから、被控訴人早瀬は、控訴人から妙真寺の境内建物であつて住職が宗教活動をするための施設である本件建物の明渡しを受け、住職及び代表役員として宗教活動及び法人事務を行うべき立場にある。
そこで、被控訴人らは、昭和五五年九月二五日、控訴人に対して本件建物の明渡しを求めたところ、控訴人は、これを拒否するとともに、現に本件建物を占有して被控訴人早瀬が被控訴人妙真寺の代表役員としての業務を行うのを妨害している。
2 そして、このような現状を継続して礼拝施設を謗法の手に委ねたままにしておくことは、被控訴人らにおいて単に財産管理等を行えないというにとどまらず、本尊の守護、儀式・法要の執行、信者の強化育成等の宗教活動を一切することができず、妙真寺の寺院機能が喪失されて、金銭に代えられない損害を被るものである。
3 他方、被控訴人妙真寺が本件仮処分申請によつて被控訴人妙真寺のみによる使用を求めている本件建物の範囲は、被控訴人妙真寺が宗教活動をするのに不可欠な部分のみであつて、控訴人及びその家族が居住している部分を含まないのであるから、控訴人は、これによつて格別の損害を被るものではない。
4 なお、第一事件についての保全の必要性についての控訴人の主張については、これを争う。
七結論
1 よつて、被控訴人早瀬は、控訴人に対して、被控訴人妙真寺の代表役員としてする業務の執行を妨害してはならない旨の仮処分を、被控訴人妙真寺は、控訴人に対して、控訴人の本件建物に対する占有を解いて東京地方裁判所執行官にその保管を命じること、執行官は本件建物のうち原判決添付の物件目録(二)記載の建物を被控訴人妙真寺に、同(一)及び(三)記載の各建物の各二階部分を控訴人に、同各一階部分を被控訴人妙真寺及び控訴人の双方に使用を許すべき旨の仮処分を求める。
2 また、控訴人が被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員たる地位を喪失したことは明らかであり、控訴人の本件仮処分申請は、被保全権利を欠くものであつて、理由がないから、却下さるべきである。
(証拠関係)<省略>
理由
一宗教団体内部の紛争にかかる本件事案の特異性に鑑み、先ず、裁判所がこの種事案について審理、裁判する権限を有するか否かについて検討する。
1裁判所が法律上の争訟(裁判所法三条一項)に当たるものとして審理、判断することができるのは、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて、かつ、それが法令の適用によつて終局的に解決することができるものに限られることはいうまでもない。
本件第一事件においては、控訴人は、宗教法人法による宗教法人である被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員たる法律上の地位を被保全権利として、被控訴人らに対してその地位保全及び業務執行の妨害禁止の仮処分を求めるものであり、また、本件第二事件においては、被控訴人早瀬は、被控訴人妙真寺の代表役員たる法律上の地位を被保全権利として控訴人に対してその業務執行の妨害禁止の仮処分を、被控訴人妙真寺は、本件建物の所有者として、その明渡請求権を被保全権利として、控訴人に対しその一部明渡断行の仮処分を、それぞれ求めるものである。
そして、宗教法人法一二条一項五号は、宗教法人の代表役員及び責任役員の任免、職務権限等に関する事項を当該宗教法人の規則の必要的規定事項とし、また、同法自体が代表役員及び責任役員の権利義務について定めているのであるから、代表役員及び責任役員たる地位が法律上の地位であることはもとより当然であり、本件建物の明渡請求権ともども、その存否をめぐる紛争が法律上の争訟に当たるものと解することには一応の理由がある。
2ところで、宗教法人法一条一項の規定に照らして明らかなように、宗教法人法による宗教法人は、社会的に実在する宗教団体を全体として体現しその組織及び活動のすべてを法人化するものではなく、「礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営する」という全一体としての宗教団体のうちの経済社会又は市民生活にかかわる側面のみを体現しそれを内実として存立するにすぎないのであり、したがつて、本件における宗教団体(宗派、宗門)としての日蓮正宗と宗教法人日蓮正宗、宗教団体としての妙真寺と宗教法人としての被控訴人妙真寺の関係にみられるように、宗教団体は、宗教法人によつて法人格を取得した後においても、それに包摂され尽くさない全一体として、固有の組織(法主、管長、住職等)と活動(教義、布教、法要儀式に関する事項、僧侶、檀信徒に対する規律維持に関する事項など)を持つて存続するものである(以下においては、宗教団体にかかる事務又は事項を「宗教団体事項」といい、宗教法人にかかる事務又は事項を「宗教法人事項」という。)。
そして、宗教法人法がこのように宗教団体と宗教法人とを分離した趣旨は、憲法二〇条の保障する信数の自由をより全うするため、宗教団体事項については専ら宗教団体の団体自治ないし自律に委ねることとするとマもマに、経済社会又は市民生活にかかわる側面については宗教法人を通じて必要最小限度の規制を行うこととするにあるということができる。
3しかし、以上のように宗教団体と宗教法人とは、表裏一体又は実質と形式という関係にあるというよりは、全一体と構成部分又は目的と手段ともいうべき関係にあつて、前者がより始源的かつ包括的な関係にあるところから、本件事案においても典型的にみられるとおり、宗教団体内部における宗教活動上の地位又は宗教上の主宰者である法主又は住職の地位(それ自体は宗教上の地位であつて、法律上の地位又は法律関係ではなく、その存否をめぐる紛争は法律上の争訟には当たらない。最高裁昭和四四年七月一〇日第一小法廷判決・民集二三巻八号一四二三頁参照。)にある者が当然に宗教法人の代表役員となるものとされ、宗教団体事項としてされた住職に対する罷免処分が当該宗教法人の代表役員の地位喪失事由とされるなど、宗教団体事項として宗教団体によつてされた決定や処分がそのまま宗教法人事項に反映するものとされることが一般的であり、したがつて、また、宗教団体事項をめぐる紛争がそのまま宗教法人事項にかかる法律上の争訟として司法的救済が求められることになることが多いのも事実である。
そして、このような場合にあつては、憲法二〇条のほか、宗教法人法一条二項が「憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従つて、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基いて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない。」と定め、同法八五条一項が「この法律のいかなる規定も、文部大臣、都道府県知事及び裁判所に対し、宗教団体における信仰、規律、慣習等宗教上の事項についていかなる形においても調停し、若しくは干渉する権限を与え、又は宗教上の役職員の任免その他の進退を勧告し、誘導し、若しくはこれに干渉する権限を与えるものと解釈してはならない。」と規定している趣旨に鑑みると、被保全権利又は訴訟上の請求がそれ自体としては宗教法人事項にかかる当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関するものであつて、形式的には法律上の争訟に当たる場合であつても、被保全権利又は訴訟上の請求の発生、変更、消滅等に関する前提事実が専ら宗教団体事項にかかり、そこでの団体自治ないし自律の結果を尊重することがより一層強く要請されるものである以上、当該事実の存否や法的評価について裁判所が審理、判断しうる範囲や方法には自ずから制約があるものというべきであるし、裁判所が発すべき仮処分命令の内容も同様の制限を受けるのは当然であり、さらに、一定の場合には当該紛争の全体を専ら当該宗教団体の自治的措置に委ねるべきものとして、司法裁判権が及ばないものとすべき場合の生じることもやむをえないものというべきである。
4これを具体的にみると、被保全権利又は訴訟上の請求の存否、範囲の前提事実として宗教団体事項として宗教団体によつてされた内部規律等に関する決定や処分の効力についての判断が必要とされる場合においては、原則として当該宗教団体の自律的決定の結果を尊重すべきであつて、裁判所がその決定又は処分内容の適否に立ち入つて直接その実体的審理、判断を施すことは許されないものというべきであり、当該決定又は処分がなされた手続が著しく正義にもとるか、それが全く事実上の根拠に基づかず、あるいはその決定又は処分内容が社会観念上著しく妥当性を欠いていて、国法秩序全体の立場からみて到底看過、容認することができないと認められるような特段の事情があるのでない限り、当該決定又は処分を有効なものとして取扱うべきであつて、宗教団体内部における決定や処分は、以上のような範囲及び方法による限度においてのみ、司法審査に服するものと解するのが相当である。
そして、右のように例外的に宗教団体内部の決定又は処分の司法審査が許される場合においても、裁判所は、宗教上の教義又は信仰に関する事項については一切審判権を持たないのであつて、特に、当該紛争が当該宗教団体内部の決定又は処分に関する争いという形式を採つていても、それに対する判断が教義内容に深くかかわり又はそれをいずれに決するかが当該宗教団体の存立に重大な影響を及ぼすなど、その内実において宗教の本質をなす内面的信仰又はそれと一体不可分の関係にある宗教団体の基本的な運営をめぐる争いにほかならず、当該宗教団体の教義上又はその存立上いずれの主張が正当性を持つかという正統と異端の間の宗教上の争いにほかならないようなときにおいては、裁判所は、当該紛争自体が全体として司法的解決には適せず、法律上の争訟には当たらないものとして、当該訴え又は仮処分申請を却下すべきである。蓋し、このような場合においては、宗教者としては、信仰上の対立闘争と宗教的実践を通じておのずから正邪の歴史的な判定が結果するのを待つべきであつて、安易に国家機関の裁定に依存すべきではないし、また、裁判所としても、先にみたような方法によつて、既成事実をもつて宗教団体の自律的決定の結果であるとし、当該決定又は処分の効力を是認して、実体的審理、判断をすることは、結果として宗教上の対立抗争に介入することにほかならないからである。
二そこで、本件紛争の実相についてみると、本件第一事件の被保全権利たる控訴人の被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員たる地位並びにこれと表裏をなす第二事件の被保全権利たる被控訴人早瀬の被控訴人妙真寺の代表役員たる地位の存否は、いずれも宗教団体(宗派)としての日蓮正宗の管長阿部日顕が宗教団体事項としてした本件罷免処分の効力にかかるものであることは明らかであり、また、本件建物が妙真寺の境内建物であつてその住職が宗教活動をするための施設であることには当事者間に争いがなく、控訴人の占有権限の有無は専ら控訴人が妙真寺の住職たる地位にあるか否かに依拠するのであるから、第二事件の被保全権利たる被控訴人妙真寺の本件建物の明渡請求権の存否も、結局、本件罷免処分の効力の如何にかかるものである。
したがつて、本件における各被保全権利の存否は、一に本件罷免処分の効力の如何にかかるものであるところ、控訴人は、本件罷免処分の無効事由として、本件中止命令の実体的理由及び手続的瑕疵による無効、本件罷免処分の実体的理由及び手続的瑕疵による無効、本件処分無効裁決による本件罷免処分の失効並びに管長阿部日顕の処分権限の欠如を主張するけれども、これらの法律的主張の内実ないし本旨は、要するに、本件紛議の発端となつた第五回全国檀徒大会の開催もその一環であるところの正信覚醒運動こそが、立宗以来七〇〇年にわたつて権力による弾圧にも屈せず、「謗法厳誠」を宗是として教義の純粋性を保持してきた日蓮正宗の正統の立場であつて、創価学会の教義逸脱を看過したまま僧俗和合協調をいう管長阿部日顕や宗務院の立場は、創価学会<編注・?日蓮正宗>の宗旨を放棄するものにほかならならないとし、「時の貫主(法主)たりといえども仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」との二祖日興上人の遺誠(日興遺誠置文)中の一文を根拠として、法主にも間違いが起こりうるから、そのときには、人(法主)によらずに法(教義)に従つて是非正邪を判断し、永劫に日蓮正宗の精神を伝承するのが日蓮正宗の宗派に属する僧侶の採るべき途であるとし、遂には法主阿部日顕の正統性をも否定して、控訴人の所為がなんら規律違背に問擬されるべきものではないことをいうものである。他方、被控訴人らは、控訴人の主張する本件罷免処分の無効事由をことごとく争い、法主の権威の絶対性を背景に、僧俗和合協調路線こそが組織的決定を経た日蓮正宗の確立した方針であるとし、これに従うことなく第五回全国檀徒大会を主催した控訴人こそが異端謗法の徒であると主張するものである。
そして、前記の当事者間に争いがない事実、本件疎明資料及び弁論の全趣旨を総合すると、日蓮正宗の檀信徒の組織としては、創価学会のほかに各寺院毎に組織されている法華講支部及びその連合体としての法華講連合会があるが、創価学会は、昭和二七年九月に宗教法人法による独立した宗教法人となつて全国的に活動を展開するママ及び、その組織の飛躍的拡大を遂げるに至り、現在日本国内に約六、〇〇〇万人、海外約五〇か国に約四〇万人の会員を擁するものとされており、現に日蓮正宗の檀信徒の少なくとも九〇パーセント以上は創価学会の会員が占めているとされていること、この間、創価学会は、全国に合計二四一か寺の寺院や日蓮正宗正本堂をはじめとする総本山の各堂宇を建立して日蓮正宗に寄進するなどしていること、したがつて、最大の檀信徒団体である創価学会に対して日蓮正宗としてどのような方針をとるべきかは、その運営の基本にかかわる根本問題であり、日蓮正宗の存立にも重大な影響を及ぼすものであること、そして、この点についての控訴人の主張に代表される立場と被控訴人らの主張に代表される立場とは、単に本件訴訟における攻撃防禦方法であるというにとどまらないのはもとより、控訴人と被控訴人ら又は一末寺の妙真寺の次元の問題を超えた日蓮正宗の宗派の勢力を全く二分しての熾烈な宗教上の対立抗争を反映するものであつて、本件罷免処分は、管長阿部日顕が日蓮正宗の宗派に属する僧侶約六四〇名中の約二〇〇名の僧侶に対してした懲戒処分のひとつにすぎないし、その後においても、控訴人と立場を同じくする日蓮正宗の僧侶約一八〇名は、昭和五六年一月に宗教法人日蓮正宗及び阿部日顕を被告として阿部日顕が宗教法人日蓮正宗の代表役員等の地位を有しないことの確認を求めて提訴すれば、管長阿部日顕は、右約一八〇名の僧侶に対して濱斥処分をすることをもつて対応し、また、全国各地の約一一〇に及ぶ宗教法人日蓮正宗の被包括宗教法人は、昭和五八年に至つて、それぞれ対応する末寺の住職に対して罷免処分がなされたとして境内建物の明渡しを求める訴えを提起し、右住職らも、各宗教法人等を被告として代表役員等の地位を有することの確認を求める訴えを提起して、いずれもそれぞれ現に係争中であることの各事実を認めることができる。
これらの事実に鑑みれば、控訴人と被控訴人らとの間の本件紛争の実質は、宗内秩序が不動のものとして確立している宗教団体内部における一僧徒の規律違反を理由とする懲戒処分の適否をめぐる紛議でもなければ、被包括宗教法人のひとつにすぎない被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員の地位又は境内建物たる本件建物の明渡請求権の存否をめぐる争いに尽きるものでもなく、僧俗和合協調路線と正信覚醒運動路線という日蓮正宗の宗派を挙げての現に流動中の宗教上の路線論争の一顕現ともいうべきものであつて、そこでは正しく右のいずれの路線を採ることが日蓮正宗の教義に適合するかという日蓮正宗の教義及び運営の基本問題、ひいては法主の選任に関する宗規の規定の解釈問題に名を藉りて法主阿部日顕の正統性を問おうとするものにほかならない。
三以上のとおり、本件各仮処分申請は、宗教法人たる被控訴人妙真寺の代表役員及び責任役員たる地位又は本件建物の明渡請求権を被保全権利とするものであつて、一応当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争という形式をとつているけれども、右各被保全権利の発生、変更、消滅等に関する前提事実は、専ら宗教団体たる日蓮正宗の内部規律に関する決定又は処分の効力の有無にかかるものであり、しかも、右決定又は処分の効力を判断するためには、最大の檀信徒団体である創価学会に対して如何に対処するべきかという日蓮正宗の教義上又はこれと一体不可分の関係をなす宗教団体運営上の基本的問題及び宗内の最高権威者であつて日蓮聖人が悟つた仏法のすべてを承継しているものとして信仰の対象とされるべき法主の選任に関する宗規の規定の解釈問題について判断することを避けることができないところ、これらの問題こそ正しく宗教団体内部の自律的措置に委ねられるべき事項であつて、当該決定又は処分がなされたという既成事実をもつて宗教団体の自律的結果であるとしこれを有効視することによつて結果的にいずれかに左袒することをも含めて、国家機関としての裁判所がこれに介入することを厳に戒められるべきところであり、そのうえ、そもそも本件紛争自体が、その実質においては右のような宗教団体内部の基本問題をめぐつての正統と異端との間の宗教上の争いにほかならないと認められるのであるから、全体として司法的解決には適しないものであつて、結局、裁判所法三条一項の規定にいう法律上の争訟には当たらないものというべきであり、控訴人及び被控訴人らの本件各仮処分申請は、いずれも不適法として却下すべきものと解するのが相当である。
四そうすると、原判決中被控訴人らの本件各仮処分申請を認容した部分は失当というべきであるから、これを取り消して、右各仮処分申請を却下することとし、控訴人のその余の控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法九六条、八九条、九二条及び九三条の各規定を、仮執行の宣言については同法一九六条及び七五六条の二の各規定をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(西山俊彦 越山安久 村上敬一)