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東京高等裁判所 昭和58年(ネ)1709号 判決 1984年9月25日

主文

(甲事件)

一  原判決を取り消す。

二  第一審原告の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。

(乙事件)

一 本件控訴を棄却する。

二 控訴費用は、第一審原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める判決

一  第一審被告藤村晃

甲事件の主文同旨

二  第一審原告

1  甲事件

本件控訴を棄却する。

2  乙事件

(一) 原判決を取り消す。

(二) 第一審原告に対し、第一審被告須田公三は別紙物件目録記載一ないし六の土地の、第一審被告松本妙子は同目録記載七の土地の、第一審被告三戸岡秋男は同目録記載八の土地の、第一審被告小山田宗男は同目録記載九の土地の各所有権の三分の一につき、真正なる登記名義の回復を原因とする所有権一部移転登記手続をせよ。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告ら(藤村晃を除く。)の負担とする。

三  第一審被告須田公三、同松本妙子、同三戸岡秋男、同小山田宗男

乙事件の主文第一項同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  第一審原告は、亡須田勇太郎(以下「亡勇太郎」という。)の三男、第一審被告須田公三(以下「第一審被告公三」という。)は亡勇太郎の長男亡須田伸治郎(以下「亡伸治郎」という。)の二男である。

2  亡勇太郎は別紙物件目録記載一ないし一〇の土地(以下これを総称して「本件遺産」という。)を所有していた。

3  亡勇太郎は昭和二六年四月一〇日死亡して相続が開始したが、相続人は長男亡伸治郎、三男第一審原告、三女亡小森たきの三名であつた。

4  したがつて、第一審原告は、本件遺産につき法定相続分である三分の一の共有持分を有している。

5  しかるに、第一審被告公三は、本件遺産につき千葉法務局流山出張所昭和四九年五月二三日受付第六〇七〇号をもつて昭和二六年四月一〇日亡伸治郎相続、昭和四九年一月二〇日相続を原因とする所有権移転登記をし、次いで、第一審被告松本妙子は、同別紙物件目録記載七の土地につき同出張所昭和五三年三月二日受付第二八一九号をもつて売買を原因とする所有権移転登記を、第一審被告三戸岡秋男は、同目録記載八の土地につき同出張所同日受付第二八二三号をもつて売買を原因とする所有権移転登記を、第一審被告藤村晃は、同目録記載九の土地につき同出張所同年同月一六日受付第三六〇三号をもつて売買を原因とする所有権移転登記を、第一審被告小山田宗男は、同目録記載一〇の土地につき同出張所同日受付第三六〇六号をもつて売買を原因とする所有権移転登記をそれぞれ受けている。

6  よつて、第一審原告は、第一審被告らに対し、本件遺産の各所有権の三分の一につき、真正なる登記名義の回復を原因とする所有権一部移転登記手続を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  1の事実は認める。

2  2の事実は認める。

3  3の事実は認める。

4  4は争う。

5  5の事実は認める。

三  抗弁

1(一)  亡勇太郎は昭和二六年四月一〇日死亡し相続が開始したので、相続人である亡伸治郎、第一審原告及び小森たきは直ちに遺産分割協議を行い、その結果、亡伸治郎が本件遺産を単独で相続することとなつた。

(二)  このことは次の事実から疑問の余地がない。

(1) 当時の農家においては、特段の事情のない限り、長男が単独で農地を相続するのが通例であり、特に、俗に五反百姓と称される本件のような零細農家にあつては、農地を細分化することは農業の存続を不可能ならしめるものであり、亡伸治郎の単独相続は当然のこととして異論のあるはずはなかつたのである。

(2) 第一審原告の側からみても、第一審原告は二一、二歳のころから○○鉄道の前身の○○鉄道に勤務し、最終には○○○の駅長まで昇進した純然たるサラリーマンであつて、農業とはまつたく縁がなく農地を必要とする者ではなかつた。また仮に第一審原告が譲渡を前提として農地の取得を希望したとしても、本件農地は近郊化した現在とは状況が全く異なり、当時の時価は極めて低く、耕作してこそ価値あるもので交換価値としては、現在の貨幣価額にしてせいぜい金一〇〇万円以下であつた。

(3) 亡伸治郎は、亡勇太郎死亡後農家の跡取りとして農地の全部を相続し、占有し、耕作し、収益を独占してきた者である。同人が昭和四九年一月二〇日死亡するまでの二三年間に、他の者から何らの異議も出なかつたことは、跡取り相続として当然のことである。

(三)  亡伸治郎は、昭和四九年一月二〇日死亡し、相続人らの間で協議の結果、本件遺産を含む亡伸治郎の遺産全部を第一審被告公三が単独相続することになつた。

(四)  亡伸治郎が本件遺産について相続登記手続を放置していたので、第一審被告公三は相続登記手続のため、昭和四九年五月一〇日第一審原告から、同月八日ないし九日に亡小森たきの相続人らから、各々亡勇太郎の相続について民法第九〇三条の規定による相続分不存在証明書及び印鑑証明書の交付を受け、更に亡伸治郎の相続人らからも亡伸治郎の相続について右相続分不存在証明書及び印鑑証明書の交付を受けて、同年五月二三日、本件遺産につき昭和二六年四月一〇日亡伸治郎相続、昭和四九年一月二〇日相続を原因とする中間省略の所有権移転登記を受けたものである。なお、本件遺産の亡伸治郎のための相続登記が長期間放置されていたのは、売買等の移転登記を行う必要がなかつたからにすぎず、代々跡取り相続を通例とする農家においては特に珍しいことではない。

(五)  第一審被告公三以外の被告らは、第一審被告公三から本件遺産の一部の土地につき、それぞれ売買を原因として所有権移転登記を受けたものである。

2  仮に、本件遺産の分割協議が行われなかつたとしても、第一審原告の共有持分に基づく本訴請求は、相続回復請求権を前提とするものであるから、亡勇太郎死亡日から満二〇年を経過した昭和四六年四月一〇日の満了をもつて時効により消滅している(民法八八四条)。

第一審被告ら(藤村晃を除く。)は昭和五七年一二月一五日の原審口頭弁論期日において、第一審被告藤村晃は昭和五九年一月一九日の当審口頭弁論期日において、右時効を援用した。

3  仮に分割協議が未了であり、かつ相続回復請求権が時効によつて消滅していないとしても、第一審原告、第一審被告公三間においては、相続分不存在証明書(乙第一号証の一)の授受の合意のなされた時点で、本件遺産の分割協議が行われたものである。

第一審被告公三は亡伸治郎死亡の四九日後に第一審原告も同席した法事の席において、今後私が相続するので判をいただきに参りますからそのときは宜しく、と挨拶し、次いで昭和四九年五月初旬ころ第一審原告の自宅を訪問し右の趣旨を話し、その二、三日後に印刷文字の記載ある相続分不存在証明書(乙第一号証の一)を持参し第一審原告に手渡したところ、第一審原告は、二、三〇分熟読し自署捺印し第一審被告公三に交付し、更に二、三日を経て第一審被告公三に右証明書に添付を要する印鑑証明書を(同号証の二)を交付した。

右の経過から、第一審原告が本件土地に対する相続分が不存在であることを最終的に確認した印鑑証明書交付の昭和四九年五月一〇日の時点において分割協議が成立したことは明らかである。

4  仮に、右時点において第一審原告、第一審被告公三間の分割協議が成立していないとしても、昭和五五年二月八日における、第一審原告を申立人、第一審被告公三を相手方とする千葉家庭裁判所松戸支部昭和五四年(家イ)第二五六号親族和合調停事件の成立をもつて、本件遺産の分割協議が成立したものである。

第一審原告は、昭和五三年六月同裁判所に対し第一審被告公三外一四名を相手方として本件遺産の分割調停の申立を行い、九回の調停の結果、第一審原告、第一審被告公三間の協議で円満解決の見通しがついたので、あらためて前記調停を申立て前記期日に合意に達した。右合意内容は、本件遺産のうち流山市○○○○○×××番××の畑三九三平方メートルを第一審原告に無償で譲渡するもので、実質は既に終了している遺産分割の一部やり直しであつた。

5  以上のとおりであつて、いずれにせよ第一審原告の請求は理由がない。

四  抗弁に対する認否

1(一)  1の(一)の事実中亡勇太郎が昭和二六年四月一〇日死亡し、亡伸治郎、第一審原告及び小森たきがその相続人であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)  同(二)の事実中、農家においては家業を継ぐ者が農地等を単独で相続するのが通例であることは認めるが、他家に嫁いだ姉妹達は別として、同姓を名乗る兄弟に対してはその者が農業を営む場合には生計をたてるに足るだけの農地を分け与え、非農業者の場合には宅地や居宅を与えて一定程度の家産の分配をし、そのことによつて相続問題を円満に解決するのが通例である。第一審原告は、亡伸治郎に対し右の如き通例に従つて世間並みのことをしてほしい旨再三要求していたにもかかわらず、これを無視されてきたものである。亡伸治郎の相続人須田勝は、現に相当程度の家産の分配を受けている。

(三)  同(三)の事実中、亡伸治郎が昭和四九年一月二〇日死亡し、第一審被告公三がその相続人の一人であることは認めるが、その余は争う。

(四)  (四)の事実中、第一審原告が第一審被告公三に相続分不存在証明書及び印鑑証明書を交付したこと及びその主張のような所有権移転登記がされていることは認める。

(五)  同(五)の事実中、その主張のような各所有権移転登記がされていることは認める。

2  2は争う。

3  3の事実中、第一審原告が第一審被告公三に相続分不存在証明書及び印鑑証明書を交付したことは認めるが、その余の事実は否認する。第一審原告は第一審被告公三から古い家屋を取壊すのに必要だからと言われて、軽い気持で書類の内容を注意してみることもなく、第一審被告公三に対し相続分不存在証明書及び印鑑証明書を交付したにすぎない。

4 4の事実中、第一審原告が各調停を申立てたことは認めるが、その余は争う。

第一審原告は、遺産分割の調停を申立てたものの原則通り手続を進行させたのでは第一審被告公三に予想外の不利益が生じかねないことを考慮して、第一審被告公三との間でのみ協議を進めたものである。

なお、親族和合調停事件における第一審原告と第一審被告公三間の合意は、第一審被告公三が第一審原告に対し土地三〇〇坪を無償譲渡するというにあり、具体的には、第一審原告が訴外坂田良治から賃借し現に居住している宅地一八一坪を第一審被告公三が同訴外人から取得して後日第一審原告に贈与すること及び残りの一一九坪についてはすでに第一審被告公三名義になつている流山市○○○○○×××番××の土地をあらためて遺産分割協議をやり直す方法により第一審原告に取得させることであつた。しかるに第一審被告公三はその後合意をひるがえし右一一九坪の土地のみしか取得させる意思はなく、しかもそれは遺産分割ではなく贈与するので贈与税は一切第一審原告が負担せよ、との態度に出るに至つた。第一審被告公三が合意内容を完全に履行しない以上、第一審原告は本件遺産に対する権利を失わないものである。右調停事件の成立をもつて本件遺産に関する分割協議が成立したものとすることはできない。

第三証拠<省略>

理由

一  請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。

二  そうすると、第一審原告は、本件遺産につき法定相続分である三分の一の共有持分を有していたこととなる。

三  請求の原因5の事実は、当事者間に争いがない。

四  そこで、抗弁について判断する。

1  成立に争いのない甲第三号証、第六号証、第一一号証ないし第二二号証、乙第一号証ないし第一〇号証の各二、原審における被告公三本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第一号証の一、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二号証ないし第一〇号証の各一、当審証人須田勝の証言、原審における第一審原告本人尋問の結果(第一、二回)(ただし、後記措信しない部分を除く。)、原審における第一審被告公三本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

(一)  亡勇太郎は本件遺産で農業を営んでいた。同人は昭和二六年四月一〇日死亡した(この事実は当事者間に争いがない。)が、その所有の財産の主なものは本件遺産の五反余の土地で、当時としては零細農家であつた。

(二)  亡勇太郎死亡後は、その長男である亡伸治郎が跡取りとなり、本件遺産を管理して農業を営んでいた。

(三)  第一審原告は亡勇太郎の三男で、大正一二年ころから鉄道会社に勤務し、農業を営んだことはない。

第一審原告は、亡勇太郎の死後、亡伸治郎に対し、何回か世間並のことをしてほしい、すなわち、いわゆる分家として相応の財産を自己に分配してほしい旨申入れたが、亡伸治郎から農家ではそのようなことはできないとして右申入れを断わられたことがあつた。

(四)  本件遺産は、登記簿上亡勇太郎の所有名義のままであつたところ、亡伸治郎は昭和四九年一月二〇日死亡した(この事実は当事者間に争いがない。)が、それまで本件遺産で農業を営んでいた。

(五)  そこで、亡伸治郎の四十九日の法事の席で、亡伸治郎の二男でその跡取りである第一審被告公三は、第一審原告を含む出席者に対し、「今度、私が相続するので、判子をいただきに参りますから、そのときはよろしく」と挨拶した。

第一審被告公三は、同年五月初め、第一審原告に対し亡伸治郎の遺産の相続のため判子をもらいに行く旨あらかじめ連絡したうえ、その数日後第一審原告宅を訪れ、第一審原告に対し、第一審原告には亡勇太郎の遺産の相続については相続分が存在しない旨記載された相続分不存在証明書(乙第一号証の一)を提示したところ、第一審原告は右書類に十分目を通したうえこれに自ら押印した。その席で第一審被告公三は、第一審原告に対し右証明書に添付するものとして第一審原告の印鑑登録証明書の交付を希望し、同月一〇日ころ第一審原告から右証明書の交付を受けた。

(六)  また同月九日ころまでに、第一審被告公三は、亡勇太郎の他の一人の相続人である亡小森たきの相続人らからも、亡小森たきには亡勇太郎の相続については相続分が存在しない旨の証明書及びこれに添付する各人の印鑑登録証明書の交付を受け、更にこれに先立ち、亡伸治郎の他の相続人らから、亡伸治郎の遺産は第一審被告公三が単独相続する旨の協議に基づき、亡伸治郎の相続についてはその余の相続人らに相続分が存在しない旨の証明書及び各人の印鑑証明書の交付を受けたうえ、同月二三日、本件遺産につき、昭和二六年四月一〇日亡伸治郎相続、昭和四九年一月二〇日相続を原因として、自己のために中間省略の所有権移転登記を受けた。

(七)  第一審原告は、第一審被告公三が本件遺産の一部を宅地に転用する許可を受けて第三者に売却している事実を知り、昭和五三年六月、千葉家庭裁判所松戸支部に対し、第一審被告公三ら一四名を相手方として亡勇太郎の遺産分割調停の申立をしたが、その調停の経過から右遺産をめぐる紛争は第一審原告と第一審被告公三間のみの話し合いで円満解決できることが明らかになつたとして、右調停の申立を取下げ、昭和五四年六月、右支部に対し、改めて第一審被告公三のみを相手方として親族関係調整調停の申立をした。右調停事件では、昭和五五年二月八日、第一審原告、第一審被告公三間で「第一審被告公三は第一審原告に対し、流山市○○○○○×××番××畑三九三平方メートル(別紙物件目録記載六の土地の分筆前のもの)を無償で譲渡する。第一審原告、第一審被告公三双方は、今後円満な親族関係を維持するよう努力する。」旨の調停が成立した。

当審証人須田とく、同須田孝行、原審における第一審原告本人(第一回)は、乙第一号証の一の相続分不存在証明書は、第一審被告公三から同被告の家屋の取壊しのため必要だと言われて交付したものである旨供述しているが、右文書はその体裁から判断して一見してその記載内容のわかるものであること、第一審原告の経歴、右文書の授受に至る経緯に照らし、右各供述は措信することはできず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

2  第一審被告らは、まず、亡勇太郎死亡後直ちに相続人である亡伸治郎、第一審原告及び小森たきは遺産分割協議を行い、その結果、亡伸治郎が本件遺産を単独で相続することになつた旨主張する。

前記1認定の事実によると、亡勇太郎の主要な財産は本件遺産であり、同人はこれにより農業を営んでいたものであり、同人死亡当時の農家特に零細な農家にあつては農地が細分化されたのでは農業が成り立たないため、特段の事情のない限り、長男が単独で農地を相続するのが通例であつたこと(このことは当事者間に争いがない。)、また第一審原告は早くから鉄道会社に勤務して農業に従事してはいなかつたので農地そのものの取得を希望はしなかつたものと考えられること、小森たきの相続人は本件遺産について何ら権利を主張していないこと、第一審原告が亡伸治郎に対し世間並のことをしてほしい旨申し入れていたのも、遺産の分割の協議の申し入れというよりは亡伸治郎の単独相続を是認したうえで分家として相応の財産分与を要求したにすぎないものとも解されないではないこと(この要求は跡取以外の男子が親又は跡取の兄弟に対し分家として一家を構えるについて財産の贈与を求めることであつて、相続人全員間において遺産分割の協議を求めることとはその性質を異にするものと解される。)に照らすと、第一審被告ら主張のような亡伸治郎に本件遺産の全部を取得させる遺産分割の協議が成立した可能性もあながち否定することはできないところであるが、これを認めるだけの確証はない。

3  しかしながら、前記1認定の事実に照らせば、亡勇太郎の本件遺産については、遅くとも、第一審被告公三に対し、第一審原告及び亡小森たきの相続人らが、自己には亡勇太郎の相続については相続分が存在しない旨の相続分不存在証明書及び各人の印鑑登録証明書を交付した昭和四九年五月一〇日ころまでに、本件遺産を亡伸治郎が単独相続したこととする旨の分割協議が亡勇太郎の相続人ら間で成立し、亡伸治郎の相続人らの間においても、亡伸治郎所有の本件遺産は第一審被告公三がこれを全部取得する旨の分割協議が成立したものと認めるのが相当である(「相続分不存在証明書」は、遺産分割協議の結果本件遺産を第一審被告公三が取得したことの登記の手続上、右の協議書の提出に代え、これを用いたものと解される。)。

もつとも、第一審原告は、その後昭和五三年六月千葉家庭裁判所松戸支部に対し、第一審被告公三ほか一四名を相手方として本件遺産の分割調停の申立を行い、その後第一審原告と第一審被告公三との間の協議で円満解決の見通しがついたとして、あらためて昭和五五年二月八日第一審被告公三だけを相手方として親族和合調停を申立てていることは当事者間に争いがないところであるが、これは、前記認定事実及び弁論の全趣旨を総合すると、第一審原告は、亡伸治郎に対し財産を分けるよう要求していたが、受け入れられず不満に思つてはいたが、自己が農業を営む者でない以上農地を取得することは困難であり、また第一審被告公三の財産状態からみて金銭的な要求も無理であつて、同人が本件遺産により農業を営む限りは同人が単独で本件遺産を取得することになるのもやむをえないものと考え一旦これに同意したが、その後同人が本件遺産の一部を宅地に転用しこれを第三者に売却したことを知り、それでは話が違い事情が変つたものと考え、再び財産分けを要求する趣旨で本件遺産について権利があるとして、前記調停を申立てるに至つたものと推測される。

なお、右調停の結果、前記1の(七)認定のとおりの調停が成立したのであるが、第一審原告は、その際、第一審被告公三は第一審原告に対し三〇〇坪の土地を無償で譲渡する旨の合意が成立したものであり、第一審被告公三は、その後右合意をひるがえし、その一部の一一九坪の土地のみしか第一審原告に取得させる意思がないとの態度に出たので、第一審被告公三が合意内容を完全に履行しない以上、第一審原告は本件遺産に対する権利を失わないとして、本訴において本件遺産について三分の一の相続分を有すると主張している。しかしながら、仮に本件遺産をめぐる紛争の解決として第一審原告主張のような合意が成立したとしても、第一審被告公三がその完全な履行をしないのは、単なる右合意の債務不履行にとどまり、そのことにより当然に第一審原告が本件遺産についての権利を回復するいわれはなく、右合意の履行を求めるのであれば格別、本件遺産について三分の一の相続分があるとして所有権移転登記手続を求めることができないのは明らかである。

五  以上によれば、第一審原告の第一審被告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきものであり、これと異なる甲事件の原審の判断は失当であるから、これを取り消して第一審原告の請求を棄却し、その訴訟費用の負担については民事訴訟法第九六条、第八九条の各規定を適用し、また、これと同旨の乙事件の原審の判断は正当であつて控訴は理由がないからこれを棄却することとし、その控訴費用の負担について同法第九五条、第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 越山安久 村上敬一 裁判長裁判官香川保一は転官につき署名押印することができない。裁判官 越山安久)

物件目録<省略>

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