東京高等裁判所 昭和58年(ネ)2817号・昭58年(ネ)1377号・昭49年(ネ)2672号・昭58年(ネ)2125号・昭49年(ネ)2655号 判決
人の遺骨は、所有権の客体となるものと解されるが、相続財産として相続の対象となるものと解するのは相当でなく、その所有権は民法八九七条の趣旨に則り、特別の事情のない限り、同条所定の祭祀財産に準じて祭祀承継者が取得しこれを管理すべきものと解するのが相当である。
しかるところ、第一審被告は、嘉孝からその遺霊を前記南多摩霊園の墓地に埋葬するよう委託されたことをもって嘉孝から祭祀主宰者に指定された、と主張する。しかしながら、ここにいう祭祀の主宰者は、祖先の祭祀を主宰すべき者を意味するところ、前認定の事実関係によれば、嘉孝が第一審被告に委託したのは嘉孝自身の霊を祀り供養することにとどまり、島津家の祖先をも含めたものであったとまで認めることはできず、したがって、嘉孝が同被告をもって祖先の祭祀主宰者に指定したと認めることはできないというべきである。
次に、第一審原告正義は、みずから慣習上の祭祀主宰者に該当する、と主張するが、右に認定した事実関係、ことに、同原告は嘉孝が愛情を失っていたとまではいえないとはいえ、かつて嘉孝から推定相続人廃除の審判の申立をされたこともあるうえ、その後において嘉孝は第一審被告と婚姻し、同原告の母である亡妻英のために小平霊園内に「島津家之墓」と刻して建立した墓所とは別に南多摩霊園に墓地を用意し、死後はこの墓地に葬ってくれるよう第一審被告に託し、現にその遺骨は同所に埋葬されているという事情のもとにおいては、同原告が祭祀承継者に選定される可能性を有する者であることは否定できないとしても、なお当然に慣習上祭祀主宰者の地位を承継すべき者に該当するとはいえないといわなければならない。
次に、第一審原告正義は、そうでないとするならば、昭和四五年一〇月四日、嘉孝の遺産につきその管理方法を協議した際、第一審被告を除く嘉孝の子である相続人七名は合計三分の二を有する持分権者として第一審原告正義を祭祀主宰者に決定したから、同原告をもって祭祀主宰者と認めるべき旨主張する。しかるところ、原審における乙事件被告国臣の証言によれば、同原告主張にそう事実が認められないではないが、右協議はその主張自体に照らして明らかであるように、相続人の一人である第一審被告を除外して行われたものであるところ、祖先の祭祀主宰者につき被相続人の指定がなく、また慣習が明らかでない場合に、その決定を家庭裁判所の審判に委ねている民法八九七条の法意に照らし、相続人の合意のみによって祭祀承継者を決定することができるか否かに疑問がなくはないが、その効力を認めることができるとしても、民法の右規定の趣旨に徴するときは、相続人の右の合意は全員一致を必要とするものと解すべきであるから、同原告主張の祭祀主宰者を定めた協議は第一審被告に対してはその効果を主張しえないものというべきである。そして、第一審原告、第一審被告ら嘉孝の相続人その他利害関係人の間で家庭裁判所に対し祭祀主宰者を定める審判申立をし、その審判を経たことについては主張・立証がない。してみれば、第一審原告正義は、いまだ第一審被告に対し嘉孝の遺骨の引渡しを求める請求権を有しないといわざるをえない<。以下略>
(一) 第一審被告が当審において提出した新抗弁は、本件土地建物は第一審被告が昭和四五年四月二日嘉孝から贈与を受けて所有権を取得した、というものである。これに対し、第一審原告四名は、右主張は第一審被告の故意又は重大な過失により時機におくれて提出されたものであって、訴訟の完結を遅延させるものであるから、却下を求める、というのである。
第一審被告のこの点の抗弁が、第一審以来、嘉孝において、右日時に本件土地建物を第一審被告に対し代金八〇〇万円で売り渡し、第一審被告がその所有権を取得したものであるというにあったこと、第一審被告が贈与の新抗弁を明確に提出するに至ったのが、昭和五七年三月一五日の当審第四一回口頭弁論期日(弁論再開前の最終口頭弁論期日)であり、右時期は第一審に本件訴訟が係属してから一一年余の経過後であり、控訴審に係属してからでも七年余を経過したのちであったこと、原審は、原判決の理由中で、第一審被告主張の売買を認めるに足りる証拠のないことを判示する過程において、嘉孝が自己の死を慮り財産を処理する意味合いで本件土地建物を第一審被告に贈与する意思表示をしたと考える余地のあることを示唆していたが、当審ではなお、前記口頭弁論期日に至るまで贈与の主張が提出されず、売買の主張の成否について証拠調がされてきたこと、以上の事実は本件記録に徴し明らかである。
ところで、売買と贈与とはいずれも財産権の移転を約する諾成契約であって、異なるところは有償であるか無償であるかの点にあるにすぎず、売買の主張を贈与の主張に改めたからといって、その成立要件に付加される事項はなく、したがって立証においても特段のものを必要としないだけでなく、本件の場合にはむしろ従前の証拠調の結果その他訴訟の推移からみて贈与の主張が提出されるべくして提出されたと認めるべき場合であって、本件訴訟の全過程を通観すれば、第一審被告による贈与の主張の提出が訴訟の完結を遅延せしむべき場合にあたるとまではいえないとするのが相当である。もっとも、本件においては、いったん口頭弁論が終結されたのち、第一審被告代理人からの申立により口頭弁論が再開され、その後再び口頭弁論を終結するまで二年三か月を要したが、右は、その間における第一審被告側による本件土地建物の処分及びこれに対する第一審原告側による訴訟引受の申立、前認定の第一審原告側の相続分の譲渡、損害賠償債権の譲渡等により訴訟関係が錯綜し、そのための手続や主張の整理が行われ、また裁判所の構成にも変更があったことによるものであって、贈与の主張が提出されたことによるものとはいえないのである。したがって、上来認定の本件訴訟の経過に徴し、第一審被告による右新抗弁の提出を目して重大な過失により時機に後れてなされたものと認めるべきであるとしても、結局第一審原告四名の冒頭記載の主張は理由がないものとして排斥を免れない。
(二) 次に、第一審原告四名は、第一審被告による贈与の抗弁の提出は、訴訟上、実体上の信義則に反し、また防禦権を濫用するものであって許されない、と主張する。
第一審被告が贈与の抗弁を提出するまでの経緯はさきに認定したとおりであるところ、第一審原告四名は、第一審被告が十余年にわたって売買の主張を維持することにより贈与の事実を秘匿し、第一審原告らをして遺留分減殺請求権行使の可能性を失わせたのは信義則に反し権利を濫用するものであるというが、右は一般論として遺留分減殺請求権の消滅時効の援用に対する反論とはなりえても、贈与の主張をすること自体に対する反論としては十分なものとはいえない(のみならず、第一審原告らが第一審被告の売買の主張により遺留分減殺請求権の行使を妨げられる事情になかったことは、のちに判示するとおりである。)。そのうえ民事訴訟においては口頭弁論の一体性が認められ随時提出主義(民訴法一三七条)が採用されており、訴訟当事者による主張の撤回や新主張の提出は原則として自由であるから、特定の主張の提出が訴訟上の信義則や実体上の信義則に反し、また防禦権を濫用するかどうかはこのこととの権衡において考えるべきであり、一方当事者の先行行為に対する相手方の信頼を特に保護する必要がある場合に限り、信義則によりその主張の提出が制限されることもありうると解されるのである。ところが、本件において、第一審被告は第一審以来売買の主張についての立証に力を注いではきたものの、贈与の主張をしないことを弁論において明確にした事跡は見当たらず、また、第一審原告らにおいて第一審被告の売買の主張が真実であることを前提として他の訴訟上の主張をしてきたところ、売買の主張を撤回されたため訴訟上の立場が爾後覆滅されるに至ったという関係にあるわけでもないのであって(第一審原告らは売買の抗弁に対する仮定的再抗弁を提出しているが、そのための証拠調が特別に行われたというわけではない。また、遺留分減殺の主張については後記のとおりである。)、売買の不存在の主張・立証に終始してきたにとどまるから、第一審被告による旧主張の撤回、新主張の提出による非はむしろ訴訟費用の負担の面等において是正されるべく、いまだ新主張の提出が訴訟上、実体上の信義則に反し、権利の濫用になるとは認めるに足りないのである。したがって、第一審原告四名の右主張もまた理由がない。
(鈴木 吉井 河本)