東京高等裁判所 昭和58年(ラ)441号 決定 1983年11月19日
抗告人 黒川英一
相手方 黒川和美
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
本件抗告の趣旨は、「原審判を取消す。相手方(申立人)の申立てを棄却する。」旨の裁判を求めるというのであり、抗告の理由は別紙記載のとおりであつて、その要旨は、「(一)婚姻費用の分担は、生活保持義務の前提である家族的共同生活の維持の可能性があることを要すると解すべきところ、抗告人と相手方との間においては、離婚することについては合意に達しており、法律上の夫婦ではあるが事実上は離婚の状態にあるのであるから、婚姻費用の分担義務は生じない。(二)別居ないし事実上の離婚の結果をもたらした責任は、専ら相手方にあるから、抗告人には婚姻費用分担の義務はない。(三)相手方は、自己の労力をもつて十分自活することが可能である。」というにある。
よつて判断するに、本件記録によると、原審認定の各事実(原審判二枚目裏二行目から三枚目裏四行目まで。ただし、二枚目裏五行目「エリトマトーデス」は「エリテマトーデス」の誤記)が認められる。
そこで、右事実に基づいて検討するに、抗告人と相手方が、基本的には離婚することで意見が一致し、夫婦関係を調整することができない状態にあることは抗告人主張のとおりであるが、婚姻関係が破綻し、双方が離婚することに確定的に合意し、単に、離婚届出の手続をとらないために、長期間にわたつて法律上の夫婦関係が形骸として残つているような場合であれば格別、本件のように離婚を前提とした協議の過程において、基本的には離婚することで双方の意見が一致しているものの、親権者の指定など、離婚に伴う事項について協議が調わず、結局離婚について確定的合意が成立したとみられない事態であるときは、婚姻費用分担義務者はその義務を免れることができないものというべきであり、抗告人の(一)の主張は採用できない。
次に、抗告人と相手方とが別居するに至つた原因が、専ら相手方の責に帰すべき事由によるものと認められないことは、原審判の認定するとおりであり、抗告人、相手方双方の生活状態、労働能力等(原審判三枚目裏一三行目から四枚目表末行までの認定事実による)を勘案すると、婚姻費用の分担として、抗告人に対し、相手方に一箇月四万円の割合による金員を支払うよう命じた原審判は正当というべきであり、たとえ、抗告人が一時的に失職することがあつても、労働能力その他の事情について著しい変更のない限り異るところはないのである。抗告人の(二)、(三)の主張は採用することができない。
よつて、本件抗告は理由がないものとしてこれを棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 吉江清景 裁判官 川上正俊 渡邉等)
抗告の理由<省略>
〔原審〕(東京家昭五八(家)三九五〇号 昭五八・七・二二審判)
主文
相手方は申立人に対し、婚姻費用の分担として、本審判確定と同時に金二八万円を、昭和五八年八月以降、申立人と相手方との別居解消または婚姻解消に至るまで、毎月末日限り、毎月金四万円宛を、申立人住所に送金して支払え。
理由
一 申立人は相手方に対し、婚姻費用の分担として、月額一〇万円を毎月末日限り支払うことを求め、申立ての実情として、次のような要旨を述べた。
(1) 申立人と相手方は、昭和五五年七月一七日挙式し、同年九月二四日婚姻の届出をした。両者の間には昭和五六年二月四日長男丈夫が出生した。
(2) 申立人は下記(イ)(ロ)(ハ)のような事情により、昭和五七年八月二九日長男丈夫を連れて相手方住居から出て申立人の実家へ帰り、爾来別居している。
(イ) 相手方は申立人に対し再三にわたり暴力を振るい、これに耐えられなかつた。
(ロ) 相手方は母親(別居している)べつたりの生活態度で、申立人及び長男丈夫に対する愛情と配慮がなく、終始、自己中心の生活を維持しようとしていた。
(ハ) 相手方の母親は事あるごとに申立人らの生活に口を出し、相手方もこれに同調して、申立人が孤立する生活環境にあり、申立人はこれに耐え切れない。
(3) 相手方は、昭和五七年一〇月一八日、離婚調停を申立てたが、その第一回調停期日終了後、申立人の住居より、わずかのすきをついて長男丈夫を連れ出した。その後長男を申立人に返すよう再三にわたり要求すると同時に、その健康状態を問い合わせても、相手方は申立人の要求を一切拒否している。
二 当裁判所の判断
1 本件記録及び昭和五七年(家イ)第六〇一九号事件記録中の各資料、家庭裁判所調査官の調査報告書、並びに申立人と相手方の各審問の結果に調停での経過・審理の全趣旨を加えて総合的にみると、次の事実が認められる。
(1) 申立人と相手方は、昭和五五年九月二四日婚姻の届出をし、翌五六年二月四日には長男丈夫が出生した。その頃までは円満な家庭生活を営んでいたが、長男を出産した頃から申立人は身体の工合が悪くなり、「全身性エリトマトーデス」との診断をうけて同年三月一六日から同年七月一五日まで入院した。退院後は申立人の実家で静養しながら通院を続け、同年八月末に相手方の許へ戻つた。
申立人の体調が悪くなつてきた頃から、夫婦の仲は次第に不和になり、申立人が戻つてからも、長男の養育に関する意見の相違や、申立人と相手方の母との折合いが悪かつたこと、それに起因して相手方が申立人に対し暴力をふるつたことなどがあつて、昭和五七年八月二九日、申立人は長男を連れて実家に帰つた。その後相手方は住居の鍵を変えてしまい、申立人が戻つても入れない状態にしてしまつた。
(2) 昭和五七年一〇月一八日に相手方から離婚調停の申立てがあり、同年一二月七日の第一回調停において離婚についてはほぼ合意に達したが、親権者についての合意が得られず、調停は続行することになつた。ところが、同年一二月一一日、相手方は申立人の実家へ行き、長男を無断で連れ出してしまい、爾来何者かの所へ預け(相手方は、預け先を明確にしない)、申立人の「子供を返すように」という再三の申入れにも応じない。
相手方がこのような手段に出たことにより、以後子供の行方を探そうとする申立人やその親族と、相手方やその母との間ではげしい争いが起り、調停の円満な進行はのぞめなくなつた。
昭和五八年三月一四日に夫婦関係調整申立事件は不成立となり、同年一月一一日申立てられた本件のみ調停を続行したが、本件も同年五月九日不成立となり審判に移行した。
審判移行後も、根本的な解決のための話合いを重ねたが、双方の不信感が強く合意に至らなかつた。
以上の事実によると、本件別居に至る責任は当事者双方にあり、婚姻が継続している現在、相手方は婚姻費用分担義務を免れるものではない。
2 (一)そこで、次に相手方が負担すべき婚姻費用額について検討する。
前記認定の諸事実のほか、家庭裁判所調査官の調査報告書、当事者らの各本人審問の結果によると、次の事実が認められる。
(1) 申立人は、資産や収入はなく、働きに出ても体調が悪いため続かず、現在は実父母に頼つて生活している。住居は実父の会社が借りているアパート(六畳二間、四・五畳)に実父母、実弟と四人で生活している。
(2) 相手方は○○○○○○株式会社に勤務し、本年三月から五月の三ヶ月の手取り月収は約二八万円である。そのほかボーナスは昭和五七年一二月に約八三万円を得ている。
資産としては狭山市に相手方の母と共有の宅地と、その上の居宅があるが、それらを購入するにあたり借入れた金員の返済もしつつあり、その額は毎月約一四万円、ボーナス時約九五万円(いずれも昭和五八年四月から)である。
相手方は現在練馬区にある実母の家に、実母と同居しており、朝食代、電話代等はすべて実母が負担している。しかし、長男丈夫の預け先に毎月一五万円を支払つているとのことである。
(二) これらの事実に基づき算定するに、相手方の支出の中で大きなものは、長男丈夫のために支払う一五万円であるが、この金額については相手方は明確な資料を示さないうえ、調停および審判の過程において明らかなとおり、相手方が申立人の許から無断で連れ出し(当時そうしなければ長男の身に危険が生ずるというような事情は存しなかつた)、その後も申立人が自身の手で育てることを申出ているにもかかわらず拒否し、あえて他人の手に委ね出費の原因を作出しているものであつて、婚姻費用分担の算定にあたつては、一五万円全額を必要な経費とみることはできない。そこで、これについては、東京都の公立保育園における三歳未満児の親の負担額約2万円に相当する額を負担すべきものとする。そのうえで、生活保護基準方式により算定した額を参考とし、審理の一切の事情を斟酌した結果、相手方が申立人に対して負担すべき婚姻費用の額は、金四万円を相当とする。そしてこれを請求のあつた昭和五八年一月分より支払うべきものとし、主文のとおり審判する。