東京高等裁判所 昭和58年(行ケ)100号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがないところである。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 原告は、本件審決は、原出願の明細書には、血清中の全コレステリンの測定のためにコレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼを共存させるという技術的思想が開示されているにかかわらず、全く開示されていないと誤認し、ひいて、その結論を誤つたものである旨主張するが、その理由のないことは以下に説示するとおりである。
1 成立に争いのない甲第一八号証(本願発明の原出願の願書並びに添附の明細書及び図面)によれば、原出願の明細書の特許請求の範囲の項には、「水媒体中でコレステリンをコレステリンオキシダーゼと共に恒温に保持しかつ酸素消費量、生成したH2O2又はコレステノンを測定することを特徴とするコレステリンの定量法。」との記載があり、発明の詳細な説明の項には、従来のコレステリン定量法及びその欠点並びに原出願の発明の課題について、「公知で有効なコレステリン定量法はリーベルマン・ブルヒアルト(Liebermann und Burchard)の反応に基づく。これによれば、遊離した及びエステル化されたコレステリンは無水酢酸及び濃硫酸と青~緑色に着色した化合物を形成し、この色濃淡はコレステリン濃度に比例し、この濃淡を分光光度計で測定する。しかしながらこの公知方法は重大な欠点を有する。該方法の主要欠点はその非特異にある。リーベルマン・ブルヒアルトの反応は、コレステリンの他に他のステロイドによつても起きる比較的非特異的なステロイド反応である。例えば血漿中には他のステロイドと共になお一~三%のジヒドロコレステリン及び〇・五~一・四%の⊿7―コレステノールが存在するので、好ましからぬ大きな誤差が生ずる。その他に該反応はビリルビン及びヘモグロビンによつてさまたげられるので、高められた、従つて不正に陽性のコレステリン値が得られる。その他の欠点は、攻撃的で腐蝕性の試薬を使用して操作を行なわなくてはならないという点に存する。従つて、本発明の課題は、前記の欠点を有せずかつ特にコレステリンに対し絶対的に特異的であり攻撃的な試薬を必要としない新規コレステリン定量法を得ることである。」(第二頁第七行ないし第三頁第一一行)との記載があり、次いで、右課題を解決するための構成に関して、「この課題は、本発明によればコレステリンを水媒体中でコレステリンオキシダーゼと共に恒温に保持しかつ酸素消費量又は生成したH2O2又はコレステノンを定量することから成るコレステリン定量法により解決される。」(第三頁第一二行ないし第一六行)と記載されていることが認められる。そして、更に、コレステリンオキシダーゼについて、「コレステリンオキシダーゼは次の反応を接触する新規酵素である。……コレステリン+O2コレステリンオキシダーゼコレステノン+H2O2(第三頁第一七行ないし第二〇行)との記載と右反応について、「定量的に進行し、これにより絶対的に特異でかつ正確なコレステリンの定量を可能ならしめる。」(第四頁第一行ないし第三行)との記載があり、次いで、「本発明の方法はあらゆる種類の水媒体、例えば食品エキス、体液及び特に血清中でのコレステリンの定量に好適である。方法の高い特異性に基づき、遊離コレステリンのみが定量される。しかしながら、周知の如くエステル化された形で存在する結合型コレステリンも前以つて化学的もしくは酵素的にケン化することによつて定量することができる。例えば化学的ケン化はアルコール性苛性カリ溶液によつて、酵素的ケン化はエステラーゼ、有利には肝臓または膵臓からのコレステリンエステラーゼによつて行なわれる。」(同第四頁第九行ないし第二〇行)と原出願の発明の方法においては遊離コレステリンのみが定量されること、並びにエステル化された形で存在する結合型コレステリンも前もつてアルコール性苛性カリ溶液によつて化学的にケン化することにより、又は肝臓もしくは膵臓からのコレステリンエステラーゼによつて酵素的にケン化することにより定量することができることが記載されていることが認められる。以上認定したところによると、原出願の明細書には、血清等の水媒体中で遊離のコレステリンをコレステリンオキシダーゼと共に恒温に保持し、酸素消費量、生成したH2O2又はコレステノンを測定してコレステリンを定量する方法及びエステル化された形で存在する結合型コレステリンも化学的又は酵素的にケン化して遊離のコレステリンにすることによつてコレステリンオキシダーゼを用いてコレステリンを定量することができる旨の知見が示されていることが認められるだけで、血清中の全コレステリンの測定のためにコレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼを共存させるという技術的思想、すなわち、コレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼを共存させて、コレステリンオキシダーゼにより血清中の遊離のコレステリンの酸化を促進させる一方で、エステル化された形で存在する結合型コレステリンをコレステリンエステラーゼによりケン化して遊離のコレステリンとし、更に、共存する前記コレステリンオキシダーゼにより酸化を促進し、血清中に存する全コレステリンを定量するという技術的思想が開示されているとは認められず、原出願の明細書を精査するも、他に血清中の全コレステリンの測定のためにコレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼを共存させるという技術的思想が開示されていることを認めるに足りる記載はなく、また、これを示唆するに足りる記載があるものとも認めることができない。
2 原告は、コレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼを共存させても互いに相手の活性を阻害しないことは被告自身が認めているところであり、かかる試薬を混合して使用することは慣用手段であることも、被告がマイルス発明に対する拒絶査定(甲第一五号証)の理由中で明言していること、したがつて、両酵素を一緒にバツチに入れても両酵素が相互に活性を害することはなく、しかも、反応は二段階で進行するものであるから、わざわざ二段階の操作、すなわち二工程で反応を行なわせることは技術的に全く無駄なことで技術常識に反すること、原出願の明細書記載の発明は、従来コレステリンエステラーゼだけではエステルの分解率が八〇%程度しか達成できなかつたところ、コレステリンオキシダーゼと併用することにより平衡状態が移動してエステル分解が更に進行する結果、一〇〇%まで達成することに成功したものであるところ、実施例四には一〇〇%の分解できた旨の記載があること等の事実を総合し、これを合理的に判断すれば、前認定の原出願の明細書の発明の詳細な説明の項の「周知の如くエステル化された形で存在する結合型コレステリンも前以つて化学的もしくは酵素的にケン化することによつて定量することができる。例えば……酵素的ケン化はエステラーゼ、有利には肝臓または膵臓からのコレステリンエステラーゼによつて行なわれる。」(同第四頁第九行ないし第二〇行)との記載並びに実施例四及び実施例五の記載は、コレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼを共存させることを当然の前提とした記述であり、原出願の明細書には、血清中の全コレステリンを測定するためにコレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼを共存させるという技術的思想が開示されている旨主張する。しかし、たとい、原告指摘の甲第一五号証(成立に争いがない。)中の記載からコレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼを共存させて使用することが慣用手段であることを認め得るものとしても、本願発明が原出願の適法な分割出願として認められるか否かは、原出願の願書に最初に添附した明細書及び図面に右慣用手段を用いる旨の記載があるか、又は記載がない場合でも当業者であれば、当然に右慣用手段を用いることを前提とする技術的事項が記載されているものと読み取り得るか否かによつて決せられるものというべきところ、本件において、原出願の明細書には、右慣用手段を用いることを前提とする技術的事項が開示されているものと認め得ないのみならず、この点を示唆する記載すらないことは前説示のとおりであるから、原告の前記主張は採用することができない(なお、原告は、原出願の明細書の発明の詳細な説明の項に存する「周知の如くエステル化された形で存在する結合型コレステリンも前以つて化学的もしくは酵素的にケン化することによつて定量することができる。」との前記記載のうちの「前以つて」という語は、操作順序ではなく、反応順序をいうものである旨主張するが、右の記載は、その前後の文章を含めての記述内容及び原出願の明細書の発明の詳細な説明の項のその余の記載からして、エステル化されたコレステリン(結合型コレステリン)を酸化するためには、化学的もしくは酵素的方法でもつてケン化して遊離のコレステリンにする必要があり、遊離のコレステリンとすればコレステリンオキシダーゼによりコレステリンの定量ができるという技術内容を説明した文章であると解するのが相当であつて、右記載をもつて、原告主張のように反応順序を意味するものと解することはできず、したがつてまた、この記載をもつて、原出願の明細書にコレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼとを共存させるという技術的思想又はこのことを自明の事項とする技術的思想が開示されている根拠となし得ないことは明らかであり、原告の叙上主張は失当である。)。また、前掲甲第一八号証によれば、原出願の明細書の発明の詳細な説明の項の実施例四には、「血清(水で一:一〇に希釈)〇・二mlに二〇%ヒドロキシポリエトキシドデカン溶液〇・〇五ml及びコレステリンオキシダーゼ〇・一五単位を加える。一五分後に、一N塩酸中に2、4―ジニトロフエニルヒドラジン一ミリモルを含有する溶液二・〇mlを添加する。更に三〇分後に水四・〇mlを加え、生成したヒドラゾンを光度計で四〇五nmで測定する。評価は試薬盲検値を考慮して基準線について行なう。」(同第一三頁第一九行ないし第一四頁七行)とコレステリンオキシダーゼを用いた遊離のコレステリンの酸化反応により生成したコレステノンをヒドラジンで反応させてヒドラゾンとし、これを測定するという「コレステノンの定量」方法が記載され、次いで、「代表的試料の測定により遊離コレステリン六〇mg%及び全コレステリン(アルコール性KOHによつてケン化)一五四mg%が得られた。」(同第一三頁第二〇行ないし第一四頁第二行)と遊離のコレステリンの定量結果と全コレステリンの定量結果並びにエステル化されたコレステリンはKOHを用いた化学的方法によつてケン化されたことが記載され、右記載に続いて、「エステル化されたコレステリンをケン化するために(血清中の全コレステリンの測定)、血清一ml、二〇%ヒドロキシポリエトキシドデカン溶液一ml及び九〇%エタノール中の〇・五NKOH五mlを混合し三〇分間七〇℃に加熱する。次いで溶液を冷却し、〇・一M硫酸マグネシユウム溶液一〇mlと混合しかつ遠心分離する。上澄液(一三ml)は全コレステリンを遊離型で含有する。」(同第一四頁第五行ないし第一三行)と全コレステリンを測定するためにエステル化されたコレステリンをアルコール性KOHを用いてケン化する化学的ケンカ方法及び当初から遊離のコレステリンと右ケン化方法によつて遊離のものとなつたコレステリンを含有する上澄液を採取する方法が詳記され、最後に、「肝エステラーゼ又はコレステリンエステラーゼによりエステル化されたコレステリンのケン化は、三七℃pH六~八で血清を三〇分間恒温に保持して行なう。」(同第一四頁第一四行ないし第一七行)と酵素的ケン化方法について具体的に記載されていることが認められるが、右の肝エステラーゼ又はコレステリンエステラーゼによりエステル化されたコレステリンのケン化についての記載からは、せいぜい右ケン化が行われた後、全コレステリンが酵素的に定量されるであろうことが分かるだけで、三七℃、pH六~八、三〇分間恒温保持してケン化を行うというだけの技術情報からは、コレステリンオキシダーゼによる遊離コレステリンの酸化作用を損なうことなくエステル化されたコレステリン(結合型コレステリン)を十分ケン化し得る条件が示されているとはいえず、他の記載はすべて化学的方法によるケン化を前提とした記載であつて、実施例四の記載がコレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼとを共存させることを当然の前提とした記載であると解することは到底できない。更に、前掲甲第一八号証によれば、原出願の明細書の発明の詳細な説明の項の実施例五には、「〇・四%ヒドロキシポリエトキシドデカンを含有するpH七・五の〇・五M燐酸ナトリウム緩衝液二・五mlに血清〇・二mlを加える。適当な分光光度計で二四〇nmにおける吸光度(E1)を読みとり、コレステリンオキシダーゼ〇・〇二ml(=一・五U)で反応を開始する。二分後にもう一度吸光度(E2)を読みとる。生成したコレステノンの濃度及び従つてコレステリンの濃度は、二四Onmにおけるコレステノンのモル吸光係数を考慮して一回目の読みとりと二回目の読みとりとの差から得られる。」(同第一四頁第一九行ないし第一五頁第九行)と血清中の遊離コレステリンとコレステリンオキシダーゼとの反応により生成したコレステノンを実施例四のようにヒドラゾンに変えることなく、そのままの状態で測定するコレステリンの測定方法が記載され、次いで、「代表的試料の測定により遊離コレステリン五八mg%及び全コレステリン(ケン化により)一六三mg%が得られた。」(同第一五頁第一〇行ないし第一二行)、「リーベルマン・ブルヒアルトの比較測定で、全コレステリン一六三mg%が得られた。」(同第一五頁第一三行及び第一四行)と遊離のコレステリンの定量結果と全コレステリンの定量結果が記載されていることが認められるが、エステル化されたコレステリンのケン化の方法については、単に(ケン化により)とあるだけで具体的な記載はない。しかしながら、前認定のとおり、実施例五は、実施例四とは異なる方法による血清中の遊離コレステリンの測定方法について詳記してあることやその記載態様から、コレステリンエステルのケン化方法について実施例四に記載されている方法とは異なる方法を採用したものと解することはできず、酵素的ケン化方法によりエステル化されたコレステリンのケン化がされているものと仮定しても、コレステリンオキシダーゼによる遊離コレステリンの酸化作用を損なうことなくエステル化されたコレステリン(結合型コレステリン)をケン化し得る条件については何ら示されていないから、実施例五の記載がコレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼとを共存させることを当然の前提とした記載であると解することは到底できない。したがつて、実施例四及び実施例五に関する原告の主張は失当である。更に、原告は、原出願の出願時においては、肝臓及び膵臓中のコレステリンエステラーゼがコレステリンのエステルを分解することは公知であつたが、これらの分解率はせいぜい八〇%にすぎないものであり、原出願の明細書の実施例四及び実施例五ではコレステリンオキシダーゼと併用しており、これにより実施例五では分解率一〇〇%を達している旨主張する。しかしながら、実施例五のケン化方法は、前認定のとおり、実施例四に記載されている方法とは異なる方法を採用したものと解することはできず、しかも、化学的ケン化と酵素的ケン化のどちらを採用しているのかもその記載からは特定することができない。もつとも、成立に争いのない甲第二二号証及び第二三号証によれば、動物源のコレステリンエステラーゼを使用した場合の分解率は八〇%程度であることが認められることや実施例四の記載から、強いて推認するとすれば、実施例五は化学的ケン化手段を採用したものと推認し得るのであつて、右分解率が一〇〇%に達していることから、直ちに、コレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼを併用していると理解できるものではない(ちなみに、原出願の明細書には、原出願に係る発明の目的及びその奏する作用効果に関して、エステル化されたコレステリンを一〇〇%ケン化するとの点は何ら記載されていない。)。
叙上認定説示したところによると、体液をコレステリンエステラーゼ及びコレステリンオキシダーゼと共に恒温保持することを必須の構成要件とする本願第一発明及びコレステリンエステラーゼ及びコレステリンオキシダーゼを共存させることを必須の構成要件とする本願第二発明は、いずれも原出願に包含された発明であるとはいい得ないから、本願発明は原出願の適法な分割出願であるということはできず、出願日の遡及は認められない。したがつて、この点に関する本件審決の判断には誤りはなく、本件審決の結論が正当であることは、本件弁論の全趣旨に徴し明らかである。
(結語)
三 以上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法があることを理由に本件審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由がないものというほかはない。よつて、これを棄却することとする。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
1 液体中の全コレステリンを測定するため、体液をコレステリンエステラーゼ及びコレステリンオキシダーゼと共に恒温保持し、かつ酸素消費量、生成したH2O2又はコレステノンを測定することを特徴とするコレステリンの定量法。(以下「本願第一発明」という。)
2 コレステリンオキシダーゼ、H2O2測定用の系又はコレステノン測定用の系及びコレステリンエステラーゼ及び界面活性剤より成るコレステリン測定用の試薬。(以下「本願第二発明」という。)