東京高等裁判所 昭和58年(行ケ)170号 判決
1 請求原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
2 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
(一) 成立に争いのない甲第二号証ないし第七号証によれば、本願発明は、ハロゲン化銀カラー写真感光材料、特に安定化された色画像を与えるハロゲン化銀カラー写真感光材料に関するもの(本願明細書第一頁第一三行ないし第一五行)であつて、カラー写真は、使用目的により、主として光に常時さらされて保存する場合(例えば、展示されているカラー印画紙)と、光にさらされる時間が非常に短く、主として暗所に長期間保存される場合(例えば、アルバムに貼られたカラー印画紙)とがあり、後者の保存条件で変褪色する原因は、雰囲気中の湿分や微量に存在する化学物質、更には熱による影響であり、これは暗熱褪色と呼ばれ、前者の保存条件のもとで生ずる光褪色とは明確に区別されているところ、カラー写真の色画像のうちシアン色画像は、この暗熱褪色がイエロー色画像、マゼンタ色画像に比して一段と著しいことは一般によく知られており、このことがカラー写真を半永久保存の記録材料として使うことの大きな障害となつている(同第三頁第五行ないし第四頁第五行)との知見に基づき、このシアン色画像の耐湿熱堅牢性が改良された、すなわちシアン色画像の暗熱褪色性が改良されたハロゲン化銀カラー写真感光材料を提供すること(同第七頁第一一行ないし第一三行)を技術課題とし、この技術課題を達成するため、疎水性の2―アシルアミノ―5―メチル―6―クロロフエノール系シアン色素形成カプラーと少なくとも一種の2―(2´―ヒドロキシフエニル)ベンゾトリアゾール化合物とを同一の乳剤層中に含有させる構成としたもの(同第七頁末行ないし第八頁第五行、昭和五八年二月二二日付手続補正書第一頁第六行ないし第九行)であり、その結果、シアン色画像の温度湿度に対する堅牢性を向上させる、すなわち暗熱褪色性を改良するという作用効果を奏する(本願明細書第二八頁第一一行ないし第一六行、前記手続補正書第二頁第一五行、第一六行)ものであることが認められる。
これに対し、成立に争いのない甲第八号証によれば、第一引用例記載の発明は、紫外線吸収剤を含有するカラー写真感光材料、特に、2―アリールベンゾトリアゾールからなる紫外線吸収剤の二種以上を含有するカラー写真感光材料に関する発明(第一欄第二一行ないし第二四行)であつて、カラー写真の画像は、発色剤(カプラー)と現像主薬の酸化生成物のカツプリング反応、すなわち発色現像によつて生成した色素からできているため、金属銀からできている黒白写真の画像よりも耐光堅牢度が劣つているので、紫外線吸収剤を使用して色素破壊作用の大きい紫外光を除去し、耐光堅牢性の向上、すなわち光褪色性の改良をはかる必要がある(同欄第二五行ないし第三二行)ところ、感光材料の製造時に、現像処理によつて流出しないような紫外線吸収剤を感光材料中に含有させておく方法を採る場合に用いる当該紫外線吸収剤は、<1> 三〇〇ないし四〇〇mμの紫外光を効果的に吸収し四二〇mμ以上の可視光を吸収しない、<2> 現像処理によつて流出、変色しない、<3> 曝光によつて紫外線吸収剤自体が着色したり、紫外線吸収能力が低下したりしない、<4> 写真感光材料の製造時、保存時、現像時において写真感光材料に対して有害な作用をしない、という性質を備えなければならない(第二欄第三行ないし第一二行)という知見に基づき、この<1>ないし<4>の性質を備え、かつ従来技術の欠点にかんがみ、溶媒に対する溶解性がよく、比較的低分子量のものという特性を有する紫外線吸収剤を含有するカラー写真感光材料を提供すること(第四欄第八行ないし第二〇行)を技術課題とし、この技術課題を達成するため、2―アリールベンゾトリアゾール誘導体からなる紫外線吸収剤化合物の二種以上と高沸点有機溶媒とを併用した分散物を含有させる構成としたもの(第六頁の特許請求の範囲の項)であり、この紫外線吸収剤の使用によつてカラー写真の色画像の耐光性が著しく改善されるという作用効果を奏する(第一一欄第二四行ないし第二七行)ものであることが認められる。
そして、前掲甲第八号証によれば、第一引用例の実施例2には、最上層の乳剤層として、実施例1に記載されているN―オクタデシル―1―ヒドロキシ―4―スルホ―2―ナフタミドを用いたシアン色素形成カプラー(ナフトール系シアン色素形成カプラー)を含む赤感光性塩化銀ゼラチン乳剤に、紫外線吸収剤(ベンゾトリアゾール化合物)を含有した乳化分散物を添加した構成のものが記載され、かつこの構成のものが紫外線吸収剤を含まない試料に比して、曝光後のシアン色画像の色濃度低下率が小さいこと、すなわち光褪色防止の効果を奏するものであると記載されていることが認められる。
(二) そこで、前記(一)の認定事実に基づき、本願発明と第一引用例記載の発明とを対比すると、両発明は共にカラー写真感光材料に関する発明であり、シアン色素形成カプラーを含む乳剤層にベンゾトリアゾール化合物を配合する点において一致している。
しかしながら、両発明の技術課題についてみると、本願発明は、暗熱褪色性はシアン色画像が他の色画像(イエロー色画像及びマゼンタ色画像)に比して一段と著しく、カラー写真を半永久保存の記録材料として使うことの大きな障害となつているとの知見に基づき、このシアン色画像の耐湿熱堅牢性が改良された、すなわちシアン色画像の暗熱褪色性が改良されたカラー写真感光材料を提供することを技術課題とするものであるのに対し、第一引用例記載の発明は、紫外線吸収剤を使用することにより、色素破壊作用の大きい紫外光を除去して耐光堅牢性の向上、すなわち光褪色性の改善をはかるため、この紫外線吸収剤として要求される性質ないし特性を備えた紫外線吸収剤を含有するカラー写真感光材料を提供することを技術課題とするものであつて、両発明は、その技術課題が明らかに相違するものと認められる。
そして、両発明は、このように技術課題が相違することに基づき、それぞれの技術課題を達成するための構成において、本願発明は、シアン色素形成カプラーとして特定の疎水性のフエノール系化合物を選定し、これとベンゾトリアゾール化合物とを同一の乳剤層に含有させる構成としたものであるのに対し、第一引用例記載の発明においては、ベンゾトリアゾール誘導体からなる紫外線吸収剤化合物の二種以上と高沸点有機溶媒とを併用した分散物を含有させる構成としたものであり、具体的には前摘記の実施例2に示されているように、シアン色素形成カプラーとしては、本願発明とは異なる特定の親水性のナフトール系シアン色素形成カプラーを用い、これをベンゾトリアゾール化合物と同一の乳剤層に含有させているものである。
被告は、本願発明は、ベンゾトリアゾール化合物を用いることにより、熱褪色防止の他に、光褪色防止の効果をも達成しているものであつて、この熱褪色防止を、光褪色防止と区別するために、光の存在しない暗所における作用として捉えて、暗熱褪色防止といつているものである旨主張する。
しかしながら、本願明細書は、暗熱褪色と光褪色とは明確に区別し、本願発明は、シアン色画像の暗熱褪色性が改良されたハロゲン化銀カラー写真感光材料を提供することにあると記載していることは、前記(一)認定のとおりである。なる程、前掲甲第二号証ないし第七号証によれば、本願明細書の実施例1には、本願発明の構成によつて組成された試料Eと、ベンゾトリアゾール化合物を本願発明の構成に従わないで別の層に添加した以外は試料Eと同じ試料Fとを、暗褪色(試験条件 六〇度C、七五%相対湿度、二〇日保存)、熱褪色(試験条件 八〇度C、ほぼ乾燥雰囲気下、七日保存)、光褪色(試験条件 照度約三万ルツクスの蛍光灯に四週間照射)について対比した試験結果が第2表(本願明細書第六〇頁、昭和五二年一〇月二五日付手続補正書第二頁第七行ないし第一〇行)に記載され、同表によると、試料Eは、試料Fに比して光褪色防止の効果においても優れている(濃度低下率の差二ないし五%)が、むしろ暗褪色及び熱褪色防止においてその改良効果が著しいこと(濃度低下率の差、熱褪色九ないし一五%、暗褪色一一ないし一七%)が認められ、右認定事実によれば、本願発明が光褪色防止の効果を奏するからといつて、光褪色防止をも技術課題とし、これを達成するための構成を示しているものということはできない。しかも、本願明細書のこれらの試験条件等の記載事項に照らすと、本願発明においていう「暗熱褪色」とは、暗所における湿分や微量に存在する化学物質の作用による褪色、すなわち暗褪色と暗所での熱褪色とを意味するものと解するのが相当であるから、被告主張のように、単に暗所における熱の作用に対する褪色のみを意味するものでないことは明らかであつて、被告の前記主張は、本願発明における暗熱褪色の意義について誤認しているものといわざるをえない。
また、被告は、第一引用例記載の発明においても、ベンゾトリアゾール化合物を用いていることから、光褪色防止の他に暗熱褪色防止の効果を達成しているものであり、第一引用例記載の発明は、右効果に結びつく技術課題及び構成の点で本願発明と差異がない旨主張する。
前掲甲第八号証によれば、第一引用例には、実施例2における褪色防止の効果を確認する試験法として、実施例1と同様な試験、すなわち「得られた試料を直射太陽光に通算三〇時間曝光し、各色素の反射光学濃度を測定した」(第八欄第三五行ないし第三七行)試験を行つた結果が表示され、同表には、第一引用例の実施例2の構成によつて紫外線吸収剤(ベンゾトリアゾール化合物)を含有させた試料は、紫外線吸収剤を含有させない試料に比して曝光後におけるシアン、マゼンタ、イエローの各色画像の色濃度低下率が小さいことが示されていることが認められ、当該数値は紫外線吸収剤(ベンゾトリアゾール化合物)を含有させたことによる褪色防止の効果を示すものであるが、この褪色防止の効果は、あくまでも曝光、すなわち光に対する効果であることは、前掲甲第八号証により、第一引用例に「本発明の方法で紫外線吸収剤を含有させた場合、画像色素の耐光堅牢度は著しく上昇した」(第九欄第一四行、第一五行)、「本発明の方法による紫外線吸収剤の使用によつてカラー写真の色画像の射光性が著るしく改善されることがあきらかになつた」(第一一欄第二四行ないし第二七行)と記載され、他方において、紫外線吸収剤の使用により熱に対する褪色防止の効果を奏することについては何らの記載もなく、これを示唆する記載すら存しないことが認められることから明らかである。そして、ほかに、ベンゾトリアゾール化合物を使用することにより、シアン色画像の暗熱褪色を防止する作用効果を奏することを認めるに足りる証拠はない。
そうであれば、本願発明と第一引用例記載の発明とは、そもそも技術課題を異にし、その相違に基づき、それぞれの技術課題を達成するための構成を異にするものであつて、同じベンゾトリアゾール化合物を含有させるのも別異の技術的意義を有するのであるから、第一引用例の記載事項から、本願発明の前記技術課題及び構成が示唆されているということはできない。
審決は、本願発明と第一引用例記載の発明との相違点について判断するに当たり、「本願発明は請求人(原告)が当審における拒絶理由に対してなした意見書中で主張しているように、アルバム中での暗褪色を改良したハロゲン化銀カラー写真感光材料に限定されるものではなく、日光の下での光褪色を改良することをも含めて、単にハロゲン化銀カラー写真感光材料としているものである。」と認定しており、この認定は、本願発明は、光褪色の防止をも技術課題とし、この点において第一引用例記載の発明と技術課題を共通にするものであることの認定を含む趣旨のものと解されるが、これが誤りであることは、以上叙述した理由により明らかである(なお、成立に争いのない甲第一一号証によれば、審決が引用する意見書は、本願発明は、前記認定の暗褪色性を改良することを技術課題とする意見を記載したものであつて、光褪色性を改良することも技術課題とすることを肯定したものでないことが認められるから、審決の前記認定はこの点においても誤つている。)。
そして、成立に争いのない甲第九号証によれば、第二引用例記載の発明は、カラー写真、特にノルマルアルキル基をもつ写真色素形成カプラーに関する発明(第一欄第一五行ないし第一七行)であつて、これまで使用されているカプラー化合物よりも低融点であり、また、有機溶剤における溶解性が大きくかつゼラチン―ハロゲン化銀乳剤中における拡散性が低い新規なカプラー化合物を提供すること(同欄第四四行ないし第五六行)を技術課題とするものであり、第二引用例には、このカプラー化合物の具体的例示として、マゼンタ及びイエロー色素形成カプラーと共にシアン色素形成カプラーとして、一般式
<省略>
(式中Rは水素又はエチル基であり、R´はC数七ないし一五のノルマルアルキル基であり、nは〇ないし二である。)で示される化合物(この化合物は、本願発明における2―アシルアミノ―5―メチル―6―クロロフエノール系シアン色素形成カプラーに包含され、その構造式から疎水性であることが明らかである。)に包含される多数の化合物及びその製法、ならびにこのカプラー化合物の融点、有機溶剤における溶解性及び乳剤中の拡散性の側面から検討した結果を開示しているが、このカプラー化合物を使用した場合における光褪色性や暗熱褪色性については何らの記載もなく、この点に関する示唆すら存しないことが認められるから、第二引用例は、シアン色素形成カプラーとして本願発明において使用されるクロロフエノール系化合物が公知であることを示すにとどまり、本願発明における技術課題については何らの記載も示唆も存しないことが明らかである。
したがつて、第二引用例にシアン色素形成カプラーとして、本願発明において使用されるクロロフエノール系化合物が開示され、また、ハロゲン化銀カラー写真材料において光褪色を改良するのに紫外線吸収剤を添加することが普通に知られていても(この点は、原告も認めて争わないところである。)、当業者にとつては、第一引用例記載の発明、すなわち本願発明における暗熱褪色性の改良という前記技術課題を示唆するものでもなければ、この技術課題を解決するために、本願発明の採用した特定のクロロフエノール系シアン色素形成カプラーをベンゾトリアゾール化合物と共に同一の乳剤層に含有せしめるという構成を開示するものでもない発明に基づいて、そのナフトール系シアン色素形成カプラーを、同じく本願発明における前記技術課題について何ら示唆するところのない第二引用例に記載された公知のクロロフエノール系シアン色素形成カプラーに代えて本願発明を得ることは、容易になし得るところではないというべきである。
そして、本願発明は、前記(一)認定のとおり、シアン色画像の温度湿度に対する堅牢性を向上させる、すなわち暗熱褪色性を改良するという作用効果を奏するものであるところ、この効果は、シアン色素形成カプラーの暗熱褪色性の改良については何ら開示することのない第一引用例及び第二引用例記載の発明から予測することのできない顕著な作用効果であることが明らかである。
(三) 以上のとおりであるから、審決は、本願発明と第一引用例記載の発明との相違点について判断するに当たり、本願発明と第一引用例記載の発明との技術課題及び構成の相違並びに第二引用例記載の発明との技術課題の相違をいずれも誤認し、かつ本願発明の奏する特有の作用効果を看過、誤認した結果、本願発明は、第一引用例及び第二引用例の記載内容に基づいて当業者が容易に発明することができたとしたものであり、前記の誤りは審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、審決は違法として取消されるべきである。
3 よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容する。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
支持体とその上に設けられた少なくとも一つのハロゲン化銀乳剤層からなり、該乳剤層の少なくとも一層は疎水性の2―アシルアミノ―5―メチル―6―クロロフエノール系シアン色素形成カプラーと少なくとも一種の2―(2´―ヒドロキシフエニル)ベンゾトリアゾール化合物とを含有することを特徴とするハロゲン化銀カラー写真感光材料。