東京高等裁判所 昭和59年(う)1178号 判決 1984年10月30日
被告人 山田信溥
昭二二・二・一八生 工員
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役二年八月に処する。
原審における未決勾留日数中四〇日を右刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人茂木洋が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官山崎惠美子が提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
一 控訴趣意第一の一(事実誤認の主張)について
論旨は、要するに、原判決は、被告人が山口直樹管理にかかる現金一七万三二〇〇円を窃取した旨認定したけれども、被告人は山口から右現金在中の集金かばんの管理を委託されていたものであり、右集金かばんは上蓋がかかる程度で鍵のかかつていない状態であつたことにかんがみると、右金員は被告人の現実的な支配下にあつたものであり、したがつて、被告人は山口管理にかかる金員を窃取したものではなく、横領罪をもつて処断されるべきものであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。
しかし、所論にかんがみ記録を精査して検討すると、原審において取り調べられた各証拠によれば、原判示の現金一七万三二〇〇円は山口直樹が管理占有していたものであつて、被告人は原判示のとおりこれを窃取した事実を優に認定することができ、原判決には所論の事実の誤認があるとは認められない。
すなわち、右各証拠によれば、
1 被告人は、本件当時原判示の日本経済新聞亀有専売所に住み込みで働いていた者であり、本件被害者である山口直樹も同専売所に住み込み新聞の配達、新聞代金の集金等の仕事に従事していた者であること、
2 山口は、昭和五八年一〇月三〇日午後六時一〇分過ぎころ集金を終えて同専売所に戻り、従業員が自由に出入りする一階食堂で集金かばんを開けて集金額を数えるなどしているうち、同僚の増田聖二、伊地知浩樹と一緒に近所の弁当屋「デリカパクパク」に夕食のための弁当を買いに行くことになつたが、その際、右食堂でテレビを見ていた被告人が、山口に対し、被告人の弁当も買つてくるよう依頼するとともに、「かばん持つてお前買いに行くのか」と言つたことから、山口は、右買物に行つて帰つて来るまでの間被告人に右食堂で右集金かばんを預かつて貰おうと考え、同時二〇分ころ右食堂で、被告人に対し、右趣旨のもとに「これ預かつて下さい」と言つて右集金かばんを手渡し、右増田らとともに買物に出掛けたこと、
3 右集金かばんの中には、山口が当日集金し、その明細を明らかにしたうえ直ちに雇主である同専売所所長佐々木淳司に引き渡すべき現金一七万四四〇〇円(うち五〇〇〇円はつり銭)が入つており、また、右集金かばんは、中のチヤツクが閉まつておらず、施錠もされていなかつたが、上蓋が閉まつていてその止め金もかけられていたこと、また、その時刻にたまたま右佐々木の姿が見えなかつたので引き渡すことが出来ずにいたものであること、
4 被告人は、山口らが外出するや間もなく右集金かばんの上蓋を開け、右在中現金のうち一七万三二〇〇円を抜き取り、これを持つて同専売所から逃走したこと、
5 山口らは、前示弁当屋で弁当を買い、道筋のイトーヨーカ堂でも買物をしたうえ、午後六時五〇分ころ同専売所に戻つたところ、被告人は既に右現金を持つて逃走していたこと、なお、同専売所と右弁当屋との間の距離は二百数十メートルであり、弁当を買うだけであればその注文時間を含めても一二、三分で往復することができたこと
以上の事実が認められ、以上の事実関係に照らすと、被告人は、山口から施錠されていない集金かばんを預かつたものであつて、その在中物である現金に対して被告人の事実上の支配がある程度及んでいたことは否定しえないとしても、被告人は、山口から右集金かばんを前記のように僅か二百数十メートル離れた店に弁当を買いに行つて帰るまでの約三〇分の間、同人が自由に出入りする場所で看視するとの趣旨で預かつたものであり、また、右集金かばんは、施錠されていなかつたとはいえ、上蓋の止め金はかけられていて、被告人がその在中物を取り出すことは許されていたものではないことにかんがみると、被告人が右現金に対し排他的な事実上の支配をしていたものとは到底認めることはできず、山口においてなお右現金につき実質的な事実的支配を有していたものと認められる。したがつて、被告人が右集金かばんから現金を抜き取りこれを持つて同専売所から逃走した行為は、山口の右現金に対する占有を侵害しこれを窃取したというべきことが明らかであり、これと同旨の認定をした原判決には所論の事実の誤認はない。論旨は理由がない。
二 控訴趣意第一の二(訴訟手続の法令違反の主張)について
論旨は、要するに、原判決は、被告人が過去にも前示専売所から集金の持ち逃げをした旨認定し、被告人の量刑を重くしているけれども、起訴されていない余罪を認定してこれを量刑の資料とすることは許されないのみならず、右事実については被告人に防禦の機会が与えられていないから、原判決には憲法三一条、刑訴法二五六条に違反した訴訟手続の法令違反がある、というのである。
そこで、検討すると、原判決は、(量刑の事情)と題して、被告人は、過去にも同専売所に勤務し、二度も集金の持ち逃げをして、約四〇万円余の損害を与えていた旨判示していることは、所論の指摘するとおりであるが、いわゆる余罪についてはこれを処罰する趣旨ではなく、量刑のための一情状として考慮することは何ら禁じられていないものであるところ(最高裁判所昭和四一年七月一三日大法廷判決参照)、原判決は、右事実により被告人の持ち逃げの常習性ないしは悪性格を推知するための資料として、また、被告人が右事実があるのに再雇用してもらつた雇主の善意を裏切つて本件行為に及んだ点において本件犯行自体の犯情がよくないとの趣旨で右事実を判示したものであつて、右事実をいわゆる余罪として認定し実質上処罰する趣旨で判示したものではないことは、原判決の判文、その量刑等に照らして明らかであり、また、右事実については、原審で取り調べられた各証拠により明らかであるのみならず、被告人自身原審公判廷においてこれを認めているものであつて、被告人が右事実につき原審において防禦の機会を与えられなかつたものとは到底認めることができない。原判決には所論の訴訟手続の法令違反はなく、論旨は理由がない。
三 控訴趣意第一の三(量刑不当の主張)について
論旨は、要するに、被告人を懲役三年に処した原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。
そこで、検討すると、本件は、原判示の窃盗罪等の前科を有する被告人が、更に常習として勤務先の同僚の集金かばんから現金一七万三二〇〇円を抜き取り窃取した事案であり、被告人は窃盗罪等の前科五犯(うち二犯は累犯前科)を有し、昭和五八年八月前刑の服役を終えて出所後僅か二か月でまたも本件犯行に及んだものであつて、被害額も少なくないこと、被告人は従前二度も集金の持ち逃げをして約四〇万円余の損害を与えていたのに再雇用してもらつた雇主の好意を踏みにじつたこと等の犯情にかんがみると、被告人の刑責は重いというべきであり、したがつて、本件における窃取行為は一回限りであること、被告人は本件につき反省していることが窺われることなどの被告人に酌むべき情状を十分に斟酌しても、被害弁償がなされていなかつた原判決言渡当時においては、原判決の量刑はまことに相当であつたものと認められる。
しかし、当審における事実の取調べの結果によれば、原判決言渡後、被告人は、給付を受けた労災保険金から本件被害額である一七万三二〇〇円全額の被害弁償をし、被害者である山口及び前記専売所の旧雇主との間に示談が成立し、被告人に対し寛大な裁判を望む旨の右両名作成の書面が当裁判所に提出されていることが認められ、右原判決言渡後の情状を斟酌すると、原判決の量刑は現時点においては重きに失するに至つたものというべく、原判決を破棄しなければ明らかに正義に反するものと認められる。
そこで、刑訴法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い次のとおり自判する。
原判決が認定した被告人の所為は、盗犯等の防止及び処分に関する法律三条、二条、刑法二三五条に該当するところ、原判決挙示の累犯前科があるので同法五九条、五六条一項、五七条により同法一四条の制限内で累犯の加重をし、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年八月に処し、刑法二一条により原審における未決勾留日数のうち四〇日を右刑に算入し、刑訴法一八一条一項但書により原審及び当審における訴訟費用の全部を被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐々木史朗 竹田央 中西武夫)