東京高等裁判所 昭和59年(う)1207号 判決
所論は,原判示の交差点の手前左角民家石塀には,いわゆる角切りがなされていて,被告人車の進路から左方道路に対する見とおしが全くできないわけではなく,一方,左方道路の交差点入口には一時停止の標識が設置されていたことからすると,この場合の被告人の徐行義務は相当程度軽減され,時速約24キロメートルに減速して交差点に進入した被告人は,徐行義務に違反するところはなかったし,また,被告人においては,交差点左角の電柱と石塀の間から左方道路の車両の有無を確認したのであるから,安全確認の義務もこれを尽したものというべきであって,なんら責められるところはないと,主張する。
しかしながら,原判示の交差点は,交通整理が行われておらず,また,被告人の進路は,歩車道の区別のない幅員5.60メートルのあまり広くない道路で,交差道路(歩車道の区別はなく,幅員5.70メートル)の幅員とほぼ等しく,しかも,被告人運転車両の進路を基準として交差点手前の左側角には,民家石塀が道路沿いにめぐらされているため,左方交差道路に対する見とおしがきかない状態にあったことは,原判示のとおりであると認められる。なるほど,同交差点の左角民家石塀は,角切りがなされているが,関係証拠によって認められる交差点の客観的状況に徴して検討しても,被告人の進路を進行してきた車両の運転者としては,交差点入口付近まで進行して,初めて左方道路の停止線付近を見とおすことができるにすぎないことが明らかであるから,所論のいう角切りのあることを考慮してもなお,同交差点をもって見とおしのきかない交差点というを妨げないのである。してみると,たとえ被害車両の進路にあたる交差道路側に一時停止の道路標識及び停止線の標示が存在しても,被告人に右交差点の優先通行権が生じ,徐行義務が免除されると解すべきでないことは最高裁昭和43年7月16日第三小法廷判決・刑集22巻7号813頁の示すとおりである。ところで,所論のうち「徐行義務の軽減」という表現を用いて主張する点は,その趣旨明確を欠くが,要するに,本件交差点の具体的状況に照らし,被告人の減速義務は相当程度軽減され,時速約24キロメートルで交差点に進入した被告人は,すでに注意義務を尽したものといえる,というにあると思われる。しかし,前示のとおり,被告人の進路を進行してきた車両の運転者としては,交差点入口付近まで進行して初めて左方道路の停止線付近を見とおすことができるにすぎないところ,時速約24キロメートルの速度で交差点入口に差しかかったのでは,左方交差道路から交差点に進入しようとする車両を発見し,急制動の措置を講じても,かかる場合に通常要するとされる停止距離から推して,これとの衝突を回避することは困難であると考えられるから,所論のいう速度では到底注意義務を尽したものとはいえないことが明らかである。本件の場合被告人が注意義務を尽したというには,本件交差点の具体的状況に徴して検討しても,やはり車両等が直ちに停止することができるような速度にまで減速して進行することを要するものと認められるから,前叙のとおり時速約25ないし30キロメートルで交差点に進入した被告人が,その義務を怠ったことは明らかであるといわなければならない。また,信頼の原則の適用に関する最高裁昭和43年12月17日第三小法廷判決・刑集22巻13号1525頁は,交通整理が行われておらず,しかも左右の見とおしのきかない交差点で,他方の道路からの入口に一時停止の道路標識および停止線の標示があるものに進入しようとする自動車運転者としては,徐行して,右停止線付近に交差点に入ろうとする車両が存在しないことを確めた後,速やかに交差点に進入すれば足りる旨判示している。このように,交差道路の停止線付近を注視し,交差点に入ろうとする車両の存否を確認すれば,交差道路に対する安全確認義務を尽したことになるとされるためには,交差道路に対する見とおし状況からして,自らも徐行して交差点入口付近に到達し,その地点において安全確認措置をとらなければならないのであって,このような安全確認には先に述べた徐行が不可欠な前提となることも,理の当然といわなければならない。しかるに被告人は,前叙のとおり,徐行することなく交差点に進入し,その直後に初めて左方道路から進行してきた被害車両を発見したものと認められるから,被告人が左方道路に対する交通安全確認の義務を怠ったことも明らかである。所論は,電柱と石塀の間から左方道路の車両の有無を確認したというけれども,およそ安全確認義務を尽したといえるためには,まず車両の有無を確認し,その存在を発見したときには,更にその動静や速度についても的確に把握する必要があるのであるから,所論のように,交差点入口までまだ隔たりのある地点で,電柱と石塀の間からわずかに左方道路を一べつしただけでは,到底安全確認義務を尽したということはできないのである。ひっきょう所論は,原判示の認定と異なる事実関係に立脚し,かつ 独自の見解のもとに原判決を論難するに帰し,到底採用することができない。