大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和59年(う)1810号 判決

被告人 阿部和正

〔抄 録〕

所論は、要するに、本件起訴状に訴因として記載された過失の内容は、被告人が本件交差点を右折するに当り、「右折の合図をし、徐行しつつ対向車両または右側の並進車両、若しくは後続車両との安全を確認すべき注意義務があるのに、その合図をしたが、後続する山田耕司運転の車両との安全を確認することなく、時速約五キロメートルで右折進行した」というものであるところ、検察官は、証拠調べが終了した段階において、過失の内容を「同交差点の一〇数メートル西側にある丁字型交差点を寿能町方面から岩槻市方面に左折した後、更に右折する場合であったため、法令により定められた進路をとることはもちろん、法令に定められた時期に適切に右折の合図をすることもできず、川越市方面から進行して来る車両があるときは、その進路を妨げ、あるいはその運転者の判断を誤らせるおそれが大であったから、右折の合図を出すはもちろん、接近して来る後続車両の有無及びその安全を十分確認すべき業務上の注意義務があるのに、右折する交差点の直近で右折の合図をしたが、後続する前記山田耕司運転の車両の動静に全く留意せず、その安全を確認しないまま、時速約五キロメートルで右折進行した」と訂正する旨の訴因の訂正を申し立て、これに対し、原審裁判所は、弁護人において、右は訴因訂正の限度を超えるものであるから訂正は許されず、かつ訴因変更手続によるべきところ、証拠調べが終了した段階において訴因の変更をすることは許されるべきでない旨述べたのに、これを訴因の訂正として許可したうえ、訂正された訴因に基づいて被告人の過失を認定して有罪判決を言い渡したのであって、右原裁判所の措置は訴訟手続の法令に違反するもので、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない、というのである。

そこで、記録を調査して検討するに、記録によると、本件起訴状(昭和五八年一一月三〇日略式命令請求)に訴因として記載されていた過失の内容が所論のとおりであったところ、第一回ないし第三回公判期日において証拠調がなされた後、右第三回公判期日(昭和五九年七月一二日)に、原裁判所が検察官に対し、道路状況を具体的に記載するよう訴因の補正を命じたこと、検察官は、同年八月九日、訴因を所論のとおり訂正する旨の「起訴状記載の公訴事実の訂正請求書」を裁判所に提出し、翌一〇日、右請求書の謄本が被告人に送達されたこと、そして第四回公判期日(同月三〇日)において、右請求書のとおり起訴状を訂正する旨の陳述がなされ、弁護人から所論のとおり訂正に異議がある旨の申述がなされたが、原審裁判所は、右起訴状の訂正を許可する旨決定し、そのうえで訂正された被告事件について、被告人から第一回公判廷で述べたと同様である旨、及び弁護人から被告人の陳述と同様である旨のそれぞれの意見陳述がなされたこと、その後第五回公判期日(同年一〇月四日)において証拠調が終了し、弁論のうえ結審し、同年一一月一日、訂正された訴因に基づいて被告人の過失が認定され有罪の判決が言い渡されたこと、以上の事実が認められる。

右事実にかんがみると、原審裁判所は、起訴状に記載されている後続車との安全確認義務がいかなる根拠から発生するのかその具体的状況を訴因に明示させるべきであるとの見解のもとにその補正を命じたところ、検察官は起訴状の訂正請求という形式でこれに応じたのであるが、その実質は訴因を補充訂正する内容のものであり、かつ手続の形式は訂正という表現でなされているものの、実質は訴因変更手続に従って訴因の補充訂正がなされているのであって、その手続にかしはなく、また右補充訂正は同じ過失の態様の中で注意義務の発生根拠となる具体的状況を明確にしたものであって、これを補充訂正したからといって過失の態様を異にするものではなく、攻撃防禦の対象は同一のもので、一応の証拠調べがなされた段階で補充訂正されたことを考慮に入れても、被告人の防禦権に影響をきたすものとは考えられず、前記原審裁判所の訴訟手続に法令違反は存しない。

(内藤 前田 本吉)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!