東京高等裁判所 昭和59年(ネ)2925号 判決 1988年3月24日
控訴人
髙山輝男
右訴訟代理人弁護士
河原正和
同
山口邦明
被控訴人
国
右代表者法務大臣
林田悠紀夫
右指定代理人
田中澄夫
同
三ツ木信行
同
田辺与一郎
同
岡本公明
同
岩渕豊
同
古川夏樹
同
原口真
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴代理人は「1 原判決を取り消す。2 被控訴人は控訴人に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。3 被控訴人は、官報の第一面並びに日刊紙朝日新聞及び同毎日新聞の各全国版(朝刊)社会面に、見出しに三倍活字、本文に1.5倍活字、記名、あて名及びその肩書に二倍活字を使用して、別紙文言の謝罪文を各一回掲載せよ。4 被控訴人は、控訴人についての身上調査票(整理番号一八〇八九)の記載中、「二〇・九・二七逃亡」とある部分を抹消せよ。5 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに右2項につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
二 当事者双方の主張は、左記のとおり補正、追加するほか原判決事実摘示第二(原判決添付の謝罪文を含む。ただし、右謝罪文を別紙謝罪文に改める。)と同じであるから、それをここに引用する。
1 (原判決の補正)
(一) 原判決三丁表末行以下同裏七行目まで全部を次のように訂正する。
「(二)ところで、控訴人が所属していた佐世保鎮守府第八特別陸戦隊(以下『佐八特』ともいう。)においては、戦時中、控訴人の情報活動により捕らえたスパイを何人か処刑しており、特に、既に終戦になつた昭和二〇年八月一五日の後において、佐八特部隊内で、控訴人の直属上官である同隊嘉積警察第四中隊本部中隊長江川浄(以下『江川中隊長』ともいう。)の命令下に、現地のバナナ屋の青年を処刑するという事件が起きていた。控訴人は中国軍に対する情報活動をしていたことから、所属部隊が中国軍の接収を受ければ、控訴人がまず第一に戦犯とされるであろうし、そうなれば戦時中の事件だけでなく、右バナナ屋青年の処刑事件についても話をせざるを得なくなる。終戦後に現地人を処刑したという事実は極めて重大であり、当然これに断を下した中隊長、その上官である司令も戦犯の責めを免れない。そこで、控訴人は、そのような結果を未然に防ぐため、すなわち、単に控訴人自身のためではなく、上官、軍のために一時所属部隊から離隊することを決意し、同年九月中旬、上官の江川中隊長にその旨を申し出、同中隊長の承諾を得て同部隊を離隊した。その後、控訴人は、海南島の首都海口に脱出し、途中再三身の危険に遭いながら九死に一生を得て生還することができた。なお、控訴人は、生還後は日本軍に復帰するつもりでいたが、日本国の敗戦、日本軍の解体等のため、復帰できず今日に至つているものである。」
(二) 同三丁裏九行目「戦地を脱出して」以下同末行「聞かされた。」まで全部を「戦地を脱出して海口に達し偶然戦友の川崎に会つたとき、控訴人は、川崎から、控訴人が軍より『逃亡』と処理されていることを聞かされた。また、控訴人は、日本国の神戸に上陸したときにも、戦友の岡本利雄に会い、同様の話を聞かされた。」と訂正し、同五丁表五行目「内容である。」の次に「そして、個人の重大な事項に関するものであれば、その情報が事実に反していると認められる限り、抹消・訂正は認められるべきであり、また、情報が個人の人格信用等の判断評価を含むものである場合には、その判断あるいは評価が不当なものであるときにも、抹消ないし訂正が認められるべきである。」を、同八行目「原告」の次に「名誉及び」を各加入する。
(三) 同六丁表三行目以下同七行目まで全部を次のように訂正する。
「なお、公務員の違法な公権力の行使により損害が生じたとしても国はそれに対して賠償責任を負わない旨の国家無責任の原則は、昭和二〇年八月一四日のポツダム宣言受諾により否定されたと解すべきである。
(3) 厚生省援護局は、旧海軍が保管していた控訴人につき逃亡と処理している関係書類を引き継ぎ、昭和三二年ころ控訴人の身上調査票を作成したが、旧植民地であつた台湾出身者は、日本の敗戦により解放されたのであり、仮に日本国の軍隊から何の許可も受けずに離隊したとしても、少なくも終戦後の離隊は、もはや『逃亡』すなわち日本国に対する反逆の評価を与えるべきでなく、当時の日本軍がこれを逃亡と処理したとしても、独立した関係国との外交上の処理のための資料作成に当たつては、そのような不当な処理は訂正すべきであつた(それを『逃亡』として記録に残しておくことは、国際道義に反し、国際的人権侵害でもある)ところ、同援護局はそのような配慮をせず、漫然と控訴人の身上調査票に『二〇・九・二七逃亡』と記載して、控訴人の名誉及びプライバシーの権利を重ねて侵害し、ないしはそれを侵害する処理を継続し、現在に至つている。」
(四) 同七丁表一行目「最も不名誉な罪である。」の次に「軍人軍属が軍ないし国の記録に『逃亡』と記載されることは、右逃亡罪に該当する行為があつたものと連想され、軍人軍属にとつてこの上ない不名誉なことである。」を加え、同八丁裏四行目「身上調査表」を「身上調査票」と訂正し、同九丁裏三行目「認めるが、」の次に「軍人軍属が軍ないし国の記録に『逃亡』と記載されることが、逃亡罪に該当する行為があつたものと連想され、軍人軍属にとつてこの上ない不名誉なことであることは争い、」を、同末行「ところで、」の次に「終戦後の軍人軍属については、『昭和二十年八月二十五日陸海軍人に賜はりたる勅諭』により『一絲紊レサル統制ノ下整齊迅速ナル復員ヲ実施』とされ、また『連合国最高司令部指令第二号(昭和二〇年九月三日)』により『日本帝国大本営ハ一切ノ日本国軍隊ノ迅速ニシテ秩序アル復員ヲ行フベシ』とされ、軍の統制を保つことが要請されていたのであり、さらに具体的には、」を各加入し、同一〇丁表二行目「には」を「において、」と、同四行目から五行目「とあり、」を「とされていたのであつて、」と各訂正し、同六行目「保有していた。」の次に「終戦により軍隊内部の秩序が崩壊したわけではない。」を加える。
(五) 同一一丁裏一行目以下同六行目まで全部を次のように改める。
「調査名簿を作成し、解雇解傭事由を明らかにする趣旨で、所定の手続を経ずに当該部隊の所在地を離脱した者については逃亡と記載したもので、控訴人の離隊をもつて、軍刑法の逃亡罪に該当すると認定したものではないし、また、被控訴人が控訴人の身上調査票に右台湾籍民軍属調査名簿の記載を転記し保有しているのは、過去に控訴人の行為が『逃亡』と認定された事実を、そのまま資料の上に残しているにすぎず、反逆などといつた道義的、倫理的評価を含まないものである。なお、右台湾籍民軍属調査名簿の作成に関し、何人がいかなる事実調査及び判断のもとに、控訴人につき逃亡との認定をなしたのかは不明であり、もはや調査も困難である。また、右台湾籍民軍属調査名簿において、所定の手続を経ないで部隊の所在地を離脱した場合につき、『逃亡』以外の類型は存しないし、解雇解傭事由としても、『逃亡』以外の記載は見当たらない。
(右主張に対する控訴人の認否・反論)
すべて知らない。
仮に被控訴人主張のように、控訴人が官吏服務紀律の適用を受ける者であつたとしても、控訴人の離隊は司令長官の許可を必要とするものではなかつた。何故なら、控訴人の離隊は、免職のうえ離隊したものではなく、身分を保有したままの離隊であるところ、官吏服務紀律第六条には、身分を保有したままの場合、官吏は本属長官の許可なくしてほしいままに職務を離れ、職務上居住の地を離れることを得ないと定められていたというが、控訴人は、前記のとおり、中隊長、司令等の上官が戦犯となるのを防ぐため、つまり、軍のために、上官である中隊長の承諾を得て離隊したものであり、ほしいままに職務を離れたものではない。控訴人の立場からは中隊長は絶対的存在であり、中隊長の承諾はまた命令であり、これに従つてした控訴人の離隊は正当な行為である。実際問題として、公務員一般についてもそうであろうが、特に戦場の軍隊においては、軍事行動のために所属部隊を離れ、あるいは居住地を離れることは頻繁に起こり得ることで、そのような行為の命令権は各部隊の責任者に与えられていたものであり、その都度本属長官の許可を得なければならないとしたら、軍隊の行動は麻痺してしまうであろう。のみならず、当時は中国軍の接収が間近に迫つており、控訴人が部隊を離れることは緊急を要することであつた。軍隊では、緊急の事態においては、軍令承行令により独断専行が許されていた。江川中隊長が控訴人の離隊を許可した処置は、同令に基づく正当な処置でもあつた。したがつて、控訴人の離隊は、逃亡の罪に該当するものでないことは勿論、右官吏服務紀律所定の司令長官の許可を要するものではなかつた。それ故、仮に身上調査票記載の『逃亡』が被控訴人主張のようなものであるとしても、控訴人の離隊はこれに該当しない。」
(六) 同一二丁表一行目「欠けるところはない。」の次に「控訴人の離隊につき司令長官の許可がなかつたことは控訴人の責任ではない。なお、江川中隊長は、控訴人の離隊について、当時の佐八特司令に報告・上申していたものである。」を、同八行目「裁量権の逸脱である。」の次に「軍法会議において逃亡と認定されたものであれば格別、単に官吏服務紀律所定の手続を経ていないというのであれば、『行方不明』とすれば足りる。それを逃亡とすることはそれ自体不当な処置である。」を各加入する。
2 (被控訴人の補足主張)
(一) 現在、身上調査票に基づいて、台湾籍戦没者のための「死亡証明書」や復員者について「履歴証明書」、「卒業証明書」が作成されているが、身上調査票自体を外部に出すことはない。
(二) 仮に、控訴人がその主張の事情のもとに離隊したとしても、その離隊が官吏服務紀律六条にいう、職務を離れ、職務上居住の地を離れる行為に当たることは明らかであり(一時的離隊であつても同様)、本属長官である海南警備府司令長官の許可を得る必要があつたことには変わりがないことになる。同条にいう、ほしいままに職務を離れ、職務上居住の地を離れるというのは、本属長官の許可を得ないで、すなわち適法な手続を経ないでそのような行為に出ることを指しており、正当な理由があつたか否かを問わないと解すべきである。右行為について正当な理由が存するときは、その理由に基づき本属長官の許可を得るべく手続をとればよく、そのような場合のために右行為につき本属長官が許可を与えることが予定されているのである。
(三) また、控訴人の離隊の経緯が、仮に控訴人主張のとおりであつたとしても、唯一人その事情を知る江川中隊長がこれを公にしなければ、他の者がこれを知ることは不可能であるから、台湾籍民軍属調査名簿作成の段階で、調査担当者において、控訴人が全く無断で離隊したものと判断してもやむを得ないものである。
(四) 控訴人は、適法な手続を経て離隊することができたにもかかわらず、係る手続を経ずして離隊したものであるから、このような離隊を「行方不明」とすることは適当でなく、適法な手続を経ないで離隊したという実体を表すために「逃亡」として扱うことは、格別不当なものとはいえない。
(五) 軍令の承行は、軍人に限られ、特例によつても軍属に認められたことはないのであり、江川中隊長は、軍属である海軍警部であるから、軍令の承行が認められる地位にはなかつたし、そもそも離隊につき許可を与えることは軍令の承行には当たらないと考えられる。
3 (右主張に対する控訴人の認否・反論)
被控訴人の右2(二)ないし(五)の主張はいずれも争う。
官吏服務紀律六条違反と逃亡の罪とは、一般法と特別法との関係にあり、いずれも公務員が正当な理由なく職役を離れた場合の責任を定めたものであることは明らかである。そこで、正当な理由により職役を離れた場合は官吏服務紀律違反にはならないと解すべきである。
仮に、被控訴人が主張するように、官吏服務紀律六条の規定が、正当の理由の有無を問わないとしても、控訴人の行為は、同条違反として、単に懲戒上の責任を生ずるにすぎないものである。同条違反行為であつても逃亡罪に該当しない行為に犯罪名を付することは、違法である。国に用語の使用について裁量権があるとしても、右の混同を招く使用は裁量権の逸脱というべきである。それ故、控訴人の行為を「逃亡」と認定し、台湾籍民軍属調査名簿並びに身上調査票に「逃亡」と記載しこれを保有している被控訴人国の行為は、いずれにしても違法というべきである。
三 証拠関係<省略>
理由
当裁判所も、当審における資料を含め本件全資料を検討した結果、控訴人の本訴各請求はいずれも理由がないから棄却すべきものと判断する。その理由は以下のとおりである。
一本件についての当裁判所の事実認定は、左記のとおり加除訂正をするほか、原判決理由説示(原判決一三丁表二行目以下同一八丁裏一〇行目まで)と同じであるから、それをここに引用する。
1 <省略>
2 <省略>
3 同一四丁裏七行目以下同一五丁表九行目まで全部を次のように訂正する。
「2 ところで、控訴人の所属していた佐八特嘉積本部中隊第四中隊(佐八特嘉積駐屯地等の部隊編成が本部中隊、警察隊編成が第四中隊。以下、嘉積本部第四中隊ともいう。)においては、控訴人が前記情報班長に在任中、同隊所属の海軍巡査らが、情報班の検挙に係る中国軍(蒋介石軍、中共軍)のスパイ等三名を処刑するという事件(以下「本件スパイ処刑事件」という。)があり、さらに、昭和二〇年八月一五日の終戦の後、控訴人の部下の巡査補二名が、バナナ屋の青年に軍票でバナナを買うことを拒否されたことに憤激し、右青年を嘉積本部第四中隊に強制連行し、同人に対し殴る蹴るの暴行を加えた挙句、同隊所属の海軍巡査が右青年を射殺するという事件(以下「本件バナナ屋事件」という。)が発生していた。このため、控訴人は、右バナナ屋事件の直後から、所属部隊が中国軍の接収を受けることになれば、情報班長であつた自己(控訴人)が真つ先に逮捕され戦犯として処刑されるばかりでなく、控訴人の直属上官である江川中隊長、同中隊長の上官である佐八特司令森本一男(以下、森本司令という。)らも戦犯として処刑されることは必至であると思うようになり、「控訴人自身の身を守るためにも、また、江川中隊長、森本司令ら上司や戦友を処刑から免れさせるためにも、嘉積本部第四中隊を離脱し、もはや復帰することはしまい。」と決意(以下「本件離脱の決意」という。)した。
そして、控訴人は昭和二〇年九月ころ、江川中隊長に対し、本件離脱の決意を秘して、さりげなく、「なんと海口は物価が非常に高いんじや」、「海口の方に行つてくるが、いいか」との旨を述べ、同中隊長は「ああそうか、行くんなら、私、白い布、配給の品物(反物)を持つているからこれを売つてきてくれ」との旨を述べて、これを了承して控訴人にその反物を託した。江川中隊長は、終戦後も、嘉積本部第四中隊管内においては、同隊が依然として隠然たる勢力を保持し平隠な情勢であつたから、控訴人が前叙のような動機のもとに本件離脱の決意を有するに至つたとは全く思い至らず、単に控訴人が平常の外出として海口に出向き、再び平常どおり帰隊するものとばかりと考えていたものであり、控訴人から本件離脱の決意を聞いたことも、それを察知したこともないし、控訴人が所属部隊を離脱して二度と同隊に復帰しないことまで承諾したものでは全くなかつた。なお、江川中隊長は、後日、森本司令から本件バナナ屋事件について尋ねられた際、森本司令に対し、「控訴人が海口方面に行つた」旨の報告をした。また、当時、佐八特を含む海南警備府内の軍隊及び警察隊の組織上の秩序は依然として保たれており、佐八特嘉積本部中隊に駐在していた森本司令が、伍賀啓次郎海南警備府司令長官(海南島全島の軍最高責任者。以下、伍賀司令長官という。)と連絡をとることは可能であつたところ、江川中隊長は、前叙のように、控訴人の「海口の方に行く」旨の申出を平常の外出の申出と考えていたため、森本司令に対し、控訴人につき前記報告はしたものの、官吏服務紀律第六条の規定による本属長官(伍賀司令長官)の許可を求める上申はしなかつた。まして、伍賀司令長官が控訴人の右申出を了知したとか、控訴人の離隊を許可したことは全くなかつた。なお、本件スパイ処刑事件、本件バナナ屋事件のため江川中隊長他の上司や戦友が戦犯訴追など急迫危窮に陥つた証跡はない。」
4 同一五丁表一〇行目「原告は、輸送隊のトラックに便乗して」を「原告は、海南島出身の女性とともに、輸送隊のトラックに便乗して、前叙の本件離脱の決意にもとづき所属部隊を離脱し、」と、同末行「海口市に至り、」から同一五丁裏二行目「かされた。」までを「海口市に至り、海口市には、あちこち住居を移動して一年位滞在したが、その間、同所において、数十名の者から、嘉積本部第四中隊の情報班長として、命を狙われ追い回されたこともあつたし、また控訴人は同市において戦友の川崎に会い、同人から控訴人の隊からの離脱が逃亡として取り扱われている旨を聞いた。」と、同裏二行目「会いながら」を「遭いながら」と各訂正し、同五行目「聞かされた。」の次に「なお、控訴人は前叙の離脱後は、二度と所属部隊へ戻ることはしなかつたし、所属部隊への消息も完全に絶つたものである。」を、同六行目「赴き、」の次に「昭和五一年に至り、」を各加入する。
5 一六丁表一行目から二行目「原告の直属上官として原告の離隊に承諾を与えた」を「ようやく、江川元中隊長の前任者であつた菊永泰蔵が鹿児島県川辺郡知覧町に在住していることが判明し、同人に面会して、」と、同三行目から四行目「同人方を訪れ、同人から」を「、江川元中隊長方を訪ねた。江川元中隊長は、同日、控訴人の前記離隊につき、『証明書』と題して」と、同七行目から八行目「との記載のある証明書(甲第三号証)を入手した。」を「との旨を記載した上、右証明書(甲第三号証)を控訴人に交付したが、右記載内容については、江川元中隊長は、控訴人の九死に一生を得たともいうべき脱出行に感激同情し、右証明書によつて控訴人についての前記逃亡の記載が取り消される一助にもなれかしと、その援助の方便として、控訴人の所属部隊離脱につき、実際に認識していた叙上認定説示の状況・事実関係とは意図的に違え、かつ誇張して、事実を表現し記載したものである。その後、」と、同裏末行「右名簿中の」を「右名簿のうち、」と各訂正する。
6 同一七丁表一行目「逃亡者名簿中に『高山輝男20・9・27』」を「逃亡者名簿中の姓名欄に『髙山輝男』、逃亡年月日欄に『20・9・27』」と、同三行目「どのようにして」を「、いかなる調査のもとに、」と各訂正し、同四行目「ということについて」を削除し、同裏七行目「行わないこととしていた。」の次に「右身上調査票は、現在、厚生省援護局が内部資料として保管しているものであり、同調査票に基づいて、台湾籍戦没者の死亡証明書、同復員者の履歴証明書及び卒業証明書が作成されている。」を加え、同九行目「特設海軍部隊設置制」を「特設海軍部隊臨時職員設置制」と訂正する。
7 同一八丁表一行目「受けるものであつた。」の次に「そして、終戦後の軍人軍属については、海軍省人事局長の海軍省廃止ニ伴フ海軍所属人員ノ人事取扱ニ関スル件通知(海人一第一号ノ二一一昭和二〇年一一月三〇日)により、『内地以外ノ地ニ在ル者ハ内地帰還後解員発令迄現在ノ身分ヲ保有シ且従前ノ編成ニ従ヒ現職ヲ続行セシメラル』とされていたのであり、終戦になつたとはいえ、昭和二〇年九月当時、控訴人は海軍巡査の身分を保有していたものである。」を加える。
8 同一八丁裏九行目、一〇行目の全部を次のように訂正する。
「以上のとおり認めることができる。
ところで、控訴人は請求原因2(二)のとおり、江川中隊長に対し、『所属部隊が中国軍の接収を受ければ、控訴人がまず第一に戦犯とされるであろうし、そうなれば戦時中の本件スパイ処刑事件だけでなく、戦後の本件バナナ屋事件についても話をせざるを得なくなり、江川中隊長、森本司令も戦犯の責めを免れないことになるから、所属部隊から離隊させてほしい』旨を申し出、江川中隊長の承諾を得て離隊したものである旨主張し、前顕控訴人本人尋問の各結果中には、余人をまじえない、控訴人と江川中隊長との問答話合いとして、控訴人の右主張に沿う事実があつたとする各供述部分が存在するが、控訴人が嘉積本部第四中隊を離れて海口市に向かうにつき、江川中隊長との間でいかなる問答話合いがされたかについては、その内容を直接見聞知覚する者は控訴人と江川中隊長の両名のほかにはないところ、前顕証人江川浄は、控訴人の主張する趣旨・内容の申出がされたことを明確にかつ具体的に否定する各証言をしており、その証言の証明力は、控訴人の右各供述部分の証明力を減殺するに足りる底のものであるから、控訴人本人の右各供述部分はたやすく信用することができない。
なお、<証拠>のうち控訴人の右主張事実に照応するごとき部分については、前顕証人の江川浄の各証言に比照してたやすく信用することができないし、本件全資料を検討するも、他に叙上認定を覆し、控訴人の右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。」
二(控訴人に対する「逃亡」の認定について)
佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令が昭和二〇年九月二七日から同年一一月二四日までの間に台湾籍民軍属調査名簿を作成した際、控訴人につきその離隊を逃亡と認定して記載したことは当事者間に争いないところであるが、控訴人の本件離脱は、その所属部隊を離脱して、もはや復帰することはしまいとの本件離脱の決意にもとづき実行されたもので、控訴人は所属部隊を完全に離脱し、離れ去つてその姿を消し、二度と戻ることはなかつたこと、控訴人の右離脱は、直属上官である江川中隊長、その他上司の不知の間に、その承諾・許可もなく実行されたものであつて、もちろん所定の手続を経たものではないこと、その他叙上認定説示の事実関係のもとにおいては、佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令が控訴人につきその離隊を逃亡と認定し前記の記載をした行為はいずれも正当というべく、また右記載をもつて、真実に反し不当であり違法なものであるということはできない。
このことは、敗戦という日本国未曽有の窮境の中に控訴人の本件離脱が実行されたこと、控訴人は誠忠な軍属としてよくその職分を果たしたこと(この点は江川元中隊長が前顕証言において高く称揚するところである。)、本法廷において明らかになつた控訴人の本件離脱の決意によれば、控訴人は自己のためのみならず、同僚上司を戦犯の危険から救うべき意図をもつて本件離脱を敢行したものであり、日本本土にたどりつくまでの苦難の脱出行は同情に値し、利他行の面をもつと評価し得るものであり、これを誠忠勇烈と評し得こそすれ、卑怯未練等の汚名は、絶えて付し得ないものというべきこと、その他本件審理によつて分明した諸般の事情を合わせて考量しても、同断であつて、佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令がなした前記逃亡の認定とその記載を、真実に反し不当であり違法なものであると判断することはできない。
なお控訴人は、本件離脱は上司の承諾許可を要しない正当な行為である旨を主張する趣旨とも解されるが、叙上認定説示の事実関係のもとでは、右主張はこれを是認することはできないし、他に右主張を認容するに足りる事実の立証はない。
三そこで、叙上認定説示(訂正引用の原判決理由説示を含む。以下同じ。)の事実関係及び判断に基づき、控訴人の本件各請求の当否につき検討する。
1 慰藉料及び謝罪広告の請求について
この点に関し、控訴人の主張する被控訴人の違法かつ過失ある行為というのは、(一)佐八特司令が昭和二〇年九月から同年一一月までの間に、控訴人の離隊を逃亡と認定して台湾籍民軍属調査名簿等にその旨記載したこと、(二)佐八特司令が控訴人につき逃亡として処理したことをそのころ一般隊員に知れるように外部に漏らしたこと、(三)厚生省援護局が昭和三二年ころ控訴人の身上調査票を作成するに当たり、「二〇・九・二七逃亡」と記載して逃亡の処理をしたこと、(四)被控訴人が昭和五六年一一月、控訴人の右身上調査票の逃亡の記載の抹消請求を拒絶し、現在に至るも、右逃亡の記載を訂正しないこと、の四つの所為である。
しかし、右(一)の所為が正当なものであり、違法と認定判断できないことは叙上認定説示のとおりであるから、右(一)の所為にもとづく控訴人の右請求はこの点において、すでに理由がない。
また右(二)の所為については、佐八特司令の所論の所為を認定するに足りる証拠がないから、右(二)の所為にもとづく控訴人の右請求は、この点において、すでに理由がない。なお、右(一)及び(二)の各所為がいずれも昭和二二年一〇月二七日の国家賠償法の施行前になされたものであることは控訴人の主張自体から明らかなところ、同法施行前においては、公務員の違法な公権力の行使により損害が生じたとしても、国はその賠償責任を負わないものと解すべきであつて(いわゆる国家無責任の原則はポツダム宣言の受諾により否定されたと解すべきである旨の控訴人の主張は採用できない。)、右(一)、(二)の所為にもとづく控訴人の右請求は、この点においても理由がないものである。
次に、右(三)の所為についても、叙上認定説示の事実関係及び判断によれば、被控訴人(厚生省援護局)が控訴人の身上調査票を作成するに際し、前記台湾籍民軍属調査名簿の記載をありのまま身上調査票に転記した所為は適法正当というべく、これを違法とすることはできないし、右所為が国際道義に反し、国際的人権侵害でもある旨の控訴人の主張は理由がなく採用できない。
さらに、右(四)の所為についても、叙上認定説示の事実関係及び判断のもとにおいては、控訴人の身上調査票の逃亡の記載の抹消請求を拒絶した被控訴人の前記所為は、適法正当であつてこれを違法ということはできない。
したがつて、この点に関する控訴人の所論はいずれも理由がないから採用するに由なきものである。
以上の次第で、控訴人の慰藉料及び謝罪広告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。
2 身上調査票の逃亡の記載の抹消請求について
他人の保有する個人の情報が、真実に反し不当であつて、その程度が社会的受忍限度を超え、そのため個人が社会的受忍限度を超えて損害を蒙るときには、その個人は、名誉権ないし人格権に基づき、当該他人に対し不真実、不当なその情報の訂正ないし抹消(以下単に「訂正」という。)を請求し得る場合があるというべきであるが、現行法制はその請求の要件につき整備された法条・法理の表現を具備していない状態にあるというべきであるから、いかなる場合に個人情報の訂正請求が認容されるかは、個々具体的な事案に即し、当該情報の種類・性質・内容、その情報の誤りの程度・態様・誤りの生じた理由、その情報の誤謬箇所を訂正しないことによつて受けるべき当該個人の不利益並びにその誤謬箇所を訂正することによつて受けるべき当該他人の不利益の有無・程度、さらに、公共の具体的利害の有無ひいては当該他人が国その他の公共団体である場合の行政処分或いは公共の利益との関連など、諸般の具体的事情、関係者の関連法益を総合考量し、憲法以下事案に関係する各実定法の関連各法条・法理、さらに信義誠実の原則、衡平の法理に照らし、判断せられるべき問題である。
これを本件についてみるに、控訴人主張の身上調査票は、現在、厚生省援護局が内部資料として保管しているもので、同調査票に基づいて、台湾籍戦没者の死亡証明書、同復員者の履歴証明書及び卒業証明書が作成されており、そして、控訴人の身上調査票には「20・9・27逃亡」との記載があるところ、叙上認定説示の事実関係及び判断のもとにおいては、右記載をもつて事実に反し不当であり違法であると認定判断することのできないこと、前叙のとおりであるから、控訴人の右逃亡の記載の抹消請求は、理由がないものといわなければならない。
他に、本件全資料を検討するも、控訴人の右抹消請求を認容するに足りる事実関係を認めることはできない。
したがつて、身上調査票の「逃亡」の記載の抹消を求める控訴人の請求は理由がない。なお、付言するに、本件のごとく法廷において事実の審理が尽くされ、控訴人(元台湾籍民軍属)の「名誉ある善意の逃走」とも称すべき所為が明らかにされ、控訴人の多くの元上司、戦友が被控訴人に対し、善処方を希求している事案について、関係行政庁は、その裁量権の範囲内で、控訴人のために相当の善処を図ることが、大戦の傷痕を癒すためにも、我が国の名誉と国際礼譲のためにも望まれることではあるが、所詮それは本件司法判断の域外の問題である。
四結論
以上の次第で、控訴人の本訴各請求をいずれも棄却すべきところ、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官後藤静思 裁判官後藤文彦 裁判官橋本和夫)
別紙謝罪文
海南海軍特務部付、佐世保鎮守府第八特別陸戦隊所属、一等海軍巡査であつた高山輝男殿は、一九四五年九月、上官の承諾を得て離隊したものであるにも拘わらず、右陸戦隊司令が貴殿の離隊を逃亡と認定し、厚生省援護局が貴殿の身上調査票に逃亡と記載していたことは、事実に反した誤りであり貴殿の名誉を著しく毀損するものでした。よつて、ここに深く謝罪いたします。
日本国
法務大臣 嶋崎均
高山輝男殿