東京高等裁判所 昭和59年(ネ)3398号 判決
被控訴人は、控訴人の預託金取立請求に対する抗弁として、本件預託金返還請求権は弁済期が到来していない旨主張するので、判断する。
1 原判決事実摘示第二 三 抗弁 1(一)の事実のうち、訴外福山建設株式会社(以下「訴外会社」という。)が被控訴人に対し二五四万円を預託した日時を除くその余の事実、同1(二)、(三)の事実は、当事者間に争いがない。
弁論の全趣旨によれば、訴外会社が被控訴人に対し二五四万円を預託した日時は昭和五九年四月二日ごろであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
ところで、手形の不渡異議申立手続に関し、手形債務者が支払銀行に預託する預託金の返還債務の履行期は、支払銀行が手形交換所から当該手形の異議申立提供金の返還を受けた時に到来するものと解すべきである(最高裁判所昭和四五年六月一八日第一小法廷判決・民集二四巻六号五二七頁参照)。よって、訴外会社の被控訴人に対する本件預託金返還請求権の履行期は、東京手形交換所規則六七条一項一号ないし六号所定の提供金の返還事由が発生し、被控訴人が東京銀行協会から本件異議申立提供金の返還を受けた時に到来するものというべきである。
2 控訴人は、本件預託金返還請求権について本件差押命令を取得し、支払銀行である被控訴人に対しその取立請求をしたにも拘らず、被控訴人は相当の理由がないのにその支払又は供託をせず、持出銀行をして不渡事故解消届を提出させるに至らないから、東京手形交換所規則六七条一項一号の異議申立提供金の返還事由が発生したと同視され、本件預託金返還請求権の弁済期は到来した旨主張する。
東京手形交換所規則六七条一項一号は、「不渡事故が解消し、持出銀行から交換所に不渡事故解消届が提出された場合」を異議申立提供金の返還事由としているが、右にいう不渡事故の解消とは、手形金の支払等による手形債務の消滅、和解による支払猶予等により支払拒絶の状態が解消したことを指し、不渡事故の解消の有無の判断は、持出銀行に委ねられているものと解される。なお、東京手形交換所規則施行細則八〇条は、「規則第六六条第一項の規定により異議申立が行なわれた不渡届について不渡事故が解消したとき(当該手形債権に関し、当該異議申立提供金のための預託金の返還請求権を目的とする転付命令により事故が解消した場合を含む。)は、当該不渡届にかかる持出銀行は、不渡事故解消届を交換所に提出するものとする。」と規定しているが、右括弧内の趣旨は、当該不渡手形の債権者が転付命令を取得しそれが確定すれば、執行債権である手形金債権が消滅し、手形金が支払われたと同様になることにあると考えられる。
ところで、本件においては、本件手形の債権者である控訴人が訴外会社の被控訴人に対する本件預託金返還請求権について本件差押命令を取得したが、これにより単にその債権の処分禁止の効力が生じたにすぎず、手形債権者である控訴人が支払銀行である被控訴人に対しその債権取立の請求をしたからといって、直ちに本件手形に関する不渡事故が解消したものとは到底解することができない。
そして、≪証拠≫によれば、被控訴人は本件差押命令の送達を受ける以前から訴外会社に対し原判決事実摘示の第二 三 抗弁 3(三)、(四)記載の債権を有し、右各債権は、昭和五四年九月二五日訴外会社、被控訴人間で締結された銀行取引契約に基づき、本件差押命令が発送されたとき弁済期が到来し、訴外会社の被控訴人に対する預託金返還請求権と相殺することが可能となったこと、本件預託金返還請求権については東京地方裁判所昭和五九年(ル)第二八九八号債権差押命令(昭和五九年七月三日付)によって訴外南進商事株式会社からそのころ差押がされたことが認められ、被控訴人が控訴人の取立請求に応じあるいは供託の意思を明らかにすることによって持出銀行をして不渡事故解消届を提出させなかったとしても、本件異議申立提供金について右一号所定の提供金の返還事由が発生したと同視すべきものとはいえない。
よって、控訴人の右主張は採用することができない。
3 次に、控訴人は、本件預託金返還請求権について本件差押命令を取得し、支払銀行たる被控訴人に対しその取立請求をしたので、被控訴人は東京手形交換所規則六七条一項三号所定の異議申立の取下げの請求をする義務があるにも拘らずこれを怠っているから、右異議申立の取下げの請求をしたと同視され、右三号により本件異議申立提供金の返還事由が発生し、本件預託金返還請求権の弁済期は到来した旨主張する。
東京手形交換所規則六七条一項三号は、「支払銀行から不渡報告への掲載または取引停止処分を受けることもやむを得ないものとして異議申立の取下げの請求があった場合」を異議申立提供金の返還事由としている。
ところで、前記事実及び≪証拠≫によれば、手形債務者である訴外会社は被控訴人に対し契約不履行につき本件手形の支払義務がないという理由で訴外会社のために不渡届に対し異議申立をして不渡処分回避のための措置をとるべきことを委任し、異議申立提供金の原資として手形金額相当額を預託し、被控訴人は右委任を承諾して本件手形の不渡届に対し異議申立をしたことが認められ、右事実によれば、被控訴人は、東京手形交換所規則六七条一項一号ないし六号に定める事由のない限り右異議申立手続を維持すべき委任契約上の義務を負担するものというべきである。
本件において、被控訴人が訴外会社の主張する支払拒絶事由が明らかに事実に反するものと認めたことを認定すべき証拠はなく、本件手形の債権者である控訴人が勝訴判決を得て訴外会社の被控訴人に対する本件預託金返還請求権について本件差押命令を取得し、かつ、支払銀行である被控訴人に対しその債権取立の請求をしたからといって、直ちに支払銀行である被控訴人が同規則一項三号により異議申立の取下げの請求をする義務を負うに至るものとは到底解することができず、また、被控訴人が異議申立の取下げの請求について訴外会社の同意を得たことを認めるに足りる証拠はないのであって、被控訴人が控訴人の債権取立の請求に応じて異議申立の取下げの請求をしないからといって、本件異議申立提供金について右三号所定の提供金の返還事由が発生したと同視すべきものということはできない。
よって、控訴人の右主張は採用することができない。
4 以上の次第で、訴外会社の被控訴人に対する本件預託金返還請求権については、東京手形交換所規則六七条一項一号又は三号にあたる事由はなく、まだ弁済期が到来していないものというべきであるから、被控訴人の前記抗弁は理由がある。
(川添 新海 佐藤)