東京高等裁判所 昭和59年(行ケ)107号 判決
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願第一発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。
二 取消事由に対する判断
1 前示本願第一発明の要旨に成立に争いのない甲第一号証の一ないし三(本願発明の願書並びに添付の明細書及び図面)及び第四号証の一、二、四(本願発明の昭和五五年五月二二日付、同年一一月二八日付及び昭和五八年七月二五日付各手続補正書)によれば、本願第一発明は、誘電材が少なくとも部分的には合成樹脂フイルム(プラスチツクフイルム)から成り安定化されたフタール酸エステルよりなる含浸剤、具体的には、ジー(2―エチルヘキシル)フタレート(DOP)又は一般的にはジオクチルフタレートとして知られているフタール酸と2―エチルヘキシルアルコールとの反応生成物で含浸されているコンデンサに関する発明であつて、フタール酸エステルの一種であるDOPは、コンデンサとの両立性、高誘電性及び生分解性等魅力ある性質を有するが、これらの優れた性質は高電圧下において不安定であることと、寿命が短いため、絶縁破壊や故障を早める結果となるため、高電圧用コンデンサには好ましい含浸剤と考えられておらず、これらの理由からDOPを実質的かつ商業的に使用可能な電気コンデンサ用含浸剤として開発することは否定されてきたが、本願発明の発明者は、従来、単に塩素Cl又は塩化水素HClの除去剤としてのみ考えられていたエポキシド類をDOPに添加すると、エポキシド添加剤がコンデンサ中に存在し又はその作動中に生成される不純物に作用、反応して(不純物を捕獲して)DOPを効果的に安定化させ、これにより、そのコンデンサを効果的に安定化させることができること、具体的には、それがコンデンサの早期の故障を防止するとともに、寿命を保持するという効果を奏することを見出し、本願第一発明の要旨のとおりの構成(本願発明の特許請求の範囲(1)の記載と同じ。)を採用したもので、右構成を採用したことにより所期の効果を奏し得たものと認められる。
他方、引用例が本願発明の特許出願前頒布された刊行物であることは、原告の明らかに争わないところであり、引用例に本件審決認定のとおりの事項が記載されていること、本願第一発明と先願発明との間に本件審決認定のとおりの相違点(ⅰ)ないし(ⅲ)が存すること及び相違点(ⅰ)についての認定判断は原告の認めるところである。
2 ところで、本件審決は、相違点(ⅱ)について、本願第一発明の誘電材は、引用例に記載された「絶縁紙等」で表現された誘電材の中に当然包含される旨認定判断しているところ、原告は右の点を争うので、まず右の点について検討する。
(一) 本願第一発明に係るコンデンサは、前認定のとおり、誘電材としてプラスチツクであるポリプロピレン又はポリプロピレンと紙を用いるコンデンサであつて、いずれの場合もプラスチツクフイルムであるポリプロピレンを用いることを必要不可決とするものであるのに対し、引用例には、前示のとおり、もつぱら金属化紙コンデンサを対象とした技術が開示されているところ、成立に争いのない甲第五号証の一ないし四(昭和四二年八月一五日電子通信学会発行に係る「電子通信ハンドブツク」の表紙、目次、第三六一頁ないし第三六五頁及び奥付)によれば、金属化紙コンデンサとは、紙を誘電材とし、その表面にアルミニウム、亜鉛などの金属を蒸着して形成した薄膜を電極とした構造からなり、誘電材の一部が絶縁破壊を起こしても、自己回復する機能をそなえたコンデンサであることが認められ、右によれば、金属化紙コンデンサにおいては、誘電材として部分的にもせよプラスチツクを用いることなくもつぱら紙が用いられていることが明らかであり、引用例記載の金属化紙コンデンサにおける誘電材も、当然のことながら紙が用いられているものと認められる。そして、先願発明の誘電材である紙が多孔質で約二〇%の空隙があるのに対し、本願発明の誘電材の全部又は一部を形成するポリプロピレンが非多孔質であることは当事者間に争いのないところであり、その結果、両者のコンデンサの間には、例えば吸水性とこれに伴う不純物の付着の程度、含浸剤の含浸方法等について差異が存するものということができる。また、前掲甲第五号証の一ないし四によれば、誘電材として紙を用い、これに金属化処理を施した金属化紙コンデンサと各種プラスチツクを用いたプラスチツクフイルムコンデンサとは、同じ油浸コンデンサであつても、用いる誘電材の違いにより、その特性を異にする種類の異なるコンデンサとして認識・理解されているものと認められる。
このように、もつぱら紙により形成された誘電材とポリプロピレンを含む構成による誘電材とを技術的に同一視することはできない。そうだとすれば、金属化紙コンデンサである引用例記載のコンデンサの誘電材には、本願第一発明のコンデンサにおけるポリプロピレン又はポリプロピレンと紙による誘電材は包含されず、両コンデンサの誘電材はその構成を異にすることは明らかである。
(二) 本件審決は、本願第一発明の誘電材が引用例に記載された絶縁紙等で表現された誘電材の中に当然包含されるとする理由として、<1>「自己回復性を有するフイルムコンデンサや金属化紙コンデンサ(誘電材として、紙のみでなくプラスチツクフイルムと紙との組合せも含む)を製造するに際して、誘電材表面に金属を蒸着するなどの金属化処理を施すことは、コンデンサ素子の電極形成手段としてはごくありふれた処理であり」、しかも、<2>「このような金属化処理を施したポリプロピレンやポリプロピレンと紙は、自己回復性能を有するフイルムコンデンサや金属化紙コンデンサの誘電材として慣用されている材料の一つである」ことを挙げている。しかし、金属化紙コンデンサの誘電材がプラスチツクフイルムを含む構成を包含しないことは前記認定のとおりであるから、これが包含されることを前提とする本件審決の判断は既にこの点において誤りであるといわざるを得ない。加えて、引用例には、前示のとおり、自己回復性能を有するコンデンサのうち誘電材としてもつぱら紙を用いる金属化紙コンデンサを対象とした技術手段が開示されているのであつて、自己回復性能を有するコンデンサ一般の技術手段が開示されているわけではないから、これを自己回復性能を有するコンデンサ一般の技術手段に抽象化して、誘電材について論ずる本件審決の前記<1>及び<2>の理由は、そうした点からも妥当なものといえない。また、誘電材表面に金属を蒸着するなどの金属化処理を施すことは、コンデンサ素子の電極形成手段としてはごくありふれた処理であるとしても、本願第一発明は電極形成手段を右金属化処理に限定しているものではないし、電極と誘電材の種類との間には何らの関係もなく、更に、本願第一発明は自己回復性能を有する点を発明の要旨とするものではない。このように、本件審決の右<1>及び<2>の理由は、いずれも、「本願発明の誘電材は、引用例に記載された絶縁紙等で表現された誘電材の中に当然包含されている」ことを根拠づける理由とはなり得ないものと解される。
(三) なるほど、被告が指摘するように、前掲甲第三号証によれば、引用例中には「絶縁紙等の誘電材料」という文言の記載が二箇所ある。すなわち、「コンデンサを形作る絶縁紙等の誘電材料にも金属イオン等の不純物が存在しており、特にコンデンサの高温におけるtanδ特性に影響を与えることは周知の通りである。」(同号証の第二頁右上欄第四行ないし第七行)及び「本発明は以上の点に鑑みこれら含浸剤中に存在する不純物や絶縁紙等の誘電材中に存在する不純物、更には自己回復作用で生じたガスや分解物を安定な形で捕獲し、コンデンサ特性に影響を与えない安定剤としてエポキシ基含有化合物を混合するものである。」(同号証の同頁同欄第一一行ないし第一六行)との記載がそれであるが、前者は、コンデンサの誘電材料にも不純物が存在し、それがコンデンサの高温におけるtanδ特性に影響を与えるという一般論を引用例記載の発明の解決すべき課題の一つとして述べている記述であり、後者は、右発明においてエポキシ基含有化合物を混合する理由を述べる記述であつて、その記述内容に照らし、右各引用部分に記載された「絶縁紙等の誘電材料」という文言が引用例において紙以外のポリプロピレン又はポリプロピレンと紙からなる誘電材をも包含し、それらの誘電材を開示する趣旨で用いられたものでないことは明らかである。
また、仮に、被告の主張するとおり、ポリプロピレン又はポリプロピレンと紙とを誘電材とした油浸コンデンサが周知であるとしても、二発明の同一性が問題とされている本件では、右の周知性よりその記載の有無が問われなければならない。換言すれば、右の周知性と引用例にいかなる技術的事項が記載(開示)されているかということとは別個の事柄である。しかして、引用例に被告が周知と主張する右コンデンサが開示されているものと認められないことは前認定説示のとおりであるし、右周知の事項を参酌して引用例の記載事項を精査するも、引用例には、前認定のとおり、誘電材として紙を用いた金属化紙コンデンサが記載されているだけで、被告主張のように、誘電材としてポリプロピレン又はポリプロピレンと紙を用いたコンデンサが記載されているものと解することもできない。
更に、被告は、本願第一発明におけるポリプロピレンと紙との組合せにおいて、紙の使用割合が高いほど金属化紙コンデンサと近似した特性をそなえることになるから、ポリプロピレンと紙との相違を強調してみても意味がない旨の主張をする。しかし、本願発明はプラスチツク(ポリプロピレン)を用いることを必須の構成要件とするコンデンサに関するものであるから、そうしたコンデンサとしての特性を失わせるようなポリプロピレンと紙との構成比率の誘電材は本来予定していないところというべきであるし、また、本件で問題となるのは、引用例にポリプロピレン又はポリプロピレンと紙を誘電材とするコンデンサが開示されているか否かということであつて、紙の比率を多くした紙とプラスチツクを誘電材とするコンデンサが金属化紙コンデンサと近似した特性を有することになるか否かということではないところ、前認定説示のとおり、金属化紙コンデンサとプラスチツクコンデンサ及び紙とプラスチツクを誘電材とするコンデンサは、それぞれ別個のコンデンサと認識されているのである。このように、いずれにしても被告の右主張も失当なものといわざるを得ない。
3 そうすると、本件審決は、相違点(ⅱ)について、本願第一発明の誘電材は、引用例に記載された絶縁紙等で表現された誘電材の中に当然包含される旨誤認し、ひいて、本願第一発明と先願発明を同一発明であると認定判断したものというべく、右相違点についての判断の誤りが本件審決の結論に影響を与えることは明らかである。
三 以上のとおりであるから、本件審決を違法として、その取消を求める原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由があるものということができる。よつて、これを認容することとする。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
(1) 密閉されたケーシング、該ケーシング内に封入された少なくとも一個のコンデンサロール部並びに前記ケーシング内にあつて前記ロール部を含浸している非ハロゲン化含浸剤からなり、前記ロール部が一対の電極とその間に介在する誘電材から構成され、該誘電材はポリプロピレン又はポリプロピレンと紙より成り、前記含浸剤がフタール酸エステルよりなり、前記含浸剤には精製された含浸剤自体の力率が一〇%よりも低い濃度にてエポキシド添加剤が含まれており、前記誘電材は前記含浸剤によりほぼ完全に含浸されてなる、長寿命コンデンサ。(以下「本願第一発明」という。
(2) 前記一対の電極が合成樹脂の帯に金属化表面を施したものである特許請求の範囲(1)記載の長寿命コンデンサ。(以下「本願第二発明」という。)
(3) (a)前記ケーシング並びにロール部を排気した高温条件にかけて湿気を除き、(b)前記ケーシングに前記含浸剤を充たし、(c)次いで前記ケーシングを前記誘電材を殆ど完全に含浸するまで十分な時間にわたつて高温条件に付し、(d)前記コンデンサを室条件に戻し、並びに(e) 前記(c)工程の前か後に前記ケーシングを密封することからなる特許請求の範囲(1)記載の長寿命コンデンサの製造方法。(以下「本願第三発明」という。)
(4) 前記コンデンサをケーシング中に組立て、該コンデンサを排気条件下にあつて一〇〇℃乃至一四〇℃の範囲の温度で少なくとも八時間加熱乾燥処理にかけ、前記ケーシングを排気した高温条件下において精製された含浸剤自体の力率が一〇%より低い濃度でエポキシド化合物を溶解したエステル含浸剤で充たし、前記コンデンサを八五℃乃至一四〇℃の温度で少なくとも四時間加熱浸漬処理して含浸を殆ど完全となすことからなる特許請求の範囲(1)記載のコンデンサをフタール酸エステル含浸剤で含浸する方法。(以下「本願第四発明」という。)
(5) 前記コンデンサがその誘電系の一部として紙を使用し、前記加熱乾燥処理を少なくても二四時間続ける特許請求の範囲(3)および(4)記載の方法。(以下「本願第五発明」という。)
(6) 前記の加熱浸漬処理後に前記コンデンサを冷却し、ついで前記の加熱浸漬を繰り返す特許請求の範囲(4)記載の方法。(以下「本願第六発明」という。)
(7) 前記フタール酸エステルをカラム精製処理によつて精製し殆ど総べての異物を除去し、精製された含浸剤自体の力率が一〇%より低い濃度でエポキシドを前記フタール酸エステルに添加して溶かし込み、そしてその後で前記コンデンサを特許請求の範囲(4)記載の方法に従つて含浸せしめる特許請求の範囲(1)記載のコンデンサをフタール酸エステル含浸剤で含浸する方法。(以下「本願第七発明」という)