東京高等裁判所 昭和59年(行ケ)232号 判決
一 請求の原因一ないし三は当事者間に争いがない。
二 まず、請求の原因四3の主張について判断する。
1 本件審決が、「引用例には、磁歪が低いことについて記載はないが、本願発明合金と引用例記載の合金とは組成及び主たる物理的性質が共通するものである以上、同一の使用条件下では両者は同程度に低い磁歪を示すであろうことは予想に難くない。」と認定判断していること及び本件審決のいう右「主たる物理的性質」とは、本件審決に記載された「高透磁率と非晶質組織」を指し、「同一の使用条件下」とは、「高透磁率と非晶質組織をもつぱら利用して、同一の用途にかつ同一条件のもとに合金を使用すること」であることは当事者間に争いがない。
また、本件審決の右認定判断中、引用例には、磁歪が低いことについて記載がないこと及び本願発明合金と引用例記載の合金とが、組成及び主たる物理的性質として高透磁率と非晶質組織を示す点で共通することは原告の認めるところである。
2 請求の原因四3(一)において原告が主張するように、一般に高透磁率アモルフアス合金が低い磁歪を示す必然的関係がないこと及び請求の原因四3(五)の事実はいずれも当事者間に争いがない。したがつて、引用例記載の合金が、高透磁率であることと非晶質組織を示すこと即ちアモルフアス構造であることという二つの主たる物理的性質を、本願発明合金と共通にするものであるからといつて、引用例記載の合金が低い磁歪という性質を有することが引用例明細書に示唆されているということはできない。
他に、本願発明合金と引用例記載の合金とが、組成及び主たる物理的性質として高透磁率と非晶質組織を示す点で共通することから、同一の使用条件下で、引用例記載の合金が低い磁歪という性質を有することが引用例明細書に示唆されている、と本件審決が認定する根拠となる事実を認めるに足りる証拠はない。
なお、付言するに、本件においては、他の性質と共に低い磁歪という性質を有する本願発明合金が、引用例の記載に基づいて容易に発明することができたかが問題とされているのであるから、成立に争いのない甲第二号証中の本願発明合金が低い磁歪という性質を有する旨の記載を証拠として引用例記載の合金が低い磁歪という性質を有することが示唆されていると認定することは意味がない。
3 被告は、引用例に記載の高透磁率アモルフアス合金は変圧器等の鉄心及び磁気ヘツドに使用されることが、実質的に開示されていることは明らかであり、磁気ヘツド及び変圧器の鉄心に使用される高透磁率合金は低い磁歪という性質が要求されることは本願出願前周知の事実である以上、磁気ヘツド及び変圧器の鉄心に使用される引用例に記載のアモルフアス合金が本願発明のアモルフアス合金と同程度に低い磁歪を示すであろうことは容易に予想し得るものである旨主張するので、判断する。
(一) 成立に争いのない甲第三号証(引用例)によれば、引用例中には、引用例記載のアモルフアス合金が磁気ヘッド及び変圧器の鉄心に使用されること、その他引用例記載のアモルフアス合金の用途を直接に開示した記載はないことが認められる。
(二) 他方、引用例中には、従来技術の説明の箇所においてアモルフアスでない結晶構造を有する高透磁率金属材料の用途として変圧器、磁気ヘッドに用いられていることが記載されていることは当事者間に争いがない。
右当事者間に争いがない事実及び前記甲第三号証によれば、引用例は、名称を「高透磁率アモルフアス合金」とする発明(以下「引用発明」という。)の公開特許公報であるが、その発明の詳細な説明の欄に次のような記載があることが認められる。
(1) 従来結晶構造を有する高透磁率金属材料には、Fe―Si合金、Fe―Ni合金、Fe―Al合金及びFe―Si―Al合金などがあり、それら材料はそれぞれ変圧器、モータ等の鉄心、変成器及び磁気ヘツドに用いられているが、それぞれに、製造工程が複雑で、製造するのに要する燃料、電力が多大であり、原材料費の割合には高価である、材料が高価である、塑性加工が全くできないか非常に困難である等の欠点を有する旨(甲第三号証一〇七頁右下欄一一行から一〇八頁右上欄三行まで)。
(2) 引用発明は、従来用いられている高透磁率金属材料が有する前記諸欠点のない新規な高透磁率合金を提供することを目的とし、引用例記載の特許請求の範囲第1項記載の高透磁率アモルフアス合金によつてその目的を達成することができる旨(甲第三号証一〇八頁右上欄四行から同頁左下欄一行まで)。
(3) 引用発明の発明者等は、先にアモルフアス合金並びにそれを製造する新規な方法を発明し、アモルフアス合金の中にはその成分組成によつて特に機械特性及び耐食性が驚異的に優れたものがあることを新規に知見したところ、引用発明は前記の組成を有するアモルフアス合金が極めて優れた透磁性を有することをさらに新規に知見したことに基づくものである旨(甲第三号証一〇八頁左下欄七行から一四行まで)。
(4) 引用発明の研究において、アモルフアス合金が特に優れた機械的特性と共に優れた磁気特性を有することを新規に知見したことにより、種々成分組成を変化させて磁気特性を調べた結果を第1表に示す旨(甲第三号証一〇九頁左上欄六行から一〇行まで)及び第1表に例示の引用発明合金中のFe及び又はCoを他の元素で部分的に置換することにより第2表に示す如く同様に高透磁率を有するアモルフアス合金を得ることができる旨(甲第三号証一一〇頁左下欄一行から四行まで)並びに第1表及び第2表のデータは磁気特性として各試料の最大透磁率と保磁力についてのものであること。
(5) Mo、Ti、Nb、W、他八種の元素を一〇原子%以下とする理由は、これらの元素は、アモルフアス構造の安定化、硬さ、耐食性に有効な元素であるが、一〇原子%以下の場合には磁気特性を余り害せずにその効果があるからである旨(甲第三号証一頁左上欄六行から一一行まで)。
(6) 引用発明においてその他の成分の含有量を限定するに当たつて、磁気特性としては、透磁率、飽和磁束密度、保磁力等が考慮されている具体的内容(甲第三号証一一〇頁左下欄一〇行から一一一頁左上欄五行まで)及び特許請求の範囲第2項に記載された各元素を添加することにより固有抵抗が高くなり、高周波特性が非常に向上する旨(甲第三号証一一〇頁左下欄七行から九行まで)。
(三) 右認定の(1)、(2)の記載によれば、引用例には、引用発明は、従来、変圧器、モータ等の鉄心、変成器及び磁気ヘツド等の用途に供されていた結晶構造を有する高透磁率金属材料について、これら材料が有していた諸欠点のない新規な高透磁率合金を提供することを目的とし、その目的を達成することができたと記載されているのであるから、引用発明の合金が、変圧器、モータ等の鉄心、変成器及び磁気ヘツド等の用途に使用することができることが実質上開示されているものと認められる。
そして、磁気ヘツド及び変圧器の鉄心に使用される高透磁率合金は低い磁歪なる性質が要求されることが本願出願前周知の事実であつたことは当事者間に争いがない。
(四) 他方、実際にアモルフアス合金を変圧器や磁気ヘツドに用いることができるためには、単に高透磁率だけでなく低い磁歪、低いACコア損失、高い熱安定性など他のすぐれた性質を必要とすることは当事者間に争いがない。
また、前記(二)(1)、(2)の認定によれば、(1)に従来の高透磁率金属材料の欠点として挙げられている諸点を克服する機械的、材料的特性も実際にアモルフアス合金を変圧器や磁気ヘツドに必要な性質である。
そして、前記(二)(1)ないし(6)の認定によれば、引用例においては、発明の詳細な説明の欄において、「<1>引用発明の合金について、従来の高透磁率金属材料の諸欠点を克服する機械的、材料的特性を有する高透磁率アモルフアス合金であること、<2>その磁気特性として各試料の最大透磁率と保磁力についてのデータ、<3>成分の含有量を限定するに当たつて、磁気特性としては、透磁率、飽和磁束密度、保磁力等が考慮されている具体的内容、<4>特許請求の範囲第2項に記載された各元素を添加することにより固有抵抗が高くなり、高周波特性が非常に向上すること」が各開示されているものと認められるのに対し、前記1のとおり、引用例には磁歪が低いことについて記載がないことを考慮すれば、引用例は、右のとおり開示された諸特性に特に注目して検討し、その結果を明らかにしているものであるといえるけれども、明記された諸特性以外の、例えば低い磁歪のような磁気ヘツド及び変圧器の鉄心に使用される高透磁率アモルフアス合金が要求される特性の全てについても検討を加えた上で、記載されたものとは解することができない。
(五) ところで、本願発明は、当事者間に争いがない請求の原因二(本願発明の要旨)のとおり、同項に記載のとおりの成分組成からなる、高い透磁率、低い磁歪、低いACコア損失及び高い熱安定性を有する実質的に完全にガラス質である金属ガラス(アモルフアス合金)である。
前記甲第二号証(本願発明の公開特許公報)によれば、同号証には、本願発明の成分組成を限定する理由につき、「Mo、W、Nb及び/又はTiの濃度が二アトムパーセントより少ない場合には、透磁率、飽和磁歪、ACコア損失及び熱安定性を十分に改良することはできない。これらの元素の少なくとも一種の元素の濃度が一二アトムパーセント以上である場合には、キユーリー温度が低くなり好ましくない。」(甲第二号証九頁右上欄八行から一四行まで)と記載され、また、Moを含まない従来技術の金属ガラスと本願発明の金属ガラスとの飽和磁歪の比較について、具体的にデータを挙げて二組比較した上、「どちらの場合もモリブデンを添加すると飽和磁歪を約五〇パーセント減少することができる。」(甲第二号証一〇頁右下欄六行から一五行まで)とも記載されている他、実施例1ないし実施例3の各合金について、それぞれモリブデンの含有量を変化させて、磁性及び熱的性質の変化を測定したデータをまとめた表Ⅰ、表Ⅲ、表Ⅴが記載されており、そのいずれにおいても、表に記載された範囲では、モリブデンの含有量が〇から増加するにしたがって、飽和磁歪は小さくなることが明らかであることが、認められる。
右認定の事実によれば、本願発明は、モリブデン、タングステン、ニオブ及び/又はチタンから選択される少なくとも一種の元素を所定量添加することにより、本願発明のアモルフアス合金の特徴的性質である高透磁率、低い磁歪、低いACコア損失及び高い熱安定性が得られることの認識に基づいてされたものと認められる。
これに対し、前記(二)(5)認定の事実によれば、引用例には、引用発明において、モリブデン、タングステン、ニオブ、チタン他八種の元素を一〇原子%以下とする理由は、これらの元素は、アモルフアス構造の安定化、硬さ、耐食性に有効な元素であるが、一〇原子%以下の場合には磁気特性を余り害せずにその効果があるからである旨記載されているのであるから、引用発明は、それらの元素が、磁歪を低くすることを含め磁気特性を向上させるとの認識はなく、むしろ、それらの元素は磁気特性を阻害する可能性があるとの認識を前提としたものであると認められる。
(六) そうすると、引用例には、引用発明の合金が、変圧器、モータ等の鉄心、変成器及び磁気ヘツド等の用途に使用することができることが実質上開示されているとはいえ、引用発明の合金が低い磁歪という特性を有することは、引用例の記載に基づいて本願発明が容易に推考できるまでに具体的には示唆されているものではなく、引用例の記載からは、引用発明の合金が、同一の使用条件下では本願発明のアモルフアス合金と同程度に低い磁歪を示すであろうことを予測することはできないものと認めるのが相当である。
(七) 被告は、鉄族元素をベースとするアモルフアス合金が磁気ヘツドや鉄心に用いられることが本願出願前周知であることは乙第一二号証ないし乙第一四号証により明らかである旨主張するが、成立に争いのない乙第一二号証ないし乙第一四号証その他本件全証拠によつても、鉄族元素をベースとする全てのアモルフアス合金が磁気ヘツドや鉄心に用いられることが本願出願前周知であることを認めることはできない。また、鉄族元素をベースとするアモルフアス合金のうち一部のものが磁気ヘツドや鉄心に用いられることが本願出願前周知であつたとしても、引用発明の合金が低い磁歪を示すであろうと予想する根拠とはならないから、右事実が本願出願前周知であつたか否かについて判断するまでもない。
(八) そうすると、本願発明合金と引用例記載の合金とが同一の使用条件下では両者は同程度に低い磁歪を示すであろうことは予想に難くないとは認められず、したがつて本願発明の合金の物理的性質のうち、低い磁歪については引用例の明細書に示唆されていると認めることもできないので、被告の前記主張は採用するに由なく、この点において本件審決はその認定判断を誤つたものといわなければならない。
4 右のとおりであるから、本願発明をもつて引用例の記載に基づいて容易に発明をすることができたものとした本件審決は、原告のその余の主張につき判断をするまでもなく、違法といわざるをえない。
三 よつて、その主張の点に判断を誤つた違法のあることを理由に、本件審決の取消を求める原告の本訴請求は正当であるから、認容することとする。
〔編注〕本願発明の要旨は左のとおりである。
〇乃至約六〇パーセントがニツケルでおき換えられ得る鉄及びコバルトから成る群から選択される少なくとも一種の金属約六三乃至八三アトムパーセント、モリブデン、タングステン、ニオブ及びチタンから成る群から選択される少なくとも一種の元素約二乃至一二アトムパーセント及びホウ素、リン及び炭素及び残存不純物から成る群から選択される少なくとも一種の非金属約一五乃至二五アトムパーセントから実質的に成り、高い透磁率、低い磁歪、低いACコア損失及び高い熱安定性を有する実質的に完全にガラス質である金属ガラス。