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東京高等裁判所 昭和59年(行ケ)240号 判決 1989年11月28日

原告 光洋精工株式会社

被告 中央精工株式会社

補助参加人 日本精工株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、補助参加によつて生じた分を含めて原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

「特許庁が、昭和五九年八月二四日、同庁昭和五六年審判第一九一七号事件についてした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

二  被告

主文第一項同旨及び「訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯、最終補正明細書の特許請求の範囲の記載及び本件審決理由の要点は別紙のとおりである。

二  本件審決を取り消すべき事由

本件審決理由の要点のうち、1(一)(1)<1>、<2>は認める。同(2)の<1>は認める。<2>のうち(イ)は認める。(ロ)のうち、最終補正明細書の特許請求の範囲第1項における『ラツクの噛合いが円滑に行われるように』との条件は、可変歯車機構の噛合いの条件に規定されて、テーパーギヤーの回転方向転位量の変化と軸方向転位量の変化が、互いに独立に決定し得ない密接不可分の関係にあるとの認定、及び噛合いの軸方向と回転方向の転位量の不可分の関係を切下げに関連して解析した記載は、発明の詳細な説明に全く存在しないとの認定は認めるが、その余は否認する。<3>のうち(イ)は認め、(ロ)は否認する。同(3)は否認する。1(二)の(1)は認める。同(2)<1>のうち、第六次補正明細書に本件審決が指摘するような記載があることは認めるが、その余は否認する。<2>は否認する。同(3)の<1>は認め、<2>及び<3>は否認する。1(三)は否認する(但し第六次補正明細書による特許請求の範囲の記載は認める。)。2(一)の(1)のうち、本件発明におけるラツクについて、「第六次補正は、ラツクのピツチ線を直線形状のものから、直線形状以外のものまで含むごとく補正した点に実質的内容が存在するものというべきである。」との認定は否認し、その余は認める。同(2)は認め、同(3)の<1>及び<2>は否認する。<3>のうち、当初明細書に「右の技術思想を不等ピツチのラツク、あるいは非直線状のラツクとの噛合いを前提とするセクターに拡張する技術的課題に関する事項は示唆すらもされていない」との認定は否認し、その余は認める。<4>は否認する。2(二)の(1)は否認し、(2)は争う。3(一)の(1)及び(2)は認め、同(二)は否認する(但し、本件発明の出願日が要旨変更により繰り下げられる場合には、本件発明が公知であることは争わない。)。同(三)は争う。

本件審決は、以下の点において違法であつて、取り消されるべきである。

1  特許法第三八条(昭和六二年法律第二七号による改正以前のもの、以下同じ)、第四〇条違反(取消事由(一))

(一) 特許法第一二三条第一項は併合発明について無効審判請求を発明ごとに請求できると規定し、また、同法第一八五条は特許原簿の登録、特許権の放棄などを含む多くの場合について発明ごとに特許がされ、又は特許権があるものとみなす旨規定し、二以上の発明に係る特許について各発明の独立性を明確にしている。そうであるとすれば、特許権の設定登録後においては、併合発明のそれぞれについて個別的に要旨変更の判断(特許法第四〇条)がなされるべきであつて、併合発明であるという理由で、一の発明について要旨変更を認定しただけで、他の発明についての要旨変更の認定をすることなく、同様に特許法第四〇条の規定を適用することは誤りである。

(二) しかるに、本件審決は、実質的には第六次補正明細書の特許請求の範囲第1項の発明の技術内容についてだけ検討したうえ、第2項の発明については要旨変更の有無について何ら判断を加えることなく、第六次補正を全体として要旨変更と認定したうえ、特許請求の範囲第1項のみならず第2項の発明についてまで出願日を第六次補正明細書が提出された日に繰り下げて認定し、そのうえで、第2項の発明を引用例記載の発明と比較し、第2項の発明は引用例記載の発明と同一であると認定し、更に、第1項の発明は第2項の発明を包含するから同様に無効であると認定したものであつて、第1項の発明についての要旨変更の有無について検討するまでもなく、本件審決は取消されるべきである。

(三) 被告及び被告補助参加人(以下「被告」という。)は、特許法第一二三条第一項による併合特許に対する無効審判は各発明ごとになされるが故に、遡つて同法第四〇条による出願日繰下がりの効果をすべての場合につき各発明ごとに考えるべきであるというのは本末を転倒した議論であると主張し、判決例及び文献を引用しているが、被告の右主張は特許法第四〇条の解釈として不合理であり、また、被告の解釈が判例において認められているとの主張も誤りである。この点を詳述するに、

(1) 元来、特許法がその第三八条但書で一発明一出願の原則の例外として複数の発明の併合出願を認めたのは、複数の発明の間に一定の関連性がある場合に、一方において出願人に対しては類似した内容の明細書を複数作成して複数の出願として維持したり、審査官の同一文献に基づく拒絶理由通知にその都度対応しなければならない不便を回避せしめ、他方において、特許庁の審査官に対しては、極めて近い技術内容についての公知技術の調査を重複して(多くの場合には、異なる審査官が別個に)行わなければならない審査上の負担・不便を回避するため、すなわち審査・登録手続及び出願手続上の便宜及び経済性に着目して定められたものである。したがつて、併合出願においても、個々の発明自体は元来独立した存在であるから、いつたん特許が付与された後においては、その有効性・無効性は各発明ごとに特許がある場合と同様に取扱うべきことは特許法第一二三条、第一八五条の規定をまつまでもなく、論理的に当然の帰結であり、右法条はこれを確認した規定にすぎないのである。

(2) 右のごとき併合出願についての特許法の基本的な考え方は、特許法第四〇条の解釈においても変更されるべきではない。周知のとおり、特許法第四〇条は、公告決定送達前の補正が要旨を変更するものと特許権の設定登録があつた後に認められた場合の規定であるが、本来このような補正は出願手続において審査官、審判官により速やかに却下されるべきものであり、審査官等が特許法の予定するように速やかに特許請求の範囲ごとに要旨変更に当たるか否かを判断して出願人に通知していれば、出願人は出願の分割、再度の補正、補正時を出願日とする新出願等いくつかの手段により発明の保護を求めることができるのであるが、いつたんかかる要旨変更が審査官等により看過され特許の設定登録がなされた後においては、特許権者に残された方法は訂正審判の請求により特許請求の範囲の記載を訂正する他はない。しかしながら、審判により訂正が許される場合は法律上極めて限定されているうえ、事実上も手続に長期間を要し、侵害訴訟や無効審判に有効に対処できない欠点がある。

被告の主張は、このような審査段階において要旨の変更の有無が請求の範囲ごとに慎重に行われ、かつ出願人の選択可能な対処方法が与えられているのに、審査官等の特許庁側が要旨変更を看過し特許の設定登録という行政処分を経たとたんに本来要旨変更の存在しない請求の範囲にまで否も応もなく出願日の繰り下げを強要するという不合理な解釈を意味するものであり、その根拠を単に第四〇条の「その特許出願」という一語に求めるものにほかならない。

(3) また、被告の引用する判決例は、いずれも特許法第三八条但書の規定により複数の発明を一個の特許出願で出願した場合の拒絶査定に対する審決取消請求訴訟の判決であつて、本件のように特許権成立後の特許の有効・無効の判断に関し複数の発明の関係を認定したものではなく、しかも、右判決例は、併合出願を原則として一体として取扱うことを述べてはいるが、同時に右判決例自身において、出願手続中の判断であることを強調し、一方、特許法第一二三条第一項柱書後段(本件のような特許無効審判請求)の場合とは異なることを明確に述べているのである。

したがつて、右二件の判決例は被告の主張を裏付けるものではなく、逆に原告の主張こそ右判決により示された判断の前提もしくは趣旨に沿うものである。

2  要旨変更に関する本件審決の判断の誤り(取消事由(二))

(一) 本件発明は、ステアリング装置において使用されるラツク・セクター機構においては、通常の歯車機構に比して回転角度範囲が狭く、回転速度が遅いことから、通常の歯車機構のように一つの歯車横断面において完全な噛合い条件が成立する設計を行う必要は必ずしもないという技術上の認識のもとに、セクターの一つの横断面において噛合いの連続性を保証するという考えにこだわらず、セクターの軸線方向における長さ全体を利用して噛合いの連続性を保証するという考えを導入したものであって、その点に本件発明の技術思想の本質が存する。すなわち、本件発明の実施例に開示されているように、ラツクの基準ピツチ線が直線の場合には、可変歯車比にすると、セクターの軸線に垂直な任意の断面の一つのみではステアリング装置の作動範囲全体にわたつては満足な噛合い条件が成立せず、噛合いの不連続が生じ、また、ラツクの基準ピツチ線が曲線の場合でも、得ようとする可変歯車比にとつて必要な噛合いピツチ曲線と異なる場合には、直線状のラツクの基準ピツチ線の場合と同様な噛合いの不連続を生じるが、セクターの軸線方向に転位量が変化したセクター歯形を用いると、噛合い位置がセクターの軸線方向に移るため、歯車機構全体としての噛合いの連続性、すなわち円滑な噛合いが保証されるようになる。このように、セクターの軸線方向の長さを利用して初めて歯車機構全体としての円滑な噛合いが保証されるのが本件発明の特徴であり、どのようなラツク歯形を用いても、セクターが本件発明の要件を備える限り、所要の可変歯車比と円滑な噛合いが得られるのである。

(二)(1) 右のような本件発明が、いかに当初明細書及び図面に記載されているかをみると、まず、可変歯車比を得るために、セクターの回転方向のみならず、軸線方向にも転位量を変化させなければならないことは、当初明細書第一頁第一九行ないし第二頁第六行、同頁第七行ないし第一四行、第四頁第七行ないし第一二行及び同頁第一三行ないし第一五行に当業者が容易に理解できる程度に記載されている。更に詳述すると、当初明細書第一頁第一九行ないし第二頁第六行の記載によれば、テーパーギヤーの中央より回転角が変わるにつれて歯数を変化させる(これは噛合いピツチ円の直径を変化させることと同義である)ことにより可変歯車比が得られる旨が説明されている。しかしながら、実施例に示されているラツクは直線状の基準ピツチ線を有するものであるから、このように噛合いピツチ円の直径を変化させることにより、ラツクの噛合いピツチ線が直線でなくなると、当然、そこに噛合いの途切れや切下げの問題が生じる。すなわち、セクターの中央位置で円滑な噛合いが得られても、セクターの回転にしたがい、噛合いが外れる個所が生じたり、切下げが生じたりすることが考えられ、このことは、歯車技術に関し通常の知識を有する者であれば当然に予測できるところである。当業者がこのような疑問をもつて当初明細書を検討した場合、前述したような個所でテーパーギヤーが噛合いに関して説明されていることに着目し、これによつて噛合いの連続性の問題が解決されていることを理解する筈である。すなわち、テーパーギヤーが、大端側と小端側で異なつた噛合い範囲を有することは当業者に周知の事実であり、したがつて、セクターをテーパーギヤーとし、噛合い範囲を拡大することによつて、前述の噛合いの不連続の問題が解決できていることを、当業者は容易に理解できるものである。また、切下げについては、ステアリング装置の歯車機構が通常の歯車機構に比して回転範囲、回転速度とも比較にならない程小さいことを考慮すれば、本件発明において問題として考えられていないことも理解できるものである。

(2) 右の説明から明らかなとおり、当初明細書から理解される技術的事項の本質は、得ようとする可変歯車比に対応する噛合いピツチ曲線がラツクの基準ピツチ線と一致せず、むしろ大きく外れているということ、そしてそのような噛合いピツチ曲線とラツクの基準ピツチ線との関係から必然的に生じ得る噛合いの不連続の問題は、セクターを軸線方向に転位量の変化するテーパーギヤーとして構成することにより解決されているということであり、これらのことは、歯車技術に関し通常の知識を有する者であれば、当初明細書を注意深く読むことにより十分に理解できるものである。そして、このような理解に基づけば、ラツクの基準ピツチ線は必ずしも直線状に限らず、曲線状の基準ピツチ線を有するラツクを用いる場合でも、本件発明の技術思想をそのまま適用できることを極めて容易に理解できるものである。

(三) この点を更に詳述するに、当初明細書では不等ピツチのラツクやピツチ線が非直線状のラツクについて明示的に説明はしていないが、このようなラツクの使用も、次に述べるように本件発明の特許出願当時当業者には自明な事項であつたのである。

(1) 当初明細書においては、等ピツチ、等圧力角の標準形ラツク、あるいは等ピツチのラツクが、転位歯車であるテーパーギヤーとして構成されたセクターに噛合わされることにより、可変歯車比を得ることができると説明されている。可変歯車比を得るということは、噛合いピツチ線がその歯車比の変化に対応する曲線であるということである。これに対し、当初明細書に開示されたラツクは直線状の基準ピツチ線を有するものであるから、当然のことながら、当初明細書に開示されたラツクとセクターとの噛合いでは、ラツクの噛合いピツチ曲線が基準ピツチ線と合致していない。このことは、本件発明の属する技術分野における通常の知識を有する者であれば、容易に理解し得るところである。すなわち、当初明細書から、当業者は、ラツクの基準ピツチ線に関係なく噛合いピツチ線を定めることにより、ラツクの歯形に関係のない歯車比を得ることができるということ、換言すれば、ラツクの歯形とは無関係に可変歯車比を得ることができる、ということを容易に理解できるものである。

(2) したがつて、当初明細書の特許請求の範囲におけるラツク歯形についての限定を除くことは、当業者にとつて自明の範囲であり、要旨変更には当たらない。

被告は、特許法第四一条における「願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲」の解釈に際し、当業者の自明の範囲を全く考慮していない。被告のこの主張が誤つたものであることは、明らかである。

(四) 以上によれば、本件発明の出願日は繰り下がることなく、したがつて、本件発明の特許出願日は昭和四二年三月二八日であり、他方、引用例は本件発明の特許出願日より後に公知となつたものであるから、本件特許について引用例記載の技術が公知であることを理由とする無効原因は存しないのであつて、要旨変更に関する前記本件審決の誤認は本件審決の結論に影響を与えることは明らかである。

3  特許法第六四条第二項違反に関する本件審決の判断の誤り

(取消事由(三))

本件審決は、公告後補正明細書の特許請求の範囲第1項は、先行する第六次補正明細書の特許請求の範囲第1項を実質的に変更したものであると判断し、また、最終補正明細書の特許請求の範囲第1項は、先行する公告後補正明細書の特許請求の範囲第1項を実質的に変更したものであると判断したが、右判断は、いずれも誤りである。この誤りは、本件発明におけるラツクとセクターの噛合いの技術的意義を正確に理解しないなど本件発明の本質を誤解したことによるものである。

第三請求の原因に対する認否及び被告及び被告補助参加人の主張

一  請求の原因一の事実は認める。

二  同二の主張は争う。本件審決の認定判断は正当であつて、原告が主張するような違法の点はない。

1  取消事由(一)について

(一) 特許法第三八条但書は、一発明一出願の原則に対する例外として、相互に深い関連性のある発明に限り複数発明を一つの出願にまとめることを認めて出願人及び審査事務の便宜を図つた規定であつて、同条による出願に部分ごとに異なる出願日を付与するような効果までを規定するものではない。そのような特殊な効果を、明文の規定なしに解釈によつて創出することは到底認められない。しかして、特許法第四〇条は、手続補正は一体として取扱うべきであり、この手続補正が要旨変更と認められるときは、その特許出願(全体)は手続補正書を提出した時にしたものとみなされることを規定しているのである。したがつて、その特許出願中に併合発明があり、そのうち一発明のみが要旨変更であつたときでも、その特許出願全体が前記手続補正書を提出した時にしたものとみなされるのであつて、もし特許法第四〇条を発明ごとに適用するとすれば、特許請求の範囲の項ごとに異なる出願日を認めるほか、発明の詳細な説明の記載についても、特殊請求の範囲の各項に対応する記載部分についてそれぞれ異なる出願日を適用しなければならないことになり、そのような結果は、出願日に関する現行特許法の構成と根本的に矛盾するものと思われる。

(二)(1) 原告の主張は、専ら特許法第一二三条第一項及び第一八五条の規定に依拠するものであるが、これらの規定は、条文の体裁上、明らかに二以上の発明に係る特許について発明ごとに特許権がある如く扱う例外的場合を規定したものにすぎない。しかも、その規定は、例外的に扱う場合を具体的に明示する形式であるから、法解釈の原則上、その他の場合に類推適用することは許されない。この理は、東京高等裁判所の昭和五二年一二月二三日の判決及び同昭和五四年三月二二日の判決の判示内容からも認められる。

(2) また、特許法第四〇条は適用範囲につき何らの条件を付せずに出願日に関する基準を定めているのであるから、併合出願による特許についても、まず同条により出願日を定め、これを前提として出願日が問題となる各法律関係の内容を当該法律関係ごとに決定するというのが現行特許法体系の意図するところと解される。第一二三条により併合特許に対する無効審判は各発明ごとになされるが故に、さかのぼつて第四〇条により出願日繰下がりの効果を、すべての場合につき各発明ごとに考えるべきであるというのは本末を転倒した議論といわざるをえない。

(3) なお、特許法第一二三条は併合特許における各発明の有効性を独立に判断すべき場合を規定しているが、そのことをもつて、特許法第四〇条により出願日が繰り下がる場合においては発明ごとに異なる出願日を認めるべきであるということにはならない。同法第一二三条は、ただ一般的に併合特許の場合、一つの発明について無効理由があつても、当然に他の発明まで無効になるものではないという事実(より正確には、無効にする必要はない、という特許政策)を示すにとどまり、すべての発明について共通な無効理由がある場合、全部が無効になることを禁じているものではない。したがつて、第一二三条にかかわらず、第四〇条の適用上、出願日は如何に定めるべきかということは、第四〇条自体の問題として判断すべく、前項に述べたような出願日の意義、併合出願の法的性格、併合特許における発明思想の判断等の考慮から、この場合においても統一した一個の出願日を有するものと解すべきである。

2  取消事由(二)について

原告は、当初明細書の記載からして、補正後の不等ピツチラツクやピツチ線が非直線状のラツクの使用は既に自明であつたから、第六次補正において要旨変更があつたとはいえず、したがつて、本件発明の出願過程において要旨変更はなかつた旨主張する。しかしながら、当初明細書及び図面を一読すれば、本件審決認定のとおり、等ピツチラツクを使用する技術しか記載されていないことは極めて明白であつて、かかる明細書及び図面の記載から、一般的でない不等ピツチラツクの使用を含むことが自明とはいえないことは明らかである。すなわち、

(一) 当初明細書には、ラツクとして標準ラツク歯形ギヤー(等ピツチ、等圧力角)を用いることが特許請求の範囲に記載されているほか、当初明細書の発明の詳細な説明の締め括りとして、その第五頁第一行ないし第八行には「このように本発明はボールネジラツクギヤーは一般の等ピツチのものを使用して、テーパーギヤーのみを歯数の変化と共に各段階の転位置を変えた転位歯車とすることによりハンドルの回転角に応じた可変歯車比を得るようにしたことを特徴とするものであつて、テーパーギヤーの取換のみで従来のステアリング装置を可変歯車比に改良し得る便がある。」と記載されており、右の記載をみれば、本件出願の当初明細書ではその明細書の記載全体を通じて、ラツクとして標準ラツク歯形ギヤー(等ピツチ、等圧力角)のもののみを用い、その他の歯形のラツクの使用を排除したことは明らかである。

したがつて、原告が当初明細書に記載されていること以外についていかなる言辞を為そうとも、標準ラツク以外のラツクを包含する特許請求の範囲(第六次補正)は明細書の要旨変更であることは明白である。

(二) なお、念のため、原告の論旨を検討してみるに、原告は、憶測に憶測を重ねて本件発明の本質、特徴、自明性等について主張するが、いずれも当初明細書に示されているものではない。第六次補正明細書の特許請求の範囲第1項の記載が当初明細書の特許請求の範囲の記載と異なつていることは一見して明白である。そして、このような場合、「願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」の変更である場合は要旨変更とは見られないが(特許法第四一条)、そうでない限り要旨変更となるのである。原告が引用する前記箇所には、等ピツチラツクでないラツク、あるいは直線形状でないピツチ線を有するラツクについてはいかなる記載も存在しない(それどころか、前記一で述べたように、等ピツチ、直線形状ピツチ線の標準ラツクに限るとの趣旨の記載がある。)。かかる出願当初の明細書において、第六次補正の特許請求の範囲第1項を特許請求の範囲としたならば、発明の詳細な説明の内容と齟齬することは明白であつて、これが要旨変更とならない筈はない。

(三) 以上のとおり、第六次補正において導入された不等ピツチラツク又は非直線形状ピツチ線を有するラツクを使用する発明が、当初明細書の記載外の技術であつて、要旨変更に該当することは明らかであり、この点に関する本件審決の判断に誤りはない。

3  取消事由(三)について

特許法第六四条第二項違反に関する本件審決の判断に原告主張のような誤りはない。

第四証拠関係<省略>

理由

一  本件に関する特許庁における手続の経緯、最終補正明細書の特許請求の範囲第1項及び第2項の記載及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであること、当初明細書及び当初図面に本件審決認定のとおりの事項が記載されていること、第六次補正明細書及び公告後補正明細書の各特許請求の範囲第1項及び第2項の記載が本件審決認定のとおりであること、引用例が一九六九年(昭和四四年)七月四日にフランス国工業所有権公報第二七号に掲載され、フランス国内で頒布された刊行物であること、そこに本件審決認定のとおりの事項が記載されていること、第六次補正明細書の特許請求の範囲第2項記載の発明と引用例記載の発明とが同一であることは、当事者間に争いがないところである。

二  取消事由に対する判断

1  取消事由(一)について

(一)  特許法第四〇条は、願書に添附した明細書又は図面について出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前にした補正がこれらの要旨を変更するものと特許権の設定の登録があつた後に認められた場合の取扱いについて、その特許出願は、その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなす、すなわち出願日が要旨変更に係る手続補正書提出日まで繰り下がるものとすると規定するところ、特許法第三八条但書による複数の発明(以下「併合発明」という。)に係る特許出願は併合発明が一体となつた一個の出願と解すべきであることからすると、併合発明は、出願審査、拒絶査定に対する審判、特許査定、出願公告等出願手続において一体のものとして取扱われ、特許査定の登録後は一個の権利として、同じ期間(出願公告から一五年又は出願から二〇年)存続するものとして、取扱われることになるのである。そうだとすれば、併合発明に係る特許出願において、そのうちの一発明についてだけ要旨変更となる補正がなされた場合には、要旨変更のない発明を含めた当該出願の全体の明細書又は図面の要旨が変更され、その出願日が右要旨変更に係る手続補正書提出の日まで繰り下がるものと解するのが相当であり、そのように解することは、特許法第四〇条が「・・・その特許出願は、その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなす。」と規定している文理にも合致するものということができる。もし、補正された発明についてだけ出願日の繰下げを認めると、併合発明につき複数の出願日が存することになるから、例えば一個の権利でありながら、存続期間が区々となるという理論的に整合しない結果を容認することとなり、不当である。

(二)  原告は、<1>特許法第一二三条第一項、同法第一八五条は、二以上の発明に係る特許について各発明の独立性を明確にしているのであるから、特許権の設定登録後においては、併合発明のそれぞれについて個別的に要旨変更の判断がなされるべきであつて、併合発明であるという理由で、一の発明について要旨変更であることを認定しただけで、他の発明について要旨変更に当るか否かの認定をすることなく、同様に特許法第四〇条の規定を適用することは誤りである旨、また、<2>併合出願においても、個々の発明自体は元来独立した存在であるから、いつたん特許が付与された後においては、その有効性・無効性は各発明ごとに特許がある場合と同様に取扱うべきことは特許法第一二三条、第一八五条の規定をまつまでもなく、論理的に当然の帰結であり、右法条はこれを確認した規定にすぎないのであつて、右のごとき併合出願についての特許法の基本的な考え方は、特許法第四〇条の解釈においても変更されるべきではない旨、更には、<3>審査官等が特許請求の範囲ごとに要旨変更に当たるか否かを判断して出願人に通知していれば、出願人は出願の分割、再度の補正、補正時を出願日とする新出願等いくつかの手段により発明の保護を求めることができるのに、要旨変更となる補正が審査官等により看過され特許の設定登録がなされた後においては、特許権者に残された方法は訂正審判の請求により特許請求の範囲の記載を訂正する他はなく、侵害訴訟や無効審判に有効に対処できない欠点があり不合理な結果を招来する旨主張する。

特許法三八条は、特許出願に関し一発明一出願を原則としたうえで、複数の発明が同条但書一号ないし三号の関係にある場合には、その例外としてこれを併合発明として一出願の形式により出願することを認めているが、かかる併合発明が特許され、登録された場合、それは一個の出願に対する特許査定に基づくものであるから、一個の特許権が設定されたのであつて、例えば、特許法第一二三条、第一八五条のように特段の規定がない限り、当然に発明ごとに特許があつたものとして取扱うことはできない。しかして、特許権の設定登録がされた併合発明のうちの一部が補正された場合の同法四〇条の適用関係については、これを個別に扱うべきとする特段の規定はないのであるから、補正に係る一部の発明についてのみ出願日の繰下げを認めることはできないものというべきであるし、また、同法第一二三条、第一八五条を類推適用すべき理由も見出しがたい。この点に関する原告の前記<1>及び<2>の主張は採用することができない。更に、<3>の主張については、その主張に係るような問題が存する事実であるとしても、立法論としてはともかく、特許法第四〇条の解釈として部分的繰下げを認める根拠とすることはできず、<3>の主張も採用することはできない。

(三)  よつて、原告主張の取消事由(一)は理由がない。

2  取消事由(二)について

(一)(1)  成立に争いのない甲第二号証の一(本件発明の願書並びに添附の明細書及び図面)(以下「当初明細書」ともいう。)によれば、当初明細書の発明の詳細な説明の欄には、本件発明がボールねじ式のステアリング装置に於て可変歯車比とした装置に関する発明であつて、従来、自動車の高速化に伴いハンドルのフイーリングをよくしフラツキを少なくするためステアリングの剛性の向上を図る目的でハンドルトルクを大きくしていたが、ハンドルの回転角が増すごとにハンドル操作が重くなるという欠点があつたことから、回転角が増すに伴いギヤー比を大きくしてハンドルトルクを小さくし中央位置でのフイーリングをよくすることを目的とするものであること(同号証の第一頁第七行ないし第一七行)、本件発明の特徴が「ラツクギヤー(1)とテーパーギヤー(2)との噛合いを等ピツチラツクにて行う場合にテーパーギヤー(2)(転位歯車)の中央(3a)より回転角が変わるにつれて歯数を変化させると共にこれに伴い各歯(3)の各段階における転位量を逐次変化させることによつてピツチ円直径を一定に保たせるようにしたこと」(同号証の明細書第一頁第一八行ないし第二頁第六行)にあり、ハンドルの回転角が増すにつれてラツクギヤーとテーパーギヤーとのギヤ比を大きくするためには、「テーパーギヤー(2)の中央から両端に向つて歯数を多く」する必要があり、「この場合等ピツチラツクギヤー(1)と噛せ乍ら第2図の如く(イ)歯車のP.C.Dイから(ロ)歯車のP.C.Dロまで連続的に転位量を変化させることによつて正常な噛合が得られる」(同頁第七行ないし第一四行)ことにより目的を達し得る旨の記載が存することが認められるほか、発明の詳細な説明の締め括りとして、「このように本発明はボールねじラツクギヤーは一般の等ピツチのものを使用して、テーパーギヤーのみを歯数の変化と共に各段階の転位量を変えた転位歯車とすることによりハンドルの回転角に応じた可変歯車比を得るようにしたことを特徴とするものであつて、テーパーギヤーの取換のみで従来のステアリング装置を可変歯車比に改良し得る便がある」(同第五頁第一行ないし第八行)との記載が存することが認められる。このほか、前掲甲第二号証の一の当初明細書によれば、願書添附の図面の第3図には、ラツクとして標準ラツク歯形ギヤー(等ピツチ、等圧力角)を用いた本件発明の実施例の一部縦断側面図が記載されていることが認められ、更に、特許請求の範囲の欄には、「ラツクギヤーとテーパーギヤーとの噛合を標準ラツク歯形ギヤー(等ピツチ、等圧力角)にて行うものに於てテーパーギヤー(転位歯車)の中央より回転角が変わるにつれて連続的に歯数と転位量を変化させることによつてピツチ円直径を一定に保たせ正常な噛合が可能な事を特徴とする可変歯車比ステアリング装置」と、ラツクとして標準ラツク歯形ギヤー(等ピツチ、等圧力角)を用いることを要件としていることが認められる。そして、前掲甲第二号証の一を精査するも、当初明細書には、標準ラツク歯形ギヤー(等ピツチ、等圧力角)以外のラツク、例えば不等ピツチラツク又は非直線形状のピツチ線を有するラツクを使用することを示唆する記載は何も認められない。

(2) 以上の当初明細書の記載事項によれば、当初明細書においてテーパーギヤーと噛合うラツクは直線状のピツチ線(基準ピツチ線)を有する等ピツチ、等圧力角の標準ラツク歯形ギヤーに限定されているものと認められ、標準ラツク以外の構造のラツクは記載されていないばかりか、標準ラツク以外の構造のラツクを用いることを示唆する記載も認められない。

(二)(1)  しかるに、成立に争いのない甲第三号証ないし第五号証(昭和四五年一二月七日付、昭和四六年四月一〇日付各手続補正書本件特許公報)によれば、本件発明の当初明細書の特許請求の範囲の「標準ラツク歯形ギヤー(等ピツチ、等圧力角)」という要件は、昭和四五年一二月七日付手続補正(第四次補正)により「直線状のピツチ線を有するラツク」(特許請求の範囲第1項)と補正されて不等ピツチラツクが実質的に特許請求の範囲第1項に包含されることになり、次いで、昭和四六年四月一〇日付手続補正(第五次補正)により「線形状のピツチ線を有するラツク」(特許請求の範囲第1項)と補正されたこと、そして、昭和四六年五月二六日付手続補正(第六次補正)により、特許請求の範囲の記載が「1.ステアリングシヤフトに形成されたボールネジにボールを介して螺合しているボールナツトと、当該ボールナツトに形成されたラツクに噛合うセクターと、当該セクターを形成したロツクシヤフトを備えた可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置において、ステアリング装置の中央位置で最小のピツチ円直径を有し、ステアリング装置の回転角の増加に対応してピツチ円直径を連続的に増加すると共に転位量を減少させた特殊歯形を有するセクターを特徴とする前記可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置。2.特許請求の範囲1に記載の可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置において、ステアリングシヤフトの軸線に平行なピツチ線上にほぼ等しいピツチ、ほぼ等しい圧力角の標準歯形を備えているラツクを備えていることを特徴とする前記可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置。」と補正され(このことは当事者間に争いがない。)、第五次補正における「線形状のピツチ線を有する」という要件が削除されて、単に「ラツク」と、非直線形状のピツチ線を有するラツクも実質的に包含されるように補正されたことが認められる。なお、成立に争いのない甲第六号証(昭和四七年七月二八日付手続補正書)及び第七号証(昭和五一年六月八日手続補正書)によれば、第六次補正明細書は、さらに公告後補正明細書により、また、右明細書は最終補正明細書によりそれぞれ補正されたが、「ラツク」については第六次補正がそのまま維持されていることが認められる。

(2) 右事実によれば、第六次補正は、少なくとも「ラツク」について当初明細書に記載された事項の範囲内の補正とは認められないから、本件発明の明細書及び図面の要旨を変更するものと解さざるを得ず、本件特許に係る出願は、本件審決認定のとおり特許法第四〇条の規定により、第六次補正のなされた昭和四六年五月二六日にしたものとみなされるものである。

(3) 原告は、当初明細書及び当初図面には、不等ピツチラツク、あるいは非直線状のラツクが明示的に記載されていないことを認めながら、当初明細書の発明の詳細な説明の欄の記載をもとに、本件発明の技術思想の本質は、セクターの回転方向の転位によつて生ずる一つの横断面において噛合いの連続性を保証しようという考えにこだわらず、セクターの軸線方向における長さ全体を利用して噛合いの連続性を保証するという考えを導入した点にあるとしたうえで、ラツクに関して、当初明細書の特許請求の範囲におけるラツク歯形についての限定を除くことは当業者にとつて自明の範囲であり、要旨変更には当たらない旨主張する。しかし、当初明細書には、等ピツチ、等圧力角の標準ラツク及びこれと回転角に応じ歯数が変化するセクターに形成されたテーパーギヤーとの断面における噛合いに関する技術的事項以外に、他の形状のラツクに関する記載及びこれとセクターの軸線方向における噛合いに関する記載は全く見出すことはできず、当初明細書から原告主張のような技術的思想を読み取ることは到底困難というほかない。なるほど、原告主張のように、標準ラツクと右のようなテーパーギヤーとの噛合いが不連続となるおそれのあることは当初明細書から知り得ることができるが、だからといつて、当業者が当初明細書から、不等ピツチラツクあるいは非直線状のラツクを用いれば、右のような不連続を解消することができるとの事項が自明事項として、読み取ることができるとする原告の主張は余りにも飛躍であり、採用の限りではない。

(三)  よつて、原告の取消事由(二)は理由がない。

3  取消事由(三)について

第六次補正明細書が公告後補正明細書により、公告後補正明細書が最終補正明細書によりそれぞれ補正されたものの、「ラツク」については第六次補正がそのまま維持されていることは前記2(二)(1)において認定したとおりであり、しかも、本件発明は、第六次補正明細書が提出された昭和四六年五月二六日に出願されたものとみなされるのであるから、公告後補正及び最終補正に対する本件審決の判断に原告主張のような誤りがあつたとしても、後記説示のとおり、引用例の刊行された時期との関係で右判断の誤りは本件審決の結論に影響を与えないこと明らかであるから、原告の取消事由(三)の主張は、いずれにしても理由がないこととなる。

4(一)  他方、引用例(フランス国特許第一五七三一〇〇号明細書)が一九六九年(昭和四四年)七月四日にフランス国工業所有権公報第二七号に掲載され、フランス国内で頒布された刊行物であること、引用例には本件審決認定のとおりの発明が記載されていること、そして、第六次補正明細書の特許請求の範囲第2項に記載された発明と引用例記載の発明とが同一であることは、いずれも原告の認めるところである。

(二)  そして、前示第六次補正明細書の特許請求の範囲の記載に徴すれば、第1項記載の発明は「ラツク」に限定がないのに対し、第2項記載の発明は「ラツク」を「標準ラツク」(ほぼ等しいピツチ、ほぼ等しい圧力角の標準歯形を備えているラツク)と限定しており、第1項記載の発明は第2項記載の発明を包含する発明といえる。また、前掲甲第六、第七号証によれば、公告後補正及び最終補正に係る特許請求の範囲第1項記載の発明も第六次補正明細書の特許請求の範囲第2項記載の発明を包含しているものと認められる。

5  以上の事実によれば、第六次補正明細書の特許請求の範囲第1項及び第2項に記載された発明は、いずれも特許法第二九条第一項第三号の規定に該当し、本件特許は、同法第一二三条第一項第一号の規定により無効とすべきものである。仮に、公告後補正明細書、最終補正明細書が第六次補正明細書を実質的に変更しているとの本件審決の判断が誤りであるとしても、前記のとおり、本件発明の出願日が引用例の頒布後である昭和四六年五月二六日(第六次補正明細書提出の日)とされる以上、第六次補正明細書の特許請求の範囲第1項記載の発明を補正した公告後補正明細書又は最終補正明細書記載の発明と第六次補正明細書の特許請求の範囲第2項記載の発明がいずれも特許法第二九条第一項第三号の規定に該当し、同法第一二三条第一項第一号の規定により本件特許が無効となることに変りはない。結局この点において本件審決の判断は正当であつて、原告の主張するような誤りは認められない。

三  以上のとおりであるから、その主張の点に違法があることを理由に本件審決の取消しを求める原告の請求は、理由がないものというほかない。よつて、これを棄却することとし、補助参加によつて生じた分を含めた訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条並びに民事訴訟法第八九条及び第九四条後段の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松野嘉貞 舟橋定之 川島貴志郎)

別紙

一 特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「可変歯車比ステアリング装置」とする特許第八五四七〇七号(以下「本件特許」といい、本件特許に係る発明を「本件発明」という。)の特許権者である。

本件特許は昭和四二年三月二八日に出願され、同年五月一三日付、同年八月二四日付、昭和四四年一月七日付、昭和四五年一二月七日付(以下「第四次」という。)、昭和四六年四月一〇日付(以下「第五次」という。)、同年五月二六日付(以下「第六次」という。)手続補正書により手続補正がなされ、昭和四六年一〇月一八日出願公告されたが、これに対し特許異議が申立てられ、それに伴って、昭和四七年七月二八日付手続補正書により手続補正(以下「公告後補正」という。)がなされたが、昭和五〇年五月二八日付で特許異議決定及び拒絶査定がなされ、同時に公告後補正は補正却下決定された。その後、右拒絶査定及び補正却下決定は拒絶査定不服審判の審決により取消され、出願は特許されたが、その間昭和五一年六月八日付手続補正書による手続補正(以下「最終補正」という。)がなされ、昭和五二年四月一四日設定登録されたものである。被告は、昭和五六年一月三〇日、原告を被請求人として、本件特許の無効審判を請求し、昭和五六年審判第一九一七号事件として審理された結果、昭和五九年八月二四日、「本件発明の明細書の特許請求の範囲第一項、第二項に記載された発明についての特許を無効とする。」旨の審決(以下「本件審決」という。)があり、その謄本は、同年九月一二日原告に送達された。

二 最終補正明細書の特許請求の範囲の記載

1 ステアリングシャフトに形成されたボールネジにボールを介して螺合しているボールナットと、当該ボールナットに形成されたラックに噛合うセクターと、当該セクターを形成したロックシャフトを備えた可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置において、ステアリング装置の中央位置で最小のピッチ円直径を有し、ステアリング装置の回転角の増加に対応してピッチ円直径を連続的に増加しつつ前記ラックとの噛合いが円滑に行われるようにロックシャフトの軸線方向、すなわち大端側から小端側に向って正から負に転位量を減少させた特殊歯形を有するテーパーギヤーとしてセクターを形成したことを特徴とする前記可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置。

2 特許請求の範囲1に記載の可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置において、ステアリングシャフトの軸線に平行なピッチ線上にほぼ等しいピッチ、ほぼ等しい圧力角の標準歯形を備えているラックを備えていることを特徴とする前記可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置。

三 本件審決理由の要点

1 本件発明の要旨認定

請求人(被告)は、本件発明につき要旨変更があると主張しているので、要旨変更の存否の判断に入る前に、まず本件発明の要旨について認定する。

(一) 最終補正明細書について

(1)<1> 最終補正明細書の特許請求の範囲の記載は前記二記載のとおりである。

<2> 他方、公告後補正明細書の特許請求の範囲第1項(以下「第一クレーム」という。)には、次のとおり記載されている。

「ステアリングシャフトに形成されたボールネジにボールを介して螺合しているボールナットと、当該ボールナットに形成されたラックに噛合うセクターと、当該セクターを形成したロックシャフトを備えた可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置において、ステアリング装置の中央位置で最小のピッチ円直径を有し、ステアリング装置の回転角の増加に対応してピッチ円直径を連続的に増加すると共にロックシャフトの軸方向に転位量を減少させた特殊歯形を有するセクターを特徴とする前記可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置。」

なお、特許請求の範囲第2項(以下「第二クレーム」という。)は、文言上は最終補正明細書の記載と同一である。

(2)<1> 最終補正明細書の特許請求の範囲第1項の記載と公告後補正明細書の第一クレームとを比較すると、最終補正明細書には、(i)セクターの軸方向転位量について、「ラックとの噛合いが円滑に行われるように」との限定、及び(ii)軸方向の大端側から小端側に向って転位量を正から負へと変化させる旨、の二点が付加されている。

<2>(イ) 被請求人(原告)は、(i)の限定について、当審における昭和五八年一月二八日付答弁書において、「ラックの基準ピッチ線が直線である場合には、セクターの一つの横断面内において噛合いの連続性が保たれず、セクターの回転に伴なってセクターとラックの噛合いが外れる恐れが生じる。本件の発明においては、セクターの歯形に軸線方向の転位量の変化を与えることにより、・・・セクターの一つの横断面内ではなくセクター全体としての噛合いの連続性が保たれる」(第四頁第八行以下)ことを意味する旨述べている。また、本件特許に対する昭和五三年審判第一一〇四六号無効審判事件の昭和五四年一一月七日付答弁書において、「本件特許発明において、『回転方向の転位量の変化』と『軸方向の転位量の変化』とは、共に可変歯車比を得るため及び円滑な噛合いを得るために不可欠であり、かつ両者は密接不可分な関係にある」(第二頁第一六行以下)と述べ、更に、同審判事件の昭和五五年九月一六日付答弁書において、請求人(被告)の提示した計算例に反論して、「第二回弁駁書添付の上記参考資料に示された解析では、切下げの条件が全く考慮されていず、・・・『円滑な噛合い』すなわち『或る組の歯の歯面の噛合いが終らないうちに次の組の歯の歯面の噛合いが始まる』条件を論ずるには無意味であり、・・・例示したすべての歯で、切下げが全く生じていないことを示さない限り、この計算例は無価値である」と述べた。

(ロ) 以上の被請求人(原告)の主張を総合すれば、最終補正明細書の特許請求の範囲第1項における「ラックの噛合いが円滑に行われるように」との条件は、可変歯車機構の噛合いの条件に規定されて、テーパーギヤーの回転方向転位量の変化と軸方向転位量の変化が、互いに独立に決定し得ない密接不可分な関係にあり、その条件が充足されているか否かは、すべての歯で切下げが全く生じていないことの検証が必要なことを示すものと解される。しかるに、公告後補正明細書には、軸方向に転位量の減少が存在することを規定するだけであって、上記の噛合いの軸方向と回転方向の転位量の不可分の関係を切下げに関連して解析した記載は、発明の詳細な説明に全く存在せず、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に不可欠の事項を記載すべき第一クレームにも、セクターの回転方向と軸方向の転位量の相互関係を規定した事項は全く記載されていない。

してみれば、(i)の補正は、セクターの歯形に関する従来存しなかった異質の特徴につき規定したものであるから、特許請求の範囲の実質変更に該当するものである。

<3>(イ) また、(ii)の限定について、最終補正明細書の記載によれば、セクターの転位基準面上のP16において転位量は零であり、中心に向けて転位量が増加してP0で最大となる。したがって、P16の転位量は零であり、同点を含む軸方向転位量の変化は大端側から単調減少であるから、転位量はP16よりも大端側で正、小端側で負となる。しかし、P0は転位量が正であるから、P0を含む軸方向における転位量の変化のあり方が何らかの形で規定されていない限り小端側の転位量の絶対値が負になるものと特定はできない。

(ロ) しかるに、最終補正明細書には、円滑な噛合いのためにP16を含む軸線方向の小端側だけでなく、小端側転位量を負にしたもので、小端側においてはすべて転位量が負になると解する外ないものであり、円滑な噛合いとの関連において小端側の転位量をすべて負にする旨の記載は、公告後補正明細書における技術課題との関連においても存在せず、第一クレームにも記載されていないものであるから、(ii)の補正も特許請求の範囲を実質的に変更したものと認めざるを得ない。なお、第二クレーム記載の発明も、第一クレームを前提とするものであるから、第一クレームが実質変更であれば当然実質変更となる。

(3) したがって、最終補正明細書の特許請求の範囲第1項及び第2項の記載は、特許法第六四条第二項において準用する同法第一二六条第二項の規定に違反するものであるから同法第四二条の規定により、当該補正がなされなかった特許出願につき特許がなされたものとみなされる。

(二) 公告後補正明細書について

(1) 公告後補正は、第一クレーム中転位量の減少を「ロックシャフトの軸方向に」限定したことを内容とするものである。

(2)<1> 出願公告された第六次補正明細書(その特許請求の範囲は後記(三)参照)の記載によれば、「第6図に示すようにラックとセクターの噛合いにおけるセクターの軸線方向の転位基準面において、・・・P0、P1、P2、・・P16を結んで構成する曲線(第5図に示されている点線イ―ロに対応する)が噛合いピツチ曲線」(第一三頁第五行以下)、「本発明のラック(1)とセクター(2)の噛合いピッチ曲線は点線イ―ロがセクター(2)の噛合いピツチ曲線であり一点鎖線イ―ロ′がラック(1)の噛合いピツチ曲線である。」(第九頁第一四行以下)等の表現からみても、転位基準面においてセクターの全回転範囲にわたって噛合いながらラックを移動させる構成を前提に説明されている。したがって、第六次補正明細書に開示された発明は、転位基準面においてセクターとラックがセクターの全回転範囲にわたって噛合うものと認められ、この認定を左右するに足りる記載は右の明細書及び図面に存在しない。そして、転位基準面におけるセクターの全回転範囲にわたっての噛合いを前提にすれば、回転方向転位量と関連させて軸方向転位量を考慮する必要はなく、軸方向転位量は回転方向転位量とは独立に決定し得るものである。

<2> 以上の発明の詳細な説明の記載に基づいて、第六次補正明細書の第一クレームを解釈すれば、該クレームにおける「転位量」を軸線方向転位量と解すべき必然性は全く存在せず、明細書と図面の記載にてらして、回転方向転位量と解することが自然であるから、該記載は回転方向転位量を指称するものと解するのが相当である。

(3)<1> ところで、公告後補正明細書における軸方向転位は、「セクター歯が噛合いピツチ線に対して大きく転位している部分が・・・必然的に生ずる。したがって、セクターの一つの横断面のみを取り上げてみた場合、セクターとラックとの間の噛合いが外れる個処がどうしても生じてくる。・・・セクターを軸方向に転位量の変化を与えたテーパーギヤーとすれば、一つの横断面で噛合いが外れるような条件のもとでは他の横断面に噛合いが移り、・・・噛合いをセクターの軸線方向に移していくことにより噛合いの連続性が維持できる」(昭和五九年五月三〇日付回答書第一四頁第八行以下)ことに基づいて、歯車の噛合い条件から必然的に必要とされるものである。

<2> 換言すれば、公告前における発明は、転位基準面の全回転範囲にわたって噛合いが中断することなく成立していることを前提としているのに対して、公告後補正明細書の発明は、該横断面で噛合いが外れることを前提にしており、その差異によって、公告後補正における第一クレームの軸方向転位は公告前とは異質の意義を付与されるに至ったものである。

<3> したがって、該補正は公告前における第一クレームを実質的に変更したものといわざるを得ない。そして、公告後補正明細書における第二クレームも、第一クレームの構成を必須構成要件として含むものであるから当然に実質変更に相当することになる。なお、文理解釈の面からみても、回転方向におけるピッチ線の形状が与えられても、歯車の転位量は一義的に決定されるものでなく、圧力角等他のパラメータにより変化するものであるから、ピッチ円直径と転位量は同一の概念ではなく、したがって、第六次補正明細書の第一クレームにおける転位量を回転方向と解しても何の矛盾も生じるものではない。

(三) 本件発明の要旨について

以上のとおり、最終補正明細書及び公告後補正明細書における特許請求の範囲は、それぞれに先行する明細書における特許請求の範囲を実質的に変更するものであるから、特許法第六四条第二項において準用する同法第一二六条第二項の規定に違反し、同法第四二条の規定によって、本件発明の要旨は第六次補正明細書による特許請求の範囲、すなわち次のとおりのものとみなされる。

「1. ステアリングシャフトに形成されたボールネジにボールを介して螺合しているボールナットと、当該ボールナットに形成されたラックに噛合うセクターと、当該セクターを形成したロックシャフトを備えた可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置において、ステアリング装置の中央位置で最小のピッチ円直径を有し、ステアリング装置の回転角の増加に対応してピッチ円直径を連続的に増加すると共に転位量を減少させた特殊歯形を有するセクターを特徴とする前記可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置。

2. 特許請求の範囲1に記載の可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置において、ステアリングシャフトの軸線に平行なピッチ線上にほぼ等しいピッチ、ほぼ等しい圧力角の標準歯形を備えているラックを備えていることを特徴とする前記可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置。」

2 本件特許の出願基準日の認定

(一) 本件発明の要旨変更について

(1) 本件発明におけるラックについて

前記1(三)において認定した特許請求の範囲において、ラックは、その前提部分において「当該ボールナットに形成されたラックに噛合うセクター」の表現で記載されている。この表現は、第六次補正において、第五次補正明細書の「・・・形成された線形状のピッチ線を有するラック・・・」を「形成されたラック・・・」に補正したものであり、第五次補正のこの表現は、第四次補正明細書における「・・・形成された直線状のピツチ線を有するラック」から補正されたものである。そして、昭和五九年五月三〇日付回答書によれば、第五次補正における「線形状のピッチ線」は第四次補正における「直線形状のピッチ線」と同義であるから、第六次補正は、ラックのピッチ線を直線形状のものから直線形状以外のものまで含むごとく補正した点に実質的内容が存するものというべきである。

(2) 当初明細書の記載の概要

ところで、願書に最初に添附された明細書(以下「当初明細書」という。)及び図面(以下「当初図面」という。)には、概要、以下の記載が存する。

(イ) 本発明は、「ボールねじ式のステアリング装置に於て可変歯車比とした装置に関する。」(第一頁第八行以下)、従来のこの種装置は、「高速化に伴ないハンドルのフイリングをよくしフラツキを少くするためステアリングの剛性の向上を図る目的でハンドルトルクを大きくしているが、ハンドルの回転角が増すごとにハンドル操作が重くなるという欠点がある。」(同頁第一〇行以下)、これに対して、本発明は、「回転角が増すに伴いギヤー比を大きくしてハンドルトルクを小さくし中央位置でのフイリングをよくすることを目的とするものである。」(同頁第一五行以下)

(ロ) 次いで、実施例の説明と称して、「ラックギヤー(1)とテーパーギヤー(2)との噛合を等ピッチラックにて行なう場合にテーパーギヤー(2)(転位歯車)の中央(3a)より回転角が変わるにつれて歯数を変化させると共にこれに伴い各歯(3)の各段階における転位量を逐次変化させることによってピッチ円直径を一定に保」(同頁第一九行以下)つ点を特徴としてあげている。ハンドル回転角の増加につれてギヤ比を大きくするには、「テーパーギヤー(2)の中央から両端に向って歯数を多く」(第二頁第九行以下)する必要がある。「この場合等ピッチラックギヤー(1)と噛合せ乍ら第2図の如く(イ)歯車のP.C.Dイから(ロ)歯車のP.C.Dロまで連続的に転位量を変化させることによって正常な噛合が得られる」(同頁第一一行以下)ことにより課題が解決されるのである。

(ハ) 以上の記載に続いて、モジュールM=三・五、ボールねじのピッチL=八・四六六、ギヤ比を中央の一八・一八からプラスマイナス三五度位置の二一・四まで変化させる計算例が示される。その手法は中央歯数と両端歯数の歯数差を等分して各段階の歯数に均分し、該歯数にMを乗じて各段階のピッチ円直径P.C.Dを算出する。そして、各段階に対応する角度γ=360°×1.5/Z×16(なお、明細書には分子にPが乗ぜられているが、これは誤記と認める。)を決定して、γとP.C.Dにより第2図に示す各ポイントを決定する。

(ニ) このようにして決定された「各ポイントを例えばZmaxのP.C.D(D16)まで転位させた転位歯車を形成すれば、・・・等ピッチラックと支障なく噛み合う」(第四頁第七行以下)ので、「ハンドルの回転角を増すにつれてギヤー比が大となりハンドルトルクが小さくなる。」(同頁第一〇行以下)、「この時の各歯の転位量は、・・・(中央から)順次小さくなりZmaxのP.C.D(D16)では転位量は零である。」(同頁第一三行以下)と、決定されたポイントに基づく転位歯車の形成法及び該歯車の特性を説明している。

(ホ) そして最後に、「ボールねじラックギヤーは一般の等ピッチのものを使用して、テーパーギヤーのみを歯数の変化と共に各段階の転位量を変えた転位歯車とすることによりハンドルの回転角に応じた可変歯車比を得るようにした」(第五頁第一行以下)本発明の特徴を摘示し、「テーパーギヤーの取換のみで従来のステアリング装置を可変歯車比に」(同頁第六行以下)できることを効果としてあげている。

(ヘ) 特許請求の範囲の記載は次のとおりである。

「ラックギヤーとテーパーギヤーとの噛合を標準ラック歯形ギヤー(等ピッチ、等圧力角)にて行うものに於てテーパーギヤー(転位歯車)の中央より回転角が変わるにつれて連続的に歯数と転位量を変化させることによってピッチ円直径を一定に保たせ正常な噛合が可能な事を特徴とする可変歯車比ステアリング装置」

(3) 当初明細書におけるラックの意義と開示の範囲

<1> (2)において要約したとおり、当初明細書において、テーパーギヤーと噛合うラックは等ピッチラックであることが前提とされている((2)の(ロ))。そして、このラックは、当初図面第3図及び特許請求の範囲の「標準ラック歯形ギヤー(等ピッチ、等圧力角)」の記載に徴して、当然直線状ピッチ線(なお、ここにいうピッチ線は、噛合いピッチ線ではなく、基準ピッチ線と解される。)を有するものと推認され、当初明細書には該推認を左右するに足りる記載は存しない。

<2> そして、等ピッチラックと噛合うテーパーギヤーの特定の横断面において、ギヤーの回転中心からラックのピッチ線にいたる中心間距離hを一定に保ちつつ、歯数を中心角の変化量に比例して変化させることによって可変歯車比を得るのである。当初明細書の計算例で、セクターギヤーの横断面において歯数の変化の総量を一六等分して段階ごとに均分したうえ、それをピツチ円直径に変換し、各ピッチ円直径に対応する中心角をγ=360°×1.5/Z×16によって求める手法は、セクターギヤーの噛合いピッチ線を求めるうえで、直線状の基準ピッチ線を有する等ピッチラックとの噛合いを前提とする技術思想のみが開示されているのであり、それによる効果は、「ボールねじラックギヤーは一般の等ピッチのものを使用して(中略)テーパーギヤーの取換のみで従来のステアリング装置を可変歯車比に改良し得る」((2)の(ホ))点に存する。

<3> 当初明細書には、この技術思想を不等ピッチのラックあるいは非直線状のラックとの噛合いを前提とするセクターに拡張する技術的課題に関する事項は示唆すらもされておらず、またその解決のために必要なセクターとラックの噛合いピッチ線の満たすべき幾何学的条件に関する記述も全く存しない。いわんや該ピッチ線を有する歯型曲線の満たすべき条件、あるいは非直線ピッチ線を有するラックとそれと噛合う可変歯車比セクターギヤーの歯車諸元に関する何らの開示も存しない。

この点について、「当初明細書および当初図面において、標準ラック歯形ギヤー以外のラックと噛合うギヤーについて、明文の開示がなされた個所があれば特定されたい。あるいは、その噛合いを示唆する記載があれば、その個所といかなる理由でそれが示唆されたものといえるかについて説明されたい。」との昭和五九年三月三〇日付尋問書の求釈明に対して、被請求人(原告)は、同年五月三〇日付回答書において、「当初明細書の説明は等ピッチラック歯形ギヤーについてのもので等圧力角を前提としていない。したがって、標準ラツク歯形ギヤーとの噛合いについて特に限定して説明されていず、むしろ圧力角を問題とせずに説明をしているものである。この点については(1)項ですでに説明した」(第九頁第四行以下)と釈明した。そして、(1)項でも、「当初明細書の『発明の詳細な説明』の欄には、等ピッチラックギヤーの説明はあるが、これは等圧力角のラックギヤーに限定して説明したものではない。」(第二頁第七行以下)として、圧力角に関する説明はしてはいるが、等ピッチギヤー以外のピッチを有するギヤーに関する記載がある旨の釈明は全くなされていない。更に、直線形状以外の基準ピッチ線を有するラックについて、右回答書は全くふれていない。

<4> したがって、右回答書における被請求人(原告)の釈明も参酌すれば、当初明細書及び当初図面のラックに関する記載事項の範囲は、等ピッチラックに限定されているものと認める。

(二) 本件特許に係る出願の基準日について

(1) 一で検討したとおり、当初明細書及び当初図面に記載されたラックは等ピッチラックのみであって、不等ピッチラック、あるいは直線状ピッチ線以外の基準ピッチ線を有するラックに関する開示は全く存しない。

しかるに、昭和四五年一二月七日の第四次補正において特許請求の範囲が標準ラックから直線状のピッチ線を有するラックに補正されることにより不等ピッチラックが実質的に特許請求の範囲に包含されることになり、更に、昭和四六年五月二六日の第六次補正で「線形状のピッチ線を有する」を削除することにより、非直線状のピッチ線を有するラックも実質的に包含されることになった。そして、不等ピッチラック又は非直線形状のピッチ線を有するラックは、いずれも当初明細書の記載事項の範囲内にはないものであるから、第六次補正は要旨変更に該当する。

(2) したがって、本件特許に係る出願は、特許法第四〇条の規定により、第六次補正のなされた昭和四六年五月二六日にしたものとみなされる。

3 本件特許の無効理由について

(一) フランス国特許第一五七三一〇〇号明細書の概要

(1) 請求人(被告)の提出したフランス国特許第一五七三一〇〇号明細書(以下「引用例」という。)は、その記載からみて、一九六九年(昭和四四年)七月四日にフランス国工業所有権公報第二七号に掲載され、フランス国内で頒布されたものと認める。

(2) 引用例には、ステアリングシャフトに形成されたボールネジにボールを介して螺合しているボールナットに形成された、ステアリングシャフトの軸線に平行なピッチ線上に等ピッチの標準歯形を有するラックに噛合うセクターと、当該セクターを形成したロックシャフトを備えた可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置において、ステアリング装置の中央位置で最小のピッチ円直径を連続的に増加するとともに転位量を減少させた特殊歯形を有するセクターを具備した可変歯車比ボールネジ式ステアリング装置が記載されている。

(二) 本件発明と引用例との対比判断

1の三において認定した本件発明の要旨、すなわち特許請求の範囲第1項及び第2項に記載された事項と引用例とを対比すると、右第2項記載の発明と引用例記載のものとは同一であり、かつ、第1項は第2項記載の発明を包含する要件によって構成されたものであるから、同項も引用例記載のものと同一発明となる。

(三) 無効理由の存否について

既述のとおり、本件特許は昭和四六年五月二六日に出願されたものとみなされ、引用例は昭和四四年七月四日にフランス国内で頒布されたものであるから、特許請求の範囲第1項及び第2項に記載された本件発明は、いずれも特許法第二九条第一項第三号の規定に該当するものである。

4 したがって、本件特許は、同法第一二三条第一項第一号の規定により無効とすべきものである。

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