東京高等裁判所 昭和59年(行コ)74号 判決 1986年11月13日
控訴人
京セラ株式会社
右代表者代表取締役
稲盛和夫
右訴訟代理人弁護士
成富安信
同
中町誠
被控訴人
中央労働委員会
右代表者会長
石川吉右衛門
右指定代理人
渡部吉隆
同
船岡實
同
近藤紘一
同
池田稔
被控訴人補助参加人
全関東単一労働組合
右代表者執行委員長
片山岩一
右訴訟代理人弁護士
里村七生
同
三浦宏之
主文
原判決を取り消す。
被控訴人が中労委昭和五六年(不再)第一号事件について昭和五八年四月六日付けでした命令のうち、主文第四項を除く部分を取り消す。
訴訟費用は第一、第二審を通じて、控訴人と被控訴人との間に生じた分は被控訴人の負担とし、控訴人と被控訴人補助参加人との間に生じた分は同参加人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
主文第一、第二項と同旨。
訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
控訴棄却。
第二 当事者の主張
当事者の主張は、次に付加するほかは、原判決事実摘示中「第二 当事者の主張」欄(原判決二丁表末行目冒頭から一三丁裏九行目末尾まで及び別紙(一)ないし(三)を含む。)に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴人の当審における主張
1 片山は本件休職期間満了時から一年以上も経過した後である昭和五六年一一月の段階でもその疾病が完治しておらず(更にその後も労災保険の支給を受け続けている)、復職の望みなしとして退職になるのを免れなかつたにもかかわらず、控訴人が新たに片山の健康回復可能性の調査をしなければならないとするのは、屋上に屋を架するに等しく無用のことである。
仮に旧会社就業規則二一条四号の解釈として、改めて片山の健康回復可能性を調査し、その結果に基づいて適宜の措置をとらなければならないとしても、片山は本件命令時である昭和五八年四月六日の時点ですでに発病以来約三年を経過しているのに、いまだに治癒していないのであるから、右時点で「復職の望みなし」として退職を免れなかつたものであるから、少くとも右時点において救済利益は消滅しているものというべきである。
2 労働安全衛生法六六条五項但し書の規定は、労働者に対し自己の身体に接する者を選択する自由権を一般に保障するという趣旨ではなく、あくまで法定の健康診断(以下、「健診」という。)についてのみその固有の理由に基づき労働者に認められた権利である。従つて、本件のような法定外健診の場合は右六六条五項但し書は妥当せず、逆に使用者の安全配慮義務の外延として信義則上受診義務が肯定されるのみならず、企業は企業秩序を維持確保するため具体的に労働者に指示命令をすることができるのである。
本件においても、旧会社は適正な就業規則の運用と的確な労務管理を行うため、指定医による診断を受けるよう業務上の指示をすることができ、片山は右指示に服すべき義務を有したのである。それにもかかわらず、右指示に従わなかつた片山に対し、旧会社が同人の疾病を業務に起因するものと認めず、またこれまで前例のない特権的な休職期間延長を考慮する余地がないと判断したのは当然のことであり、右片山の受診義務を全く看過して休職期間の延長等を求める本件命令には到底承服できない。
3 仮に片山の本件疾病が業務に起因するものであるとすれば、そもそも本件休職適用行為自体が無効というべきところ、本件においては右休職適用行為及び休職期間を二か月と定めた行為が被控訴人により是認され、その部分に関する被控訴人補助参加人組合(以下、「補助参加組合」という。)の救済申立が棄却されている(本件命令主文第四項)。そして、右主文第四項部分については補助参加組合から所定の期間内に取消訴訟の提起がなかつたのであるから、同部分はすでに確定し、いわゆる不可争力を有するにいたつている。従つて、本件疾病が業務に起因する場合を考慮、斟酌することはできないというべきである。
二 被控訴人の当審における主張
1 控訴人の当審における主張1のうち、片山の疾病が昭和五六年一一月当時完治していなかつたことは認めるが、その余は争う。右の時点で完治していないとしても、休職期間満了時に疾病の現状及び将来の見通し等からみて復職の望みがないと認められないときには休職期間の延長をするなど適宜の措置を採るのが当然であるから、右のゆえに片山の退職が動かせないものとなつていたとはいえない。従つて、本件における救済利益は存在する。
2 控訴人は当審における主張2において、片山が旧会社の指定医による診断を受けるよう求めた業務上の指示に従わなかつたから、同人の疾病を業務に起因するものと認めなかつたのは当然のことであると主張するが、本件のように特定の疾病について使用者が労働者の意に反して特定医の診断を受けるように命じうるのは事柄が労働者の基本的人権及び医師選択の自由に関することでもあるから、就業規則等にその旨の規定があるとか、使用者においてそれを強制しうる合理的理由があるなど特段の事由が存在しなければならず、そのような特段の事由の認められない本件において、片山が旧会社の右指示に従わなかつたことをもつて同人の疾病を業務に起因するものと認めないことを正当づけることは許されない。
3 控訴人の当審における主張3のうち、本件命令において、片山に就業規則の休職条項を適用し、休職期間を二か月と定めた旧会社の措置を不当労働行為にあたらないとして救済申立てを棄却したこと、右棄却部分について補助参加組合から取消訴訟の提起がなく、該部分が確定したことは認めるが、その余は争う。労働委員会の命令において不当労働行為にあたらないと判断されたからといつて、使用者の作為、不作為が法律上有効であるとは限らず、不当労働行為以外の理由によりそれが無効と判断される場合もありうるのであり、本件の場合本件命令が片山に対する休職発令行為及び休職期間を二か月とした行為が不当労働行為にあたらないと判断しているだけであつて、別に片山の疾病が業務に起因するものであるか否かとか、業務に起因するものであれば休職発令行為自体を無効とすべきであるとかの判断はしていないのである。従つて、本件救済命令中の前記部分が確定したからといつて、本件疾病が業務に起因する場合も考慮斟酌できなくなるとはいえない。
三 補助参加組合の当審における主張
1 控訴人の当審における主張2のうち、片山が指定医による診断を受けるようにとの指示に応じなかつたことは認めるが、右は片山及び補助参加組合が片山の疾病及び休職の問題を団体交渉で取り上げ、同組合を通じて解決を図ろうとしているのに対し、旧会社は就業規則等に指定医制度が存在しないにもかかわらず、専ら指定医による診断を提案してこれに固執し、その後は片山個人の問題として取り扱うとの態度をとり、補助参加組合との団体交渉を拒否し続けたことによるものである。
2 旧会社は、片山の組合活動を嫌悪し、一方で勤怠という休職に関する処分とは無関係な理由を持ち出して休職期間を決定したばかりでなく、休職期間の延長を考慮しようともせず、他方片山からの申し出及び今井医師作成にかかる診断書の提出等の諸事情があつたにもかかわらず、同人の病状に対する調査を行うことを一切拒否したうえで、原田医師作成にかかる診断書があることを奇貨として一方的に片山の従業員としての地位を剥奪したものであつて、不当労働行為意思の存在及び不利益取扱いは明らかである。
3 旧会社の片山に対する受診指示は法定外健診であり、就業規則等にもその旨の規定は一切存在せず旧会社には受診を指示する権限はないから、片山が右受診指示に服すべき義務はない。また、労働安全衛生法六六条五項但し書の趣旨からすれば、片山には医師選択の自由が認められ、これに反する受診指示は同人を拘束するものではない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二まず、本件命令の「第一 当委員会の認定した事実」における事実関係についての当裁判所の判断は、次のとおり改める以外は、原判決一五丁表三行目の「まず」から二〇丁裏七行目末尾までに説示するとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決一六丁表一〇行目の「及び第一〇〇号証」とある部分を「及び前記乙第一〇〇号証」と改める。
(2) 同一八丁表三、四行目の「いずれも成立に争いのない乙第二八号証、第九八号証」とある部分を「成立に争いのない乙第第九八号証、前記乙第二八号証」と改める。
三次に、片山に対する本件退職取扱いが不当労働行為の対象となる行為性を有するか否かの点についての当裁判所の判断は、原判決二二丁裏一〇行目の「と解することができるのであるから」とある部分を「と解することができ、現に成立に争いのない乙第四、第一七号証によると、旧会社は片山に対する前記退職通知をするにあたつて、満了日(昭和五五年八月一〇日)までに所定の復職手続がされず、しかも疾病治癒の見込も望めないので規定により右同日をもつて退職となつた旨を通知し、本件退職取扱いをするにあたつて復職の見込みの有無について一応判断していることが認められ、従つて」と改める以外は、原判決二〇丁裏九行目冒頭から二二丁裏末行目末尾までに説示するとおりであるから、これを引用する。
四そこで、旧会社が片山を退職扱いとした行為が不当労働行為にあたるか否かの点について検討する。
前記二において引用した原判決認定の事実関係並びに弁論の全趣旨によると、片山は当初脊椎々間軟骨症のため約三週間の安静加療を要する旨の新城整形外科医院原田医師作成にかかる診断書を旧会社に提出して昭和五五年四月一一日から欠勤を始め、その後二度にわたつて同旨の診断書を提出し欠勤を続けたため、旧会社が同年六月一一日付けで同人を休職扱いとしたところ、同月二四日補助参加組合から片山の疾病が頸肩腕障害・腰痛症である旨の神奈川県勤労者医療生活協同組合港町診療所今井医師作成にかかる同月二〇日付けの診断書を添えて片山の疾病を業務に起因するものと認めてその取扱いをするようにとの申し入れがあり、翌七月八日に行われた団体交渉においても右と同様の要求があつたので、旧会社は業務に起因するか否かは会社側の指定医の診断に基づいて決定すべきものであるとし、その後片山に対し同月一六日付けの通知書で三名の指定医を定めるとともに、検診費用及び交通費は会社側が負担し、指定医・診察について片山の希望をできるだけ容れるので右指定医の診断を受けるようにと通知し、更に同月三〇日付け文書で同趣旨の通知をしたが、片山はこれを拒否して診断を受けず、同年八月七日前記今井医師の「症状は徐々に軽減しつつあるが、本日より更に一か月間の休業加療を要する」旨の同月一日付け診断書を提出しただけで欠勤を続けたため、旧会社が片山の疾病は業務に起因すると認めるに足る資料がなく、しかも右のように休職期間満了の時点においても病気欠勤を継続し出勤できる状況になかつたところから、旧会社就業規則二一条四号所定の「復職の望みなし」に該当する場合であるとして、同月一〇日の休職期間満了とともに片山を本件退職扱いとしたことが明らかである。
しかも、<証拠>によれば、前記のように旧会社としては補助参加組合から前記今井医師の診断書が提出され、職業病として取り扱うようにとの要求が出されたため、旧会社の総務・労務関係の責任者としてその業務を担当していた中田正紀が前記原田医師のもとを訪れ、片山の疾病について尋ねたところ、片山は背中の痛み、左上肢のしびれ等を訴えて来院したのでレントゲン撮影などをして診察した結果、片山の頸椎の彎曲度が正常に比べて減少しているほか胸椎及び腰椎が彎曲しており、脊椎々間軟骨症と診断されたが、同疾病そのものは退行変性で、本人の素因から発症したものであつて、業務に起因するものではないとの説明があり、しかもこれまで旧会社において疾病が業務に起因するものであると訴えた者が全くなかつたところから、旧会社としては嘱託医の意見を聴いたうえ、職業病の専門医三名を指定し、そのいずれかの医師の診断を受けるよう片山に業務上の指示をしたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。
被控訴人は、旧会社の就業規則等に指定医の受診に関する定めはなく、労働者の基本的人権及び医師選択の自由の面からも片山には指定医受診の指示に従うべき義務はないと主張し、旧会社の就業規則等に指定医受診に関する定めのないことは控訴人の認めるところである。しかしながら、旧会社としては、従業員たる片山の疾病が業務に起因するものであるか否かは同人の以後の処遇に直接に影響するなど極めて重要な関心事であり、しかも、片山が当初提出した診断書を作成した原田医師から、片山の疾病は業務に起因するものではないとの説明があつたりなどしたことは前述したところである。かような事情がある場合に旧会社が片山に対し改めて専門医の診断を受けるように求めることは、労使間における信義則ないし公平の観念に照らし合理的かつ相当な理由のある措置であるから、就業規則等にその定めがないとしても指定医の受診を指示することができ、片山はこれに応ずる義務があるものと解すべきである。もつとも、片山において右指定医三名の人選に不服があるときは、その変更等について会社側と交渉する余地があることは、会社側において指定医・診察について片山の希望をできるだけ容れると言明しているところからすると明らかであり、しかも指定医の診断結果に不満があるときは、別途自ら選択した医師による診断を受けこれを争い得ることは事理の当然であるので、前記の義務を肯定したからといつて、直ちに同人個人の有する基本的人権ないし医師選択の自由を侵害することになるとはいえない(労働安全衛生法六六条五項但し書は、法定健診の場合を対象とする規定であつて、本件におけるような法定外健診についてはその適用ないし類推適用の余地はないものと解する。)。しかるに、片山がその挙に出ることもなく、単に就業規則等にその定めがないことを理由として受診に関する指示を拒否し続けたことは許されないところであり、以上のような事情のもとで旧会社において片山の休職期間満了の時点で同人疾病が業務に起因するものとは認めず、復職の望みがないと判断したのはやむを得ないものというべきである。
また、<証拠>によると、片山は昭和五一年二月旧会社に入社以来、同年八月から約三か月半痔を患つて欠勤したほか、その後も他の従業員に比して欠勤、遅刻、早退が多く、勤務成績が不良であつたこと、旧会社においては就業規則上勤務軽減に関する定めはなく、また従前休職期間を延長した事例のないことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。
以上の諸事実を総合勘案するならば、旧会社において片山を本件退職扱いに決する際に、前記今井医師から疾病の原因等について聴取する措置をとらなかつたことは妥当性の点において多少軽率であつたとのそしりを免れないではないが、旧会社が片山につき、その休職時満了の時点で同人の疾病が業務に起因するものではなく、旧会社の就業規則二一条四号所定の休職期間が満了しても復職の望みがない場合に当たると認めたのは相当というべきであり、同人を本件退職扱いにしたことをもつて不当労働行為に該当すると断ずることはできない。
なお、<証拠>によれば、片山は旧会社の川崎工場閉鎖計画発表を契機として組織されたサイバネット工業分会の組合員であつて(分会員は当初から片山のみ)、右川崎工場閉鎖、従業員の配置転換等の問題に関連する不当労働行為救済申立事件等において、熱心な組合活動を行い、そのための欠勤、早退が多く、旧会社としては不快の念をもつていたであろうことが推認され、また片山が昭和五六年二月二〇日川崎北労働基準監督署によつてその疾病が業務に起因するものとして休業補償給付の支給決定を受けたことが認められるが、右の各事実も前記結論を妨げるものではないし、他に右結論を覆えすに足りる証拠もない。
そうだとするならば、控訴人は補助参加組合の組合員たる片山に対する昭和五五年八月一〇日付け退職通知がなかつたものとして取り扱う必要はないというべきである(本件命令主文一項参照)。
五次に、団体交渉の拒否及び文書交付義務の点について判断する。
前記判示のとおり片山に対する本件退職取扱いが不当労働行為に該当せず、同人は昭和五五年八月一〇日限り旧会社を退職となつたものというほかはないから、補助参加組合が片山の退職取扱いに関して同年七月二二日付けで申し入れた事項に関する団体交渉の要求に対し、旧会社が応じなかつたことには正当の理由があるため、控訴人はこれに応ずる必要はなく(本件命令主文二項参照)、また控訴人は右の件に関して右組合に対し本件命令主文三項に掲記のような文書を交付すべき義務を有しない(同主文三項参照)ものというほかはない。
六以上の次第であつて、控訴人の本訴請求はいずれも理由があるから正当として認容すべきであつて、これと結論を異にする原判決は失当であり、本件控訴は理由があるので原判決を取り消して控訴人の請求を認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官岡垣 學 裁判官小川昭二郎、同佐藤康は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官岡垣學)