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東京高等裁判所 昭和60年(う)837号 判決 1987年1月27日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇年に処する。

原審における未決勾留日数中一〇〇〇日を右刑に算入する。

原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官市川道雄の提出した水戸地方検察庁検察官検事山本達雄作成の控訴趣意書、検察官市川道雄の提出した控訴趣意書補充書、及び弁護人関谷信夫の提出した控訴趣意書に各記載されているとおりであり、これに対する答弁は弁護人関谷信夫の提出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一検察官の控訴趣意中、事実誤認の論旨について

所論は要するに、本件公訴事実は、原判決がその事実を認めて被告人を有罪としたもののほか、次の各事実、すなわち、

被告人は、

1. 昭和五五年三月一三日頃、茨城県那珂郡<省略>付近の路上において、通行人Aが所持していた同女所有の現金約三〇〇〇円在中のハンドバッグ(時価二〇〇〇円相当)をひつたくつて窃取した、

(昭和五六年一二月九日付追起訴第二の事実)

2. 同月一五日頃、同町<省略>付近の路上において、通行人Bが所持していた同女所有の現金約二万三五〇〇円在中のショルダーバック(時価約一万円相当)をひつたくつて窃取した。

(前同日付追起訴第三の事実)

3. 同月二七日頃同郡<省略>付近の路上において、通行人Cが所持していた同女所有の現金約二万七〇〇〇円在中のセカンドバッグ(時価約三万円相当)をひつたくつて窃取した、

(前同日付追起訴第四の事実)

4.(1)通行人D(当時一八歳)を強いて姦淫しようと企て、同月二二日午後九時三〇分頃、茨城県常陸太田市<省略>付近の路上において、同女に対し、いきなりその頸部にナイフ用の刃物を突きつけ、「騒ぐな、殺されたくなかつたら静かにしろ」などと申し向け、同女を付近に停車中の普通乗用自動車内に押し込み、更に同車内で布製ベルトを用いて、同女の両手首を緊縛し、タオルを用いて目隠しをしたうえ、同女を同県久慈郡<省略>付近の農道に拉致するなどの暴行、脅迫を加え、同女の反抗を抑圧し、同日午後一〇時頃同所に停車中の同車内において強いて同女を姦淫し、その際同女に加療約二週間を要する会陰裂傷の傷害を負わせた、

(2)同日午後一〇時過ぎ頃同所に停車中の前記車両内において同女所有の現金約一〇〇〇円を窃取した、

(昭和五六年一二月一六日付追起訴第一の一及び二の各事実)

5. 通行人E(当時一八歳)を強いて姦淫しようと企て、同年四月二七日午後九時一〇分頃同県那珂郡<省略>付近の路上において同女に対し、いきなりその顔面にナイフ様の刃物を突きつけ、「静かにしろ、騒ぐと殺すぞ」などと申し向け、その場で同女の両手首をガムテープを用いて緊縛し、その口唇部にガムテープを貼り付けてさるぐつわをしたうえ、同女を普通乗用自動車内に押し込んで同村<省略>付近の路上に拉致するなどの暴行、脅迫を加え、同女の反抗を抑圧し、同日午後九時二〇分頃同所に停車中の同車内において強いて同女を姦淫した、

(前同日付追起訴第二の事実)

6.(1)通行人F(当時一七歳)を強いて姦淫しようと企て、同年九月二日午後七時二〇分頃同県勝田市<省略>付近の路上において同女に対し、いきなりその顔面にナイフ様の刃物を突きつけ、「静かにしろ、騒ぐと殺すぞ、車に乗れ」などと申し向け、同女を普通乗用自動車内に押し込み、更に同女の胸部に右刃物を突きつけながら同県那珂郡<省略>付近の農道に拉致するなどの暴行、脅迫を加え、同女の反抗を抑圧し、同日午後七時四〇分頃同所に停車中の同車内において強いて同女を姦淫し、その際同女に全治約一週間を要する処女膜裂傷兼外陰擦過傷の傷害を負わせた、

(2)同日午後七時四〇分過ぎ頃同所に停車中の前記車両内において同女所有の現金約五〇〇〇円を窃取した、

(前同日付追起訴第三の一及び二の各事実)

7. 昭和五六年七月二日午後八時四五分頃同郡<省略>付近の路上において、G(当時一八歳)に対し、その腹部を手拳で殴打する暴行を加えた、

(前同日付追起訴第五の事実)

というのであるところ、原審において取調済の証拠によれば右各所為がいずれも被告人の犯行であることを優に認め得るにも拘らず、原判決が右各公訴事実につき犯罪の証明がないとして被告人を無罪にしたのは、証拠の価値判断、取捨選択を誤り、その結果事実を誤認したものであつて、破棄されるべきである、というのである。

そこで按ずるに、右1ないし3、4の(1)(2)、5、6の(1)(2)、7の各公訴事実につき、被告人は司法警察員及び検察官に対する各供述調書において右公訴事実の如き各所為に及んだことを認める旨の供述をし、かつ犯行場所での実況見分に立ち会い右供述に沿う指示説明をしてその旨の実況見分調書が作成されており、各被害者もまた原審で取調済の被害届、司法警察員或は司法巡査に対する供述調書、原審での証言において右公訴事実を裏付ける内容の供述をしているところである。

然るところ、被告人は原審において、右捜査段階での各供述調書は取り調べた郡司係長から、事件を二件やるのも五〇件やるのも同じだ、如何に話すかにより反省しているかどうかがみられる、いつまでも頑張つていると勾留が続くし、早く妻や子のいるところに帰りたくないか、俺を信じろ、と何回もいわれ、仕方なく認めてしまつたもので、その内容については郡司係長から教えられたとおり、その言いなりになつて調書が作成されたのである旨を述べている。

しかしながら、被告人に対する取調の状況について郡司典男は原審において次の趣旨の証言をしている。すなわち、「菅谷警察署では昭和五六年一〇月二日発生したIに対する強姦事件(原判示第六の一の事実)につき被害者に容疑者の顔写真を見せて被告人が犯人であることを確め、更に同月一一、二日頃市内で被害者に被告人本人を見て貰つて犯人であることに間違いないとの確認を得たので、被告人について逮捕状をとり、これに基づいて私が同月一二日被告人を取り調べた。これに対して被告人は最初の頃は絶対していないと言つていたが、その後、車に誘い込んで山の方に連れ出し、いたずらをした、しかしそれは和姦だ、と供述し、その後やがて脅かして関係し更にハンドバッグをとつたことを認めるに至つて、その後は自供を覆すことはなかつた。その頃すでに被害届の出ていた同種の犯行についても被告人に容疑がかけられ、私はこれにつきI事件と併行して被告人を取り調べた。その際私は被告人に対し、やつたことは全部話してしまつてきれいに反省した方がよいのではないか、と言い、逮捕されたI事件に一番接近していて同じように女にいたずらをしたことがあるかどうかを尋ねたところ、一〇月一四日、五日頃にKの件(原判示第五の事実)を自供し、同じ時期にJ(原判示第四の事実)、F(前示6の(1)(2)の事実)、L(原判示第二の事実)の各件についても自供した。私は他署からの捜査応援であつたことから被告人本人のいうままに取調を進め、しかも当初は自供が細部にわたらず輪郭的だつたので被害者について確認する必要があり、その都度被疑者調書を作るということはしなかつた。D(前示4の(1)(2)の事実)、E(前示5の事実)の各件については被告人は全然知らないと言つていた。私は、やつたことがあるなら残しておいても仕方がない、全部話をしてきれいになつてしまつた方がこれから出直すのに一番よいのではないか、と言い、また早く全部話せば裁判が早く終る、とも話した。一〇月二三日頃には弁護人が接見に来た。その後の一〇月末頃被告人は涙を流して、係長に身体を預けるから、といい、D、Eの件について真剣に自供した。取調はスムーズに進み、調書を読み聞かせたが、被告人からの申立は別になかつた」というのであつて、右供述内容にそれ自体各別疑わしいとか作為的であるとかいうようなところは窺われない。更に郡司典男が当審において証言するところによれば、被告人は一〇月一四日K、Jの各事件のほか強姦二件を含む四件の犯行を自供し、翌一五日にはA(前示1の事実)、B(前示2の事実)、C(前示3の事実)、M(原判示第三の事実)の各事件のほか、Nに対する窃盗未遂、Fに対する強姦事件を自供した後、未届の窃盗二件及び強姦一件を進んで自供しており、次いで同月二四日にOの件(原判示第一の事実)、同月二六日にはLの件を自供し、同月三〇日にはそれまで否認していたD、Eの各事件をも自供するに至つたが、Pに対する強姦未遂事件及びD、Eの事件と併行して取り調べていたQに対する暴行の件については、郡司係長がP、Qからの被害の届出に基づいて追及したのに対し、他の自供した事件の場合とは異なり、同係長のいうところに合わせることなく強くこれらを否認し続けていたことも明らかである。また被告人が郡司係長から前示のように二件やるのも五〇件やるのも同じだとの趣旨のことをいわれたと供述するところも、被告人自身そのように言いながら一方ではこれを聞いたとき自分はすぐにはそれを信用しなかつた旨原審で述べているほどで、それ自体不自然かつ不合理なものであり、郡司係長が右のような内容のことを言つたとはたやすくいえないのみならず、被告人は同じく原審において、取調の際強姦の刑はどの位かと郡司係長に尋ねたところ、同係長から刑は重い方で考えるのがよい、一〇年位だと思つて間違いないといわれたと供述し、この点について郡司証人も、「被告人は逮捕された後、自分は何年位の刑になるのかと非常に気にしていたので、こういう事件だから長くなるだろう、一〇年位は覚悟しなくてはいかんのではないか、と言つた。被告人は驚いて、一〇年求刑されたら死んだ方がましだ、と言つていた」と述べており、このような被告人と郡司係長の間のやりとりから考えると、被告人が取調の際刑の重くなることをひどく気にしていたとみられるのであるが、それにも拘らず被告人が前示の如く次々に犯行を自供し、他方、その間に自らの犯行でないものについてはこれを認める供述に至らなかつたのに徴すれば、被告人が自供したのは郡司係長から二件やるのも五〇件やるも同じだといわれたからである旨被告人の原審での供述はたやすく首肯できないところである。以上のような取調時の諸事情に徴すれば、本件について被告人の自白調書が作成されるに至つたのは取調官の誘導によりその意に反して言われるままに虚偽の内容を述べたのによるものである旨の原審での被告人の供述は採用できないうえ、<証拠>によれば、被告人は引当り及び実況見分の際犯行状況について指示説明をしたうえ、郡司係長及び同係長から引継を受けた木志根、大竹両巡査部長に対して先きに郡司係長に自供したのと同旨の自供に及んで、その旨の各供述調書が作成されるに至つているものであり、この間に被告人が自らの意思に基づかないことをその意に反して供述したとの事情は窺われないことをあわせ考えれば、被告人の右各供述調書の信用性につき疑わしいところは見出せない。

更に、被告人の右供述調書の内容は他の関係証拠と照合して検討しても、以下説示するように、十分に信用し得るものということができる。すなわち、

一、A事件(前示1の事実)について

被告人は、司法警察員に対する昭和五六年一一月九日付供述調書において、「妹の白色サニー一二〇〇CC、ナンバー茨○○○○の乗用車を借りてバイパスに出、水戸の方(南方)に走つていたところ、工事中で行き止まりとなつていた。そのとき右の方下菅谷駅方面(西方)から左の方勝田方面(東方)に向けバイパスを横断して歩いて行く二一、二歳の女性を発見し、その女性のショルダーバッグを見て、小遣銭がなくなつていたので、そのショルダーバッグをひつたくつて金を盗もうと考えた。女の人がそのとき真直ぐ東方に歩いて行くので、その方向に車を左折して女性のあとを追いかけ、交差点から一〇〇メートル位東進したところで、右側を歩いていた女性に追いつき、女性の左側をすれすれに通過するとき運転席の窓から手を出し、ショルダーバッグの紐をつかんでひつたくり、速度を上げて逃げた」旨供述しているところ、右供述内容につき被告人は原審及び当審において、郡司係長に犯行場所や時間を教えられてこれに迎合し右虚偽の供述をした旨述べている。

しかしながら、<証拠>によれば、被告人は昭和五六年一〇月一五日には本件の所為に及んだことを自供したうえ、その状況を右図面に書いて説明し、次いで、同年一一月四日には現場の引当りに応じ、同月九日の取調時には、すらすらと細部にわたつて供述するので、郡司係長は、それを聞きながらメモもとらずに書き取り、被告人読み聞かせたところ、被告人において異議を述べることなく調書に署名指印し右一一月九日付供述調書が作成され、同年一二月五日には被告人の検察官に対する供述調書が作成されたこと、当時、被害状況については昭和五五年三月一三日付被害届による申告しかなく、Aの原審証言及び原審における証拠関係カードの記載によれば、同女が警察に呼ばれて事情聴取を受けたのは昭和五六年一二月八日の一回のみであつたこと、被告人が本件について自供した昭和五六年一〇月一五日には前示のとおりいまだ捜査官にはまつたく知られていない未届けの窃盗二件、強姦一件についても進んで自供していることなどをあわせ考えると、被告人の捜査段階での前示供述内容は、被告人が取調官の示唆や誘導を受けることなしに、その記憶にあるがままを述べたものと認めるに十分であつて、前示被告人の供述内容の信用性を疑わせる事情は見出せない。もつとも、被告人は被害者を認めたときの状況につき、前示司法警察員調書において、「私がバイパスを走つていたところ、その前方交差道路を下菅谷駅方面から勝田方面へ横断して歩いて行く被害者を発見した」旨供述しているのに対し、被害者Aは、原審において、「私がバイパスとの交差点にさしかかつたとき、未完成だつたバイパスの右の方に左手を向き前照灯を消して停まつていた車があり、その前を通つて真直ぐに道路を二、三〇メートル歩いた頃、その車がエンジンをかけて時速二、三〇キロで、交差点から五〇メートル位行つたところで後ろから私の左側に来て運転手が私の左肩にかけていたショルダーバッグの紐をつかみ持ち去つた」旨証言し、両者の供述するところが必ずしも一致していないとはいえ、Aが被害にあつた時刻、場所、Aの進行経路、被害金品等については両者の供述はほぼ完全に一致するところであつて、本件犯行を被告人以外の者の犯行と考える余地はない。

二、B事件(前示2の事実)について

被告人は、司法警察員に対する昭和五六年一一月一〇日付供述調書において、「白色サニー、ナンバー茨○○○○の車で外出し、菅谷から瓜連に通じる県道を通つていた際、ショルダーバッグを下げて右側を歩いて行く女性を見付けた。付近の池を通り過ぎたあたりで対向車線に入つて、女性の背後から左側すれすれに接近し、運転席ドアの窓から手を出してショルダーバッグをひつたくつた。そして車の速度を上げて逃げ、少し行つてT字路を左折して勝田方面に向い、バイパスの交差点から一キロ位走つたところで山林の方に左折したところ、川に出たが、橋が工事中で通ることができず、そこで車を停めてとつたショルダーバッグの中から二万円位を抜き取り、あとは西側の山林の中へ投げ捨てた」旨供述しているところ、被告人は原審及び当審において捜査官の利益誘導によつてこれに迎合し虚偽の供述をした旨述べている。

しかしながら、本件については犯行直後の昭和五五年三月一五日被害者からの被害届が出され、同日実況見分、同月一七日現場付近の写真撮影が行われ、次いで同月二六日に小林聡によつて出水橋南側手前の左側山林内から被害品の黒色ショルダーバッグが発見されるなど被告人が本件について自供した昭和五六年一〇月一五日以前にすでに比較的多数の資料が取得されていたとはいえ、前示認定のとおり、右一〇月一五日被告人の取調にあたつていた郡司典男は同月二日発生のIに対する強姦事件の捜査応援のため県警本部から同月六日菅谷署に派遣され、右事件と併行して昭和五五年三月以降太田、勝田、菅谷署管内において発生した兇器使用の強姦、暴行等事件を捜査していたもので、本件を含む窃盗事件については予備知識がなかつたこと、被告人は本件についても前記A事件同様未届事件を含む九件の犯行を積極的に自供したものであることが明らかであるばかりでなく、とりわけ、証人木志根則之が当審において、「取調の際、被告人は逃走中に小さな川に出てその橋が工事中のため通れなかつたことを述べていたが、当時その捜査をしていなかつたので、今回あらためて捜査をしたところ、事件当時県営ほ場整備事業の工事期間中であり、実際には車の通行は可能ではあつたが、一般の人からみると、道路わきにユンボや重機などが置いてあり、またU字溝などの資材も積み重ねてあつて、通行止めのように見える状態にあつた」旨証言するとおり、被告人の供述内容が後日の捜査によつて新たに判明したところと一致していることに徴しても被告人の前示供述の信用性は極めて高いと認めるに十分である。

もつとも車のストップランプについて、被告人が運転していたと述べている日産サニー白色四ドア、茨○○○○の普通乗用自動車の実況見分結果によると、同車のストップランプ部分は横長の形をしているところ、被害者のBは原審において、「私のかけていたショルダーバッグを持ち去つた犯人の運転していた車は前照灯も尾灯もついておらず、一〇〇メートル先きのT字路で急ブレーキをかけて左に曲つて行つたときストップランプが赤く丸く見えた」旨証言し、被告人車のストップランプの外形と異なつているとはいえ、当審で取り調べた司法警察員作成の昭和六〇年一一月一六日付実況見分調書によれば、右ストップランプには表面に横一四・五センチ、縦一〇センチのプラスチック製レンズカバーがついていて、その外観は長方形であるものの、内部には直径一・五センチの円型電球がはめてあつて、その球内に八ワットと二三ワットの線が封入され、前照灯を消したままブレーキをかけると八ワットが点灯し(前照灯をつけた状態でブレーキをかけると更に二三ワットも点灯)、その光がプラスチック製レンズカバーに当たつた際、電球に近いレンズカバーの部分の方が電球から遠いレンズカバー周辺の部分よりも多く光量が当るため、これを離れた位置から見るときは、レンズカバー上に光量の少ない周辺部分と電球に近い部分との光量の差が明瞭にあらわれ、電球に近い円形状の光量の多い部分が周辺よりも強く輝いて見えることとなつて、レンズカバー自体は長方形であるにも拘らず、ストップランプは全体として赤く丸く見えるということになるものと考えられ、右の如くに見えることは当審証人郡司典男が実況見分の結果(昭和六〇年一一月一八日付実況見分調書)について述べるところからも明らかであつて、ストップランプが赤く丸く見えたという被害者の証言は被告人車のストップランプ部分の外形が長方形であることとなんら矛盾するものではない。また、当時被告人が乗つていた車は四ドアであつたのに、被害届に、犯人が乗つていた車は二ドアであつた旨記載されている点についてみても、被害者は後方から来た車の運転席の男に不意を衝かれる形でショルダーバッグをひつたくられたもので、ドアの形状などにつき十分の識別が可能な状況にあつたとは思われず、同女が原審において、車のことは詳しくない、二ドアか四ドアかはわからない、と述べているところも、あながち当時の認識とはちがうのにかかわらず、あえて被告人車に合致させるよう証言しているものとは思われない。

してみれば、右の事実をもつて本件が被告人の犯行であることを否定する論拠とはなりえないことはいうに及ばず、却つて、さきに認定したほか被告人の供述内容が、被害者の年齢、同女が被害にあつた時刻・場所、被害金品、ショルダーバッグ等の遺留品が発見された場所等の客観的状況ともほぼ完全に一致することからすれば、その信用性に疑をさしはさむ余地はなく、本件を被告人の犯行と認定するに十分である。

三、C事件(前示3の事実)について

被告人は、司法警察員に対する昭和五六年一一月九日付供述調書において、「白色サニー一二〇〇CC、ナンバー茨○○○○の普通乗用自動車を運転して国道三四九号線を太田に向う途中、下河合のボタン式信号のあるT字路で左方から右方に国道を横断してくる女性を見て、その左肩にかけているショルダーバッグをひつたくろうとしたが失敗した。それで、スピードを上げ、時速約六〇キロで国道を菅谷方面に突つ走り、一〇分位して上菅谷で瓜連方面に右折し一一八号線とのT字交差点に来て信号待ちをしていると、前方を二二、三歳の女の人が細い砂利道の方に歩いて行くのが見えたので、そのあとを追つて、いつたん追い越した後、その先のY字路で車をUターンさせ、女の人の方に対向して行つた。その女性の傍を通り過ぎるとき車を停めて道を尋ねるふりをしたが、この女性は車に乗りそうにないと思い、その右腕にかかえていたハンドバッグをひつたくり車を急発進させて菅谷方面に逃げた」旨供述しているところ、原審及び当審において、被告人は本件発生当時自宅に居たものでアリバイがあるのに、捜査官の利益誘導によつてこれに迎合し右虚偽の供述をしたものである旨述べている。

しかしながら、被告人が白色サニー、茨○○○○の普通乗用自動車を運転していたことは、被害者のCが司法警察員に対する昭和五五年四月二一日付供述調書において、「中里バス停留所に午後八時三七分頃着き、降車して帰宅途中、間もなく左側を白色の普通乗用車が通り過ぎたので、いとこの車かと思つてナンバーを見たら○○○○だつた。その車はUターンして来て運転手の男が道を尋ね、その際右手のハンドバッグをひつたくつて逃げた」旨述べていること、根本武夫の当審証言によれば、ナンバー○○○○の普通乗用自動車白色サニーで茨、水戸、土浦ナンバーのものは、被害人の父親であるR名義の車のほか、水戸の工員及び神奈川県在住の大学生がそれぞれ所有するものだけで、右のうち工員については当夜勝田の工場から午後八時半頃帰宅し、また大学生については当時実家の日立市の方には全く戻つていないという状況であつたこと、Cと共に中里バス停留所でバスを降りた和久一郎の当審証言によれば、同人はその帰宅途中近くのガソリンスタンドのところで水戸方面から来てUターンして行つた車の運転者の人相・服装等を知覚していたところ、警察の依頼により同年五月頃日立市内の新築工事現場でカーキ色の作業衣を着て作業をしていた被告人について面通しした結果、両者は同一人物であつたこと、右のCの司法警察員に対する供述調書及び根本、和久の各証言を総合すればCのハンドバツグをひつたくつた犯人の運転していた車と和久が目撃した車とは同一車であることがそれぞれ認定できるところである。加えて、N作成の被害届によれば、同日午後八時二五分頃常陸太田市<省略>で同女からショルダーバッグをひつたくろうとした犯人の車は白色サニー一二〇〇CC位で、ナンバーは○○○○であつたこと、しかも同所から中里の本件現場まではその犯行時刻午後八時四〇分ごろまでに十分到着可能な距離であることは当審証人根本武夫の供述によつて明らかであり、被告人の前示供述内容に疑わしいところは見出せない。

これに対し被告人は、当日三月二七日夜は自宅で麻雀をしていたと供述してアリバイを主張し、原審におけるS、Tの各証言はこれに沿うものであるほか、捜査員が同夜九時五〇分頃被告人方に赴いた際には被告人が在宅していたことが認められるとはいえ、前示認定に照らし、本件犯行の頃被告人が自宅に居た旨をいう前示の各証言はいずれも措信できない。

結局、本件が被告人の犯行であることに疑いを容れる余地はない。

四、D事件(前示4の(1)(2)の事実)について

被告人は、司法警察員に対する昭和五六年一一月一三日付及び同月一六日付各供述調書において、「昭和五五年三月下旬頃トレーニングウエアを着てUとのデイトに出掛けた。母が残り毛糸で編んだ白と緑の混つた帽子をかぶつていた。Uを降ろした後、県立太田一高の手前の商店街で一人の女性が私の運転する車の方に歩いて来て急に右側の路地に入つて行つた。その女性を見ていたずらをしようと思い、車を路地入口から一〇メートル位のところに停めて下車し、ダッシュボードの中から洋食用ナイフを出してポケットに入れ、仕事で使う軍手をコンソールボックスから出してはめ、首にはタオルを巻きつけてマラソンをやつている風にみせた。下り坂の途中で女性を追い越し、方向を変えて女性と相対する形で坂道を上つて行き、女性を待つた。私が目の前に来た女性に、あのすいません、と声をかけると、女性がびつくりして立ち止まつたので、私は女性にとびかかり、右手にナイフを持つて首のあたりに突きつけ、左手を女性の頭の後ろから廻して手の平でその口を塞いで、殺されたくないなら静かにしろ、と脅かした。そして女性を左側に引き寄せ、静かにしていれば何もしないから、などと言つて表通りに出、女性を助手席側ドアから中に押し込み、自動ドアロックを操作してロックした。車内で女性に椅子を倒させ、作業用ズボンに使用している布製バンドで女性を後ろ手に縛り、私の首に巻いていた白色タオルで目隠しをした。そして車を発進させ、<省略>十字路に向つて右側に入る田圃道に車を停めて姦淫し、その後で女性の札入れから千円札一枚をとつた」旨述べ、検察官に対する同年一二月二日付供述調書において、「自分の黒色セドリック四ドア、ナンバー茨××××の車を運転し、Dさんを車に押し込んでから北の方に発進させた。何度も通つたことのある道で、道順は警察の人を案内して説明してある」旨補充しているところ、原審及び当審において、郡司係長に犯行の場所や時間を教えられ、捜査官に迎合して虚偽の供述をしたもので、白いトレーニングウエアは持つていないし、白い毛糸の帽子もかぶつたことはない旨述べている。

しかしながら、<証拠>によつて、本件についての捜査経過をみると、被告人は、右司法警察員調書の作成にさきだち、昭和五六年一〇月三〇日には取調にあたつた郡司係長に対し本件が自己の犯行である旨その概要につき自供するとともに、同日、被告人が被害者を発見した場所、車をとめた場所、被害者を脅した場所についての図面を自ら書いたこと、菅谷署が太田署から後出の被害者Dの供述調書を含む事件記録、証拠品等を引き継いだのは同年一一月二日であつて、右一〇月三〇日の時点では、被害者の供述するところの詳細はもとより、被告人の図示した場所など捜査官に知り得る状況にはなかつたことが明らかであるのにかかわらず、被告人の供述するところは、Dが犯人に脅迫され自動車に乗せられるまでの経路及び脅迫内容、車内で手を縛られ目かくしをされ更に強姦されたときの状況などDが司法警察員に対して供述するところと主要な点において一致しているところであつて、右の一事のみをもつてしても、捜査官に迎合して虚偽の供述をしたものであるとの被告人の弁解には到底左袒し得ないところである。

しかも被害者Dは、司法警察員に対する昭和五五年三月二三日付供述調書において、「三月二二日午後九時二〇分か二五分頃専売公社前のバス停で下車し、北に向かつて歩いた後、○△美容室横の路地に入り、表通りから六、七〇メートル行つたところで、二二、三歳、身長一六八センチ位、中肉、白つぽいトレーニングウエア上下、白つぽい正ちやん帽子の男に追い越された」と述べ、同じく同月二五日付供述調書においては、犯人についての右同様の外観のほか「犯人は比較的古い軍手をはめていて、軍手には煙草の臭いがした」と述べ、更に原審において、「警察で犯人を見たとき、ひよつとしてこの人じやないかと思つた。全く違うという感じはなかつた。法廷で被告人が入つてくるのを見て犯人とよく似ている、この人が犯人だと間違いなく言えると思つた」旨証言しているところ、被害者は、その供述によれば、路上で犯人に声をかけられて立ち止まり、車に押し込まれて二、三〇分後に車内で目隠しをされているが、前示の犯人についての供述内容は、右の間に感得した犯人の外見や受けた感じについてのものであり、しかも犯人によつて辱めを受けるという仕打に遭つた者としてその犯人についての印象が強烈であるのは至極当然なことと考えられるのに徴すると、右犯人像についての証言に対して軽々に疑をさし挾むことはできないものといわざるを得ない。また犯人が使用した車についても、Dは前示三月二三日付供述調書において、「茶色つぽい色の普通乗用車で運転席が二座席となつており、ギアはフロアチェンジで、助手席の前のダッシュバンのところに横に細長いデジタル時計がついており、ジャスミンのようなカー香水が積んであるようだつた」旨証言しているが、右証言内容は被告人の日産セドリック普通乗用自動車、ナンバー茨××××についての検証結果(原審記録第三冊九二丁以下及び第七冊二三四丁以下)によつてもほぼ裏づけられていることに徴すれば、Dが捜査官に対し、更には原審証人として供述するところは極めて正確であることの一証左というべく、その他関係証拠をも総合すれば、本件は被告人の犯行であると認定するに十分である。

五、E事件(前示5の事実)について

被告人は、司法警察員に対する昭和五六年一一月一一日付供述調書において、「昭和五五年四月下旬頃かと思うが、黒色セドリック茨××××の普通乗用自動車を運転して午後九時頃<省略>十字路を原研方面に向つていたとき、北方に入る道路に一人の女性が歩いて曲つて行くのを、その手前約五〇メートルのところで見付け、この女性を襲つてやれと考え、その道に入つて行つて、右側を歩いていたその女性を追い越して、その先のT字路角に車を停めた。そしてダッシュボードから洋食用ナイフを出してズボンのポケットに入れ、また排水パイプを一時塞いでおくときに使う布製のガムテープを後部トランクに入れてあつたので、これで女性を縛ろうと考え、一メートル位切り取り、小さく丸めてズボンのポケットに入れて女性を待つた。女性が通り過ぎて行つたので、そのあとを追い、すいません、一〇円玉を貸して下さい、と声をかけた。私は女性がバッグから金を取り出そうとしているのを見て、ナイフを片手に持ち、一方の手を女性の首に巻きつけ、キャーと声を出した女性の顔のあたりにナイフを突きつけて、静かにしろ、騒ぐと殺すぞ、一寸つき合つてくれ、家に電話をかけさせるから、などといいながら、力まかせに脇の雑木林の中に引き込み、両手を体の前で合わせてガムテープで両手首のところを一、二回巻きつけ、残つたガムテープを女性の口に二回往復させて貼つた。それから女性を車のところに連れて行き、助手席側から車に入れようとしたが、ドアがあかなかつたので運転席側に廻り、助手席の方に女性を押し込み、車を走らせて午後九時三〇分頃○△高校グランド付近に車を停めた。そして、いくら暗くても顔を良くみられてはまずいと思い、後部座席にあつたワイシャツの両袖をぐるぐる廻してワイシャツの胸のあたりを顔のところに持つて行つて目隠しをし、両袖を頭の後ろに廻して結んだ。それからリクライニングシートを倒して姦淫し、そのあと目隠しを解いた」旨供述しているところ、原審及び当審において、郡司係長に犯行の場所及び時間を教えられて取調官に迎合し虚偽の供述をしたもので、配管作業にガムテープを用いたことはなく、またこれを自分の車に入れて持ち廻つたこともない旨述べている。

しかしながら、<証拠>によれば、被告人は右司法警察員調書の作成にさきだち、昭和五六年一〇月三〇日には取調にあたつた郡司係長に対し本件が自己の犯罪である旨その概要につき自供するとともに、同日被告人が被害者を発見した場所、車をとめた場所、被害者を脅した場所について図面を自ら書いたこと、菅谷署が勝田署から後出の被害者Eの供述調書を含む本件記録、証拠品等を引き継いだのは同年一一月二日であつて、右一〇月三〇日の時点では被害者の供述するところの詳細はもとより、被告人の図示した場所など捜査官に知り得る状況にはなかつたこと、被告人は右一〇月三〇日前示D事件及び本件については自供したもののこれと併行して被告人の犯行ではないかとの嫌疑のもとに取調をうけ昭和五五年三月一九日那珂郡<省略>地内において発生したQ(当時二八年)に対する暴行事件については終始否認しとおしていること、またガムテープの使用については被告人が働いていた作業現場で被告人の供述するとおりの用い方がされていたことが被告人の自供後に当審における堀井健次の証言によつて裏づけられていることなどに徴すれば、取調官のいうがままに供述したものである旨の被告人の弁解は信用できない。

しかも、被害者のEは司法警察員に対する昭和五五年四月二八日付供述調書において、「○△駅で下車して歩いて帰宅途中、午後九時七分頃ラーメン屋の前を通り過ぎた頃後ろから黒つぽいセドリックかグロリアのような車が私を追い越して道路右側の細い道に入り停車した。私がその前を通り過ぎたところ、後ろから二二歳から二四歳で一七〇センチより少し高く、体格は普通で、頭髪はカーリーパーマをかけた男が駈けて来て私を呼び止め、すいません、一〇円玉を貸して下さい、と言つた。その口は煙草の臭いが強かつた」旨述べ、更に原審において、犯人の面割りについて、「告訴して後半年位経つてから警察で写真の束を二、三冊見せられたが、その中に犯人はいなかつた。犯人が見つかつた後、写真を二、三〇枚見せられ、この人は違う、この人は違うということで別に分けた六枚位の中から一番ひつかかるのを、この人ということで選んだ。それが<被告人>のものだつた。髪形、顔つき、つまり髪から下の顎の辺の感じ、輪郭とかで選び出した。写真を見ただけで、これが犯人に間違いないとの確信を持つた。法廷で被告人を見て、髪形はまるつきり違うが、顔の輪郭や体つきは同一人に間違いないと思つた」旨証言しているが、右の如く被害者が多くの写真の中から犯人に間違いないという者の写真を選び出し、それが被告人のものであつたこと、及び法廷で被告人を見て顔の輪郭や体つきから犯人に間違いないと思つたと述べているところは、三〇分近くもの間犯人に自由を拘束されたうえ辱しめを受けた女性が犯人について当然に抱くであろう強烈な印象に基づくものであつて、十分に信用することができ、目鼻だちまで確認し得るような明るさでなかつたからといつて同女の右供述の信用性がたやすく左右されるものではない。更に犯人の車につき被害者は原審において、「車は黒つぽいような暗い色で四ドア、オートマチックであり、車の後部を廻つて運転席の方に連れて行かれたとき左後部に車種の名前がはつきりは見えなかつたが頭文字がCかGに見えた。警察で車に乗つてみた感じや、ダッシュボード、オートマチックギアのところ、デジタル時計などの内装が同じ感じだつた」と証言し、右証言内容は、被告人の所有している茨××××の黒セドリック普通乗用自動車に符号することが<証拠>によつて明らかであつて、その他の関係証拠を総合すれば、Eが被告人運転の車で本件犯行現場に連行され起訴状記載どおりの強姦被害をうけたことは優に肯認することができる。

六、F事件(前示6の(1)(2)の事実)について

被告人は、司法警察員に対する昭和五六年一〇月三〇日付供述調書において、「昭和五五年九月初旬頃の午後七時三〇分頃、黒色セドリック茨××××の車を運転して那珂湊方向から三反田に来たとき、用じ方向に女学生が歩いているのが見えたので、声をかけて、うまく行けば車に乗せてしまおうと考え、女学生を追い越してT字路で車を廻した。私は車のダッシュボードから洋食用ナイフを取り出してズボンのポケットに入れ、歩いて来た女学生とすれ違つたとき車を停め、ボタンを押して窓ガラスをあけ、すいません、この辺に鈴木さんという家があるんだけれど知りませんか、と尋ねて、車の外に出た。そして女学生の脇に行き、なおも家を探すようなふりをしているうち、ズボンのポケットの中のナイフを右手に持ち、左手で女学生の肩のあたりをつかんで引き寄せ、車に乗れ、殺されたいのか、と脅してナイフを首のあたりに突きつけた。女学生が畑の中に逃げ込もうとしたが、その肩のあたりをつかんで助手席に押し込み、運転席でドアをロックし、女学生の体にナイフを突きつけたまま片手でハンドルを握り運転した。那珂町でバイパスから左側が山林、右側が畑の細い農道に入つて車を停めた。それから女学生にシートを倒させ、脅かして言うことを聞かせるため右の平手で女学生の左頬を殴つて姦淫し、その後財布から五〇〇〇円札一枚を取つた。時刻は八時三〇分頃だつた」旨供述しているところ、原審及び当審において、郡司係長から犯行の場所及び時間を教えられ、取調官に迎合して虚偽の供述をしたものである旨述べている。

しかしながら、<証拠>及び被告人作成の図面(当庁昭和六一年押第三一九号の三の9)によれば、被告人は右司法警察員調書の作成にさきだち、昭和五六年一〇月一五日には取調にあたつた郡司係長に対し本件が自己の犯行である旨その概要につき自供するとともに、同日、被害者を車に乗せた地点、犯行現場などについての図面を自ら書いたこと、菅谷署が勝田署から後出の被害者Fの供述調書を含む本件記録、証拠品等を引き継いだのは同年一〇月二〇日であつて、右一〇月一五日の時点では、被害者の供述するところの詳細は捜査官に知り得る状況にはなかつたばかりか、被告人が図示した犯行現場は被害者自身も知り得る状況にはなかつたこと、また被告人が昭和五六年一〇月三一日付司法警察員調書において車内でFに対し彼氏がいるのかなどとたづねたりした状況について供述するところはFの司法警察員調書にはまつたく現われるところがなく、しかもFの司法警察員調書は勝田署において司法警察員龍崎嘉一によつて作成されて菅谷署に引き継がれたものであつてみれば、原判決の認定とは異なり被告人の右調書を作成した司法警察員郡司典男は被告人とFの間に右の会話がなされたのは知らなかつたものと解されること、被告人は前示一〇月一五日には、本件とともに「昨年東海駅近くで、一人で帰る××女子短大生を車で誘い、笠松運動公園近くの山林でいたずらをしたことがある。」「昨年三月ころの夜八時二〇分ころ、鴻ノ巣駅の方から歩いて来た二〇代の女を追つて行つて、菅谷・瓜連街道に出る手前の空地のところで、現金一万円位入つているカバンを車でひつたくつたことがある。」「昨年三月ころの夜七時から八時ごろの間、勝田市佐和で、女が持つていたカバンをひつたくろうとしたが、女がつかんでいたので盗れなかつた。」旨、三件の捜査官側にはまつたく知られていなかつた事件についてまで積極的に自供していることに徴しても、郡司係長から犯行の場所及び時間を教えられるまま取調官に迎合して供述をしたものであるとの被告人の弁解を容れる余地はなく、しかも被告人の供述するところは被害者の司法警察員に対する供述及び原審証言とも主要な点において一致していることからすれば、内容もほぼ自らが体験したところを素直に自供したものと認めるに十分である。

しかも、被害者のFは、司法警察員に対する昭和五五年九月三日付供述調書において、「九月三日午後七時二〇分頃×○小学校前のバス停を降りて家に向い二、三分歩いたとき、一台の普通乗用自動車に追い越された。その車はUターンして来て停まり、男がボタン操作で助手席側の窓ガラスを下げて、この辺に鈴木さんという家があるけど知らないか、と聞いて来た。私が、一寸わからないですけれど、と答えると、男は、四軒あたりのところか、などといいながら降りて私の方に来て、立ち塞がるようにしながら、資弘方を指さし、何という、などと聞いたが、私がその家の名を思い出せずに考えていると、突然その男は左手で私のシャツの右肩をつかんで力まかせに引張り、右手に持つていた果物ナイフのような刃物を私の左首筋に押しつけ、車に乗れ、殺されたいのか、と言つた。私は逃げ出そうとしたが、男は私のワイシャツを離さず結局引き戻されてしまい、助手席側から無理矢理車の中に押し込まれてしまつた。男は右片手でハンドル操作をし、左手はナイフを私の胸の上に押しつけていた。私は運転席側に身を倒し、頭をシート下部に押しつけるような状態で横になつていた」旨述べたうえ、原審において、「男の身長は一五三、四センチで見上げていたので、一六五センチ前後か一七〇センチ前後だと思う。体格はやせ形でほつそりしており、髪は普通の長さ、顔の形は丸々というのではなかつた。私は車の中で犯人の方に傾くようになつていたが、そのとき犯人の左の横顔をちらちら見ていた。車が二〇分位走つて止まつたところで強姦された」「昭五六年一〇月一七日に警察での面通しのとき、横顔や声は犯人に似ていたしピンときた。犯人に頬を殴られたときその目を見て、すごく鋭く感じたが、法廷での被告人には目に覚えがある。顔の形や輪郭も似ている。被告人と正対した感じも犯人と似ている」旨証言しているのであつて、右の如く被害者は車の中及び車から降りて来た犯人から家を尋ねられてこれに応答し、次いで押し込められた車中では走行中約二〇分の間に犯人の左横顔を見ており、その後犯人が被害者を殴打した際にはその目の感じが記憶に残るなどしていて、この間に感得した犯人の背の高さ、体つき、顔の輪郭、目の感じ、声などについて証言しているもので、右証言内容自体作為的なところはなく、しかも被害者が犯人から理不尽な仕打を受ける中で感じとつた強い印象を記憶にとどめているのは十分に首肯し得るものであることを考えると、被害者が犯人像について述べるところは十分に信用することができ、さきに被告人の捜査段階における供述の信用性につき判断したところ及びその他の関係証拠を総合すれば、本件は被告人による犯行と認めるに十分である。

七、G事件(前示7の事実)について

被告人は、司法警察員に対する昭和五六年一一月二四日付及び同年一二月五日付各供述調書において、「横堀の友達のところに遊びに行こうと思い、ニッサンセドリック黒色四ドア、ナンバー茨××××の車を運転して額田を出発した。国道三四九号線沿いにある△△商店付近で東の方への道路に曲つて進行中、同じ方向に歩いて行く女性を見付け、待伏せして車に乗せ乱暴してやろうと思い、女性を追い越して一〇〇メートル位行くと、右に入る砂利道があつたので、ここに車をバックで入れ、スモールランプだけをつけエンジンを止めて車から降り女性の方に歩いて行つた。そして一〇メートル位歩いて、向かつて歩いて来た女性のすぐ一メートル位前のところに立ち止まつた。するとその女性がキャアーと大声を出したので、今騒がれてはまずい、騒がれないうちになんとかして車に乗せてしまおう、そのためには殴つていためつけた方がいいと考え、左の拳骨で思い切り女性のみぞおちめがけて殴りつけた。その女性はその場にかがみ込んで苦しそうに手を胸のあたりにつけていた。私はこれを見て、みつかつてはまずい、一応あやまつておいた方がいいと思い、ごめんなさい、友達と間違えちやつたんだ、と言つて、すぐに車に戻つてエンジンをかけ、横堀地蔵の方に逃げた」旨供述しているところ、原審及び当審において、木志根巡査部長に犯行の場所や時間を教えられ、取調官に迎合して虚偽の供述をしたものである旨述べている。

しかしながら、本件については昭和五六年一一月一五日木志根巡査部長によつてGからの事情聴取が行われて調書が作成され、同月二〇日同部長が被告人による犯行ではないかとの嫌疑を抱いていた本件、さらには前出のQに対する暴行事件、昭和五五年八月二六日及び同年九月二日の二回にわたつて那珂郡那珂町所在の農協有線センター空地内において発生したV所有の普通乗用車のタイヤを千枚通し様のもので突き刺しパンクさせた器物損壊事件、昭和五二年六月一六日同町<省略>山林内路上において発生した出勤途中のWに対する強姦未遂・三〇〇〇円強取事件、同日同町<省略>の山道において発生した帰宅途中のXに対する脅迫事件等について被告人を取り調べたところ、本件のG事件についてのみ自己の犯行である旨自供し、被告人の供述するままに、同月二二日実況見分、同月二四日供述調書の作成が行われたことが木志根則之の当審証言によつて認められるところであつて(他の事件については被告人はのちの取調に対しても結局自らの犯行であるとは認めていない。)、被告人が本件犯行を自供した状況に照らしても、木志根巡査部長に犯行の場所や時間を教えられ、取調官に迎合して虚偽の供述をした旨の被告人の弁解は到底信用できない。

しかも、被害者のGは、原審において、「当時新築中の私方の家の少し前まで来ると、家の角の路地のところに車がスモールランプにして止まつていた。私がその車の方に歩いて行くと、一人の男が早足でやつて来て私の胸をつかみ、いきなりみぞおちを拳骨で思い切り一回か二回打つた。私はその場にうずくまつた。男はカーキ色かベージュ色の服を着た作業員風で、背は一六〇センチ位よりも少し高く、二五、六歳、髪はパーマをかけていて、顔の輪郭はわかつた。私が大声を出すと、男は、友達だと思つた、と言いながら離れて、停めてあつた車の方に行つた。車はセドリックかグロリアという感じの大きな車で黒色だつたと思う。男が近くに来たとき近くの民家からかすかな明かりがあつて、その男のことは大体わかつた。その後警察で写真を五、六枚見せられて、その中に犯人のものがあつた。パーマは被害に遭つた当時と写真とでは似ていた。法廷で被告人を見て、間違いないと思つた。体格やそのときのフィーリング、法廷に入つてくる姿を見て間違いないと思つた」旨証言し、なお写真による面割りが行われた昭和五六年一一月一五日付司法警察員調書において、「暗かつたが、近くの家に明かりがあつた。犯人の写真を見せられて顔形や髪型がそつくりだつた。絶対とはいい切れないが、ほぼ間違いない」とも述べているところ、夜間一人で帰宅途中の被害者にとつて、自分の方に足早に迫つて来る男性への異和感から、その者の体格や顔の輪郭、髪の具合、更にはその者から受ける感じなどについての印象が強く残るというのは首肯し得るところであり、近所からの明かりの中で被害者が右のように犯人像をとらえていたことをもつて不自然であるとか疑わしいとかいうことはできない。更に、犯人の車についても、被害者の悲鳴をきいてかけつけた被害者の父Yも原審において、逃げ去つた車は大きくて黒つぽいと思つた旨証言し、被告人の前示供述内容は被害者らの証言によつて裏付けられ、被害者の面割りもまた十分信用し得るところであつて、結局被告人が本件犯行に及んだものと認定するに十分である。

以上の認定によつて明らかなとおり、被告人が前示1ないし3、4の(1)(2)、5、6の(1)(2)及び7の各犯行に及んだものであることは優にこれを肯認することができ、被告人が原審及び当審において右所為に及んでいない旨弁解し、また弁護人が答弁書その他において、これら各犯行について被告人と被害者の供述の相違する点及びその他の問題点を掲げ、被告人の犯行ではない旨主張するところを精査し検討するもいずれも他の証拠に照らして採用できず、結局左右する論拠とはなしえない。してみれば、原判決が右各事実につきいずれも犯罪の証明がないとして被告人に対し無罪を言い渡したのは事実を誤認したものといわなければならない。論旨は理由がある。

第二、弁護人の控訴趣意について

所論は事実誤認をいうもので、要するに、原判示第四の姦淫及び金員交付は女性が同意のうえでのものであるのに、原判決が被告人について強盗及び強姦の所為を認めたのは事実を誤認するものである、というのである。

しかしながら、原判決が罪となるべき事実の第四において、被告人がJに対しナイフ様の刃物を突きつけ、現金約二万五〇〇〇円を強取したうえ、更に同女の腹部を手拳で殴打するなどして同女を強いて姦淫した旨認定、判示するところは、その挙示する証拠によつて正当として是認することができる。

所論は、被害者の原審での証言自体不自然なところが存するのみならず、被告人の捜査段階及び原審での供述と照らし合わせて疑わしいところが多く、信用できない旨いうが、被害者が原審において、帰宅途中被告人に道をきかれ、帰るのと同じ方向であつたので、いわれるままに途中まで同乗すると、被告人は運転席で操作してドアをロックし、被害者がここでいいから、下ろして、停めて下さいといつたのに構わず人家から離れた場所に連れて行き、そこで刃物を突きつけて金員を要求し、現金二万五〇〇〇円を取り上げた後、更に腹部を殴るなどして強いて同女を姦淫した旨証言する内容に作為的であるとか、不自然であるとかいうところは見出せず、同女の司法警察員に対する昭和五五年九月一六日付供述調書の内容も、同女が被告人に刃物を突きつけられたり、手拳で殴打されたりして反抗できないまま、そのいうなりに姦淫されたことを供述していて前示原審での供述と齟齬するものではなく、被害者の右原審での供述内容は信用し得るものということができ、被告人も捜査段階においてナイフで被害者を脅して姦淫に及んだことを自供していることをもあわせ考えると、原判決が関係証拠によつて被告人の前示所為を認定したのは肯認し得るところであつて、原判決に所論のいう如き事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。

(なお、被告人は原判示第二のLに対する暴行につき原審及び当審において右所為に及んでいない旨を供述するが、原判決が関係証拠によつて右暴行の事実を認定判示するところはこれを肯認し得るもので、この点につき原判決に事実の誤認は存しない。)

以上によれば、本件公訴事実中、前示1ないし3、4の(1)(2)、5、6の(1)(2)及び7の各事実についても有罪として処断すべきところ、右罪は原判決が有罪であるとして処断した各罪と併合罪の関係にあり、主文において一個の刑を言い渡すべきものであるから、原判決はその全部について破棄を免れない。

よつて刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において被告事件につき更に判決をすることとする。

原判決が認定した罪となるべき事実第一ないし第五、第六の一、二のほか、同じく第七として前示1の事実、第八として前示2の事実、第九として前示3の事実、第一〇の一、二として前示4の(1)(2)の事実、第一一として前示5の事実、第一二の一、二として前示6の(1)(2)の事実、第一三として前示7の事実を次の<証拠>によつて認める。

被告人の各所為中、第一、第三、第七ないし第九、第一〇の二、第一二の二の各所為はいずれも刑法二三五条に、第二及び第一三の各所為はいずれも同法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、第四の所為は刑法二四一条前段に、第五の所為は同法一七九条、一七七条前段に、第六の一及び第一一の所為は同法一七七条前段に、第六の二の所為は同法二五四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、第一〇の一及び第一二の一の各所為は刑法一八一条(一七七条前段)にそれぞれ該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、所定刑中、第四、第一〇の一及び第一二の一の各罪につきいずれも有期懲役刑、第二、第六の二及び第一三の各罪につきいずれも懲役刑をそれぞれ選択したうえ、同法四七条本文一〇条により最も重い第四の罪の所定刑に同法一四条の制限に従い法定の加重をした刑期範囲内で処断することとして、情状をみるに、本件は、公道上で帰宅途中の女性から金員をひつたくり、また好みの女性を物色しては強いて姦淫しようと考え、予め刃物を用意しておき、道や家を尋ね、或は電話代を借りるふりなどをして、やにわに刃物を突きつけるなどしたうえ犯行に及び、剰え現金まで取り上げるという有様であり、女性を車内に誘い込むのが無理であるとわかると殴打を加え、更には白昼帰宅途中の女子高校生を見付けると、作業員を装つて近付き、居宅内で強いて姦淫しようとするなど、その犯行は多数回にわたり、かつ計画的であるうえ、犯行態様も刃物を用いるなど悪質であつて、その結果、多くの女性にたやすく癒され難い被害を与えながら今日に至るまで慰藉するところのないことを考えると被告人の刑責は重いものといわざるを得ず、これに被告人が原審及び当審において自認している犯行の被害者については反省の念を示していることなど被告人にとつて有利な事情も斟酌のうえ、被告人を懲役一〇年に処し、同法二一条により原審における未決勾留日数中一〇〇〇日を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決をする。

(裁判長裁判官高木典雄 裁判官渡邉一弘 裁判官近江清勝)

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